心霊学研究所
文書資料室
('03.05.08作成)
バーバネルとの初対面のとき、握手をしてからそれぞれに椅子に腰掛けたあと、二人はしばし一言も言わず、ただニコニコ顔で見つめ合うばかりだった。それだけで気持が通じ合っていた。私は何だか親戚のおじさんに久しぶりで会ったような気がした。バーバネルもきっと孫にでも会った気持だったに違いない。(P.64) バーバネルとの初対面が終って帰り際に日本からのプレゼントを差し出すと、あちらの人間らしくすぐに包装をといて箱から取り出した。飾り用の舞扇《まいおうぎ》である。案の定ただいじくりまわすだけなので、こういう具合に開くのですと言って開いてみせると“ワンダフル”の一語を述べたあと「これはシルビア(奥さん)に持って帰ります」と言った。(P.102) バーバネル夫妻には子供がなかった。しかし、影の形に寄り添うごとく、交霊会の場へは必ず奥さんが同伴して、いつも左側の席に座っていた。そこにはきっと陰と陽の組み合わせによる効果があったはずである。それも子供がいなかったからこそ出来たことで、二人はやはり、二人ならではの仕事をするために示し合わせて生まれて来たのであろう。(P.121) 昨年のクリスマス直前(十七日付)のサイキックニューズ紙に“クリスマスメッセージ”が二面にわたって掲載されていたが、その中央に、大きくはないが、バーバネル夫人からのものがあった。「世界の友へ----クリスマスと新しい年が祝福に満ちたものとなりますように----シルビア・バーバネル」。かれこれ九十歳近く、けっしてお元気ではないが、まだ【この世】の人である。多分このことは夫人ご自身はご存じないはずである。サイキックニューズ社のスタッフからの夫人への敬意が伝わってきて胸が熱くなった。(P.143-144) バーバネルの部屋には本書の表紙絵のような白樺を描いた大きな絵が飾ってあった。私が「これがシルバーバーチですね」と言うと、「この木がテスターの家の近くにいっぱいあってね。彼があそこへ引っ越したのも意味があったんですよ」と言って、しげしげと見つめていた。心霊治療家のM.H.テスター氏のことで、前日訪問していたので、なるほどと思った。(P.166) 二日後にもう一度訪れて、あす日本へ帰りますと言うと、バーバネルが「じゃあ、私からも素晴らしいプレゼントをさせていただきましょうか」と言って、どこかへ電話を入れた。そして「少し待ってなさい」と言う。まさか出前でもあるまいに、と思っていたら電話が鳴った。受話器を取ると何やらメモを取りながら「結構、結構、どうも」と言って切った。それからメモ用紙にS.A.G.Bとその所番地を書いて「明日一時にここへ行きなさい。最高の霊能者に会わせて上げよう。これは私のおごりだ」と言う。S.A.G.Bというのは英国スピリチュアリスト連盟の略名で、常時二十名近い霊能者がいて人生相談にのっている。心霊書の販売からレストランまであるスピリチュアリストの総合施設である。紹介された霊能者は名前こそ知られていないがバーバネルが第一級の折り紙をつけた女性だった。舞扇に対する、いかにもバーバネルらしい返礼だった。(P.174) 二度目の渡英の時はすでにバーバネルはあの世の人となり、場所も現在地へ移転し、編集主幹は本書の編者のオーツセンとなっていた。一階の受付で自己紹介してオーツセンの面会を要求すると、二階の編集部へ電話を入れてくれた。ちょっと外出中だけどすぐ戻ってくるとの話なので、書籍コーナーで心霊書をあさっていると、清楚な中年の女性が降りてきて私に挨拶した。見るとバーバネルの秘書をしていたパム・リーバ女史だった。私の名前を聞いて懐かしくて降りてきたという。私がバーバネルが出てくることがありますかと尋ねると、実験会とか交霊会には出てこないけど、身近かに存在を感じ取ることはよくあるとのことだった。続いて私が「今シルバーバーチの霊言集を訳しているところだけど、もうすぐあなたが編集されたのを訳しますよ」と言うと「素敵!」と言って少女のようなあどけない仕草をしたのが印象的だった。潮文社刊「シルバーバーチの霊訓」第十巻のことである。そんな話をしている間にオーツセンが戻っていたらしく、やがて階段を転げ落ちるように降りてきて「よく来た!」といって、思い切り強く握手をして二階へ案内してくれた。(P.195-196) “シルバーバーチ”というのは日本でいう白樺、学名シラカンバの一種で、別名をイエローバーチとかペーパーバーチという。いずれにしても、バーチ家のシルバーさんではなくてシルバーバーチという植物名を使っているのであるから“シルバー・バーチ”と区切らないのが本当である。英語でも“シルバーバーチ霊”という言い方は見たことも聞いたこともない。目くじらを立てるほどのことでもないが、ご参考までに。(P.239) 編集ノート |