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1999年8月のログ、その1です。

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回答は長いぞ・・・

 投稿日 1999年8月4日(水)20時04分 投稿者 老神いさお [INS44.yamato-ap2.dti.ne.jp]

問題を一つずつ片付けて行きましょう。

●物理学者さんからの質問A’
>私はシルバーバーチのその本をまだ読んだことがありません。
>果たしてシルバーバーチはその言葉を「日常の心得」と明言しているのでしょうか?

いいえ、あの文章は、日常、非日常のすべてを含めたものです。



●大欲と我欲 (説明の順番上)

ペーパーバーチさん〜
>格好をつけて「大欲」などと言っても、やっぱり欲は欲ですよ。
>ただ、それは悪い欲ではない。欲が全部悪いわけではないということだと、
>僕は思います。

> さて、仏教の「大欲」なんてのは、山に篭もって(^^;自分たちの修行ば
>かりしてる坊さんが言ってる言葉で、つまり「自分たちのやっているのは、
>とっても高尚なことなのだぞ」という言葉なわけです。まぁ、自己弁護の
>言葉なわけで、そのまま素直には受け入れられないものがあります。(^^;

自己の向上も欲望の一つですし、社会の役に立とうというのも欲望の一つです。
愛情だって欲望の一つなのですよ。
欲望というのは過ぎるから害になるのであり、適切に用いれば、人間の行為の原動力になります。

そして人間の霊性向上とは、個人の向上を含みますが、それ以上に他との調和が求められます。「自分だけ良ければ良い、人がどう思おうと私が信じる事が正しい」これでは『我』を育てているのであって、『霊』を育てている事になりません。
他の存在と自分とを認め合うからこそ、より普遍的な知恵を得る事が出来、また、霊的な向上のチャンスも得るのです。

その意味で、自己の為に霊格を向上させるというのは、霊格向上の初期であるか、さもなければ袋小路に囚われている事になります。
閉じた世界に篭り、自分だけ、自分たちだけの理論を構築しても、それが社会に通用しないのなら、それは妄念に等しいですよね。

ですから、『霊性向上』とは、『個人の利益の為に努力する事』から、『全体の利益の為に奉仕する心』への成長を意味するのです。
そして、『個人の利益の為に努力する心(事)』を『我欲』
『全体の利益の為に奉仕する心』を『大欲』と表現します。

ですから、Sherryさんの質問、「霊格の向上を目指す事が、すでに我欲ではないか?」にたいして、私は仏教用語から、大欲という言葉を借りて来るのが適切と判断しました。


●たるもあさんへのコメント
上記「大欲と我欲」を参照してください。

>「霊性・霊格の向上のため」と思いながらする行為
これは霊性向上の初期段階

>やっぱり、「○○させてもらっちゃって、ありがと(^^)!」
これは霊性向上の発展段階となります。

>比較対照が「現在の自分」と「自分以外の人」
>で、かなり印象が違いますよね?

上記の通り、『全体の利益の為に奉仕する心』を発現させるには
周囲と比べて遜色の無い霊性を得る必要があります。

これを学問に例えると、生涯教育、自己の研鑚を目的とする勉強なら「現在の自分」と比べて成長すれば良いわけです。
しかし、教師や学者を目指すなら、社会水準や世界水準と比べながら成長を目指す必要があるのです。


●押しつけがましくなる

|自分のために使うべき時間を、単に人に使っているということは相手の持っている責任を軽視する事になる
|し、同時に押し付けがましいものでしょう?
|このような生き方は、助けられた人の心の負担になります。

> 押しつけがましくなるかどうかは、その人次第ではないでしょうか。
>考えの足らない人がやれば、ちょっとしたことでも押しつけがましくなります(^^;。

これを学問に例えると、一生懸命に自分の学問を磨いている人が、後進の者にアドバイスをするなら良いけれど、自分の勉強を忘れ(霊性の向上を目指さず)、人に知識を与えようと言うのは「傲慢」である、という事になります。

また、「押しつけがましい」と感じるのは
余計なお世話:「教えなくても良い事を教えようとする」
かえって迷惑:「間違った事を教えようとする」
という場合があると思います。
「余計なお世話」は、教えようとする相手が、教える相手の霊性を理解しないから起こります。
「かえって迷惑」は、教えようとする相手が、自分の霊性を理解しないから起こります。
相手を過小評価するのも、過大評価するのも「傲慢」とはいえるでしょう。


蛇足ですが、
では、がけから落ちようとしている人に声をかけるのはどうでしょうか?
まあ、皆さん義務と答えるでしょうね。

では、人生の崖端から落ちようとしていたら・・・?

口をぬぐっていれば良心が傷み
口を開いても信じてもらえず
結果が出た時、避けられなければ恨まれる。
結果が出た時、避けられれば気味悪がられる。

ゲーム理論的には口をぬぐっているのが最大利潤を上げられるでしょうね。
ああ、他に良い定理をご存知でしたら、ぜひ教えてください。 (^^ゞ


●絶対進行方向
晩のおかずを買いに行くつもりで出かけ、立ち寄った本屋で面白い本を見つけて、おかずを買い忘れたまま帰宅した・・・なんていう経験は無いですか?
明確な目標を胸に抱く事は、前進する上で非常に重要な事です。
そして人の経験談、特に失敗談を聞くと、熱中するあまり実現の手段と目的を取り違えている事が多いですね。
博打などでも、勝っているうちに止めれば良かった・・・等という話を良く聞きますよね?これなども、熱中のあまり目的を逸脱したと表現できるでしょう。

ペーパーバーチさん〜
>やはり「霊性の向上のため」に人の役に立とうなどというのは卑しい感じがして
>好きになれませんねぇ(^^;。基本は「人の役に立ちたい」という思いでしょう。
>それが結果的に「霊性の向上のため」にもなるということです。

私が「自己の霊性の向上を心におかない行為」を傲慢と表現したのは、当初、志していた「人の役に立ちたい」という気持ちが、いつしか人の迷惑になっている事例があまりに多いからもあります。
強く思わずして、初心を貫徹する事は凡人には出来ませんし、「自然にここまで来てしまった」という偉人を、私は知りません。(いないとも言いませんが)

ですから私は、訊ねられれば迷わずに「自己の霊性の向上を心に置きなさい」と答えます。
本当に目標を立てずに、実現できる精神力を持った人が、自分の生き方に疑問を持つとは思えないからです。


●例b
> この例bを老神さんが傲慢であると仰っているのをみて、とても不思議に思って
>いたんですが、なるほど「自分の責務を放置しての一方的な扶育」と思っていたわ
>けですね。しかし、ちょっと待ってください。この例bを何度読んでも、「自分の
>責務を放置しての一方的な扶育」という内容だとは思えないんですが……。これは
>老神さんの読み違えではないでしょうか?

「例」はあくまでも、最初の疑問を補填する為にあるのであり、本来の質問の趣旨ではありませんから、「例」の解釈に囚われるべきでは無いと思います。
Sherryさんの疑問は、あくまでも「霊格の向上を目指す事が、すでに我欲ではないか?」というものです。ですから回答は、「我欲か、そうでないか」という事と、その理由だけで事足りる筈です。


●視点を誘導
>対等な立場で議論をしていたはずですから、一方的に「視点を誘導」するのは……

これは、さらりと流して頂きたかった。

物理学者さんの投稿は、

>:Sherryさん
#:物理学者さん

>人の役に立つことをしている人がいるが、その目的が自分の霊性の向上、霊格を高くするため
#この方が私はレベルが下のような気がします。

#例えば、目の前で溺れかかっている子供がいたとしましょう。
#あなたは川に飛び込み、助けたとします。
#この時「自分の霊性の向上、霊格を高くするため」と思って飛び込むのか?
#「子供を助けたい(ただ人の役に立つことを望む)」と無我夢中で飛び込むのか?

繰り返しますが、Sherryさんの質問は、「霊格の向上を目指す事が、すでに我欲ではないか?」というものです。
それゆえにSherryさんは、私の回答に納得したのです。

つまり、問題を置き換えたのは物理学者さんであって、私ではありません。
特殊な状況を持ち出して、一般論が当てはまらない場合があると言うのは、質問の趣旨から外れています。
そして最初から自己犠牲を論じているのなら、私は別な回答を選んでいたでしょう。
私は、物理学者さんの勘違いを否定する事無く、話題を変えようとしたのです。
そんな気遣いは迷惑と言われればそれまでですが。

そして、非常時と日常の違いなども、Sherryさんの質問の趣旨・回答の趣旨から外れた議論です。また、それを論じるには、例a、例b、ともに設問が不充分です。
実際、非常時の行為なんて、理屈では割り切れない筈です。考える間がなければ、肉体の限界と霊性のままに行動するでしょうし、その霊性は日常生活で磨かれるものです。


●たるもあさんの質問を中心に再度整理します。

1、霊性の向上は、人生の至上命題。
  (それを忘れぬよう目標として掲げるべき)
2、利己的な向上は霊性の向上とは言わない。
  (だから霊性の向上は、社会への奉仕とも言える)
3、霊性の向上を忘れると停滞、退廃する。

心霊主義中にも諸説ありますが、転生肯定派は大抵、「転生は霊の未熟な部分を解決するために行われる」としています。つまり、この世に生を受けて未熟ならざる人物はいないのです。
ですから「自らの向上を忘れ、日常的に他人への奉仕を考える」というのは、転生の目的を放棄したと言えます。

私が無償で心霊相談に乗っているのは、「他人の問題を一緒に解決していく事が、私にとっても霊性向上の勉強になるから」です。
同じような相談ばかり来ると、単なる繰り返しで勉強にはなりません。それでも奉仕の心でもって相談にあたります。
相談者が愚痴り出すと、無償の奉仕がばかばかしくなります。解決策を必死に探している人の邪魔になるよな・・・と。
その場合、これも勉強、原因を見つけ出さねば。と努力します。
ただし、こちらが提案した改善策を受け入れずに、愚痴を続けると相談は断る事にしています。


●私の師匠なら (-_-;)
全くの蛇足、かつ、反感を買いそうですが。

私の師匠なら、上記すべての質問に、たった一言で答えるでしょね。

「そんな事を考えずに行え!!」

優秀な(?)弟子である所の私には想像がつきます。 (^^ゞ

「全く理屈ばかり言って!!
そんな暇があったらやってみなさい!!」
(-_-;) はい

よくそう怒られました。 (^○^) (^○^) (^○^) (^○^)
先週、師匠に、
「昔は私に噛み付くようにしていたのに、丸くなったね」
と言われたときは (T_T;


RE:な、なんだか、こんがらがってきちゃいました
 投稿日 1999年8月4日(水)07時06分 投稿者 ペーパーバーチ [cs38108.ppp.infoweb.ne.jp]

たるもあさん、おはようございます。

|>「霊性・霊格の向上のため」と思いながらする行為

|・・・これは、イマイチ。

イマイチというワケでもなくて、これはこれで尊いと思いますけどね。より良い自分になりたいという向上心なんですから、決して悪いことではないと思います。


|>やっぱり、「○○させてもらっちゃって、ありがと(^^)!」

|・・・どうせなら、こちらの方がモア・ベター。

と、思います(^^)。


|比較対照が「現在の自分」と「自分以外の人」
|で、かなり印象が違いますよね?

ううむ。これは僕には分からないです。「現在の自分」より向上したいというのは良いことでしょうけど、「自分以外の人」の場合は……? 「あんな人になりたい」というあこがれの気持ちなら良いことでしょう。「ちっくしょ〜。あいつ良いな〜」という妬みの気持ちだとマズイですね(そんな風に思う人が霊性の向上なんて考えるのかという問題はさておき(^^;)


ど〜もすみませ〜ん
 投稿日 1999年8月4日(水)07時01分 投稿者 物理学者 [takasaki1-44.m.nttpc.ne.jp]

なんだか私が絡み付いたおかげで、ごんがらがって来たようで、すみません。
でも、いろいろな考え方を知ることができて、私としたら感謝感激です。

でもでも、議論はいつも沈着冷静に行きましょうね。
もちろん、みなさん沈着冷静に発言しているでしょうけれど、
一応、念を押しておいた方が良いかなあ、と思って、
取急ぎ書き込みました。
ちなみに私は何を言われても「絶対に」キレない訓練を、
学会でさんざん受けて来たので大丈夫。ビシバシ反論してください。

ただ、皆さんから未だに回答がないので、
シルバーバーチに詳しいペーパーバーチさんにも同じ質問を。

質問A’
私はシルバーバーチのその本をまだ読んだことがありません。
果たしてシルバーバーチはその言葉を「日常の心得」と明言しているのでしょうか?


さらに追い討ち
 投稿日 1999年8月4日(水)03時25分 投稿者 たるもあ [hrsm0137.ppp.infoweb.ne.jp]

一言で「霊性・霊格の向上」と言っても
比較対照が「現在の自分」と「自分以外の人」
で、かなり印象が違いますよね?
って、寝れなくなっちゃいそうです。
(とりあえず、寝ますネ。)


な、なんだか、こんがらがってきちゃいました
 投稿日 1999年8月4日(水)02時55分 投稿者 たるもあ [hrsm0111.ppp.infoweb.ne.jp]

え〜っと・・・
とりあえず、私の投稿に関する事に絞らせて頂きます。

>「霊性・霊格の向上のため」と思いながらする行為

・・・これは、イマイチ。

>やっぱり、「○○させてもらっちゃって、ありがと(^^)!」

・・・どうせなら、こちらの方がモア・ベター。

と受け取って良いものかどうか。<(*。*)> 〜???
なんだか、混乱してしまいました。


RE:日常の心得と、緊急時の心得は違います。
 投稿日 1999年8月4日(水)01時02分 投稿者 ペーパーバーチ [cs38219.ppp.infoweb.ne.jp]

|日常の心得と、緊急時の心得は違います。
|私なら・・・普段から川に子供が落ちないように、努力します。
|自己犠牲は最善を尽くした上での最後の手段か、緊急回避的な場合に限定されるべきです。

 どこまでが日常で、どこからが緊急時なんでしょう? 日常と緊急時の線引きを、どこでつけるんでしょうか? そもそもそんな事が出来るんでしょうか? 真理とは「こういう時はこうだが、こういう時はこうなる」などと、その時々で代わるものでしょうか。

 「普段から川に子供が落ちないように、努力します」……これも純粋に子供のためを思ってそうするということで、自分の霊性の向上のためにやるわけでは無いし、自分の霊性の向上に結びつかなくても、子供のためには安全な環境を作ってあげたいと思うから、それを実行するわけです(例bですね)。
 ところが、老神さんの書かれたものを言葉どおりに受け取ると、「それは傲慢です」ということになってしまいます。(朝までの書き込みを読んだ段階では、本当にそのつもりで書いているのだと思いました)……が、老神さんの本意はそういうことでは無さそうですね。


ついでに、もう一つ前の掲示へのコメントもしておきますね。
|自分のために使うべき時間を、単に人に使っているということは相手の持っている責任を軽視する事になる
|し、同時に押し付けがましいものでしょう?
|このような生き方は、助けられた人の心の負担になります。

 押しつけがましくなるかどうかは、その人次第ではないでしょうか。考えの足らない人がやれば、ちょっとしたことでも押しつけがましくなります(^^;。

 やはり「霊性の向上のため」に人の役に立とうなどというのは卑しい感じがして好きになれませんねぇ(^^;。基本は「人の役に立ちたい」という思いでしょう。それが結果的に「霊性の向上のため」にもなるということです。
 どうも自分を犠牲にするという前提に囚われて話がおかしくなっているような気がします。それは、時には自己犠牲も避けられないかもしれませんが、そんな緊急時は、むしろ、まれなことです。日常的な心構えとしては「人の役に立ちたいという無私の気持ち」が第一だと思います。


RE:人の役に立つ行為の動機・・・まとめ
 投稿日 1999年8月4日(水)00時52分 投稿者 ペーパーバーチ [cs38219.ppp.infoweb.ne.jp]

どうもどうも。ちょっとコメント出来ない間に、あっと言う間に話が進んでしまって、どこにコメントすればいいのやらという状態ですね(^^;。ふむふむ……せっかく老神いさおさんがまとめて下さいましたので、そちらにコメントするとしましょう。

|>>霊性の向上と言うのは、個人の利益の為に努力する事から、
|>>全体の利益の為に奉仕する心を意味しますから、霊性の向上
|>>を求めるのは、我欲では無く「大欲」となります。

 仏教用語とか使うと、それだけでもっともらしく見えてしまうんで、時に危険なことがありますね。格好をつけて「大欲」などと言っても、やっぱり欲は欲ですよ。ただ、それは悪い欲ではない。欲が全部悪いわけではないということだと、僕は思います。

 さて、仏教の「大欲」なんてのは、山に篭もって(^^;自分たちの修行ばかりしてる坊さんが言ってる言葉で、つまり「自分たちのやっているのは、とっても高尚なことなのだぞ」という言葉なわけです。まぁ、自己弁護の言葉なわけで、そのまま素直には受け入れられないものがあります。(^^;


|例b:「自分の霊性の向上は結果としてなるだけで、
| たとえならなくても人の役に立つことを望み、
| 実行している人がいるとします」

 この例bを老神さんが傲慢であると仰っているのをみて、とても不思議に思っていたんですが、なるほど「自分の責務を放置しての一方的な扶育」と思っていたわけですね。しかし、ちょっと待ってください。この例bを何度読んでも、「自分の責務を放置しての一方的な扶育」という内容だとは思えないんですが……。これは老神さんの読み違えではないでしょうか?

つまり……

|●たるもあさんの場合
|>「霊性・霊格の向上のため」と思いながらする行為には
|>あまり実がない様な気がしますね。物質にとらわれているというか、
|>その様な見返りを暗に含んでいる気がします。

|これは、いまだ我欲に囚われている状態です。

これが例aの状態。

|>やっぱり、「○○させてもらっちゃって、ありがと(^^)!」
|これが我欲から開放された状態です。

こちらが例bの状態ですよね。

 老神さんと物理学者さんの議論を見ると、どうもお2人とも最終的な認識は同じようなのに、この例bの捉え方の部分で老神さんのご発言が混乱しているところがあるように感じました。


|いえ、視点の誘導です。
|私は、おぼれている子供を助ける事を当然として、否定はしていません。
|目の前の問題も大切ですが、根本的な問題解決こそ、大切という視点に誘導しているのです。

対等な立場で議論をしていたはずですから、一方的に「視点を誘導」するのは……やはり「問題のすり替え」になると思います。老神さんが教師という立場で話しているのなら話は別ですが……。


問題のすり替えではないですよ・・・
 投稿日 1999年8月3日(火)23時32分 投稿者 Sherry [ppp-198.isnet.ne.jp]

物理学者さん〜
>>子供を産む女性が完全自己犠牲の心得があるのなら母親は他人に対しても役に立とうとするはずです。
>私は「お産の行為」という限定された命題で話しているのです。
こういうのを問題のすり替えと申します。

限定された命題では、完全自己犠牲という言葉は当てはまらないと思います。子供を産むという行為は、確かに自己をある程度犠牲にしますが、見返りとして自分の子供を得られます。子供が欲しくない人は産まないでしょう。
問題のすり替えをしたつもりはなく、完全自己犠牲についての議論には全体を通して見る必要があると思ったから、その他の行動について述べてみたのです。ある場合は完全自己犠牲の心得が働くけど、他の場合はその心得が働かないというのは完全自己犠牲とはいえません。
        と思うのですが・・・


人の役に立つ行為の動機・・・まとめ
 投稿日 1999年8月3日(火)19時48分 投稿者 老神いさお [INS28.yamato-ap2.dti.ne.jp]

問題を整理します。
まず大前提として、霊訓からの引用があります。

>我欲を捨て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、
>あなたの存在の目的を成就しはじめることになります。
>『シルバーバーチの霊訓(一)』より

これは日常、非常時を問わずに心掛けるものです。日常、非日常の区別は記載されていません。


●Sherryさんの質問
さてSherryさんの質問は、「霊格の向上を目指す事が、すでに我欲ではないか?」というものです。

そして、例を二つあげています。
例a:「人の役に立つことをしている人がいるが、
    その目的が自分の霊性の向上のためである」

例b:「自分の霊性の向上は結果としてなるだけで、
    たとえならなくても人の役に立つことを望み、
    実行している人がいるとします」

この二人の行動・結果が同様として、その違いはどこに現れるか?
というのが、私の認識した、Sherryさんの質問です。
そして、私の回答は、
>>霊性の向上と言うのは、個人の利益の為に努力する事から、
>>全体の利益の為に奉仕する心を意味しますから、霊性の向上
>>を求めるのは、我欲では無く「大欲」となります。
(注:大欲とは仏教用語で、シルバーバーチの中にそのような記載があるかどうかは知りません。(^^ゞ)

>>自分の利益だけを求める心を、我欲というのであって、欲望
>>のすべてを否定しているわけではないのです。
つまり人々の役に立とうというのも一つの欲望であり、その欲望は「大欲」と呼ばれて「我欲」と区別されます。
ですから、別な表現をすると、
「霊格の向上を目指す事は、我欲ではない」となります。

さて、次にSherryさんの上げた例について解釈します。

例b:「自分の霊性の向上は結果としてなるだけで、
    たとえならなくても人の役に立つことを望み、
    実行している人がいるとします」

私は、このような人を傲慢と判断します。
その理由として、

>>人間はそれぞれ、自分の責務があります。
>>それを他人が肩代わりする事は出来ません。

つまり「人助けとは、相手の義務を肩代わりする事ではないよ」
ということなのです。
困った時に助け合うのは人間の義務ですし、相互扶助や分業というのもあります。
しかし、自分の責務を放置しての一方的な扶育は、傲慢ですよ。という意味なのです。


世の中には、自らを磨く事で自信を持つのではなく、他人を侮蔑する事で自信を持とうとする人がいます。また、自らよりも劣る(と思える)人を周囲に集めて、優越感を持つ人もいます。新興宗教の人集めも、苦しんでいる人を集めて優越感に浸る目的の教祖も数多くいるのです。
このような場合、あるレベルの問題までは親身に相談に乗るのに、自分のレベルを超える相談には誤魔化して問題を拗らせる人が多いのです。

わたしは、非力ながら一緒に問題解決法を模索する事にしています。それが私の霊格向上の手段なのです。


●たるもあさんの場合
>「霊性・霊格の向上のため」と思いながらする行為には
>あまり実がない様な気がしますね。物質にとらわれているというか、
>その様な見返りを暗に含んでいる気がします。

これは、いまだ我欲に囚われている状態です。

>やっぱり、「○○させてもらっちゃって、ありがと(^^)!」
これが我欲から開放された状態です。

●物理学者さんからの例
>例えば、目の前で溺れかかっている子供がいたとしましょう。
>この時「自分の霊性の向上、霊格を高くするため」と思って飛び込むのか?
これは、我欲に囚われた状態です。場合によっては、この様に思って飛び込む人もいるはずです。泳ぎが苦手でも宗教的な衝動から飛び込む場合などです。

>「子供を助けたい(ただ人の役に立つことを望む)」と無我夢中で飛び込むのか?
これは、大欲にまで向上した状態です。

>毎日毎日、一瞬一瞬、 その飛び込む時の心情と同じ心情が自然に沸き上がっ
>て来る状態だと、私は受け止めるのです。

この設問に対して、わたしは、
>>私なら・・・普段から川に子供が落ちないように、努力します。
>>自己犠牲は最善を尽くした上での最後の手段か、緊急回避的な
>>場合に限定されるべきです。
とコメントしたのです。
その理由として、人間として生を受けるのには大変な犠牲、労力を払っているのだから、むやみに危険に身を晒すな、という意思を込めています。


日常と緊急時
 投稿日 1999年8月3日(火)16時13分 投稿者 物理学者 [dmax002-pool006.tokyo3.tnis.egg.or.jp]

ちょっと職場から。
Sherryさん、老神さん。だいたいは分かりましたが、
まだ理解できない点の質問を繰り返します。

質問A
ただ私はシルバーバーチのその本をまだ読んだことがありません。
果たしてシルバーバーチはその言葉を「日常の心得」と明言しているのでしょうか?
もしそうなら、あとは「日常」と「緊急時」の定義をしっかりすれば、私も納得です。

Sherryさん。
>女性が子供を産むのは完全自己犠牲ではなくて、種族維持本能からくる行動だと思います。
人間には理性もあります。本能がお産の苦しみに耐えるのでしょうか?
お産が苦しいことを理性で事前に分かっていながら、それを避けずに甘受するのです。完全自己犠牲です。

>子供を産む女性が完全自己犠牲の心得があるのなら、
>母親は他人に対しても役に立とうとするはずです。
私は「お産の行為」という限定された命題で話しているのです。
こういうのを問題のすり替えと申します。

>爪と肉の間の注射って痛そうですね。 ¢(++ )
屈強の医学生7名に押さえ付けられて注射されましたが、それでも1人が飛ばされました。
ちなみに私は失神していません。

老神さん。
>目の前の問題も大切ですが、根本的な問題解決こそ、大切という視点に誘導しているのです。
質問Aの解答がないので、今のところ何とも言えません。
私は一瞬一瞬を「緊急時」の心情で生きる努力をすることこそ、自他共のためになると考えています。
「目の前の問題も根本的な問題の1つ」として、とらえています。


今朝はあえて霊能者として、絡み付きます。(^^)
 投稿日 1999年8月3日(火)07時09分 投稿者 老神いさお [INS5.yamato-ap2.dti.ne.jp]

>こういうのを問題のすり替えと申します。
>私は「例えば、目の前で溺れかかっている子供がいたとしましょう。」と仮定し、
>その仮定の上で話を進めているのです。この一文は、私への反論には余計です。

いえ、視点の誘導です。
私は、おぼれている子供を助ける事を当然として、否定はしていません。
目の前の問題も大切ですが、根本的な問題解決こそ、大切という視点に誘導しているのです。
そしてこれが心霊主義的な視点なのです。
そしてこのような視点が学者さんたちの研究の妨げになる事も知っています。 (^_-)
捕らえどころが無いでしょう?


種族維持本能
 投稿日 1999年8月3日(火)05時26分 投稿者 Sherry [ppp-179.isnet.ne.jp]

物理学者さん、おはようございます。

女性が子供を産むのは完全自己犠牲ではなくて、種族維持本能からくる行動だと思います。子供を産む女性が完全自己犠牲の心得があるのなら、母親は他人に対しても役に立とうとするはずです。でも現実にそんな母親は少ないでしょう。さらに、その母親にも好感が持てない人もいるはずです。そういった好感の持てない人に対しても役に立とうとする人は、霊的知識を持ち合わせている人だけに限られてくると思います。
そうじゃない人をお知りでしたら教えて下さい。

爪と肉の間の注射って痛そうですね。 ¢(++ )
その注射のための麻酔というものがあってもようさそうに感じるんですが。
(歯茎にする注射みたいに)


あいまいな定義
 投稿日 1999年8月3日(火)00時55分 投稿者 物理学者 [takasaki1-38.m.nttpc.ne.jp]

今晩はあえて物理学者として、絡み付きます。(^^)

老神さん。
>私なら・・・普段から川に子供が落ちないように、努力します。

こういうのを問題のすり替えと申します。
私は「例えば、目の前で溺れかかっている子供がいたとしましょう。」と仮定し、
その仮定の上で話を進めているのです。この一文は、私への反論には余計です。

次に「日常の心得と、緊急時の心得」と申しますが、この「日常」と「緊急時」の定義はあいまですね。
たぶん私の「日常」は、皆さんの「緊急時」です。
自然現象は、いつ何が起きるか分からない。例えば、今ここで大地震が起きる確率はゼロでない。
一瞬一瞬が、皆さんの言う緊急時です。今すぐコロッと死ぬかもしれないのです。

ただ私はシルバーバーチのその本をまだ読んだことがありません。
果たしてシルバーバーチはその言葉を「日常の心得」と明言しているのでしょうか?
もしそうなら、あとは「日常」と「緊急時」の定義をしっかりすれば、私も納得です。

Sherryさん。
>物理学者さんがおっしゃる完全自己犠牲の人も、人の役に立つという行動によって
>霊性の向上につながるという知識を土台にしたものだと思います。

霊性の向上につながるという知識を全く持たない人でも、
人の役に立つという行動をし、完全自己犠牲する人はたくさんいますよ。それはほとんどの女性。
命がけで子供を生むんです。医学が進歩した現代でも、出産で亡くなる女性はたくさんいます。

私は以前、足の指の手術のため、爪と肉の間に麻酔注射を打たれました。すっごく痛かった。
ほら、よく拷問で爪と肉の間に爪楊枝を入れたりするじゃない。あれと同じだもの、激痛。
その時の医者が言ってました。
「男性は半数が失神するんです。でもこの痛み、女性の陣痛よりレベルが2ランク低いんですよ。」
ね、すごい痛みなんです、お産って。

このお産も緊急時なのでしょうか? 世界で毎日何十万人もやっているこの行為は、
私は緊急時というより、日常的な出来事のように思うのですが。

註:すみません。これは喧嘩ではありません。議論です。(^o^)


千年間以上の遅れ
 投稿日 1999年8月3日(火)00時04分 投稿者 Sherry [ppp-206.isnet.ne.jp]

物理学者さん、老神さんこんばんは

老神さんのおっしゃるとおり、日常の心得と緊急時の心得は違うと思います。
日常で何か起こった場合、スピリチュアリズム(霊訓など)の思想と
照らし合わせてから行動する余裕がありますが、緊急時でのハプニングでは
考えてる時間の余裕がなく、ある意味自分の本性が出ると思います。

そこで例えば溺れている子供を助けようとして感じる苦しみは試練だと思います。
それで命を落としても(落とさない方がいいですが)、動機が純粋である限り
(この場合は純粋だと思います)変な霊界に行くことは決してないはずです。

物理学者さん〜
>>人の役に立つことをしている人がいるが、
>>その目的が自分の霊性の向上、霊格を高くするため
>この方が私はレベルが下のような気がします。

考えてみると、この動機より上のレベルはないと思います。
なぜなら人間の最終的な目標は霊性の向上(一歩でも神に近づく事)にあるからです。
物理学者さんがおっしゃる完全自己犠牲の人も、人の役に立つという行動によって
霊性の向上につながるという知識を土台にしたものだと思います。

霊性の向上、霊格を高くするということは、地上での
地位の向上、権限の拡大とは
言葉的にはにていますが、意味的には全く異なることだと感じてきた今日この頃です。

老神さん〜
まして、肉体を成長させるのに必要な20年という時間が、霊界の主観時間で
どれほどの長さになるか、おそらくは千年間以上の主観時間になるでしょう。
となると自分を危険にさらさすと言うことは、その千年間の努力をも危険に晒す
ということになります。ですから、命懸けで人を助けるのも大切かもしれませんが、
それ以上に人命を危険に晒さないように努力すべきだと思います。

プライド(誇り)を持つことは大切ですが、
つまらないプライドは人命をよく危険にさらします。
ほとんどに人が捨てきれていないんではないでしょうか?
これを知っていれば、つまらないプライドなんか簡単に捨てちゃえますね。


独り言
 投稿日 1999年8月2日(月)23時41分 投稿者 老神いさお [INS125.yamato-ap2.dti.ne.jp]

私事、結局、世紀末状態。
閉じた世界というのも、成長が無いものですけど
開いた世界というのも、維持する事に忙殺されてやはり成長が無い。
人間はある程度、管理された環境でないと成長は望めないかもしれない。


日常の心得と、緊急時の心得は違います。
 投稿日 1999年8月2日(月)20時46分 投稿者 老神いさお [INS17.yamato-ap2.dti.ne.jp]

>例えば、目の前で溺れかかっている子供がいたとしましょう。
>あなたは川に飛び込み、助けたとします。
>この時「自分の霊性の向上、霊格を高くするため」と思って飛び込むのか?
>「子供を助けたい(ただ人の役に立つことを望む)」と無我夢中で飛び込むのか?

日常の心得と、緊急時の心得は違います。
私なら・・・普段から川に子供が落ちないように、努力します。
自己犠牲は最善を尽くした上での最後の手段か、緊急回避的な場合に限定されるべきです。

蛇足ですが、人間が生を受けるにあたっては、それなりの目標を持って生まれるものです。
もちろん人生を全うする事は個人の努力だけではどうにもならないものですが、あらぬ事で命を落とすと、やり直しをするのに時間が掛かる事を考えてみてください。

死んですぐに生まれ変われたとしても、人間としての躾と学業を受け、肉体を生育させるまでに、優に20年は掛かるでしょう。実際には生まれ変わる先の親たちとの調整やなんやで、数百年の時が掛かるのです。ですから、命を危険にさらすということは魂の目的を果たすために地上の時間で数百年の遠回りをするという事なのですよ。
まして、肉体を成長させるのに必要な20年という時間が、霊界の主観時間でどれほどの長さになるか、おそらくは千年間以上の主観時間になるでしょう。となると自分を危険にさらさすと言うことは、その千年間の努力をも危険に晒すということになります。
ですから、命懸けで人を助けるのも大切かもしれませんが、それ以上に人命を危険に晒さないように努力すべきだと思います。


遅刻の心配がない1日
 投稿日 1999年8月2日(月)10時27分 投稿者 物理学者 [takasaki1-45.m.nttpc.ne.jp]

今日は私、自宅勤務です。遅刻の心配がありません。皆さん慌ただしい朝ですね。ご苦労様です。

Sherryさんおはようございます。あなたよりスピリチュアリズムに疎い私ですが、思うことを一言。

老神さんのレス
>>一方、真に人の役に立ちたい。自分の霊性の向上は結果としてなるだけで、
>>たとえならなくても人の役に立つことを望み、実行している人がいるとします。
>それは傲慢です。(中略)
>このような生き方は、助けられた人の心の負担になります。
私は、これはどうかな? と思います。助けられた人が感謝すれば良いと思うのです。

>人の役に立つことをしている人がいるが、その目的が自分の霊性の向上、霊格を高くするため
この方が私はレベルが下のような気がします。

例えば、目の前で溺れかかっている子供がいたとしましょう。あなたは川に飛び込み、助けたとします。
この時「自分の霊性の向上、霊格を高くするため」と思って飛び込むのか?
「子供を助けたい(ただ人の役に立つことを望む)」と無我夢中で飛び込むのか?

当然、後者でしょう。完全自己犠牲です。もしかしたら自分が水中でもがき苦しみ死ぬかもしれない。
その苦しみが忘れられず、変な霊界に行くかもしれない。
それでも飛び込むのは、その一瞬、「霊性の向上、霊格を高くするため」などとは豪も考えないからです。
人の役に立つことを望む、その一念ではないでしょうか?

そして助けられた子供も、その子供の肉親も、心の負担、そんなのは通り越して、
ただただ感謝のはずです。その恩人が困っていたら、どんなことをしても助けてあげたい、と思うでしょう。
こうして無私の愛は、無限の循環運動を開始するのです。

シルバーバーチが「我欲を捨て他人のために自分を犠牲にすればするほど」といっているのは、
毎日毎日、一瞬一瞬、その飛び込む時の心情と同じ心情が自然に沸き上がって来る状態だと、
私は受け止めるのです。

あらまあ、ド素人スピリチュアリストが偉そうに失礼しました。適当に聞き流してください。


みんな、遅刻には注意しよう
 投稿日 1999年8月2日(月)08時11分 投稿者 たるもあ[hrsm0116.ppp.infoweb.ne.jp]

なんだか、あわただしい朝ですね〜。
老神さんが慌てるところ見てみたい。


我欲と大欲
 投稿日 1999年8月2日(月)07時26分 投稿者 Sherry [ppp-174.isnet.ne.jp]

老神さん、おはようございます。

>霊性の向上と言うのは、個人の利益の為に努力する事から、全体の利益の為に奉仕する心を意味しますから、霊性の向上を求めるのは、我欲では無く「大欲」となります。自分の利益だけを求める心を、我欲というのであって、欲望のすべてを否定しているわけではないのです。

よくわかりました。我欲と大欲、ここに大きな違いがあるんですね。
心に引っかかっていたものが一つとれました。
いつも、丁寧な御返事ありがとうございます


言葉って難しいですよね
 投稿日 1999年8月2日(月)07時23分 投稿者 たるもあ [hrsm0101.ppp.infoweb.ne.jp]

私も一時期陥っていた問題でしたが・・・。
「霊性・霊格の向上のため」と思いながらする行為には
あまり実がない様な気がしますね。物質にとらわれているというか、
その様な見返りを暗に含んでいる気がします。
やっぱり、「○○させてもらっちゃって、ありがと(^^)!」
って気持ちじゃないでしょうか?
・・・で、役に立つといっても、現世だけじゃイマイチの様です。
なが〜〜〜い目で見た「役」が大切なんですね。
自然にあまり何も考えず、サラッとやってしまえるのが、
とりあえずの目安かも知れないですが、
その辺は皆さんにお聞きしたほうがよろしいかと。

>『魂の最奥まで響く強烈な体験』

多分、そうかなっ?てものはあっても、
なかなか、明かせないものですね。
その時は強烈だったと思うんだけど・・・。
人それぞれですよ。
力の強い人には軽い荷物も
弱い人にはとても重い。
単純明快なパターンで分ける事はできないと思いますよ。
ああ!し、、、仕事行かないと!!
ではでは、行ってきま〜〜〜す。


re:人の役に立つ行為の動機
 投稿日 1999年8月2日(月)07時11分 投稿者 老神いさお [INS1.yamato-ap2.dti.ne.jp]

Sherryさんおはようございます。

>人の役に立つことをしている人がいるが、その目的が自分の霊性の向上、
>霊格を高くするためというのは、我欲を捨てたとはいえないんでしょうか?

霊性の向上と言うのは、個人の利益の為に努力する事から、全体の利益の為に奉仕する心を意味しますから、霊性の向上を求めるのは、我欲では無く「大欲」となります。
自分の利益だけを求める心を、我欲というのであって、欲望のすべてを否定しているわけではないのです。



>一方、真に人の役に立ちたい。自分の霊性の向上は結果としてなるだけで、
>たとえならなくても人の役に立つことを望み、実行している人がいるとします。

それは傲慢です。
人間はそれぞれ、自分の責務があります。それを他人が肩代わりする事は出来ません。人生は本来自分の為に使うべき時間です。それを自分の為に使いながら人の為にも使うのが最高の生き方なのです。
自分のために使うべき時間を、単に人に使っているということは相手の持っている責任を軽視する事になるし、同時に押し付けがましいものでしょう?
このような生き方は、助けられた人の心の負担になります。


>奉仕という名のコインにもその価値を示す表示があるということです。
>真に役立つ人間になるためには魂の最奥まで響く強烈な体験がなくてはなりません。

形だけの奉仕ではなく、相手に喜んでもらえる奉仕をすると、ああ努力してよかったと思えるのです。


あ、遅刻する!!


人の役に立つ行為の動機
 投稿日 1999年8月2日(月)06時02分 投稿者 Sherry [ppp-109.isnet.ne.jp]

シルバーバーチの霊訓(一)を読み終えました。
そこでお聞きしてもよろしいですか?

我欲を捨て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、
あなたの存在の目的を成就しはじめることになります。
『シルバーバーチの霊訓(一)』より

人の役に立つことをしている人がいるが、その目的が自分の霊性の向上、霊格を高くするためというのは、
我欲を捨てたとはいえないんでしょうか?

一方、真に人の役に立ちたい。自分の霊性の向上は結果としてなるだけで、
たとえならなくても人の役に立つことを望み、実行している人がいるとします。

この二人の行動・結果、実際人の役に立ったかというと、二人とも同じになります。
違いはどこに現れるんでしょうか?霊性の進化具合にでしょうか?


奉仕という名のコインにもその価値を示す表示があるということです。真に役立つ人間になるためには魂の最奥まで響く強烈な体験がなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓(一)』より

どの程度の体験を示すのか、見当がつきません。
どなたかこのような体験をされた方はいますか?

何か自分勝手な質問ばかりで、気が引けるんですが、もしこういうのが利己的ならそうだと教えて下さい。
先生によく言われるんですが、礼儀知らずなところがあるので、、、
ご指摘していただければその都度学んでいきますので
よろしくお願いします。


私もissinさんのところで書いたんですが・・・
 投稿日 1999年8月2日(月)01時40分 投稿者 たるもあ [hrsm0128.ppp.infoweb.ne.jp]

こちらでも一応。
懐の深い方で良かった(^_^)

話は変わって、
やっぱりデザインとか、アーティスティックなお仕事では
Macが有効なんですね。
私の仕事ではWindowsオンリーです。
もう、思いっきり事務仕事って感じで、こっちの方が
よっぽど暗いっつーか・・・。
ああ、やな事考えてしまいました。

ここ数日は忙しくって、一息も付けませんでしたが、
今日はしっかり体を伸ばして寝る事が出来る!
ありがたや〜ありがたや〜 (-人-)


issinさんのところでも書きましたが……
 投稿日 1999年8月2日(月)00時28分 投稿者 ペーパーバーチ [cs38231.ppp.infoweb.ne.jp]

たるもあさん、こちらでもどうもどうも(^^;

まぁ、そういうわけで、僕も指摘がなければ気づかなかっただろうというような事なので、全く気にする必要はありませんよ。それに僕は、マニアとか(一部の)おたくというのは、凄い知識を持っている人達だと思っているので、あまり悪いイメージは受けないです(ちょっと特殊な感覚なのかな?)

そういえば、あちらも見ている人でも知らない人がいるかも知れませんけど、僕にはマックはメシのタネというか、それで仕事してますので(デザイナーです)、「PowerBookG3を買うぞ〜」とか言っていても、「贅沢者めっ!」とか思わないでね(^^;


それからSherryさん、気を使っていただいて有り難うございました。


ようこそ、いらっしゃいませ〜!
 投稿日 1999年8月2日(月)00時18分 投稿者 ペーパーバーチ [cs38231.ppp.infoweb.ne.jp]

サイスモくん、はじめまして。ようこそ心霊学研究所へ!

菜食についてはissinさんのところに行っていただけたようで(Sherryさん、ご案内有り難うございました)、他にもいろいろ良いHPがありますので、老神さんや有希さんのところなどもどうぞ。当HPからもリンクしてます。

ちなみに当研究所では、シルバー・バーチという風に「なかぐろ」(つまり・)を入れず「シルバーバーチ」と表記するのを推奨です(^^)。それから、略して「バーチ」と言うのも本来は間違いです。(と、近藤千雄先生が仰ってました)


ではでは、これからも当Webを宜しくお願い致します。


自慢も歓迎しまーす
 投稿日 1999年8月1日(日)23時55分 投稿者 ペーパーバーチ [tyhs0320.ppp.infoweb.ne.jp]

老神いさおさん、こんばんは。老神さんの自慢話なら楽しそうです。遠慮なさらずにどうぞどうぞ(^^)


すごいですね。ワードでデータベース。僕もシルバーバーチの霊訓をぼちぼち入力してますが、まだ2〜3冊分ぐらいかな……先は長そうです。でも、データとして入っていると凄く便利ですよね(^^)。


|私の師匠は、現在、米国にいるのですが、先日来日したときに、二つばかり釘を刺さ
|れました。
|一つ目が『除霊をするな』安易に身代わりに供養するな、という意味です。
|二つ目が『心霊の勉強よりも朗らかさを忘れるな』朗らかに人生を送るために心霊を
|学ぶのだから、心霊の勉強をして朗らかさを忘れては行けないよ・・・との事です。

なるほど。この2つのアドバイスをお聞きしただけで、お師匠さんがきちんとした方だと分かります。僕もその2点を心に留めることに……ったって、僕には除霊なんてもともと出来ないんだった(^^;。失礼しました〜。

(ど〜いうコメントを書いてるんだか>自分)


早寝早起き
 投稿日 1999年8月1日(日)23時40分 投稿者 ペーパーバーチ [tyhs0337.ppp.infoweb.ne.jp]

Sherryさん、こんばんは。

|規則正しい生活は心掛けていますよ。それは自分の健康管理につながりますからね。
|朝の青空を仰いで、「今日も一日精一杯進化するぞ!」

ふむふむ。じゃあ、僕よりも立派ですねぇ。見習わさせていただきます〜。
(昨日インラインスケートの練習をしてたら、今朝、筋肉痛で動けなかった(^^;。……昼ぐらいまでぐたーっとしてました。歳くったなぁと実感)


ペーパーバーチさんへ
 投稿日 1999年8月1日(日)22時00分 投稿者 たるもあ [hrsm0226.ppp.infoweb.ne.jp]

issinさんのHPにて、一部不適切な表現有りと
Serryからご指摘いただきました。
私としては、まったく問題となっている意味合いを
考慮しておりませんでした。
知らぬ事とは言え、申し訳有りませんでした。<(_ _)>


Sherryさんへ
 投稿日 1999年8月1日(日)20時11分 投稿者 サイスモくん[fjsw0321.ppp.infoweb.ne.jp]

私の霊界紀行のBBSで活発に議論がなされてるみたいなので、そちらの方を
除いてみます。ありがとうございました。


How do you do?
 投稿日 1999年8月1日(日)01時17分 投稿者 Sherry [ppp-218.isnet.ne.jp]

初めましてサイスモくん。Sherryです、よろしく!
まだ僕もスピリチュアリズムを学びはじめたばかりで、質問にはお答えできませんがissinさんの「私の霊界紀行」のBBSで肉と魚についての皆さんの考えが述べられていますよ。
質問の答えになっていなくてすみません。
            (__;)


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