心霊学研究所
2000年9月のログ、その2です。
Sep.さん、はじめまして
>宮崎さんの書き込みは、いつも優しい気持ちが伝わってきて
>とても読みやすいのですが、
ありがとうございます。
>とても気になることがありましたので、書かせていただきます。
どうぞ。
>「僕は、ペーパーバーチさんは、やり過ぎているとは思いませんよ」
>と言われる根拠は「ペーパーバーチさんと、アリスさんや老人さんと
>のことは、僕はほとんど何も知りません。一度、他のボードで斜め読
>みしただけ」で、どのように導き出されたのでしょうか?
これは、じんあきらさんの、「些細な意見の違いを議論しあうのはどうなのかな、と思うのです。だって、絶対自分が正しいとの認識の上で議論をするでしょう?冷静に議論していますか?はたしてそこに相手に対する思いやりや愛があるでしょうか?・・(中略)・・私には議論よりも意見が大事に思えます」というコメントに対して言った言葉です。つまり、「(スピリチュアリズムに対する意見も大事ですが)時には、議論し合うことも必要ですよ」ということを言いたかったのです。当然、僕はありすさんや、老神さんのことはほとんど何も知らないのですから、ペーパーバーチさんが正しいという意味で言ったのではありません。僕はじんさんに対して、「議論することも必要だし、場合によっては正義の怒りを燃やすことも必要なんだ」ということを、ナザレのイエスの言動を例にとって言ったのです。
>「僕たちもスピリチュアリズムを曲げようとしている人間や、
>霊能を笠に人を惑わす人間には、断固戦いを挑んで行くべきだと
>思います」と言い切っているのですから「スピリチュアリズムを
>曲げようとしている人間」と判断しているわけでしょ。ありすさ
>んや老人さん(→老神さん^^;間違えましたペコリ)を。
違います! 何度も言いますが、僕はありすさんや老神さんのことは、ほとんど知らないのです。知らない人間を偽善者などと、どうして言えますか? 僕が言っているのはあくまでも一般論です。もしも自分が、この人は偽善者だと感じたら、(イエスがパリサイ人を公然と非難したように)立ち向かうべきだということを言っているのです。
>これは「彼ならば間違いをしないであろう」という、思いこみ
>からくるものではないですか。
>これこそ、正に教祖と信者の関係そのものではないでしょうか。
確かに、僕はペーパーバーチさんのスピリチュアリズムに対する正確な捉え方、たとえ知識があっても教祖様みたいなもったいぶった言い方をしない所など、見習いたいなと思っています。また、霊能者を危険視する姿勢にも大賛成です。しかし、だからといって「教祖と信者」ではありません。僕は僕、彼は彼です。いみじくもつい先ほどりゅうじんさんが書き込みされていた
《誰が何を言っても、自分が納得したら受け入れるし、そうでないものは受け入れない。誰が言ったかよりも、何を言ったかに耳を傾けています》僕もこの姿勢で生きています。
ただ、一度別のボードを見た時に、老神さんにはあまりいい印象を抱けなかったのは事実です。どこがどう間違っているかは、今のところ分かりません、じっくり拝見していませんので。しかし、その第一印象が、一般論を述べるつもりの文章に反映してしまったのかな、とも思っています。
●最後に
スピリチュアリズムのボードは、意見を言うにしても議論を戦わせるにしても、「霊的に成長するため」というのが、根底に無ければいけないと思います。僕も今後は、相手に誤解を与えないよう気を付けて発言したいと思います。
そこでSep.さんにもお願いなのですが、
>それをわざわざこうして知識をひけらかそうとするなんて・・・
>う〜ん、嘆かわしい(^^ゞ。
>それに対して「僕の抱いているイメージは当を得ていますか?」
>って聞くのも一種の漫才ですね(^0^)。
>(欲を言えば、「的を得ていますか?」ってボケて欲しかったのに(^.^)。)
こういう皮肉はやめていただけないでしょうか。これは失礼です。誰に対してかは、あなたが一番よくご存じのはずです。
言葉
投稿日 2000年9月22日(金)16時52分 投稿者 りゅうじん [proxy1.dentsu.co.jp]
手元に広辞苑第三巻と、第五巻があったので調べてみました。ケンケンガクガクは、第三巻には載っていなくて、第五巻では認められているんですね(第四巻は見ていないのでわかりませんが)。
「的を射る」と「当を得る」は、「的を得る」のようによく誤用されますが、これは流石に載っていませんでした(笑)。
言葉は変化していくものでしょうから、必要以上にこだわる必要もないかもしれませんが、みんなが好き勝手に使っていくと、意味が通じなくなったり、誤解を生むかもしれないので、難しいところですね。
はやり言葉や方言のように、一部の人だけにしか通じない言葉もあるし、言葉は面白いですね。
日本一の無責任男!?
投稿日 2000年9月22日(金)13時12分 投稿者 りゅうじん [proxy1.dentsu.co.jp]
僕は、みんな成長過程の人間なんだから、現時点で全て正しい人も全て間違ってる人もいないと思うんですよね。僕はみんなほど、きっと人に対して愛がないので、誰がどこで何と言って何をやっていようと、あまり気にしません。誰が何を言っても、自分が納得したら受け入れるし、そうでないものは受け入れないだけです。誰が言ったかよりも、何を言ったかに耳を傾けています。現時点で自分が未熟だから理解できないこともあるでしょうが、それはそれで仕方ありません。誰かが間違っていて、それでまた誰かが道を誤っても、それも各自がいいと思ってしたことなら後悔もないでしょうし、全ては因果律に任せるしかないと思っています。どっちみち人の責任はとれないし、僕は自分のことだけで精一杯です(笑)。
はじめまして
投稿日 2000年9月22日(金)11時48分 投稿者 Sep. [3540519936r134.freeserve.ne.jp]
ペーパーバーチさん、宮崎さん、こんにちは。
宮崎さんの書き込みは、いつも優しい気持ちが伝わってきてとても読みやすいのですが、と
ても気になることがありましたので、書かせていただきます。
> 僕は、ペーパーバーチさんは、やり過ぎているとは思いませんよ。
と言われる根拠は、
> ペーパーバーチさんと、アリスさんや老人さんとのことは、僕はほとんど何も知りません。
> 一度、他のボードで斜め読みしただけ
で、どのように導き出されたのでしょうか。
> 僕たちもスピリチュアリズムを曲げようとしている人間や、霊能を笠に人を惑わす人間に
> は、断固戦いを挑んで行くべきだと思います。
と言い切っているのですから、「スピリチュアリズムを曲げようとしている人間」と判断し
ているわけでしょ。ありすさんや老人さん(って誰?)を。
これは「彼ならば間違いをしないであろう」という、思いこみからくるものではないですか。
これこそ、正に教祖と信者の関係そのものではないでしょうか。
「他のボード」というのがわからないので、ここでの書き込みに限って言っていますが、疑
問を疑問として、議論を議論として可能ならしめていない、独善的態度こそ戒められるべき
ではありませんか。
私には、ペーパーバーチさんの書き込み(特にありすさんへの)はそのように感じられ、残
念に思います。
ついでに、
> ケンケンガクガクはそれらが混合して誤用されている言葉で
> (今や辞書にも載っていますが……嘆かわしい(^^;)、
> 喧々囂々に近い意味で使われているようです。
「誤用されている言葉」ではなく、「混交して出来た語」ですよね。
これはたいていの人が知っていて、しかも認知されているからこそ使用している(辞書に載
っているくらい、広く使用されている)のであって、それをわざわざこうして知識をひけら
かそうとするなんて・・・う〜ん、嘆かわしい(^^ゞ。
それに対して、
> 僕の抱いているイメージは当を得ていますか?
っていうのも一種の漫才ですね(^0^)。
(欲を言えば、「的を得ていますか?」ってボケて欲しかったのに(^.^)。)
Re:貧乏で、、、。
投稿日 2000年9月21日(木)18時49分 投稿者 宮崎 護 [cs67115.ppp.infoweb.ne.jp]
じんあきらさん、こんばんは。でしゃばりが、また出てきてしまいました(^^;)。
you wrote:
>ペーパーバーチさん、
>些細な意見の違いを議論しあうのはどうなのかな、と思うのです。
>だって、絶対自分が正しいとの認識の上で議論をするでしょう?
>冷静に議論、していますか?
>はたしてそこに相手に対する思いやりや愛があるでしょうか?
僕は、ペーパーバーチさんは、やり過ぎているとは思いませんよ。相手が偽善だと思ったら、徹底的に戦うべきだし、誤解は釈明すべきだと思います。特にこういうボード上では、ROM(リード・オンリー・メンバー)も含め、多くの人が目を通す訳ですから、間違った情報をそのままにしておくのはまずいと思います。といっても、これはアリスさんのことを偽善者と言っているわけではありませんから、誤解しないで下さい、アリスさん。ペーパーバーチさんと、アリスさんや老人さんとのことは、僕はほとんど何も知りません。一度、他のボードで斜め読みしただけです。ただ一般論として申しておりますので、誤解しないで下さい。
人は議論すべき時は議論すべきだし、怒るべき時は怒るべきです。人間の手本と言われるイエスは、正義の怒りに燃えることがしばしばありました。例えばパリサイ人を公然と非難した時や、聖地でテーブルをひっくり返しながら両替商を追い払った時などです。たとえイエスといえども、怒っている最中は“相手をやさしく思いやりながら”ではなかったはずです。また、「パリサイ人にはパリサイ人の価値観があるから・・・」などという甘い気持ちは持ち合わせていなかったはずです。僕たちもスピリチュアリズムを曲げようとしている人間や、霊能を笠に人を惑わす人間には、断固戦いを挑んで行くべきだと思います。
9/1放送の「Larry King Live」
投稿日 2000年9月21日(木)11時52分 投稿者 たけちゃん(Tai-Q) [b156203.ppp.asahi-net.or.jp]
ペーパーバーチさん、お久しぶりです。お元気ですか?
CNNのテレビ番組で偶然面白いやり取りを目にしたのでお知らせします。
http://www.cnn.com/TRANSCRIPTS/0008/31/lkl.00.html
僕のような「精神世界ネタは総論賛成各論反対(^^;」みたいな人間だけではなく、
唯物論的な人達にとっても、きちんと読めば驚愕する内容だと思います。
「Larry King Live」という番組の米国内での評価について知ればなおさらです。
興味のある方は一読をおすすめします。
「Tai-Q's Music World」
http://member.nifty.ne.jp/tack-k/
貧乏で、、、。
投稿日 2000年9月20日(水)23時09分 投稿者 じん あきら[p47-dn04hamamatsu.shizuoka.ocn.ne.jp]
ペーパーバーチさん、こんばんわ。
電脳の世界はあまりのぞかないので、レスポンス遅くって申し訳ありません。
中部地方は、ひょっとしたら日本のスピリチュアリズム再興の地?でしょうか。
シルバーバーチの声や色々な文献の紹介、浅野先生の現代語訳など、
素晴らしいご活躍ですね。これからも頑張ってください。
人それぞれのスピリチュアリズムがある、といったらお叱りを受けそうですが、、、、
シルバーバーチの言葉の内容が色々な経験を積んでくるにしたがって、より深い意味があったことに気づくように、人それぞれの置かれた立場や環境、境遇、経験などによってスピリチュアリズムの捉え方は微妙に違うのではないかと思います。
スピリチュアリズムを知らなくても、立派なスピリチュアリズムの考えをもった人はいっぱいいます。学がなくても、地位が低くても、貧しくても。
論理的な学問的なスピリチュアリズムは頭の固い、理屈屋さん達の説得のための道具に過ぎないのではないかと密かに思っています。
逆に盲目的信仰ほど危なっかしいものはないとも私は思いますが。
(ある程度論理は必要だとおもいますよ)
美しいと思う音楽や美術、感動を与える大自然の姿を理屈や学問では説明できませんし、心の底から沸き上がる喜びを、それがどうして生じるのかも説明できませんよね。「スピリチュアリズムは大自然そのものの教え」ですよね。(あたりまえでしたね)
ペーパーバーチさんのおっしゃる、
→(過去の宗教は、そこを突き詰めれば結局“信仰”の一言。その没論理性ゆえに、愛を説きながら虐殺をするようなマネが出来てしまったのではないでしょうか?)
これはですね、まさしく論理的だったから、真の宗教ではなく学問に成り下がってしまったから、虐殺という事態に発展してしまったのではないかと私は思います。
人々を惑わすような不正や弱者に対する理不尽な行いに断固と闘うことは、本来、人として当然のことだと思います。バーチもそういったことには負けてはなりませんと語っていましたよね。
最後に、、、、
些細な意見の違いを議論しあうのはどうなのかな、と思うのです。
だって、絶対自分が正しいとの認識の上で議論をするでしょう?
冷静に議論、していますか?
はたしてそこに相手に対する思いやりや愛があるでしょうか?
自分がつかんできた物を絶対だと思われる気持ちは解りますが、他人には他人なりの、その時点での世界があるでしょうから、完全な意見の一致はみないことでしょう。
その時点での到達したレベルというものが、ひとりひとりあります。真理はいろいろな側面をみせているのではないですか。
ただ、上から見ているのか、下からみているのか、それだけの違いかもしれませんね。
私には議論よりも意見が大事に思えます。その人の考えが参考になります。
皆さんの感じていることが自分の魂の肥やしになります。
インターネット、一ヶ月に一時間いくら、というとっても安い設定でしているもので、あんまりのぞけなくてすみません。
色々、書き込んでしまいましたが、気分を悪くなさらないでくださいね。お休みなさい。
りゅうじんさん
投稿日 2000年9月20日(水)11時18分 投稿者 宮崎 護 [cs67107.ppp.infoweb.ne.jp]
りゅうじんさん wrote:
「こんな最大級の疑問が何気ない生活空間と隣り合わせにあるんです。
人間は神に、霊的なことに早く気づけと言われているようなものです。」・・・
これ、名言ですよ。不思議なことを不思議と感じられるりゅうじんさんの感性、素晴らしいですね。
実は昨日、初めてある掲示板をのぞいたのですが、そこで老神なんとかという人をはじめ、もの凄く濃厚な発言がなされていました。さーッと斜め読みしただけなので、ハッキリしたことは言えませんが、何か違うような気がしました。偉そうに発言する人に限って、不思議なことを不思議と思えなくなってしまっているのではないでしょうか?
無限の宇宙
投稿日 2000年9月20日(水)01時01分 投稿者 りゅうじん [Cngy22DS39.aic.mesh.ad.jp]
美鈴さん〜
>やっぱり宇宙に果てはないんですね。疑問が解けてスッキリしています。
す、素直…!?もうすっきりしちゃったんですか?
宇宙の無限は、この世にいるうちは完璧には理解できないことだと思うんですが。まあ、スッキリしたというのも言葉上のことですよね(笑)。
唯物論者だった僕が子供の頃から疑問に持ち続け、唯物論では説明できないことがあると悩んだのもこの問題がきっかけです。最も身近にあって、最も理解できないのがこの宇宙の無限でしょう。だから人間のこの世の感覚では認識できない世界が存在すると僕は考えました。こんな最大級の疑問が何気ない生活空間と隣り合わせにあるんです。人間は神に、霊的なことに早く気づけと言われているようなものです。
こんばんわ
投稿日 2000年9月20日(水)00時40分 投稿者 橋口 美鈴 [aomr003n043.ppp.infoweb.ne.jp]
こんばんは宮崎さん
お答えありがとうございます。
やっぱり宇宙に果てはないんですね。疑問が解けてスッキリしています。
ところで3日者とはどーいうことですかー。プンプン
でも当たってるかも知れない・・・。
と言うことでペーパーバーチさん
3日者の私ではありますが今後ともよろしくお願いします。
シルバーバーチですがまだ一巻も読み終わっていないんです。ごめんなさい。
これから頑張って読みますね。
まだ半分も読んでいないのですがそれだけでも凄い事が書いてますね。
たとえば神様は、人間が善・悪どちらを選んでも離れずに居てくださるとか
背後霊が実は、大変な想いをしてまでも自分を導こう、護ろうとしている事とか
考えさせられること「あーそうなのか」と納得すると事とかあって驚く事ばかり
です。
参考資料 & (不審人物の)ご紹介
投稿日 2000年9月19日(火)14時42分 投稿者 宮崎 護 [cs67113.ppp.infoweb.ne.jp]
美鈴ちゃん、こんなところでまたお会いしましたね。
ペーパーバーチさんでなくて申し訳ないけど、「宇宙には、果てとか終わりとかと言うものは、あるのでしょうか?」という質問に対して、参考資料を紹介しておきます。
アラン・カルデックの『スピリチュアリズムの真髄(思想編)』の中で、
----「宇宙空間は無限でしょうか、それとも有限でしょうか?」という質問に対して、高級霊が次のように答えています
「無限です。もしもどこかに境界があるとしたら、その境界の向こうは一体どうなっているのでしょう?この命題は常に人間の理性を困惑させますが、それでも、少なくとも『それではおかしい』ということくらいは理性が認めるはずです。無限の観念はどの角度から捉えてもそうなります。人間の置かれている条件下では絶対に理解不可能な命題です」。
ところで、樋口さんから借りた「シルバーバーチの霊訓」は2巻まで、ちゃんと読みましたか?
まだ読んでなかったら、早く読みなさいよ。読まないと(>_<)‥笑
それから5巻は動物の死後のことなど興味深い内容も多いので、このHPの
★潮文社刊『シルバーバーチの霊訓(5)を読む』をクリックしましょう。(~o~)
ペーパーバーチさんにご紹介します^^;
橋口美鈴さんは、青森に住む僕の友だちです。以前、有希さんのページに紹介したのですが、当ボードにもご出現になってしまいました(-_-;)。僕と同じで、3日者(ふつつか者より、もっと扱いづらいという意味^^;)ですが、出現の際はよろしくお願い致します _(._.)_
ペーパーバーチさんへ
投稿日 2000年9月18日(月)20時52分 投稿者 橋口 美鈴 [aomr003n034.ppp.infoweb.ne.jp]
はじめましてこんばんわ。
今日はじめて投稿をします。
初めての投稿でいきなり突拍子もない質問を投げかけるようで申し訳なく思いますが
宇宙には、果てとか終わりとかと言うものは、あるのでしょうか?
私は、天文的知識もなければ霊的知識もない全くの素人ですのでこんな事を聞くと
読んでいらっしゃる方々の方が恥ずかしくなってしまうんじゃないかと思うのですが、
もしよければ教えて頂きたいと思います。
語るに及ばず
投稿日 2000年9月17日(日)19時00分 投稿者 ありす[h131.p119.iij4u.or.jp]
〉自分の仲間(もしかしたら教祖)の言ゆえ、簡単に受け入れてしまったのではありませんか?
〉宗教の信者の場合には、そういうことがよくあるようですが
…(溜息)…結局私を「誰それの一派」と見なしていらっしゃるので、偏見無しにきちんと意見を聞いていただけないようですね。しかも…
〉そうすれば(信じるか信じないかは別として)謝罪そのものは受け入れるつもりだったんですから。
↑
謝罪まで要求してらっしゃる。
〉議論の最中に、違う名前を使って同じ意見を畳みかけるのが“配慮”ですか?
お言葉ですが、私は「こちら」であなたと議論などしておりません。意見(注意)のみです。
そして私があなたに求めたのは、ここの管理人としての自覚だけです。
〉“何か違う理由で”ハンドルを使い分けているんでしょう?
何度も言う様ですが、私はあなたがシルバーバーチを名乗る人から、ここで非難されていた時から「ありす」を使っておりますし、その時点であなたと老神さんの間に確執があるなど知りません。
私があなたに偏見を持っていたのなら、そもそもあの時点であの場で、助言などしないでしょう。
〉スピリチュアリストって、エネルギーを攻撃エネルギーに変えることはしないのではないですか。
私が言いたかったのは、まさにこの神さんのお言葉なんですが…どちらにしても、ご理解いただけない様ですね。
〉多く語る人ほどスピリチュアリズムから遠ざかるってことはないのでしょうか。
神さんのご意見に賛成です。
後はここをご覧になっている方々が、各々で判断されるべき事でしょう。失礼します。
類魂について
投稿日 2000年9月17日(日)17時27分 投稿者 宮崎 護 [cs67117.ppp.infoweb.ne.jp]
ペーパーバーチさん wrote:
>僕のイメージでは、この世を水に浮かんでいる
>スポンジとすると、霊界は水のようなものと考
>えています。スポンジの周りにだけでなく、中
>にまで水は浸透しますよね。霊界も同じで、物
>質界より広くて外にも広がっているが、同時に
>重なっても存在しているわけです。
なるほど、これは非常に分かりやすい!!
やっと食道のあたりでつかえていた物が、胃袋に落ちた感じです。(^O^)
ペーパーバーチさん、やはり掲示板て素晴らしいですね。(;_;)ウレシナミダ
ところで、今僕のノドチンコのあたりにつかえているのは、類魂という
概念です。せめて食道あたりまで落ちてくれればいいのですが、全然落
ちる気配がありません。
ある本では双子霊のことをアフィニティと言ったかと思うと、別の本で
は類魂のことをアフィニティと言っています。こういう用語のばらつき
も気になりますし、また、シルバーバーチがダイヤモンドに例えている
のは1個の魂の全体像のことなのか、それとも複数の魂の集合体のこと
なのか。・・・・こういう点が、今ひとつ分かりません。
僕のイメージでは、
地上におけるパーソナリティは、1個の魂の一つの側面に過ぎない。従
って前世武士だった者が、今世家庭の主婦として生まれ変わっている場
合、両者はパーソナリティ的には全くの別人であるが、魂は同一人物で
ある。この魂のことをシルバーバーチはダイヤモンドに例えている。
さらに、霊系を同じくするダイヤモンド(魂)のことを類魂といい、そ
の集合体を類魂団という。類魂団は統轄霊(中心霊)によってまとめら
れ、その中で各ダイヤモンドは他のダイヤモンドと地上生活における経
験や知識を共有することが出来る。すると、主観的には各ダイヤモンド
は類魂団全体を「私」と意識できるようになり、その「私」のことを
インディビジュアリティという。
・・・・・・
どうですかペーパーバーチさん、僕の抱いているイメージは当を得てい
ますか?それともかなり見当違いですか?
RE:はじめまして。
投稿日 2000年9月16日(土)00時25分 投稿者 ペーパーバーチ [toyohashi2-p66.alpha-net.ne.jp]
神 明さん、はじめまして。ハンドルの出典は平井和正のウルフガイ(ヤングの方)シリーズでしょうか。僕の大好きな小説の一つです(^^)。ですので「神」の字が付いていても全くかまいませんよ。問題になるとしたら、「神」という字を使うことで自分を大きく見せたり、権威付けしようという意図がある場合だけです。
浜松にお住まいならご近所ですね(僕は豊川市です)。そういえばあの人も浜松だし(^^;、あの人は名古屋だし、『心の道場』さんは豊橋だし、スピリチュアリストは中部地方に多いのでしょうか(笑)。
|感じたことを言えば、理屈っぽいケンケンガクガクの意見が飛び交
|うスピリチュアリズムって本当なのでしょうか。多く語る人ほどス
|ピリチュアリズムから遠ざかるってことはないのでしょうか。キリ
|スト教が今日のような形になってしまったように、スピリチュアリ
|ズムも学問的になってしまうのではないかと危惧しております。
それは学問的な部分も、そうでない部分も、両方必要なのだと思います。キリスト教の神学やドグマがなぜダメなのかというと、積み重ねられた膨大な理屈や理論の、肝心な土台(根拠)が、あやふやなモノでしかないからです。ですから、いかに学問的であろうと、しょせん奇弁、屁理屈でしかないわけです。
スピリチュアリズムには物理的心霊現象、心霊治療という証拠があり、さらに霊的教訓の数々を比較検討し、その裏づけの上で、これは間違いないという確信に至っているところに凡百の新興・既成宗教と一線を画する革新性があると思います。
当初から学問的な側面を持って発展したものなのですから、もしも理屈を否定したら、既成の宗教と同じということになってしまいます。
それからこれは何度も言っているのですが、
●侃々諤々《かんかんがくがく》
遠慮なく議論すること
●喧々囂々《けんけんごうごう》
たくさんの人が口々にやかましく騒ぎたてるさま。
ケンケンガクガクはそれらが混合して誤用されている言葉で(今や辞書にも載っていますが……嘆かわしい(^^;)、喧々囂々に近い意味で使われているようです。
喧々囂々では確かに困りますよね。しかし、侃々諤々の議論であれば、それは非常に勉強になりますし、精神・知識の両面から鍛えられますし、非常に楽しく、その上激しく議論を戦わせた仲ならではの友情まで育てられる(^^)。悪いことなんてありませんよね(^^)。
先人を振り返っても、シルバーバーチもバーバネルも議論には長けていましたし、時には激しい議論をしていますよね(シルバーバーチは国教会の神父と、バーバネルはあらゆるスピリチュアリズムの反対者と)。聖書を見れば、イエスもディベートの達人でした。論理的に「なぜそれを信じるのか」を議論できるのでなければ宗教の信者と同じであって、スピリチュアリストとは言えないのではないかとさえ思います。
物分かりが良くて意見の違い(間違った意見)もニコニコと受け入れるという、イノセントな、ある意味で純粋な人物像は、それを理想的な宗教者と考える人も多いのかも知れません。が、そんなのは宗教団体にとってコントロールし易い信者のモデルにすぎないと思いますし、少なくとも僕は、そういう薄っぺらな人間になどなりたくはありません。
もちろん、すべてのスピリチュアリストが侃々諤々の議論をすべきだとは思いませんし、理屈抜きの率直な会話も、同時にあってほしいというのは勿論のことです。(で、神 明さんに、そういうお話をしていただければ嬉しいなと思っています(^^))
|スピリチュアリズムは心霊現象が大事でもなく、心霊治療が第一で
|もないですよね。人生の生き方であって、困っている人が目の目に
|いたときに助けてあげたいという気持ちがスピリチュアリズムです
|よね。
それはもちろんそうなんですが(現象が大事ではないというのには異論はありますが(^^;)そういう気持ちがどこから来るのか、また、そういう気持ちの正当性、なぜそうするべきなのかを論理的に説明、証明してくれるのがスピリチュアリズムの凄いところだと思います。(過去の宗教は、そこを突き詰めれば結局“信仰”の一言。その没論理性ゆえに、愛を説きながら虐殺をするようなマネが出来てしまったのではないでしょうか?)
また、そのように確固とした根拠が与えてくれる指針と確信のもとに行動できるから、より正しく、相手のためになる行動がとれるというメリットもあります。(唯物主義者は、相手のためにお金を与えてしまうかも知れませんし、宗教の信者は、自分の信仰を押しつけるやも知れませんよね。ほんの一例ですが)
|スピリチュアリストって、エネルギーを攻撃エネルギーに変えるこ
|とはしないのではないですか。意見の相違にはそれこそ愛でもって
|処しましょうね、みなさん。
誰も攻撃エネルギーになど変えていないと思いますよ。ただ、嘘や卑怯な行ないをした者が、その事実を指摘されることで、結果的に自分の邪念が自分に返ってしまうということは起こっているかも知れません。
「意見の相違には愛で処する」というのには、基本的には……「意見が違っても愛をもって、まぁまぁそこらへんは穏便に」といってなぁなぁにすますというのではなく、議論の末に違うところが残っても、違いは違いとして認めるという意味なら……賛成です。また、意見の違いを云々する以前に、対話に臨む姿勢として、相手の言葉を好意的なものとして受け止める事も心がけています。
が、嘘や卑怯な行いを指摘するのをためらうべきでは無いと思いますし、事実を事実として指摘するのも、必要な状況というのがあるはずです。実際、近藤千雄先生も○○○○(迷惑がかかるといけませんから伏せ字にします)の霊言を「親子漫才」と断じていますし、ある団体の存在意義を否定する発言もしていますよね。シルバーバーチやバーバネルも……あ、これはさっき書きましたね(^^;。やはり、必要な時に必要な事を言う勇気も必要なのではないでしょうか。
|どの本も繰り返し読むたびに、奥行きが広がってくるようです。
|一つのメッセージも、読み手の心の状態次第で内容の奥行きが違っ
|てくることに驚いています。
|初めて読んだとき気が付かなかった、より貴重な教えがあって、本
|当に文字で表している言葉なんて
|その奥に隠された真実の力を十分に表現しきっていないものだなと
|思います。
本当にそうですよね。それは実感として感じます。
読めば読むほど、そして自分が成長するにつれて、今まで気付かなかった深い意味に気付かされます。特にシルバーバーチの霊訓はその深みが半端でなくて……。僕もここでシルバーバーチの感想などを綴っていますが、大概、あとで読み返すと穴に潜りたくなります(^^;。
ただ、そのように文字の行間に深い意味を潜ませているのも、文字の力、言葉の力だと……僕は、思いますけどね(^^)
RE:有難うございます。
投稿日 2000年9月16日(土)00時24分 投稿者 ペーパーバーチ [toyohashi2-p66.alpha-net.ne.jp]
リラタイさん、こんにちは。リニューアルされたホームページのデザイン、なかなか良いですね!
|フォーラム名が「世紀末」だったので、なかなか行く気にはならな
|かったのですが(^^;。なにかのキッカケで行って、本当、良かった
|です。プリントアウトして綴じて何回も読んでいました。その後、
そうそう、確かに名前は怪しかった(笑)。実際、宇宙神霊とか陰謀論とか怪しい部分もありましたし(^^;。でも、他の精神世界・心霊関係のフォーラムと比べると、興味本位ではなく精神性を重視していたのが良かったと思います。
正直なところ、世紀末云々を別にしても、“宇宙神霊ARION”なんて、ちょっとスピリチュアリズム的にはどうかと思うじゃないですか(^^;。それでも何年も一緒にやってこられたのは、霊的知識云々じゃなく、志《こころざし》の部分で響き合えるところが大きかったからなのだなぁと、今、しみじみと感じます。
(たとえシルバーバーチの知識を持っていても、人物がダメだったら良い関係は築けないんですよね)
|やすい私は苦手でしたが、この会で初めてシルバーバーチの交霊会
|のテープを聞くことが出来ました。渋い声だった・・。
僕も以前から「今年中に一度は読書会に行きたい」と言っているんですが、早九月。なかなか機会がないんですよね。でも、そのうちお会いできるかも知れませんね(^^ゞ。
シルバーバーチのテープは僕も持っていますが、ハート出版から3,000円で出ていますよ。僕のページでも少しだけ聴けるようになりましたが、そちらのページに注文先は書いてあります。宜しければどうぞ(^^)。
RE:残念です
投稿日 2000年9月16日(土)00時23分 投稿者 ペーパーバーチ [toyohashi2-p66.alpha-net.ne.jp]
>ありす=バンビさん
全く残念ですね。ありす=バンビさんは、自分の行為を謝罪するより“イノセントな自分”というセルフイメージを守ることを選んだワケだ。
……こういう時は、
「そんなつもりは無かったんですが、結果として騙すことになってしまって申し訳ありませんでした」
とか何とか言うもんです。そうすれば(信じるか信じないかは別として)謝罪そのものは受け入れるつもりだったんですから。
|掲示板ごとに名前を変えて発言されていらっしゃる方は、他にもたくさんいらっしゃる様にお見受けします。
|そうではありませんか?(名前は申し上げませんけれども)
|それにペーパーバーチさんが、私を「誰それの一派」と見なしていらっしゃるので、偏見無しにきちんと意見を聞いていただける様に配慮したつもりです。
配慮? 他人のふりをして話しかけるのが“配慮”ですか? 議論の最中に、違う名前を使って同じ意見を畳みかけるのが“配慮”ですか?
意見を聞くか聞かないかは、その意見が正しい(と納得できる)かどうかで決めます。自分の意見に説得力が無いのを、他人の“偏見”のせいにしてもらっては困ります。誰と誰が仲間だと思っていようと、それによって意見の受け入れ方が変化するほど、僕は没論理的でも、不公正でもありません。
そもそも、バンビさんが自説を補強するために分身の術(^^;まで使って、こちらに発言された時は、僕はまだバンビさんが老神掲示板で発言していることさえ知らなかったわけです。その時にありす=バンビさんが「私を「誰それの一派」と見なして」いると思っていたとしたら、それこそ酷い偏見ですし、そういう酷い偏見の因って来るところは何?という話になります。また、そうじゃないなら、これは後づけの理屈と考えるほかありません。要するに……「語るに落ちた」ということですね、これは(-_-;。
それに、ありす=バンビさんの場合は「掲示板ごとに名前を変えて発言」ではありませんしね。つい最近ここで、バンビという名前でも発言しているわけですから、「掲示板ごとに名前を変えて発言」しているのではなく、“何か違う理由で”ハンドルを使い分けているんでしょう? その理由は……言うまでもありませんよね。
|悪意はありませんし、そもそも私は誰かの一派であった事はありませんし、またなろうとも思いません!
そう仰るなら、あちらでも幾つか書きましたが、こちらでももう一つ根拠を挙げましょう。
名前を挙げて老神さんを批判したことにこれほど過剰反応を示すバンビさんが、当の老神さんが以前、他の人間の名前を挙げた上で中傷、攻撃をした時は何も言わなかったのは何故ですか? 自分の仲間(もしかしたら教祖)の言ゆえ、簡単に受け入れてしまったのではありませんか? そういうのを“ダブルスタンダード”と言うのですよ。
(記憶にも残ってなかったら、けっこう恐ろしいかも……。宗教の信者の場合には、そういうことがよくあるようですが)
RE: 尻拭いです(^^;)
投稿日 2000年9月16日(土)00時22分 投稿者 ペーパーバーチ [toyohashi2-p66.alpha-net.ne.jp]
たまさん、こんにちは。
あらら、却って慌てさせてしまったみたいで申し訳ありません。誤解と言えば誤解していたのかも知れませんが、今回たまさんが説明してくださったような意図でお話してくれているのだろうなとは思ってました。そう思わないと辻褄があわないですし(^^;。
でも、あの人たちだけじゃなく、たまさんのような人にもそういう風に見えるのかなという不安も少しはありましたし、やっぱり一応確認させていただいて、すっきりしたいな〜と思って、お聞きしました。
ご指導というのは、ちょっと大仰すぎましたね(笑)。あの時はなかなか巧い言葉が出てこなくって……。後で書き直してからアップしようと思っていたのに、すっかり忘れてました。アドバイスとか、忠告をいただけてありがたかったということを言いたかったのでした。
|へ出ていって、結果的にではあっても穏便派の管理者さんの場が大騒ぎにな
|るのでは、いつも他人の場で騒ぎを起こす連中と同レベルになってしまいま
|せんか。ご自分を大切になさってください」という意味、だったのでした。
これは僕も悩んだところではあるんですが、以前そう思って途中で追及の手を緩めた結果が、あれなんで(^^;。それで今回は必要最低限だけコメントをしておこうと思ったのでした。で、その“必要最低限”は書いたつもりですし、もう十分だろうと思っています。あれで判らないような人は、下手にスピリチュアリズムなど知ったりせず、信者としての人生を歩む方が幸せなのかも知れませんし……。
あの場で僕まで感情的になって没論理的な事を書き散らしはじめたら、本当に同レベルに落ちたということになってしまいますが、これでも少しは“自分の心の動きを観察する”訓練は出来ているつもりなので、そういうことにはなっていない……と、思います(^^)。
(僕がホントに怒って書いたら、あんなに手加減してあげたりしません!)
|なーんて、こんな誤解されやすい文章を書く人が言ってりゃ世話ないかφ(;^_^)
|重ね重ね、申し訳ない。
|やっぱり掲示板って、難しいですね。再度再度、実感させられました。
いやいや、実感がこもってますなぁ。でも、多少誤解があったとしても、伝わる相手には最後には伝わるものだと思いますし、僕はいつでも頗る楽観的です(^^)。相手の善意さえ信じられれば、ですけど。
(とは言え、いかに誠意を尽くしても、何をどう言っても、伝わらない相手には伝わらないのも事実ではありますが……。ま、そういう相手は離れて行ってくれた方が、却って有り難いですから)
RE:スーダラ的スピリチュアリスト
投稿日 2000年9月16日(土)00時21分 投稿者 ペーパーバーチ [toyohashi2-p66.alpha-net.ne.jp]
TMHさん、こんにちは。
「スーダラ的スピリチュアリスト」良いですね! 僕が大昔に「テキトー主義者」と言っていたのと通じるところがありますね(^^;。
|あくまでもつい最近まで他人に憑依していた程度の霊格の持ち主な
|ので、シルバーバーチ霊やインペレーター霊のような高度な真理に
|までは通暁していないのは当然と言えば当然かもしれません。
同じ事は実はマイヤースの通信「永遠の大道」「個人的存在の彼方」にも言えます。地上時代から有名なスピリチュアリストだっただけあって普通の霊とは比べ物にならないほど学習が進んでいるものの、さすがに類魂説まで完璧に理解していたわけではありません(と、自分自身でも言っていたと思います)。やはり、シルバーバーチの説明のほうが判りやすいんですね。
もちろん、類魂説のことを最初に詳しく紹介した功績は大きいですし、今でも必読書の一つであることは間違いないんですけど。
ちなみに、このページの類魂説の説明は5年も前に書いたものなので、今読むとさすがにちょっと気恥ずかしい感じがしますね。いつか前面改訂したいと思っているんですが……。
|ところで「イデア」論と「類魂説」との関連について夢想されてい
|るとのこと、非常に面白い着眼点だと思います。この辺のことも含
|めそろそろ管理人さんにも真夏の冬眠からさめて登場してもらい、
|渋い解説をしていただきたいなと思うのは私だけではないと思うの
|ですが。ね、ペーパーバーチさん!
いやいや、TMHさんと宮崎さんさえいてくれれば、僕などいなくても大丈夫でしょう(笑)。僕にイデア論の解説まで求めるのは無謀というものです(^^;。みんな勘違いしちゃイケナイ、僕にそんな学識はありません(^^;。
それはともかく……以前「火の鳥」だったかな、手塚治虫のマンガにまるで類魂説のような事が描いてあって「これは仏教の考え方とは違うよなぁ。出典は何だろう」と思ったことがあったんですが、イデア論が元ネタという可能性は大きそうですね。
スピリチュアリズムも、全く新しい概念を創り出しているわけではなくて、古くからある真理を現代の言葉で言い直しているわけです(ということをシルバーバーチも言っています)。ですから、プラトンやアリストテレスの時代から類魂説に似た考え方があったというのは、却って心強いことだと思います。
|その第2章にブラック・クラウドというスピリットの説明がありま
|す。その死因として"テタヌス(筋の硬直と痙攣《けいれん》を伴
|う熱性の病気)"とあるのは、いわゆる「破傷風」のことだと思う
|のですが、原著に訳の縛りでもあるのでしょうか。何かわざわざ説
|明を難しくしているような気がしたものですから。(おせっかいで
|すみません。)
さすがTMHさん。こんなことお医者様でなければ絶対に気付きませんよ〜)^o^(
これはただ単に翻訳のときに訳者が「tetanus=破傷風」という事を知らなかった、もしくは気付かずに「病気の固有の名前だからカタカナにすれば良いだろう」とやってしまっただけではないでしょうか。普通の人は(僕も含めて)tetanusという単語から破傷風という病名は出てきませんもん(^^;。
RE:疑問に思うこと
投稿日 2000年9月16日(土)00時19分 投稿者 ペーパーバーチ [toyohashi2-p66.alpha-net.ne.jp]
宮崎さん、続けてこんにちは(^^;。こちらも既に話が進んでしまっているようですが、せっかく書いたのでアップします。
| この説によりますと、地球霊界は地球を取り巻くように存在し、
|私たちが死後間もなく往く世界は地表のすぐ近くに存在する。そし
|て高級霊界ほどはるか上空に存在し、さらに上の高級界になると、
|他の天体の霊界と重なり合っている。
この「高級界ほど上空に」という説明や、よく聞くタマネギ状に重なるイメージも同じなんですが、あれはこの世の感覚で判り易いように変換したイメージであって、実状を正確に反映したものではないのではないでしょうか。そもそも、この世と霊界のある地点同士が、3次元的な捉え方で対応しているとは思えませんし。
僕のイメージでは、この世を水に浮かんでいるスポンジとすると、霊界は水のようなものと考えています。スポンジの周りにだけでなく、中にまで水は浸透しますよね。霊界も同じで、物質界より広くて外にも広がっているが、同時に重なっても存在しているわけです。
ですから、幽界や霊界の下層あたりの、この世と重なっている部分が多い世界(上のたとえで言うとスポンジの中に浸透している部分)では、この世の地球と一緒に霊の世界も太陽の周りを回っているかも知れません。が、上層に行くにしたがって(スポンジから離れるほど)、この世と連動する部分が減っていくということではないでしょうか。
ただ、「上空に」という表現に限って言えば、霊界の人たちがこの世の様子を覗くときに、実際に感覚的にそのように感じているのだろうと思います。
|また、私たちの宇宙は150億年前に出来たと言われていますが、
|それならば200億年前には、霊界はどんな天体を取り巻くように
|存在していたのでしょうか?
物質の世界に起こることというのは、先に霊界で準備されていると言います。これは話が逆ですね。霊界、幽界が先に準備されて、そこに物質界の宇宙が創られたのだと思います。
ですから、物質界に宇宙ができる前に、既に現在に近い形の霊界、幽界が存在していたのではないでしょうか。(で、それを雛型にして物質界が出来てきたということです)
RE:宇宙人について
投稿日 2000年9月16日(土)00時17分 投稿者 ペーパーバーチ [toyohashi2-p66.alpha-net.ne.jp]
宮崎さん、こんにちは。ちょっと遅くなりましたがコメントします。(実は少し前に既に書いてあったんですが……(^^;)
宇宙人については僕はあまり興味が持てないので、ほとんど勉強してないのが現状で、よく判らないです。そういうこともあるのかもしれないし、ないかもしれない、と言う程度の認識です。「物質状態の異なる世界」というのも、あってもおかしくはない……かもしれないとは思います。もちろん、幽界にしても霊界にしても、この世とはレベルが違うにしてもある意味では物質的な世界なので、それとの違いをどのように認識すれば良いのかという問題はあります。
まぁ、どちらにしても、自分自身のこの世での霊性進化のために必要な知識ではありませんし、正解が判る問題でもありませんから、「そういうこともあるのかも」という程度に考えておけば良いのではないかと思います。
マイヤースの言葉をめぐって
投稿日 2000年9月12日(火)20時23分 投稿者 宮崎 護 [cs67141.ppp.infoweb.ne.jp]
以前僕がこのボードで「地球を取り巻くように存在する霊界」について、疑問を発したことがありました。それに対してTMHさんが
>高級霊界が互いに「融合」しているというのは、空間的、
>地理的なことのみを指しているのではなく、状態も含め
>た話と思えば辻褄が合うような気がします。
と答えて下さいました。実は今回マイヤースの「個人的存在の彼方」を読んでいる中で、それと同じような事をマイヤースが言っている部分を発見しましたので、次にご紹介いたします。
さきに私は「地球圏の上層部」でぐずぐずしている霊がいると
述べたが、これを文字通りに地球の上空のように受け止めても
らっては困る。私が意図したのは、地球圏内のバイブレーショ
ンで営まれている環境、つまり本来の高い意識レベルに比べて
次元の低い環境という意味である。
これで一応僕の疑問は解けたと感じています。しかし、それにしても何故、わざわざ混乱を招くような言い方を、通信霊がしてくるのか分かりませんが。・・・・・マイヤースは上の言葉に続けて、次のようにも言及しています。
日本の諺に「人を見て法を説け」というのがあるが、これには
深遠な意味がある。永遠の生命の神秘を説く際には相手の精神
的発達の程度をよく洞察する必要があるということである。
これは要するに「死後に往く世界が地球を取り巻くように存在する」とか「地球圏の上層部でぐずぐずしている霊がいる」という表現を使った方が、地上の人間には理解がしやすいということでしょうか?僕には「地球圏内のバイブレーションで営まれている環境、つまり本来の高い意識レベルに比べて次元の低い環境」と表現してもらった方が、理性の反発をくらわずにすむのですが。
シルバーバーチの声に感激!
投稿日 2000年9月11日(月)13時05分 投稿者 宮崎 護 [cs67105.ppp.infoweb.ne.jp]
ペーパーバーチさん、
当HPで、公開されているシルバーバーチの音声ファイルを拝聴させて
いただきました。ほぼ僕が想像していたとおりの声でした。しぶくて何
となく暖かい声ですね。あの笑いをこらえてしゃべっているのが、とて
もおもしろく感じられました。