心霊学研究所

(期間限定)悠々塾問題特設掲示板

悠々塾問題専用の期間限定特設掲示板。過去ログ(その4)です。

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1069 RE:1050 何度も同じ事を書かないように
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年09月12日 (水) 23時01分38秒

急いで書き込まないと飯沼さんが何度も同じ投稿を繰り返しそうなので、いくつかの発言を取り急ぎポストします。実はどれもまだ書きかけなんですが、肝心なところは有希さんやMr.しろさんが既に書いて下さっていますし、僕自身が言うべき事も987の発言でほとんど書いていますから、これでも十分でしょう。以前の発言にも悠々塾側はほんの一部しか反論出来なかったようですし、その一部の反論も今回書いただけで既に論破出来ているはずです。

|あれだけのことを言いながら。
|自分の言動に責任を持ちなさい。

本当に、いつも自分の反対者を「絶対的に間違っているのに間違いを認められない臆病者で、暗黒界の住人だ(大意)」とか言っている人のセリフとは思えませんね。どうかあなた方こそ、ご自分の言動に責任をお持ちください。自分に向けられた疑問には、関係のない「メッセージ」を羅列して誤魔化すことなどせず、キチンと答えなさい。

|せめてごくごく普通の人間としての良識は持ちなさい。
|自分の発言に責任を持ちなさい。

これは僕があなた方に言いたい事、というより、最初から何度も繰り返し言ってきた事でしょう。よほど悔しかったんでしょうが、同じ事を鸚鵡返しする前に、何故そういう事を言われたのか反省していただきたいですね。

|その前に、あなたのお名前、スピリチュアリズムとの関わり、活動など、
|予備的なことを明らかにしていただきたい。

Mr.しろさんへのコメントの部分ですが……何故名前を明らかにする必要があるのですか? 通信の世界ではハンドルネームこそが「名前」です。まして相手があなた方では……勝手に他人のメールを回覧したり、私信を無断公開したりする悠々塾の体質を考えると、僕なら個人情報を伝えたくはありませんね。Mr.しろさんがどう思っているかは判りませんけど、僕は悠々塾にそんなことを教えるのは危ないと思っています。何かあって抗議しても、「そんなことは大した問題ではありません」で済まされるのは目に見えていますから。

だいいち……

|私が誰であろうとも、そんなことは何の関係もないでしょう?
|私の発言の内容を、あなたはもっと読んでください。
(中略)
|私の発言は、身元を明かさねばならないくらい、いいかげんなものですか?誰であるかよりも、その内容で判断してください、と、あなたの尊敬する霊も言っていませんか?
|あなたに応える気がないのであれば、それはいたし方のないことです。
|あなたは、自らのいい加減さと無責任さをさらしたことになるだけです。

って言ってたのは、どこのどなたでしたっけねぇ……牛若丸さん?
こんなに最初のころから、飯沼さんの言葉は自分自身に一番ピッタリ来る事を言っていたんですね。そろそろ気付いたらいかがですか?

(すべての引用文中、半角カナのカギ括弧、句読点を全角に置き換えました。一部の環境で文字化けの原因になるため)

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1068 RE:1001 陰口・欠席裁判・嘘
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年09月12日 (水) 22時56分29秒

悠々塾さん、どうも。

|その後私たちがどう言われているかは、あなたの方がよく知っているのだろう。

何か勘違いしておられるようですが、僕は近藤さん側の言い分を聞いていませんし、その後どうなのかも知りません。ただし、未だに悠々塾を高く評価しているかのように偽って宣伝に利用するなら、それは「嘘」だと言っているだけです。

それからもう一点、欠席裁判は許さないという事です。いくつかあなたの発言を削除しましたが、そのもっとも大きな理由は、批判の相手がこの場を見ていない人間だったからです。公の場所で特定の個人を犯罪者呼ばわりしているのですから、最低限、相手の反論する機会を保証できないなら削除されて当然でしょう。

まして、削除されたのを逆恨みして何度も同じ書き込みを繰り返すなど、著しく常識に欠ける行為と言うしかありません。あなた自身も、本当は自分のやった事が犯罪行為であることに気付いていたから、プロバイダに連絡したと言われて止めたのでしょう? 何ら問題の無い行為だと信じていたなら、何の躊躇もなく続けられていたはず。
続けてくれていれば今頃あなた方のIDも悠々塾のホームページも無くなっていただろうに……惜しいことです(苦笑)

一つ誤解されているような気がするのですが、僕はその問題を追求するなと言っているのではありません。「ここでそれをするのは「自己正当化のため」「私怨を晴らすため」でしかないので、それは止めてくれと言っているだけです。問題を本当に解決したいなら、他にやることがいくらでもあるはずでしょう? 正統な方法で解決を目指すなら、どうぞやってください。僕も応援しますし、出来ることがあれば協力してもいいとさえ思っていますから。

|ペーパーバーチさん、あなたは「悠々塾の飯沼は、近藤先生を利用しようとし、
|それが失敗すると態度を豹変させて、誹謗中傷し始めた」という意味のことを
|何度もこの場で言った。他のことでも、私たちを誹謗中傷しているが、

事実の指摘です。中傷と言うなら、あなた方の方がよほど酷い中傷を繰り返しているではありませんか。「臆病な心」だの「愚かしい」だの「暗黒界」だのと。あなたが僕の言葉の何を「中傷」と判断したのか知りませんが(あなたはそのことも説明する気がないと言っていましたね)、上記ほど酷い事は言ってませんよ。少なくとも事実しか言っていませんしね(^^;。

もちろん、その事実をあなた方自身が認められるかどうかは別の話です。しかし、どうかご自分の行為を認めてください。その奥の本当の動機を見つめてください。もちろん今のあなたには認め難いでしょうが……飯沼さんご自身も言っているではありませんか、
「自分が見せまいとしてきただけでなく、自分で見るまいとしてきたのであるならば、それを見せられた時、人は大抵強く否定する。「全くそんなことはない」「思ったこともない」「昔はそうだったが今は違う」・・・。それは、それだけその人が実は苦しかったのであり、認めないことで自分の心を守ろうとするからである。」
……他人に言う前に、自分が実行すべきでしょう。

最初に問題になった近藤千雄先生からの私信の無断公開にしても、結局、飯沼さんがOKを出していたわけですよね。ご本人が既に意見を翻しているのを知りながら(誰にでも判断を間違う事はあります。当時の近藤先生がそうだったのでしょう……と言うか、最近は関英男博士を評価したりして滅茶苦茶ですけど(^^;)、過去にたまたま評価されていた時期の私信を利用して自分たちの正当性を主張しようとするなど、決して許される事ではありません。霊からのメッセージが云々という以前に、社会人としての常識の問題ですよ。(社会人としての常識ということは一番最初から言っているはずです)

|そのときには、たった一言でいいから心から詫びなさい。そうせずにはいられ
|ないとは思うが。私たちは、先生のお気持ちもあなたのことも分かったうえで
|の働きかけ。

はあ、「あなたのことも分かったうえでの」あの「メッセージ」ですか……あまりにも的外れで失笑してしまったんですけどね。全然分かってないと思うんですけど……。そろそろ、低級霊団にいいように操られている事に気付いたらいかがですか?

|あなたが、そのことのモラルを問うのであれば、あなたの知っている事実に比
|して考えてみてほしい。そして、もっと大きな事実があるのを知っていたので
|あれば、どう考えてもそれに比べれば大した事ではない私信の公開をあれほど
|までに攻撃したあなたの動機についても

いったいあなたは「どう考え」たのでしょう? 「大事の前の小事」ですか。大儀の前にはモラルなど、ですか。まるでオウム真理教がサリンを撒いたときの論理ですね。連合赤軍が仲間を処刑したときの論理ですね。あなた自身の「社会人としての常識」が問われているのですよ。それを「大した事がない」などと矮小化し、指摘する方がおかしいなどと開き直るとは……少しは恥を知りなさい。

あくまでも動機が純粋なら良いのだと仰るつもりですか? 統一協会だって壺を売るのは相手の蕩減《とうげん》のためだと思い込んでいますよ。オウムだって地上の浄化のためと信じてサリンを撒いたんですよ。非常に純粋です。しかし、あなた方も同じですが、百歩譲って純粋だとしても、何か根本的に間違ってやしませんか。間違った方向に「純粋」なんじゃないですか?

もっとも飯沼さんの場合は……あなた方が反対者にいつも言っている言葉をそのままお返しします。「なかには受け入れられない方もおられます。どうしてもありのままの自分の心の姿を認めたくないときは誰にもあるのでしょう」と。

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1067 RE:988・978 反対者は全て「かげり」の所為?
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年09月12日 (水) 22時50分55秒

| そこまで躍起になってメッセージや私たちへの否定を繰り返すあなたの“心
|”の苦しさを思います。

悠々塾に否定的な人間は、みんな心が苦しい人になってしまうんですね(^^;。僕は間違いを間違いと言っているだけですし、僕への「メッセージ」はデタラメだったという“事実”を書いているだけです。事実は事実だから仕方がないので、間違っているものを正しいと言い張ろうとして躍起になっているのは……悠々塾さん、あなた方の方です。

|もともと「悠々塾」に対して強い違和感、あるいは偏見をお持ちのあなたに対
|して、「神戸事件」のことを伝える時に、「悠々塾」とは切り離したところで
|の発言をしたかった、ということです。

パソ通の黎明期から分身の術が発覚した人間の言い訳は変わらないんですね。曰く「相手が偏見を持っているからだ」
結局、僕は牛若丸氏に対しても悠々塾に対してと同じ印象を持ちました。いや、もっと酷かったかもしれません。他人を中傷したり、感情的になって暴言を吐いたり、相手からの都合の悪い質問には答えなかったり……(都合の悪い質問を無視するのは今も同じですが)。結局、別人だと思っていても同じ評価に落ち着いたわけですから、偏見のせいではなかったということでしょう。

| なお、あのやり取りが終わったあとで、管理人である有希さんにはこちらか
|ら「牛若丸を名乗った」とお知らせしてあります。彼女からはあなたのことに
|ついてメールを頂いていましたから、「牛若丸」のことはあなたの方にも伝わ
|っていると思っていました。

都合のいい言い訳をしてはいけません。常識のある人間ならメールで個人的に聞いた話を、軽々しく他人に言いふらしたりはしません。自分たちがそうだからといって、他人も同じようにモラルが欠如しているなどと思わないことです。

|あなたの掲示板にも2月23日に「悠々塾の掲示板にペーパーバーチさんへの
|メッセージを掲載しています」とアドレスを添えて投稿したはずなのですが、
|過去ログを見ると消えているようです・・・・。いずれにしてもあなたが騒い
|でいるだけで、本質的な問題ではないと思います。

ここに至っては呆れ果てて物も言えません。相手の知らないところで延々と非難を書いておきながら「あなたが騒いでいるだけで、本質的な問題ではない」とは……。
メッセージの相手が見ているか見ていないか……これ以上本質的な問題が、いったいどこにあると言うんです? 要するに相手に何かを伝えたいのではなく、自己弁護のために相手を貶める事が目的だったという事でしょう?

これで、僕が987で書いた以下の事が正しかったと証明されましたね。つまり……
●悠々塾は、相手の見えないところで陰口を叩くことを良しとする団体である。もちろん霊団もそうした行為に積極的に関わっている。つまり、その程度の霊ということ。

ま、僕の悪口を言ってるぶんには別段大した問題ではありませんし、いくら言ってくれてもかまいません。今もやっているように、ご自分たちの掲示板で陰口をたたき合って隠微な楽しみに浸っていれば宜しい。「あんな霊性の低い人の言葉に惑わされないように、信じましょう! 一生懸命信じて行きましょう!」とかね。……未だにこんな、低レベルな宗教団体の常套句みたいな事を言ってる人がいると思うと情けなくてナミダ出そうですけど(^^;。

|「ある人へのメッセージ」をそちらに投稿したのは、言葉の遣い方や御説が以
|前先生から直接伺ったものとあまりに似ていたために、「通行人さん」がどな
|たであれ、その時期がきたと判断したのです。

「Aさんと似た人がいたから、そこにAさん宛のメッセージを投稿した」……そんなものは妄想でしかなく、およそまともな判断力を備えた人間を納得させうる理由ではありません。「テレビの向こうから聖子ちゃんが自分に微笑んだから、私は松田聖子さんと結婚します(大意)」と言い切った、某ネット有名人(※)を思い出してしまいます。

(※『愛の奇蹟』のオリハルさんと言えば知っている人も多いでしょう。……あれは変わった人だったなぁ。結婚するって言うから、おめでとう!って言ったのに、相手は松田聖子だとか言い出すんだもん(^^;)

似ている人がいたということと、その人への「メッセージ」をそこに投稿することと、何も関係無いじゃないですか。結局これも上で言ったのと同じ、相手が見てなかろうが【あなた方にとっては】「本質的な問題ではない」という事なのでしょう。但し、自己正当化のために相手を貶めるというあなた方の目的に照らした場合に限り「本質的な問題ではない」というだけのことで、悠々塾関係者・信者以外から見れば、これ以上本質的な問題はありません。

| ただ単に私たちが出まかせに言っているだけなのでしょうか?
|私たちには、どうしてもそう見てしまう、そういうあなたが今は、とてもお気の毒です。

そういう、現実とかけ離れた妄想に囚われているあなた方こそ、とてもお気の毒です。

| 何か人に見られたくないものを後ろ手に隠している子供が、ワーワー言いな
|がら、もう一方の手を振り回し、自分に近づくな、さわるな、あっちへ行け、
|とわめきちらしている、そんな光景が目に浮かびます。まわりの者たちはそれ
|を見ているのだけれども、「もう、いいから、やめなさい。」と言ってもその
|子は聞き入れそうにない。

そうですね。一体何人の「まわりの者たち」が、あなた方(悠々塾)に対して「もう、いいから、やめなさい」と言ったことでしょう。ばたばたと間違いだらけの「メッセージ」を振り回すのは止めて、そろそろ聞き入れたらいかがですか? 挙げ句の果てに相手を子供呼ばわり……自分が何か言われるのには極端に敏感なくせに、他人には言い放題ですよね。いろんな罵倒語を言ってくれるものです。(面白いからもっと言って……とか思ってるのは内緒です(^^;)

| もちろん、事実のごくごく一部は聞いていても、です。私たちとのやりとり
|のなかで明らかになっていく過程であなたは気づいたはずです。聞いている話
|と違う、と。確かに「事実」は符合していても、本質的なところが違いすぎる
|のだ、と。

もちろん、僕が知っている事など事実のうちのほんの一部でしょう。何しろ僕は、あなた方の言うところの「Kさん」からは、一度も話を聞いてはいませんし。ただし、あなた方から話を聞いても、「本質的なところが違いすぎる」などと思ったという事実は一切ありません。ここでもメッセージは間違えてしまっているわけです。なんと信頼性の無い(低いとさえ言えない)通信でしょう!

| 過ちを犯す者どうしが、それぞれに自らの過ちを認め、詫びそれをあがなっ
|ていこうとすること、まわりの者はそれを受けとめ支えていこうとすること、
|そこに本来の人と人との許しがあり、償いが成り立ち、健やかな関わりがある
|と信じているのです。

このようにあなた方は、言っている事だけは確かに一見もっともらしく、立派です。しかし、相手が見ておらず反論も出来ないところで糾弾するということが、あなた方にとっての「健やかな関わり」なのですか? これでは、いくらなんでも言っている事とやっている事があまりにも違い過ぎるのではありませんか? たとえば僕が削除した「Kさん」に対するメッセージです。あなた方は以下のような言い訳をしました。

|“ある人”の目に触れる可能性がとても高いからこそあなたのホームページに
|投稿したのです。“ある人”はそれを読めば必ず「自分のこと」と分かります。
| もちろん、私どものホームページにも掲載致します。できるだけその人の目
|に触れる可能性のある場に出すことによって、少しでも早く気づいて欲しいか
|らです。

なんと奇妙な言い分でしょう。相手に伝えたいなら、連絡が付けられる人間に言付ければ良いだけの事です。不特定多数の人間の目に触れる公の場所に、それもあちこちに張り付けるなど正気の沙汰ではありません。その気が有れば、少し考えればどこに手紙を託せば連絡が付けられるか判らないはずがありません(たとえば本を出している心の道場さんとか)。それをしないのは、結局、違う目的があるという事に他ならない。「私怨を晴らす」という目的が……。いかにもっともらしい言葉を並べても、行動から本来の動機が丸見えなのです。

| そこにある願いや思いを全く無視し、また事実関係や事実があることを踏ま
|えたうえで「陰口」と言うのであれば、あなたの発してきた言葉は一体、なん
|と呼べばいいのでしょうか…。

あまり大げさな言葉を使いたくなかったので「陰口」と言ったのですか、それでは判らないようなのでハッキリと言います。あなた方のやった事(削除された発言)は名誉棄損罪に当たります。

   めいよ‐きそん‐ざい【名誉毀損罪】
   〔法〕公然と事実を摘示して他人の名誉を毀損する罪。(広辞苑より)

だから最初から、事実であってもという断り書きを付けていたのですが、あなた方は私怨で頭がいっぱいで、理解が及ばなかったようですね。あなたがやったことは、借金取りが債務者の近所の電柱に「カネ返せ」というビラを貼って回ったようなものです(当然の事ながら、それは犯罪です)。どちらにせよ、このように相手が反論する手段の無い場所で公然と非難するなど……あなたがやった事は間違いなく、卑怯極まりない行為です。

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1066 RE:968・969 天にツバする「メッセージ」
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年09月12日 (水) 22時42分18秒

で、「次回の投稿で」などと書いたものの、その発言を投稿する前に有希さんに同じ事を書かれてしまいました(メッセージは悠々塾自身に向けられたものではないかということ)。やはりある程度判っている人は同じ事を考えるようですね。更に、968・969あたりの僕への「メッセージ」を使って具体的に指摘しようと思っていたんですが、とてもそんな事はやってられないと判りました。全文引用することになってしまいそうだからです。

それでも一部だけ例示すれば、たとえば

|自分がどういう自分であるかを知れば知るほど、それを見まい、認めまいと躍
|起になるしかない

|その繰り返しのなかであなたは「評価されること」や「優位性」を手放せなく
|なっていきました。それは同時に「否定されること」を嫌い、誤り、間違いを
|認めにくくし、謙虚になれないところへとつながります。

|そんな自分でありたくない、こういう自分でありたいという願いが強い者ほど
|強く抵抗します。そこに表れる不自然さはまわりの者に感じ取られぬはずがな
|いのです。分からないのは本人だけです。

|自分がしてしまっている数々の過ち、は自分がいちばん知っています。そして
|本当はそこに良心の呵責を感じています。それを振り払うかのように、さらに
|言葉を重ねざるを得ないのが今のあなた、です。そのあなたが自分の姿を正面
|から見た時(見ることができた時)あなたは言葉を失うでしょう。今までの自
|分の行為行動、言葉に恥じ入り、自分を消してしまいたくなるでしょう。

どうです? 面白いぐらい飯沼さんや悠々塾のメンバー自身の事を言っていますよね。確かに【分からないのは本人だけ】のようです。

もちろん、僕にはあなた方が【子供のころからまわりの人間が怖かった】かどうかなんて判りませんから、あえてそこは引用しませんでした。しかし、間違いなくそういう子供だったと、僕の霊感が告げています(^^;。もちろんあなたはそんな事は認められないでしょうが……そうそう【それをあなたは見ようとはしない。それだけのことである。】ということです。

ま、僕がいくらメッセージが外れていると言っても、そう思うのは自分で見ようとしないからだと強弁されるでしょう。ですから無駄だとは思いますが、一応言っておきます。この僕への「メッセージ」はデタラメです。僕の事とはとても思えない、全く事実とは違うことばかり書いてありますし、このように余計なことばかり大量に書かれているにも関わらず、僕の人格形成に大きな影響を与えた幾つかの事柄のうち、一つもここには書かれていません。

何の根拠もなく、他人の人格を貶めるような事を延々と書き綴るのは止めなさい。自らの正当性を主張するために次々と他人を貶めて回る姿こそ【おぞましい姿】以外の何物でもありません。いつかあなた方が、自分たちのやっていた事に気付く日が来る事を祈ります。

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1063 RE:0967 メッセージの実情
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年09月12日 (水) 22時26分05秒

まず「メッセージ」(だか飯沼さんの文章だか)を引用します。

|自分が作り出した罵詈雑言の世界は、まさに暗黒界。そこにいる自分がどんな
|に醜い姿となっているかさえ気づいてくれれば、ペーパーバーチさんはきっと
|そこから抜け出ようとしてくれるでしょう。

こういうのを「中傷」だと言うのです。僕はあなた方のおかしいと思うところ、疑問点の数々を、おかしいと思う理由・根拠も添えて問い質しました。そしてぜひともあなた方なりの「言い分」を聞かせていただきたいと思っていました。しかし、こちらが聞いたことには答えず、話を逸らし、自分たちのことは棚に上げておいて、僕が言うことは「罵詈雑言の世界」ですか?

では教えていただきたい。あなた方がしつこく投稿しているこの「メッセージ」は「罵詈雑言」では無いのですか。これらの「メッセージ」には、僅かなりと根拠はあるのですか? もちろん根拠なんてありませんよね。そして「牛若丸」氏が言い放った、「自らのいい加減さと無責任さをさらした」とか「あなたのことが、気の毒でかわいそうになってしまう」とかいうのは、あなた方にとっては愛に満ちた言葉なわけですか?

勝手に他人の子供時代のストーリーをでっち上げて、ペーパーバーチはこういう生い立ちで、そのためにこういう「かげり」を持っていて、その「かげり」ゆえに悠々塾を攻撃しているのだ、という事ですか。はぁ……こういうのをこそ「中傷」「人格攻撃」と言うのですが、まぁそれは良いとしましょう。僕の人格ぐらいいくら攻撃されても平気……というか、むしろあまりにもデタラメなんで却って楽しめるぐらいですから(^^;。

それはともかく、これが少しでもなるほどと思えるものなら、僕も少しは自分の心を振り返ってみようとも思うでしょうし、場合によっては納得もするでしょう。しかし、あなた方の「メッセージ」を読んだ感想を言わせてもらうと

「一体これを読んで、何を、どう信じろと言うのだろう。なんでこんなのを信じられる人がいるんだ?」

というものでした。あまりにもデタラメ、あまりにも頓珍漢。それでも百歩譲って「顕在意識では気付いてなくても潜在意識では違うのだ」という立場に立つとしましょう(でも後述の通り、そこまで譲ったら何でも言えることになってしまいますが)。それでも、事実関係が間違っているのはどうしようもない。どう贔屓目に見ても、あなた方の「メッセージ」は間違いだらけなのです。

それとも、間違ってしまったのは僕に対するメッセージだけ、たまたま? いや、有希さんへのメッセージも拝見しましたが、実際に何度も有希さんにお会いしてお話もしている僕から見ると、やはりデタラメな内容であると断言できるものです。いくらあなた方が後から「メッセージ」を追加して、心の深層では本当は違うのだと強弁してみても、そこに現れるのは、もがき苦しみながら自己防衛のために必死で喘ぐ、あなた方自身の哀れな姿だけです。

さらにその他の人々への「メッセージ」も読んでみると、どうもこれは誰に対しても同じような事ばかり言ってるようだという事が判ってきました。いや、もちろんあなた方の主観では各人に合わせた全く違う内容と思っているのでしょう。しかし、僕から見ればどれも大同小異。結局、霊媒自身の抱える問題点が「メッセージ」に反映されていることがよく分かります。
ですから、霊媒や審神者と波長の合う人間にとってはピッタリ来るメッセージとなり、そうではない人間にとってはデタラメ極まるメッセージとしか思えないという事になるわけです。

私見ですが、これは非常に危険な状態です。メッセージを当たっていると感じ、悠々塾のシンパになる人間は、いわば同じ歪みを持った人間ばかりになりますから、それがお互いに共鳴し合う蛸壺のような霊的な“場”を造り……それによって、互いの霊的な歪みを増幅し合う危険性が予見されます。カンタンに言えば、類が友を呼んでお互いに悪い影響を与え合うのではないかということです。もちろん、そんな事になっていない事を祈りますが……。(見た感じ、残念ながら既にそうなっているようですが)

もっともそこまで大げさに考えなくても、基本的には具体性に欠ける内容ばかりなので、もっと簡単に「フリーサイズ効果(意味は判りますよね?)」でも説明は付いてしまうのですが……。そして間違った場合は、相手が事実を認められない「かげり」のせいにしてしまえば、どんなデタラメを言っても百発百中ということに出来てしまいますものね。……反証可能性って知ってます?

っという事で、悠々塾の「メッセージ」で出される他人の問題点の指摘は、結局自分たちの問題点を反映しているに過ぎず、他人にではなく自分自身に言うべき事ばかりである、という視点から、これらの「メッセージ」を見てみる事にしましょう。そうする事で、自分たちこそが、いかに「醜い姿となっているか」そして「まさに暗黒界」に居る事に気付く事が出来るかもしれません。では、それは次回の投稿で(^^)。


   はんしょう‐かのうせい【反証可能性】(falsifiability)
   〔哲〕ポパー(Karl R.Popper 1902〜)が科学と非科学の境界化基準
   としてあげた特性。科学とは、その理論が現実においてどのようで
   あってはならないかという禁止事項をもち、それに対するテストに
   耐えうるものでなければならないというもの。(広辞苑より)
   ※どういうことか判らなければ聞いてください。

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1062 アラムさんへの回答
名前: 悠々塾(飯沼&堀江)  投稿日: 2001年09月12日 (水) 14時14分46秒

私たちが答えるのではなく、メッセージによる回答、といたします。

○私どもの霊団を、あなた(あなた方)が高級と言おうが低級と言おうが全く何の関係もないことです。
しかしながら、今回はそれらについての通信を、敢えて送ることに致します。なぜならば、あなた(あなた方)が私どもについて、自分たちなりに判定しようとしても、私どもの全てを知ることはおろか、見通すことなどできはしないからです。あなた(あなた方)の学びの程度がいかなるものか、こちら側からはよく見えるのですよ。何を意図し、どういう物の言い方で、何を表現しているのか。大声でもっともらしく主張するその内容があなた(あなた方)のつながる階層を示しています。
私どもは、地上で生きる人々が、より多くの知識を手にすることを嬉しく拝見していますが、それが本当の意味で「役に立つこと」を強く願っています。役に立つどころか自分のために使ってしまう人々がいかに多いかを知っているからです。
この二人(飯沼・堀江)は私どもの働きかけの目的を分かってはいますが、全てを把握しているわけではありません。数年間、日々働きを共にし、共鳴している二人ではあっても、です。人間には霊界側の計画の全て、そしてその詳細、あるいは、法則の全てを理解することはできません。これを伝える私ども霊団も、今回の「地上界の浄化のプログラム」の一翼を担ってはおりますが、その全容をこの通信で伝えきることはできません。

○あなた(あなた方)はまだ御存知ないでしょうが、私どもがこの二人を通じて地上にもたらす情報は「霊界のこと」だけではありません。その類の通信はすでに多数送られており、新たにどうしても地上の人々が知らねばならないものは、ほとんど見当たりません。それは(地上的に)長い期間に及ぶ、幾人もの霊媒たちと、彼らを媒介として霊界の実相を伝え続けた霊たちの働きのたまものだと言えましょう。特にあなた(あなた方)の言う「スピリチュアリズム」の初期の段階は、その存在の証明自体が非常に困難を極めました。
私どもが今こうして「通信」を送り、それが形となって地上で伝えられるのは、それらの前提あってのことと思っております。
しかしながら「地上界の浄化」は、人々が地上的な死の意味を知り、生命の永遠性を知るだけでは押し進められるものではありません。霊界の存在、死後の生、導きということを知って、人々はどう変わったのでしょうか。「スピリチュアリズム」は確かにある一定の広がりを見せ、人々に受け入れられました。けれども依然として地上界にはあらゆるかげりが蔓延しています。不正、偏見、差別、争い、貧困、飢餓、犯罪、そして病。
かげりの深さは今や誰もが認めるところです。年を追うごとに人々の危機感と変化を求める意識が高まる一方で、あきらめもまたひそかに広がっています。言うなれば今が地上人類にとっての分かれ道なのです。自分たちの意志によって地上のかげりを一掃し、新たなる地上界を再構築していくのか、それともあきらめを含めた「かげりの渦」に身を任せ、霊的進化のチャンスを逃し、一からやり直すのか。

○私どもはその分かれ道に立ち、地上の人々に向けて、何を求めてどう生きるのかを提示するのです。かげりによって先が見えなくなっている人々には、その一歩先、半歩先からでも道を見せてあげるしかありません。もう少し先が見通せる人々には、その人が担う役割を果たしていけるよう導いてゆきます。そしてさらに目指すべきところと今の人々のあり様全体を見渡すことのできる人々には、地上人類の歩むべき道筋を伝え、それに人々を沿わせていくための援助を致します。一口に地上の人々と言っても、その学びの程度はさまざまなのですから、それぞれの段階にふさわしい導き方があるのです。言うまでもなく、学びの程度とは、知識の量とは全く違います。何を多く知っているかではありません。いかなる心で生きるか、その動機と実際の言動です。その意味で「スピリチュアリズム」を知る者が「学びの進んだ者」であるとは限りません。それを知る、知らないとは関係がないのです。私どもが働きかける対象は、地上人類全体なのです。特定の人々、といった狭い範囲に限定など致しません。何となれば、そのような悠長なことを言っていられるような状況に地上界はないからです。
できる限り多くの人々が目醒め、変化していくことを私どもは求めます。だからこそ多岐にわたる情報を通信として送るのです。まずは人々を「恐れ」から解放するために、死について、死後の世界についての情報を。病の癒しのエネルギー(実際の治癒)を。また病そのものとそれを解消するための情報を。「死」と「病」への恐れから人々が解放されるだけでも、地上界は劇変するでしょう。「病は癒されるもの」「地上的な死によってその生命は消滅することはない」との前提が、人々に安心をもたらすからです。もちろんこれに関わる霊たちはそれぞれにおります。病の仕組みを伝える者、実際の癒しにおいて治療のためのエネルギー的援助をする者。いずれもが地上時代にその分野で「仕事」をし、霊界において研鑚を積んだ者たちです。
死後の世界について伝えるのは、また別の霊が担います。私どもは「貢献を喜びとし、地上人類の霊的進化を願う」というところで共鳴する霊たちの集団です。そのなかにももちろん学びの段階の違いはあります。しかし、ひとつの目的に共鳴し、ともに働き貢献する喜びに満たされているからこそ、地上で受信を担い、癒し手、伝え手として働くこの二人に通信を送ることが可能となるのです。私どもの通信は主に通訳の霊(二人)を仲立ちとしてなされています。私どもから伝えるべき情報はひとまとまりの思念の形で送りますから、それを地上的な言語に翻訳して受信者の脳(正確には脳の「ダブル」)に働きかけねばなりません。私ども霊団と受信者との共鳴状態を維持し他の霊からの妨害を排するのは審神の役割となっています。私どもは地上の二人に波長を合わせ、段階を経て受信者の脳にまで通信を送りますが、私どもも邪霊、低級霊の妨害を防ぐ手立ては講じます。しかし、地上に近い次元の者たちの妨害を防ぐには、やはり地上の者がそのエネルギーを高めて排する方が有効です。

○伝える通信の内容は、死と生、霊的仕組み、病について等のみならず、あなた方の預かり知らぬ地上界の進化の歴史、地上人類の進化の過程、物質やエネルギーのついての解明、社会全体のシステム、そして個々人の人生について、具体的な悩み(今とこれからをどう生きるか)について、と幅広いものであり、限定されません。これは地上界のあらゆるかげりを一掃する、という目的あればこそのものであり、それぞれの内容にふさわしい者たちが伝え手として参画しています。
個々人に関しては、彼らを導く守護霊と指導霊からの通信を送ることになります。私どもの霊団の構成員ということではありません。しかし、守護霊および指導霊が求めるものは導く対象となる地上の「その者」が霊的に進化すること、学びを重ねること、今あるかげりを越えていくことにほかならず、これは私どもが目指す「地上界のあらゆるかげりの浄化、地上人類の霊的進化」と目的を一にするものです。よって、受信者が「導きのためのメッセージ」を求めれば「喜んでそれに応じる」のです。また、指導霊側からの求めをインスピレーションの形で受信者側に伝え、受信を促す場合もあります。地上の「その者」のかげりが深ければ、導く者からの声は「その者」には届かず、むしろそのかげりにつながる(共鳴する)幽界のエネルギーの影響を強く受けるからです。たとえば、首尾一貫しないことを平気で言う者、言い逃ればかり続ける者、自分の感情を基準にしてそれが正しいかのように言う者、いずれもそれに共鳴する幽界の影響下にあります。もちろん偽る者については言うまでもなく、です。たとえ彼らがいかに多くの知識を携えていようとも、その言動に反映される「もとの心」が問題なのです。彼らを導くはずの指導霊も、一定の計らいをし続けることはできます。しかし彼ら本人があくまでも「選んで」いるのです。
その繰り返しを地上の人々はしてきました。それが「カルマ」を作り出し、解消すべきものとして今の人生に反映されています。私どもが個々人のカルマの情報をもたらすには理由があります。地上の人々は興味本位で捉えがちですが、その情報はもたらされた者にとって実に大きな指針となるのです。今を把握し、過ちを繰り返さないためだけでなく、本来どうすべきかを端的に知ることができるからです。また苦しい現状が自分にふりかかっていることの意味を知ることは、今を受け入れるところから始まって、その先にいかなる心で何をなすべきかを見ることができるからです。私たちがカルマの情報をもたらす場合、何が、どういう心がカルマを作り出したのか、そして、だからこそ今回の人生では何を、どうしていくべきかを伝えるのが目的であり、内容となります。誰が、いつ、どうしたか、をおもしろおかしく語るようなものとは、その目的も内容も違います。よって、幾度も繰り返した過去世のうち、その時のその人に最もふさわしい内容を伝えることになります。当然、地上の受信者がそれらを操作することなどできるわけもなく、また創作することもできません。なぜなら、カルマと今回の人生とは相互に絡み合い、対応しているものなのですから、事象だけではなく、動機、心の動き、人間関係に至るまで、それらの要素を全てクリアする内容を、手を休めることなく瞬時に考えだすことなど不可能です。しかし、全ての者にカルマの情報が必要なわけでもありません。その判断をするのはあくまでもこちら側です。依頼者が「私のカルマは?」と尋ねても、もたらすことが逆にその人のためにならなければ、今は提供しないとして別の導きの言葉が続きます。私どもが通信を送るのは、それが「役に立つか否か」による、ということです。

○あなた(あなた方)は私どもの霊団に対して「どの程度に位置するのか」という聞き方をさかんにされています。私どもは全て同じ学びの程度の霊の集団ではありません。しかし、全体を統括する霊が「どの程度なのか」を地上的に表現することはできません。言語に変換できる次元には自ずと限界があります。あなた方の知る「段階」の区切りに沿って「この段階」とは申しません。なぜならば、おおよその学びの「程度」「共鳴関係」はというものはあっても、次元の違いは無限にあり、区切ることそのものが、実は非常に困難だからです。霊界の仕組みの概要を伝えるにあたっては、便宜的に区分して伝えることが多いのでしょうが、それはあくまでも読む者が理解し、イメージしやすくするために致仕方なく行なわれた計らいです。

○そもそも地上のあなた方からしてみれば、一定以上の学びの進んだ段階から先は全て同じものでしかありません。その違いを感じ取ることは全く不可能です。次元が違いすぎるものを見比べることなどできません。あなた方にとって地上よりも高いところに位置する「空」は、たとえどの高さにあっても「空」にしか見えない。その高さの違いなど測ることはできません。そのようなことをあれこれ思うより先に、今いる地上でどのような心で生きるかを思うことの方があなた(あなた方)にとっては重要なことなのです。自分たちが全て見通せるかのような思い違いをしてはなりません。
霊的知識を学ぶ、それを喜びとするのは大変結構なことです。しかし、それが今の地上人生に少しもいかされないのだとすれば、知ることの意味はありません。

○人をおとしめ、侮辱するような態度をとり、言葉を弄する者が生きる世界は「悪意に満ちた幽界」です。そこに住まう霊たちは他を認めず、むしろ汚し、揶揄し、中傷することを喜びとする者たちです。彼らと共鳴状態にあるのは、残念ながらこの掲示板を主宰する者です。
自分の立場を確保するために、事実を都合の良いように歪め、自分への評価を求めてしまう者が生きる世界は「自己保身、自己肯定のみの幽界」です。そこに住まう霊たちは、表面的に優しく上品な言葉を遣いながらも本音では相手を決して認めない。自分大事の者たちです。彼らと共鳴状態にあるのは、残念ながら「人生を変える」とまで謳っているホームページの主宰者です。
そしてさらに、スピリチュアリズム本来の主旨に反する言動をなしている者が主宰するグループもあります。その知識の豊富さを大いに役立てていくはずが、逆に柔軟さや寛容さを欠き、自分たち以外のものをことごとく否定する姿勢と、地上人生をおおらかに生きる喜びよりも、制限、強制を優先させる傾向を強くする者。「心を鍛えること」を勘違いしている者が主宰する「心の道場」です。心を鍛える、とは謙虚さを増す、学ぶ姿勢と意欲を高める、より心を豊かに柔軟にしていくことにほかなりません。制限や規制は心の自由とおおらかさを失い弾力をなくしていくものです。そこに住まう霊たちが生きる世界は「無味乾燥。機械的。喜びの欠如と否定の幽界」です。何の関係もないはずのそのグループにわざわざ指摘が向けられるのは、主宰者本人がよくよく御存知のことでしょう。確かに「貢献の実績」はあります。スピリチュアリズムの普及、という点ではその役割を果たしている、と言えます。知り得た知識をとどめずに広げていこうとする意志は大いに認められるものです。ただその奥にある本人の「知識・行為行動とは別の動機」が問題です。その動機に見合った発言・姿勢・態度が実際に「あった」ことはこの通信を読むほとんどの人には分からないものです。しかし、本人が分かればそれでよろしい。そのあと、どうしていくか、それがいかに「本質・主旨とかけ離れた言動か」を最もよく知っているはずの者だからです。

○このような指摘によって、受信する二人がさらに非難・中傷・否定の的になろうことは、もとより承知のうえでのことです。
私どもの伝える通信が、幽界・暗黒界を含めての地上界の浄化を目的とするものだということは、その世界の住人たち、その世界を牛耳る霊たちの知るところであり、当然のことながら、通信を妨害し、受信をやめさせようともくろみます。彼らは自分たちと同じかげりでつながる地上の者たちを使って「通信」をことごとく否定し、受信者たちを否定し、あたかも取るに足らぬくだらぬものであるかのように思わせようとします。地上の人々が人間本来の心に目醒め、人としての正しさと優しさとに基づいて生き直してしまえば、自分たち幽界・暗黒界は共鳴するエネルギーを地上から供給されることなく、逆に、地上の人々から発せられる(心の)光のエネルギーに包まれてしまうからです。彼らにとっては自分たちの世界の存続を賭けての働きかけだと言えるのです。
その彼らに共鳴し、使われているはずの地上の者がなぜ「スピリチュアリズム」に関わっているのか。私どもの霊団の通信を、そしてこの二人を否定・非難しながらも、一方では「霊的真理」を知っている。実はそこに彼らへの「救い」があるのです。「地上界浄化のプログラム」を邪魔しかねない役回りを演じながら、何が本質かに気づくことができた時、そして自らの過ちと至らなさ、未熟さに本心から思い至った時、彼らはやっと「霊的真理」を真に理解することになるのです。そこからは「霊的真理」を知る者として、埋め合わせと本来の働き(普及・実践)が始まるのです。彼らにとっても今が分かれ道だと言えるでしょう。彼らが「自分のために」抱え込んでいる「スピリチュアリズム」によって、本当の意味で救われるのかどうか、いずれ明らかになることでしょう。
しかし、言葉を発せず、静かに事の成り行きを見ている多数の人々には、もう「何が本物か」十分に伝わっているとの確信が私どもにはあります。それでよろしい。今、分かろうとしない者、今、認めようとしない者は、後で分かり後で認めることで十分です。それがたとえ地上にいる間になされなくても。
しかし、公平公正な目をもち、真理を求める人々に対しては、明らかにし、伝えなければなりません。
「地上界の浄化、霊的進化」とは大それたことではないのです。地上に生きるひとりひとりの人間、あなた方こそがその担い手なのです。自らを静かに振り返り、至らなさを認め、素直に詫びる。そのひとつがすでに「ひとつのかげり」を光に変えたことになるのです。その心の向け方と行為とが「地上界の浄化」の礎なのだと断言致します。あなたの心がかげりを光に変えようと意思することは、すなわち、人類全体の変化、社会の仕組みの変化、科学・技術を始めとする地上のあらゆるものの変化、暮らしそのものの変化へとつながっているのです。「人々の心のかげりを光に変えていくこと」こそ、地上界の浄化の始まりであり、地上人類の霊的進化の始まりなのです。
それがなされた時、地上界はまさに霊界の写し絵となり、神の喜びが顕現される世界となるのです。

○ ところでアラムさん、あなたはどうなのでしょう。あなた自身も今、分かれ道に立っていることはもうお分かりですね。
本当ならば持ち合わせているはずの「学ぶ意欲や客観的な視点」を自分の好き嫌いで歪めてしまってはなりません。それは「本質・本当のことを避け、自らの心地よさに偏る幽界」につながるものであり、真理や真実から遠ざかる方向へ動いていくものです。そこに作られる自分好みの世界に浸り、そういう住人にあなたはなりかけているのですよ。些細で的外れなところにこだわり、そこに意味を見出そうとしていると、大切なものは目に入らず、見る目の軸はどんどんそれていくのです。今ならばその修正も可能です。今までに知り得た知識はそれでこそいかされてゆくのですから。
私どもの霊団に、あるいは受信などについて、色分けやレッテル貼りの必要などありませんし、あなたには分かるはずもないのです。自分が多くのことを知っているという思い込みをまず捨てること、そこからあなたの本当の学びが始まるのでしょう。そうするかどうか、はもちろんあなたの心ひとつです。

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1064 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2001年09月12日 (水) 22時28分25秒
ここまで来れば、ナンボ何でも信者も気付くんじゃないか。
というわけで、とりあえずピン止め。

http://www.paperbirch.com/


1061 再び高橋さんへ
名前: もりふみ  投稿日: 2001年09月12日 (水) 13時09分01秒

 早速のレスありがとうございます。

 しかしながら、一言申し上げます。ここはあなたも言及されたように、公けの場だと思っております。その公けの場において、あなたは通行人さんに対して御質問をされたわけです。公開質問ですね。もちろん回答を求められた通行人さんは、御都合さえよければお応えになった方がいいとは存じますが(でも私はそれが義務だとは思いませんけれど)、いずれにしても公開質問である以上は第三者にも質問の仕方はこうした方がいいんじゃないですか、というサジェスションがあることは、場の性格上、充分にあってもいいと思いますし、またあるべきだと思います。私は高橋さんがそんな自明のことを念頭に置かずにこの場で発言されているとは思ってもいません。しかるに、

しかし、一義的に、あの発言は私から通行人さんへのものであり、
私はあなたと話をしているのではありません。

 とは、言っちゃぁナンですが、あまりにも子供っぽくないでしょうか?失礼ながら私には、とても二十歳を過ぎた大人としての発言とは思えないのです。

 私があなたにお勧めしたのは(忠告のつもりはありません。あくまでお勧め)、あくまでもあなたの公開の場における「モノ言い」に関してのことです。そのモノ言いに関するサジェスションに対して公開の場で「私はあなたと話をしているのではありません」では、折角の場が泣きますよ。

 でも、まあ、そんなことより、通行人さんに対する前言はご訂正をされるようあらためて「お勧め」致します。これは私が悠々塾に関する一連のやり取りをどう感じているかということとまったく別次元のことですから、あなたの仰る「まずそれをお聞かせ願えませんか」の「まず」はちょっとコンテクストとの整合性に疑問を感じますので、この「まず」には応じるつもりはありません(なんだか取引条件みたいな印象を受けますので)。

 と言うと我ながら何だか偏屈でアタマの硬い頑固オヤジみたいなので、上記の「まず」に応じるのではなく、この特設掲示板のテーマであるところの悠々塾さんと皆さんの一連のやりとりについての私の感じたところを以下に箇条書きで申し上げることとします。

 1:悠々塾の所謂「通信」は、どうして「思わせぶり」なモノ言いばかりな
   んだろうか?(いわく、「かげり」、「かげりを深める」、「いのちを
   癒す」、「「見せたくない動機」のその奥にはーー」、「分からないの
   は本人だけです」、等々枚挙にいとまがないほどの思わせぶりな言葉、
   ワーディング、センテンスに満ちている)

 2:悠々塾の方々の発言は、思わせぶりなところ以外は、どうして権威主義
   的かつ高圧的なんだろうか?(いわく、「もっともらしい言い訳、言い
   逃れも、無視も通らない」等々いちいち列挙はしませんが、これまた枚
   挙にいとまなし)

 3:まとめ
   上記1及び2が私の主たる印象でありますが、要するに悠々塾の通信、
   メッセージ、発言に感じられるのは「思わせぶり」か、そうでなければ
   「権威主義」のニオイかのどちらかであって、高橋さんのいつぞやのご
   発言にあった「愛を感じる」という感覚を私は持つことは出来ないので
   す。どうしても私は「モノ言い」の仕方にこだわるところがありますの
   で、ひょっとしたら過敏にすぎるかも知れませんが、印象としてはそん
   なところです。ただ、誤解なきように願いたいのは、私は、あくまで唯
   一の材料たる掲示板上の文章から受けた印象をここに述べているのみで
   あって、悠々塾さんの活動やそこに携わっておられる方々の人格・識見
   について何らかの判断をしているわけではないということです。でも望
   むらくは、「かげり(を深める)」等のあまりにも文学的で思わせぶり
   なワーディングについては、お使いになる際にはきちんとdefinition
   (定義)を示して頂くべきかと思っています。(例えば、私たちが言う
   ところの「かげり」とは、人の精神の状態が......であることを指し
   ており、ウンヌンウンヌンを意味する等)。

高橋さん、以上です。しつこいようですが、まだ遅くはないと思いますので、率直に前言をご訂正されるよう、あらためてお勧め致します。

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1065 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2001年09月12日 (水) 22時39分15秒
最後の箇条書きの部分の表示が崩れていましたので、投稿時に意図したと思われる通りに、適宜改行を補っておきました。
http://www.paperbirch.com/


1060 私見
名前: 小川  投稿日: 2001年09月11日 (火) 21時49分53秒

少しだけ失礼します。高橋さんの言葉は、
「自分の舌から人の心を傷つける棘を抜き取っておきなさい。」
ということ、つまり、忙しくてタイミングの良いフォローをできないような状況の中で、(棘)だけを置いていったことに対してまでへも、向けられているってことなんじゃないかと思ったんですけど。という私見を持ちます。
(通行人)さんにしても、いくら忙しくても、次回ご発言になる時は、過去ログをなぞる位のことは、おそらく、なさるでしょう。
あるいは、まさに(通行)されただけなのかも知れません。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)213.153.175.62


1059 高橋さんへ
名前: アラム  投稿日: 2001年09月11日 (火) 21時11分45秒

もりふみさんの忠告ももっともなことだと思います。

通行人さんは
そう返事はできないと思います
基本的にレスはそうそうできません 
と最初のかきこみの際からことわっています。

もしかしたら、その後の高橋さんの質問自体を読んでいないことさえ考えられます。

この掲示板へのかきこみもかなりの数になっていまして、高橋さんの質問を見つけるのもかなり大変でした。

何度か質問内容を書き込んで、レスを気長に待つか、直接メールを送るかしかないと思います。

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1058 RE:高橋さんへ
名前: 高橋  投稿日: 2001年09月11日 (火) 18時31分48秒

もりふみさん、ご忠告(?)ありがとうございます。

しかし、一義的に、あの発言は私から通行人さんへのものであり、
私はあなたと話をしているのではありません。

>文脈からすると、通行人さんの発言内容の一部に対して高橋さんは儀質問をされたのだけれども、通行人さんからは未だお応えがない。でも高橋さんとしてははやくお応えがほしい、ということのようだと思います。<

あなたはこのように「サラッ」とお書きになっていますが、過去ログを読めば、私がなぜああいう言い方をするのかお分かりになるはずだと思います。

ご忠告はありがたく拝聴しますが、
あなた自身は、悠々塾とその批判者の一連のやりとりを読んで、どのようにお感じになったのか、まずそれをお聞かせ願えませんか。

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1057 高橋さんへ
名前: もりふみ  投稿日: 2001年09月11日 (火) 16時53分51秒

 文脈からすると、通行人さんの発言内容の一部に対して高橋さんは儀質問を
されたのだけれども、通行人さんからは未だお応えがない。でも高橋さんとしてははやくお応えがほしい、ということのようだと思います。それだけのこと
ですよね。それなら、そういう具合に御発言すればよいのではありませんか?
即ち、”未だに私の問いに対してお応えがなされていないようですが、私はお早目の御返答を頂戴したいと思ってずっと待っているのですが、如何でしょうか”とでも。
 ”自分の発言にきちんと落とし前をつける”とは如何なる意味であるのかを
私は知りませんが、どちらかと言うと、高橋さん、この発言はあなたが自らの品性をご自分で落としているようにしか思えません。おそらくこの掲示板を御覧になっている殆どの方がそう感じていらっしゃると思いますよ。ましてや、スピリチュアリズムを勉強してあなたのような人間になるのならウンヌンという発言に至っては、それこそ、三文芝居の中の捨て台詞ですよ。
 ですから、もし高橋さん、あなたの本意が通行人さんへの批難(為にする批難)ではなく、真に回答を求めたいということであれば、前言を撤回或いは訂正されることをお勧め致します。

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1056 通行人さんへ
名前: 高橋  投稿日: 2001年09月10日 (月) 23時10分39秒

もう一度言う。
私の質問に答えてほしい。
自分の発言にきちんと落とし前もつけられない人間に、公の場で発言する資格はない。

霊的法則について学ぶ以前に、この世の人間としての常識を学んだ方がいい。
霊的知識をひけらかす前に、自分の舌から人の心を傷つける棘を抜き取っておきなさい。

「スピリチュアリズム」を勉強してあなたのような人間になるのなら、
スピリチュアリズムなど知らない方がどれほどましなことか。

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1055 悠々塾さんの通信霊団に関して
名前: アラム  投稿日: 2001年09月10日 (月) 22時14分06秒

悠々塾さんの霊界通信を送っている霊団に関してはどの程度までわかっているのでしょうか?

霊団を構成している霊人、その役割ということについて理解されていますか?

悠々塾さんが地上界全体の浄化から個人の癒しまでを目指しての活動とその基準となる霊界通信の受信ということを行っておられるとのことですからこのことについて質問します。

地上界全体の浄化についての霊界通信となりますとスピリチュアリズムの高級霊団に所属している高級指導霊以外に通信を送ることができる霊は存在しないはずです。

病気治療ということになりますと医療・治療霊団ということになります。

病気の人への個人的なメッセージとなりますと高級霊ではなく、その指導下にある霊人たちが通信をおくることになります。

悩みごとへのメッセージに関しても高級霊以外の担当になります。

ニューエイジの系統で活躍している霊団がありますが、それと同程度の霊団でしょう。

個人的メッセージとなるとその人の背後霊・指導霊との通信媒介を行う霊団、暗黒界に近付きつつある人に警鐘を与えるのでしたら、暗黒界から抜け出し、贖罪の道を歩む霊団の協力があることになります。

悠々塾さんの目指しておられる「地上界全体の浄化から個人の癒しまで」ということを真に実現しようとすれば、高級指導霊から幽界の霊、暗黒界から抜け出したばかりの霊までの協力が必要となります。

そこで、通信を受信されている堀江さんにおききしますが、通信を受信されているときに、それぞれの通信の内容に応じた霊の感じの違いというものはおわかりになりますか?

それぞれの霊からの通信を受信するための心の状態に変化はありますか?

邪霊からの通信もあるでしょうが、そうでないにしても、様々な段階の霊からの通信が臨んでいるはずなのです。

トランス状態になっての受信でしたら仕方がないですが、そうでないのでしたらその受信の感覚の違いというものがおわかりになりますか?

飯沼さんがさにわをなされているのでしたら、それぞれの通信霊の霊格の違いというものはおわかりになられますでしょうか?

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1054 飯沼&堀江さんへ
名前: りゅうじん  投稿日: 2001年09月10日 (月) 14時49分02秒

飯沼&堀江さん〜
>ペーパーバーチさん、通行人さん、Mr.しろさんに対して、あなたはどのようなご意見をお持ちなのでしょう。

個人についての僕の意見を言うことは差し控えたいのですが、みなさん、スピリチュアリズムに対して一生懸命なのだと思います。有希さんもそうですし、飯沼さん、堀江さんもそうだと思います。みんな人間ですから自分なりの考え方ややり方はそれぞれで、自分の納得するように考え、行動していくしかないと思います。今回は霊界通信という方法にみんなの疑問が集中していますが、これもみんなにとっていい試練なのだと思います。霊的なことに目覚めた人間同士、できれば思いやりを持ってお互いの向上を目指せたらいいものだと思います。僕はどのみち人間に完全を求めても無理だと思っていますので、優柔不断に見えるかもしれません。ペーパーバーチさんにはよく怒られますが(笑)、でもこれが僕の考え方です。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

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1053 RE:高橋さんへ
名前: 高橋  投稿日: 2001年09月09日 (日) 23時14分42秒

有希さん
自分の「かげり」を認めることは、自分をごまかしたり、無理して納得することとは正反対のことです。自分をごまかすことは「かげり」を深めることです。改めて言うまでもないですね。

あなたが本当にメッセージを「根も葉もないデタラメ」と思われるなら、「霊団」に対して沸々と怒ったりせず、「真実」の力によって彼らを矯正してあげてください。
「更に高い霊団」とつながったあなたならきっとおできになるでしょう。

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1052 飯沼さんへ
名前: 有希  投稿日: 2001年09月09日 (日) 21時28分13秒

> やはり「検証」しましょう。

これだけ違っていると私が言っているにもかかわらず、まだ続けられるおつもりなんですね・・・。
どうぞ、とことん書いてみてください。
私の方はかまいませんから。

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1051 高橋さんへ
名前: 有希  投稿日: 2001年09月09日 (日) 21時23分46秒

Mr.しろさんの書かれた内容は一つ一つが納得のいくものばかりでした。しろさんによって必要なことは言い尽くされたと思っていますから、私の役目もこれで終わったと思って投稿するのは控えようと思っていましたが、わたし宛のものですから一言お返事を書くことにしました。

> まず、こういう公の掲示板で自分宛のメッセージを公開されるのは正直とても「きつい」ことだと思います。
> それを敢えて許可された有希さんの勇気に感服します。

そうですか?
私には全然きつくなかったですが。
もし自分でも自覚していることを言われていたならきつかったでしょうし、動揺もしたでしょうし、やめてほしいと切願したでしょうが、そういう感覚はありませんでした。
むしろ私を実験台にしてくださったことに感謝をしています。
と書くと、強がっていると言われそうですけど、わたしを本当に知っている人なら、私の言っていることが強がりでもなんでもないことはわかると思います。

> メッセージ自体も、自分がそれを受けた立場になって考えてみると、かなり厳しい内容だと思いました。

そうですか? どこが厳しかったでしょう。

> 自分の心の、一番探られたくない部分をさぐられるような内容だからです。もっとも、「メッセージ」とは本来
> そういうものだとは思いますが。

探られたくない部分は確かにありますが、その部分に関してはメッセージの中に全く出てきていません。
ですから、キツイとは感じませんでした。

> 自分の心の奥底にある「かげり」は、それが根深いものであればあるほど、他人から指摘されても決して分から
> ないものです。「いや、それだけは違う。それだけは絶対にない」という反応が決まって出てきます。

何だか詭弁に感じます。
「かげり」とは他人から指摘されても決してわからないものですか?
だったら逆に言えば、ウソを並べ立てられて本人が納得できなくても、それは本人の「かげり」になってしまうわけですか?

例えば前世療法で、あなたのカルマは前世のこういう原因から来ています、ともし言われて納得できなかったとしたら、それは納得しない人の「かげり」になるわけですか? そういう考えが出されると言うことは、いままでメッセージを受けられた方の中には、納得できていない人がたくさんいるということを言っているわけですね。
まさか、前世療法は違っていて、悠々塾のメッセージは正しいとは言われないと思いますが。

> その人の「かげり」は、たいがい当人以外のすべての人には明々白々なのですが、他人から「かげり」を的確に
> 指摘されて、それを素直に認めることができるのは、相当に自分を見つめる勇気のある人です。

では、勇気をもってその「かげり」を認めたとします。でも、その勇気とは自分をごまかし、無理して納得する勇気と言うことですか? それではそこの教義をあの手この手で信じさせる一般の宗教と何ら変わりないじゃないですか。それにそれを認めたからと言って何の意義があるのでしょう。あったとしてもとてもマイナーな意義としか思えません。そして、もしその「かげり」を認めなかったら成長しないんでしょうか? 私はそうは思いません。

> 指摘された「かげり」が本当に自分と関係ない場合には、たいてい腹も立ちませんし、余裕を持って受け止める
> ことができます。そういう的外れな指摘を(それが悪意のないものであれば)楽しむことすらできるでしょう。

私が腹を立てたと言われるんですか。もちろん全く立てていないというとウソになります。でも、私が腹を立てているのはあなたが考えるようにメッセージの内容に対してではありません。

高橋さんは、もし根も葉もない噂を立てられたらどう思いますか? その噂自体に腹が立つのではなく、その噂の出た原因に対して腹が立つのではないでしょうか。それと同じです。

私が違うと言っているにもかかわらず、更に自分たちのメッセージが正当だと言わんばかりになお執拗にコメントを出してくる霊団に対して沸々と怒りが込み上げてきます。更に言えば、飯沼さんや堀江さんという純粋な人たちを操って、「かげり」という本人が納得できないものを無理やり納得させようとして世の中を惑わしている霊団に対してです。

最後に、いまだ相当に未熟ではあるけれど、シルバーバーチの霊訓を心の拠り所とし、霊的真理を自分の霊的人生の指針とし、神と霊界のための道具となって働きたいと心から願っている私に対して、全く当たらないメッセージが下ろされたということは、メッセージを送ってくる霊団自体が正当ではないということを悠々塾に間接的に認めてもらうために、更に高い霊団が下ろされたメッセージだと思っています。

悠々塾のメッセージに固執している飯沼さんたちにこういうことを述べるのは、それこそ腹の立つことかもしれませんが、それはあなた方にしっかり認めて頂きたいと思っています。もし、認められないのであれば、それこそあなた方の「かげり」なのでしょうから。

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1050 Mr.しろさんへ
名前: 飯沼&堀江  投稿日: 2001年09月09日 (日) 20時41分09秒


私たちの受信してきた通信をネット上で検証できるはずはない。
あなたは、それを分かったうえで、条件を出しているのでしょう。
あなたの提示した何項目もの質問も含めて全体を総合的に「検証」しましょう。
あなたの御意見はその後お伺いします。前回の指摘を御確認下さい。


ペーパーバーチさん、通行人さん、

何をしゃあしゃあとしているのです。
何もなかったかのように。
あれだけのことを言いながら。
自分の言動に責任を持ちなさい。
いくら自称でもスピリチュアリストを名乗るからには、
せめてごくごく普通の人間としての良識は持ちなさい。
自分の発言に責任を持ちなさい。

Mr.しろさん、

私たちが受信してきたメッセージの「検証」の件、
具体的に進めていきたいと思います。
お互い公明正大に、堂々といきましょう。
あなたがどなたであるのかは知りませんが、
私情からではなく、純粋にスピリチュアリズムのことを思ってのご発言であるならば、
あなたにも当然協力していただけるでしょう。
いや、あなたには「検証」に立ち会う責任がある。
その前に、あなたのお名前、スピリチュアリズムとの関わり、活動など、
予備的なことを明らかにしていただきたい。
今までのあなた方の発言はスピリユアリズムという大義、大道を背景にしていると、
あなた方は主張してきた。
それらの主張が見るからに無責任な匿名性のなかでなされ続けたのは、奇妙なことであった。
スピリチュアリズムを愛し、崇高なるその波動と一体化しているかのように言うのであれば、
何一つ隠蔽できないのが本来の霊界だと知り、誰よりもその世界を知っているかのように言うのであれば、
最低限のことは明らかにした上で、私たちの受けてきた膨大な「霊界通信」の「検証」に協力してほしい。

罵詈雑言の限りを浴びせたままで、ほっかむりを決め込むようなことだけはしてはならない。
何よりも、あなた方が愛するスピリチュアリズムのために。シルバーバーチに学ぼうとしている同志のために。そしてもちろん、あなた方のために。私たちのためにも。
スピリチュアリストの名にかけて、明らかにしてほしい。

今回のコメントに対しては、揶揄や屁理屈は無用である。
もっともらしい言い訳、言い逃れも、無視も通らない。
正面から、事実のみ答えていただきたい。
この国のスピリチュアリズムを、口先だけの低級霊に繋がるものたちの影響下から解き放つために。
あなた方以上に、私たちは本気なのだ。

ペーパーバーチ氏、 通行人氏、 Mr.しろ氏、
ご回答いただきたい。

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1049 有希さんへ
名前: 飯沼&堀江  投稿日: 2001年09月09日 (日) 20時39分48秒


お父様が手を合わせたことについてですが、メッセージでは

 彼が地上を去る前に「手を合わせた」としたら、それは、「感謝」ではなく「謝罪」である。しかしそれすらあなたは自分なりの思いのなかに組み入れてしまった。

となっています。受信原稿では、「手を合わせた」としたら、・・・・・・・・・・・・
の「としたら」の部分に、傍点(文字の上のところに)が4つ振られています。
私たちは「これは何か意味があるから、傍点なんだろうね」と言っていたのです。
投稿のなかでは、この傍点は抜け落ちてしまっていますが、改めて納得しました。
もとの受信原稿もありますし、受信直後に日時表記のFAXでも送りましたから、証拠もあります。複数の証人もいます。
あなたは「辻褄を合わせている」と仰るかもしれませんが、事実です。やはり「検証」しましょう。

今回のメッセージはほとんどの部分が、あなたの「自分では見ようとしていない動機」にまつわるもので、基本的には前回と同じです。前回のものがあなたには理解できず、「暴露してくれてもいいから、見ようとしていない動機について、言ってほしい」というような要望があったので、急いで受信したのです。

ほかのことについては私のほうからは、今は何も申しません。

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1048 りゅうじんさまへ
名前: 飯沼&堀江  投稿日: 2001年09月09日 (日) 20時38分18秒

 
 コメントありがとうございます。
2.に関しては、そうであるからこそ総合的に調査・検証をするようにと私たちは要請しているのです。
メッセージが細かいところまで、100%正確であったかどうかは検証し尽くすことはできません。霊的法則や地上界の浄化に関するメッセージは、具体的な事実や物証による検証になじみません。読み手の判断に任せるしかありません。
その意味では個人宛てのメッセージも同じです。しかし、今までの経験では、「メッセージの通りです」という反応がほとんどでした。私たちが受けて、堀江が伝えるメッセージは、筆記だけではありません。治療のときに、病者さんの患部に沈み込んでいるその人の心の澱についてたくさんのことを伝えます。それらはまず100%的確です。もちろんそれを解消していく道筋についても。
筆記による個人メッセージも同じようなものですが、対象が病者さんではなく、いわゆる導きのメッセージの場合は、なかには受け入れられない方もおられます。どうしてもありのままの自分の心の姿を認めたくないときは誰にもあるのでしょう。
しかし、激しく否定する人でも、その人の心が癒され始めると「実はメッセージの通りだった」「あの時は否定するしかなかった」「自分ではそうではないと思っていたが、静かに心をたどりなおしてみれば、そうだったと思う」というように、変わってくる人がほとんどです。
これらの経験からも、私たちは霊界からの導きを伝えながら、地上界の浄化(まさに地上界全体のスケールから、個人の癒しに至るまで)を目指して働いてきたつもりです。もたらされたメッセージを盲信することなく、できる限り検証してきました。「たとえ今までの1000が的確でも、次のひとつもそうだとは言えない。実績に基づきながらも、検証の視点をおろそかにしてはならない」と私はいつも言っています。さにわの役割を受け持つ者として、当然のことです。
ですから、今回は、メッセージに対して「でたらめだ」とのご意見の方たちも参加して頂いて、総合的に検証したいと思っています。

3.については、個人メッセージのうち、公開したものはほんの数通であり、それぞれに公開した理由は明確にあります。ここでの説明はいたしませんが。

りゅうじんさんの私たちへのご意見を承った上でお伺いいたします。
ペーパーバーチさん、通行人さん、Mr.しろさんに対して、あなたはどのようなご意見をお持ちなのでしょう。

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1047 或る野次馬の感想 その2
名前: 高橋  投稿日: 2001年09月09日 (日) 19時02分22秒

悠々塾から有希さんへのメッセージと、それに対する有希さんの反応を読んで、感じたことを書きます。

まず、こういう公の掲示板で自分宛のメッセージを公開されるのは正直とても「きつい」ことだと思います。それを敢えて許可された有希さんの勇気に感服します。

メッセージ自体も、自分がそれを受けた立場になって考えてみると、かなり厳しい内容だと思いました。自分の心の、一番探られたくない部分をさぐられるような内容だからです。もっとも、「メッセージ」とは本来そういうものだとは思いますが。

自分のものの見方の根っこにある「かげり」は、決して自分では見えないものです。見えないから「かげり」なのです。逆に言えば、いったんそれが見えたときに、解放される可能性がでてきます(ある程度の痛みは伴うにしても)。

自分の心の奥底にある「かげり」は、それが根深いものであればあるほど、他人から指摘されても決して分からないものです。「いや、それだけは違う。それだけは絶対にない」という反応が決まって出てきます。その人の「かげり」は、たいがい当人以外のすべての人には明々白々なのですが、他人から「かげり」を的確に指摘されて、それを素直に認めることができるのは、相当に自分を見つめる勇気のある人です。

「かげり」を克服するには、自分自身でそれを認知するしかありません。
しかし、意識的に「道」を歩む人の場合、その認知を促すために、「背後」からさまざまな働きかけがあります。日常の出来事を通して「気づき」を促されることもあるし、「スピリチュアリズム」を志している人には、今回のように「メッセージ」を通しての働きかけもあるでしょう。

有希さんへのメッセージが、有希さん個人の「かげり」をどこまで的確に指摘していたのかは私には判断できません。しかし、有希さんの反応は、他人から「かげり」を指摘された人に特徴的な反応であるという印象を受けました。「いや、違う。私はそうではない。それだけは絶対に違う」という、突っ張るような否定の仕方が、です。

指摘された「かげり」が本当に自分と関係ない場合には、たいてい腹も立ちませんし、余裕を持って受け止めることができます。そういう的外れな指摘を(それが悪意のないものであれば)楽しむことすらできるでしょう。

しかし、指摘が核心を突いたものであればあるほど、反応は感情的でヒステリックと呼んでよいほどのものになります。ご自分では否定なさるでしょうが、有希さんの反応は私からはかなり感情的なものに見えます。どんなに冷静さや客観性を繕っても、本当の気持ちは隠せないものです。

断っておきますが、私は有希さんを批判したり責めたりするつもりは毛頭ありません。自己正当化は誰もが持っている本能的な性向ですし、何より私自身がそういう傾向を強く持つ人間だからです。それだけに有希さんの気持ちはよく分かるような気がします。私もああいうメッセージを受けたら、同じような反応をするかもしれません。だからこそ、敢えてこうして自戒の意味を込めて率直に書いています。

それは、霊的な道を志し、霊的真理に従って生きようとする人間は、誰もが持つ傾向を乗り越えて、常人以上の基準に従って生きるよう努力しなければならないと信じるからです。
例えば、「当然怒っても構わないような状況でも、ぐっとこらえて、相手を理解し、愛そうと努める」こと。口先だけではなく、心から。悠々塾の方々は、この掲示板上でそれを確かに実践していると思います。

こういう感想を書くと、有希さんがどういう反応をされるかも私にはおよそ見当がつくような気がします。「そんな感想は的外れもいいところです。あなたは悠々塾のメッセージを絶対視して、私が悪いのだと決めつけている。私にはメッセージの内容に本当にまったく心当たりがないのです。読んでもまったく心に響かないのです。私の心も見えないくせに『あなたの気持ちがよく分かる』などと無責任なことを言わないでください。あなたこそ『悠々塾』を盲信しているという自分の『かげり』に気づいていないのです」云々。
そういうマインド・ゲームもすべてひっくるめて、「かげり」なのでしょう。

そのことに気づいてください。そうすれば、「評価されたい」とか「喜びに満たされた人だと思われたい」という自分の気持ちを素直に認めた上で、それを笑い飛ばすことができます。そのときには、どれほど楽に「悠々と」生きることができるでしょう。(これは、私自身に向けての言葉でもあります。)

ずいぶん長々と偉そうなことを書いてしまいました。後で読んだら冷や汗だらだらモノだと思いますが、こういう感想を持った人間もいるということをお知らせする意味で、恥をかくのも勉強のうちと思い敢えて投稿します。

失礼しました。

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1046 飯沼さんへ
名前: Mr.しろ  投稿日: 2001年09月09日 (日) 11時59分16秒

飯沼さん、忙しさが戻った所に、堀江さんからの投稿文を見て、つい先に返事をしてしまったのです。以下初めはあなたの先先回の投稿文についての意見です。

 あなたは、「まず、私たちは当たる、当たらないというレベルの通信を受けているのではありません。癒しのため、地上界の浄化のため、がその目的です」とありました。いいですか、飯沼さん! あなたの言い分がどうであれ、あなたは現実に通信を発表しているのです。それについての「真偽」あるいは「正確性」を論じることは当り前でしょう。当たっていないから、いろいろな疑念が沸き起こっているのです。当たる、当たらないを問題としなければならないような事実があるから、今問題となっているのですよ。当たり前のことを多くの皆さんが思っているのです。それを自分たちの通信は、癒しのため、地上界の浄化のためを目的としている、だから関係ないとでもおっしゃるのでしょうか。ひどい飛躍・独断論ではありませんか。シルバーバーチが、「いかなる霊媒を通して届けられたものも、必ず理性による判断を通さないといけません」と言っていますが、あなたはこの原則さえも無視しているのですよ。通信の真偽を理性を使って判断することは、常識なのです。

「癒しのため、地上界浄化のため」、それは結構なことです。そうでなければなりません。で、どうして「そのために、本来地上界はどうあるべきかをはじめとして、膨大なメッセージを受信しています」となるのでしょうか? どうしてあなたが、そのためにメッセージを受ける必要性があったのでしょうか? ここが分からない。あなたは「先生の翻訳によるシルバーバーチを読んだとき机に突っ伏して泣いてしまった」と語っています。また「この掛け替えのない喜びの全ては、シルバーバーチの霊訓に学び始めてからのものだ」とも言っています。それほどシルバーバーチによって目が覚まされたあなたなら、「皆さん、シルバーバーチを読んでください。私はシルバーバーチによって救われました」と言うだけで良いのではないでしょうか。本当に相手の救いを考えたら、それが一番良いことだと思うはずですが。
 シルバーバーチは地上世界の運命を左右する使命をもって、地上界に霊的真理をもたらしたのです。そして私もあなたもそのお陰で今救われたのではないですか。もちろん霊界通信の全てが悪いことだとは思いません。いろいろな霊性の人々がいることだし、いまだに死後の世界がわからずにいる人にとっては救いとなるでしょう。
 しかしその場合は、当然、霊界通信自体に、不正がないことが絶対条件になることはいまさら言うまでもありません。スピリチュアリズムの内容と食い違うことを語ってはならないことは言うまでもありません。さらに悠々塾での霊界通信の場合は、単なる一般の霊界通信とは違って、「地上界の浄化」というスピリチュアリズム(イエスを中心にした人類史上最大の人類救済活動)と軌を一にしているようなことを述べているのです。霊界通信によってスピリチュアリズムの一翼を担い人類に奉仕しようとする以上、スピリチュアリズムが認めるような検証基準を満たしていることが前提とされるのは当然のことなのです。それはあなたも十分知っているはずです。スピリチュアリズムとは、まさにそうした本物と認められた霊界通信によって進められてきたからです。
 私も10年前、シルバーバーチと出会ったとき、あなたと同じような深い感動に包まれました。同時に霊界では、こんなすごいことが行われているのだと驚嘆しました。シルバーバーチはそうした流れの中で、まさに頂点とも言うべきメッセンジャーだったということです。シルバーバーチによって、霊界での大計画と、スピリチュアリズムによって手にした霊的真理は、神庁で認められた折り紙付きのものであることを知らされたのです。現在の地上には、これに勝る知識・教えはないと確信しました。同時に、それまで地上世界だけの視野しか持たないところで進めていた自分の研究テーマの、あまりにも小さくお粗末であることを知らされました。シルバーバーチとの出会いの感動、それは飯沼さん、あなたも同じではなかったでしょうか。
 わたしがあなたがたの通信に対して疑問に思うことは、これまでペーパーバーチさん、有希さん、通行人さんの指摘したことで言い尽くされています。とても高度な使命をもった霊のものとは思えない、シルバーバーチやインペレーター霊と比較したとき、およそ歴史的な使命をもった通信には思えないということです。地上的な問題を取り上げ過ぎていること、個人へのメッセージについては、あまりにも問題がありすぎます。シルバーバーチと食い違うような姿勢があまりにも多く見られます。それではあなたがたの通信霊は、どのようなレベルの霊ですかと質問が出ても当然です。シルバーバーチを知る人間であればこそ、そうした点に疑問を持つのです。

「テストについて、まず肝心なところは、地上界の浄化の目的にかなっているかどうかが、第一に重要なことでしょう」と言っています。 違います! まず通信である以上、通信としての最低限の条件を満たしているかどうかが先決です。言ったことが正確であったかどうかが、まずテストされるのが筋です。そして霊界からの通信だということが明らかになった時点で、どの程度のレベルの霊であるかの検証に進むべきです。今の段階でまず問題にしなければならないことは、通信の方法が、自動書記であれインスピレーション方式であれ、あなたがたが度々言ってきた内容が大筋において、正確であるかどうかということです。自動書記で人間業を越えたスピードを見せるのは、低級霊・憑依霊でも可能であり、特別それが通信の優秀性を証明することにはなりません。内容の程度が悪かったり、間違いだらけであれば、このケースは低級霊の仕業ということになるでしょう。

「あなたの出した問題に答える霊能者はいるのでしょうが、それが地上界の浄化の目的にかなっているかどうかが本当の問題でしょう。だからこそ、私の質問にはしっかりと答えてほしかったのですが…」とありました。まるであなたはご自分を、地上界の浄化の目的にかなったことをしているかのごとく語っていますが、まさにその点(動機)に疑問がもたれているのです。これについては先回、動機と手段の箇所ですでに述べたとおりで、ここでは繰り返しません。あなたの霊界通信が、どうも本物ではないようだ、あまりにもシルバーバーチと掛け離れているという、動機そのものの純粋性に係わる疑問が突き付けられているのです。あなたは悠々塾の霊界通信に100%納得したと言う人もいたと言っていますが、同様に100%外れていたと言う人もいるのです。ですから「スピリチュアリズムを基準としたテスト」が必要になると言ってきたのです。地上界浄化という大袈裟なこと言う以上、シルバーバーチが「私をためしなさい」と言ったように、謙虚に自らの疑念を晴らすべく努めるのが義務だと思います。そうした堂々とした態度をとってこそ、自分たちは地上界の浄化のために働いているということが言えるのではないでしょうか。手段の正しさを証明してこそ、動機の純粋さが明らかにされることになるのです。そうすればシルバーバーチを人生の指針としている誰もが納得するようになるはずです。今のままでは占い師と大差ないと言われてもしかたがありません。占い師でも、地球人類のために働いていると大言壮語する人間はいくらでもいるのです。飯沼さん、私はあなたがそこまでひどいとは思っていませんから安心してください。それどころか、人生意気に感じて実践を心掛けた方であることを理解しています。頭でっかちのスピリチュアリストでないことも理解しています。その意味でスピリチュアリズムの基本さえ間違えなければ、大変貴重な働きをされる可能性を持った方であると存じております。しかしあなたのこれまでの内容を見る限り、とうていスピリチュアリズム的であると認めることはできません。スピリチュアリズムを標榜し、シルバーバーチに学ぶ者である以上、あなたには他人とは異なる責任と義務がありますが、それを果たしているとは思えないのです。

「この地上界の浄化のために働く者たちです。それが分かった上でなら、どうぞ受信に立ち会ってください」 飯沼さん、それが分かった上でなら、すなわち、あなたがたが地上界の浄化のために働く者たちであることを認めた上でなら、ということですね。そうでなければ、テストには立ち会えないのですか? 疑問をもっているから、疑念があるからそれを晴らすためにテストをするのですよ。それではテストの意味が全くなくなってしまいます。堀江さんの投稿文の率直な内容から、今の悠々塾の霊界通信では、およそテストそれ自体が成立しない状況にあることがわかりました。ましてやスピリチュアリズム基準に合格するはずのものでないことがはっきりしました。堀江さんはこれから努力していくような意味のことを言われていました。ぜひそうしてください。そしてテストに立ち向かえるだけの状況ができたら、ぜひテストに臨んでいただきたいものです。悠々塾での霊界通信が、シルバーバーチを受け入れた人々が、こぞって正確な通信だと言うようなレベルにまでもって行ってください。それでこそスピリチュアリズム的検証を受ける資格ができたというものです。

スピリチュアリストの名称の件。あなたの言っている「スピリチュアリズムの本来の目的である、地上界の浄化のために働き、働き続けたいと意志し…願っています」、大賛成です。それを便宜上スピリチュアリズムという用語で表しているだけのことです。要はスピリチュアリズムの精神(それがシルバーバーチの教えの中に結実している)を受け入れ実践に移していこうとする生き方がスピリチュアリズムであり、そうした生き方を心掛ける人をスピリチュアリストと言っているまでのことです。シルバーバーチの教えに学び、シルバーバーチの教えを忠実に実践して地上界の浄化に貢献したいと思っている私もあなたも、その意味ではスピリチュアリストということになるのです。ここにあるのは、すべて心の世界に関することであり、ラベルつけ、レッテル貼りで区別されるものではないことぐらいは分かるはずです。私もふだん自分自身をスピリチュアリストなどと言ったことはありませんが、こうしたやり取りの場で、便宜上スピリチュアリストの用語を用いているまでのことです。この点についても、私はシルバーバーチに添っているつもりです。あなたがスピリチュアリストでないと言うなら、私も同じ意味でスピリチュアリストではありません。

有希さんへの投稿文で、「あなたにも同じことについて(悠々塾の掲示板に私の投稿文を掲載するということ)についてご意見を伺いたいと思います」とありました。ペーパーバーチさんのボードで皆さんに見ていただくだけで十分ですので、お断りさせていただきます。悪しからず。
原稿用紙1万枚にも及ぶコメント、楽しみにしていますが、まず皆さんが読みやすいように分かりやすく整理してください。それととんでもない分量ですから、ペーパーバーチさんの掲示板に全てを掲載することは明らかに迷惑がかかるでしょう。ペーパーバーチさんが良いと言うならそれもいいでしょうが。許可を取ることが必要ではないでしょうか。わたしは、『論旨の要約』を、ペーパーバーチさんの掲示板に載せ、『本文』を悠々塾の掲示板に載せたらいいと思います。多量のものを他人に読ませようというのですから、『要約』を提示するという常識的配慮をしてください。要旨は原稿用紙15枚以内でお願い致します。時間がかかっても、楽しみに読ませていただきましょう。


 飯沼さん! ペーパーバーチさんや有希さんのボードに投稿する方の多くが、あなたがたと同じようにシルバーバーチに出会い、これを人生の指針としようとしている真剣な人たちなのです。とても善良であり奉仕の精神にあふれた方たちなのです。そしてスピリチュアリズムが広がることを願いとし、一人でもシルバーバーチを読んでほしいと思っているのです。その人たちがあなたの霊界通信を拒絶しているのです。本来なら最もあなたの理解者であるはずの彼らが、あなたを受け入れなかったのです。この事実を、あなたは真剣に考えるべきなのです。彼らが間違っている? そうではありません。あなたの言動・霊界通信の内容がシルバーバーチと不一致で、信頼性が持てないからなのです。彼らはシルバーバーチという基準に照らして判断したのです。
それに対して、あなたはひたすら自己防衛に走りました。反対する相手に、一方的に動機が問題だ、心のかげりがあるだとか、あれこれ決めつけては反論しました。同じシルバーバーチを人生の教訓とするスピリチュアリズムの仲間・同志に対して、彼らが発した反論の意味を深刻に考えようとしませんでした。もしあなたが彼らの疑問を真摯に受け止め、自分からシルバーバーチに添っていこうと決心されたなら、それで全ての問題が円満に解決したはずです。最も単純に、すっきりと問題解決したはずです。そしてあなたは最大の理解者・支援者を得たはずなのです。誰でもが失敗することは当たり前であり、失敗を悔い改めようとする人間を悪いとは誰も思わないものです。

 テストの件は、先程も言いましたように、堀江さんの率直な投稿内容ではっきり分かりました。端的に言ってテスト以前の問題であり、とてもスピリチュアリズム的なテストそれ自体が成り立つ状況でないことがよく分かりました。私が検証に立ち会うまでもなく、スピリチュアリズムの基準から、悠々塾の霊界通信はとても容認できるものではありません。それは有希さんの指摘を待つまでもないことです。およそスピリチュアリズム的でないばかりか、この世のレベルにも至っていないということです。その彼女を通じて、地上界の浄化といった高級な啓示が降ろされるなどということは到底考えることはできません。さらなる大きな疑念が沸き上がってきました。堀江さんの投稿文によって、悠々塾の一番本質的な問題が、霊界通信の真偽以前に、スピリチュアリズムを安易に霊界通信に結び付けた飯沼さん、あなたの心の中身(本当の動機)にあることが分かってきました。これについては次回のテーマとして、じっくり検証してみることにします。

飯沼さん、私はこれまでスピリチュアリズムの観点から、あなたがたの霊界通信についての意見を述べてきました。私は、ごく当たり前の単純なことを言ってきただけだと思います。しかしあなたは血迷い、猛然と反発した。これまでの投稿文を見る限り、はっきりしたことは、あなたは何を言っても決して聞きいれない方であるということ、一切の批判に耳を傾けない人であるということです。どのようにしても私があなたと歩み寄ることは不可能であることがはっきりしました。同じシルバーバーチを人生の指針にしている以上、もっと歩み寄りができるものと思っていましたが、極めて残念なことです。シルバーバーチという最高次元の霊的真理を共有しながら、「霊界通信の検証」などという物質次元の問題を持ち出さざるをえなかった事自体が、スピリチュアリズム内部の恥ともいうべきことです。これまであなたがなしてきた貢献については貴重なものと思っています。しかし今のあなたは、シルバーバーチの言う謙虚さから最も遠い人間であるように思えます。あなたとこれ以上の議論をしても全くの時間の浪費にしかならないことがわかったことは残念です。
 スピリチュアリストとしての私の見解は、これまでの投稿文で一応示せたと思います。そしてそれに対するあなたの反論も、このボードを読む方には明らかにされたと思います。とくにこれから出される最後の長文コメントは、あなたの見解をはっきり皆さんに示すことになるでしょう。ボードを見ていただいている皆さんがた各自に、我々二人の見解を読み比べて判断していただくという掲示板の目的は達せられました。我々二人はそのための十分な資料・判断材料を皆さんがたに提供しました。あとは皆さんがたの判断を仰ぎたいと思います。一人一人に霊性の違いがある以上、我々に対する判断も様々になることは避けられないでしょうが。
 また何より大切なことは、あなたと私の見解の「正当性の判断」は、心の内容の全てが明白となる霊界に委ねなければならないということです。いつまでも人間レベルでの無意味な議論を続けることは愚かなことです。特に二人とも、シルバーバーチのファンであり、スピリチュアリズムを標榜しながら意見の歩み寄りができない以上、我々の知性・霊性を越えた公平な判断の持ち主と、それが実現している世界に委ねなければなりません。私の個人的希望でもありますが、将来シルバーバーチ本人が、我々の前に出て来て、直接判定をしてくれるようなことになるかもしれません(もちろん死後霊界で)。
 シルバーバーチが言うように、あなたがスピリチュアリズムという最高の知識を得たことの責任を追及されるようになるのかどうか、スピリチュアリズムという栄光ある道にたどりついた者にふさわしい行動をしたのかどうか、あるいは本当に純粋な動機で歩んで来たのかどうかは、全て霊界において明確にされることです。(あなたはすぐに動機がどうのこうのと言いますが、あまりにも軽率に言い過ぎです)。我々地上人がこれ以上あれこれ議論する段階を越えている以上、今後のことは、人間の行為をまさに一寸の狂いもなく判断される「神の審判」に任せることにしましょう。それがスピリチュアリストとしての正しい在り方でしょう。嘘が一切通用しない霊界での審判、一寸の狂いもない正確無比の「神の判断」に任せることにしましょう。

ひとまず今回の投稿はここまでにします。すでに仕事に忙殺される生活が再開されて、時間が取れなくなっています。しかしこれからの忙しい時間の中でも、暇な時間を見つけ、悠々塾のメッセージに目を通し、シルバーバーチと照らし、意見をまとめて行くことは続けるつもりです。時間にゆとりができ、語る内容がまとまったら、また投稿させていただきます。シルバーバーチによって結ばれた同志として、いつか交わることができる日を楽しみにしています。最後に今のあなたにふさわしいシルバーバーチの言葉を贈りましょう。
「教えを説く者には深刻な責任が伴います。知識には責任が伴うことを何度申し上げたことでしょう。自分を他の人たちより高め、人を教え導きたいと思うのであれば、まずは自分自身が拠って立つ足場をしっかりと固めないといけません。徹底的に探求し試してみることを怠り、批判に身をさらすこともせずに自己満足し、本当かどうかの確信もないままに人に教えを説くようなことをしていると、その怠慢と軽率さに大きな代償を払わされる時が必ず来ます」(『不滅の真理』)

「それは、つまるところ霊的理解力の欠如から生まれております。献身的に取り組んではいるものの、それは自分の思うように進んでいる限りの話です。自分の考えが正しいと思うのは良いとして、それが最高でそれしかないと自惚れはじめます。これが地上で同じ仕事にたずさわっていて、こちらへ来てからもその成就のために援助している霊を困らせる問題の一つなのです」(シルバーバーチの霊訓8)

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1045 何かが変
名前: うさぎ  投稿日: 2001年09月09日 (日) 10時57分10秒

はじめまして、いつも愉しく(?)拝見しております。

近頃どうもしっくり来ないまま
悠々塾さんが我が道を行かれているような気がしております。
特に有希さんへのメッセージがことごとく当たらなかったというあたりから
更に独自路線を歩まれているようですね。

シルバーバーチには個人的メッセージを受ける時と高級界からの啓示を受ける時では
まったく違うバイブレーションに合わせなくてはいけないとあります。
また“同じバイブレーションを使うわけにはいきません”とはっきり語られています。
悠々塾さんのメッセージを拝察する限りでは、霊媒の方の回路の開発がまだ十分ではないように感じました(堀江さんの人柄は先日の書き込みでよく分かりましたが、それとこれとは別物です)。
もちろんバイブレーションは違ったところで受けているというのでしたら私の読み取る力が足りないのですからお許しください。

まして過去世に着いてのメッセージを後生大事に伝えてくることなどはあまり感心しません。地上での生活が終わればもっと明らかなのです、今わざわざそれを持ち出すのはいかがなものでしょうか(今はその信憑性についても疑問視されていますね)。

どうしても個人的なメッセージが役立つ場合があるとしても、そっくりそのままを手渡すことなく飯沼さん堀江さんの理性とこれまでの経験を通して学ばれたもので、伝えて差し上げたほうがよいのではないでしょうか。
これまでにたくさんのメッセージを受けていらっしゃるようですから多くのものを学ばれているのではありませんか。

ややもすると通俗敵的な興味に傾きやすい弱さを払拭するためにも、悠々塾に降ろされるメッセージを第一にせず、集う人と霊的真理を分かち合う姿勢を大切にされたほうがよいのではないでしょうか。

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1044 思ったこと
名前: りゅうじん  投稿日: 2001年09月09日 (日) 10時14分40秒

お久しぶりです。一連のやりとりを見せていただいて思ったことを書きます。

●悠々塾さんのHPについて
僕は、書かれている内容は大方納得しています。受け入れられない部分もあります。集まっている方たちには救いになっているんでしょうし、全てを盲信されなければいいのではないかと思います。これはあらゆる宗教、霊的なもの(シルバー・バーチも含めて)に対して僕はそう考えていますので、読む人が自分の理性に反しないことのみ受け入れていれば問題はないと思います。そういった判断力のない人に全てを鵜呑みにしなさいと言うのであれば危険です。

●霊界通信の真偽を確かめるテストについて
例えテストに全問正解したところで、高級霊だとは限らないし、これは全部正しいですからみんなで信じましょうなんてことにはならないわけですから、やってもあまり意味がないと思われます。霊もあの世の人間ですから、この世と同じようにいろんな人がいるでしょう。当てものの能力に優れた人が優れた人間であるわけではありません。

●個人向け霊界通信について
一番の問題はここだと思います。霊の言葉だから信じなさいというニュアンスが感じられる上、頼まれもしないのに個人に宛てた通信を受け、掲示板に発表してしまう。この世でしか学べない必須科目であるTPOを無視するということはまだ地上で学び足りていない霊であるということでしょうか。私が言いたいんだから言わせなさい、今はわからなくてもそのうちわかる。それではアドバイスになりません。ずっと後でその人が、あの霊の言ったことは本当だったと思おうが、やっぱり嘘だったと思おうが、単なる言う側の自己満足に過ぎないと思うんですが。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

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