心霊学研究所

(期間限定)悠々塾問題特設掲示板

悠々塾問題専用の期間限定特設掲示板。過去ログ(その7)です。

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1166 ある友との物語(終幕に……)
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年09月21日 (金) 02時58分38秒

ほんの少し昔……。

彼らは友情で結ばれていた。彼は霊的知識を、そしてその友は霊能力を、それぞれがお互いの足らぬところを補い合い、シルバーバーチの言う「他人に役立つこと」をしたいと願っていた。“友”の霊的治療能力は目覚ましいものだった。ある時は次々に数十人の病者を“治し”、二人は、驚嘆と賞賛、感謝の声に包まれたものだった。

治病能力だけではない、いつしか“友”は明らかに常人には考えられない速度で文章を綴り、これは自分の頭から出てくる文章ではないと語った。人々はこれにも、素晴らしい霊界通信、心の指針だ、救われた……頭から信じ込んで賞賛を与えた。“彼”は実はその文章から受ける感触、内容にも疑問を感じていたのだが、これほど素晴らしい治病能力を持つ“友”に、これほど素晴らしい霊的貢献をしている“友”に、自分が疑念を感じているようなことが起こるはずがないと思い、心の中に疑問を封じ込め続けた。こんなに感謝されているのだから、こんなに霊界からの助力が得られているのだから、こんなに皆が素晴らしいと言っているのだから……そう、言い聞かせ続けていたのだった。

しかし、少なくとも“彼”は本当は気付いていた。ただ目を反らし続けていただけで、本当は気付いていた。“友”の行動が、言葉が、雰囲気が、少しずつおかしくなって来ていたことを……。少しずつ、本当に、少しずつ……。霊的な世界との関わりが“友”を壊しつつあった。精神統一が、霊からのインスピレーションを綴ることが、徐々に“友”の憑依を深めつつあったのだ。しかし審神者の役を果たすべきだった“彼”は、それを見過ごしてしまった。霊的治病能力という素晴らしい力を持つ者が、低級界と繋がるはずがないと思い込んでいたから……何と薄っぺらな、本から得ただけの知識、若さゆえ、未熟さゆえの錯誤だった事だろう。

その後、“彼”の学びが進むにつれて、ようやく実相が明らかになる。……しかし全ては遅すぎたのだ。“友”は心霊現象を弄ぶ快感を知ってしまった、それによって尊敬と賞賛を浴びる快感を、特別な存在たる自分であることの喜びを……。“彼”は“友”に、霊的な事柄に関わることを止めさせようとしたのだが………………“彼”は、今でも思っている。あんな事になってしまったのは……自分の認識が甘かった所為だった、と。

“友”は数年にわたり、精神病院への入退院を繰り返し、苦しみ続け、そして、最後には睡眠薬の誤飲事故で死んでしまった。“彼”……ペーパーバーチ……僕は、思っている。自分が殺したのだ、かけがえのない親友を。……二度と戻らない、かけがえのない日々を、僕が、全て、亡くしてしまったのだ。

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>飯沼さん

僕たちに起きたことが飯沼さんたちにも起こるとは思いませんが、もしもいつか何かが起こったときは、僕や、この掲示板にご参加くださった素晴らしいスピリチュアリストの皆さんの言葉を思い出して下さい。皆、僕などより一歩も二歩も先を行っている人たちですから。

日記の再掲載の要請ですが、要請されるまでもなく過去ログはいつも掲載しています。既に公開してある過去ログを「公開するように」と命令した高橋さんもそうですが、人に何か言ったり、揶揄したりする前に、少しは調べてからにしていただきたいものです。ちゃんと見れば判りますよ、有希さんからの電話で心の道場さんはこの掲示板の事を知ったのです。僕が連絡したのはその翌日か翌々日。有希さんからの電話でここの事を知ったと言われた事を、僕はハッキリと書いています。有希さんから聞いたので、あとで見てみたという事です。何もおかしい事はありません。勝手に誤読して、他人を中傷する……そんなことを、あなた方はいったい何回繰り返せば気が済むのですか?
それから、人にものを頼むときは「おねがいします」でしょう?(^^;

ところで、とんでもない勘違いをされているようですが、僕は94年にパソコン通信を始めた当時から、一時として途切れることなく実名(フルネーム)を公開し続けています。いちおう、検索サイトで出てくるようでは困るので(バイト仕事の事まで書いているので、会社の人間に見られるのは望ましくないのです。知られてマズいわけでもないんですが)、サイト内にすぐに判るようには置いてありませんが、ちょっとインターネットに詳しい人なら少し考えれば必ず見つけられます。
現在では住所も電話番号まで公開しているということは、ここでも既に書いたつもりです。ハンドルネームのままで云々は不当な言いがかりであると抗議しておきます。

誰と誰が同一人物だのという話は、申し訳ありませんが「妄想」にしか見えません。ご自分が言っていることがどれほど重大な事か判った上で言っていますか? 「お許しいただけるでしょう」で済まされる問題ではありませんよ。間違いだったと判ったら悠々塾を解散するぐらいの覚悟をした上で言っているのでしょうね?

僕が2月のメッセージを見ていたはずだと言う話、過去ログを改竄したという話は、明らかに言いがかりです。そのような事実は絶対にありませんし、そもそも、一日に百人近い人が訪れる当サイトで、そんな嘘が通じるはずがありません。だいいち、何故そんな面倒くさい事をしなければならないのでしょう。あなたも今回の事で思い知ったはずです。僕は、あのような不当な事を書かれたら絶対に、徹底的に反論する人間です。どうして何ヶ月も気付かなかったふりをすると思うんでしょう? 少なくとも、僕を少しでも知っている人なら、あなたの言った「改竄説」など一人も信じる者はいないと思いますよ。この件に関しては、謝罪と、訂正を要求します。

もひとつ、本から転載されるなら、出典を書いて下さい。シルバーバーチの霊言を転載しておいて「メッセージ」などと言ったら、高橋さんのように知らない人は、それが悠々塾のメッセージと勘違いします。

で、結局、正男爺さんが誰だと思ってるんです? Tor氏との件って何?

どうぞ、「いつか」とは言わず、今すぐにでも悠々塾のウェブサイトにこの掲示板のログを転載して下さい。もちろん、掲示板の設置やら過去ログの作成には膨大な手間がかかっていますが(^^;、別にこれは自分の掲示板だなどと言うつもりはありませんから。一人でも多くの人に見ていただいて、飯沼さんや堀江さんが、いかに汚い言葉を吐いているか、「汚れた言葉」「歪んだ想念」にまみれているか……あなたがたの仲間でも、少しは気付く人もいるかもしれません。

>吉崎 建さん
少し言葉遣いが気になりました。せっかくなるほどという事も書いておられるのに、単なる罵倒の言葉で台無しになっているのが残念です。まぁ、僕もあまり人の事は言えないのですが(^^;。

>正男爺さん
面白い方ですね(失礼)。有希さんは言葉の暴力と思われたようですが、ちょっとキャラが強いだけで(^^;、僕は正男爺さんの仰る事は概ね正鵠を得ていると思っています。特に「マトコメはやめなはれ」という部分は……ホントに。反省してます。でも、たぶん反省するだけで直らないんですけど(汗)。
「やんちゃ坊主」なのも、たぶん今でも変わってないんじゃないかと……それにしても、飯沼さんと同じかぁ……ううむ。

またお暇なときにでも、スピリチュアリスト掲示板の方にも書いていただければ嬉しいです。今後とも宜しく。

>もりふみさん

僕も、もりふみさんと並び賞されるとは光栄至極です……たとえ「こざかしい」という評価であろうとも(笑)。当掲示板での数々の的確なご発言、ありがとうございました。

>祐造&さきさん

嘘を言われたら否定するのは当然でしょう?

「メッセージ」の内容の間違いもさることながら、違っていることを指摘されたときの対応こそが批判されているのですよ。明らかな間違いを指摘されたにも関わらず、それを相手の「かげり」の所為にして認めなかった……あなたの仰る「硬直した、排他的な姿」頑迷な姿を、僕は悠々塾とその信者たち(と敢えて言っておきます)にこそ見ている事、そしてそれを何度も指摘し続けていた事をお忘れ無く。

>東方朔さん

正直言って、ほとんどの霊能者なら「完璧に当たった!」と大言壮語しかねないほど当たってます(笑)。本のサイズは仰る通りで、2冊が文庫、1冊は新書です。「大きなカバン」というのも、まぁ、多少は引っかけというのはありますが、大きなリュックか、小さな本3冊でも入らないカバンか、どっちかしか無かっだけだったりします(苦笑)。でも、見透かされちゃいましたね。

正解の書名を挙げましょう。
●「いやいやながら医者にされ」モリエール作 岩波文庫
 17世紀の有名な喜劇です。実はこの著者のモリエールの石膏像を美術系の学生なら必ずデッサンするんです。もちろん僕も何度も描きました。だから、これは美術関係と言って良いかもしれません。……こじつけ臭いですが。
●「朱子学と陽明学」島田慶次著 岩波新書
 これは外れだなぁ。
●「若きサムライのために」三島由紀夫 文春文庫
 こう言うのは抵抗がありますが……間違いなく右翼系ですね。ええい、大負けしてこれも当たりだぁ。

スティーブン・バクスターは、実は入れようか迷っていたものです。でも、つい最近「好きだ」と書いたような気がしたので止めたのでした。

けっこう相手の嗜好を知っていれば、予想だけでも当たるものですね。

>15 Y.O.さん

聞きかじりで頓珍漢な事を言ってるね、ということです。

シルバーバーチの霊訓は「自分の行動を1から10までそれに当てはめることが」できる種類のものではありません。そのことは一度でもしっかり読んで、内容を理解されれば判ると思います。また、シルバーバーチの言葉の通りに生きようとするなら、他力本願にはなり得ません(ここらへんの事は悠々塾の方も同意なさると思います)。ぜひ、一度でも精読される事をお勧めします。

掲示板の事はお詫びします。投げやりなつもりではなくて、まさか自分に出来ない事を他人に要求しているとは思わなかったので……。僕はもう意味がないと思うので閉じますが、必要と思う人はどうぞご自分でやって下さいということです。インターネットとはそういう世界だったはずですが(すくなくとも僕が始めた6年前から、つい最近まではそうでした)、今はそうでもないのかも知れませんね。寂しい事です。

>TMHさん

ううむ、僕は賛成できないところも多々ありますが、まぁ、最後の落とし所としてはこんなものかなと思いました。なんか身も蓋もない言い方でごめんなさい(^^;。ありがとうございました。

>Mr.しろさん

ホントに間に合って良かった(^^)。

それにしても、どうしてMr.しろさんを心の道場の方と間違えるかなぁ。雰囲気も何もかも全然違うのにね。多分、スピリチュアリズムの考えとしてスタンダードな意見を述べる人は、彼らには皆同じように見えるのかも知れませんね。それだけ彼らの説く所が一般的なスピリチュアリズムとかけ離れているということですが。


ま、こんなところです。約一カ月の間でしたが、ご発言くださった皆さん、ありがとうございました。まだ何か言い足りない事がある方は、悠々塾さんの掲示板か、お互いにメールでのやりとりでお願いします。では、また面白いテーマがあれば、ここでお会いしましょう。スピリチュアリスト掲示板もよろしく!(悠々塾関連以外の話題でね(^^))

それでは、ごきげんよう。

http://www.paperbirch.com/

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1165 高橋さま
名前: 彼岸(悲願)花  投稿日: 2001年09月21日 (金) 00時17分06秒

「悠々塾にはほんとうに美しいものをみせていただきました」
よろしかったですね。
でもきっときっとシルバーバーチもお読みくださいませね。

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1164 様々あって
名前: うさぎ  投稿日: 2001年09月20日 (木) 23時55分37秒

管理人さん掲示板の特設、そして管理お疲れ様でした。

この期に及んで物申すことはありませんが、
シルバーバーチも様々な読み方・捉え方があるものだと、
痛感いたしました。

しかしその一人一人の霊性も神・霊界のよりよい道具としてありたいという、
真摯な思いと行いに応じて進化向上していくものですよね。

地上のモノに依存しすぎることなく、
霊的な視野を広く持ってゆけるように努力したいものです。
自戒も込めて。

大変勉強になりました。

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1163 終わりにあたり
名前: 有希  投稿日: 2001年09月20日 (木) 23時55分22秒

今回のこの掲示板上では、普段の生活の中からでは決して学べないことをいろいろ学ばせていただきました。
自分の足りなさが自分の中に浮き彫りにされると同時に、埋め合わせもまた同時に進行しているのを実感として受けとめることができ、ただただ神と霊界の所業に感謝する次第です。

その霊的なこととは別に、地上界では憶測が憶測を呼び、「冤罪とはこうして作られていくものなのか」というのを実感として受けとめる機会にもなりました。残念ではありましたが、これも自らの至らなさから発したことでありますし、良い学びであったと思います。

人の数だけ善があり、人の数だけ悪もあり、人の数だけ道が示されているのもまた実感した一つです。
その中で、導いてくださる背後の力を全身全霊で感じることができ、ただ神と霊界の道具として歩める幸せも実感させていただきました。

「同じシルバーバーチの霊訓」を心の拠り所としている人たちと、場は違えども、また道も違えども、互いに自分に与えられた役割を邁進することで、全体の成長のためにできる限り貢献していけたらと思います。

ここでのことは後に尾を引くことなく、新しく出発したいと思っています。
皆様、ありがとうございました。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98)ppa4189.wbs.ne.jp


1162 ありがとうございました。
名前: 高橋  投稿日: 2001年09月20日 (木) 23時04分28秒

最初は外から眺めているだけのつもりが、
「部外者」のくせにいろいろ余計な口出しをしてしまいました。
気分を害された方には、申し訳ないと思っています。

意見が異なる方も含めて、貴重な勉強をさせていただいたことに感謝します。

そして悠々塾さん、本当に美しいものを見せていただきました。
素晴らしいメッセージの数々、正直言って、ネット上でこれほど深く高度な
「メッセージ」が読めるとは思っていませんでした。しかも現在進行形で。
「霊界通信」というものへの見方が変わりました。
このご縁は大切にしたいと思っています。いずれそちらの掲示板にも伺うかもしれませんのでそのときはよろしくお願いします。

ペーパーバーチさん、あなたの存在がなければこういう展開にはならなかったでしょう。
私は、中国革命が成就したとき日本軍に感謝した毛沢東のような気分です。
今現在世界を不安に陥れている出来事も、長い目で見れば、来るべきよりよきものへの準備のような気がします。

夜明け前の暗闇は最も深い。

どうもありがとうございました。

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1161 メッセージのご紹介
名前: 宮崎 護  投稿日: 2001年09月20日 (木) 22時53分30秒

 悠々塾に無断で、まことに勝手とは思いますが、どうしても皆様にご紹介しておきたいメッセージがありましたので、「天地悠々」からその一部を転載させて頂きます。

○霊界側からの働きかけはあなた方もご存じのように、今に始まったことではありません。今までも「霊界通信」の形で、その時代に必要とされる「霊的真理」が伝えられてきました。その目的は、その時々で人々の目を曇らせているものを払拭し、人々が地上人生をより喜びの中で生きていけるよう(つまりは人々の目覚めを促し、意識を変えていけるよう)というものでした。その教えはどのくらいの時を経ても輝きを失うものではありません。愛と真実・真理に貫かれたものはいつの時代でも輝き続けるものです。
 そこに人々は感動し、救われ、希望を見るのです。しかしそれがその後の「その人」にどう位置づけられるかが問題です。そこで得た喜びを、さらに推し拡げ、自らを貢献の道に進ませていけるとすれば、その人は「本当の意味で」救われ希望を手にしたと言えるでしょう。しかしながらそれとは逆にそこで喜びを得たことがその人の「かげり」を深めることになったり、新たな「かげり」を持つに至る場合が往々にしてあるのです。
 非常に残念なことですが、いわゆる「霊的な世界」「霊的なこと」は今はまだ「特別なもの」として見られ、扱われています。この「特別な」という意識が問題を生じさせるのです。普通の人と違うことを知っている自分、に多くの人は意味を見出してしまうのです。そしてそれは、自らを戒め、謙虚さを増すために学ぶのではなく、知識をひけらかし、あるいは知識の量を自慢の種とし、また、「知っている自分」を喜ぶため、と歪んでいくのです。自分の暮らしと「机上の学習」「論議」とは切り離されているにもかかわらず、自らの学びが進んだかのように錯覚していきます。
 霊界側が意図したものは、そうではありません。知ることと実践とは一つのものとして、その人の歩みの両輪として位置づけてもらわねばならない。そうでなければ「知識を得ること」の意味はありません。言動に反映させてこそ、自らの心が学んだことに添ってこそ、なのです。
 あなた方が今回関わった人々の多くが、その泥沼にはまり込んでいました。本来「人の持っている心」をより輝かせているはずの人達です。多くを学んだ者ならば、その姿をもって、さらに人々に伝え、広めて行くはずです。しかし彼らが見せた姿は全く違ったものでした。輝く真理を私(わたくし)し、保身や自己肯定に使ってしまう、自らの不十分さを改めていく方へ心を向けようとしない、今にとどまることしか思えない。それはまさに幽界的エネルギーに満ちた心の世界です。
 霊界側からの働きかけは、今そのような状態をつくるためになされたのではありません。それを知るはずの者でさえそうなのです。今の地上界全体は、「霊界通信」など知らぬ者が大多数です。「霊的真理」という限られた世界を必死で守ろうとするのではなく、今目の前にいる人に手を差し伸べることの方が、よほど「霊的に」進んでいる、と言えるのです。
 「地上界の浄化」を目的として私どもの霊団は通信を送り、働きをなす者を支援します。その「浄化」は全てに及ぶのです。たとえ、「霊界通信」によって「霊的真理」を知っている者であっても、例外ではありません。いいえ、知っているからこそなおさら一層の責任が伴うのです。それを知る者たちに、地上界の浄化の本質を改めて伝え、本来の目的を再認識してもらうこと、そして、彼らによって誤った認識を持ってしまっている人々に「本当のこと」を理解してもらうこと、その意図があってのことです。相手にしていたのは彼らではありますが、むしろその後ろの声を上げぬ多くの人々が対象の働きかけでした。何が本物か、本来のあり方、この先の進み方、を知ってもらう好機でした。

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1160 皆様へ
名前: 飯沼&堀江  投稿日: 2001年09月20日 (木) 22時42分43秒

この掲示版を読んでくださった皆様へ

『悲しいかな。あまりに多くの人々が暗黒の霧に取り巻かれ、人生の重荷に打ちひしがれ、病める身と心と魂をひきずりながら、どこへ救いを求めるべきかも分からずに迷い続けております。私どもはこうした人々に救いの手を差し延べなければならないのです。
もしも私どもが霊性の開発が容易であるとか、暗闇の中にささやかなりとも光明をもたらしたいと願う人々の仕事が楽に達成されるかのような口を利くことがあれば、そのこと自体がすでに私どもの失敗を証言していることになりましょう。決してそんな容易なものではありません。歴史を見てもその反対を証言するものばかりです。真理と誤謬とがいつ果てるともない戦いを続けております。たぶん「完全」が成就されるまで続くことでしょう。しかし完全ということは事の性質上絶対に成就されることはありません。その意味で私どもは長く困難で苦労の多い仕事に携わっているわけです。
これより先がどれほどの偏見と反感と敵意と誤解と迷信と故意の敵対行為に遭遇しなければならないかは、あなた方には想像もつかないことでしょう。怖じけづかせようと思って言っているのではありません。事を成就するためにはそのあるがままの背景を理解しておく必要があるからです。私にはその大変さがよく分かるのです。
これまでも私は可能な限りの力を駆使して、克服不可能と思われた障害を克服して、あなた方の世界に近づいてまいりました。私ひとりの力ではありません。私は地上へ戻るべく選ばれた霊団の一人です。なぜその必要があるのか。それは今、地上人類に降りかからんとしている苦難があまりに恐ろしいものであるために、霊界の力を結集して地上のあらゆる地点に橋頭堡を築かなければ、人類自らが人類を、そして地球そのものを破滅に陥れることになるからです。』


上のメッセージを改めて心に刻みなおす機会となりました。
「霊的真理」を知って、実際に日々をどう生きていくのか。
何を動機とし、どんな言葉を発し、どう行動していくのか。
生きることは意志すること。

長い間お騒がせ致しました。
宮崎さん、高橋さんありがとう
いつか会える日を楽しみにしています。

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1159 ペーパーバーチさんへ
名前: 飯沼正晴  投稿日: 2001年09月20日 (木) 22時40分37秒

ペーパーバーチさん、

長い間と言うべきかどうかは分かりませんが、わざわざ特設掲示板まで設けていただいて、お手数をおかけしました。
あなたは今年の2月23日に悠々塾の掲示板に掲載した、あなたへのメッセージを実は、読んでいましたね。(あなたの掲示板にその旨を短く書き込んだはずなのですが、先日確かめたら欠番になっていました。そのときは2月3月分の過去ログで続き番号になっていて、欠番が分かりやすかったのです。しかし、私が「投稿で知らせたはずだ」と言った後、あなたは過去ログの組み合わせを変えて、分かりにくくしたのです。掲載の数日前に、有希さんの掲示板で予告もしていたし、あなたが読んでいないはずはないのです。2月に彼女の掲示板でやり取りしているときは、あなたはその「事実」を知っている様子は全くなかった。あなたへのメッセージを読んでから「事実」を誰か〜有希さんか道場の人〜に教えられ、愕然としたのでしょう。)その後長い間あなたは沈黙しつづけました。素直に詫びることのできないあなたにはそうするしかなかったのでしょう。そして、やはり有希さんの掲示板上での私のコメントを読んで、「知らなかったこと」にして、それを逆手にとろうとした。それで、あんなにも大騒ぎをする事になった。何が何でも私たちを否定するしかなかったのです。先生のことを「中傷」などしていないのに、「中傷だ」と決め付けるしかなかった。あなたの姉のような〜と彼女が言っている〜有希さんは、あのメッセージを、「厳しいけれどそのとおりですね。K氏の成長を祈ります。」とメールをくれました。あなたのことがほとんどを占めていたメッセージを読んで、です。
あなたは自分の立場がなくなるのを恐れて、人を陥れ、罵るしかなかったのです。ありのままに、事実に向き合えなかっただけのこと。その意味ではあなたはやはり臆病であり、卑怯であり、偽りにまみれています。
しかし、2月3月の長い沈黙があなたの心の繊細さと正直さを示しているのでしょう。
今回のやり取りにおいても、私があなたへの長い手紙で、先生への私の思いを綴ってからしばらくの間はあなたは沈黙していました。
実際、あの手紙は私の心全てを尽くして書きました。一点の偽りもありません。(玉石混交を混合と打ち間違えましたが)
あの後のあなたの沈黙、そしていまだにあの手紙に触れないこと、それが私にとっての救いであり、あなたに対する希望のよりどころです。
あなたは本当は心こまやかで、正直な人なのでしょう。口汚く罵り、余裕がありそうに見せながらはっきりと怯えていて、偽りを重ねつづけている今の姿からは想像がつきにくいですが。

この掲示板をどういう形で閉めようとするのか、私には分かりません。
適当に誤魔化してしまうのか、「勝った」事にするためにまた偽りを重ねるのか。
いずれにしても、あなたなり、あなたに都合のいいようにするのでしょう。
しかし、「本来のスピリチュアリズムの目的である地上界の浄化を基準に、公開の場で、全体を総合的に検証すること。それにあなた方も実際に立ち会うこと」を、私たちが要求していることをお忘れなく。私たちが逃げることはありません。ですから何か言いたいことがあれば、陰で言わないで、どうぞ直接言ってください。
そして、必ずいつかこの掲示板を読み返してください。
私は、この間のあなた方とのやり取りに満足しています。あなた方から向けられる、さまざまな汚れた言葉、歪んだ想念に、さほどは心翳らせず、放棄することもなかった。
そして、人としての道を提示することができたと思っています。不十分ではあれ。
ペーパーバーチさん、いい機会を提供してくれてありがとう。
この土曜日は、悠々塾の定例会。やっといつもの自分に戻れます。

この掲示板は「悠々塾問題」という名を頂戴しました。私たちには何の相談もなく。
よって、悠々塾のHPに、いずれ転載する権利があるものとしてよろしいですね。
ペーパーさん、またいずれ。

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1158 Mr.しろさんへ
名前: 飯沼正晴  投稿日: 2001年09月20日 (木) 21時05分23秒

Mr.しろさん、

私はあなたのことを、心の道場の主宰者だと断定してはいません。
しかし、今も疑念は持っています。
ペーパーバーチ氏や有希さんが、「心の道場の人は、この掲示板でのやり取りを知らないんじゃないか」と、やけに強調しているからです。しかし、更新されてしまった彼の日記には、道場の人がこのやり取りを知っていることがはっきりと書かれていました。有希さんは「何も言わずに、ただ詫びた」と、相当に不自然なことを言い、なのに、ペーパー氏は道場の人が「有希さんから話は聞きました」と彼に言ったことになっています。その方が自然です。
ならば、明らかに道場の人は、「知っている」のに、なぜ、「知らないこと」にしなければならないのでしょう。
そこに何か表には出せない事情がある、と感じます。

一方、あなたは「何度も霊媒の検証に立ち会ってきた」と言っています。相当の役割を担っておられることが覗われます。「約10年前にシルバーバーチに出会い、今までの価値観が一変した」とも。今回の投稿では、まだ学び始めたばかりのように書いておられますが、話が食い違っています。しかも、今まで何度も「検証」に立ち会ってきたと言うのに、私たちに関してはペーパー氏に立ち会うように振ったり、他団体の名を持ち出しています。なぜ、あなたが直接立ち会って、「完全否定」しようとはしないのでしょう。最初から、あなたはその姿を私たちの前に現すことを避けている。また、あなたの仲間たちはなぜ「公開の検証で完膚なきまでに却下してしまおう」と言わなかったのでしょう。「その価値もないから」、ですか? しかし、あなたですら「スワッハーが検証すれば、その大半は却下するでしょう」という意味のことを言っておられる。あなたですら「全部却下」とは言わなかった。検証する価値はあるでしょう。それに、ほんの数年で、しかも働きの傍らに・一万枚のメッセージを受信した霊媒がいるのです。あなたが目にしたのは、そのうちのごくごく一部に過ぎません。(内容的にもです)。何度も検証に立ち会ったあなたならば、興味はあるでしょう。しかも、私たちとあなたとは、シルバーバーチを共通項にしています。だからあなたは許せなかったのではないのですか。公開の検証を避け、あなたが立ち会わないのは極めて不自然です。
依然としてあなたにも疑念は残ります。
あなたが「違う」と言っても何の意味もありません。
正男爺のこともあります。(あの人が誰なのかは、判明しました。)

あなたの話でしたね。
だから、無責任なハンドルネームではなく実名で、と言っているのです。
そして公開の、総合的な「検証」にあなたも立ち会う責任があると伝えています。
あなた方は、架空のネット上で自分の言いたいことを主張しているだけです。
お互い自分のしていること、言っていることの責任をもつために、公開の検証を改めて提案します。
あなた方と、私たちの検証を。
日本のスピリチュアリズムのためにも、この際はっきりとさせておきましょう。

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1157 最後に
名前: 堀江克子  投稿日: 2001年09月20日 (木) 20時47分41秒

 数年前、ふと手にした「シルバー・バーチ」。そこに綴られていた霊媒を励ます言葉に触れた時、私ははじめて「自分は霊媒として生きる」と断言できました。(それからは、受信時には堀江を名乗っています。理由は「地上人類の歩み」に書きました。正男爺さんの想像とは経緯が違います。あしからず。)
 癒しの働きに足を踏み入れることになった8年前、飯沼から薦められたのがシルバー・バーチとの出会いになりました。それまでの私の人生においては、魂を揺すぶられるような強烈な経験はありませんでしたが、読んでみると、とうとうと流れる大河に身を浸しそのなかに溶け込んで全てを委ねられる、「ここに在ること」の一切が許されている、そんな大きな安心に包まれるかのようでした。私は信奉者ではありませんが、自分たちの働きの出発点であり、目指すところと思っています。
 
 私たちを導く霊団が繰り返し求めるのは「意志すること」です。今回の地上界の浄化が非常に険しい道程であり、しかもそれを遂行するのは地上に生きる私たち人間だからこそ、それが不可欠なものなのです。そして、人間の心の浄化こそが地上界の浄化だと私は思っています。シルバー・バーチの言う地上に蔓延する不正、偏見、差別、憎悪、妬み、悲嘆、恐怖、・・・は人間の心にあるものだからです。それが結果的にかたちとなって、人々の苦悩となり、また自らを縛るものともなっている。ならば「地上界の浄化」を意識に上らせている人こそ、率先して「意志」して自分の心を振り返り、奥底にある澱んだ部分を正面から見、越えていくしかないのでしょう。しかしそれがどんなに難しいことか(まして自分以外から指摘された時には)、多くの人を見るまでもなく、私自身が重ねてきたことだからよく分かるのです。
 今回の関わりは、正直言ってため息の連続でした。認められないから、受け入れられないから、否定されるからではありません。人はここまで心を濁らせてしまうのか、ここまで偽ることができるのか、そのおぞましさがたまりませんでした。
 「ため息は不要です」「信ずるべきは人の心」と霊団からは教えられています。それに心を沿わせながら受信を続けることが私にできる関わりでした。
 この投稿でそれも終わりです。この掲示板は保存されるとのことですから、あとはそれぞれの方々が、ご自分のかいたものを読み返し、ご自分の姿をご覧になり、そこにあらわになっている「かげり」に向き合えますようにと祈るばかりです

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1156 最後の一言、間に合った
名前: Mr.しろ  投稿日: 2001年09月20日 (木) 19時34分45秒

飯沼さん! 最後の最後で大きな汚点を残してしまいましたね。あなたはシルバーバーチが、首都圏の研究職者の中に、すごい勢いで浸透している実態をご存じないようですね。またシルバーバーチがかつての日本心霊科学協会の流れをくむ人々の中に、息吹を吹き込み、ハイレベルでの新しいスピリチュアリズムの展開を引き起こしていることを全くご存じないようですね。私のような人間が集まり、シルバーバーチの読書会をもち、霊的真理を学ぶことが、ひそかではあっても今や当たり前のことになりつつあるのです。
 あなたは「それはもしかしたら、Mr.しろさんとも関係しているかもしれません。もしも、しろさんが、道場の主宰者なら、それはMrs.しろにならなくてはなりません 」と述べています。??? 私は心の道場のニューズレターの愛読者で、そこから大変多くのことを学ばせていただいております。生きたスピリチュアリズムとはどういうものか、初めて納得させていただき感謝しています。で、残念ながら、私は、あなたが邪推しているような心の道場の主宰者であるはずがありません。あなたは何とかして、私が誰であるのかを知ろうとしていたようですが、以上のようなことです。あなたの感ちがいは、私にとっては誠に名誉なことなのですが…。
 私は仲間と力を合わせて、自分たちにしかできない独自のスピリチュアリズムへの貢献をしたいと思っています。私が定期的に付き合っているスピリチュアリズム仲間にあっては、私程度の論理展開とスピリチュアリズムの内容は当たり前のことなのです。そうした仲間と話し合いをすれば、これまで私が投稿文で書いたような内容などは、日常的に生まれてくるものなのです。事実、私の投稿文の半分近くは、自分以外の者の意見をヒントにしています。飯沼さんは、こうした人間が、あなたの知らない所で数多くいることを覚えておいたほうがいいですよ。いやおうなく謙虚にならざるを得なくなります。
それに私は、ペーパーバーチ氏や有希さんとは会ったこともないし、顔も見たこともありません。掲示板だけのお付き合いで十分なのです。
飯沼さん、最後にきて大失態を演じてしまいましたね。
飯沼さん! 前にも言いましたように、将来あなたとスピリチュアリズムの同志として心から交流することができる日がくることを願っています。最後に間に合ってよかった。

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1155 最後はスッキリ終わりたいよね
名前: 宮崎 護  投稿日: 2001年09月20日 (木) 16時50分54秒

正男爺さん、ほんとは誰なのあなた。

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1154 正男爺さんへ
名前: 飯沼正晴  投稿日: 2001年09月20日 (木) 14時59分56秒

あなたが知っていることは、悠々塾の掲示板を読めば分かることばかり。それとおそらくはそちらでしているウワサ話。事実を知らないからこその。
私たちがあなたに短いメールを送ったのは、全くほかの理由から。
メッセージを送るなんてとんでもない。考えてもいませんでした。第一、もしも私たちがそんなつもりなら、メールでなんて送らずに、この場で公開するでしょう。こじつけの、苦しい言い訳ですね。それにしても、個人メッセージによほど引っかかりがおありのようですね。
偽のアドレスを書いたのは、私たちをコケにするためではなく、投稿の信憑性を高めたかったから。偽だとバレれば、非難されるのが分かっているのに、それを承知で偽アドレスを書いたりはしない。

あなたはスピリチュアリストを名乗っていないかのように言っているが、高橋さんには「スピリチュアリスト同士の話に口をはさむな」と言っています。あなたがスピリチュアリストを自認しているからこそ出た言葉ですね。
あなたは、数年前の「天地悠々」を読んだか、その頃に読んだ人の話を聞いていますね。そして最近の2年くらいのものは知らない。
わずかな限られた情報から、当て推量すると、その情報源まで分かってしまいます。

正男爺さんとやら、もういいのではないですか。
感情をコントロールできなくなっているのはあなたですよ。
林さんの投稿をもう一度静かに読んでみてください。
もちろん、シルバーバーチの霊訓も。

時間がないのでこれにて失礼。

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1153 取り急ぎということなので
名前: 15 Y.O.  投稿日: 2001年09月20日 (木) 13時41分31秒

>「あなたのご投稿に書かれている「スピリチュアリズムの考えを利用した
>「新興宗教」まがいの活動」、というのは、悠々塾のことも指しているので
>しょうか?

この掲示板にたどり着く前に感じた問題点です。
悠々塾はこの掲示板で初めて知りました。
そして、大きな興味を持てないまま終わってしまいましたので、ホームページのほうは読ませていただいておりません(掲示板の方はチラッと)。

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1152 林さんの投稿に感動!!
名前: 宮崎 護  投稿日: 2001年09月20日 (木) 13時28分02秒

■林さんへ
 直接お話しするのは初めてですね。投稿された文章を読んで、そこから感じられるあなたの生き方の誠実さ、真摯さに感動いたしました。また僕の先生が一人増えました。今後とも宜しくお願い致します。

■15 Y.O.さんへ
 あなたが男性なのか女性なのか存じ上げませんが、今後とも互いに高め合って行きましょう。この掲示板が閉じられた後も、僕はときどき悠々塾の掲示板の方にはお邪魔するつもりです。もしよろしかったら、あなたも参加されませんか。林さん達も歓迎して下さると思います。
15 Y.O.さんwrote:
|最近興味を持ってスピリチュアリズムに傾倒していく過程で、私は
|疑問に感じることが出てきました。一つは、シルバーバーチの言った
|言葉を一言一句分析をしていって、自分の行動を1から10まで
|それに当てはめることが「霊性の向上」につながると信じておられる
|ような方々の集団に対する疑問です。
15 Y.O.さんの仰ることに、ほぼ同感です。ほぼ、、と申しましたのは、僕はシルバーバーチの言葉を自分の全生活に反映させる努力は必要だと思うからです。しかし、その半面「教条的」になり過ぎたり「排他的」になることは、まずいことであると思います。この掲示板でも、通信霊がその点を指摘している部分があります。時間があったら過去ログをご覧になって下さい。既往のスピリチュアリズムに最も大きく欠落してしまっている部分は、「経綸」と「ミソギハラヒの理」です。ご参考までに。

■アラムさんへ
 昨日は眠くなってしまい、いきなり途中で文章をうち切ってしまいました。ごめんなさん。一つだけアラムさんに申し上げておきたいことがありました。それは、「真理は魂で感じ取るように!」ということです。非常に抽象的すぎて恐縮ですが、アラムさんは学問的に真理を求めていらっしゃるように、僕には感じられます。左脳の活動を少し休ませて、身体全体で真偽を感じ取っていくようにすると全体がよく見えてきます。ますます抽象的になってしまいましたね。_(._.)_

■TMHさんへ
 なるほど、着眼点がするどいですね。今後ともよろぴくお願いします。

------------------- ------------------- ------------------- -------------------
それにしても何かがへんだ。。。何か隠されている事があるような気がしてならない。。

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1151 これでおしまい
名前: 正男爺  投稿日: 2001年09月20日 (木) 13時04分35秒

もう出んつもりでいたけど、あんたのあまりの迫力に出てこんといかんくなって、しぶしぶ出ることにしたわ。
しかし、飯沼さん、あんたホンマのこと書かれたもんで頭が煮えたぎってるんやな。ホンマに墓穴掘るのが好きなんやなあ。思い当たることなければ、あんなことは書けへんもんな。ワシ、あんたが書いたの読んだ時、寒ぼろ出たわ。あんたの怨念は低霊能者級に強いわ。それに頭のええ人とは聞いてたけど、確かに頭はよう回る人やな。あれもこれもよう引っ掛けて書きよったわ。アホらしゅうてワシはもう笑いが止まらんで。

言うとくけど、まず、ワシとあんたは面識はあらへん。ここに登場してた人や、話題に上った人たちとの誰とも面識はあらへん。せやけど、あんたの友達の友達(やと思うけど)、その人とか、もう一人の人からいろいろ聞いてたんや。いつからかなあ。そやそや、堀江さんがまだ長谷川さんて言うてた時ぐらいからや。せやからあんたらのことはよう知ってるって言ったんや。あんたの奥さんにはワシは同情するわ。

> あなたは、悠々塾のことなど実際には何も知らない。

昨日なに食べたとか、どんな服もってるかとか、そういうのはそりゃあわからんわ。

> あなたは私をよく知ってはいない。あなたが当て推量で書いていることが、当事者の私たちにはわかるのですよ。
下手な占い師の手法ですね。

当て推量はどっちや。ワシのことだけじゃのうて、隅から隅まで、他の人のことまで何でもかんでも引っ掛けて考えとんのはどっちや。

> そして、私たちは「多くの人を救った」、などとも言っていない。
> (これは高橋さんにも伝えなければと思いながら、後回しになっていたことだ。)

そうか。ということはほとんど救ってえへんちゅうことやな。よう人を救えんことを本気でしてるなあ。感心なこっちゃ。まあそれも謙虚に言うてるつもりなんやろけど。

> それに、メッセージに対する信頼は圧倒的だ。そこに提示された自分の課題に沿いきれない人は少なくないにしても、あなたのように言う人はほんの数人で、その人たちのことを私たちも覚えている。あなたは私のことを知らない。

ハハハ、知らんは己だけか。

> 通信の受信も、自ら求めたものではない。自分がこんなことをするようになるなんて、思ってもいなかったし、願うどころの話ではなかった。

低級霊の言うままになっとるっちゅうことやな。なんで拒否せんかった。

> こんなことを言ってもあなた方には何も通じないのだろうが。

あんたの一生懸命さはわかるで。せやから、一生懸命に間違うてることしてへんか、と書いたんやけどな。

> 私たちを導く霊団は、ドラえもんの四次元ポケットではない。
> Mr.or Mrs.しろ。 あなたはもっと分かっている人なのに。

なんでここでドラエモンとMr.or Mrs.しろが出てくんのや。話がバラバラや。ワシに話してるのか、ドラエモンに話してるのか、Mr.or Mrs.しろに話てるのか、ちゃんとしてくれんとようわからん。

> ・まず、静岡県からの発信であること。

それは一番下を見たらすぐにわかるわな。今たまたま静岡におるから静岡から発信してるのはホンマや。せやけどワシの住所は静岡やないで。あと1週間はここに居ないかんけど、その後は自宅に帰るよって。今日はちょっとヒマやから書きこんでるだけや。

> ・有希さんに対して、私が「本当のことを言わねばならない」と伝えたことが、よほど気になっていること。

誰が読んでも、あれはイジメやないか。昨日もまだ「変だ」って書いてたなあ。しつこいのもここまで来ると表彰もんや。

> ・スピリチュアリズムに誇りを感じていること。

誇りとちがうで。好きなだけや。好きやけど、ワシはスピリチュアリストと言える事はなんもしてへん。そんなこと言うたら、他の人に申し訳ないさかいにな。

> ・シルバーバーチを熟読していること。

ああ、これは好きやからよう読んどるで。

> ・霊能力が自分にはあると言いたいこと。

もちろんや。

> ・霊格が、高い低いにこだわりが強いこと。人を比べたがること。

これはワシの欠点や。こればっかりはなかなか治らんな。見えるもんで仕方ないんや。あんたが一番邪魔に思うてるところは透明でキラキラした光が見える。全然くすんでえへん。もうひとつの霊団もそれに近いな。あんたの仲間の一人は岡田茂吉とよう似た色しとる。たぶんその系列やろ。そして、あんたんとこのメッセージはそれとは違う色やけど、ちょっと近い色してるな。せやけど、濁ってるで。見たくなくても、見えるもんは仕方ないわな。

> ・「ある女」についてすぐに思い当たること。

あんたが心の道場を眼の敵にしてることがわかれば、いくらアホでも霊能力がのうてもそれぐらいはわかるやろ。ワシ「ある男」の方は外れたんかいなあ。

> ・あなたの思う「ある女」の出している「ニューズレター」なるものを愛読し、大きく評価していること。

もちろんや。ホンマにあれはええなあ。

> ・しかも、あなたの思う「ある女」と私とが電話で話したことがあることを知っているかのようだ。

これは違うな。あんたの好きな推測や。むこうさんとあんたが会った事があるかどうかはわからんけど、あんたのことやから、電話ぐらいはしてるんとちゃうかなと思ったまでや。霊眼でもそう見えたけど、確証はなかったさかいそう書いてみたんや。これは当たったな。

> だが、意趣返し、などをする気などさらさらない。

意趣返しどころか、これを執念深いというんや。この執念深さは早い内に乗り越えといた方がええで。せやないと地縛霊になるで。あんたらにメッセージを送ってきてるのも、やっぱ似たようなヤツらやな。どや、こんどワシがあんたらへのメッセージ下ろしたろか。

> それとは別に、しろさんのことで引っかかっていることがあるのだ。

それと、なんでここでしろさんが出てくんのや。あんた、頭に血い上ってて、話に脈絡ないなあ。

> ・正男爺は、メッセージについてかなりのこだわりをもっている。

こだわってはいいへんけど、どろどろしてるさかい気色悪いんや。ある程度高い霊からなら包むような温かさがあるんや。力がもらえるんや。自信を持たせてくれるんや。せやけど、あんたらのメッセージは丸っきり逆やないか。冷とうて、力が削がれて、自信がなくなるもんなあ。

これを読んでる人たち、よう覚えといてや。林さんも書いてたやないか。

> 私も厳しいメッセージが寄せられたとき、反感と反発を強く覚えました。検証するどころの気持ちにはなれませんでした。それこそ中傷・否定的な言葉として受けとめてしまい、自分の人生を否定されるような思いで自分を顧みることなどとてもできませんでした。

ってな。ええ霊からのはこんなふうには感じいへんもんや。ええ霊はその人に力を与えてくれるもんや。信頼関係も何もないうちから欠点は上げつらわんで。それに、もっと気い長いし、どっちかの味方になるようなことは言わへん。最後のメッセージがええ例や。あれはなんや。自分たちに好意的な人のことはええふうに書いてあって、他の人たちのことはぼろくそや。これがええ霊からのものやて? 笑わさんといてや。

それと、確かにメッセージは堀江さんが下ろしてるみたいやけど、あんたの顕在意識と潜在意識も知らんうちに読んでるんやで。なんで気いつけへんのや。共鳴するっちゅうのはそういうことや。ワシのたった1日だけの書きこみを読んでこれだけわかるあんたや。これがメッセージになった時はあんたの顕在意識が読まれてることになるわけや。そいで、あんたのそういう顕在意識に共鳴する程度の霊がそれに乗っかってるということや。

あんた、なんでワシにメール送ったんや? ワシと話がでけたらメッセージを下ろせると思うたんやろ。あんたなら絶対メールを送ると思うてたもんな。そう思うてワザと違うアドレスを書いといたんや。すまん。引っ掛けて悪かったな。

せやけど、林さんも宮崎さんも他の人たちもええ人たちやなあ。それだけ変なメッセージをもらうても、一生懸命ええふうに受け止めようとしてるもんなあ。あんた、死んでからその人たちになんて詫びを入れるんや。

飯沼さんが悪い人やて言うてるんやないで。人間はええ人や。ワシよりもずっとええ人や。ワシは今まで何もええことしてこんかったからなあ。せやから、飯沼さんて人はみんなが人間として付き合うて行くぶんには勉強になるわな。堀江さんも人間はええ人やで。せやから利用されよるんやけどな。

> ・あなたの言うことはなぜか、有希さんが今まで言ってきたことと重なっている。

そりゃあ、ここの掲示板をずっと読んでたさかいにな。重なってるからいうて何を言いたいんかいな。引っ掛けて考え過ぎや。

> (余談だが、

またここで脈絡のないことが出てきよった。よっぽど有希さんのことを根に持ってるんやな。かわいそうになあ。

> ・ペーパーバーチ氏に対してかなりの親近感を持ちながら、彼がまとめて書き込みをしたことには苦言を呈している。私の長い手紙の後、しばらくの間彼はペーパーを名乗っては投稿しなかった。(その期間に主に表面に出ていたのは有希さんだった。)
そのことに、正男爺は引っかかっているのか。

ペーパーバーチさんのマトコメは有名や。ずーーーーーーーーーーーーっと前からそうやで。ピシッと切れのいいところはワシは大好きや。せやから、マメに書いてほしいと思ったんや。ニュースかてリアルタイムが命やしな。掲示板かて似たようなもんや。

> ここで断っておくが、私は「正男爺は××さんだ」などと断定しているのではない。

断定なんかできるわけないわな。ワシはあんたのことを知ってても、あんたはワシのことなんかなーんも知らんさかいにな。推測もでけんはずや。あんたの霊団(これはホンマに霊団かいな。ワシにはただの霊の集団にしか見えんが。)からもワシのことは見えんはずや。ワシが近くに行っても、全然気いつかんかったぐらいやから、ホンマに見えんのやろ。

しろさんに関しては高うてワシにはよう見えへん。せやけど、どう見てもあの書きこみは男の色やで。あれが女やて? それはあんたらの推測にしか過ぎんのと違うか。しろさんがもう出てきいへんのは、アホクサなったからと違うかなあ。ワシにはそう見えるで。

せっかくこうしてあんたと話しがでけたんやし、あんたもワシのことをどこの誰か知りたがってるし、まあ、命があったらあんたんとこの掲示板にそのうち寄させてもらいますわ。ワシ、自分の死ぬ時期がわかってますんや。今は元気でどっこも悪うないけど、わかるんや。

飯沼さん、血圧と糖尿には気いつけてな。堀江さん、体を乗っ取られんように気いつけてな。
林さん、もっと気いを楽にしてや。無理して受け入れんでええからな。
ほな、この掲示板ではホンマにさよならや。暴力的な言葉やったらゴメンな。

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1150 15Y.O.さんへ
名前: 飯沼正晴  投稿日: 2001年09月20日 (木) 12時24分59秒

初めまして、飯沼と申します。

とり急ぎお伺いしたいのですが、
「あなたのご投稿に書かれている「スピリチュアリズムの考えを利用した「新興宗教」まがいの活動」、というのは、悠々塾のことも指しているのでしょうか?
もしもそうであるならば、私たちのHPの「悠々塾ってどんなところ?」等も読んでいただいた上でのご指摘なのでしょうか?

私たちは「新興宗教的」なものとは逆のものを目指しているつもりなので、意外なご指摘です。

今後の参考にしたいと思います。
どんなところがそう見えてしまうのか、お教えください。

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1149 悠々塾の皆さんへ、そして反悠々塾の皆さんへ
名前: TMH  投稿日: 2001年09月20日 (木) 11時40分03秒

15Y.O.さん曰く、

>ネット上では、草分け的なサイトのようですから、
>そこでの議論のひとつひとつが日本のスピリチュアリズムの現状を
>ありのままに投影しているようで、
>さらに、学ぶ者にとっての影響力も大きいはずだと思ったからです。
>問題点を打破するきっかけさえも期待したからです。

という言葉に触発されて、今回の「悠々塾問題」がなぜここまで大きな問題に発展したか、その原因を探ってみたいと思います。(ただしあくまで未熟なスピリチュアリストの「感想」程度に過ぎませんので悪しからずご了承ください。)

いきなり結論から述べて恐縮ですが、この問題がこじれた要因は大きく二つあると思います。

一つは「学び」へのアプローチの仕方が両陣営ではまるで違うということです。
かたや「アンチ悠々塾」の皆さん(以降「反塾側」と省略)は、歴史的にほぼその評価を確立した「シルバーバーチの通信]を至宝のテキストととして、現実社会との折り合いをつけながら知識を中心に学んでいく立場です。そこには普通「霊的体験」が介在しませんから、必然として「理性」に負うところが大きく、理論的にあいまいな部分を極端に嫌います。ですから、「悠々塾」のホームページに散見される論理の整合性の欠如が気になって仕方なく、それがひいては「低級霊」という揶揄につながってしまうのだと思います。特に「メッセージ」という慣れない表現形態を突きつけられて、混乱してしまうのだと思います。

かたや「悠々塾」側(以降「塾側」と省略)は、「塾側」の皆さんが多用する「動機」、「かげり」という言葉が端的に表しているように、実際的な学びの体験を重視されています。実際宮崎さんやさきさんのように実際「学び」の体験をされた方々にとっては「反塾側」の方々がこだわる細かな論理の破綻はどうでもよい小さなことで、なぜ「反塾側」の方々がいちいちそんな細かいことにこだわるのか理解できないわけです。

もう一つの両陣営の大きな違いは、「ネット」に対する依存度です。
「反塾側」はその活動、存在のかなりの部分を「ネット」に依存しています。というより彼らにとっては「インターネット」そのものが時間や空間を超えた「学び」の場として存在しているのです。よく考えるとこの方法には素晴らしい面と、そうでない面があります。素晴らしい面は、前述したように時間と空間を越えてお互いを高めあえる機会の提供です。実際このようなサイトがなかったら、このような問題について誰かと議論する機会は一生ないかもしれません。それに対しネットのあまりよくない点は、「ハンドル」としての自分と、実社会での自分が遊離してしまいがちであるということです。ですから「実際に会おう」「あって検証しよう」という「塾側」の呼びかけは、彼らにとっては存在理由そのものに関わるものなのです。

それに対し「塾側」のネットに対する依存度は、はからずもさきさんがおっしゃったように「広報誌」程度の小さなものでしかありません。彼らにとっては「広報誌」での印象など「実体験での学び」に較べると取るに足らないものであるのに、「反塾側」はネットが存在の全てであるからその印象で悠々塾の全てをわかってしまったつもりになるのだと思います。

このように見てくると、両陣営とも霊的な向上を希求しながら、そのアプローチの仕方やネットへの依存度が大きく隔たっているために、相手の陣営のことを相手のみになって考える余裕を無くしてしまっているのではないでしょうか。

僕も前回「花粉症」の項が気になって投稿したわけですが、その立場は前述した「反塾側」の「論理的齟齬」に対する不満の吐露にしかなっていなかったようです。もう一度細かいこと(メッセージに特有の説教口調なども含め)を気にせずに読んでみると、「アメリカのテロ」に対する呼びかけなど、なかなかいい事を書いています。(「反塾側」の皆様ももう一度素直に読まれることをお勧めします。)

だから両陣営の皆さん、お互いの方法論にはこれだけの差異があるということをしっかりと自覚して、お互いの立場にたって相手のことをもう一度考えてみられてはいかがでしょうか。そうすることによってのみこの掲示板がそれぞれの「学び」のための貴重な教材となり得るのではないでしょうか。

15Y.O.さん、宮崎さん以上のような理由でこのままこの掲示板を続けてもこの先得るものは期待できず、むしろ静かに過去ログを読み返す時期にきていると思います。したがって僕はこの掲示板は閉鎖する時期にきているという管理人さんの意見に賛成です。(単なる火事場見物の場がなくなるという方は別ですが、そんな方はいらっしゃらないでしょう。)

何かとんでもなくいいとこ取りの偉そうなことを書いてしまったような気がいたしますが、自分への反省と教訓をこめて書いたつもりですので、不愉快な感じを受けられた方がいらっしゃったら平にご容赦ください。

最後に今回のことを契機として、日本のスピリチュアリズムが益々発展することをお祈りいたします。

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1148 最後に・・・
名前: カノン  投稿日: 2001年09月20日 (木) 10時47分30秒

この掲示板が設置された時期、そして終わる時期、多くの人がこの掲示板に関心を示し、自分なりに霊的真理について考えたこと、すべては、偶然だとは思えないのです。

そして、ここに集った霊的真理を学ぶ人たちに、スピリチュアリズムとは何なのかもう一度考え直して欲しいと霊界では思っているのかも知れません。

霊的真理の根底に流れるものは、愛と協調ではないでしょうか。すべての人やものに存在する神を感じ取り、すべての人やものと協調していくこと、それが愛ではないでしょうか。
自分一人が魂の成長をするのではなく、すべての人と共に成長していくことだと思います。

私たちは、未熟であるからこそ、この物質界で学んでいるのです。
誰も、霊でも100%完璧なものなどおりません。100%完璧なのは神(霊的真理)だけです・・・。

私には、同じ霊的真理を学んでいるものどうし、心を一つに合わせなさいといわれているように感じます。
そして、今の、この世界状況に心を向けて欲しいと感じています。

今、アメリカにテロが起こり、アメリカが報復のための軍事行動に移ろうとしている時期です。私たちは、心を合わせ、正しい祈りで、霊界の少しでもお役に立とうではありませんか。

物質世界の人々の想念の力はとても大きいものがあります。
テロやアメリカの報復に対して、興味本位であったり、面白がったり、または、憎んだり、怒ったり、破壊的な想念、攻撃的な想念、そして、不安、恐怖、嘆き、悲しみ、苦しみ・・・多くの想念がエネルギーとなり霊界を覆います。
その想念は、どんどんと膨らみ、間違った霊たちのエネルギーとなり、霊界で、多くの混乱し、苦しんでいる霊のために働いて下さっている霊の方々の働きを、妨げています。

霊的真理を学んでいる私たちは、心を合わせ、昼夜無く働き続けてくださっている霊の方々に心より感謝し、心からの神の愛と共に、無私の平和への祈りをしていこうではありませんか。

今そのために、私たちは導かれているような気がしています。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/1775/

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1147 掲示板終了にあたって
名前: 15 Y.O.  投稿日: 2001年09月20日 (木) 08時50分31秒

>ほんとに聞きかじりの知識だ(^^;。まぁ、それはともかく……。

こういう捨てぜりふのような書き方がお得意のようですね。
ということは、まんざら私の言ったことも的をはずしてはいないんだ。
で、今でも3冊の本は大事に持っておられると言うことですか。
そして、それが当てられなければ悠々塾は霊からの通信ではないことがはっきりとするわけですか。
では、結果発表を楽しみにしています。大々的に行ってくださいね。
そして、この掲示板も終了ですね。

>続けるべきだと思うなら15 Y.O.さんご自身が引き継いで下さい。

あなたのとこでやるからこそ意義があると思うのですが。
(ここからは、宮崎さんに対する返事にもなるかと思います。)
最近興味を持ってスピリチュアリズムに傾倒していく過程で、私は疑問に感じることが出てきました。
一つは、シルバーバーチの言ったとされる言葉を一言一句分析をしていって、自分の行動を1から10までそれに当てはめることが「霊性の向上」につながると信じておられるような方々の集団に対する疑問です。
本当にそのような他力本願な行動によって霊性が向上するのだろうか。そして、そんなに急いでどこへ行くの、生命は永遠じゃないの、失敗もあっていいんじゃないの、という疑問。
もう一つは、スピリチュアリズムの考えを利用したような「新興宗教」もどきの活動に対してです。
そして、この掲示板にたどり着いたときに正に私にとって(だけでしょうが)タイムリーな話題で言葉が交わされていて、非常に興味を持った次第です。
ネット上では、草分け的なサイトのようですから、そこでの議論のひとつひとつが日本のスピリチュアリズムの現状をありのままに投影しているようで、さらに、学ぶ者にとっての影響力も大きいはずだと思ったからです。問題点を打破するきっかけさえも期待したからです。
ですから、もっと識者の方々のご意見をお伺いしたかったわけですが、しかたないですね。

>皆さん、ここが終了したら続きは15 Y.O.さんが作られる掲示板で……。

なんて、投げやりな言葉で管理人さんに閉めくくられてしまっては、どうしようもありません。
まあ、他人のふんどしで相撲を取りたいと行っている私のわがままですから、強くも要求できませんしね。

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1145 最後ですので投稿させて頂きます
名前:   投稿日: 2001年09月20日 (木) 01時50分24秒

 悠々塾とつながりのある者の投稿で口を挟むのも憚れますがどうかお許し下さい。
 誰しもが多かれ少なかれ自分の言動・行動に批判的・否定的な言葉を向けられると嫌なものです。(指摘か中傷かは別にして)
私も厳しいメッセージが寄せられたとき、反感と反発を強く覚えました。検証するどころの気持ちにはなれませんでした。それこそ中傷・否定的な言葉として受けとめてしまい、自分の人生を否定されるような思いで自分を顧みることなどとてもできませんでした。

 私は情けないくらい小心者です。公の場で発言できるような知識も経験もありません。投稿するのもとても勇気が必要です。ですが今までの発言を見ていてありのままを伝えたいのです。
 メッセージを公開された人たちの指摘は今までの自分を見るような思いでした。(メッセージを批判・否定・中傷的と受けとめた人。)
どう受けとめようがそれはその人次第です。しかし気づかなければならないこともあります。気づけなければいつまでたってもそのままです。何年経っても。
個人に向けられたメッセージに対して「反発・否定・中傷」か、「指摘」なのかが分かるのは今すぐではないかも知れません。
 人を傷つける「反発・否定・中傷」なのか、それともその人が本来どうあるべきかの「指摘」の違いです。問題は自分の今までの言動・行動をありのままに振り返ることができるかどうかだと思います。(心静かに自分を見つめることができるか、です。それは誰も傷つけません。自分の今までの姿ですから。)
人としてどうあるべきかを基準にして自分を見るのですから、洗脳も催眠も関係ありません。
そこでは自分に向けられ指摘に心をどう動かすか。
感情的(反発・否定・拒絶)になるか、理性的にどうあるべきかを見、判断することができるか。
気づけたときは自分の至らなさに涙すると思います。頭で分かるという理解ではありません。瞬間的にどうしようもない気持ちになると思います。こんな自分にも温かく穏やかな心を向けている存在を確信すると思います。それと同時にその時まで自分が推し量れなかった思いを向けてくれた人に、心の刃を向けてしまったことにも気づくと思います。(これは私の経験です。皆さんがそうとは限らないと思いますが・・・。抽象的な例えでごめんなさい。)

人を傷つける元は何か?
 「感情は人を癒しもし、殺めもする。」この言葉を目にしたとき、自分の「感情」の使い方にはっとさせられました。
この間、言葉巧みに多くの知識をたてに人を傷つけるようなひやかし・反感、憤りをあおるような言葉を連ねた人の心を思います。どうしてここまで歪んでしまったのか。
「腐れた物は食べないのにどうして腐った言葉をはくのか。」
かの人の言葉です。
人に優しい言葉を向けられて嫌な思いをする人はいないと思います。人をねぎらい、いたわる気持ち、思いやり、人には優しく親切でありたい、時には厳しくても人としての在り方を通さなければならないと思うのではないでしょうか。
どうすべきかは誰もが頭の中では分かっている。
肉体(言葉・行動)にどう反映しているか?
よかれと思い行動に移して失敗し、痛い思いをすることもあります。
でもどうして上手くいかないのか。自分を自分の鏡に写したとき不十分な自分、至らない自分を見てしまいます。ありのままに自分を見るのはとても辛いです。でもそこから始めるしかありません。それが今の自分なのですから。至らなさ・不十分な自分を誤魔化したり、人のせいにしても何も始まりません。

 悠々塾につながりながら今でも足を引っ張ってばかりです。なかなか学びが進みません。逃げ出したくなるときがあります。
自分の蒔いた種、失敗したことは隠してしまいたい(厳しい指摘が向けられたとき自ら蒔いた種とは言え、自分が刈りとならなければと思うと)なおさらです。うしろめたいことであればいっそう口にしにくいものです。
でもいつか全て明かされます。


 人としてどうあるべきか?今の自分をあるがままに見、どのように変えてそれを行動に移すことができるか?地上人生ではこの一点につきると思います。
間違い、過ちは誰にもあります。私にも。
今までの自分にとらわれることなく、自分を守ることを少しでも薄くできますように。

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1144 アラムさんへ
名前: 宮崎 護  投稿日: 2001年09月20日 (木) 01時48分37秒

 アラムさんの発言からは、いつも公正で誠実な態度がうかがえます。コメントの前半部分は、ほぼ同感です。
ただ、
|自分の受け取った霊的メッセージの内容が的中していないと思った人は、
|他の人への霊的メッセージも的中していないに決まっていると思って、
|その様に発言していますし、自分の受け取った霊的メッセージは正確
|だったと思った人は、他の人への霊的メッセージも正確に決まっている
|と思って、その様に発言しているわけです。
とおっしゃっていますが、僕に関して言えば、そういう次元で正しいとか正しくないとかは判断していません。

|何度も「このメッセージを受け入れるかどうかは当人の自由です」とは述べ
|られているのですが、「このメッセージは絶対に当たっている。受け入れら
|れないのは当人のかげりのためだ」という見解が示されています。
とおっしゃっていますが、「このメッセージは絶対に当たっている」という表現を霊が使っていますか?表現によってだいぶ印象が違ってしまいますから、アラムさん、そのへんは注意して下さい。確かにそういう意味のことは言っていたと思います。しかし、それは何ら矛盾したことではないと思います。「メッセージを受け入れるかどうかは当人の自由」ですし、「真実を理解できないのは、本人の霊的視野がくもっている」からなのです。

|「霊団や受信についてレッテル貼りの必要はありません」という霊団が、
|「自称スピリチュアリスト」とか「悪意にみちた幽界に住まう霊達と共鳴
|状態にあるもの」という発言をしています。
「霊団や受信についてレッテル貼りの必要はありません」というのは、通信してくる霊がどのような界層のものであるかを、ラベルを聞いて判断するのではなく、自分の理性(感性)で内容をよく吟味し、判断しなさいという意味です。このことはシルバーバーチもくり返し主張しています。また、「自称スピリチュアリスト」とか「悪意にみちた幽界に住まう霊達と共鳴状態にあるもの」という表現は、見れども見えない地上の人達に対して、対象となるものの本質を説明した言葉です。要は前者も後者も「本質を見なさい」という主張が込められています。

|「受信者たちにとってはいい学びの機会となりました」とか「真実を
|みる目を持ったものとの信頼と尊敬の絆が結ばれたことは喜びです」
|という言葉もありましたが、このような言葉が地上全体のかげりを浄化
|するという役割を担う霊団から発せられるものなのでしょうか。
|「悠々塾」さんは団体ではないということですが、このような言葉は一つ
|の組織・団体を守護・指導する霊から述べた見解です。そのようにしか
|受け取れないのです。
「全」というのは一つ一つの「個」の積み重ねです。霊は「うちにとって有益だった」というような次元のことを言っているのではありません。

|自分の納得できるようなものを手にしたにも関わらず、自分のそれまでに
|得たもの、築きあげたものを守ろうとして、それをあくまでも疑い、否定し
|ようとする態度をみせたとき、高級霊でも厳しい言葉を発します。
もっともです。モーゼスとインペレーターが良い例ですよね。
ただ、
|しかし、納得できるものを手にしない間、疑問を持つことまでは
|否定はされないでしょう。
とおっしゃるのは、少々微妙なところです。といいますのは、霊にはその人の本音がすけすけに見えてしまうからです。純粋に納得したいと思い、そして納得できない場合は、霊は決してそれを咎めたりはしません。ところが(はた目には知れなくとも)保身、執着などにより理屈をこねる時、霊はそれを絶対に容赦しません。これは僕の、指導霊との5年間にわたる体験から断言できます。

|宮崎さん、あなたは「悠々塾」さんの掲示板で公開されている個人的
|メッセージは二つですが、そのどの部分が正確で、宮崎さんを納得さ
|せたのかは他の人からはわかりません。もし、そうした納得できる霊的
|メッセージを入手されていなくても、ペーパーバーチさんや有希さんへ
|のメッセージについて今と同じ評価をされていたでしょうか?
もちろんです。僕が自分に対するメッセージのどこで「本物」と知ることが出来たか、それは自分しか知らないはずの悩みに対して、霊がそれを知っていて、しかも絶妙なタイミングで自分に分かるようにメッセージを送ってきたからです。アラムさん、人が確信を持つ時って、どんな時でしょう?他人にも証明できるように客観的に指摘が当たった時ですか?そういう人もいるかも知れませんが、僕の場合は違います。自分の一番深い心を見透かされ、大きな愛情のもとに的確な助言を与えてくれる時です。これについては、ここではあまり多くは語れません。よろしかったら、またメールで。

|私自身はまだ「悠々塾」さんへの評価をすることはできません。
|この掲示板に出てきただけの材料では納得できるものは得られて
|いません。
ここがアラムさんの素晴らしいところだと思います。あなたは知ることに対して誠実な人だと思います。

あっ、もう2時になる!!もう寝なきゃ。。それじゃ、また(^^)/

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1143 アラムさんへ
名前: 高橋  投稿日: 2001年09月20日 (木) 00時23分03秒

>高橋さん、…あなたの書込みからは何か人を見下すようなものを感じましたよ。<

そういう点は自分にとっての課題であると思います。

>「悠々塾」さんのことを知ったということだけで、あなたは何か特別の地位でも得たと思われているのですか?<

思っていません。

>霊的感性で「波動」とでもいうしかないようなものを感じる人もいますよ。<

「波動を感じること」自体を否定してはいません。

>これまでのやりとりで、表面的に出てきているものでは二つに分かれてしまっているように思います。一つは「悠々塾」さんの霊界通信を認めないとするもの、もう一つは「悠々塾」さんの霊界通信は間違いないものとするものですね。<

私は、「『悠々塾』さんの霊界通信は間違いない」とは言っていません。そういう盲信的な態度を取っている人は肯定派の中にもいないと思います。個人的には、HPを読む限り、間違いないとほぼ断言していいと思ってはいますが。
ただ、それ以前の、人間的な部分で、「美醜」があまりにもはっきりしていると感じるので、「認めない」という人は、その人自身に問題があるのではないかと思っています。

真実と虚偽との間には妥協不可能な一線というものがあって、私が「中立がいつも正しいとは限らない」と言ったのはそういう意味です。

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1142 これまでの感想
名前: アラム  投稿日: 2001年09月19日 (水) 23時28分56秒

これまでのやりとりで、表面的に出てきているものでは二つに分かれてしまっているように思います。

一つは「悠々塾」さんの霊界通信を認めないとするもの、もう一つは「悠々塾」さんの霊界通信は間違いないものとするものですね。

個人的な霊的メッセージでは、その真偽は本人、または、その人をよく知っている人でなくてはわかりません。
本人が「当たっていない」と言っているものを、「実は当たっているでしょう」とは言えません。

だからこそ、霊界通信だからといっても完全に的中するものなのですか? という疑問が生じるわけです。

自分の受け取った霊的メッセージの内容が的中していないと思った人は、他の人への霊的メッセージも的中していないに決まっていると思って、その様に発言していますし、自分の受け取った霊的メッセージは正確だったと思った人は、他の人への霊的メッセージも正確に決まっていると思って、その様に発言しているわけです。
この二つの意見はずっと平行線をたどっているわけです。

「意趣返し」との意見はありましたが、飯沼さんがメッセージを創作したのでもなければ、それはありえないでしょう。メッセージの受信者は堀江さんであって、飯沼さんではないということですから。
また、飯沼さんの潜在的な思いがメッセージに出たのではないか、との意見も、同じ理由で疑問に思います。
しかし、近くにいる飯沼さんの思いによってメッセージの内容に影響が現れた可能性は否定できません。これは飯沼さんがメッセージ受信に立ち会っていたときにそのメッセージに出てきたことと似たような思いを持っていたかどうかが明らかでないと判定がつきません。

ただ、霊的メッセージ自体にも問題点はあると思います。
何度も「このメッセージを受け入れるかどうかは当人の自由です」とは述べられているのですが、「このメッセージは絶対に当たっている。受け入れられないのは当人のかげりのためだ」という見解が示されています。
ここで「あなたたちが認められないのなら仕方がないでしょう。疑問に感じることを私達は責めません。時期がくればわかることもあるでしょう。もし、あなたたちが受け入れられると思うところがあれば、それを素直に受け入れてください」というような一言があれば、かなり印象が変わったと思います。

当たっていないといわれるメッセージが本人の望みもしないのに送られていて、正確だと認められているメッセージが本人の希望に応じて受け取ることができているというのも大きな違いだと思います。

「霊団や受信についてレッテル貼りの必要はありません」という霊団が、「自称スピリチュアリスト」とか「悪意にみちた幽界に住まう霊達と共鳴状態にあるもの」という発言をしています。

「受信者たちにとってはいい学びの機会となりました」とか「真実をみる目を持ったものとの信頼と尊敬の絆が結ばれたことは喜びです」という言葉もありましたが、このような言葉が地上全体のかげりを浄化するという役割を担う霊団から発せられるものなのでしょうか。「悠々塾」さんは団体ではないということですが、このような言葉は一つの組織・団体を守護・指導する霊から述べた見解です。そのようにしか受け取れないのです。

地上全体に関わる役割を担った上位の指導霊は「この程度の問題に私達がわざわざメッセージを送る必要はない」との判断をされたのでしょうか。

私への回答の中で「心の道場」が出てきたのも不可解な話です。私は「心の道場」との直接の交流はありませんし、その主宰者については二冊の著書と一冊の訳書がある男性としか知りません。

私への回答に代えて でも「地上界の浄化を推し進めようとする霊団とそれを阻もうとする霊団とのやりとりだった」との事ですが、高級霊であれば、地上界の浄化を阻もうとする霊団がこんな程度のものではない事ぐらいご存知のはずです。「ここまでの深いかげりに関わることは」との言葉もありましたが、「悠々塾」さんがこれまで経験してきたかげりというのはこの程度のものなのですか。「論理も誠意も真実も通用しないほどのかげり」、この程度のものでしたらいくらでもあります。これぐらいでは人の心を寒くさせ、絶望に追い込もうとする邪霊の働きとはいえません。

単に、自分の納得できる証拠を手にしなかったと思うもの と 自分の納得できる証拠を手にしたと思うもの とのやり取りでしかありません。

自分の納得できるようなものを手にしたにも関わらず、自分のそれまでに得たもの、築きあげたものを守ろうとして、それをあくまでも疑い、否定しようとする態度をみせたとき、高級霊でも厳しい言葉を発します。
しかし、納得できるものを手にしない間、疑問を持つことまでは否定はされないでしょう。

高橋さん、「確固たる力がある」と賞賛されていましたが、あなたの書込みからは何か人を見下すようなものを感じましたよ。
「謙虚さを失う」という問題が出ていましたが、「悠々塾」さんのことを知ったということだけで、あなたは何か特別の地位でも得たと思われているのですか?
カノンさんの「波動を感じる」との言葉に意見を述べられていましたが、霊的感性で「波動」とでもいうしかないようなものを感じる人もいますよ。指導霊から「他人の非難・批判をしないように」と指導を受けている人は特にそういうものには敏感です。

宮崎さん、あなたは「悠々塾」さんの掲示板で公開されている個人的メッセージは二つですが、そのどの部分が正確で、宮崎さんを納得させたのかは他の人からはわかりません。もし、そうした納得できる霊的メッセージを入手されていなくても、ペーパーバーチさんや有希さんへのメッセージについて今と同じ評価をされていたでしょうか?

互いに自分の主張を認めないものを攻撃しようとするようになっては議論になりませんね。
互いに決めつけもあるように思われます。

私自身はまだ「悠々塾」さんへの評価をすることはできません。

この掲示板に出てきただけの材料では納得できるものは得られていません。

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1141 これが答えだ!
名前: 東方朔  投稿日: 2001年09月19日 (水) 23時13分28秒

ペーパーバーチさん、ダメだよ。客観的に検証できることに挑戦するはずがないだろ?

私が挑戦しよう、ワトスン君。霊能力など持ってないがな!

●大きさ----おそらく3冊とも文庫か新書程度。しかも薄い本に違いない。日記で書いていた「大きなカバン」とかゆうのは引っかけと推理する。パソコンを持ち歩いて弁当も上着も持ってゆく人間がその上大きな本を持ち歩く気になるはずがない。
●ジャンル----宗教関係書は外すだろう。するとペーパーバーチの好むジャンルは美術、SF、右翼関係に違いない。
●おそらくこんな本だ。違ってるのは確認済みだが傾向は合っているのではないか・・・。
 A.奥村土牛「牛の歩み」
 B.スティーブン・バクスター「時間的無限大」
 C.鈴木邦夫「夕刻のコペルニクス」

どうだ!?

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