心霊学研究所

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)1351-1400の過去ログです。
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1400 私がスピリチュアリズムの質にこだわる訳
名前: 有希  投稿日: 2002年04月18日 (木) 00時23分55秒

> 僕が「最もシンプルな真理」と言ったのは、この世もあの世も、人間も含めてそこに存在する全てのものは、
> 神(大霊)というひとつのエネルギーであるということです。
> 誰一人、何一つ忘れ去られることはない、神に愛されないものなどひとつもない。
> であれば誰が何を信じたとか、何をしたとかいうこと以前に、神は全てを平等に愛し、救おうとされているので
> はないかと思います。

この部分に関しては、その通りだと思います。
でも・・・

> 全存在はひとつであるという時点で僕は既に全てが救われていると思うのです。
> 神は霊的なことに気づいた人間だけを救おうとするとも思えないのです。

違うのはここなんですよね。
神は全員を救おうとされています。
霊的なことに気がついた人間だけを救おうとしているわけではありません。
ヨッシーさんもこの部分に関して書いてくださいましたね。

神はずっと手を差し伸べ続けているのに、その手を払いのけて拒否しているのは人間の方です。
自分で救いを拒否しておきながら、自分が摂理から離れていることをしておきながら、「なぜ神は自分だけにこんな苦しみを与えるのか」と文句を言っているのが大半の人間です。

神はずっと手を差し伸べ続けているのですから、ご自分の手をつかんだ者から先に引き上げるのは当然でしょう。
自分から神の手をつかもうとしない人は、神は救いたくても救えないんですから・・・
それでも救おうとされている神の苦しみがわかりますか・・・

ここからは、私個人のスピリチュアリズムへのこだわりについて書きます。
誰かに向けてのものではありませんので、そのように読んで下さればと思います。

今私はスピリチュアリズムに全信頼を置いています。
神と霊界の役に立つ良い道具になりたいと思っています。
でも、私が役に立ちたいと思っているのは地上にいる間だけではありません。
肉体を捨てて霊界へ行ってからも、働きたいと思っています。
それには地上で中途半端な成長をしていてはできないんです。
自分だけ救われればいい、自分だけ成長できればいいと思っている人なら、自分の考えに合う、自分に都合のよい真理だけを受け入れて、実践もそこそこにして、理屈を捏ね回していれば自己満足するのでしょう。
余った時間を霊的真理の普及に充てて、自分は頑張っていると思っている人もいるでしょう。
でも、私はそういうのは嫌なんです。
自分のライフワークとしてやらなければ意味がないと思っているのですから。

先日、お米に例えて少し書きましたが、その続きとして、私が質にこだわる訳を書きたいと思います。
ここに3人のお百姓さんがいたとします。
Aさんは、食べられるお米であれば、混ぜものがあろうと、多少古くても、売れれば何でも提供する人です。
Bさんは、品質にかなりこだわる人で、混ぜものは絶対しないし、100%コシヒカリでないと気が済まない人です。
Cさんはもっとこだわる人で、コシヒカリ100%は当たり前のことで、それ以上に完全無農薬、水にもこだわってお米を作る人です。そして、いつも最善、いえ毎回今まで以上の良いお米を作ろうと努力する人です。

これはスピリチュアリズムにも言えると思います。
江原さんはさしずめAさんタイプでしょう。一見してスピリチュアリズムのように見えればいい人です。そして、品質の良い悪いの見極めさえつかない人です。
Bさんはごく普通のお百姓さんだと思います。農薬を使って労を少なくし、農薬がどんな悪影響を及ぼすかは考えずに、見栄えの良いお米を作るタイプです。
Cさんは水にも品質にも全てにこだわり、本当に良いものをお客さんに提供するためには労を惜しまないタイプです。

私はCさんタイプのスピリチュアリストでありたいと思っているし、そのラインを目指す人こそスピリチュアリストを自認できる人ではないかと思うのです。
成長した人をスピリチュアリストと言うのではなく、シルバーバーチを受けいれた人をスピリチュアリストと言うのではなく、自分から霊的真理に添おうと努力し、霊的真理を自分の実生活に生かし、人生の指針としている人をスピリチュアリストと言うのだと思っています。
今勉強を始めたばかりの人でも、まだよく理解できていなかったとしても、質の高いスピリチュアリズムを受け入れて頑張りたいと思っているのなら、「自分はスピリチュアリストです」と自信を持って言ったらいいと思います。
でも、何十年も霊界の存在を知りながら、何冊もシルバーバーチを読みながら、単に真理の収集をして自己満足しているだけならスピリチュアリストとは言えないでしょう。

いろいろと書きましたが、自分への戒めも多分に入っています。
独り言と思って読んでくだされば幸いです。

http://www2.wbs.ne.jp/~spirit

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1398 真理について
名前: ヨッシー  投稿日: 2002年04月17日 (水) 22時50分46秒

こんにちはペーパーバーチさんヨッシーと言います。
初めて書き込みをさせていただきます。

りゅうじんさんの
『真理とは、誰も見捨てられることなく、その人の受け入れられる次元に合わせて与えられるべきもの。スピリチュアリストたるものこうあるべき、みたいなことって、できる人はすればいいと思いますけど、多くの人には受け入れられにくいんじゃないかな。』

とありますが、真理というものはそういうものだと思います。シルバーバーチの霊訓の中に、「一人、そしてまた一人、非常にゆっくりとした根気のいる仕事ではありますが、それ以外に方法がないのです。」また、「一人また一人と光明がさし真理を悟ってくれることを信じて素朴ながらも説いてまいります。」
受け入れられる人から受け入れていく、一人一人、また一人と霊的真理を広めていく、地味ではありますが、そういうことが大切であり、必要なんじゃないですか?
多くの人には受け入れられにくいんじゃないかなとかそういう問題ではないと思います。
その人に受け入れる時期が来ているか来ていないかです。

『神は霊的なことに気づいた人間だけを救おうとするとも思えないのです。』
とありますがりゅうじんさんは守後霊や背後霊のの存在や導きを信じてらっしゃらないのですか?
シルバーバーチは『母胎の瞬間から死ぬ瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に全力を尽くしています。』どんな人でも背後が導き応援していることを忘れてはいけないんじゃないですか?
それにシルバーバーチの中には『神は決してあなた方を見捨てません。あなた方が神を見捨てているのです』とありますよ。
やはりりゅうじんさんはシルバーバーチを読んでないということになります。

サードさんの書き込みの中に

『なるほど、確かに霊的コンサルタント料(この名からして噴飯ものですが)の五万円はボッタクリもいいところです。世間の常識に照らしても、詐欺師呼ばわりされても致し方ない料金設定です。これだけならば、「それで幸せになる人もいるんだから良いんじゃないの?」と苦笑いすれば済むことですが・・・・・』

本当にこのようにお考えですか?
人ごとだからいいんですか?
大変無責任な発言だと思います。少なくとも真理を理解している人の発言とは思えません。
そんないい加減な態度ではなく、良いものは良い、悪いものは悪いと、はっきり言うべきだと思います。法外な値段をつけて良いわけはありません。

江原さんの本に対しては、ペーパーバーチさんや、ビックママさん、レッドマンさんが指摘されている通りだと思います。
スピリチュアリズムを理解しているとは思えませんし、歪めている部分が大きすぎます。マイナスの方が大きいでしょう。
江原さんの「考えだけ」を本にするのはいいんです。『スピリチュアリズム』という言葉を使ってほしくないんです。多くの人に間違った『スピリチュアリズム』を教えることは大きな責任を負うことになると思います。

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1397 中途半端では…
名前:   投稿日: 2002年04月17日 (水) 21時38分12秒

こんばんは、皆さん…圭と申します。

スピリチュアリズムにとても大きな魅力を感じて、時々こちらを拝見していました。最近は皆さんの書き込みが鋭くて、とても私などが入り込む余地は無いのですが、りゅうじんさんの書き込みはやはり気になりました。

りゅうじんさん、はじめまして。
> 僕は、何も知らずに自信を失って苦しんでる人に、大丈夫だよと言ってあげたいんだけど。

もうすでに、これに対しては、有希さんもレスされていていますので、くどかったらゴメンなさい。

私はこの言葉から、通りがかりのただの親切な人としか感じられません…それも地上的な親切です。スピリチュアリストが親切で悪いわけではありませんが、スピリチュアリズムから離れてしまうように感じます。苦しみというせっかくのチャンスを、ただの親切心で済ませてしまっては、もったいないでしょう。

私がもし、苦しんでいる本人だったら、苦しみの意味を知りたいと望みます。事実、そうした経緯でスピリチュアリズムに出会いましたし…。私は中途半端な同情とか憐れみをあまり心地よいとは感じない、どちらかと言えばへそ曲がりですが、シルバーバーチの高潔さには心を打たれましたよ。

前述の言葉をかけてあげるのなら、せめて、何が大丈夫なのかを知らせてあげるだけの役割りがスピリチュアリストにはあるのではないでしょうか。何が大丈夫か…その内容は、りゅうじんさんの霊的な知識と体験から自信を持ってお話してあげられるもの、だと思うのですが…。当然厳しい内容もあるでしょう、でもその厳しさも摂理に則ったものなら納得いくはずです。神の愛が込められた摂理だと実感なさっていれば、おのずとその方の魂の力となる言葉がでるでしょう。

大切なのは、摂理に添う努力をりゅうじんさん自身がなさることではないですか。言葉が足りないだけで、もちろんそうしているというのなら、とても嬉しいです。私自身、そうした内容を十分持っているとはとても言えないのですが、お茶を濁すような人生を送りたくは無いですよね。私の家族が打ちひしがれている所にりゅうじんさんが出くわしたなら、自信を持って霊的な真理を語ってください。たとえ私の家族が霊的に未熟で拒絶したとしても、私は語ってくれたりゅうじんさんの愛に心から感謝しますよ。そういうものじゃないですかねぇ。

皆さんの聡明な書き込みの合間を縫ってしまい申し訳ありませんでした。

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1396 最もシンプルな真理
名前: りゅうじん  投稿日: 2002年04月17日 (水) 20時53分23秒

アラムさんが来ていたので、ちょろっと出て引っ込もうと思っていたんですが、混乱を招いてしまったようですんません。

レッドマンさんにお答えします。
僕が「最もシンプルな真理」と言ったのは、この世もあの世も、人間も含めてそこに存在する全てのものは、神(大霊)というひとつのエネルギーであるということです。全存在はひとつであるという時点で僕は既に全てが救われていると思うのです。誰一人、何一つ忘れ去られることはない、神に愛されないものなどひとつもない。であれば誰が何を信じたとか、何をしたとかいうこと以前に、神は全てを平等に愛し、救おうとされているのではないかと思います。霊的なことを受け入れていない人は救われていることに気づかないから苦しいかもしれませんが、神は霊的なことに気づいた人間だけを救おうとするとも思えないのです。
そういう大前提の元で、この世をどう生きるかを考えることがスピリチュアリストの生き方なのではないかと思うのです。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

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1395 質問です
名前: レッドマン  投稿日: 2002年04月17日 (水) 18時27分12秒

こんばんは、「レッドマン」です。
りゅうじんさんの1392について尋ねます。

>一度、シルバーバーチという参考書を閉じて、最もシンプルな真理を元に、自分と向き合い、生き方を考えること も必要なんではないかと思います。

 とありますが、ここで言う「最もシンプルな真理」とは、いったい何なのでしょうか。

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1393 スピリチュアリズムとは・・
名前: すみれ  投稿日: 2002年04月17日 (水) 15時38分03秒

はじめまして、りゅうじんさん。
りゅうじんさんはスピリチュアリズムについて全然分かっていないようですね。
本当のスピリチュアリズムとは、有希さんやレッドマンさんが書かれている内容だと私も思います。
りゅうじんさんが考えているようなそんな甘いものじゃあないように思います。

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1394 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年04月17日 (水) 17時42分10秒
すみれさん、いらっしゃいませ。

すんません、仕事中なので一言だけ。
「全然分かってない」と言い切るだけではただの悪口みたいなもので議論になりませんので、なぜ、どういうところが「全然分かってない」と判断したのか、その理由の部分も書いていただきたいと思います。これでは言われた本人はただ気分が悪いだけで、ワケがわからないと思いますので。
(あ、でもちょっと気になっただけですから、「注意されてしまった〜」などと深刻に考えず、またお気軽にご発言下さいね(^^))

りゅうじんさんも同じですね。どうして「最もシンプルな真理を元に」考えたら、霊的真理を曲げて伝えることが許されることになるのか。りゅうじんさんが何を言いたいのか、これではさっぱり判りません。
具体的な指摘を数々されているのに、雰囲気的な答えしか書いてらっしゃらないと思います。皆さんからの指摘に向き合わない人が「自分と向き合」う事が出来るとは思えません。

感情論や雰囲気に流されることなく、明晰に、論理的な議論が展開されることを希望します。

http://www.paperbirch.com


1392 そうだなあ。
名前: りゅうじん  投稿日: 2002年04月17日 (水) 13時27分57秒

受け取る側のレベルはあると思いますが、僕はシルバーバーチの解釈も人それぞれで当然と思います。こう言うと、読み方が足りんと言われるんでしょうけど。
一度、シルバーバーチという参考書を閉じて、最もシンプルな真理を元に、自分と向き合い、生き方を考えることも必要なんではないかと思います。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Mac_PowerPC)cfk20101.dentsu.co.jp


1391 スピリチュアリズムとは、2
名前: レッドマン  投稿日: 2002年04月17日 (水) 09時53分51秒

こんにちは、「レッドマン」です。再び書き込ませて頂きます。

まず、りゅうじんさんの1378について、
「江原さんのことをよく知らない」とありますので、内容を確認してから、コメントしてもらいたいと思います。
また
>真理とは、誰も見捨てられることなく、その人の受け入れられる次元に合わせて与えられるべきもの。ピリチュアリストたるものこうあるべき、みたいなことって、できる人はすればいいと思いますけど、多くの人には受け入れ られにくいんじゃないかな。

とありますが、確かにそれぞれの霊性に見合った真理しか受け取れないものと思います。シルバーバーチの言葉にも「真理は魂がそれを知る準備が出来た時に初めて学べるのです。霊的な受け入れ態勢ができるまでは決して真理に目覚めることはありません」とあります。
スピリチュアリズムの示す「霊的な真理」は、霊界側の長年の苦労の末に届けらたもので、その高次元の真理は「多くの人に受け入れやすいように」とか「現代人の好みに合うように」という目的で届いている訳ではありません。
もともと受けられる時期の来ている人々に摂理にそって届けられ、一人また一人という形で「霊的な真理」を実践する人が増えていくためのものです。うけを狙って迎合できる質のものではありません。
 
>「できる人はすればいいと思いますけど、・・・」の言葉には、りゅうじんさんは、実践的に「真理」を活かそう という気持ちがないような印象を受けます。
私は、「霊訓」が手元にある現代は、「真理の実践の時代」に入っていると考えています。スピリチュアリズムを知っているということが重要ではなくて、いかに実生活のなかに活かし実践して行くかが重要だと思います。だれでもスピリチュアリズムの真理をすべて初めから理解できる訳ではありませんが、どんなに自分に自信が持てなくても、
少しでも実践しようとする努力が大切だと思います。真理を多く知ること以上に、前向きに真摯に取り組む姿勢の方が大切です。もしそうした姿勢がなければスピリチュアリストとは呼べないでしょう。

次に1384のりゅうじんさんの
>僕は、何も知らずに自信を失って苦しんでる人に、大丈夫だよと言ってあげたいんだけど。と
1385のTMHさんの
>高級な霊界通信通りに立派に生きられなくても、身近の無知な存在が困難に喘いでいる時に、
大丈夫だよと言ってあげるだけのスピリチュアリズムがあってもいいかな、と僕も思います。について

シルバーバーチの言葉の中にも、優しい言葉をかけてあげるだけでも「サービス」になるというような部分は有りますが、スピリチュアリズムの示す「霊的な真理」全体から見れば、優しい面と、厳しい面の両方があります。これらは表裏一体のもので一方だけを取り出して、こちらだけがスピリチュアリズムですと言うことは出来ません。
「大丈夫だよと言ってあげるだけのスピリチュアリズム」というような、虫のいいものはないと思います。
それとも、あくまで人間側の都合の良い教え「真理」を希望されるのであれば、「ニューエイジ」の方が、近いのではないでしょうか。
ここでシルバーバーチの言葉を1つ、
「この世に生まれてくる霊魂がみな楽な暮らしを送っていては、そこには進歩も開発も個性も成就も有りません。これは酷しい辛い教訓ではありますが、何事も価値あるものほど、その成就には困難がつきまとうのです」

私は、スピリチュアリズムとは、シルバーバーチが言っているように「霊界の高級霊」によって立案、計画された、「人類の霊性向上を目的とした偉大なプロジェクト」だと思っています。

歴史的に見ても、フォックス家事件を出発点として、初期には低次元の心霊現象を顕わす所から霊的な世界の実在を明らかにし、徐々に次元を上げて、最終的には霊界通信という方法を使って「霊的な真理」を地上に顕すという、一貫した働きかけがされて来ています。
そして、特に「シルバーバーチの霊訓」という次元の高い「霊訓」が出たことで、霊界の高級霊の計画が、「霊的な真理」を地上に伝えるという所までは結実していると思います。
こうした一連の働きかけの中には、数え切れないほどの霊界の霊(高級霊)が係わっています。そして私達が今、手にしている「霊訓」は、霊界側の計り知れない程の苦労の結晶なのです。

こう考えて来ると、私は、スピリチュアリズムというものに、可能な限り「精神誠意」取り組まなければと思います。自分の背筋を伸ばし、自分を律して誠実に取り組むべき、と思うのです。「霊的な真理」という次元の高い教えですから、どこまで実践が伴えるのかは分かりません、しかし日常生活の中で真理に向かって誠実な努力をする事にこそ深い意味が有ると確信しています。

私はスピリチュアリズムを築き上げてきた「その背景」を考えた時、江原氏の「表現しようとするもの」のために利用されている「スピリチュアリズム」という言葉に異論を唱えない訳にはいきません。スピリチュアリズムは「一般的な知識や学問の一つ」といったものとは訳が違います。もともと「ある策略」のために利用できる質のものではありません。そんな次元のものではないのです。
ペーパーバーチさんも言っているように、たとえ江原氏の本をきっかけとしてスピリチュアリズムを知る人がいても、「ねじ曲げられたスピリチュアリズム」から「本物のスピリチュアリズム」に向かうギャップが大き過ぎて、何らかの障害、マイナス要因となることは明らかです。(サードさんは例外かもしれませんが)
これは、「江原氏」個人の大きな責任です。
コシヒカリが少ししか入っていない米を「本物のコシヒカリ」ですと言って売ることは詐欺行為です。が、この場合ならまだ可愛いほうかも知れません。なぜなら、それは「食べ物」についての問題だからです。
しかし、こと「霊的な真理」を中心とする霊界からの働きかけである「スピリチュアリズム」の話となれば、その重大さは別格です。「人々の霊性」と「霊的な世界」に係わる問題だからです。
私は、サードさんのように、「詐欺師は詐欺師なりの報いを受けるからほっておけば」とか「だまされる人も、悪いのだからほっておけば」というような見方。明らかに間違ったもの、間違った行いと知りつつ放っておくことが正しいとは思えません。
「スピリチュアリズム」というものの、ことの重大さが見えていないのではないでしょうか。

長々と書きましたが、私の率直な意見です。

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1390 サマータイムに入りました(^^)
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年04月16日 (火) 22時37分05秒

サードさんの投稿が未来の時間になっていたので気づいたんですが(笑)、当サイトのサーバーが置かれている国がサマータイムに入ったようで、投稿時間の表示がずれていました。CGIを修正しておきましたので、あと半年は大丈夫なはずです(^^;。半年に一度のお約束という感じで面倒くさいんですが、国内のサーバーは高くて借りられないもので……。

既に投稿済みの発言の時間表示は直りませんので、悪しからずご了承下さい。

http://www.paperbirch.com

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1388 江原氏について
名前: サード  投稿日: 2002年04月16日 (火) 23時03分58秒

ペーパーバーチさん、皆さんこんにちは。サードと申します。
なにやら江原氏のことで盛り上がっておりますね。
私も江原氏に関し思うところがありますので、書かせていただきます。

私は江原氏の著書からスピリチュアリズムという言葉を知りました。
読後に「これは調べるべき価値あり」と思い、ネットで「スピリチュアリズム」を検索し、こちらの
サイトにたどり着きました。そしてシルバーバーチを知ったのです。シルバーバーチに辿り着いた今
ではペーパーバーチさん、有希さん、ビッグママさん、他皆様の言わんとすることがよく分かります。
なるほど、確かにあれはスピリチュアリズムじゃあないなあ、と。

しかし私としては、江原氏がスピリチュアリズムを貶めているからといって、その著作の存在を否定
することは出来ません。なにせ、江原氏の著作からスピリチュアリズムを知ったのですから。(笑)

シルバーバーチ霊は真理は無限だと、しつこいほど繰り返していましたよね。
真理のもつ奥行きに感嘆するばかりだ、と何度も述べていたと思います。
つまり高級霊団がもたらした真理でさえも、全宇宙の全真理のほんの一部分でしかない。
高級霊でさえこうなのだから、まして霊的障害者同然の一般人は、どんなに願っても真実の影さえ直
視できない状況にあるのではないでしょうか。ならば、今われらが見え捉えている「江原氏」という
の出来事も、我々には無意味に見えても途方もない遠大さの中で有用なものではないのでしょうか。

なるほど、確かに霊的コンサルタント料(この名からして噴飯ものですが)の五万円はボッタクリも
いいところです。世間の常識に照らしても、詐欺師呼ばわりされても致し方ない料金設定です。
これだけならば、「それで幸せになる人もいるんだから良いんじゃないの?」と苦笑いすれば済むこ
とですが、それではなく江原氏はその著作の中で、シルバーバーチの言葉を阻害する考えを披露して
ます。「大霊に祈れば、悪い因果は外して頂ける」とその著述にあります。
これはもうシルバーバーチの言わんとする事を、台無しにする考えでしょう。

自らにおきる全ては、自らより発した自らに帰ってくる物である。
これらの因果を歪めることは、いかなる術、いかなる存在であっても出来ない。
神でさえも因果を歪曲させることは出来ない。
なぜなら、因果は神が世界を成立させる為に敷いた原理なのだから。神自らそれを曲げるわけがない。
(逆にいうと、因果あればこそ自分という存在が可能性に満ちているのだと私は思いますが。)
シルバーバーチはその言葉の中で、因果について何度もこう述べていたはずです。

これらだけでも江原氏には、是非とも考えを改めて、真摯にシルバーバーチや他の霊の言葉に耳を傾
けて欲しいとは思います。でも、それは江原氏の霊的成長、ならびに彼の著作を読む人の成長度合い
に関わることです。それらは当事者自らが判断し、行動を選択してゆくことだと思います。
他人がとやかく言うことではないと私は考えます。
私から見えた貴方はこんなに間違ってますよ。そのように衷心からアドバイスするのは大変結構です
が、真理の遠大さを考えれば自分だって間違っている可能性があるはずです。ならば、純粋な霊でも
ない肉に包まれた私としては、他人様にとやかく諭すような事は一切いえるはずがありません。

先にも述べましたが、偉大なるシルバーバーチ霊でさえも真理のほんの一欠けらしか手に入れてない
のです。(シルバーバーチ自身がそう述べているのだから、その通りなんでしょう。)ましてや、凡
愚たる私が短い期間で僅かな知識を洞察しても、たかが知れています。
自分なりに「これが真理だと!」と思える事も、所詮は曇りガラス越しに見えたおぼろな影に過ぎな
いと心から思うのです。

私は江原氏を否定できません。
例えシルバーバーチ霊の述べる霊的知識を、反故にするような言動を繰り返そうとも、世界が持つ無
限にして深遠な事象の中で、何かの意味あればこそその著作は生まれてきたのだと思います。
その意味が私には見えていないだけだと思うのです。
「スピリチュアリズムの今後を考えたら、これは良くないだろー」と思う方もいるとは思いますが、
ですがそれは少し違うと思うのです。
どのような場所から入門しようが、行くべく道は必ず示されるものだと私は思います。
その道がどのように示されるかは、まさにその人自身の因果:霊的成長に関わることだと思います。
他人様のことはその人本人の判断にお任せすればよいのではないでしょうか。

シルバーバーチ霊は幾度となく「理性的に判断してください。」と述べてました。
自分の言動がおかしければ、信じないでくださいと。
自分だって間違うことはあるのですから、と繰り返し述べていました。
ならば江原氏に関しても、その言動が信ずるに値しないと理性で判断したら信じなければ良いだけの
話なのではないでしょうか。そう思うのです。

最後になりますが、私としては江原氏を信じてません。
前世が分かるチャート方式なんて、あほらしいですから。(笑)

それでは。

サード

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1387 旅立つ者への思い
名前: さーど  投稿日: 2002年04月16日 (火) 21時32分02秒

ペーパーバーチさん、皆さんこんにちは。サードと申します。
まずはペーパーバーチさんの丁寧なご返答に感謝いたします。
ありがとうございました。(^^)

ペーパーバーチさんから頂きました、私の「シルバーバーチはキリスト教っぽい」という所への
ご回答ですが、今では私もそう思ってます。
シルバーバーチ霊の言わんとするところは、キリスト教という範疇で語られるものではない、と。
ただ何と申しましょうか、キリスト教圏向けだと私なりに感じた部分があったのです。
とはいえ、何処ら辺が?と問われると的確に指摘できないほど漠然としたものでありますので、
「私が感じ取ったニュアンス」程度に思ってください。
私自身はシルバーバーチ霊の言葉に対し、既成宗教の枠にはめようとは思っておりませんので。
まあ、瑣末なことです。

伝統文化に対するペーパーバーチさんのお考えですが、私も共感します。
伝統文化と呼ばれるので、尊ぶべきものは尊び、捨てた方が良いと思えるのは捨てればよい、と。
この際の取捨の基準を霊的知識に基づいていけば、自ずと何を残せばよいか見えてくると思います。
とはいえ、これがまた難しいのですけれどね。例を述させて頂きます。

例えば、納骨です。

シルバーバーチ霊よりもたらされた霊的知識によれば、火葬後に残された骨は肉体の残骸に過ぎません。
霊的視点で見れば遺骨をどう扱うかなど、どうでも良いことになります。
霊に死はなく、確実にその人の命は引き継がれてゆくのですから。
遺骨は、脱ぎ捨てた服の灰燼に過ぎません。
その灰をどのようにとり扱うかなぞ、服を脱いだ当の本人にしてみれば本当にどうでも良いことでしょう。
私なぞは「そんなの燃えないごみの日に出しておいてよ。そうすりゃ世間様に迷惑かけないでしょう。」
と思うでしょう。
ましてやその灰や骨を指差して「これがお前のお父さんだよ」と言われてもかなり困るでしょう。
おいおい、ちょっとまてよ。私はここにいるぞ?それは私じゃないんだぞ、と。

それじゃあ、これら残された肉体にまつわる儀礼:供養は霊的知識に照らせば無意味だからやめちまえ、
となるかといえばそうはなりません。

原理主義的に霊的知識によって文化を照らせば、葬儀も墓も要らないはずです。
(まあ、タリバン並みの原理主義的極論ですが。)

しかし、供養はそれだけではないと思うのです。
残された者が旅立つ者へ今後の幸福を願い、残してくれた様々な出来事に心を傾ける、そういう意味が
あると思うからです。
ぶっちゃけた話、供養は死者のためにやるのではなく、生者のために行うものだと思うからです。
霊的知識に基づけば何の意味もなくても、それで生きてる人が心慰められるのならばそれで十分意味が
あると思うのです。

私には霊能がありません。旅立った人の姿や声はおろか、気配さえ感じられません。
知識による確信はあっても、霊的には何も感じられないのです。
生きているこの私は霊を感じられない、いわば霊的障害者なのですから。
ならばせめてと、旅立った者を象る何かに心を傾けずにはいられません。
私には、旅立った人への思いをささげる象徴としての葬儀や墓や供養が必要なのです。
自己憐憫に過ぎない、そういわれてしまえばそこまでなんですけどね。

人の死というものを霊的知識に照らし合わせてなるべく合理的に生活に反映させるべきだととは思うの
ですが、上記のようになかなか上手く片付けられないケースが多々あると思います。
霊的に無用なものでも、生きてゆく上で心休まるのならば、それもまた良しと思うのです。
そう思うと、どう考えどう処してよいのか、慎重にならざるえないんですよね。

長々と駄文を重ねてしまいました。ここらで切り上げたいと思います。
ペーパーバーチさん、皆様、またよろしくお願いいたします。

サード

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1386 それだけでは・・・
名前: 有希  投稿日: 2002年04月16日 (火) 17時17分21秒

りゅうじんさん wrote:
> でもなあ。これを信じた人だけが救われるとか、こうしない人は救われないとかって、変な宗教みたいで抵抗
> あるんですよね。

「自分を救うのは自分しかいない」というのが変な宗教ですか?
「救われる」という言葉が変な宗教のように感じるのでしたら、「摂理に適った努力をする人がより成長する」と言い変えたらいかがでしょう。
ごく当たり前のことを言っているだけですけど、それでも抵抗がありますか?
勉強でも仕事でも、それは同じのはずです。
ご自分が抵抗を感じるからといって、それを変な宗教と結びつけるのはどうかと思います。
関連付け始めたら、何だって関連してきますしね。

> ほんとにそれがスピリチュアリズムなんだろうか。

おわかりになるまで、何度でもじっくりシルバーバーチを読み返されたらいいと思います。
ただし、自分で受け入れやすいところだけをピックアップして部分的に読むのではなく、全体像をつかむように読まれることをお勧めします。

> 僕は、何も知らずに自信を失って苦しんでる人に、大丈夫だよと言ってあげたいんだけど。

TMHさん wrote:
> 高級な霊界通信通りに立派に生きられなくても、身近の無知な存在が困難に喘いでいる時に、
> 大丈夫だよと言ってあげるだけのスピリチュアリズムがあってもいいかな、と僕も思います。

シルバーバーチも確かにそう言っていますが、それは段階だと思っています。
それに、これはスピリチュアリズムでなくても、人間としての当たり前のことだと思うのですが。
でも、苦しんでいる人に「大丈夫だよ」とだけ言ってあげるだけではどうなんでしょうね。

http://www2.wbs.ne.jp/~spirit

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1385 りゅうじんさんに同感です
名前: TMH  投稿日: 2002年04月16日 (火) 14時15分49秒

今回は下のりゅうじんさんの意見に強いsympathyを感じます。
高級な霊界通信通りに立派に生きられなくても、身近の無知な存在が困難に喘いでいる時に、
大丈夫だよと言ってあげるだけのスピリチュアリズムがあってもいいかな、と僕も思います。

ただ江原さんに関しては、「スピリチュアル・カウンセラー」の肩書きで占いまでやっていますから、
道具意識とは程遠く、「スピリチュアリズム」を金儲けの手段にしているという皆さんの意見は当たっていると思います。
実際テレビで出演者の女性に無責任に離婚を勧めていたらしいですし。
だからりゅうじんさんが言うレベルと、江原某のレベルにはかなりの開きがあるのではないでしょうか。
そもそも彼は「オフィス・オヒョイ」(藤村俊二さんが主催する芸能プロダクション)所属のタレントだと知ってました?(-◇-;)

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1384 スピリチュアリズムって…
名前: りゅうじん  投稿日: 2002年04月16日 (火) 12時06分30秒

有希さん〜
>ですから、真理を受け入れれば救われるのではなく、「霊的真理に自分を添わせられる者だけが救われる」という方が適切でしょう。

でもなあ。これを信じた人だけが救われるとか、こうしない人は救われないとかって、変な宗教みたいで抵抗あるんですよね。ほんとにそれがスピリチュアリズムなんだろうか。
僕は、何も知らずに自信を失って苦しんでる人に、大丈夫だよと言ってあげたいんだけど。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

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1383 霊的真理に自分を添わせることが大切
名前: 有希  投稿日: 2002年04月16日 (火) 07時48分29秒

今回、江原さんのことをきっかけにして、スピリチュアリズムについてを書いただけに、そのすぐ後に書かれたりゅうじんさんの発言は、とても残念に思いました。
人それぞれ考え方の違いはありますが、でも、真理は一つしかないので、そうした観点から少し書かせてくださいね。

りゅうじんさんの今までの考え方も含めて、今回の発言から感じたのは、スピリチュアリズムの質は低くても構わない、というように感じました。それは江原さんの著書から感じたのと同じものです。
私も以前は「質」に関しては漠然としていて、何かが違うというのはわかるんだけど、何がどう違うのかが明確に言えませんでした。
でも、今回いろいろとありまして、私自身の中でとてもはっきりしたし、確信も持ちましたのでお伝えしたいと思って書いています。

> 江原さんのことはよく知りませんけど、僕は、スピリチュアリズムとは万人を救えるものだと思います。
> 真理とは、誰も見捨てられることなく、その人の受け入れられる次元に合わせて与えられるべきもの。

おっしゃる通り、スピリチュアリズムは霊界が万人を救うために興した一大プロジェクトですが、「霊的真理を受け入れた者全員が救われる」と勘違いしていらっしゃらないでしょうか。

霊界側はその人のカルマや理解力、成長度に応じて与えられるのは確かですけど、受け取る人全員が素直に受け取っているのではないでしょう。
むしろその逆で、いろいろ与えられて受け止められたにせよ、自分に都合のよい解釈をしているのがほとんどではないでしょうか。

実際には、自分を救えるのは自分しかないわけで、霊界はその人の意志とか気持ちに応じて応援し、成長し易くしてくれてはいますが、大切なのは、「自分の方から霊的真理に謙虚に添おうとしているかどうか」だと思うのです。
自分の理性で受け入れられたなら、今度は自分の感情はいろいろ揺れ動くことはあったとしても、その真理に添って努力していくことが大切なんだと思います。
だって、摂理から外れていることが問題なわけですから、外れていることに慣れてしまっている人間が摂理通りに生きようとすれば苦しいに決まっています。
ですから、真理を受け入れれば救われるのではなく、「霊的真理に自分を添わせられる者だけが救われる」という方が適切でしょう。
ですから、本当に救われたいのなら、自分から摂理に合うように努力して行くしかないですよね。
そのための霊的真理なんですから。

> スピリチュアリストたるものこうあるべき、みたいなことって、できる人はすればいいと思いますけど、多くの
> 人には受け入れられにくいんじゃないかな。

受け入れない人は何をどんなに言っても受け入れないでしょう。
アノ大槻教授がその代表者みたいなものです。

> 入門レベルに易しくわかりやすく書くことと、内容の質を落とすことは違います。

とペーパーバーチさんがおっしゃっている通りだと思います。
質を落とせば落とすほど受けいれる人は多くなるでしょう。
テレビや映画だって、真面目に作ってあるものより娯楽ものの方が観る人が多いのと同じです。
でも、それでいいのでしょうか。
シルバーバーチが「真理を曲げて伝えるわけにはいかないのです」と言った中には「質を落として伝えるわけにはいかないのです」という意味も含まれているように思います。
理性で納得したことだけを受け入れなさい、というのは、自分にとって都合の良いことだけを受けいれればいい、というのとは違うと思うんです。

「霊界・死後の世界がある」という真理を受け入れることがスピリチュアリズムではありません。
死後の世界がある、というラインなら、現代では宗教でもニューエイジでもオカルトでも示しているところです。
もしスピリチュアリズムの示すラインに添えないのなら、自分でできるラインに添って行けばいいと思います。
でも、それはもうスピリチュアリズムではなくなります。

私のこの書きこみを読んで、きっと不快な思いを持たれたでしょうね。
今までの私なら、人それぞれだからと思ってきっと何も発言しなかったと思います。
でも、今回のことはとても大切な部分だと思ったので書かせていただきました。

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1380 江原本でスピリチュアリズム入門?
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年04月15日 (月) 22時59分42秒

アラムさん、こんにちは。

既にビッグママさん、有希さん、レッドマンさんのお三方から、僕なんかよりずっと的確なコメントがありましたので、僕が書く必要はないかなと思っていたんですが、ある人から「やっぱり掲示板の主《あるじ》がコメントしなきゃダメでしょう」と言われてしまいました(^^;ゞので、ちょこっとコメントしておきます。

(元発言が次のページに行ってしまいましたので、新規発言にてコメントさせていただきます)

>1358

さて、愛と奉仕のための施設云々ですが、いきなり「施設」がどうのこうのと、形から入るところがいかにも江原さんらしいですね。
なるほど施設はつくれるかもしれません、形だけはね。しかしそこで江原さんに「愛を奉仕する」ことが出来るとは思えません。そういうことは、今現在、現にそういう活動をしている人が更なる必要性を感じて言うことです。「本当にやる気があるなら“今”出来ることをやれ、施設云々はそれから言うことだ」と言うほかありません。

カウンセラーとしてお金を貰っているというなら、常識的なカウンセリング料金があるはずです。アメリカなどではカウンセラーは一般的な職業のようですが、一流と言われる人でも江原さんほどの法外な料金はとっていないでしょう。弁護士の相談料金の十倍の高額……本当にそれだけの価値があるのか、冷静に考えてみませんか? 料金設定の理屈が、統一協会の霊感商法の壺と同じではありませんか?

世の中にはいろんな考え方があるとは思いますし、スピリチュアリストの中にも、霊的なことで料金をいただくことを肯定したり、ある程度違う考え方を持っている人がいてもかまわないとは思います。しかし……それにしても、いくらなんでもそういう“霊感商法”を、スピリチュアリズムの名の下にやるのは、許される限度を超えています。


|「ベストセラーになればうれしい」という言葉にあるように一般向けの内容
|にしようという気持ちが強いせいで内容のレベルを落としてあるようにも思
|いますが、実際にベストセラーになったことから考えるとこのぐらいのもの
|を求める人が多かったということでしょう。

あの程度のものでいいのなら、既に世の中に捨てるほど転がっています。ビッグママさんが仰った宜保愛子も、まぁ、江原さんと同じような程度で、確かにたくさん売れていますよね(江原さんより遥かに多いでしょう)。ああいうのを求める人が多いのは本当でしょう。

しかし、あんな程度ではダメだから、高級霊たちが苦労してスピリチュアリズムの計画を進めているのではないですか? あのレベルのものを求める人のためのものは、昔からいくらでもあります。それ以上のものをこの世に定着させるために、みんな(霊界でも地上でも)苦労しているのに、その努力を踏みにじり、自分の利益のために“また”低いレベルに落とすなど、スピリチュアリズムの普及に尽力した先人たちへの冒涜でしょう。


|立派な施設ということですが、「スピリチュアリズム研究所」がその名の通
|りに「霊的真理の普及」に貢献できるならば

できません。(理由は1364へのコメントで)


|そうした意味での入門レベルのものはもっと必要だと思います。

入門レベルに易しくわかりやすく書くことと、内容の質を落とすことは違います。ましてやスピリチュアリズムの常識と逆の「実践」の例など吹き込まれたら、初心者はワケがわからなくなってしまうことでしょう。あんなものを入門書にしてもらっては困ります。

あれが内容的にはスピリチュアリズムとはまったく別ものであることぐらい、アラムさんにも判っていると思います。それに、ただ単にスピリチュアリズムの名が冠せられているだけで、なぜスピリチュアリズムの入門書になり得ると思うのでしょうか? 宜保愛子の本がスピリチュアリズムの入門書になるでしょうか?


>1364

ここから1364へのコメントに入ります。

スピリチュアリストや心霊主義者の定義が問題になると書かれていますが、そういう問題ではありません。国際スピリチュアリスト連盟の基本原理は、クリスチャン・スピリチュアリズムなどの、既成宗教の呪縛から離れられない人たちの団体とも連携するための妥協の産物に過ぎません。「心霊主義者」の定義に至っては、これが定義の体をなしているとさえ思えません。この定義に従うとすれば、日本中の既成・新興宗教、また霊能者のほとんどが----統一協会も宜保愛子も----心霊主義者ということになってしまいます。

こういう定義は、知らない人に説明するには便利なものですが、これに合っているから問題ないと言える種類のものではないはずです(そもそも江原さんの言動は国際スピリチュアリスト連盟の基本原理からも外れていると思いますが)

以前からアラムさんが、高級霊訓と全く同等に怪しげな霊能者などの言説を採り上げて、こんな説もあります、みたいに紹介するのは気になっていましたが、もしかして物事の重要性の価値判断(これは重要、これは単なる妄想、これは単に無知ゆえの間違い、という違いの判別)が出来ていないのではありませんか?


|そうした意味では江原さん、桑原さんという人たちも貢献はしているかもし
|れません。

プラスとマイナスと、果たしてどちらが多いでしょうか? 間違ったイメージと知識を撒き散らすこの人たち経由でスピリチュアリズムに出会った人が、少なからず遠回りを強いられるのは想像に難くありません。その中で正しい知識にたどり着ける人がどれほどいるか……。

江原さんの本で共感したような人は、シルバーバーチの霊訓を読んでも江原さん的解釈をしてしまうでしょうし(同種の実例は決して少なくありません)、江原さんの言説に反発を覚える人----つまりスピリチュアリズムに出会うべき素養を持った人----は江原さんが薦めていたという理由で、却ってスピリチュアリズムの本を敬遠することになるでしょう。(ハナリンさんへのコメントで「江原さんの本と最初に出合っていたら僕は今でも唯物論者だろう」という事を書いたのはそういう意味です)

冷静に考えても、百害あって一利あるかないかぐらいのものでしょう。

10年ほど前に、スピリチュアリズムを装った大川隆法の一派がブームになりつつあったとき。デタラメな内容に眉をひそめながらも一部のスピリチュアリストは「それでもスピリチュアリズムの宣伝になれば」などと寝惚けたことを言っていたものです(恥を忍んで言えば、実は僕もその寝惚けた奴らの一人でした(^^;)。大川の最初の本にはシルバーバーチの話も書かれていましたし、実際、幸福の科学の会員に聞けば、会の中ではシルバーバーチも薦められているし、みんな読んでいるという話でしたから。

大川の本も、江原など問題にならないほど大量に、しかも広い層に売れました。しかし現在、大川のお陰でスピリチュアリズムは広がっているでしょうか? イヤ、彼の本が売れるに従って、同じカテゴリーと見做されたスピリチュアリズムやシルバーバーチの本は、押し出されるように書店の棚から消えていきました。(これは僕の印象だけではなく、近藤千雄先生も同じことを仰っていましたから間違いないでしょう)

大川の本が縁でシルバーバーチを知った人も、決して居ないわけでないでしょう。が、大川の教義の枠内でしかシルバーバーチの霊訓を読めなかった人、大川が紹介していることだけでシルバーバーチの霊訓もインチキと判断した人、そして大川の本の影響でシルバーバーチの本が書店に並ばなくなったこと。それらを考えれば、この手の歪んだ形で広めてくれる連中の働きが、最終的にどういう結果を残すかは明らかなように思います。


|ただスピリチュアリズムを実用的にしようとしている点では評価できると思
|います。

|スピリチュアリズムの実用書というものがもっと必要だと思います。

シルバーバーチの霊訓こそ、最高の内容を備えながらしかも判り易い実用書であると思いますが(なぜアラムさんにそれが判らないのでしょう)、まぁ、それは措いといて……。

通俗的な解説書のたぐいが欲しいというなら、それまで否定するつもりはありません。実際僕自身もこのサイトでは、なるべくわかりやすくスピリチュアリズムというものを解説したい、そして生活の中で活かすヒントになるものが提供できればと思ってやっていますから。

しかし、江原のやっていることは、それとはハッキリと違います。たとえて言えば、自動車の運転技術の指南書に「眠くなったら覚せい剤などを使って眠気を覚ますと良い」などと書いているようなものです(運転免許の筆記試験にはそんな問題がありましたが(^^;)。そんなとんでもないことが書いてあるものを、どうしたら評価できるのか。また、そんな危険なものにスピリチュアリズムのラベルが貼ってあるのを、スピリチュアリストが警告しなくていったい誰が警告してくれると言うのか。

江原の本に警告を発している人たちは、決して自分たちの考えるスピリチュアリズムと少しばかりの考え方の違いをもって批判しているわけではありません。文字どおり“危険”だから批判しているのです(よね?(^^;)


|私が素晴らしいスピリチュアリズムでの実用書と思ったのはテスター氏の
|『背後霊の不思議』とバーバネル氏の『霊力を呼ぶ本』の二冊ぐらいです。

|ペーパーバーチさん、他に何かご存知でしたら教えてください。

今思い浮かぶのはテスターの『現代人の処方箋―心霊学に学ぶ』ぐらいですかね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806311936/paperbirch-22

でも、やはりあらゆる意味でシルバーバーチの霊訓こそ最高の実用書だと思います。ただ、その“実用的”であるという意味が判らない人はいるみたいですね。


ま、これ以上こまごまとコメントしても意味は無いでしょう(というか、そろそろ時間切れ(^^;)。最後にまとめを……。

●江原の本が霊的真理を伝えているとすれば、それは既成・新興宗教やテレビに出てくるような霊能者と同じ程度に伝えているに過ぎず、スピリチュアリズムとしての価値を認めることは出来ない。
●江原の本はスピリチュアリズムの普及を妨害する。
●江原の本の実用性は、運転前に覚せい剤を打つ種類のものである(^^;。

あまりまとめにもなってないか(^^;ゞ。
それから、ビッグママさん、有希さん、レッドマンさんが書かれたアラムさんへのコメントは、どれも現在のアラムさんへの最高のアドバイスになっていると思います。こられの皆さんのコメントで言われたことの意味を熟考することは、現在のアラムさんにとっては百冊の本を読むより意味がある筈です。ぜひ、じっくりと、真正面から向き合って下さい。それはきっと、結構苦しいことだとは思いますけどね。

では、また。

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1379 ペーパーバーチさん、Feb.さんへ
名前: ポカQ  投稿日: 2002年04月13日 (土) 03時39分37秒

こんにちは、ポカQです。
次の文章は、あるスピリチュアリストの方の日記に書かれていたものです。

---ここから引用---
言葉の端々に気をつけなさい・・・いくら言葉を取り繕っても、言葉の端々にその人の心が表れてしまいます。
また、言葉の端からその人の本当の気持ちが分かったりします。
言葉・・・本当に大切にして下さい。

人を見下したり、軽蔑したり、馬鹿にしたり・・・そのように言っている本人は何にも気にしていないかもしれません。自分の方が偉いと思い、気分良く話しているかもしれません。それに対して言われる方は心が傷つき、腹が立ち、憎しみの心さえ生じているかもしれません。
決して忘れまいと思い、心に壁を作っているかも知れないのです。それほど言われた方は大きく、針小棒大に感じているものなのです。

思いやりのある言葉・・・心が思いやりに満ちていれば、自然に話す言葉もそうなります。

---ここまで---

ペーパーバーチさん、Feb.さんもう一度お互いに自分の書いた文章を振り返ってみてはいかがでしょう?
相手の意見に対しての思いやりや、相手の立場を尊重する心構えがありましたか?
少なくとも二人のやり取りを見る限り、私にはその様なものは感じられませんでした。

若輩者が生意気言うようで申し訳ありませんが、相手の立場を尊重するというのは、相手のことを思いやることであり、利他愛の実践につながることではないかと私は思います。
どちらが先に煽るような言葉を出したのかは私には判断しかねますが、それに合わせて煽りの言葉を書くのでは、子供のケンカと同じではありませんか?
たとえ、自分とは正反対の意見を言う人がいたとしても、それを無下に否定してしまうのでは相手を思いやることにならないのではないかと思います。

お二人がテレビのコメンテイターなどと言うような仕事をしているのであれば私もこんなことは書きません。
そういうキャラクターで視聴者の興味をつかみ生活するということは、ある意味必要なことかもしれない、と私は認めています。

しかしあなた方お二人は、とにもかくにもスピリチュアリズムを信じ、それを実践していこうとする方々ではないのですか?
だとすれば、違う意見の人の立場も尊重し、その上で相手の人に自分の意見を認めてもらう、そういう努力をする必要があるのではないでしょうか?
ずうずうしいこと言うようで申し訳ないのですが、もう少しお二人とも、お互いの立場や、自分自身がプライドを持っているのと同様に相手にもプライドという物があるということを認識し、それをできるだけ認め合う態度が必要なのではないかと思います。

ペーパーバーチさん、Feb.さんにはもう一度自分の書いた文章を再考してもらいたいと思います。
生意気言って申し訳ありませんでした。

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1378 不良でごめんね。
名前: りゅうじん  投稿日: 2002年04月11日 (木) 15時57分48秒

江原さんのことはよく知りませんけど、僕は、スピリチュアリズムとは万人を救えるものだと思います。真理とは、誰も見捨てられることなく、その人の受け入れられる次元に合わせて与えられるべきもの。
スピリチュアリストたるものこうあるべき、みたいなことって、できる人はすればいいと思いますけど、多くの人には受け入れられにくいんじゃないかな。

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1377 ある晴れた春の午後、外来で
名前: TMH  投稿日: 2002年04月11日 (木) 15時09分16秒

それは唐突だった。
「何かストレスはありますか。」
と、ありきたりの質問をしたつもりだった。
全てのデータが「突発性難聴」というストレスに強く作用される診断を指し示していたからである。
答えるかわりに、突然彼女の目から見る見る涙が溢れ出した。
彼女はしばらく涙が流れるにまかせていた。
心の中で何かを反芻し終わったように、もとの笑顔になって涙をハンカチでぬぐった。
そうしてようやく
「あります。」
と一言だけ言った。
それだけで男は全てを了解した。
ストレスというにはあまりに辛いことが、
聴力を奪うほどの悲しみが彼女の前に立ちふさがっているのを。
「色々あるけど負けないで頑張りましょう。きっとよくなるから。」
悲しみの内容には触れず、そして説教くさくならないだけの時間を空けてから男は言った。
心の中にシルバーバーチの次の一節、今彼女に言うにはあまりに過酷な言葉を念じながら。

『困難に遭遇したら、歓迎することです。
それは困難のマスクをかぶった友なのです。
困難こそ霊的な力と成長を身につけさせてくれるのです。』
 
彼女は男の心を見透かしたように、もう一度涙眼で悪戯っぽく笑った。
男はそんな彼女を見ているのが息苦しくなり、
白衣の袖を無意味にまくりながら窓の外に目をやった。
散るには早すぎる桜の花びらが一片、ダンスをするように窓に一瞬くっついた後、
春の陽射しの中を風に飛ばされ消えていった。

彼女が礼をして部屋を出て行くのを見送りながら、
男はもう一度彼女の背中と、見えない何かに心の中でエールを送った。
それから気持ちを切り換えて、飛び切り明るい声で言った。
「次の方どうぞ!」

(ちなみに登場人物の彼女は、本日〈4月11日〉も外来に来られましたが、
初期治療が効を奏して、発症3日目にして聴力が劇的に改善しておりました(´_`;)ふ〜。)

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1368 スピリチュアリズムとは
名前: レッドマン  投稿日: 2002年04月10日 (水) 11時59分31秒

はじめまして。「レッドマン」と言います。先日のアラムさんの1358について書き込ませて頂きます。

以前からこの掲示板を時々見ていて、アラムさんはかなりの知識人だと思っていましたが、現実はそうではないようですね。

「江原」さんの本の内容をそのまま肯定するような意見では、アラムさん自身の「知識の中身」を疑います。
アラムさんは、「シルバーバーチの霊訓」と「最近の江原氏の著書(文庫本)」をどのように考えているのでしょうか。
最近の「スピリチュアル生活12ヶ月」の最後の部分には「占い」まで出てきます。この差は、はっきり言って「天と地」ほどあります。とても同じ次元で考えることはできません。「スピリチュアリズム」とは言えないものを「スピリチュアリズム」と言わないでほしいですし、また名乗ってほしくありません。私も今、スピリチュアリズムを学んでいる所ですが、これはある意味、許されない行為だと思います。アラムさんはどのようにお考えなのか、お聞きしたいと思います。

・・・「私の最終の目標は、心霊が真理であると理解されることです。そのとき、私は霊能者という名称を捨て、愛と奉仕のみに生きることができるでしょう」
「私は霊能者として暮らしています。心霊によって生業を立てているわけです。
しかし、私は利益を求めているのではないのです。将来は孤独や病に悩める人たちのために、人間らしい愛を奉仕する施設をつくる糧にしたいのです」
(『人はなぜ生まれ いかに生きるのか』 ハート出版 P71)
この目標が変わっていないので、将来にそうした奉仕施設がつくられたならば、それまでの相談料を取るということも許される範囲ということにはならなのでしょうか?・・・

とありますがアラムさんは本当にそのようにお考えなのでしょうか?
アラムさんはたくさんの本を読んでいて知識も豊富な方なのにそのような考えをされるとは、信じられません。利益を求めているのではないといって50000円とは、どういうことでしょう、なぜ今すぐ愛と奉仕のみに生きないのでしょう。先のことは分かりませんし、どんなきれなことでも言えます。このようなことも認めるんですか、理解に苦しみます。
「シルバーバーチの霊訓」を読んでいるはずのアラムさんが、この程度の本に違和感を感じないことの方が、不自然にみえます。

・・・「ベストセラーになればうれしい」という言葉にあるように一般向けの内容にしようという気持ちが強いせいで内容のレベルを落としてあるようにも思いますが、実際にベストセラーになったことから考えるとこのぐらいのものを求める人が多かったということでしょう。・・・

とありますが、私は、この「ベストセラーになればうれしい」という言葉の中に隠れている「江原氏」の本音が気になります。書かれている本の内容から言えば、これはもう「意図的な金儲け」に過ぎません。現代社会の特に「女性」をターゲットに、売れ筋をねらって意図的に書かれた文庫本だと思います。
「真理」は普遍的であるが故に時代を超えて存在しますが、「真理」は人間側の都合にあわせて迎合できる質のものではありません。あくまでも人間の側が「真理」にそわせる努力をする中で、本当の成長が可能となります。
その意味で考えると、江原氏の文庫本は、真理をねじ曲げて、読者向けに装飾された「偽スピリチュアリズム」と言うべきものではないでしょうか。
たぶんこうした意見は、ペーパーバーチさんと共通するのでしょうが。

アラムさんへ。私は、今ある「スピリチュアリズム」関連の書籍だけでも、「霊的な真理」にそった内省的な努力で、充分成長していけると考えています。いくら実践的な内容だといわれても、あの程度の本なら無い方がましです。
あなたは、スピリチュアリズムを何とお考えなのでしょうか。

一方的に書かせて頂ましたが、私の率直な意見です。

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1389 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年04月16日 (火) 23時05分51秒
レッドマンさん、はじめまして。当掲示板へのご発言、ありがとうございます。

レッドマンさんの書かれたことには一から十まで賛成です。厳しいですが、的を射ていると思います。特に付け加えることも無いのですが、いちおう賛成の意思表示だけしておきます(^^;。

是非またご発言下さい。今後ともよろしくお願いします。

http://www.paperbirch.com


1367  霊的真理は実践しなければ価値がない
名前: 有希  投稿日: 2002年04月10日 (水) 11時43分55秒

江原さんのことについて、私なりの意見を投稿しようと思ってあれこれ考えていたら、突然ADSLが不通になってしまって、ネット自身つなぐことができませんでした。
そしたら、今日突然繋がるようになっていて、見たら、ビッグママさんの的確なご意見が書いてあったので、ちょっとそこに便乗させていただくことにしました。

まず、アラムさんのおっしゃることは地上的な視点ですね。
私は霊的な視点から見た上で書かせて頂きたいと思います。

私は江原さんの本をちゃんと読んだことがないのですが、というより、ざっと見ただけで愕然としてしまって読む気が失せたというのが本当のところです。
というのは、一見するととてもスマートにきれいにまとまっているのですが、核心的なことが何一つ書いていないように思われたからです。
「自分を許してあげなさい」とか「愛が大切」とは書いてあるけれど、自分を許すとはどういうことか、どうやったら許せるのか、愛とは何か、ということすら明確には書いてなくて、耳障りのいい言葉を羅列して人気取りをしているとしか思えませんでした。
霊的真理を語るには無責任過ぎる、いえ、もしかしたらスピリチュアリズムの核心部分をわかっていないんじゃないかとさえ思ったほどです。

少なくとも「スピリチュアリズム」とうたっているのなら(実際に江原さんはそうおっしゃっています)、それも教える立場で書いているのなら、いくら一般向けとはいえ真髄まで書いてなければならないし、ましてやカウンセラーと称して多額の金額を取ること自体、わかっていない証拠だと思うんです。

> 「私の場合、「適職」はカウンセリングです。相談者の方からいただくお金で生活しています。有償のカウンセ
> リングなので、プロとして相談者と接することが出来ます。無償なら、相手への不満が出るでしょう。「一生懸
> 命、答えてあげたのに」という気持ちになりやすいと思います。相談者のほうも、無償だと気兼ねがあるでしょ
> う。お金を介在させることで、いい意味でクールな関係が成り立ちます」

ということですが、私には体の良い言い訳としか聞こえません。
だいたい、「無償なら相手への不満が出る」と言っていること自体が変です。
その部分の葛藤を超えて始めて真の利他愛になるはずですから、そう考えれば江原さんは利他愛を実践されていないということになります。
「私は利他愛を実践しない人です」と断言しているようなものです。
言葉としては耳障りのいいことを言っていても、実際は自分の心の葛藤を避けているだけではないですか。
もし収入を得るのなら、スピリチュアリズムと全く関係のない地上的なことで得たらいいと思います。
江原さんが「スピリチュアリズム」を名乗っていなくて霊能者として通すなら、それは構わないと思います。
霊能者としてカウンセリングして適切な料金を要求するのなら、それも構わないと思います。
実際に彼を中心とした(私には彼を教祖とした宗教団体としか思えない)勉強会が開かれているとのことですし、機関紙も「TWO WORLDS」というように、イギリスで出版されているものと同じ名称を使っているのですから(2年前はそうでした)、当然その長としての責任というものが課せられると思います。
視点を下げて述べるなら、どこまでも視点を下げることができるでしょう。
仮にもテレビに出て、機関紙を発行して、出版までし、大勢の人を集めて勉強会まで開いているのなら、私たちのように学ぶ段階の者とは一線を画して、誰よりも見本となるべく言動をしなければいけないはずです。

陶芸でも、なんでも、一流になればなるほど質にはこだわりますし、上を目指すことはしても、自分の質を下げ、相手の質を下げることはしないでしょう。
ビッグ・ママさんが書いていらっしゃるとおり、江原さんのしていることは、スピリチュアリズム全体の質を下げていることです。
まさか、「前向きな不倫と後ろ向きの不倫」とか「人生に必要なのは、念力とタイミングです」なんてことが書いてあったとは(ーー;) 更に愕然としました。
江原さんがスピリチュアリズムを本当に知っていたら、絶対に書けないことですよね。
やはり、彼は本当の「スピリチュアリズム」を知らないということです。
彼が知っているのはニューエイジ的なものなんです。
一般向けに、初心者に、入門書として・・・というのは一見して理屈が通っているように見えますけど、これは全体の質を下げている、いえ、蹴落としていること以外の何物でもないと思います。
江原さんはご自分のためにスピリチュアリズムを利用しているように見えます。

心の道場さんがなぜ無料でニューズレターを送っていらっしゃるのでしょうか。
「利他愛」はもちろん「霊的真理の普及」という最大のスピリチュアリズムへの貢献をし、スピリチュアリズム全体の質を上げようとしていらっしゃるからだと思うのです。
江原さんも長としての立場をとって活動していらっしゃるのなら、全体の質を上げることはできなくても、少なくともスピリチュアリストとしての一番基本は絶対にはずすべきではないと思うのです。
長となる者なら絶対に視点を下げてはいけないし、一般向けと称してスピリチュアリズムのレベルを下げるような出版はしてはいけないと思います。
そして、物事を何にも摩り替えない利他愛の実践をしてしかるべきだと思うのです。
私はニューズレターからそれを学びました。

ビッグママさん wrote:
> 「カウンセラーとして」というのでしたら、スピリチュアルという1語ははずすべきでしょう。江原さんがま
> だ、本当にスピリチュアリストとして歩もうというのなら、そうなさるのではないですか?

本当にその通りだと思います。

そして、私はアラムさんご自身にもうかがいたいと思います。
私の掲示板に書いていらした時はワンクッション置いて書きましたが、今回はちょっと辛口で言わせてください。

アラムさんの書いていらっしゃることは、一見すると客観的に物事を見ていらっしゃるように思いますが、玉石混合していらしゃいませんか。
アラムさんが知識者であり、膨大な書物を読んでいらっしゃるのは私自身敬服するところですが、それだけ読んでいらっしゃるにもかかわらず肝心な判断ができないというのは、あれこれ読みすぎて見分けがつかなくなっているのではないでしょうか。
霊訓ではなく、「国際スピリチュアリスト連盟の基本原理」に照らし合わせるなんてその典型的な例ではありませんか。

アラムさん wrote:
> ただスピリチュアリズムを実用的にしようとしている点では評価できると思います。

ということですが、これは無名の10キロのお米の中にわずか1%のこしひかりを混ぜて「こしひかりブレンド」という売り方をしているのと同じです。
たった1%スピリチュアルなことを述べているだけなのに、それをあなたは評価するわけですか?
弊害のことは考えないわけですか?

> 「本やサイトで初めて「スピリチュアリズム」という言葉を知って、「シルバーバーチの霊訓」に導かれていく
> という人はいるようです。そうした意味では江原さん、桑原さんという人たちも貢献はしているかもしれません。」

ということですが、あなたは霊界の動きを体験されたことがないんですね。

ビッグママさん wrote:
> どんな人であろうと「求めよ、さらば与えられん」です。背後では守護霊や背後霊が働きかけたくてチャンスを
> 今か今かと待っているのですよ。本当に求めている人に与えられないわけがないじゃないですか。「自信をもっ
> て断言しますが、われわれ霊界の者が人間を見放すようなことは絶対にありません。」とシルバーバーチがいっ
> ているではありませんか。(このあとに「残念なことに、人間側がわれわれを見放していることが多いのです」
> と続くのが胸が痛いですね。)

とビッグママさんがおっしゃっている通りです。

アラムさんは知識を求める人が一番陥りやすいところに落ちていらっしゃるように思います。
スピリチュアリストは実践をして葛藤をしながらも成長していくところに価値を置くはずです。
書物から霊的真理を得るのは地図を見るのと同じで、道に迷わないように最適なコースを選んだり、いざという時の手引書にもなるものですからなくては困るものです。
でも、もっと大切なのは、実際に自分で出かけて体験して確信していくものではないでしょうか。

アラムさんはどんな実践をされているのでしょう。
「勉強会&座談会」でもどなたかがそういった質問をしましたが、そのコメントから、あなたはご自分の体験から霊的真理を実感を持って受けとめていないのではないかと思ったほどです。
そして、その後の投稿でも、読書量も豊富だし知識も豊富だというのはよくわかるのですが、残念ながら体験的なこと、実践的なことが何一つ見えてこないのです。
違っていたらごめんなさい。

でも、あえて質問させていただきます。
利他愛を実践していらっしゃいますか?
真理普及をご自分のライフワークとして努力をしていらっしゃいますか?
お祈りを真剣にしていらっしゃいますか?

たとえ足りないとしても、自分では充分だと思えないとしても、一つ一つの小さな実践の積み重ねがあるのなら、そこから得たことを多くの人に還元していただきたいのです。
あなたが真理を知り始めたばかりの人なら私は何も言いません。
でも、あなたは多くの真理を知っていらっしゃいます。
それならなおさら実践していなければならないし、霊的視点をはずしてはいけないのではないでしょうか。
そうでなければ霊的真理を知った責任を果たせないと思います。

いろいろ書きましたが、アラムさんはしっかり受けとめられる人だと思うのであえて書きました。
私自身、江原さんのことだけでなく、誰に対してもこんなことを言う資格がある人間だとは思っていません。
でも、スピリチュアリズムを人生の指針として生きていることだけは自信を持って言えます。
その部分に関しては私は言う権利をもっていると思います。
そして、アラムさんには率先して成長していだきたいし、何より神と霊界の喜ぶ存在となっていただきたいのです。
それもあって思いきって書くことにしたしだいです。
ぜひ、スピリチュアリズムというものを根本から見なおして頂きたいと思います。

http://www2.wbs.ne.jp/~spirit

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1382 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年04月16日 (火) 00時09分31秒
有希さん、こんにちは。

ADSL、うちでも今日不通になりましたよ! 実は前にも一回なったんですが、ADSLモデムのスイッチを一旦切って入れなおしただけで復旧しました。なにかがリセットされて通じるようになるのかな?
もっとも有希さんのところはNTTの人でもわからなかったようなので(って書いてましたよね?)、そんな簡単なことではないでしょうけど……回線が通じなくなるというのは心臓に悪いですね(-_-;


|だいたい、「無償なら相手への不満が出る」と言っていること自体が変です。
|その部分の葛藤を超えて始めて真の利他愛になるはずですから、そう考えれ

そこは僕も同じ事を思いました。ああ、この人は愛がないんだなぁ、と。

利他愛は……まぁ僕にもそれほどあるわけじゃないので偉そうには言えませんが(笑)、この人の本から感じたのはスピリチュアリズムへの愛も無いということです。

この僕でさえ、こうしてインターネットでスピリチュアリズムを啓蒙することを無償で(いやむしろサーバーやドメイン代など数々持ち出しで)やって、しかも更新の時間を確保するために副業の仕事の依頼も結構断ったりしているので(僕にしか出来ない仕事以外はよそに出して下さい、などとエラソーなことを言ったことも(^_^;ゞ)、そのぶん今まで心霊学研究所につぎ込んだ労力を時給換算すれば数百万円単位になるはず。

なので、僕はお金のことで江原さんに苦言を呈する資格はあるはずだと(勝手に)思っているわけですが(笑)……無償なら不満が出るって、どういうことよ?、と。スピリチュアリズムやシルバーバーチが好きなら、貢献できればそれだけで嬉しいんじゃないのか? 自分の働きでシルバーバーチの霊訓と出会う人が一人でも出れば、それが一番の幸せなんじゃないのか? と、思うわけです。

……もしも不満が出るとしたら、それはお金なんかとは関係無くて、充分な働きが出来ない自分の能力に対して、じゃなければおかしいんじゃないかな。(僕にとっては切実な問題ですが)

http://www.paperbirch.com


1366 霊界人の思い
名前: ビッグママ  投稿日: 2002年04月10日 (水) 05時03分15秒

ペーパーバーチさん、こんにちは。シルバーバーチの最新刊、私は、丸善の向かいの「マナハウス」でみつけました。

アラムさん、こんにちは。
またまた、ちょっとコメントを・・・。

「スピリチュアリスト」という名称や定義はともかくとして、スピリチュアリズムという霊的真理普及にかかわる人間として、江原さんは論外です。無知がゆえに、ちょっとかじったスピリチュアリズムをよくわからんけどかっこよく使ってみたりして・・・というんなら仕方ありませんが、彼は違います。

シルバーバーチがこういっています。
「スピリチュアリズムの最大の敵は、外部ではなく内部にいる―つまり生半可な知識ですべてを悟ったつもりでいる人たちが、往々にして最大の障害となっているように見受けられます。」古代霊シルバーバーチ新たなる啓示46
さらに
「地上の同胞の心身の糧となる霊的事実の中継役をする人たちには、大変な責任が担わされています。その態度いかんが地上生活において、あるいは霊の世界へ来てから、その責任を問われることになるのです。」シルバーバーチの霊訓4−32

江原さんのみでなく私たちにも突きつけられる問題です。真理を知ったらそれを実践し、人に伝えなければならないのです。当然ですよね、そのために霊界がわでは長い間の準備の期間を費やし、今でも働きかけつづけてくれているのですから。そして、どんなことがあろうと決して見捨てないとまでいってくれているのですから。私はそうしたシルバーバーチ等の高級霊の言葉を信頼しています。同時に励みとしています。皆さんもそうではないですか?

私は、むずかしい定義はよくわかりませんし、どちらでもいいと思っているので、国際スピリチュアリスト連盟の基本原理はには心惹かれませんでした。それに照らし合わせてどうこうするより、シルバーバーチの本を読んで判断するほうが的確と思っています。人間側で作った綱領などというものは「アナボコ」だらけな気がします。

英国のスピリチュアリズムを学んだ人というと、格調高いような気がしますが、どこで学ぼうと真理は真理、変わりません。霊能者としてスピリチュアリズムを普及しようというのは殊勝な心がけかと思いますが、すべては「動機」に帰着するのではないでしょうか?ペーパーバーチさんが「スピリチュアリストではない」し、「内容がスピリチュアリズムではない」と断言されるのはそのあたりにあるんでしょうね。


「本やサイトで初めて「スピリチュアリズム」という言葉を知って、「シルバーバーチの霊訓」に導かれていくという人はいるようです。そうした意味では江原さん、桑原さんという人たちも貢献はしているかもしれません。」

というアラムさんのお言葉ですが、確かにそれはありますよね。でも、それで彼らの霊性が磨かれるというものではないと思うのです。やはりその本、サイトを作った動機が問題でしょう。時期の来ている人は、たとえ「そんなことで?」と人が思うようなことがきっかけで霊的な覚醒をすることもあると思うのです。

ニューエイジにはニューエイジの役割があると思います。霊的なものがあるということを浅く広く知らせていくという面ではよいのではと思います。それがきっかけで深く霊的真理に目覚める人が出てくれればよいのですから。スピリチュアリズムの役割とはちょっと違っていますよね。

すべての人が知っておかなければならない霊的真理とは当然あると思います。また、霊的真理を必要としている人もすべての人なのではないですか?本人の自覚があるかないかの違いです。そして、どんな人であろうと「求めよ、さらば与えられん」です。背後では守護霊や背後霊が働きかけたくてチャンスを今か今かと待っているのですよ。本当に求めている人に与えられないわけがないじゃないですか。「自信をもって断言しますが、われわれ霊界の者が人間を見放すようなことは絶対にありません。」とシルバーバーチがいっているではありませんか。(このあとに「残念なことに、人間側がわれわれを見放していることが多いのです。」と続くのが胸が痛いですね。)

「霊的真理を知らないがゆえに準備が出来ていない人、未熟な状態のままで肉体を去っていく人たちを放置しておけばよいのでしょうか?」

そういう人に霊的真理を知らせるのが、先に知ったものの努めですよね。でも決して「曲げる」必要はないはずです。だから私もアラムさんも江原さんも伝える義務があるんです。ただ、江原さんが本にしたり語ったりする内容、「アラムさんはスピリチュアリズムを実用的に使用としている」とおっしゃいましたが、私は「悪用」しているに過ぎないと思いました。

人間側の目線、都合で判断をすると往々にして間違います。世間一般には通用するでしょうが、霊的な視点の判断とは天と地ほどの差があります。私たちに求められているのは、霊的な視点、高級霊と同じ視点でものを見る、判断するということではないでしょうか?

どれだけ本を探しても、人間の書いたものである限り、シルバーバーチやインペレ―ターの言葉に勝るものはないと思います。それをベースにして忠実に日常生活の中で実践できるようにまとめられた点で、ニューズレター17号はすばらしいですよね。そこはアラムさんに同感です。

人間の事情と霊界の意図、どちらを優先するか・・・霊的真理を知った者は、こうした局面に必ずぶち当たります。そこで私たちの霊的真理へのかかわり方の深さ、霊界からの信頼が明らかにされてくるように思います。そうは思いませんか?

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1381 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年04月15日 (月) 23時02分15秒
ビッグママさん、こんにちは。

シルバーバーチの新刊、マナハウスにありましたか……。おっかしいなぁ、僕もあそこは二回も見に行ったんだけど……と、思っていたら、僕がいつも会社帰りに寄る名駅地下の三省堂にも入ってました(一冊だけだったのですぐに売り切れてしまったようですが)。名古屋でも最近ようやく入荷が始まったということでしょうか。慶賀すべきことです(^^)。

さて、#1360で……

|アラムさん、皆さん、私の思うところ長々と書きましたがどう思われますか?

との事でしたので僕の感想を言わせていただきますと「ビッグママさんに全面的に賛成です」。この江原さん関連に限らず、いつも的確なコメントを書いて下さるので(たぶん僕が書くよりずっと良い(^^;)とても参考になりますし、助かります。感謝。

江原さんについてスピリチュアリズムを“「悪用」しているに過ぎない”とのご意見には我が意を得たりの思いがしました。そうだよ、悪用なんだよな〜っと、一人でうなずいていたことでした。

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1364 スピリチュアリスト、スピリチュアリズムの実用書
名前: アラム  投稿日: 2002年04月10日 (水) 00時43分40秒

ペーパーバーチさん、こんにちは。

ビック・ママさん、ご意見ありがとうございます。

「スピリチュアリスト」をどのように定義するかが問題となります。

「霊訓によって霊的真理を学び、実践していく人」という意味でしたら、江原さんはスピリチュアリストとはいえないでしょう。

しかし、国際スピリチュアリスト連盟の基本原理
「一 万有の知的な最高要因としての神の存在
 二 人間は不滅の霊魂であって地上生活時にはやがて滅びてしまう肉体に
   中間体によって結合されているのである
 三 霊魂は不滅であって、生命の前進段階を経て、完成に向かって不断に
   進化する
 四 人間は全存在の間に在って個人としてまた集団として、私のまた公の
   責任を有する」(田中千代松さん訳による)
を受け入れる人を「スピリチュアリスト」とするなら、江原さんも「スピリチュアリスト」ということになります。

特に「心霊主義者」ということになりますと
「a 肉体死後の個性存続
 b 現世と霊界間の通信可能を事実として認める」
ということを信奉しさえすればよいということになるようです。

「心霊主義者」を「スピリチュアリスト」の中に含めるかどうかです。

江原さんを始めとする英国のスピリチュアリズムを学んだ人には霊能者としてスピリチュアリズムを普及しようとする人がいるみたいです。
SAGBの会員となっている人たちです。
ペーパーバーチさんが「スピリチュアリストではない」し、「内容がスピリチュアリズムではない」と断言されています。

本の内容、サイトの内容がスピリチュアリズムの普及につながるということは無いかもしれませんが、その本やサイトで初めて「スピリチュアリズム」という言葉を知って、「シルバーバーチの霊訓」に導かれていくという人はいるようです。
そうした意味では江原さん、桑原さんという人たちも貢献はしているかもしれません。

霊的真理を「一般的にしよう」、「実用向きにしよう」という二つの動きがあるようです。

この「一般的にしよう」とする動きが大多数の人間のレベルに合わせるという間違いにもつながっています。
ニューエイジも同じようになっていますし、ニューエイジを取り入れた「スピリチュアリズム」を掲げた組織もそうなっています。

「霊的真理は受け入れる時期がある」というのは確かです。

しかし、全ての人が知っておくべき霊的真理というものはありはしないでしょうか?

霊的真理を最も必要とする人はどうなるのでしょうか?

霊的真理を知らないがゆえに準備が出来ていない人、未熟な状態のままで肉体を去っていく人たちを放置しておけばよいのでしょうか?

「自分を愛し、自分を許しなさい」というのは確かに中心とするべきものではありませんが、それを必要とする人もいます。
本当の霊的真理に導かれるための準備のためにです。

『幸運を引き寄せるスピリチュアル・ブック』の中で私が少しは「スピリチュアリズム」につながるのではないかと思えたのは「幸せな人生にはルールがあります」という章だけです。

ただスピリチュアリズムを実用的にしようとしている点では評価できると思います。

スピリチュアリズムの実用書というものがもっと必要だと思います。

今度の「ニューズ・レター」の「霊的視点を身につける」は素晴らしい内容です。
しかし、こうした内容を一冊にまとめた本はこれまでなかったと思います。

私が素晴らしいスピリチュアリズムでの実用書と思ったのはテスター氏の『背後霊の不思議』とバーバネル氏の『霊力を呼ぶ本』の二冊ぐらいです。

ペーパーバーチさん、他に何かご存知でしたら教えてください。

しかし、『幸運を引き寄せるスピリチュアル・ブック』がベストセラーになったのですから、『背後霊の不思議』は『こうすれば健康と富と成功が得られる』の題名のままの方が多くの人に読まれたかもしれませんね。

日常生活における実践に関する霊訓だけをまとめたものを出版してもらいたいと思っていますが、無理なのでしょうか。

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1362 教えてください
名前: まさひろ  投稿日: 2002年04月09日 (火) 21時56分34秒

スイマセン。
ここでこういうことお聞きしていいのかわかりませんが、もし白龍大神サマのことで何か知っていることがあれば何でもいいので詳しく教えて下さい。
宜しくお願い致します。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90)Cfkok24DS06.fko.mesh.ad.jp

1374 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年04月11日 (木) 01時33分53秒
あ、僕と同じ名前だ(僕の本名は「将弘」です)

え〜っと、聞いて悪いことはありませんが、当サイトのテーマとはちょっと違いますね(^^)。それを知ったからって霊性が伸びるものではなさそうですから。あまりそういうことに拘ることを、当サイトは推奨しません。

ということで、「白龍大神サマ」のことは僕は何も知りません。ゴメンなさい。

http://www.paperbirch.com


1361 除霊
名前: えみ  投稿日: 2002年04月09日 (火) 15時21分00秒

お願いします
除霊して下さい
江原啓之さん

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1373 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年04月11日 (木) 01時18分38秒
あの人は自分に憑いているのを除霊するのが先です。

ところで、この数日、江原さんご本人がここを見てくれると良いな〜と、本当に心から思ってますが……たぶん見てないので、ここで江原さんにお願いしても無駄ですよ(^^;

http://www.paperbirch.com


1360 江原さんはスピリチュアリスト?
名前: ビッグママ  投稿日: 2002年04月09日 (火) 05時37分05秒

ペーパーバーチさん、こんにちは。
アラムさん、こんにちは。

江原さんのことでアラムさんがお書きになっていらっしゃるのを読み、書き込ませていただくことにしました。

アラムさんは、スピリチュアリズムのみならず、多方面にわたり見識深い方とお見受けいたしておりました。(ペーパーバーチさんもね。)それだけ知識も教養も深く、スピリチュアリズムに関してもよくご存知と思われる方が、なぜ1358のようなコメントをなさるのでしょうか?

私は、江原さんという方を深く知るわけではありませんが、少なくともアラムさんも取り上げていらした「幸運を引きよせるスピリチュアルブック」は読ませていただいております。一言でいえば、”若い女性向けのおしゃれな自己啓発ブック”というところでしょうか。あちらこちらにスピリチュアルとかガイド・スピリットという言葉が出てきて、一見スピリチュアリズムっぽいようですが、これをスピリチュアリズムというならば、あるいはスピリチュアリズム普及のわかりやすい手引書とでもいうならば、私はまだ宜保愛子(こんな字でした?)の話のほうがましじゃないかと思うくらいです。

江原さんの幼少期からの苦労、霊的な目覚め・志にうそはないと思います。しかし、このところの彼の著書、活動を見る限りではとてもスピリチュアリストとはいえないでしょう。霊能者=スピリチュアリストではないことはアラムさんも他の皆さんもご存知だと思います。江原さんの言動は、スピリチュアリストではありません。ましてや本の内容がスピリチュアリズムの普及につながるとはまったく思えません。シルバーバーチが

「真理というものは受け皿が用意されて初めて受け入れることができるのであって、それまでは知らん顔をしているものです。」

といっているではありませんか。大多数の人間レベルにあわせて、容易に受け入れることができるようにレベルを下げるべきではないでしょう。求める人が多いからそれにあわせて霊的な真理の的をはずすのは「罪」じゃないですか?誰しも、霊的な真理を受け入れることができる時期というものがあり、それこそガ―ディアン・スピリットが忍耐強くそこまで導いてくれるのではないですか?そうした時期が、人間レベルの浅薄な霊的知識でわかるものとは到底思えません。

「私の最終の目標は、心霊が真理であると理解されることです。そのとき、私は霊能者という名称を捨て、愛と奉仕のみに生きることができるでしょう」
「私は霊能者として暮らしています。心霊によって生業を立てているわけです。
しかし、私は利益を求めているのではないのです。将来は孤独や病に悩める人たちのために、人間らしい愛を奉仕する施設をつくる糧にしたいのです」
(『人はなぜ生まれ いかに生きるのか』 ハート出版 P71)

と書いていらっしゃるそうですが、スピリチュアリズムは今このときの実践がすべてではありませんか?将来のことを語ることは誰でもできます。私の周りには、霊能者でもなく、スピリチュアリストでもない方たちが、今、現在、私財をなげうって、孤独や病める人たちの施設を造っていらっしゃいます。その方たちのほうが奉仕の実践をしているという点で、ずっとすばらしいと思います。

もちろんそうした施設を造ることが重要ではなく、もっと重要なのは、霊的な真理を手にしたものがそれを「曲げることなく」一人でも多くの時期のきた方へ伝えていく、スピリチュアリズム普及の足場となることでしょう?江原さんがいう「自分を大切にしなさい」ではなく「人のために奉仕しなさい」ではないのですか?厳しかろうと何であろうと真理は真理です。そうしたもとでしか、本当の霊界の働きかけなどわかるわけがありません。

耳障りのいい言葉とさわやかな横文字の並ぶ文面から、なにやら乙女心はくすぐられるかも知れません。しかし、アラムさんほどの方が、そうしたところに偽ものを感じないということが納得できません。「前向きな不倫と後ろ向きの不倫」とか「人生に必要なのは、念力とタイミングです」などという頓珍漢な記述をどうお考えですか?スピリチュアリストとして、アドバイスすべきことは、素直に高級霊の言葉をそのまま語ればいいのではないですか?シルバーバーチの言葉にどれだけ多くの人が勇気付けられたことか。

「カウンセラーとして」というのでしたら、スピリチュアルという1語ははずすべきでしょう。江原さんがまだ、本当にスピリチュアリストとして歩もうというのなら、そうなさるのではないですか?適職と天職を分けて。

江原さんの本の最終章に「幸運を引きよせるスピリチュアルな1日」というのがありますが、私には、とてもスピリチュアルとは思えませんでした。ちょうど届いたばかりの心の道場さんのニューズレター17号の「霊的視野の実際―霊的視点を身につけるための実例」の方がスピリチュアルな1日を送るにはるかにふさわしい内容でした。ぜひ比べてみてください。

江原さんがシルバーバーチの一言でも引用していたら、きっともっと印象はよかったでしょうね。

アラムさん、皆さん、私の思うところ長々と書きましたがどう思われますか?

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1359 中国に関して
名前: Feb.  投稿日: 2002年04月07日 (日) 15時47分29秒

ペーパーバーチさん、Feb.です。

:あのぉ……「やはり」などといって「判っててワザとやったんだ」というフリをするのは止めたほうがいいと思うんですけど……。みっともないですし、だいいち信じる人はいないと思います。

ははは、、、
本当に自分の世界でしか物事が考えられない人なんですね。気の毒にさえなってきます。
(って書くと、また「フリをするのはみっともないよ」とくるのでしょうね(^^)。)

:僕の主張に対する反論って何かありましたっけ? とりあえず1337の投稿をみるかぎりでは一つも無いようですが……。

ですから、「議論なんてしていない」と言っているのです。
こうやって水掛け論になるのは分かり切っているから。
一つの問題に対して、いろんな考え方があるのはわかっていることです。同じ中国人の中であっても当然です。今回も懲りずに、あなたの主張にあった事例を引っ張り出してきていますが、そんなあなたの主張とは違った考え方もまた当然あって、「しな」という言葉に対していやな思いを持つ人が実際にいるわけです。それを「うそ」「まちがい」で片づけて、ご自分の主張を押し通すことがあなたにとって正しい行動ですか?とお聞きして、「そうだ。」ということですから、それ以上何も期待しているわけではありません。

:Feb.さん、威勢の良い言葉を並べても、反論できないことを誤魔化すことなどできませんよ。

おやおや、そっくりそのままお返しします。

:こんなところで勝ち目のない論戦に挑んでも鬱憤を晴らすことは出来ないと思いますし〜。簡単にあしらわれて、おまけにキャプテン・ウルトラがどーとかワケのわからん話をされて(苦笑)、余計にイライラしてしまうだけですよ〜(^^;。

ですから、論戦に挑むつもりなどないのですよ。
あなたの姿勢が知りたかっただけで、それがよく理解できたのでもう十分なのです。
「スピリチュアリスト」日記を書き、「スピリチュアリスト」掲示板を運営している方のね(^^)。

:|:高島俊夫の著書を読まれることをお勧めします
:|
:|本当におめでたい方ですね、笑ってしまいます。

:負け惜しみの捨てぜりふならもっと効果的なのを考えてくれないと、言われるほうとしても面白くないんですけど〜。(僕ならここで「ああ、さっそく“うけうり”ですか。底が浅いって悲しいですね(冷笑)」とでも書きたいところです。こんなふうに以前の発言が伏線として生きるコメントにすれば説得力が出て「捨てぜりふ」に見えなくなると思うのだ……って自分で書いてどーする)

いや〜、
ここまでくると心底気の毒になってしまいます。
本当に狭い思考範囲しかお持ちでないのですね。
「私も読みましたよ。でも、あなたとは違う感想を持っていますよ。」ということです。
私があなたに「シルバーバーチでも読まれることをお勧めします。」なんていったら、「おめでたいやつだ。」となるでしょ。
私だけしか知らないはずだ、私がこう感じたからみんなもそう感じるはずだ、そうでなければみんながおかしいんだ。あなたの文章には、そういう思いこみで書かれてある箇所がたくさんあります。
おわかりですか?
そして、その上でもう一度ご自分の書き込みをごらんになってください。いかに間抜けなコメントかおわかりでしょう。

しかし、ご自分の姿勢に対する意見には過剰に反応され、自分で批判だと判断したものを決して受け付けようとしないのに、ご自分は口汚く言いたい放題というのはいただけませんね。是非、冷静にご自分の文章を「スピリチュアリスト」としての心で読み返してみてください。
例えば、ちょうど私がここにやってきた頃の「スピリチュアリスト」日記と題する書き込みです。

:田中真紀子なんてあんなバカは更迭されて当然。
:大橋巨泉に到っては語る価値も無し。このバカはもっともらしいイイワケをしてましたが
:あんなバカに投票するほうが悪いので、
:そういや、そのバカの記者会見のとき、

いかがですか?

:僕は新右翼の野村秋介氏に私淑しています

おお!!そうですか、「考え方に共感する」という程度ではなく「私淑している」とまでおっしゃるなら、言動・生き方までも規範としているということですね。
「河野一郎邸を焼き打ち」し「経団連本部を襲撃」し「拳銃で自殺」してしまった生き方をですよね。
ですから、「中共のプロパガンダ」「日教組教師による洗脳」なんて、よく街宣車が五月蠅く喚いているのと同じ言葉がポンポンと出てくるわけですね(街宣車の主張が間違っているとは限らないそうですから、あなたにとってはそれで当然なのでしょうね)。

念のためにここまでの経過をまとめさせて下さい。

(Feb.)
:管理人さんへ。
:アラムさんの

:>「支那」という言葉は「中国」の方がよくはないでしょうか?

:という問いかけに対して、「スピリチュアリスト日記」と題して、

:>……支那は別で非難囂々ですが(^^;。支那にとっては

:と、「中国」と言わずに、敢えて「支那」と書く理由は何かあるのでしょうか。時期的(アラムさんの発言直後)に考えて、「敢えて」使用していると思えるのでお聞きします。
(:アラムさんの問いかけに、一言お答えしてから書き込みするのが「配慮」というものではないかな、そう思ったので、私には「これ見よがし」ととれたというだけのことです。)

との質問に対して、

(ペーパーバーチさん)
:嘘も百回言えば本当になるというのは本当ですねぇ。
:まともな議論をするつもりのある人だったら、こんなに判りやすく悪意むき出しの言葉は使わないと思うので(苦笑)。
:ま、僕としては、この手の煽りが入ると少しだけアクセスが伸びることがあるので、たまには歓迎。

といった言葉を並べて、はじめから私に悪意があるとの判断から挑発的な発言を繰り返されました。
私としては、なぜだか理解に苦しむわけですが、まともに話をされる気がないのならと思い、

(Feb.)
:個人的なこだわりを押し通すことによって、人にいやな思いをさせてしまうことがあるのなら、それは慎もうとは考えませんか、と言っているわけです。
ペーパー・バーチさんは、「考えない」というお答えですので、それで結構です。

:「煽り」などととらえずに、真剣に考えていただきたかったのですが残念です。私の言葉が足りず申し訳ありませんでした。
:ペーパー・バーチさんのお考えや思想といったものは、私なりによくわかりましたので、ありがとうございました。

と、話を終えたかったのですが、

(ペーパーバーチさん)
:今更こんな中共のプロパガンダを丸写しされても意味がないんですよね。
:恥ずかしげもなく既に論破された主張を繰り返してしまう。
:もともと思考停止の主張なんで、反論されても答えられないというのが本当のところでしょう。
:日教組教師に洗脳された中学生じゃないんですから、
:支那人自身も支那という言葉は差別だという嘘を教え込まれ騙されているわけですから、

と言いたい放題なわけです。
私の書き込みを「煽り」と決めつけておられますが、どちらが煽っているのでしょうね。

ということで、不本意ながら私の方もこのような対応になってしまい、周りの方々にはご迷惑をおかけしているであろうことを、お詫びいたします。

改めて申し添えます。「しな」呼称についての差別性云々について、「うそ」と断定している方と議論する気はまったくありませんし、あなたがご紹介くださるサイトなどは当然目を通していますので、もう紹介いただかなくて結構ですのでよろしくお願いします。
そして、これ以降まだ私に言いたいことがおありでしたらメールでお願いします。
忘れた頃に書き込まれても、見逃してしまったり(それが狙いなのかもしれませんが)間が抜けてしまいますし、周りの方にとっては不愉快なだけでしょうから。
では、失礼します。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)ponkan.drm.edu.net-kochi.gr.jp


1358 江原さんのこと
名前: アラム  投稿日: 2002年04月07日 (日) 00時09分44秒

ペーパーバーチさん、こんにちは。

まだ江原さんについてのコメントがなされているようですね。

ペーパーバーチさんが「荒稼ぎしたお金でなにか世のため人のためになることをやろうという心意気があるんなら」と述べられていました。

江原さんの著作を見てみますと、
「私の最終の目標は、心霊が真理であると理解されることです。そのとき、私は霊能者という名称を捨て、愛と奉仕のみに生きることができるでしょう」
「私は霊能者として暮らしています。心霊によって生業を立てているわけです。
しかし、私は利益を求めているのではないのです。将来は孤独や病に悩める人たちのために、人間らしい愛を奉仕する施設をつくる糧にしたいのです」
(『人はなぜ生まれ いかに生きるのか』 ハート出版 P71)
と書かれています。

この目標が変わっていないで、将来にそうした奉仕施設がつくられたならば、それまでの相談料を取るということも許される範囲ということにはならないでしょうか?

それに、江原さんは「霊能者」ではありますが、「カウンセラー」です。
「カウンセラー」は一つの職業であり、「カウンセリング料金」をもらって仕事をするものですよね。
始めから料金をいただきますと掲げてあるわけです。

「私の場合、「適職」はカウンセリングです。相談者の方からいただくお金で生活しています。有償のカウンセリングなので、プロとして相談者と接することが出来ます。無償なら、相手への不満が出るでしょう。「一生懸命、答えてあげたのに」という気持ちになりやすいと思います。相談者のほうも、無償だと気兼ねがあるでしょう。お金を介在させることで、いい意味でクールな関係が成り立ちます」

「私の「天職」は、月に一度、一般の方を対象に開いている勉強会や、本の執筆です。それで生活をしようとは思っていません。もちろんベストセラーになればうれしいですが、お金を稼ぐために書いているわけではありません。自分が心から信じることを人に聞いていただく。それがその人の人生に役立てば、私の心が満足するのです」
(『幸運を引き寄せるスピリチュアル・ブック』 三笠書房 P169)

「ベストセラーになればうれしい」という言葉にあるように一般向けの内容にしようという気持ちが強いせいで内容のレベルを落としてあるようにも思いますが、実際にベストセラーになったことから考えるとこのぐらいのものを求める人が多かったということでしょう。

立派な施設ということですが、「スピリチュアリズム研究所」がその名の通りに「霊的真理の普及」に貢献できるならば拠点としての役割を果たすことになるでしょう。

ハナリンさんの「その人の金銭価値に任せるべき」との意見に賛成です。
求める人にとっては「いくら高くても構わない」というようなものでしょうから。

江原さんが一冊目の著作に書かれたような「愛と奉仕」のための拠点施設をつくるかどうかにかかってくるでしょう。

著作に関してはもっと霊的に質の高いものを出してもらいたいとも思います。

「シルバーバーチの霊訓」があれば霊能者など必要ないとの見方も出来ますが、身近なことに霊的真理をあてはめた例題がないと理解しにくいということはありますし、実践に関する霊訓だけをまとめたものというものも出てはいないようですから、まだまだ近寄りがたいということもあるでしょう。
そうした意味での入門レベルのものはもっと必要だと思います。

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1353 ありがとうございます
名前: サード  投稿日: 2002年03月31日 (日) 11時12分17秒

こんにちわ、アラムさん。
まずは、お返事が送れたことをお詫びします。すんません。
そして、丁寧なご回答ありがとうございました。

>ただ伝統として伝えられてきたものなのか、
>それとも霊的真理の光を宿しているが故に残ってきたものかということを見分けなければなりませんね。
(改行位置変更)

そうですね。その通りだと思います。
私が今のところ心得ている、霊的知識ですが

1 死によって生命は終わらない。死後存続はある。
2 霊界はある。
3 霊界は漠然とした無秩序ではなく、霊の親和性により秩序だった存在:組織となっている
4 因果は存在する。
5 地上の我々を見守る霊的存在がある。

くらいかな?まだ他にも色々あるでしょうけれど、今の自分に理解できてるのはこれ位です。
これに照らし合わせると、沖縄の風習というものに霊的知識との矛盾がありません。
墓の立て方だの、位牌の取り扱いだの、それらはおかしいと思いますが、
沖縄で言う「ぐそー:あの世」に対する基本的な捕らえ方はまずいっしょだと思います。
まあ、だからこそそこが悩みの種でもあります。

『 貴方の死んだ肉親は、いまだに病院にマブイを落としている。
  それは拾ってあげなければならない。』

互いに面識をもっていない、複数のユタ(沖縄の霊能者)さんに同じ事を言われ、
これを同解釈してよいかで悩みました。
とはいえ、この悩みは私の理解が浅いためでしょう。
私の霊的知識が深まれば、それもすっきりと理解できるようになるのでしょうね。
こんなとき、自分に霊能があったら、とつくづく思います。
そうすれば、様々な角度で霊的知識を吟味し、もっと深く理解することができるのですから。
(霊能は開発できないのでしょうかね?)

*ゆたさんらの名誉のために述べますが、私の知る方々はインチキ霊能者ではありません。
*ボッタクリを専門とする低霊能力者でもないと判断してます。
*その理由をいちいち述べると長くなりますので割愛しますが、
*その言は信用に値すると私は判断しています。

アラムさん、お返事ありがとうございました。
また何かありましたらよろしくお願いいたします。

サード

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1371 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年04月11日 (木) 00時58分54秒
サードさん、またまたこんにちは(^^)。

|『 貴方の死んだ肉親は、いまだに病院にマブイを落としている。
|  それは拾ってあげなければならない。』

|互いに面識をもっていない、複数のユタ(沖縄の霊能者)さんに同じ事を言われ、
|これを同解釈してよいかで悩みました。
|とはいえ、この悩みは私の理解が浅いためでしょう。

それがユタさんの決まり文句でなければ(恐山のイタコさんなんかは、何と何を言ってというのがほぼ決まっているらしい(^^;)、きっと何かあるんでしょう。本当にご本人の魂がそこに残って(迷って)しまっているのか、それとも単に亡くなる前の思念がその場に残っただけなのか。

「拾ってあげる」というのが具体的にどういうことをするのか判りませんが、簡単に出来る事ならやってあげても良いでしょう。気休め程度のものだと思いますが(高額なお金のかかることなら止しましょう)。とても出来そうにない事だったら……そんなこと言われても困ってしまいますよね(笑)。何にもしなくても、この世から離れた人のことは、基本的には霊界側で面倒を見てくれるものです。先祖代々の宗教的な行事さえやっていれば、それ以上はそれほど気にする必要はないと思います。

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1352 伝統文化と霊的真理
名前: アラム  投稿日: 2002年03月24日 (日) 22時03分27秒

サードさん、はじめまして。

霊的真理は普遍的なものであり、表現の仕方は違っても相通ずるものとしてあらゆる民族に届けられてきたということを理解されておられるのですね。

まず高級霊界通信とされるものはキリスト教圏に伝えられているものが多いということは確かですね。

しかし、その中にあって『シルバーバーチの霊訓』は最も普遍的な基本的な真理を伝えてくれているものだと思います。

サードさんも「真理と呼ぶのに最もふさわしいものの一つ」と判断されましたね。

何よりも「これはキリスト教の人の話」と決めつけずにみてもらうことが大切だと思います。

他の霊界通信は確かにキリスト教というものが多いのですが、『シルバーバーチの霊訓』に限っては、よく使用されている「大霊」という言葉はネイティブ・アメリカンの信仰より出てきているものですし、仏教とも共通する部分というより、ゴータマ・ブッダがはっきりとは説かなかった仏教の霊的真理の部分をも説いているように思われます。

まずは地上の全ての人の知るべき基本的な霊的真理とは何かをつかむことが重要でしょう。

それから、伝統文化の中に含まれている霊的真理の部分は何なのかということをみつけていくことでしょう。

日本においては特に北海道と沖縄には特有の霊的死生観があるように思われます。

ただ伝統として伝えられてきたものなのか、それとも霊的真理の光を宿しているが故に残ってきたものかということを見分けなければなりませんね。

「すべての人種がそれぞれの長所と、独自の文化と、独自の体系的知識を持ち寄って調和の取れた生活を送るようになる日が、次第に近付きつつあるのが分かります」(『シルバーバーチは語る』 P34)
と説かれていますから、伝統文化の中に霊的真理と一致する部分があることは確かです。

人類の霊的進化の歩みにとって役立つもののみが価値あるものとされていかねばならないわけです。

特にこの地上のものでしかない、霊的な意味を全くもたない風習などはなくなっていくべきでしょう。

私も様々な民族に特有な霊的思想が示されている霊界通信はないのかと思ったりもしますが、「日本神霊主義」といった例に見られるように、その地域・民族に合わせたものにしようとすると、共通点だけではなくそうでない部分まで同じように扱ってしまうという傾向になりやすいのです。

まずは共通の部分、全ての地上人に向けて示された部分をとらえて、その後に違った表現のされ方をしている部分に目を向けていくべきでしょう。

「スピリチュアリズム」の示す霊的真理は世界各国で伝えられたものの中から共通の部分をまとめていったものです。

ですから、それと照らし合わせて、同じ輝きを宿していると思われるものから目を向けていくべきだと思います。

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1351 失礼しました。恥ずかしい。
名前: 矢国 建  投稿日: 2002年03月24日 (日) 17時01分59秒

ペーパーバーチ様、さすが情報が早いですね。失礼しました。一番乗りかと得意になっていましたのに。お仲間うちでお笑いください。江原さんの腰巻は気に入っていない様子ではずしてありました。

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1372 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年04月11日 (木) 00時59分59秒
(↑たぶん皆さんには何のことか判らなかったと思いますが、矢国さんはメールでシルバーバーチの新刊の情報を教えてくださっていたのでした)

矢国さん、お久しぶりです。

いや、僕もたまたまアラムさんから教えて頂いただけですから。もしもアラムさんや矢国さんからの情報が無ければ、未だに新刊の発売を知らないままだったと思います。それにメールを頂いて、気にかけてくださっているんだな〜と思って嬉しかったですよ(^^)

ところで、amazon.co.jpから届いた本には、江原さんの腰巻が付いていました。残念。せめて売り上げに貢献してくれればいいんですけどねぇ(書店にも並ばないのでは……)

今後ともよろしく〜。

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