心霊学研究所

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)1451-1500の過去ログです。
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1499 最後の?まとコメ
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年05月19日 (日) 04時35分03秒

どうもどうも。これで最後のまとコメのつもり……なんですが(^^;。

>1476 hiromi☆さん

シルバーバーチのオススメは全部オススメなんですが(笑)、「勉強会&座談会」の掲示板の方にちょっとそのことを書いたばかりですので、宜しければそちらをご覧下さい。ご覧いただいて、クリックしていただいて、注文して下さいませ(^^;。で、ご夫婦でお読み下さい……ってアフリカ系なんですか(+_+)。日本語で本を読むのは辛いですかねぇ。英語の原書なら比較的手に入り易いですが、それ以外の言語だと難しいかも。(でも、いろんな言語に翻訳されているそうですけどね)

(月)(火)の話、笑わせいただきました(^^)。でも、それは理解できるように説明してくれない人の方が悪いですよね。僕はずっとMacだったので、昨年Windowsを買って初めて実際に丸数字が表示されてるのを見ました。理屈は知っていても、実際の表示は初めて見たので「ほ〜、なるほど〜」と思いました(^^;。
(注:Macにも丸数字はあります。ただしMacで丸数字を使うと、今度はWindowsで文字化けします)


>1477 山田さん

山田さん、はじめまして。当サイトの管理人のペーパーバーチです。歓迎します。

「せっかく考えたので」とのことでしたが、書いていただいて本当に良かったと思います。山田さんの投稿を読んでいて、なぜだかちょっと涙が出てきてしまいました。
(ハズカシイんですけど、最近この掲示板を読んでいて泣けてくることが多いです。なんだか胸の奥から暖かいものが込み上げてきて、ジワーっと……。歳の所為ですかねぇ、って言う歳でもないんだけど)

|正直言って私も、少しですが、より多くの人に知ってもらいたいとあれこ
|れ実践してみた一人です。でも、現実はとっても難しく「霊的真理」を受
|け入れられる人は本当に少なく、目先のアドバイスでは結局何も成長の手

僕も実は昔はいろいろとやっていました。スピリチュアリズムの概略をワープロで書いて、そのコピーを思いつく限りの友人知人に配りまくったりしてましたよ。たぶん100部近く配ったと思います。でも、そうして啓蒙したつもりでいた人たちのうち、今でもシルバーバーチの霊訓を読んでいる人は、もしかしたら一人もいないかも知れません。……なんか今考えると、そこらの宗教団体の信者とほとんど同じことをやってたんですね。ハズカシイ……。

押しつけがましくコピーなんか配らなくても、「あの人の生き方そのものがスピリチュアリズムだ」と思われる人間でありたいものです。常に克己的に努力はしてるつもりなんですが……道は遠い(特に僕にとっては(^^;)。


>1481 きりこさん

一杯やりながらですか。いいですねぇ。そういや最近飲みに行ったりしてないなぁ。家で晩酌するのでさえ月に数回程度ですし。

農業の話はあまり詳しくないので(関心がないわけではないんですが、何冊か本を読んだりした程度です)間違ったことも書いているかも知れません。変なこと言ってたら遠慮なく突っ込みを入れてくださいね。


……ということで、ようやく当掲示板の議論の流れに追いつくことができました(のかな?)。初登場のみのりさんへのご挨拶と、きりこさんの最新の投稿へのコメントは、それぞれの投稿に直接ぶら下げていますので、ぜひそちらもご覧下さい。
#1489 ビッグママさんへのコメントはもうちょっと推敲したいので、一日〜数日お待ちくださいませ。

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1496 RE:1482 無農薬原理主義者の強迫観念
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年05月19日 (日) 03時15分35秒

あっこさん、はじめまして(ですよね?) スピリチュアリズムの話とは違っても気にしなくて良いですよ。


|江戸時代の有機農業技術に比べ、現代の有機農業技術はいろいろな面で進化
|していると思います。

まぁ、そりゃそうですよね。そうした技術的進歩も、農業を取り巻くさまざまな要因の一つではあると思います。しかし江戸時代以前は云々と言いたがる無農薬・有機原理主義者とも言える人たちは、前回僕が書いたような日本の人口や人件費などの要因を無視して「江戸時代以前はみな無農薬だったのだから」と言います。そういうことを言うなら……というのが僕の書いたことの趣旨です。

ただしもちろん、技術的進歩を考慮しても、現状では完全無農薬は主流にはなりえないということです。


|>単純に、昔は出来ていたのだから
|>今でもやる気があれば出来るだろうとは言えない話です。

|そうでしょうか。
|やる気があれば不可能を可能に変えてしまうだけの技術革新が生まれる可能
|性があります。やる気がなければ進歩は望めません。

僕は何も「やる気がある」ことがダメだとは言っていません。しかし、無農薬を実現するために極端に手間が増えることを善しとしているようでは、それこそ進歩は望めません。これではダメだと思ってくれなくては。

有希さんのご発言や、今回のあっこさんの投稿からは、そういう問題意識が感じられないのです。妄想的な農薬・化学肥料嫌悪と、盲目的な無農薬・有機肥料信仰は感じられるのですが……。


|農薬で危険性の少ない物なんて、あるんでしょうか。
|シルバーバーチさんにお聞きしたいものです。「人体に安全な危険性の少な
|い農薬って、ありますか?」と。
|農薬は体に蓄積されますし、土壌から河川に流れ出し環境を汚染します。

全ての農薬が体に蓄積されると思っているんでしょうか? そんなありえない話が根拠ですか?

「危険性の少ないもの」……もちろんあるに決まってるでしょう。多いか少ないかは比較の問題です。ちょっと昔までは主に有機水銀剤やBHC、DDTなどの有機塩素殺虫剤などが使われていました。これは残留性も強いですし、環境汚染も深刻でした。しかしこれらの「危険性の大きいもの」は1960年代後半に禁止されています。現在使われているものは、それらと比べて遥かに「危険性の少ないもの」です。

それでもほんのわずかでも危険性があったら使ってはダメだとおっしゃるかも知れません。きっと家の中に蚊やゴキブリが出ても、蚊取り線香も殺虫剤も一切使わないのでしょう。殺虫剤は安全じゃありませんものね。ところで、20冊も出ているシルバーバーチの霊言集にも、さすがに農薬の話は出てきませんが、殺虫剤のことなら言及されています。

  「すべての生命に敬意を抱かねばならないのは言うまでもないことで
  すが、これも動機と程度の問題です。特殊な環境において病気の原因
  となる虫が発生するので殺虫剤を使用するという場合は、その動機は
  正しいと言えます。生きるための環境条件を確保する必要を考慮に入
  れなければいけません。たとえばダニが発生した場合、その家に住む
  者の健康を確保するという動機からであれば、スプレーして駆除して
  しまった方がくつろいで暮らせます」
  (『シルバーバーチの霊訓(8)』P.181)

要するに程度の問題で、無農薬原理主義者の間違いは程度の違いをまったく考えず、少しでも使っていれば「ダメなものはダメ」という強迫観念に囚われているところです。


|売れるというだけで安全面や健康のことを考えず見栄えの良いものを作る事
|しか考えない農家もいるのです。
|全ての農家がそうだとは言っていませんよ。

その通り、全ての農家ではありません。ですから、慣行栽培農家を十把一絡げに「農薬がどんな悪影響を及ぼすかは考えずに」などと非難するのは止めませんかと、僕は言っているんです。

農薬の害なんて知ったことかという、腐った連中も少なくないことぐらい知っています。支那など政府ぐるみで「農薬三倍使って金持ちになろう」とやっているぐらいで、日本にだって同じ考え方の人はいるでしょう(-_-;。


|神の摂理に反した方法(農薬・化学肥料づけ)だから虫がつきやすい弱い作
|物になるのではないでしょうか。

だからそれが開き直りだと言ってるんです。自分たちは無農薬だから虫がついているのは仕方がないと言いながら、慣行栽培の作物は弱っているから虫が付くなどと言う。世の中ではそういうのを「ダブルスタンダード」と言います。

それから、ここであっこさんは有機農法と対比して、慣行農法の作物を「農薬・化学肥料づけ」といいました。そういう杜撰な現状認識をこそ、僕は批判しているつもりなんですが、まったく理解されていないようですね。あなたも病気になれば薬を飲むこともあるでしょう。少しでも薬を飲んだら、果たしてその人は「薬づけ」ですか?


|>後継者は育つのか、

|これは農薬を使おうが使うまいが、現在農家の抱える悩みですね。

こういう脊髄反射レスで無責任なことを言い放つ神経を疑います。よぉく考えて、ご自分がいかに無責任なことを言っているか考えてみることです。


|これと同じで人体も環境も汚染する農薬を使った食物生産は神の摂理に反し
|た方法だと私は考えています。
|環境を汚さず人体にも安全な方法が人類に用意されていると思えてなりませ
|ん。

自動車は環境を汚染しますね。もちろん飛行機も電車も船も、どれをとっても「人体も環境も汚染する」ものです。そこで僕の立場は、どうせ使わねばならないなら、できる限り環境に負荷が少なく現実的なハイブリッドの車を普及させよう。なるべく自家用車よりバスや電車に乗ろうというもの。

あっこさんの主張は、ハイブリッドだって排ガスを出して環境を蝕む神の摂理に反するものだ。ガソリン車もアルコール車も、もちろんハイブリッドも全部ダメだ。電車だって発電所が環境を汚染しているじゃないか。太陽電池か水素燃料車にするべきだ。……というようなものです。

ま、確かに太陽電池の自動車も存在しますし、水素燃料の車も試作車は走ってますけどね。どうして今すぐにそれらがガソリン車と置き換えられないのか……説明の必要はありませんよね。もちろん、一部に無農薬栽培の方法がいろいろと試されていて、部分的にはうまく行っているところがあることぐらい知っていますよ。(リンクまで張って紹介してるんだけどなぁ)


|>最近のエコロジー志向の高まりもあって完全無農薬の農業を志す人は多い
|>よ
|>うですが、実際にはほとんどの人が挫折していると聞きます。

|おそらく、やり方が悪いのでしょう。
|現に無農薬・有機栽培でJASを取得して頑張っている農家もいますから。

そうですね。野球少年のほとんどがプロ野球選手になれないのは、おそらく「やり方が悪いのでしょう」。現にプロ野球選手になっている人もいますから。美術大学の学生のうち一割以下しか作家になれないのも「やり方が悪いのでしょう」。現に画家として成功している人もいますから。完全無農薬を志すほとんどの人が挫折するのも「やり方が悪いのでしょう」ね。現に(以下略)

無農薬の農業を志すほどの人は、失敗した人だってある程度は勉強しているはずですよ。少なくともあっこさんが知っている程度のことは全部知っているでしょう。人生をかけてるんですから。それでも大部分が失敗するようなものが、日本の自給率をカバーできるはずがないでしょう?

それから、漢方の薬草であろうが薬は薬です。害の無い薬などありません。あなたの理論では、使っちゃいけないんじゃありませんか?


|努力して試行錯誤を繰り返せば、霊界からヒントを得て、バラを栽培してい
|る人のように、その作物にかなった病害虫対策を見つけ出せるかもしれませ
|ん。

要するに、まだ試行錯誤が必要で、それぞれの作物にかなった病害虫対策も見つかっていない状態。つまり現状では一般的なものとして考えるのは時期尚早ということでしょう? 方法が確立もしてないくて、実際に多くの人が失敗して人生を棒に振っているのに「努力すれば……」などとは無責任でしょう。簡単に試行錯誤と言いますが、一度の「錯誤」でどれだけの損失を被るのか……そんな余裕のある農家がどれだけあると思いますか?

だから現状では、一般の農家は慣行栽培で、少しずつ減農薬。無農薬をやれる人はどうぞどんどんやってくださいと、前回も言ったとおりです。本当に、一部の人だけではなく、やろうと思った人のほとんどが成功できて、極端に労力が増えることもなく、収量は減らず、価格も慣行栽培と同等に出来る方法が確立したなら、そのときこそ日本中の全ての農家は無農薬を志すべきですし、実際にそうなるでしょう。(現状では減農薬でさえ失敗する人が多い)

ここでもう一度確認しておきますが、僕の主張のポイントは2つ。
1.無農薬栽培を労働時間を極端に増やすことでしか実現できないなら、一般的なものとはなりえない。
2.慣行栽培でも減農薬の方法は研究されている。十把一絡げに悪呼ばわりするのは妄想的な無農薬信仰とでも言うべきもので、ナンセンスである。


|上記のような悪どい連中は例外として、現に有機農法はビジネスとしてなり
|たっていますよね。
|自然食品の店などで売っている有機栽培のニンジンを食べたことありますか?
|甘くて味が濃くてニンジンのニオイが強くて美味しいんです。

非常に高価なものが、一部の人間を対象に成り立っているだけです。しかしその一方でマクドナルドのハンバーガーを美味しいという人間がいる国ですから(トイレットペーパーを固めたような味だと僕は思うんですが(^^;)、美味しいからって高くては一般的なものにはならないでしょうね。

椅子一脚で十万円手作り高級家具がビジネスとして成り立っているとしても、それを日本国民のほとんどが使うようになることは絶対にありませんよね。そりゃあ確かにモノは良いでしょうけど。工場生産なみの値段で売らねばならなくなったらビジネスとしては成り立たなくなるはずです。(もちろん、ごく稀に、成り立たせることが出来る人も、いることはいるでしょうけど)

味は、有機・無農薬だって不味いものはありますし、慣行栽培でも美味いものもあります。有機でも過剰施肥すれば濃度障害を起して不味い作物が出来るのは当然ですし、だいいち今どき慣行栽培の農家でもみんな有機肥料も使ってますよ。一般的に有機農業を志す人は、慣行栽培の農家よりこだわりを持っている人が多く、栽培技術が優れている場合が多いと思われますので、有機野菜が美味いということは事実の場合が多いとは思います。

先日、本当においしい理想の野菜の生産者として有名な方の著書をみたんですが、その方は土作りのためには必要なものは何でも使うという考えで、一応メインは有機肥料のようでしたが、化学肥料も使っているようでしたし、必要に応じて農薬も「薬として」使うとの事でした。要するに栽培技術の問題であって、肥料が化学だからダメとか、農薬を使っているからダメとかいうのはナンセンスだと思います。

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1495 はじめまして
名前:  みのり  投稿日: 2002年05月18日 (土) 19時44分32秒


ペーパーバーチさん、みなさん、はじめまして。みのりといいます。
私もシルバーバーチが大好きでずっと読んでまして、ここの掲示板は時にはハラハラドキドキしながらロムしてきました。
でも、ここでの最近のみなさんのやり取りは私にとってすごく勉強になります。私みたいな若輩者がここで発言するのはなんだか恐いといか、つまり反論されたら私なんかひとたまりもなくヘコんでしまうんじゃないかと思って書くのを躊躇していました。でも今日は反論されてヘコむのを承知で思い切って出てきました。どうか皆さん、お手柔らかにお願いします。

なぜ書く気になったかというと、同じシルバーバーチを読んでいるのにずいぶん意見が違うものなんだなあ、というところから、私なりにだけれど考えてみました。私の考えたことが正しいかどうかはわかりませんが、とりあえず書いてみます。

最初考え始めたのは、ペーパーバーチさんが皆さんの意見に対して反論されたことに対してでした。
以前はすごくスカッとする反論で心地よかったのですが、今回に関してはあまり気持ちよくないんですよね。
自分の思考としては納得するんだけれど、心の部分ではすっきりしないのはなぜだろうと思って、この点を私なりに絞って考えてみました。

一つ目はビッグママさんに対してのものです。

>|今までの自分のものさしをいったん横へおいて、あるいは捨てでも
>|新しいもの(スピリチュアリズムの真理)に取り組んでみてくださ
>|い。

>僕はむしろ、今までの人生で培ってきたご自分のものさしの全てを総動員して、この新しい知識を徹底的に調べて下さい、と言いたいでね。導優さんが「受け入れるときが来ている人」なら、今まで持っていたものさしで、スピリチュアリズムの正しさを測ることが出来るはずです。理性というものさしで測られることは、シルバーバーチ自身も望んでいることなんですから。

というご意見ですが、どっちの意見もなーるほどと納得しました。でも、お互いに反対のことを言っているのでちょっと戸惑いました。それでまずここから考えてみることにしました。何度も何度も読み返したら、ビッグママさんの言っていることの奥深さがわかったような気がしました。

ペーパーバーチさんが何度も引用されている「理性で納得できないことは受け入れなくてもいい」というこの言葉は、私にはすごく画 期的、かつ衝撃的でした。それで、ペーパーバーチさんの発言の一つ一つに納得していたのですが、ビッグママさんたちの意見を読み
返したら、理屈では説明のつかない納得の仕方をしたので自分でも驚きました。これはきっと、私が自分の理性を越えたところで感じて納得したような気がするんです。シルバーバーチは「最後は信じるしかない世界があります」とも言っていますから、ビッグママさんの言われたことはその世界のことなのかなあと思ったわけです。

ここで、なぜシルバーバーチが「理性で納得できることだけを」と言っているのかも考えてみました。シルバーバーチはよく「肉体が霊を曇らせている」みたいなことをよく言っていますよね。それから考えると、「霊的視点で物事を見られない人は、仕方がないから理性で考えてください」、と言っているように思えたんです。シルバーバーチは本当は理性じゃなく、理性を超えた部分で判断してほしいのじゃないでしょうか。なんだかそんな気がします。考えてみれば、霊的真理がよくわかっていない人とか、時期の来ていない人とか、まだ成長していない人は、自分の物差しを総動員して判断するしかないですもんね。

とりあえずここまで考えたので、投稿してみることにしました。
他にもまだいろいろありますが、長くなるので、考え付いたことから一つずつ書かせていただきたいと思っています。
皆様、よろしくお願いします。
では失礼いたします。

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1497 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年05月19日 (日) 04時22分04秒
みのりさん、はじめまして。ご意見は大歓迎。で、ええと、反論しますけどヘコまないで下さいね(笑)。
……というか、僕ならまともな反論なら良い勉強の機会にもなるので、凹むどころか嬉しいことです。だからビッグママさんあたりの人が反論してくれると、嬉しくて嬉しくて(変態?)。みのりさんもぜひご一緒に、議論の中でお勉強して行きましょう(^^)。


|なぜ書く気になったかというと、同じシルバーバーチを読んでいるのにずい
|ぶん意見が違うものなんだなあ、というところから、私なりにだけれど考え

そ、そうですか? たぶん皆、基本的なところはそんなに違ってなくて、ちょっとした方向性の違いが出ているだけなんじゃないかと、僕は思ってるんですけど……。


|それから考えると、「霊的視点で物事を見られない人は、仕方がないから理
|性で考えてください」、と言っているように思えたんです。シルバーバーチ
|は本当は理性じゃなく、理性を超えた部分で判断してほしいのじゃないでし
|ょうか。なんだかそんな気がします。

そういう勝手な思い込みで、シルバーバーチが明確に言っていることを全く逆の解釈をすることだけはしてはいけないと思いますよ。そういうことを始めたら、それこそどんな都合の良い解釈でも出来てしまいます。それでは読んでいないのと同じ事です。
「本当はシルバーバーチはこう言いたかったけれど、仕方なくこう言っているのだ」……いくつかシルバーバーチの言葉を引用してみましょう。そんな解釈が許されるような言い方をシルバーバーチがしているかどうか、それぞれで考えてみていただきたいと思います。

  「さきほど霊媒の言うことの信頼性が問題となりましたが、皆さんにす
  でにそうした場合に私が要求している判断の基準をご存知です。すなわ
  ち自分の理性に照らし、自分の判断力と常識とで決断なさることです。
  私はかつて一度たりともあなた方を盲目的信仰へ誘導したことはありま
  せんし、知性が反撥するような行為を要求したことはありません。」
  (『シルバー・バーチの霊訓(2)』10章)

  「暗闇から這い出て、光明の世界へたどり着いたのです。真実の光を見
  出したのです。それを“理性”で確認したのです。私たちが説く教えに
  は、人間の理性が納得する筋が通っていること、人間の常識を怒らせる
  要素がないこと、人間の知性を反撥させるものではないことを、皆さん
  はご存知です。」
  (『シルバーバーチ不滅の真理』8章)

  「神は人間に理性という神性の一部を植えつけられました。あなた方も
  ぜひその理性を使用していただきたい。」
  (『シルバー・バーチの霊訓(5)』11章)

なぜシルバーバーチが理性で判断して欲しいと言っているのか……明白です。それが真理を見分けるために大霊より与えられた“神性”の一部だからです。

で、あくまでもベースの部分は“理性”に置いて、それではカバーすることが不可能な部分を信仰で補うということをシルバーバーチは言っているわけです。例えば“神”は存在するかということは、科学的な実験方法や理性で判断できるレベルを超えていますよね? そういう問題は信仰でカバーするしか無くなるワケです。ただ、それが理性では判断できないという判断は理性を使わねばならないワケで(ややこしいですねぇ(^^;)やはりベースは理性なワケです。

つまりこの文脈に於いてシルバーバーチの霊訓を信頼するなら、仕方が無く使われるのは“理性”ではなく“信仰”でしかあり得ない。っと、そういうことです。
(というのが僕の考え。異論反論歓迎しますよん(^^))

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1494 きりこさんへ
名前: 山田  投稿日: 2002年05月18日 (土) 12時55分43秒

きりこさん、こんにちは。「来月中に10回くらい読み込む」とは、意気込みに感心しました。
1492できりこさんが言われた

>比較的、金銭的に余裕がありますので、寄付に協力しようと志しています。

世間では、自分の利益ばかりを追求している人が多いですから、とても立派な事だと思います。
シルバーバーチの霊訓の中にも

 「私たちの説く福音は互助と協調と寛容と同情の精神です。お互いがお互いのために尽くし合う。持てる者が持たざる者、足らざる者に分け与える。真理を悟った者が暗闇にいる者を啓発するために真理という名の財産を譲る。そうあってほしいのです。」(シルバーバーチの霊訓2−24)

とありますから、豊かな日本人は貧しい国に対して援助の手助けは当然していかなくてはいけないことだと私も思います。
直接海外支援の活動に関わっている人達には、本当に頭の下がる思いがします。
そしてそれを支える募金活動もとても必要な事だと思いますし、お金に余裕のある人は是非お願いしたいと思います。

きりこさんが言われた

>利他愛の実践には様々な方法があると思います。
>ただ、海外援助(支援)活動への募金も、立派に神の御意志の一助になると考えています。

一般的に考えればそうなんですが、霊的真理の観点で考えると、もうちょっと違った考え方をしてみてもいいかなと思いました。
霊訓では、物質やお金は地上だけのもので、霊的真理が人生の土台であり永遠であると言っていますから、やはり「真理という名の財産を譲る」という実践が出来ることが一番いいのではないかと思うんです。
そう考えると募金というのは中途半端な利他愛のように思います。もちろん、純粋に役に立ちたいという動機から募金をしているのであれば、純粋な利他愛の実践と言えると思います。でも人によっては、「自分はいいことをしている」「やってあげている」という思いを持っている人もいると思います。それでは利他愛の実践とは言えないような気がするんです。単なる自己満足、優越心に過ぎないですよね。

「心の道場」さんのところで出されているニューズレターの中に

 「利他愛の実践は、霊的成長のための最も本質的な実践と言えます。利他愛の実践によって、より多くの愛を他人に与えることにより、「魂の窓」が開かれます。その窓を通じて神の愛と力が流れ込んでくるのです。」(ニューズレター16号)

私はここを読んでそうだなぁと思いました。私もたくさん体験しているわけではありませんが、相手のためにと一生懸命頭と心を使った時は、なぜか自分が一番神様から愛されていたことに気が付いて、本当に感謝の思いがわいてきました。
ですから、そういう実践を「利他愛の実践」と考えていきたいし目標としています。

きりこさんのしている実践を、本当はみんなが当り前の実践として出来るようになると、きっともっと良い世の中になりますよね。
私も何かの折には募金をしたいと思います。できれば、自分の目標とする「霊的真理の普及」のために役立ててもらえる募金でもあればもっと喜んで出せると思うのですが。

きりこさんの次の段階の利他愛の実践に期待しています。

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1493 リンク訂正
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月18日 (土) 06時59分30秒

おはようございます。
国境無き医師団へのリンクは、下記からのほうが良いですね。

http://www.japan.msf.org/index.html

自腹を切るという行為は、なかなか辛いことだとは思いますが、是非ご協力を
お願いします。

昨日、心の道場さんから書籍届きました。スピリチュアリズム入門は全体像を把握するには素晴らしいですね。
ただ、この本には当然「道場」さんの主観も入っていますから、これで全体像と要点を把握しつつ「シルバーバーチは語る」を精読します。
とりあえず、来月中に10回くらい読み込みます。多少は頭に入るでしょう。

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1498 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年05月19日 (日) 04時26分20秒
きりこさん、こんにちは。

寄付についてはいろいろな考え方もありましょうし、それだけしかしないでおいて「良いことをしている」つもりになってるだけだったら問題かも知れませんが、スピリチュアリストとしての数々の利他愛の実践のうちの一つとして、是非やっておくべきことの一つだと思います。

この掲示板を読んでいる人の中にも、そういうことをしていい気持ちになっているようなのは偽善になってしまうんじゃないかと思って、寄付という行為に踏み切れない人もいるんじゃないかと思います。しかし、僕が昔からよく言う持論に「偽善は善である」というのがありまして(笑)、たとえどういう気持ちからでも、それで助かる人がいるなら、それは助けられた人にとっては善なんですから。

僕はいつもユニセフに寄付しています。官僚的な組織や、僕の嫌いな某女性タレント(子供を職場に連れて来たい人です〜)が親善大使だったりするのは気に入りませんが(^^;、子供に教育を受けさせることに力を入れているのが良いですね。

クレジットカードもユニセフのもの(ユニセフVISAカードです)を使ってますが、これは利用代金の一部が寄付されるというもので、利用者の懐が痛まず寄付できるので結構オススメです(^^)。

●日本ユニセフ協会
http://www.unicef.or.jp/


最後にシルバーバーチの霊訓から、こうした団体に寄付することの根拠になると考えられるところを引用してみます。

  「(前略)しかし、その中でも一ばん急を要する改善は、わたしに言
  わせれば、数え切れないほどの人間を苦しめている無くもがなの貧困、
  悲惨、窮乏です。全体としては十分なものが用意されているのに、物
  的生活の基本的必需品にも事欠く人がいるということは間違ったこと
  です。
   有り余るほど持っている者と不足している人たちとの間の隔差を修
  正すること、これこそが現在の地上の焦眉《しょうび》の急です。内
  部の神性を発揮しようにも、肝心の身体が惨めなほど疲弊し衰弱して
  いる魂に対して、いったい自我の発見などということが説けるのでし
  ょうか。わたしたちは決して人間の身体上の必需品について無関心で
  いるわけではありません。身体と精神と霊とが自然な状態で生活する
  上で“本当に大切なもの”を見出すことができるような、そういう生
  活環境を築くことこそわたしたちに課せられた使命なのです。」
  (『シルバーバーチ愛の摂理』P.216-217)

おっと、きりこさんがご紹介くださった二団体のことも調べてみて、少しでも協力したいと思います。

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1492 割りこみコメントですいません
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月17日 (金) 06時05分58秒

山田さん、おはようございます。
導優さんへのコメントですが、私も大変に、本当に参考になりました。

私の場合は、まだまだ使命などというものが判るほど進歩してはいませんので、良心にしたがって利他愛を実践しようと思っています。

比較的、金銭的に余裕がありますので、寄付に協力しようと志しています。
我々の住んでいる国は、幸か不幸か、衰えたりとはいえ、世界最強クラスの経済超大国です。円の価値は、助けを必要としている人々、国々にとっては
日本における価値の何倍(何十・何百倍?)もあるんです。
わずか50円で人一人の命を救うことが出来る場合もあるんです。

利他愛の実践には様々な方法があると思います。
ただ、海外援助(支援)活動への募金も、立派に神の御意志の一助になると考えています。

みなさんも、もし宜しければ是非ともご協力お願いいたします。

http://www.japan.msf.org/msf/msf.html  (国境無き医師団)

http://oisca.org/j/cfp/concept.htm    (子供の森計画)

この両団体はコンセプトも素晴らしいですが、会計監査をしっかりしています。
時間が有れば是非、覗いて見て下さい。

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1491 導優さんへ
名前: 山田  投稿日: 2002年05月16日 (木) 22時53分47秒

こんにちは。
導優さんが熱心に勉強されている様子が良く分かりました。
私への質問の答えですが、すでにご自身で出されていますよね。私もその通りだと思いますが、他の人の意見もあるかもしれませんので、そちらも参考にされたらいいかと思います。
また、利他愛の実践に対する心配を色々としているようですね。

>具体的に何をすればいいのか? 自分の考えていることをすればいいのか? 間違いをしてしまうのではないか?

私もそう考えた時期がありました。でも、シルバーバーチの霊訓の中にこのようなことが書かれてあります。

 「自分で正しいと思うこと、良心が指図することを忠実に実行しないといけません。最後は自分が自分の裁判官となります。振り返ってみると正しかったこともあれば間違ったことをしていることもあります。しかし、動機が人のためということであれば、たとえ間違っていても咎められることはありません。動機が何よりも考慮の対象となります。」(シルバーバーチの霊訓12−94)

動機が全てと言われるように、自分自身が純粋に人の為に役に立ちたいという思いから出ているものであれば、結果の良し悪しはそれほどこだわる事ではないと思います。
ただ、私達は未熟ですから自分で正しいと思うことも、ひょっとしたら間違っている、自分のエゴから出ているものかもしれない、と思うこともあります。だから常に真理に照らしてみることや、祈ることが必要なのでしょうね。
今の導優さんに参考になればと思って、もう1つシルバーバーチの霊訓から抜き出してみました。

 「少しの間でいいのです。精神を静かに統一するよう工夫することです。すると次第に役に立つよい考えが浮かんでくるようになります。背後霊のオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入ってきます。」(シルバーバーチの霊訓2−18)

それから、1つ質問があります。

>C、自分の本来の使命である事柄を遂行する。
>真理の普及がその人の地上界での使命になっている場合はBとCが同じになると思いますが、全員がそうではないのではないかと考えております。

このところがよく分からないのですが。
導優さんは「自分の本来の使命」が何なのか、すでにご自分で分かっていらっしゃるのでしょうか。
もし分かっていらっしゃるようでしたらすばらしいですよね。
私も自分の使命は何だろうと考えてみました。役割ならわかりますが「使命」となると全くわかりません。
もし私にも「使命」があるとするならば、それを探している途中なのかなとも思えました。
分かる分からないに関わらず、私達には守護霊がいてちゃんと導いてくれているはずですから、何も心配しなくても大丈夫ですよね。

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1490 またまたまとコメ(^^;
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年05月16日 (木) 14時16分57秒

もうちょっとで最新発言に追いつくと思ってたんですが、なかなか思い通りに行かないものです(^^;。とりあえず書けたぶんだけアップしておきます。

>1437 えりりんさん

ようこそいらっしゃいませ!
おおっ、最近シルバーバーチと出会われたんですね。シルバーバーチだけでも20冊も出てますし、それ以外にもいろいろとありますから、これから読んで行くのが楽しみですね)^o^(。

『不滅の真理』は……なるほどamazon.co.jpで見る限り品切れになってるんですね。でも「品切れ」は「絶版」とは違いますから、そのうち再版されるんじゃないかと思いますよ。本当に絶版になっているのはコスモ・テン・パブリケーションから出ていた三部作だけで、潮文社から出ている本は必ず手に入りますから(品切れになっても必ず再版される)大丈夫です。

絶版の三部作の方も豊橋の「心の道場」さんが自費出版で復刻しつつあります。復刻に際して「こぼれ話」などのおまけ的要素は削られてしまいましたが、その部分は当サイトにて公開させていただくことになっています(既に心の道場さんのご許可はいただいています)。お楽しみに(^^)。

(追伸:「不滅の真理」先週、名古屋の丸善で見かけました。まだまだ探せば見つかると思います)


>1438 もりふみさん

大連出張お疲れさまでした。浅野和三郎が立ち寄った場所も訪ねられたんですね。ちょっとうらやましい……。

「金州」のこと、教えてくださってありがとうございました。あんまりちゃんと調べてないことがバレちゃいますね(^_^;ゞ さっそく直しておきました。


>1445 再びもりふみさん(割りコメになりますが)

|>農業に関する貴方の意見については・・・、

| と仰っていますが、有希さんはなにも「農業に関する」論議をされてい
|るわけでもなければ「農業に関する」何らかの意見を展開されているので
|もありませんよ。

「農業に関する」論議をしているので無くても、それについて言及している以上、その部分に対する反論が出てくるのを避けるのは無理なことですし、特に今回は元発言が一般の農家を中傷したとも取れる内容でしたから、こういう展開も致し方ないことだったと思います。尤もきりこさんのご発言にも、少なからず言葉が過ぎた部分はありましたが、きっと今後は気をつけてくれることでしょう(お願いしますよ〜>きりこさん)


>1449 まさきさん

はじめまして! ようこそ心霊学研究所へ。

仰る内容ですが、おおむねイイ線行ってると思います。生まれ変わりについてはスピリチュアリズムではグループソウルという概念で説明されています。当サイトでも『類魂とは何か……生まれ変わりの謎を解く』というコーナーで解説しています。ずいぶん昔に書いたものなので、今となっては書き直したい部分も多々ありますが、まぁそれなりに分かるようには書いているつもりです。宜しければご一読下さい。


>1455 きりこさん

霊的な教えをどうやって判断するかという話ですね。僕ならシルバーバーチの霊訓を始めとする、もっともスタンダードな霊的知識である心霊学、スピリチュアリズムの知識をもとに判断します。……という答え以外は出しようが無いです(^^;。既に我々はスピリチュアリズムという最高のものを手に入れているのに、どうしてその他の尺度が必要になりましょう。

ではそのスピリチュアリズムやシルバーバーチをどうやって判断したのかと言えば、やはり言っている内容に矛盾が無いことや、理性を反発させる部分や人間性を侮辱するものが無いこと、この世の森羅万象を最も上手く説明できること、実際にその通りに行動して納得できる部分が多かったことなど、ですね。もちろん、一度正しいと思ったのをそのまま信じ込んでしまうのではなく、常に検証する姿勢を持ち続ける必要があることは言うまでもありません。


>1458 またまたもりふみさん

| 色使いが云々、構図が四の五の、という高度なことは何も分からないに
|もかかわらず、私は質のいい(と自分で思える)抽象画が好きです。「あっ、
|何となくイイね、コレ」っていう感じです。

僕も抽象画のことなんて理屈はほとんどわかりませんよ。僕が学んだ某県立芸術大学の日本画専攻の旧態依然の教授は(^^;抽象画が嫌いな人が多かったので、勉強もしてませんし。でも、理屈云々じゃなくて、やっぱり良いものは良いですね。

よくあるんですよ。現代の作家の展覧会を見てなかなか良かったとか思いながら出てきて、売店でピカソあたりのポスターを見たらそっちのほうが遥かに鮮烈だった……みたいなことが(^^;。抽象画の理論的な部分だけで言えば現代の作家のほうが進んでいるんでしょうけど、本当に大切なのはそんなことじゃないんですよね。

理屈はわからなくても“本物”をたくさん見ていれば、良いものがわかるようになるというのは、芸術も心霊も同じかもしれませんね。


>1460 導優さん

おっ、いらっしゃいましたね。こちらでは初めまして。既に他の方からのコメントで十分だと思いますが、いちおう管理人からも一言ということで(^_^;ゞ。

|次に、スピチュアリズムを普及することは、その段階に達した人にその知識
|を教えるという狭義の意味ではなくて、その段階に達するまでの向上の手伝
|いも含むという、広義の意味に考えるほうがいいのではないかと思います。

これはビッグママさんのおっしゃる通り広義も狭義もなくて、シルバーバーチの霊訓には霊的真理を広める必要性(導優さんのおっしゃる狭義)だけじゃなくて、物的世界で苦しむ同胞をいかに救うか(広義とおっしゃった部分ですよね?)ということも、非常に多く説かれています。

ついでに#1471の真理を伝えることについてですが、これに関する僕の考えはビッグママさんへのコメントの中で書かせていただきました。参考まで。


>1464 健太郎さん

健太郎さん、いらっしゃいませ。ようこそ心霊学研究所へ! ちかごろ見識の高い方が次々と出てこられるのでビックリしています。健太郎さんのコメントにも概ね賛成です。

|この仕事はスピリチュアリズムの価値を理解したものしか出来ません。人の
|ためと思って活動しているボランティア、NGOの人たちにも出来ない仕事
|なのです。
| 真っ先に私たちが真理を伝えていくことをしなくて、いったい誰がするの
|でしょうか。

ただこの部分だけは半分賛成半分反対ですね。スピリチュアリストたる者、確かに霊的真理の普及を第一義に努めるべきですが、物的世界の苦しみを救う仕事を果たして唯物主義者や他の宗教の人間に任せてしまっていいのかと思います。同じボランティアでも、スピリチュアリストだからこその視点、スピリチュアリストだからこそ出来ることもあるんじゃないでしょうか。シルバーバーチだって、物的な救いの必要性も言っているわけですしね。


>1472 再び導優さん

|さらに、もし本当に江原様の本が真理普及に有害であるならば、私達は何ら
|かの手段を講じて真理普及の阻害となる要因に対処しなければならないと思
|いますが、この辺はいかがお考えでしょうか。

ああいうのが受けてしまうのは、現代の日本人のレベルがその程度だということですから、もうどうしようもないと思うんです。まさか肉体言語で黙らせるわけにも行きませんし(^^;。

なぜああいうのがダメなのかということを、関心を持った人が知ることが出来るようにしておかなければならないなぁ、と、僕個人は当サイトの運営戦略として考えたりもしていますが、一般的なスピリチュアリストとしての対処法は、やはり本物の霊的真理を啓蒙して行くことが、一見遠回りなようで実は一番有効ではないかと思います。

まぁ要するに、あんなものは放っておけばいいという健太郎さんのお考えに賛成です。こちらが大木になれば、雑草など気にならなくなるはずです。スピリチュアリズムという芽を、大木に育てて行きましょう。


>1473 ビッグママさん

|今までの自分のものさしをいったん横へおいて、あるいは捨てでも新しいも
|の(スピリチュアリズムの真理)に取り組んでみてください。

僕はむしろ、今までの人生で培ってきたご自分のものさしの全てを総動員して、この新しい知識を徹底的に調べて下さい、と言いたいですね。導優さんが「受け入れるときが来ている人」なら、今まで持っていたものさしで、スピリチュアリズムの正しさを測ることが出来るはずです。理性というものさしで測られることは、シルバーバーチ自身も望んでいることなんですから。


>1475 健太郎さん

| いいですか、シルバーバーチの霊訓は哲学書ではないのです。自分が今ま
|で過去に蓄えた知識と比較しながら分析判断するものではなく、全てをシル
|バーバーチの言葉に沿わせることだと私は理解しています。シルバーバーチ
|が「義務です」と言われたら“自分は真っ先に義務を果たすように努めなけ

それこそ理性を吹っ飛ばして信じなければならない既成宗教と同質の信仰方法であって、僕はこの部分には反対です。シルバーバーチはこう言っています。

  わたしが申し上げることを全部受け入れる必要はないのですよ。あなたの
  理性を使って、わたしの言うこと、あなたがお聞きになってることを吟味
  なさって、わたしに挑戦してください。もしも理性が納得しないものがあ
  れば、どうぞ拒否してください。『シルバーバーチ愛の摂理』(P.82)

自分で判断することを放棄して言われたままに行動することでは、霊性は伸びないと思います。それでは結局、統一協会なんかの信者と同じことになってしまいますから。

http://www.paperbirch.com

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1489 フルタイムのスピリチュアリズム伝道者!
名前: ビッグママ  投稿日: 2002年05月16日 (木) 09時54分27秒

ペーパーバーチさん、こんにちは。
1480のコメントありがとうございました。
ほお〜、そういう風にとらえられたかという感じです。言葉は難しい。

とはいえ、やはり少しだけ書かせていただきますね。

『私にも子供がいて生活するために働いています。でも、できることなら、早く霊的な真理を広めることに自分の人生をすべて使えるようになりたいですよ。』

という私のコメントに対して、

『少なくとも、シルバーバーチが全てのスピリチュアリストに対して「仕事を辞めてスピリチュアリズムのために働きなさい」みたいな事は言っていないと思いますし。』

と書かれてありますが、私もそう思っていますよ。

『霊的な真理を広めることに自分の人生をすべて使えるようになりたいですよ。』

というのは何も仕事止める、母親止めるなんて極端なことを言っているわけではありません。ペーパーバーチさんの引用されたシルバーバーチの言葉はいつも「そうだそうだ、こうだったよな」と私を霊的なスタート地点へ戻してくれる(ということは、日常生活の中でマイナスにへこんでるわけですね)大切な霊訓です。それを横においての発言ではありません。

『早く霊的な真理を広めることに自分の人生をすべて使えるように』

というのはシルバーバーチのいう「霊的真理のメッセンジャーみずからが日常生活においてそれを実践し、その誠実さと公明正大さに貫かれた生活を通して、見る人の目に、なるほど神のメッセンジャーであることを認識させることです。それから今度は積極的に世に出て、社会生活のすべての面にそれを応用」できるそんな生活が自分の人生でありたいということです。

『私にも子供がいて生活するために働いています。』

という言葉は確かにペーパーバーチさんのおっしゃるようにスピリチュアリストたる者言うべき言葉ではありませんね。それでもここであえて書いたのは、それほど日常生活を送る中では、霊的な視点が曇らされていってしまうのだ、そんな曇りを取った生活をもてるようにしたいということを言いたかったのですが、うまく伝えられませんでしたね。
どんなにがんばってもまだまだ・・・というときに本当に悲しくなるのですね。「何で私はこんなことをしているんだろう」「どうしてこんなささいなことで心悩ませているんだろう」未熟な自分を前にして、シルバーバーチの語る世界、理想とする生き方とのギャップに打ちのめされ、悲しくなるのです。しかし、いつまでもそんな気持ちのままでいるわけには行きません。(こうした悲しみや怒りなどの思いは背後の霊を遠ざけるとシルバーバーチも言っていますよね。)だから、気持ちを建て直し、仕事も、子育てもすべてが霊的真理の実践現場であり、伝道であると心を切り替えていくんです。そしてその切り替えが少しでも早くできるようにしたいと思い、努力しているわけです。
言葉足らずでした。

霊的真理の実践現場は私たちの地上人生すべてです。日々の歩みの中で、霊的真理に照らし合わせた判断がいつでもできるように努力していくわけです。
そうした歩みがおのずと「神のメッセンジャー」であることであり、霊的真理の伝道者であるのだと思います。


以上のことを補足させていただきます。

それともうひとつ。

前半の真面目さについてです。
ペーパーバーチさんが言わんとすることはわかりますが、それでも私には、やはり真面目なものに対する「一歩引いた感じ」の冷ややかさを感じます、きりこさんにもペーパーバーチさんにも。四角四面の生真面目さはよくない、視野が狭くて余裕がない、だから、広くほかの知識も見方も必要だというのに、私は全面的には賛成できません。
以前の私がそうでした。広くいろいろな見方をするべきだろう、(ペーパーバーチさん風に言えば複眼的なものの見方ですね)、一つの視点からだけ見るなんてそれこそ視野が狭くなり、真理を見落としてしまうんじゃないか。こんな風に思っていたわけです。しかし、ここには大きな落とし穴があるのです。
しっかりとした価値観(今で言えば霊的真理、シルバーバーチ)がない中で、
あるいはよくわかっていないうちに、広くいろいろなものに触れるというのは、自己満足を増長させるだけです。真理らしき言葉は山ほど知っていても
実践が伴わない。語ることはできても、実践の裏付けがないから重みがない、説得力がない。人を感動させられない。いやというほど経験してきました。こうした実践の伴わない広い知識の獲得にはまったく背後霊は働きません。霊界の導きなど到底わかるものではありません。真理と同時に都合のいい真理もどきもいっしょに抱えこんでしまうのです。(もちろん江原さんのような
明らかな贋物とは違うでしょうが)そうすると、本来の摂理の働きすらご都合主義でゆがめているのにも気づかずにいるわけです。(自分の逃げ場が大義名分の下、用意されてしまうのです。)
ペーパーバーチさんやキリコさんが以前の私と同じかどうかはわかりません。
もちろん、望むべくは、広く深い知識と愛、どんな人にも対応できる懐の深さです。これは霊的な真理を自分に叩き込んでからのことだと思っています。
だから、多少視野が狭くても純粋で生真面目な深い(深さと広さで言えば)人の方が、長続きすると思っています。視野の狭さ、ゆとりのなさはいずれ本人の内容に応じて変わるに違いありません。動機の純粋なところには、かならず背後の働きかけがありますから。(誰にでも実際は働きかけはあるんですけどね。受け止める器ができてこないだけで…)
広く浅く知識が増えると、深くなることは容易ではありません。たとえ能力的に広く多くのものを抱え込めたとしても、そういう自分を否定(極端な言い方ですが)してでも単純に真理に対しての深さをもつべきと思います。理性は持たねばならないし、広い視野は持たねばなりませんが、真理に沿うベース作りはそれに先行すると思います。霊界の望む道具になるには、そうしたことが必要ではないかと思います。知識よりも何よりもまず「謙虚さ」愚鈍なまでの「謙虚さ」が必要ではないかと思うのです。(こう書くとそんなにへりくだるのがいいのかという方がいらっしゃるかも知れませんが、真理に対しては徹底して謙虚でなければならないと私は思っています。)

と、思いました。

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1488 健太郎さんへ
名前: hiromi☆  投稿日: 2002年05月16日 (木) 09時24分38秒

わざわざ御返答いただいて、ありがとうございます。
わずらってはいないので御安心ください(SMILE)
健太郎さんの真意は伝わっています。

これからも素敵な御意見、拝見できること、
楽しみにしています♪

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1487 有希さん、どうもありがとうございました
名前: ハナリン  投稿日: 2002年05月16日 (木) 07時53分30秒

この場をお借りして・・・

サイトをお休みされるのですね。
びっくりしました。

今までいろいろ学ばせていただいて、更新が楽しみだったのですが、ほんとに残念です。

またカムバックされるとのこと、楽しみにしています。

ハナちゃんジャーナル

http://www2.odn.ne.jp/~ohana

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1486 追加
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月16日 (木) 05時23分01秒

外来の害虫は、野菜のアルカロイドを全く問題にしない強力な害虫が多いです。
とくに、熱帯からきた害虫です。生存競争の苛烈な熱帯ジャングルは毒性の高い植物がおおいですので、それらを食べることが出来るように、体内にアルカロイド分解機能が備わっていると聞いたことがあります。
昔ながらの日本野菜のアルカロイドなど、全然効果が無いでしょう。

そのため、昔ながらの苦い野菜を栽培しても、外来種の害虫に食われるでしょうね。

病気も同じです。

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1485 あっこさんへ
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月16日 (木) 05時15分32秒

現在60歳以上の人なら覚えがあると思います。
昔の野菜はとても苦かったり、辛かったりしたはずです。
あれは、野菜本来の持つ、自己防衛機能なんです。

正体はアルカロイドです。生命にとって毒物です。毒物を体内に包含することにより虫や動物に食べられないようにしていたんです。
人間にとっても、毒でした。
その為、昔はさほど農薬を使わずに済んだのです。

現在は、品種改良が進み、みなさんご存知のとおり味は大変良くなりました。
ただ、そのぶん害虫にとっても、おいしい野菜になってしまったんです。
さらに、外来種の寄生虫や害虫、病気も多数上陸し、戦前と比較するのは事実上無意味です。(外来種のほうがはるかにタチが悪い)

対病気、対害虫の双方で完全無農薬は不可能です。アルカロイドがたっぷり
入った昔ながらの野菜は売れませんし、それ自体毒を食べるという部分もあります。
減農薬は可能です。ただし、冬のビニール栽培だけです。
あと、有機農法の定義ですが、なんでしょうね。
化学肥料だけで栽培する人は少ないと思いますよ。
地味が弱くなりますからね。

あっこさんのご意見は、農業を実際に体験もせずに、外野から批判しているだけだと思います。おいしんぼの作者とおなじレベルです。
私は、都庁の職員やりながら農業もやっていますので、消費者サイドも生産者サイドも両方の考え方がわかります。
職場で、農業やってるのは極めて少数ですから。
農業に関してだけは、消費者サイドの欺瞞的な意見ばかりで腹がたつんです。

実情を知らずに批判するのは簡単です。
頭の中だけで考えて批判するのは、あまりにも一方的です。
あっこさんは、病気の斑点がたっぷりついた野菜を、通常の倍だして買う人が
どれくらい居ると思います?

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1484 ビッグママ様、健太郎様、山田様、ありがとうございました。
名前: 導優  投稿日: 2002年05月16日 (木) 05時11分25秒

いろいろとお教えいただきありがとうございます。サジを投げられるのでは、と心配する部分の多々あったのですが、やはり真理を実践されている方は丁寧に教えてくださるものだと実感しています。
私の持っている本は心の道場様が出版されている「SBの霊訓」「SBは語る」「スピチュアリズム入門・続〜入門」の4冊です。これも今年の4月に買って2度ほど読んだ程度です。あとはニュースレターでしょうか。また、このBBSのログは印刷して目を通してあります。回答をいただいて、また全てに目を通しました

SB霊訓9・150に引用されている部分の解釈についてですが、
・宗教→強制的に間違ったことを教えられる。
・本 →自分で取捨選択できる。
であるから、間違った宗教は有害であるが、本などはどちらでもいいとの私の考えです。

ですが、以上のようなことは枝葉末節なことだと理解できました。肝心なのは「手本を示す」ですね。納得できました、ありがとうございます。


健太郎様へ質問です(たびたび恐縮です)
「自分のものさしをいったん横へ置いて〜」のアドバイスをいただきました。ありがとうございます。
これについて、私は、スピチュアリズムを自分の理性で納得できたから信じたのです。「もしも理性が納得しないものがあれば〜」のように取り組むべきであって、今までの宗教のように盲信に似たような態度はとるべきではないと思っているのですが、どうなのでしょうか?


山田様ありがとうございます。
私の一番知りたいことそのものずばりのご回答をいただけたという気持ちです。今の私には真理の理解が不足していますのできりこ様が書いていらっしゃるような本を購入して時間をかけて何度も読み返してみます。

これとは別に質問させていただきます。こりないやつと思わずお付合いください。
スピチュアリズムの実践として、(心の道場様が挙げている。私もこのとおりと思っております。)
1、霊優位のための自己コントロール(霊主肉従の努力)
2、苦しみへの正しい対処
3、利他愛の実践(人を正しく愛する)
4、霊的世界とのストレートな交わり(瞑想・祈り)
が挙げられております。この項目の1、2、4は自己研鑽で行なわれます。(と思っています)3の利他愛の実践が私の疑問点で、具体的に何をすればいいのか?自分が考えていることをすればいいのか?間違いをしてしまうのではないか?ということを心配しています。

私達は、利他愛の実践として、霊的真理の普及に全力をあげればいいのでしょうか?霊的真理を理解(私はまだ程遠いですが)した人々は、利他愛の実践として、
ア、時期のきた人に出会わせて欲しいと祈ること。
イ、できる限り多くの人に会うこと。
ウ、会った人に真理を普及すること。
を主として、これに全力を尽くせばいいのでしょうか?

これに対する私の考えは以下のとおりです。
真理の普及は現時点での最も優先する事項ではあるが、時期が来て真理が広く普及してきた場合はそれぞれ個人が有する地上界における使命を果たすことが重要になってくる。それまでの間は、真理の普及と本来の使命とをバランスをとって行なうことが必要である。
と思っています。要約すると以下のような感じでしょうか。
A、日常を通じて真理を実践した生活をする。(上記項目の1、2、4項の実践)
B、真理の普及に不断の努力をする。
C、自分の本来の使命である事柄を遂行する。
真理の普及がその人の地上界での使命になっている場合はBとCが同じになると思いますが、全員がそうではないのではないかと考えております。

私の勝手な考えを書かせていただきました。山田様をはじめとする皆様のお考えを聞かせていただければ幸いです。

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1483 hiromiさんへ
名前: 健太郎  投稿日: 2002年05月16日 (木) 00時00分26秒

hiromiさんこんにちは

 私の引用した霊訓がどうやら適切でなかったかもしれません。
人種差別という別の問題まで、引き出してしまったようですね。
混乱を抱かせて、心わずらわしてしまったようですね。
私の真意は

>スピリチュアリストとしての手本を示していればいいだけのことという意味

まさしくこのことです。肌の色は気にしていません。
もっと適切な霊訓を探してみます。

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1482 1479の書き込みについて
名前: あっこ  投稿日: 2002年05月15日 (水) 20時24分43秒

スピリチュアルの話と少し違うとは思いますが、
気になったので書き込みしました。かなり長くて、すみません。m(_ _)m

>無農薬や有機の話で良く言われるのは江戸時代以前はみんな有機・無農薬
>だったということですが、これこそ妄言の最たるもので、江戸時代と
>現代では日本の人口も人件費も、庶民の生活レベルも何もかも違います。

江戸時代の有機農業技術に比べ、現代の有機農業技術はいろいろな面で進化していると思います。
スキやクワで耕していた江戸時代と違い、今は有機農業もトラクターですし、害虫にしても科学的解明が少しずつ進んでいて、農薬を使わずフェロモンを利用した害虫駆除などを行っている農家もいます。
この場合、農薬散布よりもコストは高くつきます。

>農家には江戸時代なみの暮らしをしろと言うのか、

江戸時代の暮らしなどしなくても有機農法は可能です。


>単純に、昔は出来ていたのだから
>今でもやる気があれば出来るだろうとは言えない話です。

そうでしょうか。
やる気があれば不可能を可能に変えてしまうだけの技術革新が生まれる可能性があります。やる気がなければ進歩は望めません。


>心ある農家の方はいかに農薬を少なくすませるか、真剣に考えていますよ。
>だって、散布して一番蝕まれるのは自分の身体なんですから。
>一般的な慣行栽培でも、現在は20年前と比べて(単純な量の比較でも)
>除草剤は約50分の1、殺虫剤は10分の1程度しか使っていないそうですし、
>使われる薬剤も危険性の少ないものに切り替わっています。

農薬で危険性の少ない物なんて、あるんでしょうか。
シルバーバーチさんにお聞きしたいものです。「人体に安全な危険性の少ない農薬って、ありますか?」と。
農薬は体に蓄積されますし、土壌から河川に流れ出し環境を汚染します。
今現在、農薬を使ったものを食べても自分の体は何ともない(と本人が感じているだけ)としても、子孫に受け継がれていく遺伝子は少しずつ損傷しているかもしれません。

そもそも農家が農薬を使うのはコストが安くて済み、有機に比べて手間がかからないからです。
たとえばハウスで農薬を使わず蜂などで害虫駆除する場合、蜂の購入費は
農薬より高くコストがかかります。
しかし心ある農家で蜂の購入費が農薬よりも高くかかっても、値段は据え置いた人もいます。
この人の理念は「安全な物を消費者に届けたい」でしょう。


>慣行栽培を「農薬がどんな悪影響を及ぼすかは考えずに、
>見栄えの良いお米を作るタイプ」などと言って攻撃するのは止めて下さい。

慣行栽培をしている人の中には、悲しいことに農薬の害など一切考えず(興味がないのか無知なのか)
売れるというだけで安全面や健康のことを考えず見栄えの良いものを作る事しか考えない農家もいるのです。
全ての農家がそうだとは言っていませんよ。
無農薬・有機栽培への関心の高まりは、農薬の危険に気づいた農家の人達の安全面への配慮も一因となっているのですから。


>少なくとも僕は、少しばかり農薬が使われていることより、無農薬野菜の
>寄生虫や病気、カビ(発癌性のあるものもあるそうで)の方がよっぽど
>恐いですし、

そういう考え方もあるんですね。
私はアトピー体質で、農薬・化学肥料を使った作物を食べていると
アトピーがひどくなるので、無農薬・有機栽培のものしか
食べられないのです。
無農薬・有機だと、なんとか症状は治まっています。
こういうのは体験した人しかわからないのですが、私自身が食べ比べて体に
表れた症状を見比べてわかったことです。
食品添加物の多いもの、ジャンクフードと言われるものも食べていると具合が悪くなりますね。

寄生虫対策として野菜に熱を加える、生の場合はよく洗うということで
安全面はクリアできないでしょうか。
病気・カビのものは恐い以前に食べないので肉体への影響は考えなくて
いいのでは?


>また無農薬で出来るのは、回りの慣行栽培の田畑に虫が広がってくれている
>からだという話さえあります。
>「丘んぼ」の話だってそうです。結局素人に草取りを手伝ってもらったり、
>他人に迷惑をかけておいて「虫は弱っているものにつく」などと開き直ったり……。

有機農法をしている人の作物には虫がつきにくく、農薬・化学肥料づけの人の作物には虫がつきやすい(弱った作物に虫がつきやすいから)という図式なら、みな有機にして土地を肥やし、作物本来の生命力を引き出してやればいいのです。
神の摂理に反した方法(農薬・化学肥料づけ)だから虫がつきやすい弱い作物になるのではないでしょうか。
虫がつきやすいから余計に農薬を使うという悪循環を繰り返しているように思えます。

>「丘んぼ」やら完全無農薬・完全有機農法で現在の日本の人口が養えるのか

上記の方法で作物本来の生命力を引き出してやれば、見た目は悪いけれど栄養価が高い安全な作物が実り、人口を維持する問題もクリアできるのでは?
問題は安全で体に良いとはいえ、見てくれが悪い野菜を消費者が買うかどうかです。
消費者自身も意識改革をしないとダメですね。
農薬・化学肥料で育てた野菜と無農薬・有機で育てた野菜の栄養価を調べると、後者のほうがはるかに高いという科学的データも出ています。
見てくれよりも中身だということに消費者が気づかないと。


>不作の年でも大丈夫なのか、

農薬を使っていても不作の年はありますし(冷夏で米が取れず輸入したこともありましたね)、農薬を使えば確実に生産を確保できるという考えには同意しかねます。


>後継者は育つのか、

これは農薬を使おうが使うまいが、現在農家の抱える悩みですね。


>「無農薬の野菜がいいから農薬なんか使うのは悪影響を考えないヤツだ」
>などと言うのは視野が狭いと思いますし、そういうのをスピリチュアリスト
>の理想にたとえられるのは違うと思うわけです。

視野が狭いですか? 
農薬が人体や環境に有害なことは科学的に証明されています。
最初のほうにも書きましたが、人体に有害だとわかっていて、なおかつ
環境も汚染する農薬をシルバーバーチさんや神は推奨するでしょうか。

シルバーバーチさんは動物実験に反対し、「神の摂理に反した方法で手に入れた治療法では病気は治せません。人間の病気にはそれぞれにちゃんとした治療法が用意されています」とおっしゃってます。
これと同じで人体も環境も汚染する農薬を使った食物生産は神の摂理に反した方法だと私は考えています。
環境を汚さず人体にも安全な方法が人類に用意されていると思えてなりません。
でないと地球の未来は環境汚染が進み、子孫に奇形が出始めるのではないかと心配になります。(大げさだと思うかもしれませんが、私は地球という星が好きなので)


>だいいち、無農薬や有機の農家が慣行農法を攻撃するのは、無農薬・
>有機野菜を高く売るための営業戦略だと僕は思っていますから。

狭量な見方ですね。(~_~;)
価格を据え置いて売っている農家もいますよ。
こういう文章を読むと、ペーパーバーチさんは農薬使用の慣行農法推進派なんだなと思います。
農家の中には農薬の危険性や環境への悪影響に気づき、安全で栄養価の高い野菜を食べてほしくて、苦労して無農薬・有機に取り組んでいる人達も大勢いるのに。


>(繰り返しますが、有希さんの言いたいことが間違っているというのではな>くて、このたとえ話の内容に関してだけの話です)

たとえ話から、ずいぶん飛躍してしまいましたね。(^_^;)


>現状の無農薬・有機農法のように、(手間がかかった代償として)通常の
>作物より値段が高いから成り立っているようなものは、仮に今後無農薬を
>実践する人が増えて価格が下がるようなことがあると、立ち行かなくなる
>危険性もあります

市場に出回る作物全てが無農薬・有機農法になると、それに見合った適正価格になるのではないでしょうか。
今後、農家が立ち行かなる危険性の最たる物は、中国からの異常に安い輸入作物に焦点がしぼられるでしょう。


>最近のエコロジー志向の高まりもあって完全無農薬の農業を志す人は多いよ
>うですが、実際にはほとんどの人が挫折していると聞きます。

おそらく、やり方が悪いのでしょう。
現に無農薬・有機栽培でJASを取得して頑張っている農家もいますから。
今まで農薬・化学肥料を使っていた土地は土本来の生命力が乏しいですから、
有機栽培ができるように土地が回復するまで大変でしょう。
バラの栽培の話ですが、バラは害虫が非常に多く病気にもなりますが、有機で育てようと農薬を一切使わず、木酢液を使い、それでも防げない病害虫にたいしては漢方のある薬草が有効なことを知り、実践しています。
そして毎年無農薬で見事なバラを咲かせています。
挫折した人達はめげずに頑張ってほしいですね。
努力して試行錯誤を繰り返せば、霊界からヒントを得て、バラを栽培している人のように、その作物にかなった病害虫対策を見つけ出せるかもしれません。


>宗教がらみやボランティアだより、ある団体は無農薬と言いながら実は使っ
>ていたり、「この薬品は農薬ではありません」とか……その怪しげな薬品が
>「農薬」と認定されていないからと言って安全だと言える魂胆が僕には判ら
>ない(苦笑)

こういう悪どい人達がいると嫌になりますね。犯罪行為ですよ。


>本当に世の中を変えるには、手間に見合った収益が見込める、ビジネスとし
>て成り立つものにしなければダメだというのが僕の考えです。
>少なくともそれを目指す気持ちが無ければ、そんなのは素人の趣味のお話に
>過ぎませんし(趣味の世界では労力とコストの関係なんて考える必要はあり
>ませんから)

上記のような悪どい連中は例外として、現に有機農法はビジネスとしてなりたっていますよね。
自然食品の店などで売っている有機栽培のニンジンを食べたことありますか?
甘くて味が濃くてニンジンのニオイが強くて美味しいんです。
スーパーで買う有機でないニンジンは甘味もないし味も香りもあまりしません。検査をすると、おそらく栄養価は低いでしょう。
味の違いのわかる人達は多少高くても有機を買うのではないでしょうか。
ビジネスとして成り立っていると思いますよ。



>それが可能になるまでは(いつかは可能になるでしょう)慣行農法の方がベ
>ターであると言わざるを得ません。

私はすでに可能になっていると思いますが、ペーパーバーチさんが可能になったと思えるまでは農薬を使った野菜を買い続けるわけですね・・・・・。


>そういうわけで、いかに手間を省いて、収穫量も減らさず、価格も高くせ
>ずに、ビジネスとして成り立ち得る無農薬農法を考えるということなら、
>僕は大賛成。「労を惜しまない」ことではなく「技術革新」によって、
>それはいつか実現できると思いますし、そうしなければならないと思います。

農薬を使った作物を買う人が多く、何年たっても、そういう人が大多数を占める現状が変わらなければ、技術革新はなかなか進みにくいと思います。
消費者が農薬の危険性や環境汚染の実態を知り(栄養価が少ないということも知り)、色形の多少悪い無農薬・有機を買う傾向になれば、販売店はより多く無農薬・有機を仕入れるようになります。
無農薬・有機が市場の主流になれば、それに取り組む農家が増え、
客のニーズに答えるために、より良いものを開発しようと、さらなる技術革新に取り組みます。
売れる物が市場を制すのは資本主義経済の基本ですし、売れれば売れるほど、さらなる発展をしていきます。


>よそ様に迷惑をかけずに、きちんと収益を上げてこそプロであって、
>その程度のことも出来ないのは、いかに理想がご立派であっても
>素人の道楽。問題外です。

たとえば有機に取り組んだばかりで未熟なために、よそ様に迷惑をかけてしまうこともあるかもしれません。
しかし四苦八苦しながらも安全で栄養価の高い作物を作ろうと頑張っている無農薬・有機の先駆者たちを「素人の道楽」とは、ちょっと言い過ぎでは
ないでしょうか。


>(そもそも有機だの無農薬だのは一時のブームに過ぎず、ブームが去れば高く売れなくなるという人は多い)

ブームで終わるんでしょうか。
人間の健康や環境を考えたらブームで終わらせたくないですね。
霊界からも必ず後押しがあると思いますよ。
シルバーバーチさんがいうように物事には波があるでしょうが、けしてなくなったりはしないと思います。

ペーパーバーチさんが無農薬・有機栽培を否定していないことは文章の節々から感じ取れますが、どうも書き込み内容を見ると、現時点では有機よりも農薬を使用することを推奨しているように感じたので、私の考えを書き込みました。人それぞれ、いろんな考え方がありますので気を悪くしたら、ごめんなさい。

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1481 ペーパーバーチさんへ
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月15日 (水) 05時40分49秒

おはようございます。

ペーパーバーチさんの懐の深さがとても有り難いです。

新参者&霊的真理白帯の私なので、農業に関する部分以外は反論は差し控えていました。
ニューヨーク市場も急騰したし、今日は久しぶりに気分の良い朝です・・・

*追伸 ペーパーバーチさんと、一杯やりながら、語り合いたいなあ、と
    思いました。

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1480 RE:1456 フルタイムのスピリチュアリズム伝道者?
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年05月15日 (水) 01時36分50秒

ビッグママさん、こんにちは。割りコメになりますが、大変面白い話なのでちょっとだけ。


|きりこさんの1436の発言です。
|『ボランティア活動をやっていますが、あまり真面目過ぎたり使命感もって
|やっている人ほど、すぐに自滅したり激しい対立を引き起こしたりで長続き
|していません。
|霊的進化もそうだと思いますよ。』

|まず、この発言に関してです。きりこさんは真面目であったり、使命感をも
|って働くことを否定なさっているのでしょうか?自滅したり激しい対立を引

きりこさんが言いたかったのは、おそらく四角四面で杓子定規な真面目さや、現実を見ずに理想論だけで使命感を抱いてしまっているような種類の人のことではないでしょうか。生真面目すぎて余裕がない人(僕みたいなのが冗談を書いたりすると、霊的真理を語るページでなんと不真面目な、と憤ったりするような人(^^;)は、どうしても視野が狭くなりがちですから。

で、多分きりこさん自身も、ご自身がそういう要素を持っていると思っていて、自戒を込めて書かれているんじゃないかな、と……そんなふうに思うのは、実は僕自身がそうだからなんですけどね(^^;。僕はきりこさんのご発言を見る限り、本当は十分以上に真面目な人なんだろうなと感じるので、まともな「真面目さ」まで茶化したりする事を思ってはいないと思うんですが……。


|霊訓だけでは家族を養えない、たしかに一般論ならそうでしょう。しかし、
|霊的真理を知るものがそんなことを平気でのたまうのはいかがなものか?私
|にも子供がいて生活するために働いています。でも、できることなら、早く
|霊的な真理を広めることに自分の人生をすべて使えるようになりたいですよ。

そうなったら夢のようですね〜(^^)。でも僕は、スピリチュアリズムを知った全ての人がそういう生活をするべきだとは思いませんし、シルバーバーチがそういうことを求めているとも思わないんです。少なくとも、シルバーバーチが全てのスピリチュアリストに対して「仕事を辞めてスピリチュアリズムのために働きなさい」みたいな事は言っていないと思いますし。

   私たちが今まさに欲しているのは、もっと多くの道具----背後から導き
  鼓舞している霊の力に満腔の信頼を置いてくれる人材です。霊的実在を悟
  り、それを他の同胞のために使用してくれる人、真理を生活の灯として持
  ち歩いてくれる人です。
   私たちが望んでいるのは、まずそうした霊的真理のメッセンジャーみず
  からが日常生活においてそれを実践し、その誠実さと公明正大さに貫かれ
  た生活を通して、見る人の目に、なるほど神のメッセンジャーであること
  を認識させることです。それから今度は積極的に世に出て、社会生活のす
  べての面にそれを応用していってほしいのです。
   つまり、まずみずからが身を修め、それから他人のために自分を役立て
  る仕事に着手するということです。
  『古代霊シルバーバーチ不滅の真理』五章および『シルバー・バーチの霊訓(5)』四章

ここでシルバーバーチが言っているのは、一人でも多くの人がスピリチュアリズムを広めることだけをして生活するようになって欲しい……ということではなくて、社会生活、つまり会社の仕事やら家庭のことなど、一般的な社会・日常生活の全ての場面において霊的真理を実践することによって、霊的なメッセージの素晴らしさを身をもって啓蒙して行くことだと思うんです。

なるほど治病能力を持っている人ならフルタイムで活動したほうがいい場合もあるかも知れません。しかし、地球上の人類全てが伝道者になったら誰も生活が成り立たなくなるわけで、真理を知った人間が「普通の仕事を辞めて」霊的真理を広めることだけをすることは、少なくとも全ての人が実践すべき霊的真理では有り得ないと思います。

伝道だけをして暮らしている人がいくら立派なことを言ったとしても、それは所詮言葉だけのこと。真理を知った人間はこんなに素晴らしい人間になるんだぞと、身をもって示すことのできる社会人スピリチュアリストの方が、遥かに説得力を持ち得るんじゃないでしょうか?
仮に今、僕が、幼い子供のいる身で仕事を辞めて、これからはスピリチュアリズムの普及に専念するなどと言いはじめたら、ほとんどの一般の人たちは「なぁんだ、スピリチュアリズムもオウムやヤマギシみたいなカルトと同じか」と、見切りを付けると思います。……それは極端な例にしても、霊的真理と、今現在の生活とを切り離して考えるというのは、シルバーバーチの霊訓に照らしてどうなのかな? と、きりこさん、ビッグママさん、双方のご発言に対して同じ疑問を持ちました。
※スピリチュアリストともあろうものが、生活のために働いてるなんて言ってちゃダメ(^^;。

僕は、多くの宗教がそうであるような「その教えを広めることが一番重要である教え」ってなんかヘンだと思っているので(^^;、スピリチュアリズムはそういうのじゃなくて、全ての人生を美しくするものであって、その美しさに一人でも多くの人が憧れを抱き、自分もそうなりたいと思うことによって広がって行くものでなければならないと思っています。つまり日常生活そのものが霊的真理と一体であり、その結果としての伝道であって、伝道が生活の目的になるのは本末転倒ではないかと。
……どうもここら辺のことはまだ自分でも整理できていないので、ヘンなことを言ってると思ったら指摘して下さいね(勉強会のときもこの事を言おうとしたんですけど、上手く言葉に出来なかった(;_;))

自分に関して言えば、霊的真理を知っていなければ今ごろ結婚なんてしていなかっただろうし、会社勤めも一ヶ月と保たなかっただろうし(そもそも大学で日本画をやるような人間に会社勤めなんて……僕の同級生の男は一人も就職してないのだ(^^;)、完全に生活も人格も破綻してたに違いない(+_+)。僕にとっては「霊訓だけでは家族を養えない」じゃなくて、「霊訓がなければ家族を養えない」ということになりますです、はい。


|ペーパーバーチさんのお茶ら気(!)も楽しいかも知れない…あ、失礼。で
|もそれにもまして、スピリチュアリズムに対する思いの深さの方が私たちに
|とっては気持ちがよいですけどね。

ありがとうございます(_ _)ペコリ。最大限の讃辞です。

ここはスピリチュアリストのサロンであり、遊戯場であり、激論の場であり、そして梁山泊であることが出来れば良いなと思っています。スピリチュアリストである人が関心を持ったことであれば、人生哲学や霊的真理について真面目に語るもよし、ウルトラマンや仮面ライダーの話に興じるもよし(イイのか?(^^;)、自由に使っていただければ結構です(話題が雑多になりすぎて収集がつかなくなったら、その時はその時で、雑談専用掲示板なりテーマ別掲示板なりの対策を考えますから)。
ある意味いい加減な運営方針なのかも知れませんが、懐が深いという言い方も出来る、と思っていただければ幸いです(笑)

あ、それから、長文はまったく気にする必要はありませんので、ガンガン長文で行っちゃって下さい。僕も重度の長文病は同じですから。しかも死ぬまで治りそうにない(^^;。

http://www.paperbirch.com

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1479 RE:1444 無農薬プロパガンダ
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年05月15日 (水) 01時25分14秒

有希さん、どうも。

ウェブページの更新休止されるんですね。お疲れさまでした。長いこと続けるのはホント大変ですから、ちょっと休憩して再充電したほうが良い場合もあると思います。いつか復帰したとき、この決断が良かったと言えるように頑張ってください。期待してます(^^)。


|私はスピリチュアリストを自認している人、と書いたのであって、江原さん
|以外の人は具体的には分類していませんよ。
|酔って記憶が飛んでませんか? (^◇^)

僕が書いたのはその後のTMHさんなどのご発言も受けてのことだったんですが、それはともかく……なるほど有希さんの基準では僕なんかは「スピリチュアリストを自認できる人」ではないということですねぇ、へぇ〜。ま、いいけど。
それから、日記の与太話や雑談ならともかく、真面目なコメントを酒を呑んで書いたりなど、僕はしません。


|この喩えを、「成長した人がCさん」、という分類だと、私だってそんなの
|とてもおこがましくて言えません。

僕もそんなことは言ってませんよ。むしろ逆で、そんな妄想的理想主義者と一緒にしてくれるな、ということです。


|これをあえて今分類するとすれば、Cさんを指していることであって、その
|人自身の成長度合いとか、理想通りになっているかどうか、できているかど
|うか、ということではないんです。
|だって、思ったってそんなに簡単に実践できるわけないんですから。
|結果も大切ですけど、それ以上に「実践しているかどうか」の方がもっと大
|切だと思うのです。
|これだけ書いても、私の真意は伝わらないのかなあ・・・

それはわかってますし、その点に関する否定的なことは一つも書いていません。たとえ話の内容がマズイということを書いただけです。人を酔っ払い呼ばわりする前に、ちゃんと読んでくださいね。

それにしても、このあたりの話題は有希さんの課題の一つではないかとは思っていましたが、ここまで余裕のない反応をされるとは意外でした。


|ただ、戦前は無農薬が当たり前で、農薬を使って作った見栄えの良いものの
|方が高かったと思います。
|今は完全に逆転していますね。
|無農薬の物の方が高い世の中になっていること自体、何かが間違っています。
|それこそ、プロ意識の欠けた結果ではないでしょうか。

ううむ、それはどうでしょう? 無農薬や有機の話で良く言われるのは江戸時代以前はみんな有機・無農薬だったということですが、これこそ妄言の最たるもので、江戸時代と現代では日本の人口も人件費も、庶民の生活レベルも何もかも違います。自給率が確保できるのか、不作の時に飢饉が起きてもいいのか、農家には江戸時代なみの暮らしをしろと言うのか、作物の値段はどうなるのか、などなど。単純に、昔は出来ていたのだから今でもやる気があれば出来るだろうとは言えない話です。


|それと、農薬が危険だというのは、農業に従事している人にとっては当たり
|前の知識だと思いますけど。

そうですね。だから心ある農家の方はいかに農薬を少なくすませるか、真剣に考えていますよ。だって、散布して一番蝕まれるのは自分の身体なんですから。一般的な慣行栽培でも、現在は20年前と比べて(単純な量の比較でも)除草剤は約50分の1、殺虫剤は10分の1程度しか使っていないそうですし、使われる薬剤も危険性の少ないものに切り替わっています。

自然農法や無農薬・有機農法は良いことだと思いますよ。やれるだけの情熱のある人はどんどんやって下さい。でも、慣行栽培を「農薬がどんな悪影響を及ぼすかは考えずに、見栄えの良いお米を作るタイプ」などと言って攻撃するのは止めて下さい。いや、その程度の暴言なら僕はいつも言っていますし、他人に止めるように言えた義理はないんですが(笑)、せめて暴言を吐く時は暴言を吐いていると自覚しつつ言いましょう(僕はそうしているつもりです、それが良いことかどうかは別にして(^^;)。少なくとも僕は、きりこさんが怒ったのを見て、そりゃこんなこと言われたら怒るよな〜と思いました。うちも元農家で今でも田畑は持っていますし(人に貸してますが)、きりこさんの憤りにはシンパシーを感じましたしね。

安全性と安定した収量、価格のバランスを考えれば、現時点では慣行栽培(もしくは溶液土耕栽培)で減農薬がベターでしょう。少なくとも僕は、少しばかり農薬が使われていることより、無農薬野菜の寄生虫や病気、カビ(発癌性のあるものもあるそうで)の方がよっぽど恐いですし、「丘んぼ」やら完全無農薬・完全有機農法で現在の日本の人口が養えるのか(面積あたりの収量は減りますよね?)、不作の年でも大丈夫なのか、価格は大丈夫なのか、後継者は育つのか、問題山積なわけで、それでも「無農薬の野菜がいいから農薬なんか使うのは悪影響を考えないヤツだ」などと言うのは視野が狭いと思いますし、そういうのをスピリチュアリストの理想にたとえられるのは違うと思うわけです。だいいち、無農薬や有機の農家が慣行農法を攻撃するのは、無農薬・有機野菜を高く売るための営業戦略だと僕は思っていますから。
(繰り返しますが、有希さんの言いたいことが間違っているというのではなくて、このたとえ話の内容に関してだけの話です)

現状の無農薬・有機農法のように、(手間がかかった代償として)通常の作物より値段が高いから成り立っているようなものは、仮に今後無農薬を実践する人が増えて価格が下がるようなことがあると、立ち行かなくなる危険性もあります(そもそも有機だの無農薬だのは一時のブームに過ぎず、ブームが去れば高く売れなくなるという人は多い)。また無農薬で出来るのは、回りの慣行栽培の田畑に虫が広がってくれているからだという話さえあります。
「丘んぼ」の話だってそうです。結局素人に草取りを手伝ってもらったり、他人に迷惑をかけておいて「虫は弱っているものにつく」などと開き直ったり……。よそ様に迷惑をかけずに、きちんと収益を上げてこそプロであって、その程度のことも出来ないのは、いかに理想がご立派であっても素人の道楽。問題外です。

最近のエコロジー志向の高まりもあって完全無農薬の農業を志す人は多いようですが、実際にはほとんどの人が挫折していると聞きます。宗教がらみやボランティアだより、ある団体は無農薬と言いながら実は使っていたり、「この薬品は農薬ではありません」とか……その怪しげな薬品が「農薬」と認定されていないからと言って安全だと言える魂胆が僕には判らない(苦笑)

無農薬のために「労を惜しまない」ことを是としている限り、上記のような怪しげな連中は無くならないでしょう。本当に世の中を変えるには、手間に見合った収益が見込める、ビジネスとして成り立つものにしなければダメだというのが僕の考えです。少なくともそれを目指す気持ちが無ければ、そんなのは素人の趣味のお話に過ぎませんし(趣味の世界では労力とコストの関係なんて考える必要はありませんから)それが可能になるまでは(いつかは可能になるでしょう)慣行農法の方がベターであると言わざるを得ません。

そういうわけで、いかに手間を省いて、収穫量も減らさず、価格も高くせずに、ビジネスとして成り立ち得る無農薬農法を考えるということなら、僕は大賛成。「労を惜しまない」ことではなく「技術革新」によって、それはいつか実現できると思いますし、そうしなければならないと思います。

たとえばこんなの↓(参考までに)
●自然耕について
http://www.midorino-ohkoku.com/know/sizenkou.html
●岩澤式不耕起農法
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/ark/NOHGYO.HTM

以上、議論の本筋を考えると大脱線ですが、以前から考えていたことをこの機会に書かせていただきました。


|それと、私は「全てを信じている」と書いたのではなくて、「全信頼」と書
|きました。
|確認も何もしなくて最初から無防備に信じたら「盲信」になるでしょうけど、

まだ「全てを信じている」というほうがマシなんじゃないかと思います。「信頼」という言葉を辞書で引くと「信じてたよること。」とあります。つまり「全信頼を置く」というのは、全てを信じて、さらに頼り切っているということになります。「盲信」だからダメというのとは、ちょっと違うんです。

僕だってシルバーバーチの言葉は、ほとんど全て信じてますし(部分的には、よくわからなくて保留しているところがないとは言いませんが)信頼もしていますが「全信頼」とまで言ってしまうと、かなりニュアンスが違ってくると思うわけです。


|高級霊界のことを知識としてだけわかっている人は、信頼するということす
|らわからないでしょうけど、体験的にその存在、働きがわかればわかるほど、
|信頼は増すと思うのです。
|これは既成の宗教と同じですか?

体験としてわかっているということなら、まったく同じ事を既成宗教の人たちも言いますよ。少なくとも僕は、統一協会や親鸞会の信者から同じ言葉を聞いたことがあります(本でだったら他の宗教の人たちが言っているのを読んだこともあります)。おそらく彼らは彼らなりの体験があるのでしょう。事の真偽はともかく、この部分だけ見れば有希さんの仰ることは既成の宗教と同じです。

ただし僕は、既成の宗教のようにスピリチュアリズムを信じるスピリチュアリストがいても、それはそれで仕方が無いとは思います。僕の考え方は違いますが、そうやって正しいものが見分けられる霊性の感度を持った人であれば、その方法の方が効率が良い場合もあるかも知れませんし。……危ういな、とは思いますが。


|> 「ニューズレター」礼賛は、確かにホドホドにしておかないといけないで
|>しょうね。

|これはセーブすべきものではないと思います。
|悪いものならセーブしなければいけないと思いますけど、なぜ善いものをセ
|ーブしなければいけないのでしょう。

あくまでもシルバーバーチの霊訓が中心に在るべきで、ニューズレターは副読本みたいなものだからです。シルバーバーチの霊訓が一次資料だとすれば、ニューズレターは二次資料。善し悪しとは別問題です。


|ですから、ニューズレターは「あの人たちの考え」ではなくて、「シルバー
|バーチの説いていることを実践して確信したこと」だと思うのです。

それでもそれは霊的真理の“心の道場の人たちなりの理解”であり、心の道場の人の考える霊的真理というものであって、霊的真理そのものではありません。シルバーバーチの霊訓という一次資料(これも本当は霊的真理のシルバーバーチなりの理解を英語という言語で表現できる範囲で表現したものであって、霊的真理そのものでは有り得ないんですが)を解釈した二次資料です。二次資料という意味では、僕のやっているこのウェブサイトや、有希さんのところも同じですね。ニューズレターを書くたびにシルバーバーチの霊訓を確認するという話も、二次資料としてのニューズレターを正確なものにするための努力をしているということであって、僕が言っていることとは違います。

もちろん二次資料には二次資料なりに、それぞれがポイントだと思う部分を書いたり、解釈の仕方や、表現方法に味があって(そこに間違いが無ければ)それぞれの面白さはあると思います。しかし飽くまでもそれはシルバーバーチの霊訓みたいな一次資料では無いので、無制限に礼賛出来る種類のものではないと思います。

決してニューズレターが良くないと言ってるワケじゃないですし、まして勝手な「考え」を書いているなんて一言も書いてませんよ。それは確かに、少しは僕と考えの違う部分もありますが、内容はすごく良いと思いますし、楽しみにいつも読んでいますから。しかも無料!
 有希さんだって、僕がシルバーバーチの霊訓を読みたいという人にはいつもお薦めしていることはご存じですよね? 「心の道場の『シルバーバーチは語る』がお薦め。ニューズレターも読めるよ」って。

それでも、ニューズレターはこの世の人間が書いたもの。要するに、そういうことです。

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1478 そうですね
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月14日 (火) 21時55分54秒

みなさんこんばんわ。
いま、「古代霊は語る」を3回よみおわりました。
実に平易で心に響く内容でした。再度熟読します。
いままで、随分回り道して霊訓にたどり着きましたが、決して無駄な道程では
なかったなあと、思っています。(いまでも日本の神様を信仰してますが)

霊的真理は、やはり素地の出来ていない(時機が来ていない)人では、
受け入れることは難しいでしょうね。自分を振り返ると判ります。
ここに居る皆さんも、さまざまな道程を経て霊訓に出会ったのだと思います。

理解の度合いは、当然黒帯も要れば色帯もいる、私のような白帯も居るわけで、人それぞれだと思いますが、
とりあえずは、私のレベルとしては、霊訓を人生の中核に昇華しようと頑張っています。人生における全てのヒントは、霊訓に含まれているようですので・・・
「古代霊は語る」と平行しながら、「心の道場」さんへ本の注文出しました。カルデックの霊の書(2冊とも)、「シルバーバーチは語る」、「スピリチュアリズム入門&続」の5冊です。
きっと、私の人生の羅針盤になってくれるでしょう。今年はこの5冊を気合入れて精読します。
2年かけてもいいかな。カルデックは読んだこと無いので、楽しみです。
実践面は、いまのところ利他愛の実践をこころがけるつもりです。自分自身の理解が深まってきたら、次の段階に進みます。
利他愛の実践といっても、募金が主ですね。みなさんも、もしよかったらお願いします。

http://www.japan.msf.org/msf/msf.html  (国境無き医師団)

http://oisca.org/j/cfp/concept.htm    (子供の森計画)

この両団体はコンセプトも素晴らしいですが、会計監査をしっかりしています。

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1477 霊的真理の大切さ
名前: 山田  投稿日: 2002年05月14日 (火) 16時16分04秒

はじめて投稿します。時々覗かせて頂いていましたが、最近の皆さんの真剣なやり取りを見て、すごく考えさせられることが多く、良い刺激になっています。自分の人生のすべてをスピリチュアリズムに向けている人達がこんなにいるという驚きと感動を感じています。
これからも良い勉強の糧としたいと思いますので、よろしくお願いします。

はじめまして、導優さん。
あなたの熱心な「人の役に立ちたい」という思いを読ませて頂き、私も書かせて頂こうと思いましたら、健太郎さんの的確なアドバイスに私も感心してしまいました。
もうこれ以上書く事はないのですが、せっかく考えたので書きます。

あなたが質問している内容はすでにビッグママさんや健太郎さんの回答で答えが出ているように私も思います。
しかし、あなたが終始こだわっているのは
「では自分達は今何が出来るのか?何をしなければいけないのか?」ということではないでしょうか?
あなたが言われた
>「真理が受入れられるようになるまでの人間的成長の手助けを行なうことによって真理を受入れられる時期が早まる可能性が出てくるのではないか。」
>「真理を理解した者にとって真理を普及することは最も重要なことであるが、真理を理解した者にとっての一般的行為というのは利他愛を実践して、真理を受入れる準備の整っていない人々の人間的成長を助ける行為を行なうことではないのか。」 
つまり、あなたはその前に述べた
>具体的には、食べるものに困っている人に困らなくならない方法を教えたり、他人に認めて欲しい人になぜ認められないかを教えたり。
と目先の実践にあせっているように感じます。

でもこれは、「シルバーバーチの霊訓」を知っている人も、そうじゃない多くの道徳的な人でも心掛けていることだと思います。
そして、霊界では一人一人に必ず必要なものを準備してくれていると思うんです。ただ、私達の狭い視野では理解できないだけのように思います。一人に一人の守護霊が必ずいて、死ぬまでずっと守り導いてくれていると言いますから。

シルバーバーチが言っています
 「人間の心には裏切られる事がありますが、霊は決して裏切りません。たとえ目には見えなくても常に導きを怠ることなく、愛の手があなた方のまわりにあることを忘れないで下さい。」(シルバーバーチの霊訓1−114)

「人生に疲れ生きる意欲を失い困惑している人、慰めのひとこと、一片の真理を渇望している人々が大勢おります。あなた方による緊急の援助を必要としております。そういう人々のためにあなた方は一刻を惜しんで真理の普及のために努力すべきです。その人たちにとって霊的真理が人生のすべてを建て直す磐石の土台となることでしょう。」(シルバーバーチの霊訓3−125)

 このように霊的真理が人生のすべてを建て直す土台と言っています。なぜ、目先の方法よりも霊的真理が大切と言っているのか考えてみてください。
               
正直言って私も、少しですが、より多くの人に知ってもらいたいとあれこれ実践してみた一人です。でも、現実はとっても難しく「霊的真理」を受け入れられる人は本当に少なく、目先のアドバイスでは結局何も成長の手助けになっていないというのに気がつきました。心をこめて「真理の種」を蒔き、霊的真理を受け入れられる時期が早く来るようにと祈る事しか出来ない事が何度もありました。その時期は、やはり霊界に委ねるしかないというもどかしさを何度も感じてきました。
もし、導優さんが5年前、10年前に「シルバーバーチの霊訓」を薦められていたらすぐに真理を受け入れられましたでしょうか?
私も出会った時は、もっと早くこれを知っていたら今の自分はもっと成長していたのにっと思ったものでした。でも、きっと受け入れられないだろうと思い直しました。出会った時が、霊的準備が整った最も良い時期だと思ったからです。
そして自分の出来る事は、霊的真理を求めている人に、より真理の理解を深めるための手助けが出来るようになりたいと思いました。
その為にも常に高いものを目指していこうと思えました。肉体や身の回りのもろもろの事を手助けするより「霊的真理」が何より大切であり、その人自身を変えていくものであるというのが分かるようになったと思えます。

ですから、今は健太郎さんが言われたように真理を理解して、真理通りに実行してみる方がいいと思います。
導優さんが、今すぐにでも実行したいという気持ちは良く分かりますが、霊的真理が分からないままやっても無駄な事が多いんじゃないでしょうか。それは真理に限らず何でもそうだと思います。実は私のパソコンだって分からないままやっているので非常に無駄が多いんです。
でも、どうしても先に実践をしたいと思うのなら、今あなたがやりたいと思う事をやってみたらいいと思います。一人でも多くの人にあなたが教えてあげたいと思うことを話してみてはいかがでしょうか?
私もそうだったように「人に伝えるということは自分がその何十倍も分かっていなければ伝えられない」ということに気づかれると思います。

生意気な事を言わせてもらいましたが、純粋な導優さんの今後の成長を心から願っています、頑張ってください。

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1476 おはようございます♪
名前: hiromi☆  投稿日: 2002年05月14日 (火) 09時50分43秒

ペーパーバーチさん、みなさん、おはようございます♪

AMAZONで「古代霊は語る」と「シルバーバーチのスピリチュアル
な生き方Q&A」を頼んで、何日か前に読み終えました。
そのすぐ後で、もっと、知りたいなぁ・・・とますます意欲的に。
こういう気分は・・・ひさびさです(笑)
(この2冊は重複している部分が結構ありました。←予算の関係もあって選んだのですが・・・・オススメがあれば教えて頂けますでしょうか?)

今まで、疑問に思っていたことが クリアになって
とても嬉しく思ってます。
それから、『知識に伴う責任』・・・これは 心に響き、そして
反省もすれば、この言葉の重さをしばらく考えたりもしました。
これから、少しずつ軌道修正しながら、今の自分に何が出来るのか・・・がテーマになりそうです。

・・・いきなりで申し訳ないのですが、健太郎さんの御意見の中の「ほおっておけば」の動機、霊訓からの引用ですが・・・
この霊訓の意とするところは「あっても無くてもどちらでもいい、手本を示すのみ」なのではないかな??と思うのですが、どうでしょう?
肌の色は「どんなのでもいい」と思いますし、そのことを ただ「ほおっておけば」
というのは実際、その問題に直面している人達に対してであって
直面していない人達(例えば、日本の大部分)に対してではないのでは?と思います。
そして肌の色などは生まれ持ってのもの。「魂の資質」は物質的条件とは違いますよね?白人&有色、江原氏&スピリチュアリストの配列が
頭の中に浮かんでしまいます。
スピリチュアリストとしての手本を示していればいいだけのことという意味は理解できるのですが・・・この引用は適切でしょうか?
(細かいこと言って申し訳ないのですが・・汗)
こんなにも私がこだわったのは主人がアフリカ系だからなんですが(笑)

・・・さかのぼってしまいますが、TMHさん、私のHN、☆こちらでは、あっても無くてもいいですよ♪(よくある名前かな?と思い付けてみただけです・笑)
ペーパーバーチさん、以前、MACではWINDOWSの丸文字が(月)(火)っ
て見えるって書かれての読んで『ハッッ!!』としました。
メールで何通かそんな箇条書きを頂いたことがあって、そのまま(月)(火)って打ってましたよ「1.2って変えても気ィ悪いかなぁ・・最近はこんなの流行ってんのかなぁ・・」って(笑)
教えて頂き、ありがとうございます♪

・・・みなさんの御意見、考えるチャンスになって勉強になります。
(チャンスが無いと、日々に流されがちです)感謝してます!

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1475 導優さんへ
名前: 健太郎  投稿日: 2002年05月14日 (火) 01時05分27秒


 質問にお答えする前に、まず、お尋ねしますが、導優さんはビックママさん、レッドマンさんの挙げたシルバーバーチの霊訓を一度でもご自分の手で開いて確認されたでしょうか。
サードさんへの指摘にお二人が引用された霊訓をもう一度示します。

「私は何々の教えという名称には関心がありません。私が関心を持つのは真理のみです。間違った教えでもそれが何らかの救いになった人がいるのだからとか、あえてその間違いを指摘することは、混乱を巻き起こすからとかの理由で存続させるべきであるとおっしゃっても、私には聞こえません。一方には間違った教えによって傷ついた人、無知の牢に閉じ込められている人、永遠の苦悶と断罪の脅迫によって悲惨な生活を強いられている人が無数にいるからです。」(シルバーバーチの霊訓9・150)

 これが私の根拠となる真理です。この霊訓は、ここ一ヶ月ぐらいのあいだで三度目の引用になります。導優さん、この霊訓に付随する説明はビックママさん、レッドマンさんが的確に述べていますので、どうぞそちらをご覧下さい。
 
>さらに、もし本当に江原様の本が真理普及に有害であるならば、私達は何らかの手段を講じて真理普及の阻害となる要因に対処しなければならないと思いますが、この辺はいかがお考えでしょうか。

 お答えします。私の今回における見解はほっておけばいいの一言です。だからと言って、導優さんがおっしゃる「あっても無くてもどちらでもいい。」ということではありません。
私はその人の動機に従って、対処すればいいと思っています。シルバーバーチは「私はいかなる行為においても、その最後に考慮されるのは、“動機”であることを説いております。動機が最も優先的に考慮されるのです。」と言っています。つまり、霊的真理に導かれた一人一人が、真理と照らし合わせながら対処すればいいことではないでしょうか。今、自分の持てる最高の純粋さを動員して判断されることだと思います。

 では、私の「ほっておけば」の動機を霊訓を引用しながらコメントします。
以下の霊訓は、ある若者の質問とシルバーバーチの返答です。

――有色人種と白人との間のミゾを修復するために、われわれ若者は何をすればよいのでしょうか。
「手本を示すほかありません。あなたたち自身の生活ぶりの中で、魂には黄色も赤色も黒色もないこと、肌の色は魂の資質とは何の関係もないことを示せば、そうした差別、禁制、防柵に苦しめられている人たちの注意を引くようになります。」(シルバーバーチの霊訓9・126)
 
 手本を示していればいいのです。江原さんの本で『スピリチュアリズムは世間一般の占いとかわらないのか』あるいは『こんなものか』と幻滅した人がスピリチュアリズムの純粋な実践者を見て『自分も純粋になりたい』『心正してもう一度生きなおしたい』と訴えかけられるような、生き方を心がけ、高いものを示していればいいのです。そうした生き方は、その人の姿勢が他の人に影響を与える以上に、霊界側が心正している人へと時期のきた人を出会わせるという、働きかけがあるからです。
 私は「何らかの手段を講じて」のエネルギーをもっと多くの人のために使いたいと思っています。どうしたら、素晴らしい真理を人に伝えられるか、心のドアをそっと押して開けてみることに自分の時間をできうる限りさきたいと思っています。ビックママさんが言われるように、自分の全ての時間を真理を伝えることに充てられたらいいと思っています。
 しかし、シルバーバーチが霊媒との通路を遮られ、地上に真理を伝えられない事態に陥るような時には、あらゆる手段を講じる。と言っているように、今後そうした可能性もないとも言えません。

また、シルバーバーチは別の箇所で次のように言っています。

「地上の無知な人がわれわれの仕事を邪魔し、遅らせ、滞らせることはできても、真理の前進を完全に阻止することはできません。ここが大切な点です。遠大なる神の計画の一部だということです。」(シルバーバーチの霊訓1・177)
 
 江原さんの本が百害あって一利なしであっても、スピリチュアリズムが後退することはない、という確信を持っています。最高次元の利他愛の見本・生き方を示したイエスが霊界から影響を及ぼしているのです。それを考えたとき、霊界からなされることに全幅の信頼をおかざる得ない気持ちになります。

 導優さんには前回の投稿で「すべてを解くカギは霊的真理というカギです。」と伝えました。すべての答えは霊訓の中にあります。

 本来なら、あなたは人に質問する以前に、自分の問いかけに対する答えを霊訓から探すべきなのです。私は、そのことを真っ先に学んでほしいと思っています。

 ビックママさん、レッドマンさん、有希さんが、自信を持ってシルバーバーチの霊訓は人生の指針です。と言えるのは真理と自分を照らし合わせて、心の葛藤を通じ、真理を真実として勝ち取ってきたからです。
 つまり、指針にするということは、シルバーバーチの霊訓一字一句を信じていいもの、その時そのときの自分の行動・思うことをシルバーバーチの内容と照らし合わせ、反省することであり、少しでも真理に沿う人間になるための日々の努力をするもの。
 いいですか、シルバーバーチの霊訓は哲学書ではないのです。自分が今まで過去に蓄えた知識と比較しながら分析判断するものではなく、全てをシルバーバーチの言葉に沿わせることだと私は理解しています。シルバーバーチが「義務です」と言われたら“自分は真っ先に義務を果たすように努めなければならない”、「我欲を捨てて謙虚になりなさい」と言われたら、「自分の欲を捨てるような生き方をしよう」と、心あらためて努力することなのです。それが自分にとって手の届かないような理想であっても真理に近づくための努力をすることです。何度、失敗して転んだとしても、素直に心入れ替えて、もう一度真理に沿わそうと歩みだすことです。それが、真理を毎日の生活に生かすことであり、人生の指針とすることの意味だと思っています。

私の導優さんに対する見方は以下のビックママさんの見解と同じです。

>「大切なことは「謙虚さ」です。今までの自分のものさしをいったん横へおいて、あるいは捨てでも新しいもの(スピリチュアリズムの真理)に取り組んでみてください」

この言葉を何度も噛みしめてみて下さい。

「どこまでも、真理に沿わせる」それがシルバーバーチを人生の指針としている人たちの実践であり、意識の中心なのです。あとは理性を最大限に働かせ、ご判断ください。
導優さんにも一つ霊訓を贈ります。
 
「われわれは霊的真理の崇高なる啓示にあずかった、本当に祝福された者ばかりです。それ故にこそ、その知識に伴う責任に恥じない仕方をしようではありませんか。」

 どうぞ、この霊訓をお探しください。

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1473 真意の理解
名前: ビッグママ  投稿日: 2002年05月12日 (日) 11時00分33秒

ペーパーバーチさん、みなさんこんにちは。
導優さん、こんにちは。

質問をいただいたのですが、導優さんの質問への回答は、すでに十分書いてきたつもりですが…。なぜ「時機」にこだわり、霊訓まで引っ張りだしてきて説明したのか、なぜ守護霊のことを持ち出して説明しているのか、私たちが今この地上ですることは何か、いかに「祈る」ことが大切なのか、……すべて書いてきたつもりです。おわかりいただけなかったでしょうか?もちろんシルバーバーチの霊訓の中にもすべて答えはあったと思います。導優さんの質問されているのを読むと、なんか「私の意見も霊訓も本当に読んだ?」と思えてしまいます。

スピリチュアリズムに触れ、歩もうとするのは誰でもできることですが、大切なことは「謙虚さ」です。今までの自分のものさしをいったん横へおいて、あるいは捨てでも新しいもの(スピリチュアリズムの真理)に取り組んでみてください。神の摂理は完璧です。シルバーバーチも含めて被造物である私たちはその断片を垣間見ることしかできません。だからこそ、あれこれ理屈をこねて、人間の小さな視点でものを考えるのはやめたいと思うのです。真剣に取り組めば取り組むほど明らかな答えは返ってくるものです。その導きの方法、深さは計り知れないものがあります。
どうか、シルバーバーチを「感動的読み物」としてではなく、霊的な実践書として取り組んでみてください。

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1472 健太郎様ご意見ありがとうございます。
名前: 導優  投稿日: 2002年05月11日 (土) 23時02分26秒

健太郎様、ご指摘ありがとうございます。
あの「あっても無くてもどちらでもいい。」は私の個人的経験からの感想でした。私が経験したところの感想は、違うものを教えられれば、「何かが違う」と思うので、更なる正しいものを求める行動を起こし、結局は本当の真理にたどり着くのではないかと考えたからです。にせの知識で満足してしまう人は結局、真理を受入れる時期ではないのかと思っています。
私は、まだ、「あっても無くてもどちらでもいい。」と思ってしまっていますので、「このような発言は決して言えるものではないと思える」ところの根拠となる真理をお教えいただければ幸いです。
さらに、もし本当に江原様の本が真理普及に有害であるならば、私達は何らかの手段を講じて真理普及の阻害となる要因に対処しなければならないと思いますが、この辺はいかがお考えでしょうか。
おいそがしいところ申し訳ありません。時期はいつでも結構です。お返事をお待ちしています。

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1471 ありがとうございます。
名前: 導優  投稿日: 2002年05月11日 (土) 22時49分21秒

ビッグママ様ご意見をいただきましてありがとうございます。大変参考になりました。特に、どの本のどの章に何が書いてあるとう引用などを載せていただきますと、勉強の足りない私にはよく理解できて助かります。

まだ私が理解できていない点があります。2点ほど質問させていただきます。

その1点目は真理を受入れる時期について
「真理を受入れる時期の問題は本人にかかわる事項なので、周囲の人はその本人の神・守護霊の導きを祈ることしかできないのか?」という疑問です。
多くの方々が早く真理を受入れることができれば、多くの時間を霊的向上のために励むことができると思います。この手助けを、すでに真理を受入れた人が何らかの方法で手助けすることができないのかというのが私の疑問な点です。真理を受入れた人たちができることは祈ることだけなのでしょうか?
これに対する私の考えは以下のとおりです。
「真理が受入れられるようになるまでの人間的成長の手助けを行なうことによって真理を受入れられる時期が早まる可能性が出てくるのではないか。」

その2点目は真理を理解した人の行動について
「真理を理解した人の行動は、真理を他人に伝えるという行為だけでいいのか?また、真理を伝えるという行為は具体的にはどのような行為か?」とうい疑問です。真理を受入れる準備ができなければ真理は受入れられないのですから、それを他人に伝えるという行為は受入れが整った本人から求められる話であって、こちらから準備のできていない人に普及していくこととは違うと思います。とすると、受入準備の整った人を捜し当てて普及していくのかというとこれも違うと思います。このあたりの「では、具体的に何をすればいいのか?」が私の疑問な点です。
これに対する私の考え方は以下のとおりです。
「真理を理解した者にとって真理を普及することは最も重要なことであるが、真理を理解した者にとっての一般的行為というのは利他愛を実践して、真理を受入れる準備の整っていない人々の人間的成長を助ける行為を行なうことではないのか。」

勉強不足で申し訳ありません。ビッグママ様をはじめとする、すでに真理を理解されている方にお答えいただければ幸いです。

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1470 レッドマンさんへ
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月11日 (土) 16時50分15秒

こんにちは。
実のところ、霊訓の勉強は最近始めたばかりなんです。
本当に白帯です。
じっくり読み込みたいと思います。
学生時代に薔薇十字団の団員の方からシルバーバーチのことを聞いたのが
約10年前でした。
でも、真面目に学習を志そうと思ったのは最近なんです。
今後ともよろしくお願いします。
有難うございました。

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1469 一言だけ
名前: レッドマン  投稿日: 2002年05月11日 (土) 12時35分43秒

少し気になりましたので、一言だけ書き込みます。

>私は、本に書いてあるから、誰かが言ったから、というだけでは鵜呑みにはしません。
  自分なりに判断します。

とありましたが、そうですね。シルバーバーチも自分の理性に照らして判断して下さいと言っています。(但し、自分に確信がなければならないとも言っています)

どうかこれからの人生、じっくりとシルバーバーチを読んでみてください。
シルバーバーチの内容に無条件に人生をかけられるかどうか、ご判断下さい。
私自身は、シルバーバーチを人生の指針としています。これ以上のものは無いと確信しています。

きりこさんにも、シルバーバーチが最高であると分かって頂けるよう、お祈りしています。

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1467 もしも
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月11日 (土) 01時55分48秒

私の姿勢が根本的に不適切であると思われるのであれば、
しばらく投稿は控えます。

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1468 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年05月11日 (土) 06時57分36秒
控える必要はないのでどんどんご発言ください(^^)

ところで、レッドマンさんへのコメントのログ持ってますので、おせっかいかもしれませんがメールで送らせていただきました。

では、今後ともよろしく。

http://www.paperbirch.com


1466 どうも・・・
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月11日 (土) 01時27分57秒

レッドマンさんへの回答文、一生懸命書きましたが、間違って削除してしまいました。

一気に疲れましたので、後日にします。(できるかどうかわかりませんが)

健太郎さんへ。
レスできません。疲れました。

霊訓も、みなさんのアドバイスも、参考にします。私の為に、一生懸命アドバイスくださり、感謝しています。
ですが、最終的に判断するのは私自身です。
私は、本に書いてあるから、誰かが言ったから、というだけでは鵜呑みにはしません。
自分なりに判断します。
霊訓以外の書籍も積極的に読みます。(ジャンルを問わず)

これは、私の大原則です。
白帯には白帯なりの信念があってもいいでしょう?
これに関してはアドバイスは不要です。
今後、霊訓のなかで判らない事を質問させていただきます。

でも、今日もニューヨーク市場は元気無いなあ。
ますます疲れた・・・
管理職選考の勉強しなくちゃなあ。
最近の新人は超難関の採用試験突破してきた連中ばかりだから、ボヤボヤしてると追いぬかれてしまふ・・・

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1464 私の思うところ
名前: 健太郎  投稿日: 2002年05月11日 (土) 00時00分57秒

 ペーパーバーチさんはじめまして、健太郎と申します。以前からシルバーバーチの霊訓を愛読しており、ここの掲示板はとても勉強になると思い、いつも読ませて頂いております。私もシルバーバーチファンとして少し書きこませていただきます。
 今までの江原さんの件に関して、私はビックママさん、レッドマンさんの意見が正論だと思います。それを、いまだに導優さんが

>結論としましては「あっても無くてもどちらでもいい。」です。あの本があっても無くてもシルバーバーチにたどり着く人はたどり着きます。

と発言しているのは、とてもおかしく感じました。今までの一連の流れは、ビックママさん、レッドマンさんの書き込みですでに決着がついていると思っていました。
 導優さんにとってスピリチュアリズムの位置付けは、いったいどこにあるのでしょうか。シルバーバーチの霊訓を人生の最高の指針としている人であれば、このような発言は決して言えるものではないと思います。

>マズローの欲求階層のように、下から生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、自尊独立欲求、自己実現欲求(古い資料ですみません、今は3段階ぐらいに区分されていますね)と順々に満たしていってあげるような利他愛の実践も、広義のスピリチュアリズムの普及と考えていいのではないでしょうか。

 スピリチュアリズムに「広義・狭義」と人間側の都合で当てはめること自体間違っています。スピリチュアリズムは霊界から降ろされたもので、それを純粋なままの状態でより多くの人に伝えていくべきものです。

>具体的には、食べるものに困っている人に困らなくならないような方法を教えたり、他人に認めて欲しい人になぜ認められないかを教えたり。

 このような内容は、枝葉の部分だと私は思います。もちろん困っている人に対する同情心は必要です。しかし、私達はシルバーバーチの霊訓に出会いスピリチュアリズムの価値が分かっています。死後の世界、永遠的な幸せ、霊魂の実在を知りそれを与えられる立場にいます。この仕事はスピリチュアリズムの価値を理解したものしか出来ません。人のためと思って活動しているボランティア、NGOの人たちにも出来ない仕事なのです。
 真っ先に私たちが真理を伝えていくことをしなくて、いったい誰がするのでしょうか。

 『あなた方が霊的真理を手にしたということは、人類が抱えるすべての問題を解くカギを手にしたことを意味します。』(シルバーバーチ不滅の真理・125)
 私たちは、シルバーバーチの言うように「すべての問題をとくカギ」を持っています。全人類の食べ物を満たすための知恵、高い意識で生きるための知恵を授かるための霊的真理というカギです。そのカギで真っ先にドアを開けなければ、本当の問題解決はあり得ません。
 ですから、私たちが最も優先してやるべきことは正しい真理をそのまま、人に伝えることです。途中段階にある利他愛の実践はボランティアの人たちやNGOの方々あるいは国レベルでやってくれています。だからこそ真理を知った私たちは人類救済の根源的な利他愛に向けて働くべきではないでしょうか。

 きりこさんこんにちは、きりこさんの意見にはずいぶんと考えさせられるところが多いので、少しコメントさせて頂きます。
 レッドマンさんも指摘している部分ですが、スピリチュアリズムを学んでいる者がどうして、次のような発言をするのか考えさせられます。

>私は精神世界の話の真贋を見極める第一に、地獄もしくはそれに類した話に注意します。

 精神世界の話の真贋を見極めるのに地獄が必要とは何ともいただけない話です。スピリチュアリズムが一番なら、他の精神世界の話は見極めるに及ばないではないでしょうか。すでに、見極める以前の問題です。シルバーバーチの霊訓に示される内容を正しく理解された方なら、レッドマンさんが言うように、地獄は神が造られた世界ではなく、低級霊の漂う世界であることぐらい分かることです。非常にナンセンスな話だと感じました。
 今の、あなたにとって必要なことは、他の精神世界の書物や話しに手を出すことではなく、シルバーバーチの霊訓を何度も何度も読まれることだと思います。スピリチュアリズムが自分にとって、本当に必要としていたものだったのか、これからの人生の指針になるものなのかどうか、深く自分自身に問いかけることが必要ではないでしょうか。
 シルバーバーチの霊訓を一つきりこさんに贈ります。

『人間が地上生活を生き抜き成長していくために必要な真理は、これ以上つけ加えるべきものは何もありません。あとは真理をより深く理解すること、神とのつながり、および同胞とのつながりに関してより一層理解を深めることです。』(シルバーバーチの霊訓12・219)

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1462 きりこさんへ
名前: レッドマン  投稿日: 2002年05月10日 (金) 09時28分44秒

きりこさん、はじめまして。レッドマンと言います。きりこさんの1455についてお尋ねします。

尋ねたいことは、
>霊的・精神世界において、さまざまなチャンネルから様々なメッセージ・・・
   とは、具体的にはどんなものを指しているのでしょうか。
>第一に、地獄もしくはそれに類した話に注意します。
   とは、具体的には、どのように注意するのですか。
そして、きりこさんは、スピリチュアリズムを中心に学んでいるという事でしょうか。
     (仏教・他、が中心ではなくて)
の3点です。

それから、地獄の問題についてですが、きりこさんやハナリンさんの想像している地獄というのは
「閻魔様がいるような、審判されて落とされるというような、昔からの古風なイメージの地獄」の事ですか。・・・もしそうだとしたら、私もそのような世界は、無いと思います。また、
>愛に満ちた神が地獄を作るなど、決してあり得ない・・・と言う意見にも賛成です。

しかし、私は、「地獄のような世界」、「神が作ろうとは決してしなかった世界」が、残念ながら霊界に存在していると思います。それは、地上的な欲望や快楽を忘れることができずにいる霊。中にはいまだ死んでいることすら気づくことなく、霊的な進歩に無関心で、ただ地上時代と同じように生きたいと徘徊する霊。心の成長(魂の成長)ができず、相変わらず自己中心的な・利己的な生き方がしたいと
漂っている霊達の行き場としての世界です。霊界ではあるけれども「天国ではない」世界です。
低級霊、悪霊、邪霊などと呼ばれる霊達の世界です。、しかしそれは誰かの審判を受けて「落とされた」という訳ではありません。自分自身の自由意志において好んでそうした世界に安住しています。

そもそもスピリチュアリズムが、霊界の高級霊によって地上に興された大きな理由の一つが、こうした問題です。神や高級霊の願う霊性を身につけていない霊が多いこと。霊的にあまりにも未熟な霊が多いとシルバーバーチも言っています。
地上ですべき霊的な学習をしていない魂が多すぎると言っています。

    一度、「霊の書」(アラン・カルディック)の思想編  <出版:心の道場>
            を読まれる事をお勧めします。特に「第4部・二章」
                        ・・・まだ読んでいなければの話ですが。

私は、こうした神の意図しない、地獄のような世界は残念ながらあると考えています。

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1461 霊界を信頼してるかい?
名前: ビッグママ  投稿日: 2002年05月10日 (金) 00時00分31秒

導優さん、はじめまして。
私なりの意見を少し。

『真理を知るためには時期がこないとダメだから無理に教えてもしょうがないぜ。自分で気がついて教えて欲しいといってくる人だけに教えてればいいじゃん。』

う〜ん、スピリチュアリズムの「時機がきた人に」というのは、そういうことではないと思いますよ。あえて言えば、「真理を知るためには時機がこないとわからないから無理に教えてもしょうがない。(悲しいけど)早く時機が来ることを祈るしか今はできないよ。後は神と守護霊の導きにまかせようぜ!」ということだと思いますよ。

『スピチュアリズムを普及することは、その段階に達した人にその知識を教えるという狭義の意味ではなくて、』

と書いていらっしゃいますが、狭義も広義も私は知りません。スピリチュアリズムの目的は、地上人類(すべての)救済ですよ。そのために一人一人時機のきた人から順に霊的真理を広めていくというプロセスを踏んでいるに過ぎません。一人残らず進化の道を歩むようになる、そのための働きかけです。しかも、物質現象のような人間の注意を引きやすいものではなく、あえて高度な霊的真理を伝えていくことを霊的教化・霊的救済の方法に選んだとシルバーバーチは言っています。時間がかってもそれこそが人間に必要なことだからでしょうね。

『皆様が言われたのは、「受入れる時期がこない人に歪曲した真理を教えるべきではない。」』

これは、当然でしょう。何もわからない、まだ霊的な視点も持てず、判断の指針すらできていない人に上っ面だけきれいな偽物を示して、勘違いさせるのは罪ですよ。

『龍人様が言われたのは「受入れ準備ができるまでの支援もスピリチュアリズムの実践として行なうべき。」』

ということですが、これもあたりまえではないのでしょうか?わざわざ言う必要がないだけです。ただ、霊的真理を受け入れられるか否かということになると「時機」の問題になり、私たちではいかんともしがたいものがあります。そこは神・守護霊の導きを祈るばかりです。そして最終的に必要なのは霊的真理を受け入れ、それに添った歩みをすることだと思います。おそらく、有希さんをはじめみなさんそうお考えと思います。

『私たちが霊的真理を説くとき、それは霊的世界の摂理にかかわることとしてのみ説いているのではありません。物的世界に関わることもあるのです。……貧困であえいでいる人々への物的援助もそうです。』シルバーバーチの霊訓4−111

シルバーバーチは、こういっています。霊的真理というものは当然物的世界にも反映されなければならないということです。貧困であえいでいる人に霊的真理を受け入れなさいといっても無理です。マズローの欲求階層(ピラミッドのですよね?)がすべてではありませんが、それも一理はあるのでしょうね。飢えに苦しむ人にはまず食物からです。

しかし、その人たちの霊にもいずれ時機が来るのです。

『真理は魂がそれを悟る準備のできた時に初めて学べるのです。霊的な受け入れ態勢ができるまでは決して真理に目覚めることはありません。』シルバーバーチの霊訓1−55
『霊的成長にも摂理があり、魂に受け入れる備えが整って初めて受け入れられます。私どもは改宗を求める宣教師ではありません。真の福音、霊的実在についてのよい知らせをおもちちしているだけです。それを本当によい知らせであると思って下さるのは、魂にそれを受け入れる備えのできた方だけです。』シルバーバーチの霊訓1−118

といっています。

スピリチュアリズムはたしかにりゅじんさんがおっしゃるように「万人を救えるもの」だと思います。ただ、その方法は摂理に則って行われるわけです。それゆえ魂に受け入れる準備のできた人から霊的な進化が進んでいくということになるのです。誰も神が霊的真理を受け入れた人だけ救おうとしているなどとは思ってもいないと思います。少なくともここに集い、意見を述べておられる方々は。

地上人の視点からものを見たり考えたりしていると、「人情」的に考えてしまいがちです。やさしいといえばそうなのですが、もう少し深く考えると「神や霊界の導きを信頼してないな」ということではないでしょうか。今、地上で苦しむ人を見れば、手を差し伸べ、元気付けてあげたい。これは人間としてあたりまえの情です。しかし、その苦しみの中には、他人ではいかんともしがたい
もの、守護霊でも手が出せず見守るしかないものもあるのです。それでも、長い視野で見たときには確実にその人にとっての解決の道、霊的向上の道が準備されているのです。

『私たちにとって、地上の人間を指導していていちばん辛いのは、時として皆さんが苦しんでいるのを心を鬼にして傍観しなければならないことがあることです。本人自らが闘い抜くべき試練であるということがわかっているだけに、はたから手出しをしてはならないことがあるのです。……この私も、人間が苦しむのを見て涙を流したことが何度かあります。でも、ここは絶対に手出しをしてはならない、と自分に言い聞かせました。それが摂理だからです。』シルバーバーチ愛の絆66

こうした霊界の導き、愛情を信頼することができたら、「スピリチュアリズムは万人を救えるもの」などと声高に言うことさえ必要ないのです。それが真理であり、スピリチュアリズムとは、はじめからそういうものだとシルバーバーチ等高級霊が言っているのですから。

…と、このように思いました。

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1460 はじめまして。
名前: 導優  投稿日: 2002年05月08日 (水) 22時58分32秒

初めて書き込みさせていただきます導優と申します。よろしくお願いします。

皆様の書き込みを興味深く読ませていただきました。特に龍人様と皆様のやりとりに興味を持ちましたので、この書き込みをさせていただきました。

わたしは、どちらかというと龍人様の「スピリチュアリズムとは万人を救えるもの」というところに感動しております。
皆様にお聞きしますが、「なぜ、スピリチュアリズムを勉強なさっているのでしょうか?」多くの人を幸福にするためではないのでしょうか?
(幸福の定義が一人一人異なりますが、ここでは、本人の向上とさせていただきます。)

「俺は真理を知る段階に到達して、実際に真理を知って、利他愛を実践して、これでOK!幸せだぜ!」

これは、間違えであると皆さんわかると思います。では、これはどうでしょうか?

「真理を知るためには時期がこないとダメだから無理に教えてもしょうがないぜ。自分で気がついて教えて欲しいといってくる人だけに教えてればいいじゃん。」

どうでしょう?この辺で意見が別れるところではないでしょうか?これにつきまして、以下に私の意見を述べさせていただきます。

我々が目指している利他愛とは、他人を幸福にすること、つまりは他人の向上に役に立つことであると思います。したがって、我々が真理に則り利他愛を実践するということは、実践した本人も幸福であるし、実践の対象となった方々も幸福であると思います。
次に、スピチュアリズムを普及することは、その段階に達した人にその知識を教えるという狭義の意味ではなくて、その段階に達するまでの向上の手伝いも含むという、広義の意味に考えるほうがいいのではないかと思います。
マズローの欲求階層のように、下から生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、自尊独立欲求、自己実現欲求(古い資料ですみません、今は3段階ぐらいに区分されていますね)と順々に満たしていってあげるような利他愛の実践も、広義のスピリチュアリズムの普及と考えていいのではないでしょうか。具体的には、食べるものに困っている人に困らなくならないような方法を教えたり、他人に認めて欲しい人になぜ認められないかを教えたり。そうすることによって低段階の欲求が満たされ、最後の自己実現の欲求でその人が真理を求めたり、自分が支えられたことによって他人を愛することに重要性を感じたり、何らかの「気づき」を積み重ねさせてその人が真理を受け入れられるようになるまで人間性を向上させることができると思います。
間違ってはいけないとことは、この段階の対象となる相手の人に、「歪曲した真理もどき」を教えてはいけないということだと思います。また、対象の相手となる人がその支援に頼りきりになってしまうような支援の方法もいけないと思います。

皆様が言われたのは、「受入れる時期がこない人に歪曲した真理を教えるべきではない。」龍人様が言われたのは「受入れ準備ができるまでの支援もスピリチュアリズムの実践として行なうべき。」ということだと私なりに理解しておりまして、両者とも正論だと思っております。

ちなみに、江原様の本に関する私の意見なのですが、私自身江原様の著書からシルバーバーチの霊訓にたどり着きました。結論としましては「あっても無くてもどちらでもいい。」です。あの本があっても無くてもシルバーバーチにたどり着く人はたどり着きます。あの本のために真理を誤解・敬遠・曲解してしまう人がいたとしても、その人はまだ真理を受入れる準備ができていないに過ぎません。真理を受入れる準備ができた人なら、その内容を見て違うと解ります。

いろいろなご意見やご指摘などお聞かせいただければ幸いです。これからもよろしくお願いします。長文失礼しました。

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1459 レスありがとうございます。
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月08日 (水) 22時34分14秒

ビッグママさん
はじめまして。
丁寧にレス頂きまして、有難うございます。
考え方が違う点、ありますけれど、とても参考になりました。

ハナリンさん
はじめまして。
やっぱりそう思われますか?うれしいです。
ホームページ拝見させて頂きます。

*追伸 ヨタ話は大好きなので今後とも書きこみ(その方面の)させて頂きま    す。よろしくおねがいいたします。

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1458 カンディンスキー展に即して・・・
名前: もりふみ  投稿日: 2002年05月08日 (水) 18時08分25秒

 ペーパーバーチさん、皆さん、こんにちは。

 GW期間中に遊園地に連れて行くほど子供が小さくなくなってしまったヒマオヤジとしての私は、先日、東京の国立近代美術館で開催されているカンディンスキー展に足を運んで来ました。そこで感じたことをヒマにまかせて(仕事中ではありますが)ちょっと雑談的にご報告してみようと思います。

 
 色使いが云々、構図が四の五の、という高度なことは何も分からないにもかかわらず、私は質のいい(と自分で思える)抽象画が好きです。「あっ、何となくイイね、コレ」っていう感じです。カンディンスキーにはそんな作品が多いので、以前から何となく気にかかっていたところに折りよく展示会がやってきたというわけです。


 展示会の解説によれば、「抽象画の父」と称されることもあるカンディンスキーの画は、最初から抽象画だったわけではなく、ある時期から(ある種の意識の深まりを経て)そのキャンパス上から目に見えるモノのカタチ(いわゆる「具象」ですね)が姿を消していったということのようです。カンディンスキーの精神生活において具体的にどういうキッカケ、経緯があったのかは知る由もありませんが、いずれにしても20世紀初期のロシア人画家の意識がある種の深まりによって、世界の本質は目に見える具象にあるのではなく具象を具象たらしめているなにものかにあるのだという境地に至ったのではないか、という具合いに私などにはその作品を眺めながらあらためて感じられた次第。

 期せずして(期して、という方もあるかもしれませんが)スピリチュアリズムというものに接してしまった(笑)私たちは、既にそのなにものかについての確たる認識を持っていることでもあり、自らの精神のキャンパスに「具象」(現実的なあれやこれや)ばかりを写実的に描くのではなく、その奥のなにものかをも写し取るスペースをつねにキープしておき、さらにそのスペースを拡げていくということを意識的に行なうべき(なんだろうな〜)だと、展示会で買ってきた小さなカンディンスキーのレプリカを眺めながら思った次第です。

PS:
 絵が本職(?)みたいなペーパーバーチさんを前にして絵画のハナシをするのもナンだとは思うのですが、じつは、私は絵画については自信がないわけではないのです。もっと正直に言えば、かなり堂々と胸を張れるのです。何故なら、非常にイヤミに聞こえるかもしれませんが、じつは私、過去に自分が描いた絵で勲章を貰ったことがあるからです。それは「銅賞」でしたけれど、まぁ、本人としては自らの才能を正しく評価された証しとしての勲章でもあり、輝かしい実績でもあると思っているわけです。その際の金賞と銀賞は各々ほんの数名にしか与えられなかったわけですから、実績としては充分でしょう。
 そのときの受賞作品が「ぼくの夏休み」を描く宿題であって、「銅賞」が金賞と銀賞受賞者以外の「2ねん2くみ」の全員に与えられたものであったことを云々する者が仮りに私の身辺にいたとして(実際にいることがうとましい)、その勲章が光を失うことにはならないことは明らかです。

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1457 地獄の話
名前: ハナリン  投稿日: 2002年05月08日 (水) 06時38分54秒

きりこさん、こんにちは。

まさしくきりこさんのおっしゃる通りだと思います。
地獄というのは、その人の心の状態、魂の状態が、暗く沈んで光が見出せないならば、今、肉体をもって生きていても「地獄」のような状態で、なにも死んでからいくものでもないし、だれかが、「お前は地獄に行く」と決めたら行くものでもないですよね。

私がこう思うのも、自分の宗教や自分のやっていることが正しいと思うあまり、それから離れようとする人に対して、言うことがあるようです。

その人(教祖?リーダー?)は、不安なのでしょうし、自分がちやほやされないと恐いのでしょう。

シルバーバーチも「肉体を失ってもなにも変わらない」と言っているように、今の状態がそのまま死後も続くと思えます。

http://www2.odn.ne.jp/~ohana

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1456 真面目なスピリチュアリスト
名前: ビッグママ  投稿日: 2002年05月08日 (水) 02時53分23秒

ペーパーバーチさん、こんにちは。
今回からは助言に従い、?(おっともうすでに(月)のように表示されているのですよね。)と表示するのは止めにいたしますね。

きりこさん、こんにちは。
きりこさんの発言を読んで感じたことを述べさせていただきますね。

きりこさんの1436の発言です。
『ボランティア活動をやっていますが、あまり真面目過ぎたり使命感もってやっている人ほど、すぐに自滅したり激しい対立を引き起こしたりで長続きしていません。
霊的進化もそうだと思いますよ。』

まず、この発言に関してです。きりこさんは真面目であったり、使命感をもって働くことを否定なさっているのでしょうか?自滅したり激しい対立を引き起こすとありますが、私は、真面目であり、使命感を持ってシルバーバーチの言葉のごとく霊的真理を一人でも多くの人に知らせたいと歩んでいる方を大勢知っていますが、自滅している方も対立している方も知りません。そうして霊性進化されていると思いますが、違うでしょうか?
シルバーバーチの言葉の真意を汲み取ろうとすれば、当然ですよね。

『霊的真理を手にした時点で、二つのことが生じます。一つは霊界との磁気的な連結(リンク)ができ、それを通路としてさらに多くの知識とインスピレーションを手にすることができるようになることです。もう一つは、そうした全生命の根源である霊的実在に目覚めたからには、こんどはその恩恵を他の人々に分け与えるために、自分がそのための純粋な通路となるように心がけるべき義務が生じることです。』古代霊シルバーバーチ新たなる啓示46

この霊訓に限らず、シルバーバーチはいたるところで、霊的真理を手にした者はその恩恵を他の人に知らせ分け与える「義務」が生じるといっています。高級霊訓に触れ、霊の実在を知り、霊的な真理を手にした人は、自分ひとりの感動でおさめてなどいられないのです。

こうして、この掲示板に集ってくる人たちは、みなさんシルバーバーチの霊訓のすばらしさをよくご存知です。シルバーバーチが私たちに「義務です」といっているのですよ。真面目にならずにいられますか?いいかげんな思いではいられないのです。霊界の高級霊が道具としたい人間は、こうした霊的真理に触れ感動し、自分のものとしていく人間でしょう。その人たちが使命感も持たず、真面目でなくてどうするというのでしょう。真面目さや使命感を持つことを「ムキになっている」などと評するとはいかがなものか?「霊界が働く」ということは真剣極まりないことなのです。足りない自分でありながら、それでも高級霊に倣おうと真摯な態度にならざるをえないのです。

『ペーパーバーチさんも、奥さんも子供もいらっしゃるそうですが、私もそうです。
霊訓だけでは家族を食べさせることはできませんからねえ≪笑≫。』

この発言はどういう意味なのでしょう。霊訓だけでは食べられないから自分の利益を優先させていいよってことですか?シルバーバーチはこういっています。

『背後の存在を信じることです。機が熟した時に必要な援助があります。条件が整い、正当な必要性がある時は、背後霊は地上に物的な結果を生じさせる力があります。……お金が足りなければ工面してあげます。せっかくの奇特な好意のチャンスが資金がないために失われるようなことには決してなりません。その点をあなたはどう思われますか。必要なだけの資金は不思議にどこからか入るものだと思われたことはありませんか。霊の道具としての仕事に励んでいる者は、物的生活の必需品に事欠くことには決してなりません。こちらから用意してあげます。飢えに苦しむようなことにはなりません。渇きに苦しむようなことにはなりません。きっと何とか切り抜けられるものです。』シルバーバーチの霊訓11−33

さらにシルバーバーチの交霊会に招かれた中央アフリカおよびインドを中心に治療家都度を続けている二人の治療家のこんな記述があります。
『商業関係の仕事を止めて本格的に治療活動に専念しておられる。奉仕的精神から治療費をいっさい取らないのであるが、その日常生活は“絶対に裏切らない神の供給源”の存在を見事に実証している。来る日も来る日も治療のための旅を続けていると、時には生活費が底をつき、空腹のためにベルトをさらに締めなければならなくなることもある。にもかかわらず必要なものだけは、お願いしなくても、必ず届けられる。その届けられる経路は驚異としか言いようのないほど思いがけないことがしばしばである。……「物的な必需品はかならず授かるものだということをお二人は体験によってご存知です。飢えに苦しむようなことにはなりません。渇きに苦しむようなことにもなりません。身を包み保護するだけの衣類はかならず手に入ります。贅沢なほどにはならないでしょう。が、進化せる霊は贅沢への願望は持ち合わせないものなのです。」』シルバーバーチの霊訓9−86

ちょっと長くなりましたが、きりこさんにはぜひ知ってもらいたい内容です。霊訓だけでは家族を養えない、たしかに一般論ならそうでしょう。しかし、霊的真理を知るものがそんなことを平気でのたまうのはいかがなものか?私にも子供がいて生活するために働いています。でも、できることなら、早く霊的な真理を広めることに自分の人生をすべて使えるようになりたいですよ。自分の生活、子供の生活のために働き物質生活に埋もれているのは、単に進化のレベルが幼いということでしょう。早くそうしたレベルを卒業したくはありませんか?私はしたいですよ。上のシルバーバーチの言葉を読むと本当に泣けてきます。そういう歩みができたらなあ、こういう人たちがいるんだなあ、やっぱり
霊界の働きはすごいなあ…様々な思いで胸がいっぱいになります。

私は何も優れた人間でも特別な人間でもありません。しかし、自分の行為や言葉を正当化するために人の真面目さや真剣さを茶化したり、冷笑的に見るのはいただけないと思います。今の世の中、ともすると、真面目な人間が軽くあしらわれたり、馬鹿にされたりする傾向がありますが、違うんじゃないかなあ…。きりこさんにそういう思いがないのならいいのですが、一連の発言を
見せていただいていると、やはり気になります。
もりふみさんが1445で発言された内容も正論で私も同感だと思いました。ここでは、せっかくペーパーバーチさんが「スピリチュアリスト掲示板」としてシルバーバーチを中心とした霊訓や霊的真理について、さらには現代人の生き方に至るまで存分に発言し合える場を用意してくださっているのですから(そうですよね?)、そうした空気も感じてほしかったです。といっても、なにもくそ真面目に話せって言うわけではありませんよ。ペーパーバーチさんのお茶ら気(!)も楽しいかも知れない…あ、失礼。でもそれにもまして、スピリチュアリズムに対する思いの深さの方が私たちにとっては気持ちがよいですけどね。

きりこさんの1454の問いかけに対しても、シルバーバーチは明確に答えていると思いますよ。せっかくここへいらしたなら、シルバーバーチの霊訓の中から答えはないかしらと探してみてもいいかもしれませんね。

信じる信じないにかかわらず、私たちの背後では、間違いなく守護霊・背後霊が必死になって働きかけてくれています。それを思うと真面目にならざるをえないんですよね、こんな私でも……。

相変わらずの長文で、大変失礼しました。

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1455 連続投稿です・・・
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月06日 (月) 22時45分22秒

現在、霊的・精神世界において、さまざまなチャンネルから様々なメッセージが我々の元に届いているのは皆さんご存知のとおり。
宗教に比較的寛容なわが国においては尚更です。
その中には良質なものもありますが、疑念を生じさせるものも無数にあります。
みなさんは、どのような基準でふるいわけていますか?

私の場合は、地獄の観念です。
宗教の大前提として、
○我々人類は、一人一人神の子もしくは神の一部である。
○神は我々一人一人を深い愛で見守っている。
というのは、どの宗教でもほぼ言ってる事は同じです。

しかしながら、死後に、天国に行けるのは、本当に人類のごく一部のみで、
大多数は地獄に落とされ、煉獄で永遠に苦しめられると言うことになる場合が多いです。
こんなバカな話ってありますか?
○ごく一部の出来の良い子供を可愛がる。
○その他の子供は地獄で恐ろしい目に合わせる。
これでは、最悪の児童虐待です。人間以下です。
少々出来が悪くても、親は子供を愛するものです。これって、当然だと思います。
だから、愛に満ちた神が地獄を作るなど、決してあり得ないことぐらい
充分判ります。
だから、私は精神世界の話の真贋を見極める第一に、地獄もしくはそれに類した話に注意します。
皆さんは、どうでしょうか?
みなさん、様々な経験積んでいるでしょうから、是非御教授頂きたいと思います。
よろしくお願いいたします。

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1454 最近の中東情勢について感じること・・・
名前: きりこ  投稿日: 2002年05月06日 (月) 19時21分59秒

ペーパーバーチさん、こんにちわ。レス有難うございます。
ここ2年ぐらい、株式市場は中国を除いて、どこもかしこもぱっとしませんね。1999年が懐かしいです。(日本バブルのときは学生でしたので、よくわかりませんが・・・)
株式投資は、欲の皮が突っ張っていると必ず損するのはご存知のとおり。
このスレの方々も是非おやりになることを勧めます。経済情勢や政治情勢に
本当に詳しくなります。現世的な動きを学ぶことも、霊的進化にとってはともかく、有益な勉強になると思いますよ。

話は変わりますが、みなさん、最近の中東情勢についてどう思われます?
パレスチナ人の悲劇については悲惨を極めていることもわかるし、ユダヤ人の
歴史的経緯からくる約束の地への執着・悲願もわかります。
どちらが正義でどちらが悪か、という区分けが非常に困難な典型です・・・。

現代史の悲劇とでもいうのでしょうか・・・
イスラムもユダヤもキリストも、結局は、みな同じ神を信じているのに、なぜあれほど憎しみ合うのか、いまだによくわかりません・・・
キリストを(実質的に)殺したのがユダヤ人だから?
マホメットは預言者と認められないから?
はあ、私は仏教徒でもあり、神社の氏子もやっているし、そして心霊学は両者の根幹と理解していますが、宗教的非寛容は一番許せません。
世界の諸悪の根源は宗教的非寛容と民族的非寛容だと思っています。
どうでしょうか・・・

あ、話は戻りますが、お金に余裕の有る方は日本円のみでの蓄財は危険だと思いますよ。
自治体や国、特殊法人の累積債務は民間セクターの不良債権など問題にならないレベルです。実質、返せる目途は全く有りません。
かといって、デフォルトさせることも出来ませんので、インフレ誘導を目指ことになります。
インフレを進行させて、借金の実質的な目減りを計るわけです。
日本円の貨幣価値は今後下がるでしょう。
資産の2割以上は外貨資産にしておいたほうがいいでしょう。
キャッシュも良いですが、ドイツ連邦国債やアメリカファニーメイ債券が良いと思います。シティーバンクやドイツバンクより信用度は遥かに高いですから(笑)!

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1453 RE:1424 勉強会の始め方
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年05月06日 (月) 13時03分37秒

PMAさん、はじめまして。ようこそ心霊学研究所へ。
(と、誤解されたようですが、当サイトは一人でやっていますので「貴会」などと言われるほどのものではありません(^^;)
ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。

勉強会などについてですが、既に話し合うことの出来る友人がいらっしゃるのですから、テキストを一冊決めて、その方と勉強されると良いのではないでしょうか。勉強会などというと、十人とか二十人とか多人数を集めてすることを想像されるかも知れませんが、経験上、人数は増えれば増えるほど内容は薄くなります。2〜3人で出来るのは理想的だと思います(多くてもせいぜい4人程度じゃないでしょうか)

もしくはインターネット上に掲示板をご自分で作って、そこでやってみるのも良いと思います。その場合、まずPMAさんが各章ごとにレジュメを作って、それを基に議論を進める……という方法を、僕は昔やりました。ある程度参加者を確保しておかないと閑散としてしまいますので(^^;、ご友人には必ず参加してもらって、最初は2人で進めるつもりで始められると良いでしょう。
(そのときのレジュメが当サイトのコンテンツの一つ「『シルバー・バーチの霊訓(5)』を読む 」です)

もちろん、この「スピリチュアリスト掲示板」をPMAさんの勉強会に使っていただいてもかまいませんよ。僕も最初は、パソコン通信のある人の会議室を間借りして勉強会をさせていただいていましたから。

何にしても最初から大きなことをするのは難しいと思うので、まずは出来ることを確実に、継続させるのが良いと思います。「継続は力なり」です。

http://www.paperbirch.com

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1452 まとコメ(その2)
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年05月06日 (月) 12時35分05秒

>1421 TMHさん

|僕としては厳しいスピリチュアリズムは自分自身かせめて親子の間、もしく
|は大人が子供に対したときのみでいい、と考えています。説諭したつもりで
|も、相手が爪を隠した鷹であるかもしれませんしね。

僕は、優しいだけでも、厳しいだけでもダメだと思うんです。ただ状況や相手によって、優しい側面が必要だったり、厳しい側面が必要だったりする、ということはあると思いますが。親子関係でもそれ以外でも、相手を思う気持ちがあればそれは同じなんじゃないかな。

実際には、正しく「厳しく」あるのは難しくて、お互いの信頼関係や理解の深さがなければ(ただ相手を傷つけるだけで終わる危険性もありますし)なかなか出来るもんじゃないというのが現実でしょうね。

ですから、誰にも彼にも厳しくすべきとは思いませんし、今現在傷ついている人には優しく接するべきとは思います。が、それはあくまでも優しさと厳しさの両面あるうちの「優しい側面」を使う必要性ということであって「優しいだけ」ということとは違うんじゃないかと思います。


>1423 たまさん

タイトルの修正とか誤字・脱字の訂正ぐらいなら、僕にメールで連絡いただければ修正しますよん(^^)。


>1425 キートンさん

いろんな人の意見が聞けて、とても勉強になります。キートンさん、ご発言くださいましてありがとうございます。

|日時計主義(良きことのみ見る、良きことのみ語る)的な人の良さから
|厳しい批判的見解は心の曇りになると忌み嫌うといったような
|甚だ大雑把ですが、そんな傾向も感じています。

そういう人は多いかも知れませんね。特にニューエイジ的だったり宗教的な人に、そういう傾向が強いように思います。しかし、その程度のことで曇ってしまうのは、しょせん最初から本物ではないので、早めにメッキをはがしてあげるのが本人のためというものでしょう(^^;。

この掲示板では、磨けば光り、叩けば鍛えられる在り方を実践していきたいものです。磨いたら地金《じがね》が出たり、叩いたら剥がれるようではね(笑)


>1428 アラムさん

基本書についてですが、まず一点。シルバーバーチの霊訓は、何について、また誰に向かって語っていようと、徹頭徹尾、単純な霊的真理について語っているのであって、それをどういう風に編集したからといって、霊能者向けとか一般向けとかに区別できるようにはならないと思います。

その人が霊能者であろうと何者であろうと、違う真理が適用されるわけではありませんし、人間として求められるものは何も変わりませんから。一度アラムさんご自身で、現在出版されているシルバーバーチの霊言集を編纂しなおして、どういうものが出来るかどうかを考えてみると良いでしょう。(おそらく現在出ているものと大差ないものにしかならないと思いますが)

人生相談やシルバーバーチの解説書みたいなものは、あっても良いとは思いますが(当サイトのコンテンツにもシルバーバーチの霊訓を読み解くページが複数ありますし)それは霊的真理を学ぶ上での枝葉の部分であって、幹の部分とは言えません。参考書ではあっても教科書(アラムさんの仰る基本書)にはならないでしょう。

特に人生相談的なものは……人生においてぶつかる問題は自分自身で試行錯誤して解決するべきものであって、下手をするとカンニングの手助けをするものになりかねません。ケース・スタディの中で「考え方」を示すということを考えておられるのだと思いますが、よほどうまく作らないと功罪相半ばの危険性が大きそうです。


>1431 ビッグママさん

|一般向けとかスピリチュアリズムに触れた間もない人向けということがしば
|しば論議されますが、「まだよく知らないんだから○○でいいよ」とか「低
|いところでも精一杯やってるんだから」というのはいかがなものか?低いと
|か知らないとかいうレッテルを誰がはっているのでしょう?

たしか初期のMacintoshの宣伝文句にこんなのがありまして……
「最高を最初から」
初心者だからって程度の低いものをあてがっていいというものではありませんよね。

美術系の大学の学生は「画廊なんか見に行くな」と言われます(少なくとも僕の大学では言われていました)。画廊にあるのは売るための絵に過ぎないので、学生のうちからそんなのを見ていては、自分自身のレベルが下がってしまうからです。

霊的真理だって同じ。初心者こそ最高のもの(シルバーバーチの霊訓)を読まなきゃいけません。へんなのばっかり読んでると目が腐ります(^^;。


>1436 きりこさん

はじめまして。ようこそ心霊学研究所へ! きりこさんみたいにいろいろやってる方は大歓迎ですよ(^^)。

シルバーバーチもいろいろあるうちの一つだということは、みんな判ってると思います。その上で、ぐるーっと世の中見回してみて、とりあえずシルバーバーチの霊訓が一番良さそうだ。というのがこの掲示板で発言されているほとんどの方の立場でしょう。もちろん、そんな言葉では言い表せない熱い思いというのもあるわけですが(笑)。

株式投資は僕もやってますよ。今のところ国内だけですけど、今はアジア(台湾とか支那とか)や欧米にも分散投資しないとダメなんでしょうねぇ。金銭的に余裕がある人は(スピリチュアリストは金に拘らないんだなどと言わず)株もやってみるといいですよね。自分がどの程度「金銭欲」に左右される人間か、よぉく判りますから(笑)。
(もちろん、損をしても自己責任で)

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1451 RE:1418 「公の」場だからこその責任を
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年05月06日 (月) 12時34分15秒

りゅうじんさん、どうも。

本当はまとコメで一言だけ書くつもりだったんですが(今更な話ですしねぇ)、書いているうちに長くなってしまったので、独立したコメントとします。


|はい。公の掲示板なのであまり偏っても何だし、別の意見があってもいいか
|なと思って正直な気持ちを書きました。

別の意見というより、今まで真面目に話していた人たちを、斜に構えて茶化そうとしているようにしか見えませんでした。真摯な姿勢で「別の意見」を出されたなら歓迎されたと思います。実際にどういうつもりだったかは知りませんが、そういう風には見えなかったということです。


|「スピリチュアリズムは一部の人のものだ」とは、この掲示板をはじめて何
|も知らずに見た人が、そういう感想を持つんじゃないかなと思ったのです。
|霊的なこと信じてる人ってやっぱり近づきがたいと。マニアックなところだ
|と割り切れば、いいといえばいいんですが。

むしろりゅうじゅんさんの発言の冷笑的な雰囲気こそ「はじめて何も知らずに見た人」に誤解を与えるのではないかと心配しました(りゅうじんさんが統一協会の弁護をしていたときにも同じ心配をしましたが)。が、それなりに多くの反論が出て、ああやはりこの掲示板は健全だ、と(^^;。

「別の意見」があるなら、それがどういう事なのか判るように書くべきだとは思いませんか? 過去の議論のプロセスを無視して自分の言いたいことだけ言って、真意を察してくれというのは「甘え」でしかありません。りゅうじんさんのほとんどの投稿は(内容は措くとしても)悪く言えば「冷笑的な茶化し」、好意的に見ても「場の空気が読めてない人」になっていましたから。
りゅうじんさんの投稿のたびに「これは悪意を込めて書いてるのかなぁ……いやいや、そんなはずは……」と葛藤しながら読んでます(苦笑)。


|でも、僕の考えていることやしていることはそんなにレベルが低くて悪いの
|かなあ。

いつも現在議論の対象になっていることを「知らない」と言いながら反対(弁護する)意見を書かれますよね。それはレベルが低いとか悪いとか言うより「問題外」だと思います。りゅうじんさんは「公の掲示板なので」と仰いましたが、そういう気持ちがあるなら、俎上に上っている本ぐらい目を通すことこそ、公の場で発言する者の責任なんじゃないでしょうか。

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