心霊学研究所

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)1701-1750の過去ログです。
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1750 龍騎さんへ 魂の進化について
名前: busy hermit  投稿日: 2002年08月18日 (日) 03時01分35秒

>人間に何故かように試練が満ち溢れている
>のかという疑問には「それは魂の進化のため」
 
>s hermitさん。この著書でのこの質問は、霊的な道を志している多くの人達が内心強く抱いている疑惑のはずです。これに対するバーチの回答は、要はやはり「それは魂の進化のため」と押し通してるだけで結局、何の答えにもなっていません。
 
 霊的な道を志している多くの人達が内心強く抱いている疑惑?なのかどうかはわかりませんが、一番簡単で手っ取り早いのは、あなた御自身が過去を振り返ってみることです。往々にして危機に直面した時、人生で暗かった時期が、大きな悟りへの踏み台になっていることを発見されるはずです。そうした内省をしてみることは、面倒ですか?。

 以下のように、考えてみることもできます。

 簡単にいえば、世の中の天変万異は、良くなる変化、悪くなる変化、無変化の3種に分類できます。人間はその3つの内、良い変化(成長、進化)を最も好みます。

 身の回りをよく見て、考えください。今よりも、もっと知識を得ようとか、もっと快適な生活を送りたいとか、もっと待遇を良くしたいとか、もっと上手にそれをしようとか、もっと楽しくそれをしたいとか、もっと成績を良くしようとか、もっと政治を良くしたいとか、もっと生活水準をあげたいとか、その他数え切れないくらいの諸々です。たとえば、こうしてあなたがわたしに質問をしていることも、もっと知識を増やしたいという、良い変化を望んでいる現れです。

 あと龍さんは、マズローの「欲求の階層理論」をご存知でしょうか?。これも基本的欲求、生理的な欲求の上に乗っかっているのは、たくさんの「成長」欲求です。真であることとか、善であること、個性や、正義、完成、秩序、楽しみ、自己充実、意味…様々な成長への欲求を人間は持っていること、とりわけ「高次」の喜び(成長への欲求)を満たすほどに人は幸せになる、とマズローは経験的、統計的に分析して、今に至るまで世界中でその原理は認識、確認されてきております。
 
 さて、神は愛です。したがって様々な事象及び往々にして、試練をお許しになってまで神が得させたいものが、そのような人類にとっての、最大級の喜びであり、楽しみである「成長」なのは、まさしく筋が通っており、理性を納得させる話であると、私は考えます。


 sukeさん、ひろりんさんへ

 わたしはごくたまに、この掲示板に顔を出すだけで精一杯です。それ以上のメールでのお答えなども恐らくできかねますので、却って心苦しくなります。だいいち、わたし自身皆様がお世辞を言ってくださるような、立派なスピリチュアリストなどではありません。もっと適切な答えを出せる方は、ここにはたくさん居られるはずです。ペーパーバーチさんもよくご存知な方ですので、色々お尋ねしてみられてはどうでしょうか。現在はそのような状況です。ご期待に沿えずすみません。

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1753 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月18日 (日) 04時02分11秒
あ、ハンドルが変わってる(^^;。

同じ投稿へのコメントが7分違いとは奇遇ですねぇ(^^)。僕のコメント#1751は「03時08分33秒」でしたから。いつも「そうそう、実は自分もそういうことが言いたかったんだよ!」と思わされる、でも僕にはやはり書けないタイプのコメント(^^;、感心しながら拝見しています。時々でも御発言いただけるのは、非常に心強いです。

ええと、ご挨拶遅れましたが、ハンドルを決めてくださってありがとうございます。やはり「通行人」では、あっちにもこっちにも悠々塾掲示板にも(笑)同じハンドルがいますもんね。


……関係ないですがついでに皆様に告知させてくださいね。ええと、お盆休みの里帰りから帰ってから、おっちゃんさんの最終投稿のあたりまでさかのぼってコメントをあれこれ付けました。4ページ先まで遡らないと見られないので、気付いていない方が多いかと思いましたので念の為。

http://www.paperbirch.com/


1743 よくわかりました
名前: ひろりん  投稿日: 2002年08月16日 (金) 11時40分58秒

ペーパーバーチさん1741のコメントありがとうございました。
おっしゃることよく分かりました。

ヒステリックなどといってすみません。
キーキーいってるという意味ではなくて、ストイックと言うような
意味で使ったのですが、どうもマイナスな印象を与えてしまいました。
失礼しました。

バーチさんの真摯な戦いが成就されることを祈っております。

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1752 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月18日 (日) 04時01分40秒
こちらこそ、ちょっとした言葉に反応して長文レスしてしまって申し訳ないです。僕の長文病はニフティ仕込みの不治の病。一生治りそうもありません(笑)。でも、ヒステリーとストイックって、全然逆の意味ですよぉ……。めちゃくちゃマイナスですがな(^^;。

あ、それから、僕はあまり「戦い」というふうには思っていません。相手に喧嘩腰で来られたりすると、ついついそんな様相を呈してしまうのは、僕も(そりゃ仕方がないだろとも思いつつ)反省しないでもないですが……。基本的に「議論」というのは「大人の知的な遊戯」であって、お互いの知力、人格も総動員して、より深い真理を求める共同作業であると思っています。本当に良い議論が出来れば、お互いの友情も深まるものなんですけどね……。

http://www.paperbirch.com/


1735 龍騎さんへ
名前: きりこ  投稿日: 2002年08月15日 (木) 20時35分09秒

>きりこさん。私は霊的世界の事をおおいに肯定する派ですよ。ただ、自分自>身の探求と経験から、おそらくは少数派であろう思想を持つに到ってますが。

それならば、議論はかみ合うでしょう。(基本的に)
私自身は、スピリチュアリズムが絶対無比で、他の宗教的思考が2流とかいう
考え方は与しません。(オウムや、ミイラ事件起こした団体みたいなところは、全く理解も許容できないが)

ところで、輪廻転生に関する件ですが、私自身、物質的な証明はできません。
ただ、幽体離脱というのでしょうか?アストラルトリップというのでしょうか?
あれに似た体験を良くしますので、それを自分自身での証明にしてますが・・
(レム睡眠でしょ?というツッコミはとりあえずあっちへ・・・)

ところで輪廻ですが、自分自身での霊的体験からは、まったく証明できる類の
ものではないので、スピリチュアリズムとは直接関係の無い書物を読んで、自分なりに参考にしています。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4900550914/qid=1029410885/sr=1-9/ref=sr_1_2_9/249-4323022-0241139

「死後の世界が教える 人生はなんのためにあるのか}

うまく貼れたかどうか判りませんが、退行催眠による過去生探索記録集です。
退行催眠じたい、決して信頼できる確立された技術ではないですが、
私的には、ま、いいだろう、と思っています。

と、まあ、私見を述べましたが、HERMIT≪隠者=賢者≫さんや他の方が
もっと的確な答えを出してくれるでしょう。

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1734 もう一度問いますが。
名前: 龍騎  投稿日: 2002年08月15日 (木) 19時44分55秒

同名コテハンさんがいるそうなので、こう名乗ることにします。
 
 きりこさん。私は霊的世界の事をおおいに肯定する派ですよ。ただ、自分自身の探求と経験から、おそらくは少数派であろう思想を持つに到ってますが。

 s hermitさん。この著書でのこの質問は、霊的な道を志している多くの人達が内心強く抱いている疑惑のはずです。これに対するバーチの回答は、要は
やはり「それは魂の進化のため」と押し通してるだけで結局、何の答えにも
なっていません。
 hermitさんは宇宙の、そして人間の人生の目的が「魂の進化のため」であるという事を前提として先生と生徒等の喩えを用いられてますが、前にも述べましたが私は「輪廻転生による魂の進化」という概念そのものがこの世とあの世の人間がこしらえたフィクションであると今は思っています。
 人生における様々な事象が「魂の進化の過程」であるというその根拠は一体何処にあるのでしょうか?

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1751 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月18日 (日) 03時08分33秒
「魂の進化のため」というのはフィクションではないか、その根拠は?とのお話ですが、ある意味もっともな疑問とは言えるでしょう。ただ、その疑問にどの程度の意味があるのかよく分からないというのが、僕にとっては正直なところです。

たぶん根拠をシルバーバーチに問えば(たぶんと言うか、どこかで実際聞かれていたと思います)「実際にこの目で見てきた」と答えるはずです。
で、そのシルバーバーチの言葉を我々地上の人間がなぜ信じるかと言えば、語られる内容に矛盾撞着が無い事や、他の信頼できる霊訓との整合性、他の霊能者の証言、十字通信(存在証明のために他の霊媒を通じて出た事もある)、また60年の間、さまざまな人間が交霊会に招待され、論争を挑んだ者も少なくなかったにも関わらず、一度も論争に負けた事がなかった事などから、このシルバーバーチを名乗る霊的存在の言葉は信頼できそうだと判断できるからです。

もっと言えば「人生における様々な事象」を乗り越えることによって、実際に自分が成長出来たと思える体験をしているから、それをなるほどと思えるという事もあるでしょう。……龍騎さんにはそういう経験はないのでしょうか? 試練を乗り越えることによって成長した経験が? 証明云々以前に、それは実際に誰でも経験できる事実であると言えます。

では、霊界やこの世の仕組みがそのような「魂の進化の過程」として出来上がっているとなぜ分かるのか、ということですね。ゴモットモな疑問で、あえて誤解を恐れず言い切ってしまえば、そんな事を証明できるハズがありません(^^;。シルバーバーチ自身でさえ、なぜ大霊がそのような無限に続く過程を作ったのか分からないということを言っているぐらいです。

それでも、実際に霊界を見てきたシルバーバーチがそのように説明してくれて、この世のあれこれを見ている我々地上の人間が、なるほどそう考えればいちばん納得できるわい、と“現時点では”納得して受け入れている、ということだと思います。

逆にお聞きしたいような気がするんですが(^^;、百歩譲って、もともとそういうふうになっているのではなく、霊界と地上世界の双方で作り上げたフィクションであると仮定するとして、それで何の不都合があるのでしょう? 実際にこの世で生きていれば、どうしたって苦難にぶつからずにはいられません。それを霊性進化のための試練として受け止め成長して行くことで、実際この世でもあの世でも幸せになれる……そういうシステムが(元からあったのか後から作られたのかは置くとしても)現実に存在しているわけですから。

それとも龍騎さんには、苦難を通して成長できた嬉しい体験を持っていないのでしょうか? それならば確かに、有りもしないお話……フィクションとしか思えないのも分かります。

いったいどんな証明を求めているのでしょう。この世に転がっている根拠だけで全部分かる事しか知らなくて良いのなら、霊の教えなんて最初から必要ありません。そんな人間の小賢しい知恵など超えたものを伝えるために、高級霊達はわざわざ霊界から降りてくるのですし、地上の人間も耳を傾けるのですから。


……ところで、これは余談ですが、龍騎さん、きりこさん御二方に(^^;。「コテハン」というのは飽くまでも2ちゃんねる用語ですよね。普通はハンドルというのは固定されているものですから。固定ハンドル=コテハンというのは、通常の掲示板で使うには違和感のある言葉だと思います。

http://www.paperbirch.com/


1733 shabby hermit さんへ
名前: ひろりん  投稿日: 2002年08月15日 (木) 11時28分34秒

こんにちわ! 
大変恐縮なのですが、いろいろお尋ねしたいことがあります。
もしshabbyさんにホームページや連絡しても差し支えのないメールアドレスがありましたら、教えていただきたいのですが。
私ごときのことでこちらの掲示板を遣わせていただくことは
大変心苦しいものですから。
差し支えなければですが、、、、、。
お忙しい中恐れ入ります。

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1732 龍?さんへ
名前: s hermit  投稿日: 2002年08月15日 (木) 04時05分13秒

〉「すべてが神の摂理の中にあるのなら、いかなる愚行も悪事も結局OKではないか?」と言う趣旨の質問に対し、バーチは「それは人間のせまい意識で推し量れる事柄ではない」

 この質問は、こういう文章ですね。

Q.あなたは大霊はすべてのものに宿る―全存在の根源であるから…とおっしゃいます。そうなると過ちを犯す人間も正しいことをする人間と同じように、大霊の摂理のなかで行動していることになります。…この矛盾をどう説明されますか?

A.…完全も不完全から生まれるのです。…生きるということは進化することです。あなた方のおっしゃる善も悪も、その進化の行程における途中の階梯に過ぎません。あなた方は不完全な理解力でもって判断しておられます。その時点においては善であり、その時点においては悪だといっているに過ぎません。

 これはたとえで考えてみましょうか。

 あるお稽古事をしている教室での出来事です。ある日、3級の子が言いました「先生、僕はこんだけできるし、2級の子もすごいけど、4級以下の子ってバカだよな、先生4級以下の子はできないし、怠けているんだから、もうほったらかしにして僕たちだけを教えてよ」

 先生は言いました「どんな名人となる人も、最初は初心者だったの。あなたの言う4級だって、その進歩の行程の途中の段階に過ぎないのよ。あなたはまだせまい意識でしか判断していないわ。あなたが3級に居る時には4級以下をバカだといって、3級以上が天才だといっているに過ぎないのよ。もしあなたが、2級になれば、その時点で今度は、3級以下をバカだといって、2級以上が天才だと言うようになるわ。たとえ生徒はそう思おうとも、先生からみれば、どちらがバカも天才もないわ、先生はすべての子の面倒を見てるの、あなたがバカだという子も、天才だという子もね。だからあなたが言うようなバカだという子を、ほったらかしになんかするわけないわ」。

 以上、ご自分でその意味を考えてみてくださいね(いちいち説明すると、くどくなるような気もしますので)。

 しかし、だからといって「いかなる愚考も悪事もOKである」などと、言っているのでは決して無いのです(本にはこう書いてなかったんですが…龍さんはこう解釈されたんですね)。

 これも同じたとえで考えてみましょう。優れた先生はまず、出来ない子でも見捨てたり、見下げたりしない、ほったらかしにもしない、ということをまず述べました。しかしだからといって、優し過ぎて、進歩しなくてもいいとか、生徒がガムを噛もうがマンガを読もうがOK、などという風に考えるべきでしょうか?。
 いいえ、それどころか先生は誰もが、まじめに勉強して、上の級へ進歩してくれることを強く願い、そのように行動するのではありませんか?。人間ですらそうなら、神ならなおのこと、そうなのです。

〉人間に何故かように試練が満ち溢れているのかという疑問には「それは魂の進化のため」

 バーチは人をだましたり、はぐらかしたりするような霊では決してありません。ただ、長年の中で見てきたことをそのまま、言っているだけですよ。それが事実ですから、そう言っているまでのことです。

 苦しい毎日の疲れを癒すために、時には楽しむのもいいでしょう。酒を飲むのもいいでしょうし、友と笑い合うのもいいでしょう。好きな趣味をするもいいでしょう。しかしそうした中においても、魂が進化することこそが、一番重要な人間の目的でもあり、深い喜びでもある、ということなのです。他のものを否定して苦しみ漬けの毎日を送れ、といっているわけではありませんよ。バランスを忘れないで、でも一番肝腎な魂の成長を勝ち得て、お互い晴れて霊界に帰っていきたいもんですね。

〉人間の愚行が何故なされるがままに置かれているのかという疑問には「それは人間に自由意志が与えられているから」

 人間の愚行が何故なされるがままに置かれているのか、という質問を、もう一歩踏み込んで真意を読み取りましょう。

 つまりここは質問者の意図とすれば、愚行はなされるがままにせず、神が抑制すればいいはずだ(なのになぜしないのか?)、ということになります。ここを読み取ることがまずポイントです。バーチは質問の意図を読み取っている(おそらくこの人の心も読み取っている)ので、その意図の方に答えているのです。

 そのようなことが現実になるとすると、どうでしょう。龍さんご自身の身にそれが起こったとして、考えてください。龍さんは悪事を行おうとする度に、腕にしびれが来て悪が行えないとします。来る日も来る日も…。龍さんはしばらくして、こう言うんではありませんか?

 「右に動こうが左に動こうが俺の「自由」じゃないか、俺の「意志」なんだぜ」。…後はお分かりでしょう。

 また、これに関連して、すぐさま浮かんでくる「なぜ悪いことをも行える自由意志を神は与えたのか」という問題は、また長い話になります。多少わたしも過去にここに掲載したこともあるのですが…。ともかく、バーチとしてはここではそうしたところまでは長くなるので、簡潔に質問者の意図に答えているだけでしょう。

 以上、粗雑な文章ではありますが、わたしなりに書いてみました。少しでも参考になっていれば、嬉しく思う次第です。それでは。

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1729 sukeさんへ2
名前: shabby hermit  投稿日: 2002年08月15日 (木) 03時06分00秒

こんばんは。今日は他にもsukeさんのご質問に似ているところを見つけましたので、ご覧ください。

Q.霊界側がスピリチュアリズムを広めようとしておられるのであれば、なぜマスコミなどを通じて宣伝活動をなさらないのでしょうか?

A.知識が広まるのは結構なことであるに決まっています。ですが、宣伝という手段を用いることにどれほどの価値があるのでしょう?魂の琴線にふれるということがどういうことかを、あなたはご存知ないようです。…ブームという一時的な大騒ぎによってではなく、魂と心情に訴える、つまり本来の自分である霊的自我に訴えることによって、ゆっくりと着実に広めてまいります。

 ユリ・ゲラーの時のスプーン曲げのように、結局は一時的なブームで過ぎ去っていくだけ、ということです。それによってむしろスプーン曲げはインチキだ、という研究者風の間違った見解の方が、逆に広まってしまったかもしれない感もあるくらいです。 

 ここで一つ考慮できる点として、時期が来ていない人に霊訓を勧めても、それは無益なだけではなく、危険性すら含んでいるということもあります。誠実であっても中身の出来ていない人は、いくら真の知識を得ようともそれらを本当の意味で理解するどころか、過大に解釈したり、間違って解釈したりして、大変危なっかしい面が有ります。或いは、それを自分の不当な利得のために利用しようとする場合も多々生じます。だからといって、霊訓を勧めるのにナーバスになるべきと言うわけではありませんが、そういったケースも霊界の方々は考えている可能性はあるだろうということです。

 過去を振りかえってもみてください、人類は一つの大きな巨星、イエスをナザレに授かりました。人類は彼を高く評価し、いたわり、宝のように大事にしましたか?いいえ、かえって人類はこの澄みきった心を持つユダヤ人を憎み、死罪にあたるものとし、杭につけて殺しました。世はイエスに値しなかったわけです。それどころか、死後も人類は彼の教えを都合のいいようにねじ曲げ、教会の不当な利得に、権威付けに、或いは戦いの為の大義名分にと悪用したのではありませんか?。ブッダの教えしかり、マホメットの教えしかりです。

 さて、ここでsukeさんご自身でお考えください、今の世は「霊訓」に値しますか?。
 ただバーチは「世」という大きなものを(宣伝媒体を使って)ターゲットにするのではなく、備えの出来た個々人をターゲットにしますと言っていますね…。

 反面、土台さえ出来ていれば、そのような外側の飾りなど、どうでも良くなります。霊訓が持っている論理の整合性、その背後に流れる神と高級霊の愛と計らい、自分の経験との比較、そういったものだけで十分本物の輝きが分かるはずです。シルバーバーチのいう「理性を納得せしめる」ことができるからです。

 sukeさんも、ぜひ有名な霊訓に目を通してみられることをお勧めします。

>霊訓は、少し見たところ、聖書の考え方とだぶるところが多く、聖書でカバーされているのではないかと私は思いました。なので、霊訓はいい、と最初から霊訓に行かれた方は、聖書も理解されたらいいのではと言いたかったのです。
 
 真理はどこかしら共通している部分があるものです。したがって、聖書とダブっている部分もあって当然ではないかと。ただ、聖書だけがダブっているわけではないと思いますよ(実際、仏教とか神道、近年では大本教、GLAなども結構ダブっている部分がある)。

>国際法の大家でもあったヒルティ「眠られぬ夜のために」(岩波文庫)から引用させてください。
>「最も偉大な、しかも同時に、一般にわかりやすい思想は、現在では、キリスト教の形をとる神の信仰である。
>しかし、古い時代から今日まで、いじけた、あまりに偏狭な性質のキリスト教も存在した。(中略)実際、そのためにすでに多くの心の立派な、教養の高い人々が、キリストの教えから遠ざかったのである。
>もしあなたが人生の幸福をこころから望むならば、キリスト教を神学や教会主義と取替えてはならない。むしろ、あなたは自分でキリスト教を源において、すなわち、福音書のうちに、とりわけキリストみずからの言葉のなかに、求めなさい。キリストの言葉と比べられるものは、どんな哲学にも見出すことができない。」

 確かにヒルティという人は賢い人だったのでしょう。こんなことが言える人は、スピリチュアリズムを知っていたら、或いはそういった時代に生まれていたら、必ずスピリチュアリズムに傾倒していたであろうことは個人的に断言できます。先に引用しておられた、シモーヌ・ヴェイユもおそらく教会内の何かに不審を抱いている、また他の宗教などにもいいところはある、ということを発見している(だが、カトリック信仰を過度に美化しているところは見受けられる)段階の人ですね。

 この段階の人が多いのが、お父さんのようないわゆる無教会派と呼ばれる人たちです。端的に言うと教会の体質、実態に何らかの疑問は抱いていて、頻繁には教会に行かなくなっています。しかし聖書やイエスの言葉は確かに真理だとして、聖書は捨て切れないでいる。内村鑑三や、矢内原忠雄もそうでした。こういったひっそりとした特に目立つこともないけれど、真理を真摯に求める人をこそ、スピリチュアリズムは待ち受けているのです。
 
 スピリチュアリズムが展開する前までは、確かに聖書も真理を伝えていた第一線の書物であったことは事実です。しかしスピリチュアリズムが展開された今、もうわざわざ昔の書物に固執する必要はないのです。イエスも新しい皮袋には新しい酒を、と言われましたよね。

 イエスの生涯を知りたいと思えば聖書もいいかもしれませんが、シルバーバーチも言っているように、その記録は全部正確なわけではありません(たとえば死んだ時に天が裂けて、死者が墓からよみがえって…みたいな演出とか、事実でない著述があるらしい)。本当の生涯は、霊媒ジェラルディーン・カミンズが元クリスチャンの霊から受信した、イエスの生涯シリーズ(潮文社)がいいですよ。これも元牧師の山本貞彰氏が訳しておられます。

 結局のところ言いたいことは、とにかく主要な霊訓を読んでみられてください、ということです。読んでみられたご感想、お待ちしていますね。

 ひろりんさんへ

>名前: ひろりん  投稿日: 2002年08月11日 (日) 21時18分25秒
>shabbyさんの文に100%の共感を覚えます。
>この場でお会いできたことをほんとにうれしく思います。
>お忙しいとは思いますが、レス楽しみにしています。

 いえいえ、それはこちらの台詞ですよ。ひろりんさんの素晴らしいご見解、磨かれたお人柄に、わたしも大いに畏まりました。

 わたしのとりとめもなき駄文を、そのように言っていただき、大変恐縮しました。でもここには掲示板にお書きにならないだけで、まだまだたくさんの、卓見を持つスピリチュアリストの方がおられます。そのような人たちにも、ぜひ書き込んでいただきたいものですね。わたしも暇な時間があれば、頑張ってみたいと思います。ありがとうございます。

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1727 それは失礼しました。>1726の龍さん
名前: きりこ  投稿日: 2002年08月14日 (水) 22時18分33秒

もう一人の龍さんとやらに、一応私の解釈を書かないと・・・

物理的に、理論的に証明できないからといって、それを否定するのは間違いでしょ?

基本的に、学会だろうがキリスト教だろうが、立正佼成会だろうが、およそ宗教的な教えの根幹はとても素晴らしいものであると考えています。
私自身、神社の氏子だし、神道の神様を崇拝しています。
(スピリチュアリズム的には邪道かもしれんが)

ただ、宗教的思考がはまる陥穽に、排他性・独善性がどうしても付随してきてしまうものです。
それこそ、最も気をつけるべきものでしょう。

霊的な進化という視点で考えれば、別に宗教団体に関係無く≪無宗教であっても≫、高潔な人はいるし、そうじゃない人もいる。

ただ、スピリチュアリズムは根源的な部分を平易に解き明かしてくれる、それでいて独善的色彩を排除した教えであると言う点で、大変素晴らしいと思っています。

あなたが、宗教的な考えを否定することは、それはそれで一向に構わないと思う。
人数的に言えば、日本における多数派でしょうからね。

だから、ここでスピリチュアリズムを弾劾する必要も義務も無いでしょう?

この教えを信じない人は全て邪道であるという排他的発想こそ、宗教的諸悪の根源であると思います。

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1726 お間違いないよう!
名前:   投稿日: 2002年08月14日 (水) 21時47分34秒

同じハンドル名の龍さんという方が書き込みをしています。
それはいいのですが、私と間違って何を言い出すのかと
思われたり話がややこしくなるのでここで表明します。
私は以前ここで病気の話をしたものです。
どうぞお間違えないように・・・・・

Opera/6.03 (Windows 98; U) [ja]achrsm001212.adsl.ppp.infoweb.ne.jp

1748 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月18日 (日) 02時34分06秒
龍さん、こんにちは。

すみません。何だかいつもと感じが違うな〜と思いつつ、ここ数日掲示板は斜め読み状態だったので見過ごしてしまいました。対応が遅れて申し訳ありませんでした。

http://www.paperbirch.com/


1725 はっきりいうと
名前: きりこ  投稿日: 2002年08月14日 (水) 21時47分19秒

失せろ!!!
おれは、他の掲示板参加者と違って、気が短いんでね。

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1747 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月18日 (日) 02時33分16秒
きりこさん、どうも。

「他の掲示板参加者と違って」と言われても、多くの読者はそうは思ってくれません。この数週間しか知らない方にとっては、きりこさんは既に堂々たる常連投稿者ですから。

どうも何か脊髄反射的に書き込んで、しばらくたってからもう一言言ってやりたくなって書き足すというパターンが続いているような気がするんですが……。もう少し落ち着いて書いていただけませんか? ただの罵倒や感情的なだけの発言は、何か言ってやりたがっている人間(が存在する事はご存じですよね?)に格好の餌を与えるだけだと思いますし。

一度書いた文章を、何時間か寝かせてから推敲し直して投稿するとか、少し時間を置いてみるだけでかなり違ってくると思います。ご協力お願い致します。

(この場の事を思っての御発言である事は分かりますし、その気持ちはとてもありがたいと思っていますよ)

http://www.paperbirch.com/


1724 あのさ
名前: きりこ  投稿日: 2002年08月14日 (水) 21時46分12秒

龍さんとやら。

自分でそう考えるんで有れば、それでいいじゃないのかい?
ここで、あえて発言する必要も無し。

私やその他スピリチュアリスト達の事なら心配ご無用。

ところであなた、前に掲示板荒らした人と、同じコテハンだね。
余計なお世話だね。

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1746 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月18日 (日) 02時31分13秒
念のため一言だけご容赦。

以前から時々出てこられた方の龍さんは、当初から一貫して礼儀正しく振舞っておられました。龍さんのことはニフティのパソ通時代から知っていますが、「荒らし」と思われるような言動は一度も無いと思います。たぶん、新しい龍さん(龍騎さん)の言動に引きずられて、他の誰かに関する記憶と混じってしまったのではないでしょうか。

言わずもがなですが念のため。

http://www.paperbirch.com/


1723 それはカルト。
名前:   投稿日: 2002年08月14日 (水) 18時26分40秒

 きりこさんとやら。
「根拠の無い事柄」を人生の指針とするから迷いの道へと入って行くのでは
ありませんか?「根拠の無い事柄」を信奉しているのがカルトと呼ばれている
ものではないのですか?

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1745 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月18日 (日) 02時29分26秒
龍騎さん、はじめまして。ハンドルの件、対応遅れまして申し訳ありません。変更して下さってありがとうございます。

根拠がどうのこうのというのは、いったいどういうレベルの話を求められているのか分かりませんので、何とも答えようがありませんが(後の投稿へのコメントで一応書きます)、何かをカルト呼ばわりするなら、カルトという言葉の定義ぐらいは予めお調べになるべきでしょう。無知な事そのものは仕方がないと思いますが(僕だって物を知っているとは言えない)、その無知を堂々とさらすのは恥ずかしい事だと思いますよ。

http://www.paperbirch.com/


1722 どっちにしても
名前: きりこ  投稿日: 2002年08月13日 (火) 20時45分46秒

くだんの表現の話は、枝葉にしか思えません。

もう、食傷してます。

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1721 XPさんへ
名前: きりこ  投稿日: 2002年08月13日 (火) 19時36分58秒

「もういいから帰ってこい」という表現が直接的に正鵠を射ているとは思っていませんね。私的には。

霊的に定められた寿命、死ぬべきときが来たら、人は誰でも死ぬものです。
殆どは、本人にとって極めて不本意であるでしょうが・・・・

それが、「霊界に呼ばれるという意味での死」と解釈するのかしないのか?
で、「もういいから帰って来い」が良い表現なのか否か?についての解釈が異なってくると思います。

PS;XPさんを悠々塾関係者と決め付け、大変申し訳有りませんでした。

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1718 きりこさんへ
名前: XP  投稿日: 2002年08月13日 (火) 16時57分29秒

え〜っと、

>どのような方か知りませんが、枝葉の話でいつまでも揚げ足とるのは
やめてくれない?

っていうのは、私に対しての発言でしょうか?
すみませんが、これって「揚げ足取り」なんですか?
心霊について研究しているホームページではないんですか?
そこで、疑問を口にするのは揚げ足取りなんですか?

>間違えましたと認めさせたいの?

これも意味不明です。
私はどのような実例があるのかをお聞きしているだけですけど?
では、ちなみに、きりこさんはどういうご見解をお持ちですか?
「もういイイから帰ってこい」という場合があるかどうかということについて。

それと、悠々塾とやらと山村さんと私と何のつながりもありません。掲示板を眺めていて、おっちゃんの発言に私も同じ疑問を持ったので、興味を持ってやりとりを見ていたのですが、残念ながらあんな捨てぜりふが最後になってしまい、自分で発言して訪ねたまでのことです。

>不毛な議論ふっかけるの辞めて欲しいな。

これは、不毛な議論なんですか?
常連さんに、このような返信をいただいたとなると私の書き方が悪く、この掲示板の常識のようなものに反してしまったということでしょうか?
だとしたら、場違いな発言でご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。疑問が解決しないままで不本意ですが、出て行くことにします。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)bess-proxy.marinette.k12.wi.us


1716 はっきりいって
名前: きりこ  投稿日: 2002年08月13日 (火) 06時21分50秒

山村さんの話は、もう、うんざり!!!!
どのような方か知りませんが、枝葉の話でいつまでも揚げ足とるのは
やめてくれない?

間違えましたと認めさせたいの?

悠々塾の掲示板参加者の方なら、不毛な議論ふっかけるの辞めて欲しいな。

悠々塾のホームページ詳しく見たわけじゃないけれど、
別に悠々塾の主催者さんだって、別に唯我独尊、自分が霊的に優れた人物
だとは一言も言ってないのと同様、ペーパーバーチさんだって、同種のことは
一言もいっていないと思いますが?

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1715 念のため
名前: きりこ  投稿日: 2002年08月13日 (火) 05時13分37秒

信じないということも、それはそれでとても良いことでは?

ご自身で本を読んだわけだから、ご自身の判断を優先するのがよろしいでしょう。

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1714 龍さんへ
名前: きりこ  投稿日: 2002年08月13日 (火) 05時02分04秒

ご自分で、そのように感じるのであれば、それでいいのでは?

結局のところ、自分の理性で判断するしかないことで、あなたがおかしい、
インチキくさいというのならば、それでいいんじゃないですか?

物質的な根拠・証拠は提供できるものではないでしょうし・・・

どうぞ気にしないで、信じないでください。

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1713 おっちゃんにかわって
名前: XP  投稿日: 2002年08月12日 (月) 19時35分39秒

ペーパーバーチさんこんにちは。
おっちゃんが質問していたことに、私も興味を持っていたので、教えていただきたいと思い、書き込みました。

(1645:ペーパーバーチさん)
>「もうイイから帰ってこい」と言われてしまったのではないかと……。

とのご発言ですが、(亡くなった方に少々失礼な物言いかなとも感じますが、それはさておき)私はそのようなことはあり得ないと思うのですが、萩原玄明さんのことばを引用して、ありうるとのご見解ですね。
萩原氏のことばは、前後の関係が不明で私にはよく理解できないですし、あまり彼に興味はありませんので(彼の意見で私の考えを変えるほどの評価をしてはいないので)、

>同様のことを言っている霊能者は決して少なくありません。

とのことですので、ぜひどのような霊能者がどのように述べておられるのかを教えて下さい。とても興味があります。
よろしくお願いします。

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1744 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月18日 (日) 02時26分15秒
XPさん、こんにちは。

|とのご発言ですが、(亡くなった方に少々失礼な物言いかなとも感じますが、そ
|れはさておき)私はそのようなことはあり得ないと思うのですが、萩原玄明さん
|のことばを引用して、ありうるとのご見解ですね。

高級霊界が直接この世の人間を(意に沿わないからと言って)殺してしまうという事は、先にも言った通りあり得ない話ですが、諸事情から山村さんが亡くなるべき時が来てしまい、それが山村さんにとっては予定外の事であり、しかし高級霊界にとっては予定内の事であった(霊界にとって必要であれば山村さんは延命されていたはずです)ことを、そのように表現したという事です。

それにしても、このような漫画的な表現をそのまま受け取る人がいるとは思いませんでしたので、その意味では僕の手落ちと言えるかも知れませんね。しかし、この件についてはshabby hermitさんも先日の投稿で
「ふふふ、この文章をあなたは文字通り、真に受けて解釈されたのですか…。ここは、あなたの文章読解のセンスとユニークさのセンスが問われるところですぞ。」
と仰っていますよね。僕はそのshabby hermitさんの受け取り方が、普通に文章を読める人間の平均的な理解だと思いますよ。


|>同様のことを言っている霊能者は決して少なくありません。

|とのことですので、ぜひどのような霊能者がどのように述べておられるのかを教
|えて下さい。とても興味があります。

新倉イワオさんの著作をはじめ、日本心霊科学協会の機関誌『心霊研究』、その他諸々の霊能者の著作に、人間の魂が霊によって簡単に持っていかれてしまう話はあったと思います。萩原さんの本から引いたのは、たまたま手近にあって、必要な所が探しやすかったからです。一つは挙げたんですから、他のはどうぞご自分でお探しください。ちょっと探せば嫌と言うほど出てきますから。

どちらかというと、あまり質の高くない霊能者がそういう事を言うのではないかと思っています。まぁ、霊界の真相を知らない故の俗流の解釈というやつですが、そういうふうに見える現象があるのは事実と思われ、また多くの本に書かれている事である(心霊関係の本を読んでいたら、目にタコが出来るぐらい読まされると思う(^^;)にも関わらずXPさんが「教えてください」とわざわざ聞かれた事を指して、きりこさんは「揚げ足取り」と思われたのでしょう。

実際、よく読む話と思っても、ぴったり来る内容でなおかつ引用しやすい例を本から探し出すのは、けっこう大変です。僕があまり本から引用しないのは、特定の本から引用する箇所を探すどころか、目的の本を探すだけでも何時間もかかってしまうことがあるので(苦笑)。まあ、とてもじゃないがそんな事やってられません。(2,000〜3,000冊程度なので、きちんと整理すればもう少し何とかなると思うんですが……)

http://www.paperbirch.com/


1712 シルバーバーチのスピリチュアルな生き方なんたらの感想。
名前:   投稿日: 2002年08月12日 (月) 17時49分24秒

 初めて投稿します。この本の中にあった質問で「すべてが神の摂理の中に
あるのなら、いかなる愚行も悪事も結局OKではないか?」と言う趣旨の
質問に対し、バーチは「それは人間のせまい意識で推し量れる事柄ではない」
と言う風に答えてましたが、それは質問のはぐらかしにしか聞こえません。
 結局のところ心霊主義の教義は、人間に何故かように試練が満ち溢れている
のかという疑問には「それは魂の進化のため」そして人間の愚行が何故なされるがままに置かれているのかという疑問には「それは人間に自由意志が与えられているから」というおためごかしによる思考停止を促すものだと思うのです。(これはニューエイジとかの思想も同じだけど)
 輪廻転生による魂の進化などと言うものは人間のこしらえたフィクション
だと思います。人生の様々な有り様が進化の過程だという根拠は一体どこに
あるのでしょうか?

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows NT)211.14.203.60.eo.eaccess.ne.jp


1710 すいません、削除しました。
名前: きりこ  投稿日: 2002年08月12日 (月) 07時52分30秒

おッちゃんに対し、若干個人攻撃的なことを書いてしまったので、削除しました。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)FNAfa-01p1-232.ppp11.odn.ad.jp


1708 shabby hermit さんへ
名前: ひろりん  投稿日: 2002年08月11日 (日) 21時18分25秒

shabbyさんの文に100%の共感を覚えます。
この場でお会いできたことをほんとにうれしく思います。
お忙しいとは思いますが、レス楽しみにしています。

この機会を与えてくださったペーパーバーチさんに感謝したいと思います。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)p068-dnb25karaga.tokyo.ocn.ne.jp


1707 またいろいろとありがとうございました。
名前: suke  投稿日: 2002年08月11日 (日) 16時06分00秒

公共?の場で「sukeさんへ」と個人宛のおたよりをいただくと個人のためにスペースをとらせて恐縮なのでまだあればメールでお願いします。私のHPのURLは以前から載せてありますのでそちら経由でメールをいただければとも思っていました。

要するに言いたかったことは、霊訓でも聖書でもお経でも、何を自分の規範にしてもいいですが、実践が大事ではないかということ、その実際の行動で、その人が規範としているもの(スピリチュアストなら霊訓・一つである必要はないですが)の価値を高め、社会に認められていくのが重要ではないか。
そうしてみると、私は「霊訓」が心の支えになりました、というようなコメントをメディアでも全然聞かない。

また「宗教」という言葉を使う場合の皆さんのイメージが相当悪いようです。私は群れるからよくないのかなと思います。
きっかけをもらったら、自分で探求できる力があることが重要なのでしょう。
それから日本人はあまり小さいときから宗教的な考えになじんで成長する風土でないから大きくなって変なものに引っかかってしまうのかもと思うのです。

私自身は父親がクリスチャンで、現在は無教会主義的で教会に行きませんが、そういう父親のもと育ってきて、でも父親からキリスト教について口に出して教えられたことは全くなく、ただ小さい時から聖書物語の類の本は与えられ、それを自分なりに読むことでキリスト教的な考え方を自然に身につけ、行動の規範や心の支えとなっているように思います。
今の日本を見ると、残虐な犯罪や、不登校、引きこもりなど、難しい問題が多くなってきていますが、日本人の多くは精神的な支柱となるものを持たないことも原因しているのではないかと思います。
私は、子どもの時からの教育が大事だと思っています。何を教育するかを間違うと大変ですが、生きていく上で心の支えとなるものは小さい時からあった方がいいと思うのです。大人になってから学べばいい、ではなくて。
子どもの犯罪も低年齢化しているし。何か荒廃していると思うのです。
私は、受け入れる時期が来るまで仕方ないと構えているより、いいものだったら、たとえば、子供向けの絵本なり童話なり、「霊訓」をもとに表現できるのなら作って、子どもに与えてあげたらいいのではないだろうかと思います。ペーパーバーチさんも、絵を描かれるなら、子供向けの本など作ってみたらいかがでしょうか?
先日、おっちゃんが子どもに霊の話はしない方がいいとあったように思いますが、少なくとも、キリスト教の聖書物語は霊の話という色彩は強くならないですし、禁忌される内容ではないと思います。
シルバーバーチはそれとも「大人の思想」ですか?よい考えなら、子どもに何を与えてやれるか。それこそ責任は重いですよね。
もし、何かを小さいうちから学ばせるにしても、他の考え方に対しても寛容な、排他的でない子どもにしてほしいと思いますが。

霊訓は、少し見たところ、聖書の考え方とだぶるところが多く、聖書でカバーされているのではないかと私は思いました。なので、霊訓はいい、と最初から霊訓に行かれた方は、聖書も理解されたらいいのではと言いたかったのです。自分が勉強不足なのではっきり言いにくくて回りくどくなってしまいました。
国際法の大家でもあったヒルティ「眠られぬ夜のために」(岩波文庫)から引用させてください。
「最も偉大な、しかも同時に、一般にわかりやすい思想は、現在では、キリスト教の形をとる神の信仰である。
しかし、古い時代から今日まで、いじけた、あまりに偏狭な性質のキリスト教も存在した。(中略)実際、そのためにすでに多くの心の立派な、教養の高い人々が、キリストの教えから遠ざかったのである。
もしあなたが人生の幸福をこころから望むならば、キリスト教を神学や教会主義と取替えてはならない。むしろ、あなたは自分でキリスト教を源において、すなわち、福音書のうちに、とりわけキリストみずからの言葉のなかに、求めなさい。キリストの言葉と比べられるものは、どんな哲学にも見出すことができない。」
これらの言葉は、学者としても社会的にもすばらしい業績を残したヒルティの言葉だからこそ、私は信用することができます。
文中の「心の立派な、教養の高い人々」が、皆さんだと考えてもいいでしょう。
霊訓には「イエス」も出てくるようです。聖書の中でイエスキリストがどう言っているか、つまり福音書だけでもよく理解されてほしいと思います。というのがせっかくなので伝えたいことです。もしかして皆さんはもう十分読み込まれている、ということでしたら釈迦に説法でした。
皆さんの真剣な学びの姿勢は、ぜひよい方向へのエネルギーへ向けていただきたいと願っています。私も、時間がありましたらもう少し霊訓について読ませていただきます。
ついでに、皆さんはお子さんにどういう精神的な支えとなるものを与えていらっしゃるのか、私はまだ子供はいませんが、参考に教えていただければと思います(メールででも)。ちなみに私は名前はsukeですがメスです。

http://jns.ixla.jp/users/sukenyan599/

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1742 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月16日 (金) 02時19分15秒
sukeさん、どうも。

|公共?の場で「sukeさんへ」と個人宛のおたよりをいただくと個人のためにスペ
|ースをとらせて恐縮なのでまだあればメールでお願いします。私のHPのURLは以前

掲示板で出た話へのコメントは掲示板で、というのが原則です。お返事はメールでというのはマナー違反ですし、より多くの人で情報を共有するためにも、話の続きは掲示板でされるようにお願いします(掲示板のテーマから逸れた話が延々と続く場合や、多くの人が不愉快に思う場合などは例外もありますが)。それに、たかだか一日300人程度の弱小サイトの掲示板です。公共の場という程のものでは……。


|それから日本人はあまり小さいときから宗教的な考えになじんで成長する風土で
|ないから大きくなって変なものに引っかかってしまうのかもと思うのです。

それはよく聞く俗論で(恥を忍んで言えば)僕もそういう風に思っていた事もあるのですが、アメリカにだってヨーロッパにだって、変な宗教、カルト宗教、などいっぱいありますし、人口との比率で比べても、日本だけが変な宗教に引っかかっている人が多いという事実はないと思います。


|シルバーバーチはそれとも「大人の思想」ですか?よい考えなら、子どもに何を
|与えてやれるか。それこそ責任は重いですよね。

シルバーバーチの交霊会には子供も招待されていますよ。子供の頃から自然に霊的真理に親しむのは良い事だと思います。

ただし僕の考えでは、そうした霊的思想は、親がしっかりと理解した上で責任を持って教えるべきで、子供たちだけで勉強したりするのは危険すぎます。(当掲示板でも以前、あまりにも幼く、歪んだ理解をしていた学生に、保護者同伴でなければ発言禁止と言い渡したことがあります)


|これらの言葉は、学者としても社会的にもすばらしい業績を残したヒルティの言
|葉だからこそ、私は信用することができます。

でも、同じように素晴らしい業績を残していても、それとは逆の事を言っている人も沢山いるわけです。誰が何々と言っているから信用する、ではなく、ご自分の頭で考えて判断する事が大切だと思います。


|文中の「心の立派な、教養の高い人々」が、皆さんだと考えてもいいでしょう。
|霊訓には「イエス」も出てくるようです。聖書の中でイエスキリストがどう言っ
|ているか、つまり福音書だけでもよく理解されてほしいと思います。というのが

聖書全文読破している人がどの程度いるか知りませんが(僕はいちおう読んでいますが)福音書ぐらいなら誰でも読んでいると思いますよ。むしろ、幅広くいろいろと勉強している人でないと、W.S.モーゼスの『霊訓』や、シルバーバーチ霊言集の本当の凄さは分からないんじゃないかという気もします。(知識だけでも分かるもんじゃないのが難しいところですが)

http://www.paperbirch.com/


1706 sukeさんへ
名前: shabby hermit  投稿日: 2002年08月11日 (日) 03時06分23秒

 sukeさんのご質問にはたくさんの方が賢明な回答をしておられたようですが、わたしとしてもふと思いつくことがありましたので、参考になるかどうかはわかりませんが、2、3のポイントにしぼって書いてみました。

>シルバーバーチが誰でも知っている存在になりえないのは?
>誰か、有名人が書評を書くとか、テレビで言ってくれることでもあれば、展開は違うかも?

 これは似たような質問が本に書かれていましたので、そのまま引用しておきます。

―シルバーバーチの霊訓8巻 P165―
Q.われわれが真実に間違い無いと確信していることでも、それを他人に信じさせることは難しいことです。今こそ必要とされている霊的真理を広く一般に証明してみせるために何とかして霊界から大掛かりな働きかけをしていただけないものでしょうか。それとも、今はその時期でないということでしょうか。

A.その時期でないのではなく、そういうやり方ではいけないということです。私たちは熱狂的雰囲気の中での集団的回心の方法はとりません。そんなものは翌朝はもう蒸発して消えています。私たちは目的が違います。私たちの目的は一人ひとりが自分で疑問を抱いて追及し、その上で、私たちの説いていることに理性を反発させるもの、あるいは知性を侮辱するものがないことを得心してくれるようにもっていくことです。
 私たちは立証と倫理によって得心させなければいけません。これはその人たちが霊的に受け入れる用意ができていなければ不可能なことです。そしてその受け入れ準備は、魂が何らかの危機、悲劇、あるいは病気等の体験によって目覚めるまでは整いません。つまり物質の世界には解答は見出し得ないという認識を得なければなりません。人間の窮地は神の好機であるといった主旨の諺があります。 

>高級とか低級とか 霊格とかいう言葉は、やはりメジャーになると差別的にとらえられやすく、受け入れられるのが難しいと思います。(テレビでそういう話がされているのをイメージしてください。)

 そういうことをおっしゃる方が居られるようですが、その点、厳密に見るとどうでしょう。なぜならそのような考えでは、進歩(進化)は無いでしょうから。高級、低級、上下といった概念それ自体が間違っている、というよりも、どちらが上か、下か、というような問題は今の愚かさが染み込んだ人類では判別できる人が少ない、という憂慮すべき事態こそが、問題だからです。
 例えば裕福ではない家に生まれ、特別偉い地位でもないが、礼節を愛し、隣人を愛し、神を崇拝するささやかな喜びの中で慎ましく生きた人物と、生まれながらにして、名家の跡取であり、何もしなくても一流大学、医者となれたような存在でありながらも、貪欲に富を蓄え、手抜きの治療を施し、人生に何の疑問も抱かなかったような人とでは、一体この世ではどちらが「上」とされるでしょうか。深く考えないでお答え頂きたい。
 それは、ほとんど後者なのです(この世の一般では、ですよ)。ですから、そういう人については、どちらが上とか下とか全く考えないで生きましょう、という言葉を金言として贈りたい(その方が落胆することが少なくて済みますから…)。しかし前者である(それが高級霊やそれに賛同する霊たちのごくごく一般的な考えである)という人、その人にとってはそのような概念を持つことも安心といえます。
 とかく状況は外見では判断できないのが人間です。実際金持ちだからといって全ての人が性根の曲がった人ではないし、貧しいからといって、全ての人が慎ましい方ばかりともいえないのです。だからよほど進化して、高級霊やそれに賛同する霊のような存在に近くなって、裏の事情とかも含めて本当の意味で、立派な人の何たるかが分かってからなら、上下という概念もほぼ完全に安心できる、というわけなんです。

 実際霊格が上だとしても、そのような人は威張る事は皆無です。むしろ認識と共に、広がっていく世界(神、摂理でもいい)観の中での己の立場を知り、より謙虚になっていくものです。スピリチュアリスト(ラベルはどうでもいいのですが)だと名乗りながらも、霊的知識を振りかざして(まるで自分がそれらを発見したかのように、霊訓であることを隠したりして)「鼻高々」みたいな人は確かに多いかもしれませんが、その問題と、霊訓における進化の目安としての便宜上の用語が存在すること、ひいては霊訓の価値とは、全くの別問題だという風にお考えいただければ、と思います。
 
>そもそも、霊媒自体本物か、その霊とはどんな霊か証明できませんし。

 それらは十分証明されています。色々な霊訓等を偏見を無くして(だまされたと思ってでも)読んでみられることをお勧めします。特にキリスト教のどこが間違っているのかについては、生粋の牧師モーゼスとインペレーター霊(旧約聖書のエリヤ)の精力を尽くした論争、「霊訓」(題名がズバリ「霊訓」です。http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/m-reikun%20jyo.htm http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/m-reikun%20ge.htm http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp-library.htm)がよろしいでしょうね。
聖書はいい部分もありますが、量だけは多いですから(注釈書含め)全部を把握しようとすれば3、4年は覚悟しないといけないでしょう(それに名言集という価値以上の神秘的なようなものは、ありません)。でもモーゼスの霊訓なら3、4日ですみますからね。まずは、ということです。
 
 わたしは時間も金も無い貧乏(shabby)サラリーマンですので、レスはそうそうできませんけれど、今回ので何か少しでもsukeさんの参考になっていれば、嬉しく思います。

p.s.(本文と関係ないのですが)悠々塾の掲示板に書いてある「通行人」は、わたしではありませんよ(笑)。お分かりとは思いますが念の為。

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1703 すべてに大霊は宿る、、でしたよね
名前: ひろりん  投稿日: 2002年08月11日 (日) 00時44分21秒

すべての人は発展の途上なのです。
良いことにも悪いことにも神は存在しているそうです。
私がとても感動したところです。

不誠実やいい加減さを嫌うあまり、潔癖になることは
多いにあります。
それが良いのか悪いのか、いつか自分なりの回答がでるのかな
と思います。

素人考えですが、大霊は多分それほど小さなことには
こだわらないのではないかなと思います。
しかし現実の社会の中で、悪質なカリスマ的指導者に
人生を翻弄されている人が数多くいます。
それもその人が選び、その中で学ぶのだから、、、、
とおっしゃるかたもいらっしゃるでしょう。
しかし現実の社会の中で、どうしてもこの世的に悪である
と思えば、どうしてそこに向かう人を止めずにいられる
ものでしょうか?
あの世的、霊的に問題がないかもしれませんが、
人間としては悲しいのです。
彼らが食い物になっているのが、、、、。
余計なお世話かもしれませんが、、、

そういった動機が決して非難されるものではないでしょうし、
大霊に背くものでもないのではないでしょう。

私はペーパーバーチさんがややもするとヒステリックに
カリスマ的な教祖を糾弾するのは、なにかペーパーバーチさんの
体験にあるような気がします。
多くの人に自分のような体験をさせないようにとの、、、
(思い過ごしであったらすいません)

ペーパーバーチさんには痛みを感じます。
すべての人は完璧ではありません。
どんな志をもっていても完璧にはなれません。

私はこのホームページを作り、何年にもわたって管理し、
霊訓を広めようとがんばってきた行為に敬服します。

お子様の出来事をきっかけにますます霊性を磨き、
もっともっと成長していかれることを楽しみにしています。
まだまだお若いのですから。

苦しいときこそ神が身近にいるとのこと、きっと良いほうに
乗り越えられていきますよ。
不安や恐怖心はご存知のように神をとうざけます。

私も(ちなみに私はペーパーバーチさんより年上です)いろいろな
体験の中で苦難を乗り越え辛酸をなめ(大げさかな?)もがき苦しんで
生きてきました。
しかし行為が純粋なものであれば、軌道修正はあっても
必ず目的は成就されるものと実感しました。

いろいろあるでしょうが純粋な心でこれからも頑張ってください。

余計なお世話ですが、おっしゃることが正論であっても必ずしも
世の中を動かすことができません。
正論が何も意味をなさないことがあります。
相手が何を必要としているか、それを理解する包容力をもつと、
正論にも魂が吹き込まれます。(偉そうですみません)

応援している人は沢山いますよ。
差し出がましいことお許しください。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)p116-dnb29hon.tokyo.ocn.ne.jp

1741 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月16日 (金) 02時13分54秒
ひろりんさん、どうも。

|私はペーパーバーチさんがややもするとヒステリックに
|カリスマ的な教祖を糾弾するのは、なにかペーパーバーチさんの
|体験にあるような気がします。
|多くの人に自分のような体験をさせないようにとの、、、
|(思い過ごしであったらすいません)

ヒステリックというのは心外だなぁ。常に論理的な批判を心がけているつもりなんで(^^)。それに、潔癖なつもりも、小さいところに拘っているつもりもないんですけど。でも、そういうふうに見えてしまうというのは、分かるような気もします。

実際には、(スピリチュアリズムの知識で判断すれば)かなり外れた事を言っている人や、心霊治療でお金をとっている人でも、友人として交流をもっている人はいます。ですから僕が批判するのは、よほどの事があると思って欲しいんです。

当サイトの読者の中にも、もしかしたら、山村さんが「自分のところにシルバーバーチが来る」と思っていた程度の事はたいした事じゃない……みたいに思う人もいるかも知れません。何を細かい事を……と感じている人もいるでしょう。しかし、霊的治療によって、シルバーバーチを紹介したり霊的真理を広めようと活動している人間がそんな事を言って人々を迷わせているとしたら、たとえ何千人を治療しようと、霊的治療としては全て失敗だったと言わねばならないと思うんです。(シルバーバーチの言葉どおりスピリチュアル・ヒーリングを霊的真理を広める手段として考えた場合)

シルバーバーチが自分のところに来る……それは決して些事と片づけられる言葉ではなくて、どんな素晴らしい奉仕の活動も全て吹き飛ばすぐらいのインパクトのある問題であると認識して頂きたいんです。もちろん山村さんの活動は、自己顕示欲があったからというだけの動機で出来るものではなくて(それは部分的には存在して、シルバーバーチが云々という残念な思想に繋がったにしても)やはり純粋に奉仕の気持ちもあったはずです。しかしその純粋だった部分を、いちばん酷く踏みにじっているのは、ほかならぬ山村さんご自身だったのではないのでしょうか? その一つの現れが、この掲示板で何度か発言された「おっちゃん」を名乗る人物の言動でもあったでしょう。

霊的治療家の言葉は非常に大きな影響力があります。ヒーラーだからって語る内容が正しいとは限らないのは心霊学的には常識ですが、にもかかわらず、ヒーラーの「教え」を鵜呑みにして、信者のように崇拝してしまう人は多い。そんなふうに思わせてはいけないというのは、ヒーラーの心得としてもっとも大切なものの一つのはずです。それを、シルバーバーチだのイエスだのという名前を出して、そういう誤解を刷り込んでどうするんでしょう。まるっきり宗教団体のヒーラーのやり口ではありませんか。

僕に何がしかの使命があるとしたら、そうした迷妄を打ち砕く事であって、もしも「何千人も治療したなんて素晴らしいですね〜」みたいなお為ごかしをしたら……一見優しげで「受け」は良いでしょうが、そんなことが一体誰のためになるのでしょう。信者たちへの思いやりで、はっきりと間違いを知っている人間が口をつぐむとしたら、それが何かのためになるのでしょうか? それで「山村さんという、シルバーバーチやイエスさえ近くに来ていた偉大なヒーラー」という新たな迷妄を世に広めることが、スピリチュアリストの優しさと言えるでしょうか?

断じて“否”です。だから僕は、自分の信じる正義を、信念を、正しいと思う事を貫くだけです。なにも実力行使で思想を押しつけているわけではないので、反論があれば誰でも言ってくれれば良いのです。逃げも隠れもしませんし、メールで裏工作とか、よその掲示板で陰口を叩いたりもしません(苦笑)。

……ううむ、簡単にコメントするつもりが、ついつい熱く語ってしまった。こういうのもヒステリックと思う人もいるんだろうなぁ。ま、どうでもイイけど(^^;。


|ペーパーバーチさんには痛みを感じます。

そういうものがあるとしたら(今まで何度も書いてきたので、また繰り返すのは自分でも食傷してしまいますが(^^;)、間違っている・おかしいと思いつつ相手への遠慮からそれを指摘する事をためらっていたせいで、その相手が精神病になり、何年も入退院を繰り返した挙げ句、自殺に近い形で死んでしまったことでしょう。いや、たぶん常識的に考えれば僕に責任があると考える人などいないであろうことです。が、僕は、自分があの頃、勇気を持って言うべき事を言ってさえいれば……そう思わずにいられません。彼は僕にとっては、無二の親友でしたから。

http://www.paperbirch.com/


1702 お知らせ
名前: 代理人  投稿日: 2002年08月10日 (土) 23時07分01秒

「悠々塾」の掲示板に、ペーパーバーチさんへのメッセージが掲載されています。
「山村さんに対するあなたの発言へのメッセージも含まれています。心静かに読んでみてください」とのことです。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)E164164.ppp.dion.ne.jp

1740 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月16日 (金) 02時06分39秒
どうもお久しぶり。せっかくのご案内ですので久しぶりに拝見しましたが、いろんな意味で相変わらずですねぇ。何やら、過去に僕と何らかの形で議論やバトルになって、負けたのを根に持っている人たちがメールで連絡を取り合って集まったのかなという雰囲気……(基本的に議論とは勝ちとか負けとか言うものではないと思っていますが、勝ち負けという捉え方をする人とは、図らずもそういう風になってしまう事が多いので)。言葉だけが過激に先走っても、あれでは……。

まあ、僕はあなた方が何を言おうが、そちらのテリトリーから出てこなければ、もう何も言うつもりはありません。言うべき事は過去に言い尽くしていますし、いまさら興味もありませんから。あなた方も負けっぱなしでは切ないでしょうし、少しはガス抜きをする場所も必要でしょう。そちらはそちらで、どうぞお好きなように。

ところで、いきなり「代理人」だ「悠々塾」だ「メッセージ」だのと言われても、最近の読者の方はワケが分からないと思うんですよね。……というわけで悠々塾のウェブサイトはこちら↓
http://www.d5.dion.ne.jp/~susa/

また当サイトでは、悠々塾関係の特設掲示板を設置していた事もあります。過去ログのコーナーにて全ログを公開していますので、是非ご覧ください(彼らは悠々塾のサイトでもログを公開すると言っていたはずですが……さすがにあれは自分たちに都合が悪いと気付いたのでしょう)。今回、悠々塾の掲示板を拝見した限りでは、彼らは随分僕の意見を曲解しておられるようです。まずは過去ログをご確認いただきたいと思います。そして各自でご判断の上、悠々塾が良いと思う方がいれば、どうぞそちらに行ってください。あれはあれで、ああいうのが必要な人もいるものだと思ってますので、全く引き止めるつもりはありませんから(引き止めるったってネット上でそれは不可能ですしねぇ(^^;)

http://www.paperbirch.com/


1701 心静かに
名前: Sei  投稿日: 2002年08月09日 (金) 14時27分52秒

今この瞬間に生きていること、心静かに生かされ行く時間の流れに身を任せて生きる意味を感じております。皆様の熱き思いすべてに感動があります。生きとし生けるものすべての魂が語る言葉すべてが心理なのではないかと、ただその人の経験の差が価値観を変えて行きます。己の価値観など何の役に立つのでしょうか。どのようにすばらしい真理を説いた書物であろうと、それを読む人によって解釈は異なり、異なる現実を引き寄せます。すべての人が同じスタートに立っているのではありません、魂の成長の過程が価値観を育て今生の人生を形成します。今生に起こるすべてのものを経験するために生れ落ちた魂です。心静かに時の精霊にゆだねて見てはいかがでしょうか。私の投稿がこの場に不適切な物でありましたら、大変お手数をおかけしますが削除をお願いいたします。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)JJ051132.ppp.dion.ne.jp

1739 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月16日 (金) 01時33分25秒
Seiさん、はじめまして(でしょうか?)

|心静かに時の精霊にゆだねて見てはいかがでしょうか。

何にせよ、自らの意志で動いて、掴み取って行くべき物だと思っています。霊の世界にゆだねるのは「自分自身の全力を尽くした」と言えるだけの事をした後だと思うのです。

不適切な投稿とは思いませんので、どうぞご安心ください。

http://www.paperbirch.com/


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