心霊学研究所

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)1751-1800の過去ログです。
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1800 囚われて
名前: sei  投稿日: 2002年09月04日 (水) 23時50分40秒

「囚われて囚われて、些細なことに囚われて、心が曇り眼がくもる」
私が幼い頃、PHPという雑誌の表紙の裏に出ていた、どなたが書いた詩なのか忘れてしまいましたものですが、印象に残っていて数十年経った今も時折口ずさんでしまう詩です。

今2つの掲示板で起こっている、論争はまるで重箱の隅を突ついているようなちっぽけな事のように思えてしまうのは私だけでしょうか???
ミクロの決死隊のような命がけの論争を演じて、ご自分の言葉に酔いしれている方はどなたですか??
もっと、もっと外の世界に眼を向けて見ませんか?
今この瞬間に、貴方が掛ける愛に満ちた言葉を待っている命があるかもしれません。互いを罵り合う前に、同じ大きさのエネルギーを使って、悲しみに打ちひしがれている人に、苦しみにあえいでいる人に命に愛を語らせて頂くと言うのは如何でしょうか??争いに力を注ぐのではなく、慈しむ心に愛を注いで生きてみてはどうですか?

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1799 大笑い
名前: きりこ  投稿日: 2002年09月04日 (水) 22時33分27秒

コロナさん、こんばんわ!

コロナさん、ペーパーバーチさんだったのね?
いやはや、悠々塾飯沼大先生の恐るべき慧眼、いやあ
本当に恐ろしい!!!

やっぱり、私の睨んだとおり、飯沼さんは超大先生であらせられるのであった!!!!

私ごとき愚民なんぞ、飯沼超大先生の崇高なる慧眼と異なりまして、右下の
IPで識別してみると、どうみてもペーパーバーチさんとコロナさんが
同一人物のわきゃあないと思うのですが、

いやはや、やっぱり崇高なる霊的メッセージを受信する超大先生は、そういう
世間的な常識を、凌駕なさっているのですねえ!!!!!!!

まっこと、感服いたしました!!!

コロナさんも、超大先生には、さぞや感服したでしょう!!

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1798 えっ、私はペーパーバーチ????
名前: コロナ  投稿日: 2002年09月04日 (水) 16時29分28秒

ペーパーバーチさん

飯沼氏の霊的勘では、私と貴方は同一人物だそうです。 以下(悠々塾)をみてください。 爆笑!!!!  
彼は病気ですかねー?! 私と貴方のやり取りを読んだ上で、どうしてそういう発想になるかなー?????

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*0376  飯沼  [兵庫]  [02/09/04<水>-15:11]    
オッサン、非業務連絡です
オッサンからメールで「自分はもうペーパー氏の掲示板には行かないので、ここに書き込んだ内容を向こうに知らせておいて欲しい。意見があれば、悠々塾の掲示板に書いてくれれば返答します、とも伝えて欲しい。」という意味の依頼を受け、私も「了解しました」と、返信しました。

しかし、考えてみればその必要もなさそうです。
なぜかというと、
*まず、あの正男爺が登場した時、彼を名乗る人物は、偽のメールアドレスを公開しましたが、ペーパー氏はその正男爺を大いに評価しています。
「また来てください」なんて言っていました。
つまり、偽のアドレスについて彼は、何も気にしていないということです。
(しかし、他の場面では「メールアドレスを明記しない人と話す気にならない」とか言ってみたり、フリーメールのアドレスを書いてきた人に「信用できない」と言って見たりで、その時どきの自分の都合で言うことがコロコロ変わっていますが。まあ、気にするほどのことではないでしょう)

*それに、連続削除についても、ペーパー氏自身が(おそらくは)1736〜1743までを連続削除していて、話の流れが分からなくなっています。
連続削除も彼は気にしていません。
自分に都合の悪い人がすると、文句を言うようですが。まあ、それが彼ですから。
連続削除のことはオッサンは最初に丁寧に詫びていましたしね。

*ハンドルネームに関しても、私はコロナさんに「あなたはペーパー氏ですか?」と聞いたことに答えていません。
今日の11時20分に、コロナさんは宮崎さんの書き込み(370-01)に応えているのに、です。
つまり、ペーパー氏自身が、変名を使っている可能性がある、ということです。
(しかし、この場合はオッサンが変名を使って事実を伝えようとしたのとは、根本的に意味が違っています。)

*それに、今の時期大抵の人は両方の掲示板を読みそうなものですから、あえてペーパー氏の掲示板に連絡する必要もないでしょう。
しかし、実際にはペーパー氏のサイトの訪問者は、ここより毎日数百人は多いのですが、その数百人が実在するなら、今問題になっていることに何の関心もなく、しかも「悠々塾のサイトには絶対に行かない」と堅く決めている人たちでしょうから、お知らせしても意味がないと思います。

というような理由で、転載および連絡はしばらく見合わせますので、ご了承ください。




*0375  飯沼  [兵庫]  [02/09/04<水>-09:49]    
コロナさん

あなたは、実はペーパー氏なのですか?
低劣なひとり芝居をしていたということなのですか?
そうであるなら、もう何も言えないでしょうからもういいです。
違うのなら、ちゃんと話をしなさい。
あれだけ偉そうな口を叩いたのだから。

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1797 つ・・ つかれたああ(まったくの雑談)
名前: きりこ  投稿日: 2002年09月03日 (火) 20時16分03秒

今日も稲刈り、疲れてしまった・・・

≪重労働≫やると、水とビールがこんなにもおいしいのに、驚愕してしまいます。

普段の、ビル内でのデスクワークも大変だけど、炎天下での肉体重労働も強烈に疲労します。

でも、心地の良い疲れでは有りますね。
機械の無い昔の農業は、大変だっただろうなあ・・・
ううう、、、、意識が遠くなってきた・・・・

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1796 ひろりんさんに賛成!
名前: きりこ  投稿日: 2002年09月03日 (火) 05時50分39秒

おはようございます。
とりあえず、ひろりんさんの意見に賛成!

確かに「ありがた(?)迷惑」ですねえ。
スピリチュアルもしくは、類した話なら、もしくは全く関係無い話(経済や
株式;これは私だけどね)なら、ウェルカムでしょうが、
悠々塾さんの意見はなんだかねえ・・・・・・

飯沼大先生ともりふみさんの議論見てても、悠々塾さんが「崇高なる」領域に
達しているとしか思えないんだよなあ。≪笑≫

真面目にレスしていたもりふみさん、さぞ疲れたと思いますね。
私も稲刈りの真っ最中で、肉体的には疲労困憊してますが・・・

悠々塾関係者の方々、べつに、ここに乗りこんであれこれ言う話じゃないでしょ?

ペーパーバーチさんに対するあなたたちの憤りは、あなたがたが目指す崇高な境涯に比べたら、まったくもって取るに足ら無いことだと思います。
ここで議論などしているより、もっとやることがあるのではないですか?

だから、心静かに、本掲示板から転進してください。

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1795 素人考えですが・・・
名前: ひろりん  投稿日: 2002年09月02日 (月) 23時59分07秒

求めてもいないのに「メッセージが、、、」とか、
言動に問題があるから腕に病気がとか、、、なんというか、
第三者からみてちょっと悠々塾さんのほうも問題発言ありかと思います。
純粋な気持ちで、良かれと思ってのことだと思いますが、
いわれたほうは迷惑のような気がしますが如何でしょうか?

スピルチュアルな内容についての議論や意見なら納得しますが、
お告げやら何やらというのは、一種の人格攻撃のようにも聞こえます。

ペーパーバーチさんを非難を浴びせたというなら、
そちらも同じことをなさっているということに気づくべきです。
飯沼さんもおっしゃっているように、報復からは何も生まれないと思います。

相手がどうということではなく、自分がどうかと言うことが大事なのです。
人がなんと言うが軽軽しく動じてはいけないのです。
その為の霊訓ではないですか。

どちらが正しいとか正しくないとかの問題ではないのです。
真に霊訓を実践しているか否かという問題なのです。
それが正しく行われていれば、このような騒動は起きないと思うのです。

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1794 それはちょっと違うのでは?
名前: 高橋  投稿日: 2002年09月02日 (月) 22時07分18秒

ひろりんさんの「言論の自由を尊重しましょう」を読んで、それはちょっと違うのではないかと感じました。

ペーパーバーチさんが、事実をねじ曲げて、悠々塾にいわれのない非難の言葉を浴びせた、ということに対して、「言論の自由」という言い方はおかしいのではないでしょうか。

事実をねじ曲げて他人を不当に非難したことが明らかになったのなら、
人間としてまず謝罪するのが当たり前じゃありませんか。

それを抜きにして悠々塾に「冷静になって」などとたしなめるのは変ですよ。(それに悠々塾の人は十分に冷静だと思いますが。)
意図的に物事の本質をはぐらかしているとしか思えませんね。

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1863 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年09月11日 (水) 03時14分07秒
少なくとも僕は「事実をねじ曲げた」ことも「いわれのない非難を浴びせた」こともありませんよ。事実を事実として、正統な批判をしているだけです。

「事実をねじ曲げて他人を不当に非難したことが明らかになった」これは悠々塾にこそ当てはまる事ですが、彼らは謝罪どころか更に強弁を積み重ねるばかり。本当に「冷静になって」ご自分たちの言動を冷静に見つめる必要があると思います。

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1793 視点の違い
名前: 山田  投稿日: 2002年09月02日 (月) 17時31分28秒

こんにちは、龍騎さん、皆さん、ペーパーバーチさんお久しぶりです。
龍騎さんが「お暇する」と仰っているのに、私までが書きこむのはちょっとくどいかな、と思ったのですが、たまさんの痛快かつ、お元気なご様子の書き込みに刺激されまして、やっぱり書いてみます。

私もきりこさんと同様、龍騎さんのご質問に対して、busy hermitさんがとても適切な回答をしてくれたと思っていましたが、それをなぜ「はぐらかし」と受け取ってしまうのだろう、またシルバーバーチの霊訓における回答に対しても同様に感じられるのはなぜだろう、と少し考えてみました。
そして、思ったのが、龍騎さんとbusy hermitさんでは、見ている視点が違うのではないだろうか、ということでした。

一連のやり取りを拝見して思った事は、例えば人種問題を取り上げて、一方は「人種差別は間違っています。ただ肌の色の違いで差別する事自体間違いで、人間は神によって平等に創られた皆兄弟です。」と言います。
一方は「しかし、人種問題は一向になくならないじゃないですか。それはどうしてなんですか。一体神は何の根拠があって人間の肌の色を変えたんでか。」というやり取りに似ている所があるなぁと、勝手に想像してしまいました。
話の筋が違うとお叱りを受けるかも知れませんね、最初に謝っておきます。

要するに、busy hermitさんは、神は愛の動機から人間を創られ、人間は成長し続ける。そしてその成長は苦難を通して得たもの、以前には自分の中に無かったものが膨らんだという形で現れるんですよ、だから苦難に対する考え方一つでみんな成長できるんです。と、霊的な視点で説明していると思います。

それに対して龍騎さんは、
>私はこの事については、もっと根本的な理由としての別の考えがあるのですがそれはともかく、苦難によって磨かれ光るのではなしにただ摩滅するだけの人もいて、そして最終的にそういう人の方が多いのが実情ではありませんか?

というように、終始現実的な視点から物事を見ているような気がします。

確かに現実的な視点で見れば、そういう人の方が多いのが実情ですが、それは地上の人間に利己性が強く、自分をかばいたい、苦難を回りのせいにしたいという人が多いことを意味しているのだと思います。
苦難をチャンスだと思えば苦難は苦難ではなくなり、乗り越えれば成長に変わります。
でも、苦難を不幸だとか嫌なもの、と受け止めて人のせいにしていけば、成長するどころか、摩滅するものだと思います。

これは人間関係の問題にもよくあります。
たまさんもおっしゃるように、「人間三人寄り合えば腐敗が始まる」のはほんとうだなあと思います。
人が集まればどうしても自分とウマの合わない人が出てくるものです。
私も何度か「会社を辞めれば済む事だ」と思いましたが、その時の自分の心をよくよく覗いてみると、「自分は正しくて、あの人が変なんだ。よくもあんな人を会社が雇っているものだ」、と自分の正当性ばかりが先に立って、相手の事を考えるどころか、回りの批判まで出てしまいました。

私と同様、こういう人は多いのではないでしょうか。
そして、そこから逃げ出しても必ずまた同じ問題が起こってきます。
でも、すこし視点を変えればすごく楽になることなんです。
例えば、この人も自分にとって必要な人とか、この人は自分にはないこんな良いところがあるとか、考え方に違いがあるのは当り前とか、この人も神様の大切な子供なんだ、とかね。
要するに、自分中心でしか物事を考えられないから、苦難という成長のチャンスを逃して、同じことを繰り返すということになっていると思うのです。
現実的な視点で物事を見れば、龍騎さんのおっしゃる通りなんですけど、その視点だけでは何の解決にもならないのではないでしょうか。

これと同じような事が、シルバーバーチの質疑応答にあると思います。
シルバーバーチは現実の問題に対しての具体的解決方法は何も言ってくれません。
一貫して霊的真理の大切さ、重要さのみを説いています。
そして、質問者の話が地上的になってくると、すかさず霊的視点に戻し、地上人類に霊的真理が浸透すれば、全て解決すると説いています。

実は私は最初そうした一連の意味が分からなくて、それこそ何だかはぐらかされているようで、質疑応答の所はあまり好きではありませんでした。
だから龍騎さんの気持ちもわかります。
私も最初は、子育てにしても何にしても、より良い方法ばかりが知りたくて、基本の大切さが分かっていませんでした。
でも、足りないながらも霊的人生を歩むうちに「方法論より基本が大切」というのが分かるようになりました。
基本(霊的真理)さえ分っていれば、方法はおのずと見つかるものだというのが、身をもって分かるようになったんです。
方法は人によって変わってきますものね。

色々勝手な事を言いましたけど、最後に龍騎さんにとって、全ての事が人生の肥やしと考えれる日が来る事を心から祈っています。

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1792 言論の自由を尊重しましょう
名前: ひろりん  投稿日: 2002年09月02日 (月) 10時43分43秒

悠々塾とのこれまでの経過を見させていただきました。
悠々塾の掲示板も見させていただきました。
同じスピリチュアルからスタートされているようですが、
とられていえるスタンスや目指している方向性も違うようで、
従って当然ですが、議論はかみあわないかなと言う気がします。

いろいろ言い分はあるようですが、言論の自由を尊重しなければ
つまらない世の中になってしまいます。
(社会悪につながるような言論は別ですが)

悠々塾のみなさんがペーパーバーチさん(ちゃんとフルで書いております)
を告訴するとか、しないとか、いろいろ言われておりますが、
冷静に見ているほうは、おおよそ日頃悠々塾の皆さんが学ぼうとされている
道とかけ離れた言動ではないかとお見受けします。
人を非難する前にわが身を振り返ることは大切です。
人はどうあれ自分がどうあるべきかが問われると思います。
冷静さを失えば失うほどほころびが見えてしまうものです。
お気を付けください。

どんな団体でも当初は崇高な思いからスタートしておきながら、
組織が大きくなるにつれ、腐敗の度が増していくのは世の常です。
耐えずトップにいるものは、自分を律し、つねに客観的な視点を
持ちつづけなければ、あっという間に井の中の蛙に成り果てます。
団体やら組織やらがやがてつぶれていくのはその為です。

「奢れる者は久しからずや」これは本当です。皆さん(私もです)気をつけましょう。

悠々塾のみなさんが高い志をもって発足されたことを思いますと、
今のこの騒動は第三者からみて、大変残念な思いです。
同じ霊訓を読んでも人それぞれ目指すところは微妙に違うでしょう。
そのセンスを受け入れるかどうかはそれぞれの自由ですから、
それについて議論をしても不毛かなと言う気がします。

悠々塾は悠々塾で自らの目指すところに少しでも進むよう(自己を律しながら)努力なさってください。
心を他に奪われることのない様にご注意ください。
大切なエネルギーをどうか崇高な目的の為にお使い下さい。

悠々塾のさらなる進化をお祈りします。

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1791 雑談・秋風モード
名前: たま  投稿日: 2002年09月02日 (月) 07時55分22秒

ペーパーバーチさんはじめみなさま、こんにちは&はじめまして。
またも風の変わる時季に現れ、今回は雑談しにまいりました。

●雑談:その1

龍騎さんと busy hermit さん(に変わられたんですよね? ちなみに、私はshabby かつ chubby です(^^;)はじめまして。
お二人の発言を読ませていただいていて、私にとって改めて気が付いたことがありました。でも発言者や発言内容がどうこうというハナシではなく、発言自体についてはペーパーバーチさんがすでに的確なコメントを付けていらっしゃるので、これはほんの私の戯言としてお読みください。

気が付いたのは、龍騎さんと busy hermit さんの文章の主語の違いです。
たとえ「私は」で始まる文章として書かれてはいても、龍騎さんのそれは、思考について書かれている文の主語が複数形、busy hermit さんのそれは単数形。
つまり、「我々」「私たち」「人類」などに置き換えられるか、あるいは「私個人として」「私的には(死語?)」にしか置き換えられないか、の違いといえばいいでしょうか。
これは、だからどちらがどうだという評価をしているわけでなく、読んでいて、そりゃ話が噛みあわないと『龍騎さんが』感じられても当然だなぁと感じたわけです。
そして、その主語の違いを、龍騎さんや龍騎さんと同じ道を踏んだことのある人々がご自分の意識に上らせない限りは、今のご自分たちの思考パターンを客観的には見られないのだろうな、とも。
また、龍騎さんが

> 苦難によって磨かれ光るのではなしにただ摩滅するだけの人もいて、そして最
> 終的にそういう人の方が多いのが実情ではありませんか?

と書かれている多数派になるか少数派になるかの違いは、結局は思考の主語を単数に変えてみる努力をするかしないかに集約されてはこないか?とも感じたのです。

私自身は「三人寄れば文殊の知恵」とは思っていますが、同時に「人間三人寄り合えば腐敗が始まる」とも思っているので幸い今までその努力を特別にせずに済んでいますが、この世で寄り合う心地よさを一度知ってしまった人々にとっては、それは大変なパワーの必要な努力なのだろうと思います。そういう意
味で、龍騎さんや同様な体験者の方々には、エールを送らずにいられません。
ぜひ、乗り切って、自ら少数派になってくださいね。

さらに、busy hermit さんの発言に、私の好きな箇所が。

> さて、神は愛です。

短いんですが、ほんとに、好きです、このフレーズ。ご自身の手でしっかり握ったオムスビのような確かさが感じられて。

と同時に、このフレーズが納得できない人にそれを伝えることの難しさも痛感してしまいます。そもそもそれが納得できないことが、人々のこの世での悲劇の根源なのではないでしょうか。
このフレーズを基にしてのハナシをするか、このフレーズに辿り着けるハナシをするか。大きな違いなのでしょうね。


●雑談:その2

これはちょっと、とても恥ずかしいハナシなので、小さな声で言います(^^;。
えー、まったく個人的なことで恐縮です。いろいろ紆余曲折ありまして、やっと自分にとっての婚期が訪れたと感じられたので、現在日本人パートナー募集を大々的に展開しているのですが、いやぁ、これがおもしろいおもしろい。
なにがって、いかに人というものは相手を自分勝手に解釈するものか、できるものかということを、これでもかというほど見ることになったからです。

相手の言葉尻を自分に引き寄せて拡大解釈するのは序の口、自分の「僕を愛して」を言うのに口からは「好きです」と言う、相手のためと信じて自分の我を押し付ける、コアは自分の感情でしかないのに理屈をいっぱい着込みそれを盾に自分の正当性を相手に突きつける、お互いそれなりの歳で違いが多くて当然
なのにその違いを大切にできず『相手が改めるべきところ』としか見られない……そしてなぜか一番多いのは、自分が相手に提供できるスペースは僅かなのにも拘わらず『相手に』そのスペースにぴったり嵌ってもらうことを期待しているパターン。結婚は熱帯魚飼うのと同じと思ってますかねぇ、こういう人っ
て(^^;。

なんだかやっぱりどんな立場であれ関係であれ、人間同士すること言うこと為すこと変わらないよなぁ同じなんだなぁと、ようするにいまだ相手も見つかっていないくせに、こんなことで改めて人というものを痛感している今日この頃です。
で、こういうことを心底おもしろいなぁと眺めてしまえる女なんて、やっぱり相手ないよな…と、自分に言っている自分がまた、悲しい……(-_-;)
でも、ま、なんとかなるでしょ(^^;。

いやはや、秋風吹いて雑談三昧、失礼いたしました〜

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1862 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年09月11日 (水) 03時10分23秒
たまさん、お久しぶりです〜(^^)。

こ、こ、婚期ですかぁ。宇多田ヒカルも結婚しましたしね。僕がこないだ宇多田ヒカルのサイトが200万ヒット/日で云々と書いてスグだったので、これはシンクロニシティ……というほどでもないか(^^;ゞ。

『相手に』びったりはまってもらえるかと言うと、そりゃあ無理ですよねぇ。人間と人間なんですから、そんなに都合よくお互いにはまるハズもないですし、性格や価値観が一致するハズもないですもんね。子供が出来ればまた違った関係も出来て来ますし。……そういうのはきっと、子供の世話なんかも気が向いた時にちょっとだけ見てやって、それだけで立派に育児に参加して可愛がってるつもりになってしまうような男に違いない(飛躍しすぎかしらん)。

|自分の「僕を愛して」を言うのに口からは「好きです」と言う、

それはね、大抵の男というものは「僕を愛して」くれる女性が「好き」なんです。だからそれで理屈は合うわけです(そ、そうか?)

http://www.paperbirch.com/


1788 関係者、おっさん、規外、おっちゃんの件
名前: コロナ  投稿日: 2002年09月01日 (日) 16時34分39秒

おっさん、規外、関係者、おっちゃん、へ。

>>もうやめませんか、止めてくださいといっているコロナさんが、なぜまたこの話をぶりかえすのでしょうか、疑問に思います。<<

貴方は 文章読解能力がないのですか? 何を的外れな、ボケたことを言っているのですか。 恥を知れ。 山村氏を問題にしているのでなく、貴方を問題にしているのですよ。 問題をすりかえるな。

<<この事実を知った人がなぜ病死(?)かと問うてましたが、その中には過労が原因という人もいたことは事実です。某氏もその中の一人でしょう。>>

「この事実をしった人」も「某氏」も、貴方は 自分のことを言っているでしょう。こういうやり方が 貴方は卑怯で、恥知らずなのです。 貴方のような人間を「荒らし」「愉快犯」と言うのです。よほど、暇なのですね。貴方は逃げたふりをしておきながら、しっかり、この掲示板をみています。あちこちで、無責任な中傷をしては逃げ、そして 匿名でまた現れる最低の奴です。こういうやり方をするのは どこの掲示板でも貴方くらいのものでしょう。

山村氏に世話になっていながら、デマを飛ばしては喜ぶ。貴方は 一度治療で、会ったことがある程度でしょう。貴方は ロサンゼルスの日本人というのが、誰かすら、知らないはずです。ファンや追っかけが 又聞きの又聞きで、故意に話を誇張して、芸能人のデマをとばしていくのと同じです。 
貴方は ペーパーバーチ氏と議論した時、いかにも山村氏を弁護したふりをして、悠々塾に逃げ込んでいましたが、貴方は一番、彼を侮辱しています。 
そして、今度は 私に「この話は止めましょう」と馬鹿みたいにいいながら、この機会を利用して、さらに、四流週刊誌のようなデマを飛ばし、そして、私からも 何か聞き出そうとしています。(その手にはのりませんよ。他人を自分のレベルで図らないことです。貴方みたいな人間が掲示板に居る限り、何も言う気はしません。) 
それは貴方のいつものやり方のようですが、そういう卑怯な偽善的やり方をする貴方を 私は心の底から、貴方を最低の人間として軽蔑します。 本当に貴方のやり方には 吐き気がします。 山村氏も呆れていることでしょう。
貴方みたいな人間が、山村氏がどうの、近藤氏がどうの(悠々塾で言っていましたね)語る資格も、そして知る資格もありません。 まあ、相手にもされていませんが。

一体、シルバーバーチのどこを読んでいるのか??? 貴方は スピリチュアリズムという言葉を利用して、暇つぶしに「荒らし」ているだけです。
「汚い手で うろうろするな。」

**************************************************************
皆さんへ。
過激な言葉で、不愉快な思いをさせたと思いますが、ごめんなさいね。 私はこの人が吐いている言葉よりも、やり方が卑怯で許せませんでした。
ペーパーバーチさん、こんな奴は、さっさと どこかへやってしまってください(笑)。

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1787 関係筋、おっちゃん、規外、おっさん、、、、、
名前: コロナ  投稿日: 2002年09月01日 (日) 14時30分54秒

貴方は 本当にどうしようもない、恥知らずのとんでもない奴ですね。 
いい加減にしろ。 
「汚い手でスピリチュアリズムに触るな。」と再度言いたい。

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1784 コロナさんへ もう止めましょう
名前: 関係筋  投稿日: 2002年09月01日 (日) 12時40分56秒

不適切な表現がありましたので何度も(1776以降)書き直しをしました。
申し訳ありません。


コロナさんへ
もうやめませんか、止めてくださいといっているコロナさんが、なぜまたこの話をぶりかえすのでしょうか、疑問に思います。本当は言う必要のないことですが、これを最後にもう止めましょう。以下が事実です。この事実を知った人がなぜ病死(?)かと問うてましたが、その中には過労が原因という人もいたことは事実です。某氏もその中の一人でしょう。それがどうだっていうのでしょうか、故人の名誉に関することとは思えません、あなたは、今は話題になっていないことで、何度も投稿する必要があるのでしょうか。もう○○氏はいないのです。病気のもとは何?をあなたは追及したのですか。あなたは身内ですか。私の手元にはさだまさし氏がお別れに読んだ詩があります。過労であろうが、病死であろうがどうでもいいじゃないですか。止めてくださいという気持ちは私も同じです。
情報:どうやってわかったかというと、ロサンゼルスに住んでいる日本人が、○○さんに2002年5月28日に会う約束をして、その日に行ったら、もう○○さんは、亡くなっていたそうです。 誰も、亡くなったところを見ていないので、一応、司法解剖をしたそうです。(何日も経ってからというのは分かりませんが、死ぬところを見た人はいないのです。死亡日も分かりません。5月28日には、既に亡くなっていたということがわかるだけです。あなたが見たのでしたら、宮崎に最後の様子を連絡してあげてください。)
司法解剖の結果は、喉がすごく腫れていたそうです。後の詳細は、わかりません。 ロサンゼルスにいる、○○さんのお友達(霊能者)は、お迎えがきたっていっていたそうです。亡くなる1,2週間前から具合が悪く何も食べれない状態だったみたいです。(衰弱死という人もいましたが、原因なんてどうでもよいのです。)葬儀は、2002年6月8日に宮崎で行われました。

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1785 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年09月01日 (日) 13時40分22秒
取り急ぎ警告。

何度も書いたり消したり、荒らしと同じです。8回も書けば十分でしょう。これで最後にしてください。

あなたが記入したメールアドレスは実在しないものですよね。おや? お使いのパソコンとプロバイダ(南横浜の二区だけカバーするケーブルテレビ)が、規外=おっちゃんさんと同じですよ?(苦笑)

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1776 確かに意味が無い。
名前: きりこ  投稿日: 2002年09月01日 (日) 07時05分09秒

 龍騎さんの一連の発言をみるかぎり、ここで議論することにあまり
意味が無いように思います。 
 HERMITさんは、随分とわかりやすい、一般的な言葉で話をしていると思いますが、それを「はぐらかしている」と言っているのだったら、ま、
議論の意味や余地は無いと思いますね。

 わたしも、「シルバーバーチはこう言ってる」式の議論は展開するのは
あんまり好きじゃないです。
 霊訓を学んでいる自分自身が、どのように思うか?を前提として議論するのが好きです。(その展開が正しいかどうか知らんが)

 下記の議論を見ていると、HERMITさんは、自分自身の言葉と信念で、わかりやすく、丁寧に説明していますね。
 
 みなさんもそう思いませんか?

 基本的に、スピリチュアリズムを学んでいる人達は、自らの今までの人生体験や論理から、スピリチュアリズムの普遍性を確信しています。
 だからといって、それに固執するカルティックな偏狭性に陥ってはいません。
 どうも、龍騎さんの意見は、否定のための否定みたいな印象を受けます。
 
 でもま、お暇するということなので、レスは不用でしたね? 

 さよおならあ!!

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1775 ペーパーバーチ様
名前: コロナ  投稿日: 2002年09月01日 (日) 06時44分38秒

ペーパーバーチ様

お返事、ありがとうございます。 

>>もちろん、当サイトがデマの源泉になるのは望ましくありませんので、どうぞコロナさんがご存じの範囲でかまいませんので、正しい情報をご提供ください。たとえば「何日もたってから発見された」というのはどこに書いてあったんでしょう?(訂正コメントを付けようとしたんですが見つけられませんでした) その他にも事実とは異なる記述があれば、教えていただければ喜んで該当箇所に訂正コメントを付させていただきます。宜しくお願い致します。
故人の扱いに配慮をということに関しては、そのように考えられる方もいらっしゃるということ、一応心に留めておきます。<<

過労死だの、何日もたってから発見されただの、身辺整理もすませていなかっただの、という件は、#1618 (7月12日)の規外さんの書き込みにあります。ファン、追っかけ、取り巻きが(まるで芸能人かのように)デマを流すのは、生前にもありましたが、ペーパーバーチさんが訂正コメントをつけようと試みてくださっていたことに、感謝しています。 山村氏は 病死でしたが、本当に 精一杯、生きました。
事実と違う記載は他にもありましたが、この件が一番、心が痛みました。
また、何かあったら、お願いします。

それでは 取り急ぎお礼まで。

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1861 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年09月11日 (水) 03時07分52秒
コロナさん、こんにちは。

たぶんまだまだ僕に対して言いたいこともあるでしょうに、矛を納めて下さったことに感謝します。メールでは怒ってしまってすみませんでした(^_^;ゞ。まぁ、そちらのやりとりではちょっとした衝突をしてしまいましたが、考えてみればこの掲示板のシステムにも問題があったので(次ページ以降にコメントが付いても分かりづらい)、こちらの返事も大人げなかったかなと思います。反省して、コメントを付けた記事が先頭に上がるように設定変更しました(^^)。
日記は確かにくだらないことばっか書いてますしねぇ(^^;。

でも、まあ、お互いさまということでお許しください。……勝手にお互いさまにするなって?(笑)

Yさん(としておきます)に関しては、教えを受けた人間が皆おっちゃんさんみたいな人では無いことが分かって、僕の中では少しだけ再評価されつつあります。そうか、ちゃんと人間として愛された人だったのかな、と(規外名義で書かれたものからは、教祖と信者のような気持ち悪い関係しか感じられませんでしたから)。

#1618の規外さんの書き込み(過去ログのコーナーにあります)には、簡単なコメントを付けておきました。僕には真実は分かりませんので、結論めいたことは書いていません。あの程度が精一杯であること、ご理解いただければと思います。

http://www.paperbirch.com/


1774 ちょっとお話にならないので。
名前: 龍騎  投稿日: 2002年08月31日 (土) 23時46分58秒

 私はかつてとあるカルト的集団に関わっていた事がありました。(後に疑問を抱いてそこを離れた訳なのですが。)そこの人たちはその矛盾した思想や、団体そのものの在り方に疑問や批判を向けられると問われた事には直接答えず自分らの論理で押し通すか、はぐらかすかのどちらかでした。ここでの私の疑問に対するhermitさんの反論はそれとまったく変わりありません。

 進化に関する事も、創造主についての事もそれはどうしてそうなのかという説明はまるでなく、ただスピリチュアリズムの概念をプロパガンダとして羅列
しているだけではないですか?まさにあの著書でのシルバーバーチの回答と同じように。過去の偉人達が艱難辛苦の上に偉大な業績を成し遂げたという一般論は分かりきった事です。だからといって人生の在り様そのものに誰が決めたのか分からない「進化の目的」などを意味付けするのはおかしいという事がどうして短絡的なのでしょうか?私はこの事については、もっと根本的な理由としての別の考えがあるのですがそれはともかく、苦難によって磨かれ光るのではなしにただ摩滅するだけの人もいて、そして最終的にそういう人の方が多いのが実情ではありませんか?私のこの指摘については言及されないのは、意図的に目をそむけているのでなければ一体何なのでしょうか?
 私の一連の主張に対し、即座に同意される方は確かに少ないでしょう。(また反論も同じように少ないみたいですが)私は何も人がより良い何かを求め、目指そうとする行為を否定はしません。その「より良きもの」の理念の頂点を「神」として古来から多くの人が追求してきた訳なのですが、それで人類がどれだけ進歩してきたのでしょうか?結果的に神を信じ、真理を奉ずると称する人々がむしろ率先して地上を殺戮と混乱で満たすことに貢献してきたではありませんか。結局、多くの人にとって「神という概念」そのものが地上を生きる上での多くの疑心暗鬼を生み出す大本となっていると思うのです。スピリチュアリズムの思想もまた、その枠内から出るものではありません。ここの掲示板において何やら門外漢にはうかがい知れない内々での揉め事が続いてるようですが、これを見てもその事を物語っているようにしか思えません。
 要は、前にも述べましたが古来の宗教が「天国・地獄」と指し示めして来た事が「輪廻転生を通しての進化」と代わったに過ぎず、人々を疑心暗鬼に導いてゆく根拠の無い確証不能のものである事には違いありません。(更に近くは一部のチャネラーたちが説く「地球の次元上昇説」がありますが。)

 私はここで順を追って自分の考えを述べようと思っていたのですが、まるで自分自身の言葉というものが感じられない概念の羅列しか返ってこないのでは
意味が無いのでもうこれにてここをお暇します。

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1790 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年09月01日 (日) 21時10分38秒
かつてカルト的集団とかかわっていたそうですが、なるほどと思わされました。龍騎さんは、なるほどその集団とは縁が切れたのでしょうが、今は自分の根拠のない思いつきを、あたかもカルトにハマッていた時のように信じ込んでしまっているわけです。妄念に凝り固まっていては、どんな反論も届かないのは当然のこと。ご自分ではカルトから抜けたと思っておられるのでしょうが、中身は何も変わっていないのです。


| 私はここで順を追って自分の考えを述べようと思っていたのですが、

いや、トンデモ理論を延々と展開されるのは迷惑ですから、そういうのはご自分でウェブサイトを作って、そちらでやってください。


さて、以下は#1761「霊的思想のおためごかし。」へのコメントとして書いたものですが、#1774に対してもそのまま通じると思いましたので、こちらにぶら下げておきます。

----------ここから#1761へのコメント-----------------------------------

僕には龍騎さんの投稿内容こそ「議論のための議論」のように感じられます。「魂の永遠の進化」という概念を確証不能と仰っていますが、それを言うなら“集合無意識が人格的な形で応現”という、龍騎さんの書かれた説などは、確証不能どころか根拠も何もありませんし、そういう理論が導き出されるベースとなる事実も一つもありません。決して目新しくもない良く見かける説だと思いますから「トンデモ」とまでは言いませんが、やはりちょっと僕には、検討してみようと思えるほどの尤もらしさが感じられません。そして、より尤もらしく思える論拠を示さず、こうかもしれないから自分はそう思うと言うなら、そういう態度が「議論のための議論」でなくていったい何なのでしょう。

どちらにしても、しょせんこの世の人間に究極の事実など分かるはずがありません。ですから僕がいつも言っているのは、スピリチュアリズムが提供する教えは、それらのさまざまな仮説の中で“最も妥当と思われるものである”と言うことです。アメリカのスピリチュアリスト連盟の綱領に「スピリチュアリズムは科学である」というのがありますが、科学である以上、すべての理論は仮説であり、いつかは訂正される可能性が消えることは無いわけですから。ですから、龍騎さんが求める種類の確証など、誰も与えてあげることは出来ないと思います。そんなことをするとしたら、それは盲信であり、科学ではありません。


| ペーパーバーチさん。私は一般の人が味わないであろう種類の苦難に遭遇し

ううん、自分だけが特別の経験をした、みたいなことを言いたくなってしまう人は、まだちゃんと学べていない人だと思うんですよね。だってそんなこと言ってる人、僕は山ほど見てますから。せめて、なるほどそれだけの体験をした人だけのことはあると唸らせてくれないと(^^;。そんな特別な体験をして「あらゆる霊的思想を奉ずる人」を見てきた人の理論が、集合無意識の作り出した云々程度だなんて、そんなの霊の存在を認めたがらない人が持ち出すコジツケ理論の定番じゃないですか。些かガッカリですね(^^;。


|そうでないなら人類は何千年経とうとあいも変わらず苦難に満ち、飽くことなく
|同じ愚行を繰り返しているのは何故でしょうか?

本当に「同じ愚行を繰り返している」と思っているんですか? 少なくとも最近は、人間が人間を食べることは(たまにやる人はいますが(^^;)無くなりましたし、奴隷制度なんかも無くなってきているハズです。もちろん、なかなか変わらない根深い問題もあるのは当然の事ですが、何千年も前と同じとは考えられません。本当に現代も昔と同程度なら、スピリチュアリズムなどという異端の知識を啓蒙している僕など、とっくに体中の皮膚や肉を貝殻で削り取られて殺されているところです(>_<)。


| ペーパーバーチさん。たとえそれがフィクションであっても「魂の進化」を信
|じる事により人はよりよく成長してゆけるのであり、それは人間の苦悩を未来へ
|先送りし、糊塗する馬の目の前にぶら下げた人参のようなものなどではないと言
|うのなら、その説明をしていただけませんか?

いや、何か返事をするとしたら「ああ、そういう可能性も、少しはあるかも知れないね」と言わせていただきます。僕は数多くの信頼できる霊界通信を検討した結果、それとは違う結論(スピリチュアリズム)に達してはいますが、それを誰にも押しつけるつもりはありません。

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1773 もりふみさん・・・・
名前: 飯沼  投稿日: 2002年08月30日 (金) 21時40分27秒

もりふみさん、
「悠々塾」掲示板とここの掲示板に私が書いた内容、今回の働きかけに関するメッセージをもう一度お読みくだされば、お分かりいただけるでしょう。
失礼ながら、それらのなかに全て語り尽くされている事ばかりですよ。
(できることなら、事の本質から視点をはずさずに読んでいただきたく思います。)
以上です。

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1772 再度、飯沼さんへ
名前: もりふみ  投稿日: 2002年08月30日 (金) 18時50分10秒

 はい、落ち着いて拝読致しました。前稿でも申し上げたように、焦点を絞りたいと思います(悠々塾としての活動についてここで云々するつもりはありませんし、もとより占い師をしているなどとは思っていませんよ)。

>その時に、彼にメッセージを、との強いインスピレーションがあったのです。

 はい、仰るように私には「インスピレーションで促される時の実感がわからない」のですから、これは「仕方がない」ですね。分かりました、とにかくペーパーバーチさんの日記の記述に関して堀江さんが何気なく漏らしたひと言を聞いて、飯沼さんが強いインスピレーションを受けた、と。これについては、私としても、はぁ、そうですかと頷くしかないのですが、

>その後、昨年の「悠々塾問題特設掲示板」をプリントしたものを(略)。そこに、例の「身を以って知る」の箇所があり、これは昨年の段階から警告されていた事だったのかと思いました。

 の「〜だったのかと思いました」の主語は明らかに飯沼さんであり、

>その後働きかけを強めた

 のも、飯沼さん御自身の「意思」、「意図」だということではないのですか?誰が読んでもそうとしか読めませんよね。要するに、インスピレーションは「彼にメッセージを」とは言った(伝えた?)けれども、「そこに、「身を以って知る」の箇所があり、これは昨年の段階から警告されていた事だった」のだとは言ってはいないのでしょう?そう思ったのはあくまで飯沼さんであり、それをペーパーバーチさんの日記に結びつけたのも(牽強付会)、また更に、たまたまそう出来たから(奇貨として)「働きかけを強め」たのも飯沼さんのお考えだということになりませんか?だとすれば、そのときの飯沼さん、地上に生身の人間として生きている飯沼さんが、どういうお考えの下にそれらをなさったのか、ということがポイントになりますよね、「インスピレーション」なり「メッセージ」なりは、何も指示してはいないようですから。
 というわけで飯沼さん、御自身の下の書き込みは、あなたのお考えとは裏腹に、「私の感想」をますます強固に補強してくれはしましたが、違っているなら「どの点」が「どう」違っているのかについては残念ながら明確にしてはくれていません。したがって、やはり、私は我が感想は間違ってはいなかったのだと思うことにします(面白くもおかしくも嬉しくもないですが・・・)。

 最後に申し上げておきますが、私は「相手をやり込めたり否定するための、小ざかしい議論」をしているつもりはありません、私は私なりに、出来るだけ筋道を立てて話をしているつもりです。おそらくあなたの様な方にはロジカルなモノの考え方がすべて「小ざかし」く映るのでしょうが、「〜には興味はありません。」ではモノゴトから逃げているのと同じではないでしょうか?

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1771 もりふみさん
名前: 飯沼  投稿日: 2002年08月30日 (金) 13時32分48秒

もりふみさん、どうぞ落ち着いて読んでください。

私たちは占い師ではありません。ヒーラーです。
ヒーリングの時、病者さんはご自分の患部を私達に告げます。悩みや人生相談のときもその内容を告げられてから、エネルギーを通し導きのメッセージを伝えるのが通常です。
「黙って座ればピタリと当たる」などということを目的にしてはいません。
ですから、それで煙に巻いてしまうような手法はとりません。

もちろんヒーリングのなかで、私達が知りえないその人の過去の出来事や人間関係、心の傾向などが、伝えられる事はしょっちゅうです。
時には「あなたの夫を連れてくるように」などというメッセージがあり、しかしその人がそのまま放置していると、年若くして数年後に治療の困難な癌が発見されたり、というようなこともあります。
しかし、大抵の場合は病者さんの患部に沈み込んでいるその人の心の澱(心の傷)を、堀江が言葉にして伝えながら、エネルギーを注ぎ、それを解消に向かわせます。そういった心の澱は、その人自身が見るまいとしている場合がほとんどで、従って事前に私達に伝えられず、「なぜそんなことまで分かるのですか?」となるのです。
しかし、私たちは占い師ではありません。
「当てもの」に興味はないのです。

ペーパーバーチ氏のことについて伝えておきます。
私は時々この掲示板を訪れ、流れ程度は把握してきました。
言葉を返すようで申し訳ないのですが、「彼は相変わらずだな」という感想を持っていました。
彼の日記に、彼の腕の不調の事が書かれました。
その話を堀江にした時、彼女は「そう言えば、『汚れた手でスピリチュアリズムに触るな』なんて言ってたわね」と何気なく言いました。その時に、彼にメッセージを、との強いインスピレーションがあったのです。(それが私の思い込みだと言われれば、それはあなたにはインスピレーションで促される時の実感がわからないのだから仕方がない、と言うしかありません。)

彼を刺激すると、反発のために内容を受け入れられなくなると思い、「ある人へ」として、悠々塾の掲示板に投稿しました。その後は、彼がそれを読んでくれたかどうかを見極めるために、比較的丁寧にこの掲示板や彼の日記を読みました。彼の反応から、おそらくは読んだであろうと思いましたが、同時に大切な事は何も伝わっていないことも分かりました。

その後、昨年の「悠々塾問題特設掲示板」をプリントしたものをパラパラッと手にしました。(パソコンを使えないけれどもあのやりとりに興味のある人のために、全部をプリントし回覧しています。)
そこに、例の「身を以って知る」の箇所があり、これは昨年の段階から警告されていた事だったのかと思いました。
その後働きかけを強めた事はご存知の通りです。

このいきさつについて「あなたのご感想はそれとして承っておきます」と述べ、しかし、私達の真意からして「あなたのご感想は違っています」と述べました。あなたがどのような感想を持とうともそれはあなた次第ですが、私たちは私達自ずからの真意を知っていますから「違います」と言っているのです。
あなたに、私達の真意を無理やり押し付けて分からせようとも思いません。同時に、あなたのご感想を私達の真意にするつもりもありません。「いずれ分かる事」でいいのではないですか?

私たちは、占い的なことに関心をもっていません。
しかし、私達が知る由もなかった時期に、メッセージによって伝えられていたとすれば、それはそれだけ重大な事なのだと思います。
K先生の「金銭に関する二枚舌」の件の時のように。
今回の「身を以って知る」も同じ警告かと、私たちは思い働きかけを強めましたが、「単なるこじつけだ」という解釈をなさる方を説得しようとは思いません。

「プライバシー」ということをおっしゃるならば、私たちはK先生から、先生の不祥事が私達に露見した時を境にして、それまでの言を翻し「悠々塾は低級霊に操られている」と吹聴されています。
ペーパーバーチ氏も、K氏の不祥事を知りながら「悠々塾は、K先生を利用しようとして、それに失敗すると手の平を返して中傷を始めた。悠々塾を許さない」と、名指しで言っています。また、彼は頼まれもしないのに、さまざまな人の実名を挙げて、侮辱的に(と私には聞こえます)、酷評しています。
この国のスピリチュアリズムを始めとして、その時話題に上っているものの向上を願う、という意味においてのみ許される行為です。
私は、人のことを公開の場で厳しく批判するのであれば、せめて実名を明らかにして責任の所在を明確にするべきだと思いますが、彼はハンドルネームでしか語りません。

もりふみさん、
私は、ちゃんとした話のやりとり(議論)は、公正・公平が軸にならねば成り立たないと考えます。議論とは、大局的な見地に立ち、本当のことを見出すためのもの。決して自分の言い分を通そうとする事ではなく。お互い人間同士なのですから、相手が間違っている時もあれば、自分がいたらないときもある。それを踏まえた上で、お互いの向上のために、ひいては全体の向上のためにこそなされるもの。
その意味で、あなたは議論のできる方ではなさそうです。相手をやり込めたり否定するための、小ざかしい議論には興味はありません。

重ねて伝えておきますが、私達の目指すものは、不調和を調和していく事です。なぜなら今の地上界やそこに生きる人々は、さまざまな不調和のなかにあるからです。そして、神は、全き調和だからです。あらゆる矛盾や不調和を含みながら、それを完全に超えた大いなる全き調和だと考えています。
病を癒していく事と同じように、過ちを認め、詫び、償い、改めていくこと。それも調和への道筋です。時には厳しい指摘が必要な場合もあるでしょう。
(当然、自らにも同じ基準を当てはめなければ、人には厳しく自分には甘いという初歩的な不調和を抱え込む事になります。公正・公平は基本中の基本です。)

もりふみさん、これで分かっていただると嬉しいですが、そうでなくても致し方のない事でしょう。
今回はこれにて失礼いたします。

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1768 飯沼さんへ
名前: もりふみ  投稿日: 2002年08月29日 (木) 18時21分08秒

>ペーパーバーチ氏の件についても、私たちは当然ながら「あなたのご 感想は違っています」と申し上げます。

 ということですが、「私の感想」は、無用の誤解・曲解をあらかじめ排除する為にもう一度ポイントのみ明瞭・簡潔に下に記します。

 悠々塾さんが今回《2002/08/09受信とありますが、10日付けの「通行人」さんの「嫌味なちょっかい」発言とその投稿を「拝見して嬉しくな」った人の発言の後、それらに呼応するかのようなタイミングで「公表」されているようですが》、このタイミングでペーパーバーチさんへの「メッセージ」を悠々塾の(!)掲示板上に仰々しく掲げるということをされるに至ったのは、ペーパーバーチさんが自ら日記上でprivate matterについての叙述をされた、それを奇貨として一年前の「メッセージ」を牽強付会的に持ち出したということであろうと思われます。もしそうでないとするならば、下のようなコメントが出てくる根拠は奈辺にありや、ということになります。

『一年前の警告―――「身を以って知ることになる」―――が、実際のものになったことに気づいてください。なぜ、「身を以って知ることになる」が、「    」によって強調されていたのか、の意味を。』

 こういうことがもっともらしく言えるのは、取りもなおさず、ペーパーバーチさんの同叙述があったからこそであり、それがなければ上記のコメントも「メッセージ」もそれを公表されたことも(タイミングをも含めて)すべて必然性を失うのではありませんか、ということです。

 という私の感想に対して飯沼さんが「あなたのご感想は違っています」と仰るならば、「どの点」が「どう」違っていているのかを明確に指摘して頂く必要があると私は思いますので、本段、宜しくお願いします(これはちゃんとしたdebatingを行う上での基本的ルールですから)。

 尚、言わずもがなではありますが、私は「メッセージ」そのものをインチキだと言っているのではなく(インチキだと思ってはいますが、そのことを私はいま指摘しているのではありませんし、したいとも思いません《論議の焦点を拡散させたくないので》)、それ以前の問題としてのあなた方の「意図」や「動機」にこそ疑義を呈している(もっとハッキリ言えば、「あざとい」と感じています)のですから、「検証」云々は暫時これを横に措いて頂ければ、と思います(しつこいようですが、焦点はぼやけさせたくありませんので)。

 又、近藤先生云々についても私は自らの思うところを開陳するのにまったく吝かではないのですが(あなたが私の意見を聞きたいというのは如何なる意図なのか量りかねますが)、上記理由を以って、この稿では敢えて言及は致しません。

 最後になりましたが、「お仲間」と若干揶揄的に書いたのはxxxさんもyyyさんも悠々塾に集う人々かと単純に思ったからです(ナナメ読みだったものですから)、失礼致しました。しかしその方々がイチゲンさんであろうと関係者であろうと、私の発言の含意するところや趣旨はいささかも変わるものではありませんので、御了解下さい。

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1767 もりふみさんへ
名前: 飯沼  投稿日: 2002年08月29日 (木) 11時05分23秒

もりふみさんのご感想は、それとして承っておきます。
この掲示板は、流れを把握する程度には読ませて頂いています。

私たちは、「メッセージがインチキだとお思いならば共に検証しましょう」と、昨年に何度も提案しています。

ペーパーバーチ氏への、今回の私達の働きかけに対してあなたがどう思われようとも、私達の意図は既に何度も表明しています。
あくまでも「働きかけ」です。
彼の言動に批判を持つ方々が多かったのは事実でしょうが、だからと言ってその方々は「悠々塾のお仲間」になるのでしょうか?
まして私が意見を求めたお二人の方は、初めて投稿された方だったのに。

ペーパーバーチ氏へのメッセ―ジがインチキと言われるなら、近藤先生に対するメッセージの件についてはどうお考えでしょう?
私たちは先生が、金銭にまつわる大きな過ちを犯しておられる事など思いもよらない時期に、「金銭に関しての二枚舌」という内容の厳しいメッセージがもたらされていました。

ペーパーバーチ氏の件についても、私たちは当然ながら「あなたのご感想は違っています」と申し上げます。
近藤先生の件に関するご意見を聞いてから、あなたとじっくりとお話する事になるかもしれません。

もう遅れていますが、11時から所用があり、取り急ぎで失礼いたします。

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1766 第三者の分析
名前: 第三者  投稿日: 2002年08月28日 (水) 09時36分00秒

昔のことは 全然知らなかったので、過去ログや悠々塾特別掲示板、そして、悠々塾掲示板もみせてもらいました。 
おっちゃん(または、おっさん)は、痛いところをつかれて、悠々塾からも 捨て台詞で逃げ出していましたよ(笑)。 この人って、特別掲示板に出てくる正男爺に、言動パターンがよく似ていますね。 無責任な中傷を吐いては逃げる、関係ないことに首をつっこんでくる、、、。 捨て台詞してちゃんと断って退散するところ、自分のことを聞かれていないのに話したがるところが、そっくり。 この手の人は、あちこちに出没するんだろうなー。

第三者の取るに足らない分析でした。

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1765 もりふみさんの意見について
名前: きりこ  投稿日: 2002年08月27日 (火) 20時35分03秒

悠々塾の掲示板について、私も同様の感想をもっています。

なぜかは、よくわかりませんが、こちらのサイトにたいし、随分敵愾心≪笑≫のようなものを感じました。

こちらのサイトで、捨て台詞を残して逃げ出したおっちゃんも、悠々塾掲示板では、元気よく遠吼えしていましたし・・・(笑)!

もりふみさんの感嘆(笑)、強く賛同いたします・・・

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1764 悠々塾不変の法則?
名前: もりふみ  投稿日: 2002年08月27日 (火) 17時16分15秒

 悠々塾という懐かしい(笑)文字を本掲示板上にもペーパーバーチさんの日記上にも散見されるようになったのをきっかけに、どれどれと同HPの掲示板をヒマにまかせて覗いてみましたが、あまりと言えばあまりのヒドさにゲンナリしてしまい、とんだヒマつぶしになってしまいました(愚痴は言うのも聞くのも嫌いなのに最初から愚痴ってどうする)。何がヒドいって、いちいち列挙するのも馬鹿ばかしいので最大のヒドさについて言及するに留めます。

 Aという占い師(でも霊媒でも足裏鑑定士--笑--でも何でもいいですが)がいたとしましょう。Aは、Bという人物がZという事柄(恋愛、職場、親子関係、金銭問題等何でも結構)で悩んでいることを第三者からあらかじめ聞いて知っているものとします。
ある日、Bが道の向こうから歩いてくるのを見つけたAはおもむろに声をかけます。
「もしもし、そこの人。そなたはいま、ひどく悩んでいることがおありではないかな」
「えっ(思わず絶句)?どうして?いえ、そんなことは・・・」と動揺するBがそれを隠そうとする間も与えずにAは畳みかける。
「それはきっとZに関することであろうと思われまするが、如何かな?」
「えっ?いえ、はい、いえ、でも・・・」
「まぁよい、図星じゃろう。ワシの眼力(霊力)にかかればそれしきのことは見通せる。まぁ座りなされ、鑑定料はちと高いし前払いじゃが、どうだね、ワシの鑑定を受けてみるかね?」
「え?は、は、はい。お、お願いします。ぜ、ぜひ、ぜひお願いしますとも」

 という漫画チック(で古典的)な手法をいまだに採用している占い師はもういないでしょうが、こういう詐欺的手法によるならばAの評判はいやが上にも高まります、なにせ、「黙って座ればピタリと当たる」し、何事も「すべてお見通し」だからです。
 このインチキ占い師A以下(以下ですよ、以下。同様とは言っていません)のことを悠々塾さんは自らの掲示板上で展開されているところが私が最大のヒドさだと申し上げた点です。なにしろ、ペーパーバーチさんが日記上でたまたま(主体的に)公開されたprivate matterに対して、「それ見たことか、だから一年前に言ったでしょ、『身を以って知ることになる』って。あの『身を以って知ることになる』ってそういうことだったのだよ」と言っているに等しいのですからねぇ。いくら何でも、人が主体的に吐露した事柄を勝手にreferした上で、頼みもしないのに御丁寧にも「メッセージ」を下されるのですからね(「警告に近い強さがありましたから」というコメントも噴飯ものでしたが)、これを牽強付会と謂わずして何と言うべきでしょうか。それともペーパーバーチさんは、ひそかに悠々塾に対して「メッセージ」を依頼されていたのでしょうか、それならハナシは分からないこともないですが(笑)。
 まぁ、とにかく私が言いたいのは、いかにインチキ占い師Aでも、Bが町内会か何かの雑談の場で(即ち公開の場で)「いやぁ、いま私はZの件でね、ちょっとね」などと話しているところにしゃしゃり出てきて「あぁ、やっぱりね。ほら、Bさん、ワタシはちゃんとそのことを一年前に指摘していましたよ、著書で。Bさんの様な人は、どれどれ、えぇっと、近いうちに困難を抱えることになる、と。やはりね、ワタシが言った通りじゃないですか」
 などという幼稚なおままごとみたいなことはしないということです。すくなくとも立派な(?)インチキなら、他の多数の人に当の本人が自ら語ったことを持ってきて「ほら、やっぱりね」などという見え透いた手は使わないで、当の本人以外の誰も知らない(筈の)ことをreferするのではないでしょうか。悠々塾にはその程度の矜持も見られないところが、そんなことを意識しているフシも素振りもない。インチキ占い師「以下」と上に強調した所以です。

 おそらく悠々塾関係者の方々は、インチキでも詐欺でもないのに何たる悪意に満ちた言い草か、と私のこの書き込みに憤りを露わにされるでしょうが、その前にちょっとお考え願いたいのは、ペーパーバーチさんがたまたま自らのprivate matterについて日記上で語るということをされた、そのことがきっかけで(「奇貨おくべし」というわけで)一連の反ペーパーバーチ的馬鹿騒ぎ(に見える)が始まっているのではないですか、もし、ペーパーバーチさんが(たまたま)それらを語っていなかったとしたらどうなのですか、それでも唐突に「ペーパーバーチ氏はいま、我々が一年前に指摘した『身を以って知る』ことを経験している」と言えたのですか、ということです。そうではないでしょう、まさに「奇貨おくべし」というイヤらしい底意地の悪い動機があるのではないですか、すくなくとも私はそんな印象を持ちました。

xxxさんは、ペーパー氏と近藤先生のとっている態度・言動をどうお考えですか?
yyyさんは、ペーパー氏と近藤先生のとっている態度・言動をどうお考えですか?

というふうにしきりにお仲間(?)に意見(あるいは同調?)を求めていらっしゃる御発言も目にしましたが、これも自らの主張・御意見に自信がないことの裏返しではなかろうか(「霊界通信をもとに構成されている」HPの主宰者にしては)とか、本HP及び掲示板のことを「某掲示板、某HP、あちら、あちらの掲示板」などと隠語的呼び方で呼び合う方々もいたりしてじつに不健康でさわやかさに欠けるなぁ、など色々な感想を持ちましたが、あまり色々なことを書くとまた面倒なので(不毛な議論=argumentを招くという意味です、ちゃんとしたdebatingなら望むところですが)、冒頭に述べたように目についた最大のヒドさについて(何を契機として、どんな必然性があって、如何なる動機で馬鹿騒ぎを始めたのか)のみ感じたところを徒然に述べてみました。しかし悠々塾って相変わらずなんですね、やはり。エネルギー同様、不変ですね。あらためて感嘆しました。

悠々塾関係者の皆さんもじつによく本掲示板を訪問されているのが分かりましたから敢えてここにこんな書き込みをしてしまいましたが(慣れているので)、本来なら悠々塾の掲示板に書き込むべきだったかもしれませんね。皆さん、お許し下さい。

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1763 龍騎さんの問いについて
名前: busy hermit  投稿日: 2002年08月25日 (日) 21時07分43秒

 世の中というのは、あなたが認めようと、認めまいと太古の昔(厳密にいうと正しい表現ではないが)から何も変わっていませんし、これからも変わりません。真実があって、それを勘違いしたり、理解できない自分が居ることはあっても、真実の方があなた一人に合わせて変わるようなことは絶対にありません。

 試練が人を肥やすことはシルバーバーチが考え出した教義だったり、近代になって人類の集合的無意識が作り出した考えなどではなくて、昔から様々な人が実体験を通して「発見」もしていた人生の真実の一つに過ぎません。
 ことわざにおいては「艱難汝を玉にす」とか、「人生とは学校である。そこでは幸福より不幸の方が良い教師である」、山中鹿之助などは「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」などと言っています。その他無数の古今東西の名言、金言、教典、古典、偉人が残した言葉などを調べるだけでも、そうしたことはすぐにわかるはずです。

 ですから、この世で得た経験その他を黙想して真実を発見してきた人なら皆、試練の意味などを始めとしたスピリチュアリズムの言葉に共感を覚えるのです。しかしながら、あなたのおっしゃる考えには誰も共感を覚えないでしょう。なぜならそれは空想(願望?)にすぎず、あなたがこの世で自分の肌で「発見」した真実ではないからです(そうしたことは必ずしも年齢ではありません)。

>私は一般の人が味わないであろう種類の苦難に遭遇し
>それと取り組む事からでしか得られないものを得、また得つつあるという経験をしています。しかしだからといって(見かけ上そのようであっても)人生それ自体に何か進化の目的があるなどという、短絡的な結論は出せません。

 試練からどんな貴重なものを得てきたのか、少しでも考えたことのある人は、人生に何の進化の目的がないなどというような「短絡的」なことは言いません。成長とはどんなものか、そしてそれらが祝福を「先送り」するどころか「今現在」の生活から、いかにより実りのある生活へと変えてくれるかについて、人間はもっと深く考えるべきではないでしょうか?

 今思い浮かぶだけでも、洞察力、分析力、意志力、行動力、同情心、親切心、辛抱強さ、寛大さ、臨機応変さ、善良さ、深い喜び、積極的思考、希望の強さ、愛、自己犠牲的愛、勇気、決断力、自己管理能力、中庸(バランス)、理解力、実際的な知恵(単なる知識とは違う)、機転、ウイット、温和さ、話術、ユーモアの精神、友愛協力の精神、深い友情、人心把握力、指揮能力、謙虚さ、問題解決力、発想力、創造力、思考力、記憶力、正義を愛する心、真面目さ、説得力、礼儀正しさ、勤勉さ、感謝の心、努力する心、健全な思い、関心・視野の広さ、情報収集力、識別力、言葉遣い、心身統一力、カンの鋭さ(インスピレーション)、観察力等々…、さらにそれらから派生していく数え切れない有益な賜物があります。これらは皆あなたの生活を実りあるものにする、無くなることのない種なのです。

>busy hermitさん。神(なる創造主が存在するとして)は何のために宇宙をこしらえ人類を生み出し、その人類を絶えることの無い試練のなすがままにおいてまで一体「何を得させよう」というのか意見を聞かせていただけませんか?

 神が愛の動機から我々に生命の息吹を与え、成長やその他の喜びを与えたことは言うまでもないことです。 

 神の存在についても、人類の当初から、誰に教わるというわけでもなく、どこの民族もその存在を認めてきました。なぜでしょうか?。それはその人たちが神の素晴らしい創造物(自然や動物や天体や法則等)、とりわけ人間というたぐいまれな霊性(心の働き)や理性を持つ存在を観察し考えることで、はっきりと神を「発見」していったからです。ですから、あなたが今本心から神は存在しないなどといっているのであれば、誰かに教わっていないとか、そういう本が無かったからなどという問題ではなくて少々きついことを言うようですが、あなたご自身があまり神や人生について考えるような人ではないからでしょう(あるいは神を認めたくない何かがある)。


 良きものについて

 良いものはレベルが高いので、それについて勉強して初めて良いものであったことに気付くことが多いのです。素人から見れば落書きに過ぎない絵も、専門家が見れば大変な価値のある絵であることがあります。一般人から見ればその辺の安いワインと変わらないように思えるものが、ソムリエから見れば一級品のワインであることがあります。普通の人から見ればただのガラクタに過ぎないような骨董品が、鑑定士から見れば国宝級のものであることがあります。同様にその逆のパターンもあります(素人から見ればすごい価値があるようなものが、専門家から見れば二束三文のような場合)。
 
 さて、神は愛です。神はそのように人間が思う以上の、最高級のものを先んじて与えられるのですから、もっと人間の側で勉強し、神の考えを理解しようと努めるべきなのです。そうするならばその時初めて、自分の嫌だったものも、良いものを含んでいることに気づくものなのです。だから軽薄な考えで神のご意向を突っぱねるのではなく、もっと人間の側で深く考え勉強分析して、神の摂理と祝福の真価を、各々が発見すべきなのです。

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1762 差別について
名前: もりふみ  投稿日: 2002年08月22日 (木) 02時33分31秒

 ペーパーバーチさん、みなさん、こんにちは。東京では昨晩から秋の気配が漂い始めていますが、皆様は如何お過ごしでしょうか?私などは、ようやくこれで烈日と酷暑の夏をのりきれたか、とじつに情けない嘆息を洩らしております。と同時に自らが発したこの年寄りくさい嘆息に愕然として(私はものすごく若いという部類にこそ入りませんが、けっして年寄りではありません)、さらにあぁ情けないナサケナイと慨嘆するというネガティブスパイラルの真っ只中におります。

さてsukeさん(はじめまして)、植木等さんの父上の言葉(「〜と思うなよ」)、イイですね、こういう教え方は。実際的で分かりやすくて…。子供にモノゴトの道理を説く方法としては極上、こういうのが本来の「知恵」の好例だと思います。でもsukeさん、あなたはこのエピソードをアナロジーとして、その延長線上に

>「自分は霊的真理に気付いている」と思うこと、それ以外の人と区別すること。(略)心の中でそういう区別をする人

 を配置して「そういう区別をする人」と「対するのがこわいかなあ、と思ったりしてい」らっしゃるようですが(笑)、いかに「戯言」とはいえ、一寸論理に飛躍がありませんか、と私は思うのです。
 シルバーバーチに接し、それをすばらしいと思って心底から得心した人が「自分は霊的真理に気付い」たと思い、そうではない人のことを「そうではない人」と認識することは自然で当たり前のことだと思います。これは男女のトイレが区別されているのが当たり前なのと同じで、教師が自らを教師と、ケニア人が自らをケニア人と自覚し、そうではない人を自然にそうではない人として認知、区別しているのと同様だと思いますよ。植木等さんの父上が戒めたいわゆる差別(意識)とは、ナニガシカの理由を以って人を見くだす、蔑視する(その結果として自らの内に優越感を生ぜしめる)心的態度のことでしょう(その際のナニガシカの理由には、実際は≪理≫など露ほどもないのが常です。性、人種、民族、出生地等すべて然りで、区別の基準にはなっても差別の理由にはなりません。と言うより、「正当な理由を伴った差別」というのは「凍結した火」と言うに等しい論理矛盾そのものです。とはいえ、理由はなくとも、「差別」には原因はあります、後述する本能の働き、そしてそれを抑制し得るだけの理性と知性の欠如という大きな原因が)。スピリチュアリズムとは、強靭な理性と浅からぬ知性があってはじめて得心し得るものだと私は思うのです(得心したあと、それに基づいて実生活に如何に反映させるかについては、理性と知性の上に更に様々な資質が必然的に求められるのでしょうが、私自身にはまだその辺を語る資格はありません≪笑≫)。したがって、スピリチュアリズムによって「霊的真理に気付い」たと真に思える人は、理性の働きはおろか知性の欠片すら見出せない「差別(意識)」とはもっとも対極にある識見を有する人であると言ってもよいと思います。まして優越感や選民意識めいたもの(そして蔑視する、見下すという心的態度)とは無縁だと私は思っています。
 sukeさんは、意識的に(即ち理性と知性を以って)「区別」と「差別」を使い分けていらっしゃるにも拘わらず、その意味するところを区別(笑)されていないような気がします(何故なら、先ほどの「差別」に関するアナロジーの延長線上での「区別」論だからです)。やはり差別と区別は厳しく区別(峻別と言うべきかな)されるべきだと考えます。私が論理の飛躍と申し上げた所以もここにあります。たしかに「区別」することは場合によって「差別」することに結びつけられ易いかもしれませんし、現実にそういうことはたくさんありますよね。でも区別する、分けて考えるという行為はすぐれて理性的で知的な行為です(ヨコ文字で、分けて考える、区別するということを意味するdiscriminate(-tion)という語は、思慮深くて慎重で分別があるということを意味するdiscretion,discreet等と語源を同じくするのですが、これはその昔、人体の腑分けを行う際などには理性を研ぎ澄ませて慎重に---with discretion---行う必要があったからということらしいですね、もちろん受け売りですが。これは肝臓、あれは心臓、胆嚢はこの部分、大動脈管はここまで、この神経は…、という具合いでしょうか。「たあへる・あなとみあ」の世界ですね≪笑≫)、何故なら理性と知性の働きの結実としての論理的思考はAとBは同じなのか違うのか、違うとしたらどこがどう違っているのかということを慎重に(それこそ腑分けするように)分けていく、区別するということが基本ですから。しかし残念ながら、ヒトには他よりも何とか優位に立ちたいという動物的本能もあるようですから(これはおそらく種の存続には大きく寄与しているのでしょうが)、どうしても優越感を持ちたがる、それが単なる区別(相違)を差別意識にまで持っていってしまうということでしょうか、本能のままに(つまり、理性と知性がそれを抑制し得ないままに)。上に述べたdiscriminationという語も、悲しいかな本来の意味から遊離して差別を意味する語として使われるのがフツーになっているようですね、racial discrimination、sexual discriminationなどというように。洋の東西を問わず、やはり分けて考える、区別することは(アプリオリに)差別意識を生み出しやすいのですね。

 人類のモンダイとしての差別は本当に大きなissueだと思います。でも、逆説的な言い方になりますが、ヒトの理性と知性はもっともっと深く鋭く研ぎ澄まされる(cultivateされる)余地がまだまだた〜くさんあるということでもあるでしょう。そしてそれをシルバーバーチ等から私たちはチャレンジされているような気がします。そしてそのチャレンジに応えるためには、sukeさんが御紹介してくださった植木等さんの父上の例のような「知恵」も有効であり、また他ならぬスピリチュアリズムそのものが何よりも有効なのだろうと思います。こんな知見は私自身、スピリチュアリズムに接する以前はとても持てる類いのものではありませんでしたけれども、まぁ、ごく自然にそんな気がします。シルバーバーチには、我々の鈍りきった理性と知性を鍛え、研磨してくれるようなところがたくさんありますから、sukeさんも是非触れてみて下さい。というわけでsukeさん、

>区別は、「裁く」のと似ていませんか?

 う〜ん、あんまり似ているような気はしないけど、でも、黒白を明確に分けるという意味では「裁く」前段階に必要ですね、区別は(区別そのものは黒にも白にも何の意味も賦与しません、相違を明らかにするのみですからね。その意味において、むしろ差別の方が「裁く」に似ているのではないでしょうか)。

 あ、ほんのすこーしだけ戯言にお付き合いさせて貰おうと思っただけなのに長くなってしまいました、それではこれにて失礼致します。

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1761  霊的思想のおためごかし。
名前: 龍騎  投稿日: 2002年08月21日 (水) 22時23分26秒

私はここで「議論の為の議論」などをするつもりはありません。
スピリチュアリズムをはじめとする、あらゆる霊的教義の根幹ともいうべき
「輪廻転生を通じての進化」という概念は、それを受け入れ自己の信条とすることにより、より道徳性を高めそれを維持してゆけるという利点はあるでしょう。しかしこの思想は結局、現実の苦悩を「魂の永遠の進化」という確証不能の領域へ追いやり、先送りする事でしかありません。そこから生ずるのは現実の事象を無理によい方へ解釈しようとする脅迫観念と、絶える事の無い潜在的
疑心暗鬼、そしてそれらを感じなくさせるための思考停止です。
 私はこれまで、あらゆる霊的思想を奉ずる人の多くがそう陥ってゆくのを見て来ました。かつての私もまたそうでした。この経験に基づく自己の考えをひとつ述べ伝えて見ようとここで書き込み投稿をしてる次第です。
 ペーパーバーチさん。私は一般の人が味わないであろう種類の苦難に遭遇し
それと取り組む事からでしか得られないものを得、また得つつあるという経験をしています。しかしだからといって(見かけ上そのようであっても)人生それ自体に何か進化の目的があるなどという、短絡的な結論は出せません。
 この苦難に満ちた世界において、すべての人が等しくその経験をプラスに生かし自己の大いなる成長の糧としてゆける訳ではありません。悲しいけど単なる不運と苦難で終わりその体験に呪縛され、またそこから生じた事象による更なる苦難にさいなまれるという人の方が多いはずです。そうでないなら人類は何千年経とうとあいも変わらず苦難に満ち、飽くことなく同じ愚行を繰り返しているのは何故でしょうか?
 こうした人類の実情を合理化し、納得させるためのすべとして宗教において使われてきたおためごかしが「死後の天国・地獄の報い」であり近代において
それが「魂の進化」という名目が新たに捻出されたに過ぎません。思うに
シルバーバーチをはじめとする様々な「霊言」を地上に送ってくる「霊的存在」とは人類的集合無意識がその時代の応じて、人格的な形で応現してきた
ものなのでしょう。言い換えればそれは人類自身の意識の創作物です。
 そこから発せられるメッセージはそれなりに人々を鼓舞し、啓発する事は出来るにせよ結局それは人類自身の意識のレベルを超えるものではありません。
 ペーパーバーチさん。たとえそれがフィクションであっても「魂の進化」を信じる事により人はよりよく成長してゆけるのであり、それは人間の苦悩を未来へ先送りし、糊塗する馬の目の前にぶら下げた人参のようなものなどではないと言うのなら、その説明をしていただけませんか?
 busy hermitさん。神(なる創造主が存在するとして)は何のために宇宙をこしらえ人類を生み出し、その人類を絶えることの無い試練のなすがままにおいてまで一体「何を得させよう」というのか意見を聞かせていただけませんか?
 


 



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1760 sukeさんへ(笑)
名前: Sひろりん  投稿日: 2002年08月21日 (水) 21時39分38秒

良かったです。冗談のわかる方で。
怒って二度とここに現れなかったらどうしようかと、、(笑)

なんとも深いお話ですね。
差別にはいろいろあります。
人種、男女、学歴、職業、数え上げたらきりがありません。
差別の根源は未熟な人間の脆弱な自我をかろうじて支えていく、
愚かな手段なのかなと思います。

一部ですがアフリカの黒人達が白人たちに差別をするなといいながら、
同じ黒人の女性に対して差別をおこなっていたり、
ため息がでてしてしまうようなことが沢山あります。
(気がつかないというのは怖いことです。
自分たちだけが被害者だと思いこんでいるのですから)
差別と言うのは一握りの特権階級が行うものと考えられがち
ですが、実はあらゆる人間の根源に根ざした問題なのです。

霊訓の知識を持ったことによって、特権意識持つようになったりすれば、
それは本末転倒です。
前にbusy hermitさんがおっしゃっていましたけど、
心理を知るものほど、謙虚になっていくと。
神の偉大なる存在をしることによって、同時に自分の存在の
小ささをしるわけですから、
「ああ、自分はなんてちっぽけなものなんだろう」と感じざるを
得ないのです。
そうすればおのずと謙虚にならざるを得ないはずですよね。

前にも言いましたがあくまでも霊格は人間の表層にある差でなく、
魂の発達度の違いですからね。
それは差別と全く違ったものです。
例えば北京原人と現代人をおなじ人間としてのものさしでははかれません。
現代人からみて北京原人は言語能力が劣っていたと言っても、
決して差別的発言にはなりませんよね。
そういうものだと思いますよ。
決して人間が自分の都合で作った「区別」ではなく、
人間の進化の過程でおのずと現れた
人間の力ではどうすることもできない「差」なのです。
それを認識することは差別することではなく、
むしろ正しくその人の発達を評価しうる
目をもっているということになります。
(正しければですが、、、、)

地球上の人間ががくだらない差(学歴、身分、人種、男女等の)
に翻弄されず、真の差(魂、人間性)に厳しくなれば、
悪徳政治家などあっという間に一掃され、今世界を脅かしている数多くの
国際紛争は消えます。
日本の堕落しきった政治にも終止符が打たれるでしょう。
と、かなわぬ戯言を私も言ってしまう今日この頃です。

こんなことを言いながら私も未熟な人間の一人ですけど、、
偉そうですみません。
霊格などと言いながら、夜中一人でぼーっとテレビを見てたりすると、
ハッと過去の自分の愚かな言動を思いだし、「うぉ−」と
尺取虫のように身悶えしていることがあります。
薄明かりの窓にそんなおそろしい姿を目撃してしまった方、
申し訳ありません。
それは私です。
そんな私だから霊訓が必要なのです。

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1759 実は、心臓に毛が生えてたりして
名前: suke  投稿日: 2002年08月21日 (水) 01時10分05秒

ひろりんさんからお励まし?いただきまして、ありがとうございます。
議論は、どうしても疲れますので、せいぜい「対話」くらいなら自分にはありかなと思いますが。
一つだけ書かせていただきます。
昔、職場の研修で聞いた「同和問題」に関するある先生の講演が印象に残っています。
俳優の?植木等さんは、岐阜県かどこかのお寺の生まれだそうで、その近辺は、いわゆる「穢多(えた)非人」といった被差別部落の人が多く住んでいたそうです。
あるとき、植木等さんは、住職のお父さんに
「『自分は穢多じゃない』と思うなよ。」
と言われたんだそうです。
穢多の人を差別する気持ちはないつもりでも、「自分は穢多じゃない」と思った時点で、すでに心の中で差別をしていることになる、ということでしょう。
これを聞いて、私も無意識のうちにでも「自分は被差別部落民ではない」という目で、この同和問題を見ている自分に気付きました。
私は、住んでいた地域に実際にそういわれる人がいなかったので、その問題の難しさを本当にわかっているわけではありませんので、ここに書いたことも適切かどうかわかりません。
もともと「穢多」という人間の分類はないはずで、そのような分類を認めた時点で、人を差別していることになる。
「自分は霊的真理に気付いている」と思うこと、それ以外の人 と区別すること。私は、心の中でそういう区別をする人と対するのがこわいかなあ、と思ったりしています。さらに、「霊格」まであるわけでしょう?
区別は、「裁く」のと似ていませんか?
自分は気付いている・目覚めているという「判定基準」がどこにあるのかわかりませんけど。
もっと、人間関係は肩肘張らず気楽にいきたいものです。
以上、戯言でした。

http://jns.ixla.jp/users/sukenyan599/

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1789 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年09月01日 (日) 20時44分24秒
sukeさん、どうも。

sukeさんの投稿を読んで何度か感じていましたが、この掲示板の参加者に対して事実に反する仮定を想像して、その間違った仮定に基づいて否定的な論調を展開されることが多いようですね。以前の、霊訓を読む前に聖書を読んでみれば?というのはその典型でしたが、今回の投稿も同じ。

|「自分は霊的真理に気付いている」と思うこと、それ以外の人 と区別す
|ること。私は、心の中でそういう区別をする人と対するのがこわいかなあ、
|と思ったりしています。さらに、「霊格」まであるわけでしょう?区別は、
|「裁く」のと似ていませんか?

霊的真理を知っていようが知っていまいが、それは所詮知識の有無でしかありませんよね。そんなことで区別する人なんているんでしょうか? 少なくとも僕はしません。その知識の有無によっては、人間は何も変わりません。変わるのは、その知識を活かすか否かでしょう。シルバーバーチやインペレーターの霊訓を素晴らしいと言っている人にも、ろくでもない人はいますし、ゴリゴリの唯物論者でも尊敬できる人はいます。

また、スピリチュアリズムでは確かに「霊格」ということを言います。が、「霊格」を否定するということは、経験を積むことで成長することを否定する事になります。それともsukeさんは停滞していたいのでしょうか?

柔道や剣道でも、ソロバンや書道でも、級や段位があるでしょう。それは差別ですか? しかもスピリチュアリズムでは、「誰々はどの程度の霊格だ」みたいな認定や判断など誰がするわけでもありません。誰がどの程度の霊格かなんて誰にも分からないのに、どうやってそれで区別や差別が出来ると思うのでしょう? 不思議なことを仰る方です。

sukeさんが仰るような批判は、試験制度を設けて会員を段階分けしている「幸福の科学」のような団体に向けられるべきですね。あれは正にスピリチュアリズムの真理を、sukeさんが憂慮されている形に歪めて利用しているわけですから。


|自分は気付いている・目覚めているという「判定基準」がどこにあるのかわかりませんけど。

それは人それぞれで、足し算や引き算が分かって「算数が分かった!」と言う人がいれば、連立方程式が分かって「算数が分かった!」と言う人もいるでしょう。以前の自分と比べて何かに気付いた、目からうろこが落ちたという感覚があればそれでいいんじゃないでしょうか。判定とかそういうのは、少なくとも僕は違うと思います。

もっとも、世の中には目からうろこが落ちたつもりで、実は新たなうろこが飛び込んでいる人の方が多いような気もしますが(笑)。一つ山を乗り越えれば、その向こうにもっと大きな山が見えてくるものなので、ちゃんと分かってる人は、むしろ「自分こそ真理に気付き、目覚めているのだ」みたいな態度はとりません。

http://www.paperbirch.com/


1758 sukeさんへ
名前: Sひろりん  投稿日: 2002年08月19日 (月) 16時33分03秒

ふふふふふ。

試練が与えられるとそれを乗り越えることが面白いとおっしゃいましたね。
強くない心臓を強くする良い機会です。
どうか試練と思って乗り越えてください。

台風のせいで暇してます。
また心臓をばくばくさせてごめんなさい。
ちょっと遊んでしまいました。
このようにですね、ここを客観視しないで遊んでしまいましょ。

いろんな意見があるのですよ。
ただここは霊訓の良さを知ってもらう為のところですから、
おのずと霊訓肯定論が主導権を握るのは当然のことです。
それを踏まえた上で発言されると、ちっぽけなボタンの掛け違いが
なくなるのではないでしょうか。

例えば私はキリスト教を否定はしませんが懐疑的な立場におります。
良く勉強していませんし、実際のところはキリスト教の
なにもしってはおりません。
そういう立場でそのまま熱心なキリスト教団の掲示板に、
否定的な意見を書いた場合、「お主何を言う」となる
可能性が高いですよね。
勉強不足な場合は低姿勢で伺うほうが無難かなと思います。
(老婆心ながら)

良く勉強し、熟慮の末「いーや、やっぱりおかしいぞ」と
思われるなら、思いきって批判しましょう。
やっぱりおかしいことがあるかもしれません。

議論しあう過程が楽しいのです。やりこめてもやりこめられても
どちらでもいいのです。
何が正しくて否かということは、この世では究極のところ
知り得ないと思います。
みな独自の道を「これかいな」という感じで進むしかないのでは。
100%ばっちりの回答などありません。
(いつも私が自分を慰めるときに思うことです)

打たれ強くなりましょう。
sukeさんのレス楽しみにしてます。

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1756 こんにちわ。
名前: suke  投稿日: 2002年08月18日 (日) 17時19分54秒

またまた何人もの方からいろいろ教えていただきまして、すみません。
この掲示板では意見交換が活発で熱心ですが、正しいか間違っているか、というより、ディベートに勝ったか負けたか、という決着はありそうですね。
議論に勝ったから正しいとか、良い考え方だ、というものではないということが、掲示板を外から見ているより、中に入ってみて実感されました。
私が書いた考えについてご意見が返ってきて、またそのご意見やニュアンスについてちょっと違うような気がするな、と思っても、再度取り上げてそれに対する自分の考えを一つ一つ書くときりがないし、そこまで私も根気がありません。
たぶん、何が正しいのか、または良いこと悪いことなのかは、発言されることはなくても賢明な読者の方はそれぞれちゃんと読み取って内心で処理されているように思いました。
なので、私はとりあえず問題を投げかけて各自で考えていただく機会をもっていただいただけで十分と思います。

それから、以前の話題でシルバーバーチが自分のところに来た(自分のヒーリングにはシルバーバーチが霊団として働きに来る)、という話についてですが、なんか、有名人になると親戚が増える、という笑える話がありますが、それと似ているような気がしました。
ヒーリングができるとして、それが誰から来ているものかなんて、どうでもいいのでは?と思います。
そういう宣伝?に乗ってしまうお客さんもたくさんいるんでしょうね。
シルバーバーチも本当にいるのなら、身に覚えのない「親戚」が増えて、困惑しているでしょう。

それから、8月12日に龍さんが質問されたことについて、そう思うのもごもっともだと思いました。私は試練が与えられることについてなぜかということは深く考えたことはありませんが、「それは魂の進化のため」というのはいわゆるスピリチュアリズムらしいと思います。私は「進化」という言葉は嫌い(せいぜい「進歩」)ですが、それはそれとして、私の場合は、試練が与えられても、それをうまく乗り越えて克服していくことに面白みを感じています。それが人生の幸福だ、と以前も引用しましたヒルティは言っています。そのためには神様が一緒についていてくれると思うと心強いのです。私は守護霊といったものの存在は否定しないとしても、直接神様とつながると考えてもいいのではないかなと思っています。
それから、輪廻転生についてもわからない、というのも普通はそうだと思います。私は、過去世や、死んだ後も魂が残っているということについてはあまり考えたことがありませんでしたが、最近は、そういうこともあるのかなと考えることで、生活の上でも読書でも面白く感じるようになりました。そのように発想すると面白いという程度からでもよいのではないでしょうか。
それから、皆さんに読んでみてとこの掲示板でかなり勧められました霊訓、たまたま開いた所に、「議論しあってはいけません。議論からは何も生まれません。」「議論しても、入ってきたのと同じドアから出て行くだけである」という詩人の言葉が引用されていました。イギリスの詩人の言葉を引用するなんて、随分イギリス人ぽい「高級霊」ですね。

また最近「他人と過去は変えることはできないが、自分と未来は変えることができる」という言葉を見ました。(自分が変われば周りも変わることがあるとも。)そのように、他人の考えを変えるというのは難しいことなのですが、でも、ペーパーバーチさんも1703のレスで、「勇気を持って言うべきことを言っていれば、」と書いてありましたが、私も自分の考えを伝える勇気は必要だと思います。
謙虚さが大事だから、といって黙っているだけではなく、言うべきことは勇気を持って言い、同時に他の人の意見に対してもよく耳を傾け、自分の価値観を押し付けるばかりではなく、寛容さも必要と思います。
あんまり完膚なきまでに叩きのめすと、シルバーバーチがいう「利他愛」とは離れていくのではないでしょうか。入ってきたドアから出て行くだけだとしても、気持ちよく出て行ってもらった方がいいような気がしました。
今日は東京も涼しくて、少しずつ秋の気配も感じられるようです。つれづれに書いてみましたけど、また火種になってしまうのでしょうか・・・私も心臓がそんなに強くないので、タイトルに「sukeさんへ」とするのだけは、勘弁してください。

追:これを書いてから、下のコロナさんの書き込みを見ました。コロナさんのおっしゃるとおりだと思います。

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1755 故人の扱いに関して
名前: コロナ  投稿日: 2002年08月18日 (日) 14時24分01秒

はじめまして。 はじめてこの掲示板を訪れて、びっくり。
山村氏に一度もあったこもない人、友達からきいただけの人、一度あったことがある程度の人が なぜ、亡くなった方について、議論できるのですか?
ヒーラーはアイドルでも芸能人でもありません。 「彼について何か知っていたら教えてください」のような、追っかけ的興味本位で、一個人であり、また、故人を公にさらすのは、フェアではありません。
「規外、おっさん」という方、山村氏の名前をここだけでなく、他の掲示板にも持ち込むのはやめてほしかったです。 患者として、感謝している気持ちはよくわかりますが、それを大切にしていれば、それでいいのではないでしょうか。 なぜ、故人について議論する必要があるのでしょうか?
はっきり言っておきますが、死因は過労死ではありませんし、何日もたってから発見されたというのは、とんでもないデマです。

病気の人のために奉仕した故人ということで、十分ではありませんか?
返事のできない故人を引き合いに出すのは フェアではありません。

また、ペーパーバーチ氏に対して、議論する際、子供や病を引き合いに出すのはとても卑怯なやり方です。障害、病を持った子供は 天使です。我々、健康な人間が失っていく清らかな純粋な心をもちつづけ、私達にいろいろなことを教えてくれるすばらしい存在です。 ペーパーバーチさん、お子さんが少しずつでもよくなることをお祈りします。

ペーバーバーチさん、貴方はいろいろな経験をして、痛みを知っている方だと存じます。 無二の親友を亡くした経験で、「勇気をもって言うべきことを言っていれば、、」と悔やまれていらっしゃる気持ち、痛いほどよくわかります。でも、もし、貴方の無二の親友のことを 取り巻き、ファン、信者がインターネットでこのような議論をしていたら、貴方はどう感じますか? 貴方の亡くなった親友はどう感じると思われますか? 亡くなった親友の親族はどう感じると思われますか?

でも、私は 貴方の言うことをまちがっているとは思っていません。
「教祖のようにあがめて信者になってしまう」ような知識の乏しい人たち、そして「私は彼をずっと見守っていました」というようなことをおっしゃるファンやおっかけになってしまうような方達を導くこと、迷妄を打ち砕くこと、これは、非常に大切なことです。 無二の親友を亡くした貴方だからこそ、理解できることだと思います。是非、がんばってほしいと思っています。山村氏も同感だと思います。 

コンピューターのことはよくわからないのですが、ヤフーの検索で山村氏のキーワードで、この掲示板が出てきます。もしも、ペーパーバーチさんの管理下にあるのでしたら、これはやめてください。 お願いします。
また、デマは広がりますし、故人の扱いについてはもう少し配慮をお願いします。

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1770 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月30日 (金) 07時13分50秒
コロナさん、はじめまして。ようこそ当ウェブサイトへ。

山村さんは一個人であり故人であるから議論すべきではないとご意見ですね。確かにそれはそれで頷けるお考えですし、お気持ちも分かります。が、普通の個人だったら全くその通りなんですが、山村さんは多くの人(おっちゃんさんによれば何万人も?)を相手に活動し、恐らくは少なからず影響を与えた人です。しかも一般の人が読む雑誌にも登場していたわけです。

言ってみれば「公人」とも考えられるわけです。たとえば、仮に大川隆法や麻原彰晃、文鮮明が死んだ後、故人だから批判するのは止めておきましょうと言われるでしょうか?(この人たちもアイドルや芸能人ではありませんが(^^;) 多くの人に影響を与えるには、それなりの責任が付いて回ると思います。故人だから議論するのは止めようというのは、この場合は賛成できません。

ただし、山村さんの場合「公人であって一個人ではない」と誰もが認めるほどメジャーなわけでもない、微妙なところであるとは思います。コロナさんのように思われるのも理解はできます(“僕は”賛成はしませんが)。


|障害、病を持った子供は 天使です。我々、健康な人間が失っていく清らかな純
|粋な心をもちつづけ、私達にいろいろなことを教えてくれるすばらしい存在です。
ううん、障碍を持った人がいつまでも(健康な人間とは違う)清らかで純粋な心を持ち続けるという考えは、それはそれで逆の意味での差別なんじゃないかと感じます。決して「天使」なんかとしてではなく「人間」として付き合ってあげてください(そういう機会があれば、ですけど)


|ペーパーバーチさん、お子さんが少しずつでもよくなることをお祈りします。

ありがとうございます。ただ、この障碍自体が良くなったり無くなったりするというモノでもないらしいので、それを受け入れながら、社会に対応していけるようにしてあげなければならない……ということらしいです。もともと欠けてしまっている部分があるので、それを「良くする」というより(それは出来ない)、意識的にカバーする術《すべ》を学ばなければならないということなんでしょう。


|もし、貴方の無二の親友のことを 取り巻き、ファン、信者がインターネットで
|このような議論をしていたら、貴方はどう感じますか?

僕は友人だから弁護できるところは弁護するでしょうが(結構変なこともやっている人でしたから、いろいろ言われることは想像に難くない(^^;)、そうした議論が起きること自体は仕方のないことですし、その議論が多くの人にとって参考になる部分があるのなら本人も却って喜ぶでしょう。間違っていたところは、今頃は自分自身がイヤというほど自覚しているでしょうから。

また、仮に事実と違うことが出ているなら、事実を知っている人間が訂正すれば良いだけのことだと思います。まぁ、そこらへんは僕の感覚が普通と違うのかも知れませんけど。


|コンピューターのことはよくわからないのですが、ヤフーの検索で山村氏のキー
|ワードで、この掲示板が出てきます。もしも、ペーパーバーチさんの管理下にあ
|るのでしたら、これはやめてください。 お願いします。

ヤフーの検索はほとんど使ったことがないので知りませんが、それはたぶんヤフーのコンピューターが自動的にキーワードを収集・集計して出しているのだと思います。残念ながら僕の力の及ぶ所ではありません。また、特定のキーワードで特定のページが出てこないように依頼することも、たぶん出来ないでしょう。


|また、デマは広がりますし、故人の扱いについてはもう少し配慮をお願いします。

口での情報伝達は伝わるに従って話が大きくなったり、訂正の情報もどこかで消えてしまったりするから「デマ」になるのだと思いますが、その点インターネットの情報伝達なら、間違いが訂正されれば、その訂正された記録も後々まで残って誰でも参照できるという利点があります。また、たとえば山村さんの事を話していれば「おっちゃん」さんやコロナさんのように、ご本人をご存じの方が出て来られる事も多い。その辺の事情は、本人が存命であろうが亡くなっていようが大して変わらないと思いますし、間違いが書かれる可能性があるから誰かについて語られるべきではない、というのは「違う」かなと思います。

もちろん、当サイトがデマの源泉になるのは望ましくありませんので、どうぞコロナさんがご存じの範囲でかまいませんので、正しい情報をご提供ください。たとえば「何日もたってから発見された」というのはどこに書いてあったんでしょう?(訂正コメントを付けようとしたんですが見つけられませんでした) その他にも事実とは異なる記述があれば、教えていただければ喜んで該当箇所に訂正コメントを付させていただきます。宜しくお願い致します。

故人の扱いに配慮をということに関しては、そのように考えられる方もいらっしゃるということ、一応心に留めておきます。

http://www.paperbirch.com/


1754 busy hermitさん
名前: ひろりん  投稿日: 2002年08月18日 (日) 11時59分15秒

そうですか、わかりました。気になさらないでください。
あまりにも流暢な回答だったものですから、プロの方かな
と感じましたので、なにかホームページをもって活動されているのか
と思ったものですから。
それではこの掲示板での活躍を楽しみにしています。

ペーパーバーチさんには当然これからもいろいろ教えていただきたいと
思います。
スピリチュアルな活動がどのような未来を展開していくのか、
とても楽しみですから。
バーチさんはその先頭に立っているわけですから。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)p124-dnb78karaga.tokyo.ocn.ne.jp

1769 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年08月30日 (金) 06時50分51秒
あの〜、もしかして僕のことを「バーチさん」って言ってます?
バーチといえばシルバーバーチなので、あまりにも畏れ多いので止めてください〜(^^;。(ただ、僕はシルバーバーチをバーチというのもあんまり好きじゃないですけど。語感が美しくないと思うし、だいいち、省略せねばならんほど長い名前じゃないので)

僕が先頭に立っているというのも畏れ多いです〜。せいぜい末席を汚させていただいている程度(>_<)。しょせん僕など地方のいちシルバーバーチファンに過ぎませんから。

http://www.paperbirch.com/


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