またまた何人もの方からいろいろ教えていただきまして、すみません。
この掲示板では意見交換が活発で熱心ですが、正しいか間違っているか、というより、ディベートに勝ったか負けたか、という決着はありそうですね。
議論に勝ったから正しいとか、良い考え方だ、というものではないということが、掲示板を外から見ているより、中に入ってみて実感されました。
私が書いた考えについてご意見が返ってきて、またそのご意見やニュアンスについてちょっと違うような気がするな、と思っても、再度取り上げてそれに対する自分の考えを一つ一つ書くときりがないし、そこまで私も根気がありません。
たぶん、何が正しいのか、または良いこと悪いことなのかは、発言されることはなくても賢明な読者の方はそれぞれちゃんと読み取って内心で処理されているように思いました。
なので、私はとりあえず問題を投げかけて各自で考えていただく機会をもっていただいただけで十分と思います。
それから、以前の話題でシルバーバーチが自分のところに来た(自分のヒーリングにはシルバーバーチが霊団として働きに来る)、という話についてですが、なんか、有名人になると親戚が増える、という笑える話がありますが、それと似ているような気がしました。
ヒーリングができるとして、それが誰から来ているものかなんて、どうでもいいのでは?と思います。
そういう宣伝?に乗ってしまうお客さんもたくさんいるんでしょうね。
シルバーバーチも本当にいるのなら、身に覚えのない「親戚」が増えて、困惑しているでしょう。
それから、8月12日に龍さんが質問されたことについて、そう思うのもごもっともだと思いました。私は試練が与えられることについてなぜかということは深く考えたことはありませんが、「それは魂の進化のため」というのはいわゆるスピリチュアリズムらしいと思います。私は「進化」という言葉は嫌い(せいぜい「進歩」)ですが、それはそれとして、私の場合は、試練が与えられても、それをうまく乗り越えて克服していくことに面白みを感じています。それが人生の幸福だ、と以前も引用しましたヒルティは言っています。そのためには神様が一緒についていてくれると思うと心強いのです。私は守護霊といったものの存在は否定しないとしても、直接神様とつながると考えてもいいのではないかなと思っています。
それから、輪廻転生についてもわからない、というのも普通はそうだと思います。私は、過去世や、死んだ後も魂が残っているということについてはあまり考えたことがありませんでしたが、最近は、そういうこともあるのかなと考えることで、生活の上でも読書でも面白く感じるようになりました。そのように発想すると面白いという程度からでもよいのではないでしょうか。
それから、皆さんに読んでみてとこの掲示板でかなり勧められました霊訓、たまたま開いた所に、「議論しあってはいけません。議論からは何も生まれません。」「議論しても、入ってきたのと同じドアから出て行くだけである」という詩人の言葉が引用されていました。イギリスの詩人の言葉を引用するなんて、随分イギリス人ぽい「高級霊」ですね。
また最近「他人と過去は変えることはできないが、自分と未来は変えることができる」という言葉を見ました。(自分が変われば周りも変わることがあるとも。)そのように、他人の考えを変えるというのは難しいことなのですが、でも、ペーパーバーチさんも1703のレスで、「勇気を持って言うべきことを言っていれば、」と書いてありましたが、私も自分の考えを伝える勇気は必要だと思います。
謙虚さが大事だから、といって黙っているだけではなく、言うべきことは勇気を持って言い、同時に他の人の意見に対してもよく耳を傾け、自分の価値観を押し付けるばかりではなく、寛容さも必要と思います。
あんまり完膚なきまでに叩きのめすと、シルバーバーチがいう「利他愛」とは離れていくのではないでしょうか。入ってきたドアから出て行くだけだとしても、気持ちよく出て行ってもらった方がいいような気がしました。
今日は東京も涼しくて、少しずつ秋の気配も感じられるようです。つれづれに書いてみましたけど、また火種になってしまうのでしょうか・・・私も心臓がそんなに強くないので、タイトルに「sukeさんへ」とするのだけは、勘弁してください。
追:これを書いてから、下のコロナさんの書き込みを見ました。コロナさんのおっしゃるとおりだと思います。
http://jns.ixla.jp/users/sukenyan599/