心霊学研究所

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)2001-2050の過去ログです。
(メールアドレスは、スパムメール防止のため過去ログ収納時に削除しています)

過去ログの目次][心霊学研究所トップページ


2047 日本政府にはめずらしく
名前: きりこ  投稿日: 2002年11月11日 (月) 21時10分20秒

北朝鮮に対して、筋のとおった交渉をしましたね。

イラク情勢も随分きな臭くなってきましたね。
このまま、イラクが決議を全面的に受け入れて、核武装解除してくれて、
アメリカがコブシを振り下ろせなくなるのが理想的なんだけど・・・

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)FNAfa-01p5-195.ppp11.odn.ad.jp


2046 激務・・・
名前: きりこ  投稿日: 2002年11月09日 (土) 04時13分30秒

ペーパーバーチさん、過労でしょうか・・・・・
休養取るのが一番だけど、実際問題、難しいんですね・・・仕事の時機や納期
がありますから、どうしても追い詰められてしまうことも有るわけで。

東京都も、いま一番忙しいのは財務局主計部予算課というところで、そこにいた人に聞くと、年内家に余り帰れないそうです。
数十兆円の予算査定を24人でやってるんだから、無理も無いか・・・
(その分、権力は巨大、警視庁予算もここが握っているし)
このような部局は優秀な人しか行きません。(私は間違っても行かないし、行く能力も無い)

ペーパーバーチさんも、きっと会社の中核戦力だからこその激務でしょう。
とりあえずは、食事のバランスを気をつけること、ビタミンC、E,亜鉛のサプリメントをとることが大事です。
サプリメントはアメリカ製がいいですよ。安いし、消費者のチェックが厳しいので日本製より安全だし。
http://www.456.com/cgi-bin/456/supplement.cgi

仕事を減らすことは不可能です。休んだら、たまるだけです。
それも給料のうちです。仕方有りません。
でも、体は出来る限りいたわってあげてくださいね。
あ、そうそう、インフルエンザのワクチンは絶対にやっておいたほうが良いですよ。
小さい子供もいることだし、父親の責任として、全員接種させましょう!

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)FNAfa-01p6-41.ppp11.odn.ad.jp


2045 お体お大事に
名前: たちん  投稿日: 2002年11月08日 (金) 15時49分52秒

 みなさま、こんにちは。たちんです。
ペーパーバーチさんが倒れられたとの書き込みをみて
びっくりしました。倒れた原因が何なのかは私には
わかりませんが、くれぐれもお体お大事になさって
ゆっくり休養をとってください。
 ここに書き込みなされているみなさんもペーパーバーチ
さんのこと心配してくださっています。
 ペーパーバーチさんへの高級霊、守護霊、そしてみなさまからの
暖かい愛情により、ペーパーバーチさんが元気になられるよう
祈っています。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)proxy2.gunma1.kt.home.ne.jp


2044 健康に留意してください。
名前:   投稿日: 2002年11月08日 (金) 04時23分04秒

ここの日記からペーパーバーチさんの仕事が激務であることが
わかります。

風呂場で倒れるのは、症状はどうかわかりかねますが、倒れた
後の体への影響が問題になります。頭部打ったりすれば脳に
影響がでるし、軽くても足の骨を折ったりします。

あなたを老人と比較できませんが、私の祖母は脳梗塞で
倒れたのですが、脳梗塞からの回復ははやかったのですが、
倒れたときに股関節を骨折し、金属の股関節を埋め込んで
やっと立てる状態でした。しかし、実際は股関節を動かすの
が痛く、寝たきりになり体力を消耗し、感染症で亡くなりま
した。

是非体には注意してください。あなただけの体ではないことは
あなたが一番わかっておられるでしょうから。

Mozilla/5.0 (Windows; U; Win98; ja-JP; rv:1.0.1) Gecko/20020823 Netscape/7.0achrsm001225.adsl.ppp.infoweb.ne.jp


2043 ペーパーバーチさま
名前: たま  投稿日: 2002年11月08日 (金) 01時42分08秒

いつも日記を読ませていただいているみんなが、ペーパーバーチさんご自身の健康をいま心配していると思います。それに今回の警告ランプはご自分でもサインであることがお分かりのようですよね? 言わずもがなのお節介はおばさんの専売特許と許していただいて、そこをさらに「人の言葉でのお願い」として一言。

実際、激務であることは誰も否めない状態にいらっしゃるわけですから、この際、プライオリティーを移行させてぜひ健康の確保をなさってください。反対に見えて実は「気ぃ遣いぃ」の方にはなかなか難しいこととは思いますけれど、そこをなんとか。
いくら見かけは青年でも、臓器や細胞レベルは誰も自然の法則に誰も抗えないこと、枝から離れたリンゴは空中停止はしないこともお忘れなく〜
くれぐれも御身、お労りくださいませ。

Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja-JP; rv:1.0.1) Gecko/20020823 Netscape/7.012-212-66-102.client.attbi.com


2042 大丈夫ですか?
名前: izumi  投稿日: 2002年11月08日 (金) 00時57分33秒

はじめまして。 心の充電が必要なときにいつもここにきています。
ペーパーパーチさん、お風呂で倒れたそうですけど大丈夫ですか?
お仕事あまり無理をされないよう気をつけてください。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)209.204.51.197


2041 Gardeniaさんへ
名前: もりふみ  投稿日: 2002年11月06日 (水) 17時28分06秒

Gardeniaさん、こんにちは。ペーパーバーチさん、みなさん、ご無沙汰しています。極寒の地まで外遊(無粋にも仕事ですが)に行っていました。

Gardeniaさん、なにごとであれ、辛いときは本当にどうしようもなく辛いですよね。でも、まぁ、辛いことの連続が人生そのものであり、そんな思いを何一つ経験しないのであれば、この世に肉体を持って生きている意味も、またその甲斐もないと考えてみてはどうでしょう?シルバーバーチ霊のみならず、この世に生きた古今東西の聖人、賢人、哲人たちの多くもそう喝破していることでもあり、人がこの世に生きるとは、実際にそういうことであろうと思います。一介の凡夫にすぎない私のような者でも、経験上、そう思います。

しかしながら現実に非常に辛い思いをしている真っ只中にあっては、そんなことをヒトから聞いたとしても屁のツッパリにもならない(ビロウですが、お許しを)ですよね。ですから、Gardeniaさん、ここをシノギ切るには、あなたが「自ら」シノぐしかないのです。乱暴のようですが、徹底的に辛い思いをとことんまで味わい、自責の念、無力感、絶望感、後悔の念、その他様々なイヤな思いにどっぷり、じっくり、時間をかけて浸り切ってしまうのです。そうすれば、必ずその先には、「考えてもしかたがないこと」と「考えてしかたがあること」の違いが見えてくると思います。そうすると、「考えてもしかたがないこと」即ち一言で言ってしまえば神(大霊)の領域に委ねておくべきことを、倣岸不遜にも自分の領域で考えようとしていたんだな、だから辛い思いを経験したんだな、ということが分かることになっている(笑)と私は思います。「考えてもしかたがないこと」を考えて辛くなるのは、本当に「考えてもしかたがないこと」であるだけでなく、とても傲慢でさえあることが分かり、いつしか(気がついたら)あなたはそんな思いから解放されている筈です。

重ねて言いますが、「自ら」シノいでシノギ切るしかありません。また、シノげるだけの力は必ずあなたにも備わっています。『怪力鬼神』にすがりつきたい気持ちは痛いほど分かりますが、これについては、下のたちんさんが仰る通りだと思います。

 以上は、あまりお役に立たないかもしれませんが、私の経験的知見に基づくアドバイスです。とは言っても、私自身、事柄の大小は色々ありますが、ほとんど絶え間なく上に記したような思考プロセスをたどらなければならないようなことを繰り返しています(なかなか“学習”できないのですね、これが)。お仲間はいくらでもいますから、Gardeniaさん、安心してシノいで下さい。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)p2144-ipad49marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp


2040 Gerdeniaさんへ
名前: たちん  投稿日: 2002年11月06日 (水) 12時49分04秒

 ペーパーバーチさんはじめみなさま失礼します

 Gerdeniaさん、こんにちは。たちんと申します。ゆっくり拝読させていただきました。Gerdeniaさんはヒーラーの方に自分の守護霊についてご見解をうけたそうですが、確かにそういう方に頼むのも良いかと思われます。しかし、私が思うに霊訓をいったん手にしたならもうそういったヒーラーと呼ばれる方に頼る必要はないと思います。ヒーラーの質によっては憑依してくる霊のほとんどが低級霊となると思いますので。で、いくら守護霊と自分の考えが合致したとしても低級霊ならそのぐらいのことは朝飯前で簡単にできます。つまり守護霊を装って登場してくるわけです。絶対、霊媒にたよってはいけないということではありませんが、交霊をする際には厳重な審神(さにわ)をしたほうが良いと思われます。私もまだ未熟ですから良質の霊媒でもさがして守護霊の声をききたいとか思うことはあります。でも、守護霊はいつも暖かく見守ってくれていますから、こちらからわざわざ低級霊に翻弄されるかもしれない危険をおかしてまで交霊を行おうとは思いません。
 困ったときには、守護霊、背後霊、高級霊の方々に深く祈り、助けをもとめ、そして、霊訓を読む、ぐらいのことである程度は乗り越えられると思われます。こちらからは、私達を見守ってくれる方々の存在は目に見えなくても、向こうからはきちんと暖かい目で私達のことを見守り、応援してくれています。
 人生は困難、試練の連続ですが、それこそが魂を霊性を向上させる糧になりますので、Gerdeniaさん負けないで頑張ってください。もちろん、私も一人間ですから、弱いところは結構ありますがなんとか頑張っています。Gerdeniaさんがんばってくださいね。ではまた、失礼致します。m(_ _)m

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)proxy2.gunma1.kt.home.ne.jp


2039 辛いです
名前: Gardenia  投稿日: 2002年11月05日 (火) 22時52分52秒

所詮現世は浮世 とは思いながらも、辛いことが多いとどうしていいのかわからなくなります。 私はまだ未熟者なので、辛いと感じるときにしか、ここの存在を思い出さないのかもしれません。 とあるヒーラーの方にお会いして、守護霊の声を聞いていただきました。 数年前にやはりとても辛いことがあったとき、毎日呪文のように繰り返していた言葉とまったく同じ言葉を守護霊からのメッセージだとして告げられたときに、悲しくないのに涙があふれて止まりませんでした。

この掲示板にくるとなぜか心が安まる感じがします。 

支離滅裂で何を書いているのかわからなくなりましたが、もっと素直に自分らしく生きていくための道を教えてもらえそうな気がして、今夜は久しぶりにこのHPにやってきました。 自分はとっても小さな存在ですが、その存在さえとても重くて耐えられないことがありませんか? そんなとき皆さんはどうされてるんでしょうか? これは皆さんへの甘えかもしれませんが、唯一、心のよりどころになっているので、もしこんな私にメッセージをいただけるのなら幸いです。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; AOL 7.0; Windows 98; Win 9x 4.90)cache-tok-aa02.proxy.aol.com

2077 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年11月20日 (水) 22時24分03秒
Gardeniaさん、こんにちは。心霊学研究所へようこそ!

さてさて、既にたちんさんやもりふみさんからも良いコメントが付いてますし、僕からはちょっと毛色の変わった……ええと、戯言でも書かせていただこうかと思います。まぁ、軽く聞き流していただければ(^^;。

「自分らしく」生きることですか……。難しいですよね。そもそも「自分らしい生き方」ってどんなふうなのかが分からない。たぶんGardeniaさんご自身にも、どんな生き方が「自分らしい」のか分からないんじゃないかと思います。かく言う僕にも、僕らしい生き方ってどんなんだろうというのは分からないですし(^^;。

なぁんて、分かったような分からないようなことを言ってますが(^^;、自分らしく生きることが、果たして本当に良い生き方、充実した生き方であると言えるんでしょうか? 自分自身に関する限り、たぶん僕程度のレベルの人間の「自分らしく」なんて、本当につまらないものにしかならなくて、きっと人生を振り返ったら「ああなんて“僕らしい”下らない人生を送ってしまったんだぁ」なんて後悔するハメに陥りそうです(汗)。

ま、それはあくまで僕の場合はという話でありまして、Gardeniaさんが自分らしく生きたら「下らない人生」になるというわけではありません。が、人間というのは今より進歩するためにこの世に生まれてくるのですから「自分らしく」と考えている限り、自分の生き方に不満が出るのは不可避のことであるように思われます。仮に自分らしく生きられたとしても、その瞬間には、既に自分はもっと先にいるわけですから。

つまり「自分らしくなく、より良い生き方」を目指すべきではないのかと……。「自分らしく」では、自分の殻を破れないでしょう? それじゃあつまらない……そう思いませんか?

自分の存在を重く感じてしまうのは、もしかしたらGardeniaさんが心配性で、深刻に考え過ぎていて、背負わなくても良いものまでいっぱい背負ってしまっているからかもしれません。それとも実は服の袖がちょっと引っ掛かっているだけで、気付きさえすれば案外簡単な事なのかも……。何だか分からないけど身動きが取れない……そんなときこそ素晴らしいシルバーバーチの霊訓に立ち返りましょう。ウソでもいいから笑顔になって、楽天的に、前向きに、楽しく、さあっ、より良い自分であるために、まずは何からやっていこう!と。そのためにやれること、やらなきゃいけないことは一生かかってもやりきれないほどあります。

たとえ今は五里霧中のように思えても、頭の片隅に霊的真理を置きつつ奮闘努力すれば、その試行錯誤の結果こそ、まさに自分らしい生き方なんだと思います。必ず道は開けます。人間の霊は、物質界の何者にも勝る存在なんですから。

それでもどうしても楽天的な気分になれないときは、気分転換に友達と会ったり、本を読んだり、映画でも観たりすることも時には必要ですよ。深刻ぶってる人なんて、善霊は助けたくても助けられないと思いますから。

ううん、あんまり大したコメントも書けなくて申し訳ないですが、少しでもヒントになれば幸いです。もえさんや、たちんさんへのコメントも、併せて参考にして下さい。

では。

http://www.paperbirch.com/


2038 ペーパーバーチさんはじめ皆さま、こんにちは
名前: たちん  投稿日: 2002年11月04日 (月) 00時50分08秒

 今回で3回目の投稿となります。たちんと申します。
>最近自分の中に良い人とそうでない人がいるのを感じます。
 
 という、もえさんのお気持ち、私も同じく思うところがあります。
私も、霊訓を読み常によりよい方向へ行こうと思いつつ、時々、動機が
不順で人をからかったり、いいふりしてみせたりすることがありますね。
 結構、シルバーバーチの霊訓にしても、一気に全て真理を理解するというのは難しいです。一度よんだだけではなかなか身につかないものだな〜とつくづく実感しています。頭では真理を理解できても、いざ実践となると日常生活の世界では相当な努力を要しますね。
 私は現在、大学生ですが人生の早い時期に霊訓と出会わせていただいたことに感謝しています。でも、まだ社会人でなく社会にでればもっともっと困難や辛酸がふりかかってくるでしょうね。しかし、そういう時こそ、霊性向上のチャンスですが、実際、今までの体験でも困難に出会うとなかなか対処できないものです。そういう時は、霊訓をひもといて人生の指針を今一度、確認しなおすようにしてます(本来は困難に出会うか否かにかかわらず霊訓は常に手元においとかなければなりませんが・・・)。
 皆さん、一緒に真理を片手に一歩一歩すすんでいきましょう。未熟者の私もがんばりますので。
 ではまた、失礼します(なんか、簡素な投稿ですみません)

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)proxy2.gunma1.kt.home.ne.jp

2076 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年11月20日 (水) 22時18分07秒
たちんさん、こんにちは。

大学時代は苦しいことも楽しいこともいっぱいありますよね。密度の濃い素晴らしい時期、大切に過ごして下さい。

さて「困難」や「辛酸」ですが、スピリチュアリズムを学んでいると、人生に於いて辛いことというのはだんだん無くなって行くなぁ、と、実は最近思ったりしています。本当にこの世の中に、純粋な「辛酸」などというものはサほど多くなくて(無いわけではない……拷問されるとか……どういう状況だ(^^;)同じ事象に相対しても、それを苦しいと思うか楽しいと思うかはその人の心の有り様次第ではないか、と。

霊的真理を学んで、霊界への信頼感や、それに基づく楽天性を身につければ、普通の人が死ぬほど苦しいと思うようなことも、結構楽に乗り越えられるようになるものです。

まぁ、そんなことを言っても、子供に障碍(広汎性発達障害)が見つかったことは、さすがの僕にとってもなかなかに辛いことではありましたが……それでも比較的早くそれを受け入れることが出来たのは、やはりスピリチュアリズムの知識のおかげだと思っています。今は娘と過ごす何もかもが、本当に心から楽しいですし、今までの人生で現在が一番楽しい時だと断言できるほどですから。

が、もしもスピリチュアリストとして培《つちか》ったものが無かったら、きっと未だに娘の障碍という事実を受け入れることも出来ず、悲しみにくれながら悶々と過ごしていたことでしょうね。(事実、頑として児童相談所などへ行こうとしない親はとても多いようで、娘と同じ保育園にも療育を受けられずにいる子供はいるようです)

……おっと、まだ大学生の人がこんな話をされても困っちゃいますよね。しかも微妙に自画自賛してるし〜(^^;ゞ。失礼しました〜。

http://www.paperbirch.com/


2037 始めまして。
名前: もえ  投稿日: 2002年11月01日 (金) 19時57分42秒

なんかドキドキしながら掲示板に書き込みをしております。
緊張します。
はじめまして、もえといいます。m(__)m
シルバーバーチさんというよりも精神世界に興味があり、最近シルバーバーチ
さんのほうに意識が向いたという感じで、検索でこのHPに
たどり着くことが出来ました。

あーりーさん、始めまして。
あーりーさんの書き込みを読んで思いました。

「私だけじゃないんだなぁ」と。
私もまわりから良い人ね〜優しいわね〜といわれるのです。
でも、心の中は見返りを求める心が毎回芽をだし、
清く?生きよう、なんておもっても、やはりそういう心がめぐるんです。
周りに言われることと自分とのギャップにいささか引け目を感じたり。
「そんなに良い人じゃないのよ〜〜〜」と…。
最近自分の中に良い人とそうでない人がいるのを感じます。
本当はこうしたら相手は喜んでくれる。(これが良い自分)
でも、相手ばっかりじゃ自分が面白くないもん(これがそうでない自分)

しかし、自分はいつから良い人になったのか、、いや見られるようになったのかしら?とふと考えることもあります。
あーりーさんも良い人を続けすぎて時々悪い自分になりたくなる
ことはありませんか?
私はそういうことがあるのですヨ。
でも、悪い自分になるとそのギャップが大きいのか相手にビックリされて
傷ついた!といわれ自分がシュンとなり、やはり良い人でいなければ
自分は人とやっていけないのではと、その繰り返しのような気がします。
人間って所詮(という言葉が適切かわからないけど)肉体をもって
生まれてきてるじゃないですか。
やっぱりダメな自分も認めてあげないと、楽になれないなぁとおもう
今日このごろです。何事もバランスですよネ。
シルバーバーチさんも魂と精神と肉体が健全であることが望ましいって
言っているし。

なんだか自分の愚痴のようなあーりーさんへのエールのような
よくわからない書き込みになってしまいましたが、
今回のことがあーりーさんにとっていい事のまえぶれだといいなと
思い、思わず書き込みをしてしまいました。

これからもHP楽しみに見てます♪
長々と失礼しました(^^ゞ

ではでは。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)ntsitm001074.sitm.nt.isdn.ppp.infoweb.ne.jp

2075 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年11月20日 (水) 22時06分53秒
もえさん、はじめまして。ようこそ心霊学研究所へ。

バランスというのは大切ですよね。人間というのは社会の中で生きている生き物なので、行動の動機の中にはその人の「内部からの衝動」と「外部からの働きかけ」の両面があるのは当然のことです。極端な例を言えば、誰かを「殺してやりたい」と思っても、それを禁止する法律があるからやれない、とか。もちろん殺人を犯さない理由のほとんどは「法律に触れるから」というより、自身の霊性が許さないからでしょうけど。でも、法律という外的な枠組みが無かったら、殺してやろうとか盗んでやろうと考える人が何倍も増えることは間違いないでしょう。

しかし世の中には法律があっても盗んだり殺したりしてしまう人もいるわけで、そういうのと比べれば、法律に抑止されて犯罪を犯さないだけのように見える人でも、実は内的な(霊性による)ブレーキも効いているらしいと分かるわけです。

っという前提の上で暴論を言ってしまいますが(^^;、この地上世界の99.99%以上の人は「内的な霊性による抑止」と「外的な法律による抑止」の両面に支えられて(犯罪も犯さず)生きているに過ぎないわけで……
「い〜やそんなことはないぞ自分は法律など無くても正しく生きられるのである」
などとノタマウ輩がいれば、おまえ嘘吐きだろと、僕なら間違いなく断罪することでありましょう(^^;。

でっ。何が言いたいかと言いますと(^^;、純粋な利他の心なんていうお題目に囚われて、自分は偽善者だなんて罪悪感に苛《さいな》まれるのはツマラナイよ、ということです。たとえ見返りを求める心があっても、他人から良く見られたいという欲があっても、そんなの人間なんだから仕方がないことだと思うんですよね。その中に一片でも真心があれば、その真心を通して霊界は働きます。大切なのは、たとえ欲というカスが付いているとしても、そうした真心を働かせる機会を無くしてしまわないこと。真摯な気持ちの比率を少しずつでも増やして行くこと。欲の部分から目を逸らして自分を本当の善人だと思い込まないこと……なんじゃないでしょうか。

勇気をもって行動しましょう。そして人から「良い人ね〜優しいわね〜」と言われたら……
「ああ、ホラ、僕って(私って)偽善者だからさぁ(笑)」
と、余裕の返答をしましょう。いや、それがスピリチュアリストとして正しい姿なのかは分かりませんが……(^^;。

http://www.paperbirch.com/


2036 こんにちは
名前: あーりー  投稿日: 2002年11月01日 (金) 12時44分17秒

久しぶりにこちらへ寄らせて頂きました。2回目の投稿にもお返事を頂き、大変遅くなりましたがありがとうございました。7月にシルバーバチの霊訓に出会って色々と思う事の多い毎日です。今日はまずこちらの「勉強会&座談会第1回」を読みました。1人で霊訓についてモンモンと考えるのもいいけど、読んで大変勉強になりました。ありがとうございます。最近、近藤千雄さん訳の「シルバーバーチ・・最後の啓示」の本を読みました。その中の「何事も動機が大切です」と言う1節にハッとしてしまいました。例えば私は仕事で「ひとのためにヨクそんな時間や労力をつかえるね〜」と同僚によく言われるけど、それは実は人からヨク思われたい、成功したら私の栄誉になる、それからこんだけ私があなたにしてあげたんだから、もし失敗しても私のせいじゃないよー、とか言う不純な動機から・・・・なんです。特に私の栄誉に繋がることとなったら家事も顧みずヤル傾向にあるんで、そう言う不純な心を見せ付けられた感じで悩みます。昨日も私の不純な動機が原因で私の大切な生徒さんの心を傷つけてしまいました。深く深く反省しています。自分と言う人間が汚く思えて眠れなかった。(で寝坊してダンナの朝ご飯作ってない・・あぁ〜なんでこんなに自分に甘いんだー!!相変わらず低レベル・・・)いつも何かしら失敗してしまう事は、私の場合やっぱり何でも不純な動機です。それなのに他人から「思いやりのある、いい人ね」と言われるのが最近つらいです。グチってしまいました。すみません。何の見返りも求めず、人のために何かをしてあげられる、そう言う人間になりたい。なんか涙でてきた・・・。一生懸命やりたいです。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)Ckrsk2DS02.oky.mesh.ad.jp

2053 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年11月13日 (水) 01時35分13秒
あーりーさん、こんにちは。

僕はスピリチュアリズムというのは、何か「こういうふうでなければイケナイ」みたいな固定した理想やら戒律みたいなのがあって、それから外れるのは全部ダメ……みたいなものではなくて、今より少しずつでも「より良く」あろうとする教えだと思うんですよね。

ですから「動機が大切」……その通りなんですが、しょせんこの世の人間など不完全なものなので、100%純粋な動機で無くても仕方がないというか、100%純粋な動機である必要はないんじゃないでしょうか? 僕はそのことを以前から「偽善も善である」「偽善でも何もしないよりはマシ」と、いつも言っているんですが、たとえ「自分をよく見せたい」「見返りが欲しい」という動機があったとしても、どうすれば相手に喜ばれるかと考えることが100%不純であるということも有り得ないと思うんです。その中の何割かは純粋な利他の部分もある(はず)。
(利己的な動機からの行為は、相手からは押しつけがましく迷惑と思われることが多いものです。そういう人が感謝されることはほとんどありませんから)

その証拠に、あーりーさんが「見返りが欲しくて」と思ってやっていた行為を、もしも一切中止したら、きっと気持ち悪くて仕方がないハズです。偽善だと思っていたものも、知らないうちに身についているんですよね。

ただ、まあ、投稿されたような自己嫌悪に陥るというのは、あーりーさんという人がもっと先に行ける可能性を持っているのに現状では出来ていないという事でもあるのでしょう。ですからこれからは、ご自分の動機の中の純粋な部分を、少しずつ増やして行ければ、それがあーりーさんにとって、いや、誰にとっても最善のことなのだと思います。自己嫌悪できるのは良いことです。それを前に進むエネルギーにして行きましょう。

http://www.paperbirch.com/


2035 「愛は真心、恋は下心」
名前: たま  投稿日: 2002年10月31日 (木) 19時07分08秒

ペーパーバーチさんはじめみなさま、こんにちは。

世界中が積年の鬱憤をそれぞれ一斉に噴出しだした感のある昨今の情勢動向を眺め、心から憂えている私なのですが、それが……只今私のプライベートも積年の鬱憤を噴出しているようでして、超多忙です(^^;。
一日を三倍濃縮で使う日々を過ごしているうちに、以前にコメントいただいたみなさまにはお返事もせずじまいになっていて、またはじめましての方々にも失礼したままにしてしまい、申し訳なく思っておりました。すみませんの上塗りになりますが、みなさまにまとめて、ありがとう&はじめましてを申します。特にTMHさんには、早速に私の質問に対して調べてまで答えてくださりありがとうございました。おかげさまでなんとなく、イメージ的にではありますが理解でき、これまたすっきりできて、嬉しかったです(^^)。

で、さて、こちらにふさわしからぬいきなりなタイトルで、どっきりした方、ごめんなさい。これは以前ある人が『自分の経験をもとに』定義した実にこの世的な「愛と恋の違い」らしいのですが、ちょうど私自身が現在与えられている課題(?)とリンクしたもので、持ちだしてきました。こんなタイトルで今回はなにを書こうとしているかといえば、そうですね、敢えていうなら、「魂の永遠」を納得した者にとって形而上と形而下をいかに融合させ得た生身であるべきかとのハナシを現実実情に即しかつ実感体験的にですね……まぁ、つまりは、今回も雑談ですね(^^;。
どうも露悪傾向に拍車がかかってしまっているのか、またも恥ずかしげもなく己を叩き台に上らせてしまいますが、多分どなたにも一度は身に覚えのある事柄でしょうし、呆れずちゃんと叩いてやってくださいね。
そうそう、とはいえ、一応恥ずかしく感じていることは間違いありませんので、肉体的精神的ならびに社会的に熟した大人の方のみお読みくださるようお願いします。

約一週間、私、壊れていました。どうしてもつい目尻が下がって顔がほにゃらけてきてしまうのを止められない自分。辞書をひきながら目の焦点は泳いでしまい、冷蔵庫を開けて覗き込んだまま何を取り出そうとしたのかも忘れて自分がフリーズし、腕がだるいのでふと見ると手にコーヒーポットを持ったまま冷めてしまったコーヒーを注ぎもせずにいる自分に気が付く…などなど、完全に常態でない自分を認識してしまいました。
病気に罹りましたね。お医者さまでも有馬の湯でも…の病気です。処置なしお手上げで、困りました。
しかしもちろん、そこはそれ、いい歳した大人であるわけですので、この「病気に罹っている自分」をまた外からまじまじと見つめ、自分を肴にいろんな新たな発見をしてはおもしろがっている自分もちゃんといたわけです。

ハナシは少し前に遡ります。やっと自分にとっての婚期の到来と確信し実現に向けて努力を始める際、私はあるひとつのことを決めていました。「人間性だけを見て相手を決めたい」ということでした。なにしろこの身は、いろいろな現実社会を断片とはいえすでに多く知ったしまった境遇。それに第一、どんな形どんな設定の結婚であれ、自分の成長にとって必要なことしか起こらないと信じてしまった者には、ある意味、その条件付けは自分のその信頼へのチャレンジとも思ったものですから。
そして踏み出した道でしたが、まぁ、いろんなパターンを見ては苦笑失笑し、相手の欲しかったものが見えて「え、そんなものが欲しかったの?」と虚を突かれたり吃驚したり呆れたり、目が点になったこともしばしばで……と、ここらは以前書いた通りです。

「この世は所詮夢の浮世」と納得してしまっている者はこういう場合対処に困り、なかなかに大変でした。思うにどうも、世の中にはひとり勝手に年中浮世で悪夢にうなされ続けている人が多すぎなのでしょうね。
相手がどんな欲を持っている人なのか--世間でよくいう「価値観」というやつですね--がチラチラと覗くことは、若いうちは単に恋への興醒めで済んでしまうものだった覚えがありますけれど(私だけ?(^^;)、少しは世の中を知りかつ「魂の永遠」を納得した者にとっては、あらためて結構きつい自分への試練になります。好むと好まざるに関わらず相手の形而下の世界にどっぷりと浸らねばならなくなり、また、ずぶずぶとそれに浸りながらも、相手から起こされるアクションの一つ一つに対して自分なりの形而上に照らし現実的対処リアクションを時々刻々考えていくわけですから、頭も心も忙しいのなんの。
まして結婚相手を選ぶという実にあからさまに人の欲の姿が見える設定は、相手の欲のベクトルが直截に自分に向けられるものなだけに、とてもとても、いやになるほどとても、欲の根の構図--その欲が出てくる人生背景まで含めて--が分かりやすいですよね。

とうとう、「そうか、人間性『だけ』で相手を決めなくて済むように、すべての人に赤い糸が繋がっているように、そのために世の中にはこんなにいろんな『欲』というものがわざわざ縦横無尽に溢れさせてもらってあるのか!」と、神の大いなる配慮、すべての人への洩れない緻密な愛に改めて気が付き、本当に頭が下がってしまいました。大真面目に、ですよ。
それにしても、この世とはなんとうまく不必要なものなく配剤されているのでしょう。欲は、なくそうと自分を磨くためだけにあるものでなく、人様の欲の姿、それらの絡みあう姿を見ることが、こんなに自分を磨くのに必要なものだったのだと改めて認識を深めた次第です。「人は人で磨かれる」とは、まさに言い得て妙。これも納得してしまいました。

そこへ突然事件が起きました。私が病気に罹ったんです。
おもしろいことに、発端は「男は『自分を愛して』くれる人を『好き』になるもの」という、少し前の私の雑談へのペーパーバーチさんのコメントでした。実は私、「男に限らず女だってそうなのでは?」と思ったんですよね、あれを読んだときに。
そうしたら、来ましたよ、「じゃぁ、おまえはどうだい?」という課題が。
超ド級内角ストレートが深々とハートを直撃…です(- -*)。
メールはもちろん、毎日欠かさぬ超遠距離コール、極めつけは機上の時間の方が長そうなのに連休にとんぼ返りで会いにくる。それでいて一度も「好きです」などと嘘っぽいことは言わず「俺を知ってほしいから」とはっきり言う正直者。いつも私が笑っていられるように話題をふり「また笑わしたるな」と電話を置く。おまけにアホになり切って熱中できることを持っている少年でもあり、賢い部分はちゃんと賢い。(描写はすべて私の主観。フィジカルな面についてはご想像にお任せということで、自粛(^^;)。
さすがです、天の緻密な配剤は、なんと私の弱みをリサーチし尽くしていることか。ここまで揃えるか…と驚かされました。
もちろんそれは私に劇的に効きました。なにからなにまで自分の好みを目の前に揃えられて効果の出ないはずはない。あれよあれよという間に、さきほど書いた状態に陥りました。無条件降伏状態、いわゆる「恋」という病気に罹ったわけです。
時代も民族も越えてしばしば人間を翻弄してしまうこの病気、なかなかに厄介であることはどなたも否定なさらないことでしょう。
人間性だけで結婚相手を決めようとしている女にとっても、もちろんこの病気は大敵です。ニュートラルな自分と自分の目を保てない状態になってしまうわけですから。「結婚前には両目をしっかりと開き、結婚後には片目を瞑れ」が、逆になりかねない、いえ、このままでは両目を瞑ってしまいかねません。まずい。

自分に懇々と言いました。
これが所詮病気であることは、すでにいままでの体験で知ってしまっている。ここで流されちゃいけない。さて、どうする? 何かいままでの私が得ていなかったもの、見落としが、この状態の根本にあるはず。まずはその課題へのキーを探るべし。
集中力の失せた頭でさらに考えます。
いままでに何度こういう感情に振り回され、自己精査もそこそこに流れに流され、自分のすべき決断まで相手任せにしてきた? それが自分の望まぬ結果を呼ばなかったか? その度に次の相手への期待のみが膨れただけで、結局は自分が得るべき答えを得ずにきてしまわなかったか? 私にはなにか得るべき答え、こういう場面でこなさねばならなかったはずの「見落とした課題」があるはずだ。

キャベツになった脳みそと、それでもこのままずるずる流されてしまいたい〜と演歌歌いながら駄々を捏ねる病気の心とをヨイショッと絡げ上げ、いま一度改めての自己精査を決行。
そしてふと浮かんできた言葉が、「愛は真心、恋は下心」という以前聞いた戯言でした。もともと発せられた意味でではもちろんありません。しかしこれを今の自分に定規として当ててみた時、どこかでパチンと鍵が外れた感覚がありました。そう、この病気は、なんとも単純に私の下心=見落としていたある欲(具体的内容は今はご容赦を)に起因していたものだったんですね。
そこに気が付けば、あとは勝手知ったるいつもの手順。いつそれを溜め込んでしまい、なぜ今まで自分がそれを見ないように蓋してきたか、なんのために蓋したのか、などなどをひとつひとつチェックし、反省すべきはし、今後その欲を自分はどう扱うかを確認していく作業を続ける……と、あーら不思議。その欲の骨組みと礎石が見えた時、スーッと自然に病気が収まっていってしまったではありませんか。
「正解!」の鐘が鳴ったのを感じました。
もう白日夢に惑わされることもなくなり、その相手を冷静に見つめられるようになった…はずです。少なくとも自分をコントロールするステアリングは辛うじて取り戻せた感じはあります。
人様の欲をいろいろ見続けているうちに自分の欲の根も見つかったとは……。本当にいつも感じますが、この世での勉強のコースとは各人それぞれに丁寧にオーダーメードされているんですねぇ。分かっちゃいましたが、またまた感服。
だからキーワードになってくれたあの戯言にちょっと付け加えたくなりました。「愛は神の真心、恋は己の下心」。

こうしてまたひとつ勉強させてもらい、自分を磨くことができてよかったよかった……なのですが、考えてみれば、もしかすると、私は結婚への一番大きな推進力である「盛り上がりと勢い」を自分で殺いでしまったのでしょうかね。えーと…(^^;。
いやぁ、夢の浮世では笑うしかないことが次々起こりますよね。でも、ま、なんとかなるでしょ(^^)。
病み上がりのまま登場して長々雑談、失礼しました〜。

Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja-JP; rv:1.0.1) Gecko/20020823 Netscape/7.012-212-66-102.client.attbi.com

2074 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年11月20日 (水) 22時02分53秒
たまさん、こんにちは〜。二週間遅れのコメントご容赦。たまさんの発言って、いつも「なるほど〜」と納得してしまうばかりでコメントするのが難しい。今回はちょっとだけ合いの手など……(^^;ゞ

|とうとう、「そうか、人間性『だけ』で相手を決めなくて済むように、すべての人に
|赤い糸が繋がっているように、そのために世の中にはこんなにいろんな『欲』という
|ものがわざわざ縦横無尽に溢れさせてもらってあるのか!」と、神の大いなる配慮、

ふむふむ。人間性にもいろいろあるでしょうが、もしもそれ“だけ”で決められるとしたら、結婚も付き合うのも本当に一部の人だけしか出来なくなってしまいそうですもんね。そしたら地上生活を学びの場として活用することも難しくなってしまいます。いろんな欲があって、その欲の数だけ各々惹きつけられる“フック”があって、その欲に振り回される事も地上ならではの学びの機会なんでしょうね。欲の数だけ学びの機会もあるということか……。なるほどねぇ。


|おもしろいことに、発端は「男は『自分を愛して』くれる人を『好き』になるもの」
|という、少し前の私の雑談へのペーパーバーチさんのコメントでした。実は私、「男
|に限らず女だってそうなのでは?」と思ったんですよね、あれを読んだときに。
|そうしたら、来ましたよ、「じゃぁ、おまえはどうだい?」という課題が。

ふふふ、新たな学びの発端を勤めさせていただけたようで光栄です(^^;。


|こうしてまたひとつ勉強させてもらい、自分を磨くことができてよかったよかった…
|…なのですが、考えてみれば、もしかすると、私は結婚への一番大きな推進力である
|「盛り上がりと勢い」を自分で殺いでしまったのでしょうかね。えーと…(^^;。

その通りかも……。欲を何もかも邪魔者扱いして潰してしまうのではなく、制御しつつうまく開放してやって、生きる活力(盛り上がりと勢いと言ってもイイですが(^^;)として活かす必要もあるんじゃないかなぁ……と、僕は時々思ったりします。食欲・性欲・睡眠欲……そればっかりではいけないにせよ、欲が無くては人間は生きて行けないものですから(^^)。

http://www.paperbirch.com/


2034 ホワイトーイーグルさん
名前: ハナリン  投稿日: 2002年10月29日 (火) 05時38分52秒

はじめまして、ですね。
(たびたび登場してすみません)

ホワイトイーグルはシルバーバーチと時期を同じくしてスピリチュアルズムに貢献した存在ですね。

シンプルですが、力強いメッセージをもっています。
私もかなり影響を受けました。

私のHPでもお勧めの本を紹介していますが、ホワイトイーグルは桑原啓善さんが訳した本が何冊か出ています。

でくのぼう出版から出ています。

http://www2.odn.ne.jp/~ohana

Mozilla/4.7 [ja] (Macintosh; U; PPC)TBTcd-20p1-39.ppp.odn.ad.jp


2033 はじめまして
名前: ホワイトーイーグル  投稿日: 2002年10月26日 (土) 15時20分07秒

いきなりで、あつかましいかも知れませんが、スピリチュアルな
意味での「ホワイト・イーグル」とは何を示唆しているのでしょうか?
検索で調べていますが、どうも腑に落ちないのです。
(ここも検索でホワイトイーグルを探していて発見しました。)
そういう名前の書籍もあるみたいですが・・・・。
なんか、そのホワイト・イーグルが象徴する「意味」を知りたいなあ、
と思いまして、、、宜しくお願い致します。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; Win 9x 4.90; Q312461)213.42.1.172


2032 純さんへ
名前: ハナリン  投稿日: 2002年10月26日 (土) 09時13分41秒

はじめまして、純さん。
私のわかる範囲ですが、人間の姿は生きている人が認知するためにまとうものなので、変化自在のようです。

あるいは霊界に入りたての頃はエーテル体などの影響を受けているので残像として残っているのかもしれません。

あちらでは霊格がそのまま現れてきますので、本当は光だけの姿ではないでしょうか?(逆に真っ黒な固まりになることもあると思います)

http://www2.odn.ne.jp/~ohana

Mozilla/4.7 [ja] (Macintosh; U; PPC)TBTcd-20p1-178.ppp.odn.ad.jp


2030 拉致被害者の件でお願い
名前: きりこ  投稿日: 2002年10月21日 (月) 05時09分14秒

おはようございます。
みなさんもよくニュースでご覧になっている拉致被害者の5人の方の件ですが、いまは国中が熱烈歓迎ムードになっています。

それはそれでいいのですが、我々日本人というのは熱し易く醒め易い国民性をもっていまして、今回の件も、彼らが帰国した途端、忘却してしまうのではないかと心配です。
この件は、国民全体として、深く考えていかねばならない問題です。
拉致問題を引き起こし、外交合意を反故にして核開発を進めているような残虐・冷酷な無法軍事独裁国家との国交正常化交渉を、どのように進めるかということが大変重要な問題でもあるのです。
関心は強く持ちつづけるべきでしょう・・・
もちろん、個人的には深く心配しつづける方が多いのはもちろんですが、
一般的に、マスコミは程度の差こそあれ、新しいネタを常に捜しつづけています。
あたらしいネタがあれば、本当に重要なニュースでも無視してしまうところは問題です。
一番酷かったのは、阪神大震災の報道でした。
一月に発生したあと報道をしていたのは3月まで、例のサリン事件が発生した途端、一気に報道体制をサリン・オウムにシフトしてしまいました。

私は震災後、一年間被災地域の自治体に派遣されました。(応援として)
マスコミの取り上げがあまりにもオウムに偏り、阪神地区の被災者の苦しみに付いては、殆ど取り上げられなくなってしまい、被災地区以外の人達の関心が
急激に薄れていくことを、肌で感じていました。
それにつれ、政府の対応も変わっていきました。
大変悲しかったです。

だから、今回の件でも、内容はともかく、関心を持ちつづけることが大切だと思います。マスコミが報道しなくても、関心を持ちつづけていれば、情報は手に入るものですの。(その為のインターネットでもあります)

マスコミによる重点報道がいつまで継続するか不明ですが、日朝国交正常化交渉問題もあり、今後継続する国家としての重要課題です。
国家の問題というのは、我々国民自身の大問題でもあります。

だから、この件に関しては、一過性の興味ではなく、継続的に関心を持っていただきたいと思います。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)FNAfa-02p1-101.ppp11.odn.ad.jp


2029 ペーパーバーチさんにお願い
名前: きりこ  投稿日: 2002年10月18日 (金) 22時12分04秒

掲示板はなくさないでください。
人間には誰しも、良心の部分と低俗(悪い)な部分が同居しています。

実のところ、低俗なレベルでの会話というのは、身の回りで事かきません。
(恥ずかしながら)

しかしながら、スピリチュアリストの方々と、意思疎通が出来るのは本掲示板しかありません。日常生活においては、非常に困難なこと、稀有なことなのです。(残念ながら)

だから、掲示板の休止はとりあえず、さておいてくれませんでしょうか。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)FNAfa-01p6-241.ppp11.odn.ad.jp

2052 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年11月13日 (水) 01時34分05秒
ごめんなさい。心配させてしまいましたね。

根本的には、それが必要なものであれば必要と思う人がそれを作るというのがインターネットの本来の姿だとは思いますが、いきなりこの掲示板を無くしてしまうような乱暴なことをするつもりはありませんのでご安心ください。最低限、有希さんのサイトで掲示板が復活すれば、あるいは無くすこともあるかもしれませんが……。

ただ、以前のひろりんさんのように(そういえばあれから音沙汰が無いな……(-_-;)続ける義務が僕にあるかのように思い込む輩が出てはかなわんので、「もしかするともしかするよ」という可能性は残しておこうかな(^^;。

http://www.paperbirch.com/


2028 拉致被害者の方々
名前: ははぎく  投稿日: 2002年10月18日 (金) 09時58分52秒

毎日記事を読むと泣いてしまいます。今日載っていた曽我さんのメモ文も、心にしみて、涙なくして読めませんでした・・・

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90)FLA1Abs039.tky.mesh.ad.jp


2027 テスト投稿を兼ねて……
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年10月18日 (金) 04時00分03秒

どうも。ペーパーバーチ@管理人です。お久しぶりでございます(_ _)

あまりにも仕事が忙しくて(会社に泊まったり(^^;)しばらくネットから遠ざかっていましたが、そろそろ帰れそうかな……というわけで、ちょっとだけ掲示板の仕様変更しました。投稿の最大記録数や一ページあたりの表示数を拡大。投稿用フォームは別ページを開くようにして閲覧しやすくしました(投稿はタイトル下いちばん左の「投稿フォーム」から)。

一部、元のプログラムでは設定出来なかったことを実現するため、CGIを書き換えている部分があります。不具合が出たら元に戻すかも知れません。せっかくの投稿が消えてしまったりはしないと思いますが……。

●今後の予定
 ・掲示板の色を変えてみたり……
 ・少し表示をスッキリさせたいなぁ
 ・書き込みと、もしかしたら閲覧にもIDとパスワード必須にするかも(しないかも(^^;)
 ・コンテンツの充実に注力するため、掲示板そのものを休止もしくは廃止するかも(じっくり書きたい構想があるので。掲示板やめたら書く時間ができるかな〜、と)。掲示板が無くなったらカウンターがどれだけ回らなくなるか、も興味あるし(^^;
 ・自分以外にも「スピリチュアリスト」と呼べる人がネット上にたくさん出て来たので、そろそろペーパーバーチというハンドルは変えたいかな〜。初めてペーパーバーチを名乗った8年前は、シルバーバーチファンなんて自分以外には一人も見当たらなかったから良かったんですけどね。今は気恥ずかしい(^^;。

http://www.paperbirch.com/

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)j068110.ppp.asahi-net.or.jp


2025 え、ははぎくさん、ばれてましたあ?
名前: きりこ  投稿日: 2002年10月17日 (木) 20時27分31秒

うーん、ちょいと東京ディズニーランドに泊りがけでいってきまして、
(近くても、泊りがけのほうが数倍楽しいので)
その道中に読んだ雑誌でクダンのバリの件を読んで、つい書きこみました。

が、

本掲示板で俎上に載せるほどのレベルの話じゃないなあと、思って、削除してしまいました。
うーん、みてしまいましたね?

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)FNAfa-02p6-56.ppp11.odn.ad.jp


2024 じゃあ余談を一つ
名前: TMH  投稿日: 2002年10月17日 (木) 16時56分53秒

北朝鮮の拉致被害者の帰国、家族との再会のシーンは感動的でしたね。
うーん、25年ぶりか……。
全然関係ないんですが、この世の肉体を脱ぎ去ってあの世で死んだ身内と再会する時も、
あんな感じなのかなあ、と思って見てしまいました。

それから再会できなかった家族の方々はさぞお辛かったでしょうが、
いずれかの世界で会えるのは間違いないから、
それまでの辛抱ですよ、と心から思わずにはいられませんでした。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows 98)ns.asahino.or.jp


2023 ありゃ?
名前: ははぎく  投稿日: 2002年10月17日 (木) 14時36分59秒

きりこさん、削除されました?
ずっと一番上にあるのは、なんだか恥ずかしいです。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90)FLA1Aak148.tky.mesh.ad.jp


2021 きりこさん、そうですね
名前: ははぎく  投稿日: 2002年10月13日 (日) 15時50分10秒

山田さんの投稿に同感でした。中田さんの件だけでなく、霊界とのかかわりをもう一度じっくり考えてみようと思っていたところでした。

私たちも界の異なる霊ですから・・・今まで世界の人類に教えられた真理以上のものでなければ、霊界に教示を仰ぐこともないと思います。私も霊体質で、霊界に興味をもったりしますが。でも、自分の内に神は宿っていますので・・今この場の平凡な日常を、まごころで生きることがすべてだ・・・私は単純にこのように思います。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90)FLA1Aag043.tky.mesh.ad.jp


2020 ありゃ?
名前: きりこ  投稿日: 2002年10月11日 (金) 21時28分42秒

山田さん、こんばんわ。
投稿、削除したのですか?

中田さんのホームページの件ですが、内容的な話に付いては、多分、
山田さんの意見に近い人も多かったと思います。

ただし、ただし、

私としては、中田さんが最愛の息子さんを無くされたご遺族と言うこともあるので、
公共の(?)掲示板で内容に意見するのは、
どうかな?
と、思っていました。
うーん、うまく言えませんが、分かっていただけます?(笑)・・・・

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)FNAfa-01p1-165.ppp11.odn.ad.jp


2018 ベトナム帰還兵患者の詩
名前: sei  投稿日: 2002年10月09日 (水) 00時15分25秒

帰宅しました。
今回の治療が姉にとって最後の物になるかどうかは誰も知りません、しかし、最後まで希望を捨てず最善を尽くすことが、今生に生きて居ることの意味であり学びなのではないかと、その時間を少しでも共にすごして行きたいと望んでおります。

本日そこのクリニックに掛けてありました詩に心打たれコピーを頂いてきましたので投稿させていただきます。

★ニューヨークリハビリテーション研究所の壁に書かれた詩

大事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことが出来るようにと
健康を求めたのに
よりよきことが出来るようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった

人生を享楽しようと
あらゆる物を求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
生命を授かった

求めた者は一つとして与えられなかったが
願いはずべて聞き届けられ
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中に言い表せない祈りはすべてかなえられた

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ

この詩を読んだときに魂が振るえる感動を感じました。
己の幸不幸の基準さえ見間違うことなく生きていけたら、どんなに幸いであるか、真実の言葉は語りかけています。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0; Q312461)y170238.ppp.dion.ne.jp


2017 訂正させていただきます。
名前: 亀甲萬ん 8  投稿日: 2002年10月08日 (火) 23時32分55秒

亀甲萬んですが、わたしは人の気持ちを推し量るのが得意じゃあり
ませんので、きっと知らず知らずのうちに皆さんを混乱させていた
ことと思います。
ほんとうに申し訳ありませんでした。深くお詫び申し上げます。
ここはスピリチュアリストに賛同もしくはそれに関心を示す人たち
の掲示板であって、それを逸脱した記事を投稿することは、読む人に
混乱と不快な感情を与えるだけですね。
こんなこともわからない馬鹿な人間というか、人間見習い中の身の
上ですので、どうぞ皆さん、許してくださいませ。
今後、きちんとした教育をさせますので、ご了承くださいませ。

わたしは神でも何でもありません。「わたしの神」って一体なん
だろうとさらに困惑した人も多いでしょう。わたしはただのこいつ
の教育係で、こいつのじいちゃんみたいなもの。
勝手に神と信じ込んで、わたしも随分困っていたのですが、本日
やっと理解してくれました。こんな奴でも親友と呼べる優秀な
会社社長がおって、その友人がわたしをやっと解放してくれた
ので、とても感謝しておるところです。

ここの皆さんにも、心から感謝させていただきます。
ここに出会わなかったら、神様と勘違いされたまま、しばらく
平行線で言っただろうと思います。
わたしが神様という言葉を使うのは、ちょいと恐縮至極では
あるんだけれど、神様は皆さんの心を静かに見つめていることは
わたしが保証するよ。一度死んだ人間が言っているのだから、
間違いはないはずだがね。文章の表現が何か変だと思われるかも
しれないけど、こいつとわたしのバランス状態(陰陽の流動性)
に起因するモノなので、ご了承ください。

どんどんけんかしても構わん話しだけど、掲示板じゃなくてメール
という便利なものもあるので、血気盛んなことはそちらでやるのが
ええと思うよ。ここには毎日たくさんの人が訪問していただいて
いるようなので、せっかく神聖なものを求めてきたのに、気分を
害して返ってしまっては、その人の命に関わることになる。
解放されたわたしもそうだが、ここに救いの手を求めてきた人の
ためにお願いしたい。
詳しく読んでいないので事情はさっぱりわからんけれど、霊である
わたしの感情にもチクチク来る文章なので、気をつけたほうが
いいと思うんじゃがね。言葉は相手の霊性に深い傷をつけ、その後
はみんなもだいたい予測がつくというか、勉強していることだと
思うんだがね。

変なメールで本当にすまんがった。許して欲しい。
でもここに来れたことを本当に感謝しているよ。
ありがとう。みんなハッピーになってくれよな。

気が向いたらまた来るよ!
神様とあなたたちの守護霊様たちに心から感謝するよ。
ほんとうにありがとう。今度はいつでも呼んでくれ。
それじゃ、またな。
ちょっとキザだったかな? 一度やってみたかったんだ。ごめん。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)ntehme008088.ehme.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp


2016 SEIさんへ
名前: きりこ  投稿日: 2002年10月08日 (火) 21時41分12秒

SEIさんの投稿・最後の数行、お姉さんの話、感じることが多くあります。
きっと、私だけではないでしょうね。

おそらく、スピリチュアリズムに多少なりとも造詣があるという人は、苦難に出会い、自暴自棄になることなく、それから学んできたという人が多いと思います。

私は病気というのは、人類が克服すべき宿阿なのだとおもいます。

お姉さんを大切にしてあげてください。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)FNAfa-02p6-188.ppp11.odn.ad.jp


2015 ははぎくさん、ペーパーバーチさんへ
名前: きりこ  投稿日: 2002年10月08日 (火) 21時00分50秒

生きていくというのは、苦難があったとしても、霊訓という錨と羅針盤があれば、その意義を深く考えることが出来ます。
喜び、平安、愛も然りです。
悲しみからしか学ぶことが出来ないと言うこともありません。
辛いことも多いですが、人生というのは素晴らしいこともいっぱい有りますよね。
そこからも、大変有意義なことを学ぶことが出来ます。

本当に、スピリチュアリズムというのは人生航路におけるGPSだとおもいます。
辛いことって、多いですからね。
全ての人生に無駄なことなど無いはずです。全ては、綿密な計画に基づいた有意義なものなのだと思います。
でも、スピリチュアリズム的思考が無ければ、様々な境遇も、単なる苦痛になってしまうと思います。

スピリチュアリズムは人生のGPSです。錨です。
素晴らしいものに出会えた人生と、それを選択した自分自身にとりあえず感謝しましょう・・・

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)FNAfa-02p6-188.ppp11.odn.ad.jp


2014 意識調査
名前: 岩城  投稿日: 2002年10月08日 (火) 18時39分01秒

>ま、どういう結果が出ようと痛くも痒くもありませんから、どうぞ気の済むまでやってください。

>どうぞとは言いましたが、批判的なコメントをしないとは一言も言ってないはずですがねぇ。

すみませんでした。「痛くもかゆくもない」の本意をくみ取れなくて。

>|同じ土俵におられるじゃないですか。「同一人物説」と。

>その物言いから想像するに、ご自分たちが狂騒状態で大喜びの「同一人物説」が低俗なものだという自覚はあるわけですね(^^;。

いえ、「“あなた”が口汚くののしっている」事実を言っています。「狂騒状態で大喜び」「低俗なもの」との認識は私ではなく“あなた”の認識だからです。その“あなた”が同じ土俵で勝負しようとしていることが滑稽だと申し上げたつもりです。

>一旦書き込まれて、人の目に触れた以上、その発言に対する責任を負わねばならないのは当然のことです。

おやおや、生半可な知識でもって、江原氏や山村氏、その他に対する誹謗中傷を垂れ流し状態の貴方のお言葉とは思えないですね。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)averillpark.k12.ny.us

2051 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2002年11月13日 (水) 01時33分13秒
ま、まさかこの掲示板で行われた議論を読んだ上で、いまだに江原さんがマトモなスピリチュアリストだと思っているとか……だとしたらホントの(以下略(^^;)。まあ、あれこれ書くとまたポイントをずらしたコメントが返ってくるだけですし、今回は要点のみ。

で、結局「ジョイ=ペーパーバーチ」説をこっそり削除した(こっそり取り下げたと言っても構いませんが)理由は何なんです? あれほどハッキリと同一人物と断定して、「落ちるところまで落ちてしまいましたね」とまで言ったのですから、こっそり削除して無かった事にしようなど、見下げ果てた卑怯者の所業と言うほかありません。なぜあの発言を取り下げたのですか? そしてそれに関して何か言う事は無いのですか?(これを書くのは2回目)

もう一つ。「コロナ=ペーパーバーチ」説は明らかな誹謗中傷であり、そのような主張を展開するからには、あなたにはそれを証明する義務があります。まずは先般書いたように@NIFTYに問い合わせること。全てはそれからです。(こちらは3回目)

http://www.paperbirch.com/


2013 saiさん、ありがとうございます。
名前: 亀甲萬ん  投稿日: 2002年10月08日 (火) 14時25分41秒

saiさん、こちらこそはじめまして。
今後ともよろしくお願いしますね。

> ここ数日あまりにたくさんの事があり、己の感情に翻弄されながら
> 泣いたり苦しんだり生きていることに疲れ果てたり・・・・小さな
> 自分しか見れずに生きておりました。

それって誰でもあることですよね。わたしも自分の浅はかさに愕然と
することが多くありましたが、神様に助けられて生かしていただいて
います。生きることに失望することも人間あるんですよね。

> 竜神様のお話
> どのような形にしろ、霊的な体験をされるということは意味のある
> ことのように思えます。きっと、それが今の亀甲萬んさんに必要な
> ことだからなのでは無いでしょうか?私自身は神仏は己の中に内在
> する者であり、他に求め他に見出す者ではないと思っておりますが、> それは私自身の解釈であって、それを人様に共用する物でもあり..

どうもありがとうございます。
実は龍神様も日本には実在するらしいと感じているだけで、まだ
龍神様に会ったことはないんです。
わたしもsaiさん同様、神仏は心の中に実在していると実感
しているものの一人です。というのは、わたしの中に存在する
もう一人のわたし、神と対話するからです。
ですから、わたしとわたしの神、わたしの友人(同僚)という
形で普通に会話したりするんです。当然、わたしと神の話し方は
異なりますし、次に神様が何を話されるのか予測もつきません。
わたしやわたしの友達が知らないことを、たくさんの例えやヒント、
なぞなぞを使って導いてくれるのです。
こんな生活ちょっと変かな?
まあ、わたしが一人でいるときよりも、相手がいるときに、
その人にふさわしい情報をヒントを出して教えてくれるんです。
ですから、便利な先生といったところでしょうか?

これを理解して欲しいと思う気持ちもありますが、身近に会って
もらわないと理解するのはむずかしいだろうと思います。
だから、理解して欲しいとか、信じてくださいなんていいません。
ただ、今の時代はそんな時代になってきているという話しです。
わたしみたいになっている人、わたし何人か知ってますよ。
別に霊界と地上界をムリに区別する必要もないし、隣の人と会話
しているぐらいで受け止めてもらってもいいかと。
龍神様は隣町にこんな人がいるみたいだけど、じゃ今度機会が
あれば会ってみようかなって、そんな気分でしょうか?

もしかしたら、その龍神様は豊玉姫のことをよく知っているかも
しれないので。まあ、今のところそんな気分じゃないというか、
ちょっと現実の仕事をがんばんないと・・・

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)ntehme006174.ehme.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp


2012 今日この頃・・・・
名前: sei  投稿日: 2002年10月08日 (火) 06時39分01秒

ペーパーバーチ様 皆様
ご無沙汰しております。seiです。
ここ数日あまりにたくさんの事があり、己の感情に翻弄されながら泣いたり苦しんだり生きていることに疲れ果てたり・・・・小さな自分しか見れずに生きておりました。

でも、そのような状態の中でもこちらの掲示板は日課のように毎日(日に数度)拝見させて頂いておりました。色々な意見が飛び交う中私が感じた事を今やっと少しでも皆さんとお話が出来る状態になったので投稿します。

まずは、私があまり教養の無い人間であるために文書力が乏しいという事を書いておきますので、そうおもって読んでくださいね、自分の気持ちをどれだけきちんと文章にまとめられるか不安があります。

きりこさんへ
つらいこと、悲しい境遇について
日々起きる事件事故の中に、必死でその意味と必要性と光を見出さなければ生きていけない現実が、私をスピリチュアリズムに出会わせたのだと思っています。私は弱い人間です。
きっと、スピリチュアリズムに出会うことが無ければ自ら命を絶っていたかもしれないと思うことがしばしばありました。
しかし、シルバーバーチの霊訓を読み理解することで、まだ生きられる、まだがんばれると思い、必死に生きています。
全ての出来事は私を成長させる為の魂の磨き砂なのだと感じております。

ははぎく様
お元気なご様子ですね。
その後お変わりございませんか?
季節の変わり目子供さんが体調を崩されませんこと祈っております。
ははぎくさんがお書きになった「良心」いいことばですよね。
私は「良き心」こそが己に内在する神仏だと理解しております。
しかし、日々の生活に追われ・さまざまな知識・出来事に触れる度に、知らず知らずに概念が生まれ囚われが生じ、誠の「良き心」の声が聞こえなくなって居る人が多く見受けられると思いませんか?
私自身思い込みの世界の住人に成らないように、心を静める術を持つことが一番なのでは無いかと思っております。

小川様
>議論は穏やかに、的確に、行われるべきだと考えます。

そうですね。
どのような言葉を使うかはその人が歩んできた人生を物語っているように思います。強く人を裁くように物を語る方はき、きっと否定される事が多い人生を歩んで来たのではないでしょうか、声を大きく主張する方は大きな声で言わなければ、きっと自分が存在していることさえ見過ごしてしまわれるような人生を歩んで来たのではないですか?どのような言葉をどのような力加減でどのように使おうとも、真実は一つだけだと。己以外の魂に対して愛を持って接しているか?愛することによってのみ愛を体現できるのでは無いかと・・・・えらそうなことは言えません。このようなことを言っても私自身綺麗な言葉ばかり使っているわけではないので、ここに書いたことは私の中の理想なのかもしれません。

亀甲萬ん様
はじめましてseiです。
竜神様のお話
どのような形にしろ、霊的な体験をされるということは意味のあることのように思えます。きっと、それが今の亀甲萬んさんに必要なことだからなのでは無いでしょうか?私自身は神仏は己の中に内在する者であり、他に求め他に見出す者ではないと思っておりますが、それは私自身の解釈であって、それを人様に共用する物でもありません。ですから、亀甲萬んさんが竜神様を感じる事は
それ自体何も問題は無いように思えますが、ただそれを共有し様と思ってしまうと少々の軋轢を感じる出来事が起こるかもしれませんね。
私はどこの階層とどのようなコンタクトを取るかさえも、全て最初から決めて今生に降りて来ている居るように思っています。

長くなってしまいましたので、また分けて投稿いたします。
今日はこれから、最愛の姉の末期癌の治療を探しに郡山まで行って来ます。
昨年来、後一月あと一週間といわれながら、脳腫瘍による発作を繰り返し生きている我が姉。その姉に「私は生きたいのこのままでは死んでしまう・・・・」と、数日前に言われ今日という日を生きる意味を教えられ動きます。
どのようなことでも全ては良き事のために生じ、意味のある時間であると信じています。ではでは、時間がなくなってしまいましたのでここらへんで失礼します。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0; Q312461)y170071.ppp.dion.ne.jp


2011 きりこさん、ははぎくさん、小川さんへ
名前: 亀甲萬ん  投稿日: 2002年10月08日 (火) 04時14分26秒

きりこさん、ははぎくさん、小川さん、こんにちは。

> 始めまして。きりこといいます。よろしくおねがいいたします。
> いろいろ、面白い投稿をされているようで、興味深く読んでいる
> のですが、結局のところ、何を仰りたいのかわかりません。

本当にごめんなさいね。
支離滅裂な文章を送ってしまって、何を言いたいのかよくわからない
でしょう。わたしも何も知らずにここに来て、投稿をしては、ここの
掲載記事を読んで、びっくり。それでまた、投稿という順番になった
ので、皆さんには理解不能な投稿記事になりました。
まあ、わたしの投稿記事にはあまり関心を持たないでというより、
きれいさっぱり削除してくださいませ。
ここの神様の精神には反するもののようですので・・・

> 龍神さまが強力な神であることはわかるのですが(私の家も、
> 神社の氏子だし)、あなたご自身が、神々と近しい存在だという
> ことですか?

そうですねえ、竜神さま、そんな存在がいるよーと、それを
言いたかっただけなのかもしれませんね。
わたしにとって神様はごく身近な存在なんだと思います。
口げんかしたり、仲良くしたり、笑ったり、一緒に泣いたり。
皆さんはそうじゃないですんですか?
しばらくけんかして、お互い口を閉ざしていたのですが、やっと
仲直りしました。まあ、夫婦けんかみたいなものです。

「結局、あなたは何のためにここに来たのか?」
ということであれば、ここに神様が存在しているのかどうか、
お尋ねに来たということでしょうか?
ここにはどんな神様がいるのかなって。もしいるようなら、
わたしの神様の苦情を申し立てようと思ったのです。
わたしも神様泣かせのあまのじゃくで悪い人間ではありますが、
わたしの神様もあまりに度が過ぎて、みんなを笑わせ、昼夜なく
わたしを働かせるので、わたし本来の仕事ができなくなったと・・・
そしたら、本当に「女々しいやめ!」と叱られた。 

皆さんの心の奥底にいる神様と同様に、わたしだって「あってあるもの」には違いはないのですから。
「あなたの神は間違えている。」とよく言う人がいますが、神はあらゆる神として変化して、その人のために存在するのではないでしょう。
わたしという存在は、神様のほんのわずかな一部に過ぎず、わたしという小さな存在を愛しているのです。
「わたし(自分)を愛しく愛する者だけが、人を愛することができる」とわたしは思います。馬鹿たれでアンポンタンで、どうしようもない
存在であっても、自分を愛するしかありませんからね。

イエス様は言われました。
「まず、あなたの神を愛せよ。」
「わたしを愛するように、あなたの隣人を愛せよ。」と。

イエス様は皆さんを平等に愛しているのではないのですか。
争いからは争いしか生まれてこない。
争いの火種はあなた自身の中にある。
憎しみから果たして愛は生まれたのか?
もう少し、楽しい会話にしたいものですね。
ここの神様はもっともっとハッピーであることを願っている
のでしょう。

小川さんへ
死をそんなに恐れることはありませんよ。
そんなに心配なら、寝る前に神様に真剣に祈ってみてよ。
小川さんの純粋な祈りはすぐに聞かれるはずだよ。
死の世界を求めるのでなく、あなたの目の前にある天国を
見たらいいと思うけど。
そっと目のチリを取るだけで真実が見えてくるはずなんけど。
ゆっくりお休みなさい。 LOVE

また、変な投稿と叱られそう! それぞれ必要なとこだけ感じてくださいませ。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)ntehme006247.ehme.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp


2010
名前: 小川  投稿日: 2002年10月08日 (火) 02時44分12秒

きりこさん、亀甲萬んさん、お返事ありがとう。
夜は遅く朝は早いので、私なりの意見を少しだけ。

>ペーパーバーチさんは、決して自分が霊的な指導者であるというような大上段な意見は言っておりません。導き手であるというようなことも言っていません。

もちろん、そういう形式はできあがっていると思います。
おっしゃるところも理屈が通っていると思います。
頭のいいかただと存じます。
ただ、相手を「ばかですねぇ」なんて言うのはどうでしょうね。
そういう発言に対しては、私はなんだか、がっかりしてしまうんです。

そんなにあなたが「賢い」ならば、ムダ遣いしないで、教えてあげればいいでしょ?と。

・・・それに悲しいでしょう、訴訟など。
そこらの宗教と何にも変わらない人間模様。
普遍的で飛びぬけない当たり前のこと。

同じ土俵に立ってしまっているということは、岩城さんのご指摘を待つまでもなく、明らかだとは考えられませんか。
本当は、争いなんかに囚われてはいけない、争いのたびにアクセスが伸びる。
では、本当はみな、何を期待しているの?

議論は穏やかに、的確に、行われるべきだと考えます。
相手を裁きあうのは、人間らしいけれど。
でも、相手を傷つけるような発言を繰り返すことには、私は反対せざるを得ません。
真実は時として人を傷つける、でもあえて侮辱することは、己の品性を卑しめることでしょう。
同じことを、私は、同一人物説を唱える方々にも感じます。

もし仮に、本当にコロナさんとペーパーバーチさんが同一人物であったとして、一番かわいそうなのは、本人でしょう。
それ以上、何を言ってあげられますか。
まあ、私は、同一人物だとは、思えませんでしたけど。

>小川自身はそれをどう解釈されたのですか?
わたしは夢解きしたことがないので、何と言っていいか分かり
ませんが、赤も黒も武力とか闘争を意味するとして、蛇は現実
の御利益に関係すると考えて、それが絡まって大河を渡っていった
とすると、戦か何か知りませんが・・・

亀甲魔ンさん、面白い解釈をありがとう。
本当は、母の気まぐれな夢だと思うんです。
匂うと感じたのは、私の知人にも龍神を考察している人がいたから。
ごめんなさい。

それに、実はそんなに、霊に興味があるわけではなく・・・。
生きるので、せいいっぱいになってしまうから、生き方の指標なものをむしろ求めてしまいます。

我々は、霊になるとしても、いつか必ず死ぬ・・・
スピリチュアリストのみなさんは、死は怖くないですか?
少しずつ、確実に、老いて、近づいてくる死。
手足は動かなくなり、目を開いても何も見えない、呼吸困難が少しづつ進行していき、至る死。
見たことの無い。

高い世界を思い描いても、なかなか恐怖は克服できないものですね。
いっそのこと私が霊能者で、本当に、あの世を生きたまま見ることができるなら、なんて思うんです。
ではみなさま、つたない私の意見を言わせて頂いて、どうもありがとうございました。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)cache1.cotas.com.bo


2009 亀甲萬んさんへ
名前: ははぎく  投稿日: 2002年10月08日 (火) 01時42分11秒

1999の投稿は、よーくわかりますが、私もあなたが何をおっしゃりたいか、よくわかりません。霊的能力がおありだとおっしゃるのでしょうか。霊現象というものは、死後も魂は存在するということがわかれば、深入りしない方がよろしいですよ。この世にいるのは、この世で生きるためです。シルバーバーチのような崇高な教えならいいのですが、ほとんどが地表をさまよう霊に愚弄されているのです。人間の内に神が宿っているのです。自分の良心の囁きにこそ従うべきです。シルバーバーチの祈りも、いつも大霊に捧げられていました。

亀甲萬んさんの世界に入ってまいりましょう・・・・・亀甲萬んさんは小桜姫さまと何かあったのですか?お姫さまの世界はもっと美しいものですよ・・・私が一番お世話になっているのが住吉大神です。塩椎神とも申し上げます。竜宮界の神さまです。山幸彦が釣り針をなくしてお困りになった時、竜宮城へ導いた神さまです。浦島太郎の神話は真理です。竜宮界は、神の世界、創造の本源世界、永遠の世界、だから年をとらないのです。玉手箱は、縦横厚みの、この三次元の現象世界、だから蓋を開くと浦島太郎はお爺さんになってしまったのです。亀甲萬んさん、木花之佐久耶毘売さまのことを教えてください。この方は、私は何も存知あげないのですが、不思議によく耳にしますし、いま私の目の前に、木花之佐久耶毘売さまの絵を飾ってあるのです。日本神道系の話もとても興味深いですが・・・・・

でも、ここはシルバーバーチ関係ですので。イエスさま系統ですよね。マザーテレサは貧しい人々の中で神を見、インドの詩人タゴールも、隔離された文学の世界、瞑想の世界にあきたらず、現実の世界で子ども達のために学校をはじめました。生涯どの宗派にも属さず、実証主義者だった作家の芹沢光治良さんの生き方や作品の中にも神を見ることができます。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90)FLA1Abd037.tky.mesh.ad.jp


2008 おひさしぶり!
名前: ビッグママ  投稿日: 2002年10月08日 (火) 01時20分03秒

ペーパーバーチさん、皆さんこんばんは。
久しぶりにちょっとだけ書き込みを…。

いろんなことがあったようですが、
シルバーバーチの言葉が出てこなくてちょっとさびしい。
スピリチュアリズムを知ったものにとって何より心強い
背後の霊達の働きかけやその使命についての話がなくてちょっとさびしい。
…と思ったのでちょっとだけ書きます。

霊界通信や霊能者、チャネリングと霊的な言葉が
だんだん抵抗なく世に出てきているのはすごいことだと思います。
しかし、こうした時期だからこそ、私たちはそれらを
「選別」する目をもたねばなりません。
ニューズレター19号にも書いてありますが、
「9つの真実があれば1つくらいの間違いはたいしたことはない」
などと考えてはならないと私も思います。
ほんとうにどの霊界通信でもその語ることの8割9割は「霊的真理」を語っており、
うっかりするとそこに隠れる1割の「偽物」を見逃してしまいます。
私はまだまだ発展途上もいいとこで、大きなことは言えませんが、
それでも決してこうした『まがいもの』には引っかかるまいと思っています。
どれが偽物とは言いがたいのですが、少なくとも私にとって
霊界通信はシルバーバーチで十分過ぎるほど十分です。
シルバーバーチを越える内容のものにはいまだお目にかかったことがありません。
モーリス・バーバネルが始めて入神してから80年90年が経っているかと思うのですが、
その1世紀近くにわたってなお、
シルバーバーチの言葉の一言一言はその光を失っていません。
時々、シルバーバーチが語ったのはキリスト教の暗黒時代であったのだから、
現代にそれがそのままあてはまらないという方がいます。
私にとっては、シルバーバーチの語る言葉は今現在でも、
おそらく100年先でも
その輝きを失わず、私たち人類を導いてくれるものであると確信しています。
そして、こうした霊的な多大なる恩恵を与えていただいた身としては
少しでも、霊界の意図(スピリチュアリズムの普及、地上人類の救済)
に添えるようになりたいと思うのです。たとえ微力であろうともです。
もちろん、できの悪い私は自分のことでアップアップもしてはいるのですが、
それでも志はやはり高級霊のお役に立てる人間になりたい!(べムではありません。)
…と思うのです。

キリスト教は人類を完全に裏切りました。
最早破産状態にあります。科学者も裏切りました。
建設どころか破壊することばかりしております。
思想家も裏切りました。ただの空理空論に終始しております。
政治家も裏切りました。滅私の精神を通してのみ平和が訪れる
ものであるとの教えが今もって理解されておりません。
そうした絶望的状態の中で、
ついに大霊の子は真実を求めて絶叫したのです。
そこで私たちは、ここに集まられた皆さんに大いなる信頼が
託されていることを改めて認識していただきたいのです。
あなた方に背負わされた責任の大きさです。
この宇宙で裏切ることのないものは大霊のみです。
大霊の霊力を頼りとし、
大霊の叡智に導かれ、大霊の愛に支えられている限り、
いかなる難問に遭遇しても必ずや解決策を見出すことができます。
真の自我、本来の自我、より大きな自我が、自分ひとりの栄光を求めずに
人のために役立ちたいとの願望に燃えるからです。

人間を頼りにしてはいけません。
いかに地位の高い人であっても頼りにしてはいけません。
地上界のその向こうに目をやってください。
人類のためを思って待ちかまえている霊達からの
インスピレーションに耳を澄ませてください。
『シルバーバーチは語る』 17章289

こうした霊達の声を心から聞きたいと思いませんか?

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)ngy2020n050.ppp.infoweb.ne.jp


2004 小川さん、みなさんへ
名前: きりこ  投稿日: 2002年10月07日 (月) 22時52分41秒

はじめまして。
あなたのご意見はご意見として、結構だと思います。
ただ、1つだけ意見を言わせていただきます。それは、「導く」という表現なんですが・・・
スピリチュアリズムというのは、初級であろうが上級であろうが、基本的には全くの対等です。だれかが誰かを導くという発想は、該当しないんじゃないかと思います。もちろん、他の人に助言を仰ぐという意味での助け合いはあります。
ただ、あくまでも根本は助け合いです。
「学び」というものは、各自が選択した人生の中で、悩み、苦しみ、喜びながら学んでいくものです。スピリチュアリズムとの出会いや知識が、霊的成長に絶対不可欠なものではありません。霊訓に関係無い人生をおくっている方々の中にも、霊的に成長されている方はいくらでもいます。
ただ、霊訓は人生の道標という意味では、大変な価値をもっています。そのうえで、それを知識として携えながら人生から教訓を学んでいく、というのがあるべき姿なのだと思います。

ペーパーバーチさんは、決して自分が霊的な指導者であるというような大上段な意見は言っておりません。導き手であるというようなことも言っていません。
ただ、とても優秀なアドバイザーであるという点で、私は尊敬しています。
私なんぞより、はるかに霊的世界に関して深い造詣を持っていますし、普及活動に貢献なさっているし、
年齢も同じくらいだし、世間一般的な部分での意見はとても似ているし、その点でも親近感を持っています。
でも、導き手とか教師である、というようなことではありません。

スピリチュアリズムには、狭義の導き手(指導者)はありません。もちろん、自分の霊的ガイド(守護霊)やグループはそれに該当しますが。
ただ、普及活動を続けていく上で、指導的な立場になる、ということは当然あると思います。それ自体は決して間違ってはいないでしょう。

私自身は、ペーパーバーチさんと論争をしたことはありませんが、もし今後したからといって、親近感が消失することは無いです。
どうも我々日本人は議論をすると、個人的な好悪感情をもってしまいます。でも、これは欠点であるといって良いでしょう。
本来、議論は素晴らしいものなのです。価値負け云々ではないと思うのですが・・・

以上、私の意見でした。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)FNAfa-02p3-158.ppp11.odn.ad.jp


2003 亀甲萬んさんへ
名前: きりこ  投稿日: 2002年10月07日 (月) 21時56分49秒

始めまして。きりこといいます。よろしくおねがいいたします。
いろいろ、面白い投稿をされているようで、興味深く読んでいるのですが、
結局のところ、何を仰りたいのかわかりません。

龍神さまが強力な神であることはわかるのですが(私の家も、神社の氏子だし)、あなたご自身が、神々と近しい存在だということですか?

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)FNAfa-02p3-158.ppp11.odn.ad.jp


2002 何かもめているご様子?
名前: 亀甲萬ん  投稿日: 2002年10月07日 (月) 15時06分48秒

小川さん、こんにちは。

> 赤と黒の蛇のようなものがからまったものが大河を渡るという
> 夢をみたそうです

小川自身はそれをどう解釈されたのですか?
わたしは夢解きしたことがないので、何と言っていいか分かり
ませんが、赤も黒も武力とか闘争を意味するとして、蛇は現実
の御利益に関係すると考えて、それが絡まって大河を渡っていった
とすると、戦か何か知りませんが、自分たちの利益追求で対立
していた先祖かなにかが、それ以上の力によって別の世界に導かれた
とでも解くのでしょうか?
まったくの推測に過ぎませんが・・・

わたしが生まれたとき、背中がたくさんの毛に覆われていたと
聞いたことがあります。何の意味があるのか知りませんが・・・

> 西洋におけるドラゴンと、中国における竜は近いのでしょうかね。
> なんて、いつも本筋からそれてしますね。

わたしもよく本筋からずれてしまうので、あまり気にしません。

小川さん、わたしは西洋にドラゴンがいることを知りませんでした。
日本の龍神様は、神様と人間の間を取り持つ使者の中でも最高の存在
だと最近知りました。龍神がつくと気合い、体力が並はずれたものに
なり、巨大な財力とか、権力を持つことができるそうです。
西洋世界で言えば、天使たちのボス的存在ということでしょうか?
わたしの経験からも、竜神を神として認識することも多く、「世を
立て直せ!」と神の言葉として伝えます。この世の神と言っても
たぶん問題ないのかもしれません。
わたしたちの浅はかな発想から、宇宙の神を知ることなど果たして
できるのだろうか? ものすごく超越した思考能力を発揮しないと
むずかしいでしょう。1+1=∞ ∞の2乗、∞の3乗、∞*∞
をイメージとして具体的に捉えて、さらにその先を見つめるような
ものです。ちょっと理解に苦しんで来ないでしょうか?

とにかく、龍神はごく身近に感じることのできる神様だとわたしは
思うのですが、どうでしょう? 守護霊でも構いませんけど。
霊的世界は感覚の世界なので、表現がむずかしいですよね。

自分の投稿ばかりして、人の投稿をまだ読んでいませんでした。
何か知りませんが、もめているご様子ですね。
些細なことが原因なら、よくよく心の奥底を覗いてみるのも
いいかもしれませんね。きっとそうなる原因を自分自身が一番
知っているのではないでしょうか?
余計なお世話かもしれませんけど・・・

神様の願い通りに生きていないわたしが言うのも変ですが、
神様の存在、真実の愛を求めているなら、解決の糸口は
自分にあるはずです。 そう、わたし自身に・・・
こんなことを書きながら、自分の胸が痛むわたしです。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)ntehme011162.ehme.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp


2001
名前: 小川  投稿日: 2002年10月07日 (月) 01時59分24秒

別のなにかも匂いますけど。
あまり関係ありませんが、私を身ごもった母は、赤と黒の蛇のようなものがからまったものが大河を渡るという夢をみたそうです。
生後○十年経ってから、教えられました。
西洋におけるドラゴンと、中国における竜は近いのでしょうかね。
なんて、いつも本筋からそれてしますね。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)166.114.173.3


過去ログの目次心霊学研究所トップページ