心霊学研究所

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)2151-2200の過去ログです。
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2199 善意の読者のために。「シルバーバーチの霊訓」より抜粋引用
名前: 克子  投稿日: 2003年01月20日 (月) 12時19分40秒

*とにかく容易なことではないのです。
ですから地上世界へ戻ってくるには大変な努力が要ります。
あえてその大変な努力をしようとする霊があなた方に対する愛念を抱く者に限られているというのも、そこに理由があるのです。1・89


*ですから、あまり無理なことを要求しないで頂きたいのです。
霊媒を責めないで頂きたいのです。
また必ずしも支配霊に責任があるとも限らないことを知ってほしいのです。
私どもは許される限りの手段を尽くしています。1・90


*「さまざまな民族の必要性に応じて、さまざま手段が講じられつつあります。
忘れてならないのは、現在の地上はますます複雑さを増し、相互関係がますます緊密となり、それだけ多くの通信回路を開かねばならなくなっているということです。
各民族の異なった気質、習慣、思想、生活手段や様式を考慮にいれなくてはなりません。
通信の内容もその国民の生活環境や特質、民族的習性に合わさなくてはなりません。
それをその国民の言語で表現せねばならず、その他もろもろの制約があります。
が、啓示の由って来る究極の淵源はみな同じです。」1・212


*その他いかなる“聖なる書”と呼ばれるものを目が疲れるほど読んでも、それだけで霊性が成長するわけではありません。  3・71


*現在でも霊媒の影響をまったく受けていないとは言えません。
用語そのものは霊媒のものですから、その意味では少しは着色されているといわざるを得ないでしょう。
が私の言わんとする思想が変えられるようなことは決してありません。  4・116


*そもそも何のためにこうして霊界から通信を送るのかという、その動機を理解して頂かねばなりません。
それは何よりもまず、“愛”に発しているのです。
肉親、知人、友人といったかつて地上で知り合った人から送られてくるものであろうと、私のように人類のためを思う先輩霊からのものであろうと、霊的メッセージを送るという行為を動機づけているものは愛なのです。
愛こそがすべてのカギです。
たとえ完全でなくても、何らかの交信がある方が何もないよりは大切です。
なぜなら、それが愛の発現の場を提供することになるからです。6・115


*と言って、別に真新しいことを説こうというのではありません。
すぐれた霊格者が何千年もの昔から説いている古い古い真理なのです。
それを人間がなおざりにしてきたために、私たちが改めてもう一度説きなおす必要が生じてきたのです。
要するに神という親の言いつけをよく守りなさいと言いに来たのです。
人類はみずからの誤った考えによって、今まさに破滅の一歩手前まで来ております。
やらなくてもいい戦争をやります。
霊的真理を知れば、殺し合いなどしないだろうと思うのですが・・・・・。
神は地上に十分な恵みを用意しているのに、飢えに苦しむ人が多すぎます。
新鮮な空気も吸えず、太陽の温かい光にも浴さず、人間の住むところとは思えない場所で、生きるか死ぬかの生活を余儀なくされている人が大勢います。
欠乏の度合いがひどすぎます。
貧苦の度がすぎます。
そして悲劇が多すぎます。  9・20


*神は人間に“疑う心”を植えつけております。
真実性を確かめるための批判的精神です。
正直な批判は少しも悪いものではありません。
真実を知りたいがために疑ってかかる人を私たちは大いに歓迎します。
ですが、口先だけの議論や用語のせんさくばかりする人はご免こうむります。  11・87


*人間は異なる成長段階にある者で構成されています。
したがって、すべての者にアピールする一つの教えというものは提供できないのです。
相手がどの程度のものを受け入れる用意ができているのかを見きわめる必要があります。11・144


*受け入れる用意のできていない人に真理を押し付けることはできません。
そこには必ず混乱・論争・討論・議論といったものが生じます。
が、それにもそれなりの意義があります。
その混乱の中から、受け入れる用意のある人にとっての真理が出てきます。
その用意というのは霊的進化の程度、発達段階によって決まります。
それは各人が自分で決めていくというのが宿命です。  11・129

・・・・・・・・・・・・・・
管理人さんへ
先の投稿で、「猿芝居気づいてないのは演者だけ」という川柳が混じってしまいました。
お手数ですが、2198は削除してください。

http://www.d5.dion.ne.jp/~susa/index.html

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)B144140.ppp.dion.ne.jp

2203 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年01月20日 (月) 23時12分59秒
間違いの方の投稿は削除しておきました。

ところで、飯沼ではなく堀江であろうが克子と名乗ろうが投稿は禁止です。全く見知らぬ別人同士をも同一人物と断じるあなた方の事ですから、この禁止措置に理由の説明はいらないと思います。

更に言えば、今回の投稿も「引用」としてありますがこれは「転載」であり、著作権法に違反するものです。本来管理者として削除しなければならないところですが、削除するのもまた煩わしい反応が予想されますので(進退窮まったというところですが(>_<)、版権所有者のおめこぼしに期待して)削除しないでおきます。(責任を問われたら半分は持ってくださいね(^^;)

http://www.paperbirch.com/


2197 支援のお願い
名前: きりこ  投稿日: 2003年01月20日 (月) 07時40分01秒

おはようございます。
今日も日本は泰平ですね。景気は悪いですが、食糧危機とは無縁の、世界一恵まれた不況国だそうです。

世界には、今日一日生きていくことさえ困難な人々がいます。

http://www.japan.msf.org/news/20030114-1.html

是非、1ヶ月1000円でもいいのでカンパしてください。
別に私財を投げ打つ必要はありません。
重大な決意も動機も必要ありません。お買い物いって、お肉買うのと同じです。簡単なことです。
支援と言うのは自分が現地に行く必要も無いのです。なんのスキルが無い人が押しかけたって、役に立てませんし。

たった1000円でも、人の命が救えます。霊訓に示された精神に合致した行いです。
寄付の方法は簡単です。
国境無き医師団に電話して、振込用紙を10枚くらい送ってもらいます。それで、自分の小遣い也から一部、郵便局から振り込んでくださいますか?

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)FNAfa-01p3-164.ppp11.odn.ne.jp

2206 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年01月21日 (火) 00時49分12秒
振込先はホームページでも案内されていますので、郵便局などに備え付けの振込用紙でも寄付できます。忙しくて郵便局や銀行に行けない人や引きこもりの人も(笑)、クレジットカードさえあればインターネットで寄付できます。手軽で良いですね。

国境無き医師団は本当にお墨付きのしっかりした団体ですので、気持ちのある方はぜひ寄付して頂きたいと思います。僕もたった今、インターネットで2,000円だけ申し込んで来ました(少ないですけど(-_-;)。トップページにもリンクを張らせていただきましたので、ぜひご利用ください。

きりこさん、良い案内をしてくださって、ありがとうございました。

http://www.paperbirch.com/


2196 仕事について他
名前: busy hermit  投稿日: 2003年01月19日 (日) 21時58分02秒

 うーん、こないだのレスを繰り返すだけのような感じがしますし、アラムさん自身がかなり傷つくと感じられるので(今でも相当傷ついている、江原さんへの指摘を自分への攻撃みたいに取り違えている節もあるなど)どう返答しようか迷うのですが…。
 
 わたしも他の人も江原さんの霊言がいかに間違っているかを説いているのであって、アラムさんを非難しているのではありません。あまり思い詰めないようにしてください。わたしはアラムさんが間違っていたとかどうとか、そんなことには興味がありません。わたしが勝った、などとも思っていません。

 そんなことよりも今は、一緒に江原氏の霊言の真偽を見定めましょう、ということなのです。

 シルバーバーチは自分の言葉を疑いなさい、検証しなさい、と言いましたよね。それで受け入れられないなら一向に構わない、と。ですから江原氏も遊○塾に逃げ込んだり、
・様々な中傷に、傷ついていた
・何事にも批判的で、愛をもてない人は、気の毒な人です。
・(そういう人は)寂しく孤独で、いつも自身が虐げられている感情を持っているからです。
などと、憎まれ口を叩いたりしないで、バーチのように正々堂々と受けて立てばいいのです。そういう態度からしても全然なってないでしょう?。皆も、もっと言えばいいんですよ。江原さんの私腹を肥やすために1300円だかも出して、あの本を買ったわけじゃないんだから。

>ですから「当時の話し方でない」と批判しようにも、はじめから古語文法の通信ではないわけです。
>この通信の場合には古語としての助動詞や助詞、形容動詞までもほとんど見られないのですから「純粋な古語による通信」ではありません。

 それを認めてくださったのは、一つ前進ですよね。
 でもその理由として、古語文法を「受信できなかった」のか、昌清霊(江原さん)が元々「古語をしゃべれないから」なのか、より妥当に考えてみてください。
 
〉これが私だけの用法なのかわかりませんが、「労働」と「仕事」は全く異なります。
 
 多少人によって使い方が違う場合はあるとは思いますが…(苦笑)。ここで一つの例を考えてみてください。学習と書けば楽しいもので、勉強と書けば辛いことでしょうか?。いいえ、普通はそのどちらも同じ意味を指していると取りますよね。

 和英辞典では、仕事も労働も同じwork,laborとなっています。
 国語辞典にも、こうありました。
・仕事:体や頭を使って、働く(しなければならないことをする)こと。
 〔動詞「する」の連用形「し」に「こと(事)」の付いた語。「仕」は当て字〕
・労働:収入を得る(何かを生産する)ことを目的として、その人自身のからだを使ったり頭を使ったりして行動すること。

 ですから客観的に見れば、いわゆる同義語ですね。漢字検定の試験でもたぶん同義語で分類されるでしょう。

 以下アラムさんが言っているのは、仕事=労働の「悪い捕らえ方」を「労働」という文字に、また仕事=労働の「いい捕らえ方」を「仕事」という文字にむりやり定義付けようとしておられるだけだと思います。

>「仕事」は「こと」、「理」、「真」に仕えることです。
 
 うーん…ここもちょっと主観が入っちゃっているのでは?。「こと」単独には理や真という意味はありません。現象、事象、という意味しかないでしょう。ことの則とかことの理とか、そういう言葉が付けば、それは別ですが。

 さっきも見ましたように、国語辞典では仕事にも「しなければならないこと」をすること、とありますし、仕は「当て字」で、本来はする、の連用形とありますから、【し・こと】=【し・ごと】とは、単に【する・こと】、【するべき・こと】という意味合いが強く、アラムさんの言っているようなニュアンスは考えにくいのでは?。
 同じような言葉に「試合」があります。これも【し・合う】、行為を合いまみえて行う、というところから発生した言葉ですよね。【し・あう】・【しあい】という言葉にそこまで深い意味はないでしょう?それと同じように考えて問題ないと思いますけどね。

>古神道、神霊主義とこの言葉と関係ないとのことですが、
「己が身を肥やさんため 働きなすは虫けら 獣と変わりなきものなれば 働きにはあらざるよ」
「はたの人 楽にさすのがはたらきじゃよ」
というようなものが古神道や神霊主義では多いのです。

 前にもいいましたが、古神道や神霊主義の引用は、【仕事】ではなくて、【はたらき】全般に言っているのです。それなのにアラムさんはこれをむりやり【仕事】だけに適用するのです。真面目に文章を読んでいる人は、きっと妙に思っているはずですよ。はたらきとある以上、むしろ、はたらくという文字を含む【労働】の方に適用されてもいいくらいでしょう?。

 辛いのは労働ではなくて、【重】労働という風に書くのが一般的ですよね。労働大臣は苦しい仕事を司る大臣でしょうか?。労働基準法は苦しい仕事だけに適用される法ですか?。「苦労」とかなら分かりますよ。でも単に「労働」ですから。

 ともかく、あの時昌清霊に「労働」と聞こうが「仕事」と聞こうが「職」と聞こうが、「業務」と聞こうが、それは回答に何の影響も与えなかったと思いますよ。昌清霊を心配して言われる気持ちも、分からないではありませんけどね(笑)。

 さて、せっかくですから、また気づいた点をお教えしましょうか?。

・進化に関する間違い

 スピリチュアルメッセージ・生きる事の真理 p92

 「現世には、獣性ゆえ異性とたわむれる者たちもおるわけじゃ。それは動物じゃ。動物より進化したばかりの者はそうなるのじゃ。」

 これも進化について分かっていない証拠です。人間は動物からダイレクトに進化したわけではなく、永い時間を掛けて、フィジカル面において、またメンタル面(魂面)においても、段階的に進化してきたのですから。いきなり動物から進化したばかりの人間など一人も居ません。 
 また現存する動物とは全く違うルートで進化しています。歴史的にいえば、何十万年にもわたって、アウストラロピテクス〜ジャワ原人・北京原人〜ネアンデルタール人〜クロマニヨン人といったような系譜を経て今に至っています。
 また、スウェーデンボルグなどは生命力の乏しいプリアダマイトが何らかの霊的インスピレーションを受け、現在の人間になったという情報を霊界から持ち返っています。
 
参:シルバーバーチのスピリチュアルな生き方QアンドA

 Q:「動物も人間と同じ進化の道程をたどるのでしょうか?」

 A:「動物は、動物独自の進化の道程をたどります。…動物も独自の法則によって、進化が規制されています。」

 今回もシルバーバーチの言葉からの引用付きです。今まで見てきてもらったように、大体こんな霊が、人類を救う務めを持った霊ですか?。言葉は悪いですが、笑わせるな、ということです。

 大体、肉体という獄から解き放たれた霊というのはもっと視界が広がります。隠れた情報をも含め、情報入手が瞬時かつ的確に、過去も未来も広い範囲でひろえます。時空に左右されなくなるからです。コナンドイルにしろ、マイヤースにしろ、死んで間も無いのに(彼らの通信を見ると)、その視界の拡がりにはすさまじいものがあります。死後すぐの霊ですらこうなのに、この霊言集に見られる視野の狭さ、にぶい洞察力、他の高級霊と食い違う情報、これはそのまま、人間レベルの波動であることを示しています。

 最後に繰り返しますが、わたしは江原さんが憎いのではありません。江原さんの著作ではなく、高級霊による通信という以上、それなりの検証をするのはシルバーバーチも勧めていることです。だいいちその言葉を日常生活で適用するわけですからね。そういったところを、皆さんにも分かっていただきたいものです。

p.s.ペーパーバーチさんへ

 もうご存知かもしれませんが、自閉症という病気にはイルカ療法といって、イルカとコミュニケーションを取る方法が、効果テキメンということらしいですよ。僕もたまたま本屋でイルカの本を読んでいて知ったのですが。

 何十年も研究されていて、相当重度の人でも必ず何らかの効果が上がるとのこと。お嬢さんは幼いですし、軽度とのことですから、なおさら効果が有るのではないでしょうか。イルカのビデオを見るだけでも治療効果が上がった、というケースがあるようです。特にイルカのコミュニケーションツールである超音波が自閉症の子供の心に、効果的に語りかけるようです。

 ぜひイルカ&自閉症で検索を掛けてみてください。

 今回は以上です。それでは失礼します。

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2195 たまたまというか・・・・
名前: きりこ  投稿日: 2003年01月19日 (日) 11時51分46秒

よく見ると、ペーパーバーチさんの日記に、私の言いたいことが書いてありましたね。

体験のすべてがあなたの進化の肥やしです。そのうちあなたにも、肉体の束縛から解放されて物的な曇りのない目で地上生活を振り返る時がまいります。そうすれば、紆余曲折した一見とりとめもない出来事の絡み合いの中で、一つ一つがちゃんとした意味をもち、あなたの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出させる上で意義があったことを、つぶさに理解なさるはずです。

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2194 賛同できませんね。
名前: きりこ  投稿日: 2003年01月19日 (日) 09時25分23秒

アラムさんの「労働」と「仕事」の区別、私には賛同できませんね。
我々がこの世に生を受けたのは、日々の生活、仕事、家事、ニュース、科学技術、文化、歴史、そのた諸々の全ての事象から、学び、研鑚するためです。

別に、そんな大それた使命があるわけでは有りません。
そして、生まれてきた境涯によって、その他様々な理由により人生は全く異なりますが、それは本人や指導霊が志向した結果で選択したものです。

だから、これが価値があって、これが価値が無いと言うのはナンセンスですね。
別に、私やペーパーバーチさん、アラムさんや江原さん、飯沼さんだって、そんな使命を担っているわけではありません。
勉強するために生まれてきているのです。
その中で、自分がいかに利他的な行為を日々実践することが出来るか、日々試行錯誤することが重要なんだと思います。
学び、進歩するために最適と思われる境涯を、自ら選択しているのですから。

社会的にあまり相手にされない、地位の低いことに関するコンプレックスの裏返しとして、霊的・宗教的な事柄に強い関心を持つ方がいます。
実社会では、決して報われることの無い自尊心の高さを、霊的・宗教的な世界で埋め合わせするケースです。
つまり、「社会は俺を評価しないが、おれは実は霊的世界では優れているのだ、俺を評価されないのは社会が間違っているからだ」式の論法です。

仕事と労働と言う、よくわからない区分けをして悦に入るのは自由でありますが、どうもその種の議論を聞くと、上記の陥穽を想起してしまいます。

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2193 「労働」と「仕事」
名前: アラム  投稿日: 2003年01月17日 (金) 22時22分03秒

busy hermitさん、さらなるお返事ありがとうございます。

通信霊の真偽を見分けるのに当時の言葉遣いをしているのかどうかは判断材料の一つとなることは私も否定しません。

ただ、この本の場合では、江原さんの口を通過した時点で既に古語ではなかったのではないかと思えるのです。

古い時代の霊となると生前の言葉を使用することがなくなり、霊媒の意識の中にある言葉を使用していることが多いので、古語の文法による話し方でなくなってしまうのです。
この本の場合ですと、「類魂」、「六感」、「愛」といった当時ではありえない言葉が見られましたので、これは既に古語ではない、江原さんの意識の中にある言葉を使用しての翻訳がすんだものと判断できます。

ですから「当時の話し方でない」と批判しようにも、はじめから古語文法の通信ではないわけです。

古語文法に従った純粋な通信を受信できる霊媒のほうが少ないように思われます。
むしろ、未浄化霊の方が古語での話し方をしています。

この通信の場合には古語としての助動詞や助詞、形容動詞までもほとんど見られないのですから「純粋な古語による通信」ではありません。


「労働」と「仕事」についてですが、これはbusy hermitさんは同じニュアンスに使用されています。
これが私だけの用法なのかわかりませんが、「労働」と「仕事」は全く異なります。

「労働」はひどく、つらいものであって、生活の糧を得るためにするものです。
その価値は自分を中心にして、どれだけの時間、力、知識などを投下し、費やしたかによって評価しています。
「これだけ長時間やったのだから評価は高い」というふうにです。
ですから、「自分はこれだけのものを費やしたのに評価が低い」という不満を抱いているのは「労働」をしているからです。

「仕事」は「こと」、「理」、「真」に仕えることです。
その評価は自分を中心とはしていません。
「他の人のためにどれだけ役に立っているのか」、「社会にどれだけ貢献しているのか」、「神の計画の推進のためにどれだけ貢献しているのか」で評価されます。
「自分はこれだけやった」といくら言っても、その評価は上がることはありません。

「労働」は地上界及び下層世界にのみ存在するものです。
これを示されるのは、いくら石を上に運んでも元に戻ってしまう世界、いくら工場で製造しても減ることがない製品の世界です。
その人は力の限りやったつもりであっても、誰からも喜ばれることがない。
霊界から見れば無価値となるもの、自分のためにやっているもの。
これが「労働」です。

「労働」が評価されるときは他人のそれが自分の費やすはずのものを費やさずにすむようにしてくれるからにすぎません。

「仕事」は「貢献すること」を目的としています。

「労働」は地上を離れれば下層世界以外には存在しません。

「仕事」は地上界にもあれば、霊界では上層世界にいたるまでどこにも存在しないところがありません。

あなたが「食べるため」、「生活するため」にやっているのであればそれは「労働」です。
あなたが「社会に貢献するため」、「他の人のため」、「真理のため」、「神のため」にやっているのであればそれは「仕事」です。

「労働」は霊界では評価されません。
苦しみしかもたらさないからです。
自分を中心としているからです。

「仕事」は霊界では評価されないということがありません。
他の人、地上界のため、神のために自分を犠牲にしているからです。


「労働」をしている人は「自分はこれだけやっている。もっと賃金を上げろ」と要求します。

「仕事」をしている人は「自分は貢献できているだろうか。貢献できていたらうれしい」と思います。

「労働」はそのときに費やしたものの結果しかもたらしません。

「仕事」は長い時間に影響力として残り続けます。

「労働」をするのは「利己心」からです。
「仕事」をするのは「利他心」からです。

「労働」を価値とすれば、働く時間が長いほどその価値は高くならなければならないのです。

「仕事」を価値とすれば、いくら長い時間を働いていても、貢献するもの、新たに生み出されるものがなければその価値はゼロです。

さて、昌清霊は「食べるため」と「人との関わりのため」とあげました。

ところが、「心の道場」さんの『続 スピリチュアリズム入門』でも
「その目的は金儲けであり、自分と家族のためのものである」
「仕事それ自体が楽しいものではなく、むしろ苦痛を味わうことの方がずっと多い」
「仕事上の人間関係で、嫌いな人を愛する訓練ができる」
と書かれています。

「地上的な仕事」、つまり、「なりわい」、「労働」においては昌清霊の言葉も正しいこととなります。

霊的真理を知り、実践する人は「労働」ではなく、「仕事」をするようにしていかなければならないのです。

日本人の本来のあり方は生活するための「労働」ではなく、神に仕え、「滅私奉公」する「仕事」であったのです。

古神道、神霊主義とこの言葉と関係ないとのことですが、
「己が身を肥やさんため 働きなすは虫けら 獣と変わりなきものなれば 働きにはあらざるよ」
「はたの人 楽にさすのがはたらきじゃよ」
というようなものが古神道や神霊主義では多いのです。

ところが昌清霊は日本の霊人が最も重要視しているはずの「貢献を目的とした仕事」について全く説かなかったのです。

これは日本の霊性の中核です。
この部分を欠いてしまったのです。

くり返しますが「労働」には他の人のためにという観点は全くないのです。

お金が必要のない国であなたは働きますか?
そこに「労働」と「仕事」の分かれ目があります。

「労働」だけに生きたものの行く末、それが「地獄」と呼ばれるような状態です。

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2192 2191訂正です。
名前: tc  投稿日: 2003年01月17日 (金) 11時54分40秒

英文下の方pholdはupholdの間違いです。

追伸:
営業でよくいらっしゃる方々に関して、
同様に思っている人は結構多いと思いますよ。

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2191 たこつぼ文化的愛に関する一考察
名前: tc  投稿日: 2003年01月17日 (金) 11時26分22秒

またネタです。が、前回よりはちょっとだけマジメです。
最近のXXごとに関しての・・・・・・( ̄ー ̄)ニヤリ
問題あれば、また削除お願いします。

『GUIDANCE FROM SILVER BIRCH』Edited by Anne Dooley
Chap.9 LOVE IS UNDYING
「As you live lives, of unselfishness and altruism. with the desire to serve, so the Great Spirit that is within you finds fuller expression and you begin to fulfil the purpose of your being. It is not wrong to have a personal love. It would be better to apply it to a wider circle. It is better to have love in action than love in inaction. There is no quality that is incapable of having its highest and its lowest forms, its brightness as well as its darkness.
Very often love of a family is selfish, a love of blood ties. Often it is governed by a protective instinct and is a rem-nant of the animal ancestry in the evolutionary stream. But love is capable of its highest aspects when it will strive to love all without thought of self, without reward, without warmth, but because it is self-abnegation, the divine in action. Love desire to serve, to phold, to comfort. Love is expressed in mercy, compassion, kindliness, goodness. Love is revealed in renunciation and sacrifice. 」

近藤訳『シルバーバーチの霊訓1』八章 愛の力
「我欲を棄て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就しはじめることになります。家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。外へ向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。排他性の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が上です。いかなる資質にも上等のものと下等のもの、明るい面と暗い面とがあるものです。
 家族的な愛は往々にして排他性を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。それは進化の過程における動物的段階の名残りである防衛本能によって支配されていることがよくあります。が、愛の最高の表現は己れを思わず、報酬を求めず、温かさすら伴わずに、全てのものを愛することができることです。その段階に至った時は神の働きと同じです。なぜなら自我を完全に滅却しているからです。愛は人のために尽くし、人を支え、人を慰めんと欲します。愛は慈悲、同情、親切、優しさとなって表現されます。愛はまた、滅私と犠牲の行為となって表われます。」

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2190 時間ないけど…レス
名前: busy hermit  投稿日: 2003年01月16日 (木) 23時09分53秒

 すみません、わたしが打っている間にアラムさんがレスを付けておられたようですね。本当に時間が無いので、ぶっつけ誤字脱字覚悟で簡単に書いてみます。

>私が言いたかったのは、言葉遣いでの批判は的外れになりますよ ということです。

 通信霊の真偽を見るのに、当時の言葉遣いをしているかどうかは十分、判断材料の一つになると思いますよ。

〉明らかに意味が伝わりにくいものについては、現代の言葉に置き換えました。

 ですから、それこそが逃げ用ロープなのですよ。わたしも交霊会に参加している人が一度カセットテープに取ったのを書き起こせば、より分かるはずだ、と言いました。あるいは誰かが勇気を振り絞って本当のことを書けば、そんなのはすぐに解決するはずです。

 それにその文章にも「明らかに意味の分かりにくいものには」と書いてありますから、そんなに大改造されるはずはありえないのです。一つの指標として、それこそ「うつしよ」「かくりよ」「あれる」「もとつたましい」などがあります。この言葉でさえ、明らかに【意味の分かりにくい】用語に入ります。今本がどっかへ行ってしまったので、すぐには書けませんが、心霊用語以外にも分かりにくい言葉を何個か残していましたよ。
 それとね、現代語になっている部分がありますよね、それを古語に逆翻訳してみてどれだけ(そんなに訳さないといけないほどの)難しい言葉なのかどうか、考えてみるのも助けになりますよ。

>これが「労働」であれば、昌清霊の言葉は正しいのです。
>しかし、ここでの質問は「仕事」についてです。
>「ことにつかえる」、「はたをらくにする」、古神道や神霊主義における「仕事」の目的は「役に立つこと」です。

 労働も仕事も、わたしにとっては同じニュアンスで書いたつもりです。そういう解釈でいけば労働も、労し、はたらくことですから、あなたがすぐ後で書いている仕事の意味、「はた」が「らく」になるようにするという言葉を含み、なおかつ労するという言葉で、より積極的な意味合いに修飾した言葉に過ぎないのではないでしょうか。むしろ「仕事」、「ことにつかえる」という言葉が(ひとに仕えるならまだしも)、どうして人の役に立つこと、と解釈できるのか、わたしが凡庸なのか、よく分かりませんでした。その後の古神道や、心霊主義の引用はこの単語と全然関係ないのに、無理に結び付けられたような気がしますが…。

 それはともかく、仕事なら正しく、労働なら間違い、などというのはちょっと早計ではないか、と。それどころか、どさくさに紛れて労働なら昌清霊が正しい?などと、筋違いなことも含めておられるようにも思えましたが…。

 本の訂正はさっきしましたね。
 あと麻原彰光はずいぶん前のことなので、よく覚えていませんが、確か仏陀に関する霊言だったように思います。間違えていたらごめんなさいね。

 いつもは平静に書くようにしているのですが、今本当に時間が無いので、少し怒ったような文調になっている可能性もありますが、ご容赦を。それにしてもアラムさんの学究心の熱意には、いつも当てられてこっちも大変ですよ(笑)。もしかして学生さんですか?。わたしも時間や金があれば、なんぼでも書くんですがね(笑)。それでは今回はこの辺で。

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2189 訂正+おまけ
名前: busy hermit  投稿日: 2003年01月16日 (木) 21時57分31秒

 あれれ、お恥ずかしい。昨日の文章、忙しい中書いただけあって、やはり間違った箇所があったようですね。文中「飯沼さんが敬愛して止まず」は「江原さんが敬愛して止まないシルバーバーチの」、また「シルバーバーチは語る」が、「シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A」でしたね。乱文、お詫びします。

 さて訂正ついでに、ペーパーバーチさんの勢いに乗せられまして、ひとつだけ江原さんご自慢の指導霊のお言葉で、笑ってしまった点(シンパな人には、ごめんなさいね)を。

 後書きかどこかで、昌清霊が「教育」とは「教えを育てる」という意味じゃ、と言ったのを江原さんがありがたく受け取ったという記述があるのですが、江原さんはなぜ変に思わなかったのでしょうか?

 【教育】とは教育制度が普及していった時代(昌清霊が在世していた時代ではなく)に造られた単なる合成語でしょう。同じような言葉に【養育】、【保育】があります。【学習】、これも同じような時代に出来た単なる「合成語」でしょうね。

 ですから、みなさんも気付かれましたように、教育という言葉それ自体に教え[を]育てる、などというけったいな意味は有りません(^^)。
 では【養育】とは【養い】を【育てる】という意味ですか?保育は【保(護)】を【育てる】という意味なのでしょうか?はたまた学習は…以下略。

 【まなぶ】は【まね(ぶ)】から来ている言葉、とこれは割合メジャーで、ずいぶん知られていますね。これは「やまとことば」が長い年月を経て変化したものです。でも上記の場合は、そういった経緯などはなく、近代になってからの合成語ですから、似てるようでも違いますね。

 わたしが思うに、こういった言葉に刺激を受けて、昌清霊も少しは「高級霊」らしい、かっこいいところを見せたかったんではないかと…。結果は、またしても墓穴を掘った格好になってます。

 はてさて、高級霊ともあろう方が、わたしのような凡人にこうも簡単に間違いを指摘されてしまっていいのでしょうか?。他人事ながら、心配になってきました(笑)。

 と、明日もありますので、そろそろこのへんで失礼します、それでは。

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2188 busy hermitさんへ
名前: アラム  投稿日: 2003年01月16日 (木) 20時51分35秒

こんばんは。

ご返事ありがとうございます。

私が言いたかったのは、言葉遣いでの批判は的外れになりますよ ということです。

この本の冒頭で「実際に江原氏を通して語られる言葉のなかには、いまでは使われなくなったものが混じっています。
明らかに意味が伝わりにくいものについては、現代の言葉に置き換えました」
と書いてあることにも問題はあると思います。
これでは昌清霊が古語を語っていることになるからです。

しかし、交霊会ではどうだったかはしれませんが、この本になった時点で、昌清霊が使用している言葉に古語と言えるものがほとんど見当たらなくなっています。

ですから、busy hermitさんは「当時の会話形式ではない」と指摘されていますが、当時の会話形式どころか、古語文法によるものは全く見当たらなくなっているのです。

「ぬしら」、「〜じゃ」といった霊人の個性を示すためと思われる口調はありますが、他は「うつしよ」、「かくりよ」、「おおみたま」、「わけみたま」、「みたま」、「もとつたましい」といった一見は古語のようですが、「古神道」もしくは「神霊主義」の用語ばかりです。

通信霊がその影響を受けているためなのか、江原さんがその勉強をされたためなのかはわかりませんが、「古神道」もしくは「神霊主義」の用語が多く見られます。

古語と言えるのは「あれる」、「なりわい」、「うから」、「やから」などほんの少しだけです。

ですから、この本になった時点でこの通信は現代誤訳されてしまったものになっています。

「当時の会話形式でない」、「古語の文法としておかしい」という批判はもう的外れになっています。

もし、この通信が古語の文法に基づいているものでしたら、まず、「愛」という言葉から出てこなかったはずです。
「愛す」は上位者が下位者に対する好意・関心を示す言葉だからです。
現代のような隣人に対する「愛」といった意味はありません。

また、「「学ぶ」は「真似る」ことなり」(P85)と出ていますが、古語では「まねぶ」であって、わざわざことわる必要もないことです。

このようにこの通信は古語文法に基づくものではないわけです。


この通信の言葉では大きな間違いがあるところがあります。
仕事について昌清霊が「食べるためにある」、「みずからの質と違うたましいたちと相和す学び」と説いています。
この点はbusy hermitさんは指摘されていますが、しかし、busy hermitさんは「労働の意味についての誤り」と書かれています。
これが「労働」であれば、昌清霊の言葉は正しいのです。
しかし、ここでの質問は「仕事」についてです。
「ことにつかえる」、「はたをらくにする」、古神道や神霊主義における「仕事」の目的は「役に立つこと」です。
「負い持つ業に励ましめ給い」、「世のため人のために尽くさしめ給え」です。

「占い」については「いかようにすれば雨を降らせることができるか」、「稲だの作物だのをいかにして育てるか」なりを、自然霊たちに尋ねた儀式」と「ふとまに」に関する説明をしているような通信霊が何故か「仕事」に関しては古神道や神霊主義での見解から外れた他の国における「労働」への見解のようなものを説いているのです。
これは「労働」と間違えているとしか思えません。


ところで、busy hermitさんは「シルバーバーチは語る」によって簡単に間違いだとわかってしまう」と書かれていますが、これは『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方 Q & A』のことでしょうか?


関係のないことですが、「麻原彰晃の偽霊言」とは何のことですか?
タントラ経典を誤訳、誤解釈していたことは知っていますが、偽霊言を出していたのですか?

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2187 面倒ですが仕方なく最後に
名前: 飯沼  投稿日: 2003年01月16日 (木) 17時24分57秒

>そこで当掲示板に於いては、今回のコメントを最後に僕からの飯沼さんへのコメントは中止し、飯沼さんの投稿も禁止することにします。あと一度だけはあなたの投稿を許可しますから、言いたいことがあればその投稿ですべて仰ってください。その後は、当掲示板へのあなたの投稿はお断りします。僕もしばらくは悠々塾掲示板を覗いていますから、コメントの必要な発言があればあちらに書かせていただきます。

*ということなのにさっそくに前言を翻したペーパーバーチさんへ。

1804・1805(でしたっけ?)への返信として以前準備したものを送って終わりにします。
もう少し書き足すつもりでいましたが、もうそんな気はありません。
言いたいことがあるからの投稿ではなく、以前言ったことの責任上の投稿です。
読みにくいかと思いますが、手直しする気にもならないので。
もう私たちの質問に答えていただく必要はありませんし、当然ながらこの返信へのコメントも不要です。

1.

0375  飯沼  [兵庫]  [02/09/04<水>-09:49]   確認
コロナさん

あなたは、実はペーパー氏なのですか?
低劣なひとり芝居をしていたということなのですか?
そうであるなら、もう何も言えないでしょうからもういいです。
違うのなら、ちゃんと話をしなさい。
あれだけ偉そうな口を叩いたのだから。
。。。。。。
コロナさんは逃げるように消えたままです。
あなたは平気で嘘をつく人ですし、可能性は残ったままです。

2.

>僕や有希さんへの「メッセージ」を検証して、あまりにも頓珍漢な内容、それも単純な事実さえ間違いだらけのことが出ている「メッセージ」は、恐らく(低級霊からのものでさえなく)霊媒の潜在意識の産物にすぎないとの結論が出たではありませんか

*いいえ、そんな結論は出ていません。
あなたがそう言っているだけです。
「自己申告はあてにならない」とあなたも言っていますね。
だから、「全体を総合的に検証しよう」と何度も提案しました。
ヒーリングに来られた人の「出口調査」でもしたらどうですか?
同意があれば同席してもらって構いませんよ。
例えば、あなた同席の上であなたのご家族に来ていただいても構いませんし。(もちろん無料です)

3.

メッセージにはこうあるのです。

『「身を以って知る」のが何なのか。
それはもう一度メッセージを読めば分かります。
今の状態が良いから(心配ないから)、自分のしたことがたいした事ではない、などというすり替えがどんなに歪んだものか、もう一度点検されますように。
あなた以外の、ごく普通に文章を読む人にならば、簡単に分かることです。
問題は“今の状態”にあるのではないのですし、あなた自身が、自分のしてきたことを振り返る様子もないところが問題です。』

3、への回答は?に対する私の回答と同じです。

4.
>僕は法的な問題を言っているのですよ。事実をねじ曲げているのは、いったいどっちですか?

*私たちは一貫して、「スピリチュアリストとしてのあり方」を言っています。
事実をねじ曲げているのは、いったいどっちですか?

5.
>Kさんを告訴すれば良いという話が悠々塾の掲示板で出ていたようですが……

*もちろん私はそんなことは言っていませんし、それ以下の意見もあなたの考えに過ぎず、しかも私たちが言っていることと本質的に違った話ですから回答の必要もありません。
まあ、他もそうなのですが・・・。

6.
?の回答参照。


7.
>「その話でしたら僕も随分前に聞いて知っています。しかし、少なくとも現在は【そのようには考えておられない】と聞いています。ただ、これはオフレコで聞いた部分が大いに絡んでくるものですから、僕ひとりの判断でこれ以上の事は書けませんし、仮に「書いてもいいよ」と言われてもやっぱり書くべきではないと思うので書きません(^^;。ごめんなさい。
個人的にはその98年の時点でも、近藤千雄さんが本当に高く評価しておられたのかは疑問に思います。僕が実際に見聞きした例でも、日本心霊科学協会に対して本音のところでは「存在意義は全く無い」と言いながら(※)、協会に招かれての講演会で「このような会が存続していることは、非常に意義深いものがある(大意)」と仰ったということもありましたし。恐らく、小異を棄てて大同についたというところではないかと思っています。(スピリチュアリズムの普及という大儀のために“大人の態度”を取ったということですね。僕も見習わねばならんなぁと思っているんですが(^^;)
※----その時僕は「いや、でもこういう良いこともあるのでは?」といろいろ聞いたのですが、ことごとく完全否定されました。……っと、こんなこと書いていいのかなぁ、でも講演会でも言ってたしなぁ。」

昨年2月のあなたのこの発言、特に前半の部分が、あなたが近藤先生に直接聞いた話だと思っていました。
どうやら違っていたようですね。
読み違いとしてお詫びします。

ところで、あなたはこう言っています。
>それにしても、地方の一ファンに過ぎない僕と、雲上人のKさんが・・・
*あなたは先日近藤先生は人間的に問題がある、と言っていましたね。
人間的に問題のある人が、あなたにとっての雲上人ですか。

ちなみに、あなたが問題にした348には私は以下のように書いているのですが、それを読んだ上での、つまり回答を読んだ上であなたはコメントを書き連ねているのですね。

ペーパー氏は、公の掲示板上で、誤解ではなく虚偽に基づいて、私達を誹謗中傷しました。
昨年は近藤先生からの連絡を待つために、全てを明らかにはしませんでした。
一年待っても何の連絡もなかったので、今年は全てを公開することにしました。

「『悠々塾』は、近藤先生を利用しようとして、それに失敗すると、今度は大恩ある先生を誹謗中傷した」と、ペーパー氏は昨年何度も公言しました。

しかし、それがいかに悪意と嘘にまみれた中傷だったのか。
ペーパー氏が一番知っていたはずです。
自分に嘘はつけないのですから。

事実によって、公の場で真実を明らかにするのは当然ですし、必要なことです。

彼の中傷は、私達には何の影響も与えませんでした。
なぜなら、私達は「本当のこと。事実・真実」を知っていたからです。
しかし昨年、ペーパー氏の文章を読んだ人たちには、一体何が事実なのか分かりにくかったでしょう。
ペーパー氏は、全くの嘘を平気で言っていましたし、私達は近藤先生への配慮から、あの段階では「事実」を全ては言いませんでしたから。
ですから、今回のことは公の掲示板でなされるのが当然なのです。
それは、何が事実か分からずにいる人たちに対する、私達の責任でもあります。
(中略)
もしも、何らかの事情でペーパー氏がそうしなくても、この掲示板を読んだ誰かから先生に情報が入ります。
公にすることで、これ以上先生に過ちを重ねさせない。
つまり、これ以上被害に合う人が出るのを防ぐこともできるでしょう。

近藤先生ご自身が、この掲示板をご覧になっている可能性も十分にあります。
先生は、パソコンを使っておられますから。

先生がまだ福山におられた頃、私はこの件で何度か電話しました。
しかし、先生は電話に出ても、すぐに切ってしまわれていました。
ですから、先生と個人的に連絡をとっても、誠実な対応は期待できないのです。


8.
これはすでに思い違いとしてお詫びしました。
あなたの掲示板では返信コメントの番号が飛んでしまうということでした。

>(昨年2月の投稿を削除されたと、ありもしないことを、しつこくしつこく追求してくれた事もありましたね)
*これはあなたがやっていないとは確認できていません。
あなたはどんな小細工をするか分からない人です。

9.

近藤先生が評価を変えた理由は何だったのでしょう?
参考のために前に掲載した手紙を上げておきます。

「近藤先生は単に借金をされたのではありません。
そのやり方については、お金を融通した人たちと先生ご自身がお分かりのことです。
日本のスピリチュアリズムに多大な貢献をされた方として、あまりにも嘆かわしいやり口です。
人間としても恥ずべき内容です。
私たちが先生のことを言うのは、先生にこれ以上それを繰り返してほしくないというだけではなく、同じ目に遭う人を出さないためでもあるのです。
先生のお働きを尊敬し、感謝する人たちがそんな目に遭って、どれほど傷つくかを目の当たりにしたからです。
そして何より、先生には日本のスピリチュアリズムを担ってきた者としての、そして、人間としての誇りを取り戻していただきたいのです。
この思いがあなたに分からなくても仕方ありません。

もしも先生ご自身がインターネットをご覧にならないとしても、周囲の誰かが目にすればそれでいいと私たちは思っています。
しかし、私たちは先生がインターネットをされると聞いていますし、ワープロを使って書かれた原稿も見せていただきました。(原稿は、数年前に見せていただきました。数百枚のものでした)
あなたの発言のひとつひとつについて、ここが違っている、歪めてあるというつもりはありませんが、この二点だけでも事実と違っています。

もちろん、私たちのヒーリングについても全く違っています。
ヒーリングの進めかたについては、以前、飯沼があなたの掲示板で伝えています。
あなたの病気についても、私たちはもたらされたものを伝えるのみです。
それをあなたがどう言おうと、どう思おうと構わないのです。
伝えられるメッセージがあなたにどういう気づきを促しているのか、本当は分かっているはずだと思うからです。
どうしても自分の非を認めることができない時、言い訳や言い逃れ、合理化をしてしまうのが今のあなたであるならば、到底メッセージを真摯に受け止めることなどできなくて当然です。
拒絶と反発のみで読むならば、それが何であっても役には立たないのでしょう。

あなたが何をどう言おうと構いません。
お好きなように曲解・発言をなさってください。
しかし、どんなに言葉を使おうとも、「事実」そのものを変えることはできません。
それを知る人から見ると愚かなことでしかありません。

あなたは、近藤先生のされた本当のことを知りながら、今やその事実を変形させてしまった。
その上に過ちを積み上げ続けている。
言えば言うほど、詫びねばならない事柄が増えていくだけなのに。
「先生の件を自分はよく知らなかった。それなのに問題などないかのように言ってしまった。申し訳ない」と認めさえすれば、それで済んだ。
ただそれだけのことでした。
今ではあなたの重ねた過ちは、それだけでは済まなくなってしまいました。

いつまで、どこまで正当化や責任転嫁を重ねても構いません。
言いわけ、中傷、嘘も結構です。
それでも「事実」は変わらないのですよ。
あなたが気づくまで、あなたを見ている人たちはますますあなたを憐れに思い、気の毒に思うのです。

そのことこそが惨めなのだと、早く気づくことができますように。」

10.
回答の必要なし。

http://www.d5.dion.ne.jp/~susa/index.html

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2186 いつか彼らに本当の真理を……
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2003年01月16日 (木) 07時39分34秒

悠々塾のことはもう書かないと言いましたが、締めくくりの投稿を悠々塾の方にしてきましたので、こちらにもダブルポストしておきます。飯沼さんは以前の#1804と#1805への「返信は用意しているのですが」などと言っていましたが、やはり答えられなかったようですね。最近の#2150-2154に対しても同様。
(飯沼さんのあと一回書き込み可はまだ有効ですので反論があればどうぞ。期限は今月いっぱいまでとしておきます。)

----ここから---------------------------------------------------------

日本でもっとも早い時期に公の場所で近藤千雄さんを批判した人間(1996年Nifty-serveのFARIONにて「おかしな方向に行っているのではないか」と発言)を自負している僕としては、今さら評価を変えたなどと言われるのは心外ですね。ま、あなた方の曲解はいつものことですが……。

さて、例によって、あれに答えろこれに答えろとやっているようですが、人に要求する前に自分が答えるのが先でしょう。だいいち、どれもこれも既に以前答えたような質問の焼き直しばかりで、わざわざ答える必要があるとは思えません。いちいちそういうのに付き合っていられないと、僕は言っているんです。分かりませんか? 飯沼さんが僕の指摘に答えられないのはよく分かりました。何度もわざわざ読んでないと繰り返し(不思議なことにそういう発言を書く時間はあるんですね、読む時間は無いクセに)、相変わらず日記がどうのと有りもしない妄想で非難(批判ではなく)を繰り返し、後からあれこれと質問(らしきもの?)を次々に書いてそれに先に答えろと理不尽な要求を連発し、ようやく読んだと思ったら……質問に答えなければ発言禁止ですか?

まぁ、お好きにどうぞ、と言うしかありませんね。あなた方に呼ばれたから出ただけで、僕は別にここで発言したいワケではありませんし。そもそも僕がここに発言したのは、心の道場さんへの質問があるから代わりに答えようかというのも動機の一つでしたが……実はそこまでまだ読んでませんし(^^;。いや、最初の二つぐらいは先に読んではみたものの、全く「答える価値のある質問」では無いと思いましたので、正直モチベーション下がりっぱなしで、一旦コメントすると言った手前どうしようかと思っていましたから。

勝ったの負けたのと本当に低劣なことだと思いますが、まぁそんなことはどうでもよろしい。嘘も百回言えば事実になる(By ヒトラー)とも言いますし、そう思い込んでいなければ精神の安定が保てない人もいるんでしょう。しかしこれだけは忘れないで下さいね。あなた方の“メッセージ”がデタラメな間違いを言ってしまったこと。そしてそれに対する僕の問いかけに、あなた方が一言も答えられなかったことを。

ついでに江原さんにも一言。何が“童話”ですか。……お忙しいのでしょうし、あちこちの掲示板の批判に答えていられないのは理解しているつもりです。が、何ら具体性の無い下らない発言で人を揶揄するヒマがあるなら、いくつもの具体的かつ論理的な指摘に答えたら如何ですか? スピリチュアリスト掲示板でもシルバーバーチの霊訓との齟齬が挙げられているのですから。他所の掲示板を検索したとか何とか書いてらっしゃいますが、僕はそんな話は知りません(野村阪神が活躍するという“予言”をしたという話は検索で見つけて大笑いさせていただきましたが)。消費者契約法に関しては統一協会などの霊感商法を調べていた時に得た知識です。……それから、まだ生きている可能性のある人が「霊界から指導してくれている」などと言うのは止めましょうね(批判者としては有り難いですけどね)。

いつかあなた方が、ご自分たちの間違いに気付いたら、またお会いしましょう。
その日が近いことを願って……ごきげんよう。
△▼△ Paper Birch / Masahiro Takeuchi △▼△
↓悠々塾特設掲示板の過去ログはこちらから。
http://www.paperbirch.com/bbs/bbslog.html

----ここまで---------------------------------------------------------

これをもって、僕は悠々塾に言及することを停止します。見れば何か言いたくなってしまうでしょうし(^^;、悠々塾さんのサイトへのブックマークも消します。というか、どちらにせよもうほとんど見てませんでしたが(^^;。お互い関わり合わない方が精神衛生上も良いでしょう。どちらが正しかったのか、追々、霊的真理によって明らかになっていくことでしょう。もちろん僕も、自分が100%完全に正しかったと思っているわけではありませんしね。

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2185 業務連絡です
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2003年01月16日 (木) 00時55分32秒

申し訳ないんですが7日(火)22時44分の投稿#2169を削除しました。対応が遅れたことをお詫び申し上げます。

実は、あまりにも気違いじみた内容なので最初は単なるネタだと思って読んでたんですが、改めて読み直してみると……これは実在する某会の会報の内容の転載ではないかと……(最初から気付けよ)。引用は構わないんですが転載はマズイですから。

それに、メアドも実在するとは思えないものでしたし……。メールアドレスもネタの一つのつもりだったとは思いますが、偽アドレスは削除と掲げてある以上、放置するわけには行きませんので……。それに、ご本人も削除しても構わないという事のようでしたので削除させていただきました。ご了承ください。
(でも、楽しませていただいたことを申し添えておきます(^^;)

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2184 取り急ぎ
名前: busy hermit  投稿日: 2003年01月15日 (水) 20時26分39秒

 アラムさん、ご返事ありがとうございました。

 ちょっと理解してもらいたいことが、うまく伝わっていなかったようです。わたしが言いたかったのは、ほぼ全部の語尾が〜じゃ、で終わっている、そういう話し方が、当時の会話形式ではない、と言ったのです。

 もしお持ちであるなら、当時の会話の本を全体的に見てください。これほど最初から最後まで〜じゃばっかりで終わっていますか?
 わたしが信用できないというのなら、お近くの学校の国語や古典の先生に、こんな話し方をしていたかどうか聞いてみると良いでしょう。すぐにも結論は出るはずです。

 それと「ござる」「べし」「なり」を使うからおかしい、と言ったのではありませんよ。これも全体を見てください。単語が単発で終わっている、即ちこんなにページがあるのに、文章の語尾にこれらが使われたのはわずか2、3回に過ぎない。だから後で変に思われないように、少しばかり付け加えた臭いを感じ取ったわけです。

 ともかくアラムさんのお返事を読んだ時に感じたことは、アラムさんも恐らくこれが偽ものだと気付いているという事と、それを言いたくても言えない立場にあるみたいだな、ということでしたよ。それは江原さんの行動に詳しいことや、飯沼さんに本名を知られていることからも経緯はどうあれ、過去に何らかの接触が有ったことが推測できたからです。ですからそれが原因で、心の内ではどう思おうとも、面と向かって批判みたいなことは書けない、ということに継がっているようにお見受けしました。最後の方には自分でも内容が大事だと言いつつ、お茶を濁していますしね。ということで、なんとなくお立場はお察ししましたので安心してくださいね(^^)。

 それからササさん、わたしの動機はなんでしょう、とおっしゃいました。ちなみに、わたしが大川隆法や、三島由紀夫等々の霊言が偽物だと本に書いたのを読んだ時の感想は、よくぞ言ってくれた(自分でもわかっていましたが)でした。

 わたしにそんな立派な動機がある、などと自分で言うつもりもありませんが、ただわたしは、あの麻原彰光が偽霊言によって、多くの信者をかどわかしたように、また最近次から次へと出てくる偽霊媒による間違った指南を本気で信じ込んで、生活に不調和をもたらされている人に対して、わたしの経験などからの判断が、たとえ微力であろうとも、何か少しでもお役に立つことがあれば、それは望外の喜びである、という風には感じる気持ちがあることは確かです。

 そのささやかな自己満足(でしょうか)以外に、わたしがこの掲示板で書くことに(しかも匿名、メルアド・HP非公開で)、いったい何の得るものがあるのでしょう?
 あなたがだまされたり、間違った情報で苦しんだりすることが好きな人ならば、それは失礼しましたと言うしかないですけどね…。

 他にもこの本の内容についておかしなところが幾つもあり、それはまた時間のある時にでも書くとして、とりあえず「高級霊」ともあろうはずの霊が、飯沼さんが「敬愛」して止まず、帯になって「推薦」までしている【シルバーバーチは語る】によって、簡単に間違いだとわかってしまうのですから、図らずも自分で自分の首を絞めた格好になってしまっています。はっきり言わせてもらえば、もうこの時点で既に「オワった」感すら有りますけどもね。

 それから、最後になってしまってすみません。たまさん、ゴールインとのご報告、おめでとうございました。文面にて喜びを分かち合ってくださり、読んでいるわたしまでも幸せになれましたよ。これからのお二人のすばらしい未来、そして霊的向上、祈念しております。それと、たまさんには、わたしのつたない文章を引用したり、誉めていただき、いつも感激しています。ありがとうございます。

 今回は本当に取り急ぎの文章です、準備もしていませんでした。ただアラムさんが書いておられた件等について、誤解が生じているようでしたので、簡単にお返事したという次第です。それでは、失礼します。

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2183 アラムさん、購入したんですね
名前: ハナリン  投稿日: 2003年01月15日 (水) 07時45分31秒

あけましておめでとうございます。

アラムさん、本を購入されたんですね。
私も読んだのですが、今回はちょっとがっかりしました。
感想はあとで述べることにします。

今、おすすめの本は佐藤愛子さんの「私の遺書」です。
作家として有名な方ですが、自分の体験した霊体験などが書かれていて、「これ(見えない世界)を伝えなくては死ねない」という意気込みを感じます。

なにより、自分の体験を、自分の言葉で、書かれているのがいいですね。

http://www2.odn.ne.jp/~ohana

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2182 小野小町をブッ飛ばせ(慶祝toたまさん)!
名前: もりふみ  投稿日: 2003年01月14日 (火) 16時08分37秒

「花の色」が移りゆくものなら、その「色」が移りゆくときは「花」それぞれ。「たまの色」はいまだ移らず、といったところでしょうか(失礼!)。否、おそらくは、あしひきの山鳥の尾のながながし「ながめせし間」があったればこその、まさに春爛漫の盛りの「色」の「たまの花」。移りにけりなと嘆いた小野小町を歓喜とともに跨ぎ越していかれよ、現代の加州LA小町!(あれ、SFでしたっけ?)。

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2181 通信霊の言葉づかい
名前: アラム  投稿日: 2003年01月13日 (月) 22時05分02秒

こんばんは。

江原さんの『スピリチュアルメッセージ』に関して、昌清霊の言葉遣いについてのコメントがありましたので少し述べたいと思います。

「ぬしら」、「〜じゃ」という言葉ですが、これは下品だとか見下したものとかは言えないと思います。

「高級霊訓」を伝える高級指導霊の言葉と比較しての意見だとは思いますが、この語り口調は日本のガイドの霊界通信としては珍しいものではありません。

この話し方は、生前に仙道、修験道の修行をした行者の霊人や指導役の竜神の話し方と共通するものです。

例をあげますと
日本の心霊科学では認めらている萩原 真霊媒の指導霊 大峰霊
「お主らも我が子可愛いじゃろ 我が子思う心で人の子思う親心
 これが真の愛じゃよ 口先いらんぞ 悟りの心がけじゃよ」

『新樹の通信』
「自分はイエス様からいいつけられて、これから、そなたの指導に当たるものじゃ」
「こちらの世界で、人間の指導に当たるのは、何れも皆竜神なのじゃ」
「頻りに神のお側に行きたいと祈って居るが、あれは果敢なき夢じゃ。
各自は器量相応の境遇に置かれ、一歩々々向上せねばならぬのじゃ」

『小桜姫物語』
「何事がありても再び現世に戻ることだけは適わぬのじゃ」
「執着が残っている限り何事もだめじゃ」
「実は人間は竜神の分霊、つまりその子孫なのじゃ」
「汝とても元へ遡れば、矢張りさる尊い竜神様の御末裔なのじゃ」
「竜神がその分霊を地上に降して、ここに人類という、一つの新しい生物を造り出したのじゃ」
「同一系統の竜神がその幼児の守護霊又は支配霊として働くことは決して珍しいことでもない。それが竜神として大切な修行の一つでもあるのじゃ」
「風雨、寒暑、五穀の豊凶、ありとあらゆる天変地異(中略)それ等の根底には悉く竜神界の気息がかかって居るのじゃ」

このような指導役の竜神の言葉には「〜じゃ」との言葉が見出されます。
この言葉遣いによって「テレビの時代劇の影響」とか「高級霊ではない」という判断は出来ないことになります。

竜神系統の指導・影響を受けている霊人の場合にこのような言葉遣いが出ている可能性があると思います。

「〜でござる」との言葉遣いは武士の霊が使用することが多いようですし、また天狗の霊が用いているようです。

『小桜姫物語』
「いかがでござる」
「人間よりも些と腕ぷしが強いでござろうが」
「あれはモーすっかり修行が積んで、姿を棄てた天狗達でござる」

このように「〜でござる」という言葉遣いは天狗系統からの指導・影響を受けている霊人の場合に出ている可能性があります。

こうした言葉遣いによって「低級霊だ」などという判断は出来ません。

日本の古い時代の霊人の場合にはこのような言葉遣いによって自分がどのような系統の自然霊からの指導・影響を受けているのかということを示している可能性があると思います。

言葉遣いではなく、その通信内容によって判断するしかないでしょう。

このような言葉遣いの違いが出るのは霊媒の翻訳能力の未熟さのためなのでしょうか?

しかし、古代の霊が現代の言葉で話すのをもって「インチキだ」、「演技でしかない」と判断する人もいるようです。

シルバーバーチでも通信に霊界の霊媒であるネイティブ・アメリカンの霊の影響を残し、「Great Spirit」、「ウィグワム」、「インディアンの祈りを捧げます」というような言葉がでていますから、高級霊が道具として用いる霊界の伝達者によって通信に特徴的な言葉が出てきている可能性も考えられます。

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2180 入手しました
名前: アラム  投稿日: 2003年01月13日 (月) 20時14分46秒

こんばんは。

『イエス・キリスト 失われた物語』を入手できました。

申し訳ありませんがamazonではなく、在庫ありのサイトがありましたのでそちらで購入しました。

この本は既に絶版となった『妖精物語』の追補を寄稿されたF・フォン・ロイター氏の著書、訳注で紹介されていた『The Master from Afar』の日本語訳だったのですね。

この翻訳書を最初に紹介してくださいましたハナリンさんに感謝いたします。

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2249 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年02月15日 (土) 16時03分55秒
アラムさん、どうも。

そんな無理してamazonを利用して下さらなくても結構ですよ。アソシエイトの紹介料なんて微々たるもので大したことはありませんから。もちろん一人でも多くの人が利用してくださればその方が嬉しいですけどね。それだけ当サイトを支持してくれる人がいるという一つの目安にはなると思ってますし(^^)。

さて『イエス・キリスト〜失われた物語』ですが、これらが全て真実だとは思いませんが、実像にかなり近い可能性はあるんじゃないでしょうか。物語としても良かったと思いますし、僕はそれなりに面白く読みました。詳しくはそのうち書評を書くつもりです。なぜ事実と思わないかの理由も書評で……。

http://www.paperbirch.com/


2178 きりこさんへ
名前: @^。^@tomoe  投稿日: 2003年01月13日 (月) 15時14分55秒

1000円あればと申しますが、500円くらいの本もありますよ。
私も決して裕福ではありませんよ。
きりこさんは実際にその1000円を国境無き医師団に送っていらっしゃるのですか?
私は普段もったいないから喫茶店とか入らない人です。
缶コーヒーも買わないんですけどね。
本は買います@^。^@
きりこさんのお金の価値観と収入状況は存じませんけど、500円でも送金したいと思う日常を送っていらっしゃるのですか?
そういう方は周りに居ないので、実践していらっしゃるならある意味凄いなと思うのです。
自分が何かをちょっと我慢しても、「真理」を学ぶのは私にとって喜ばしいことですし、決して捨て金ではない内容だからこそ、お薦めしますよ。
確かにシルバーバーチの本は素晴らしい内容ですが、もし私が高校生や20代前半ならその内容は難しかったかも知れないと思うのです。
でも江原さんの本を読んでから、シルバーバーチの本を読みましたから、本当に霊訓も理解しやすかったです。
低俗とか言う?意見があるようですが、私にはその方の受け留め方に「?」を感じます。上っ面の評論の言葉に「力」を感じないところです。
残念ながら、評論家は言葉を発することが仕事なのでしょうけど、とにかく言葉を発しないと自分の存在価値がないように思うのでしょうか?
TVでも評論家はその場を盛り上げるために、いるような感じはしますが、それを鵜呑みにして視聴者は聞くのではなくて、やっぱりひとつの意見としてとらえると思うんですね。
やっぱり自分で確かめるのが一番じゃないかしら?

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2248 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年02月15日 (土) 16時00分09秒
「上っ面の評論」だの「力を感じない」だのと、よくもまぁそんなことが言えるものだと思いますが、動機が云々と言っていた人たちと同じで、雰囲気に流されて理性的に考えることを放棄しているようにしか見えません。もしくは都合の悪いところから目を逸らしているのか。(何か批判するのなら論理的に、そして具体的に、どこがおかしいということを説明すべきです。それもせずに「感じ」だけでこういうことを書くのは卑怯ですね)

「真理を求める心があればきっと感じるものがある」とか、どうやら「感じる」というのがお好きなようですが、そういうことを判断基準にするのは危険であることは知っておくべきでしょう。誰もが正しく「感じる」ことが出来るなら、危険なカルト宗教など発生するはずがありません。オウム真理教の信者だって、統一協会の信者だって、それぞれに感じるものがあって信じているわけですから。……あなたはスピリチュアリズムまで、そういうものと同レベルに貶めたいのですか?

シルバーバーチは理性こそ、人類に神が与えた最高の判断基準であると言っています。雰囲気や感じに頼って理性や知性を放棄するのではなく、それら最高の判断基準を活用して厳しく吟味されることをお薦めします。

   「理屈を言ってはいけません。そう信じればよいのです」――私はそんなこと
  は申しません。反対に「神が与えてくださったもの(知的思考力・理性)を存分
  にお使いになって私をお試しなさい。しっかり吟味なさってください。そしても
  しも私の言うことに卑劣なこと、酷いこと、道徳に反することがあれば、どうぞ
  拒否なさってください」と申し上げます。
  (『シルバーバーチは語る』3章)

  「神は人間に理性という神性の一部を植え付けられました。あなた方もぜひその
  理性を使用していただきたい。
  (『シルバーバーチは語る』20章)

おかしな宗教屋に引っかからないためにも、上記シルバーバーチの霊訓の意味する所を、しっかりと正しく理解していただきたいと思います。

http://www.paperbirch.com/


2176 とりあえず
名前: きりこ  投稿日: 2003年01月12日 (日) 19時13分51秒

心の道場さんで出版している書籍を熟読して、あとは日常で体験する様々な
事柄で勉強するので充分だとは思っていますが・・・・・
1000円ですか。
1000円有れば、10人の子どもに命の薬を届けられますね。
数本植林できるし。

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2175 江原さんの著書は一読の価値アリですよ
名前: @^。^@tomoe  投稿日: 2003年01月12日 (日) 12時41分09秒

何事も自分の目と心で確かめるべきだと思います。
雑多な意見に振り回されず、本当に真理を求める心があればきっと感じるものがあるのではないかしら?

例えば、人と会話する時に方言とかイントネーションを気にするのではなくて、その人が何を伝えたがっているのか?この人はどんな人なんだろうって思うところに心を配れる人なら、言葉の上っ面だけではなくて、より深い知識や理解を得られる筈ですよね。

1,000円ちょっとの本ですが、他の著書も沢山ありますからhttp://www.ehara-hiroyuki.com/book.html
一度読んで見られることをおすすめします。
「幸運を引きよせる スピリチュアルブック」がお薦めですよ。

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2174 議論になるかもしれないが・・・・
名前: きりこ  投稿日: 2003年01月12日 (日) 10時27分48秒

当掲示板において度々話題になっている江原さんの書籍は、一応読んだほうが
よいのでしょうか?

読んだことも無いのに、読んでいない私が批評することはフェアではないですし・・・・・
でも、批評したり批判するために読むと言うのも(?)ですしね。

私としては、内容的に疑問の有るものであったとしても、その書籍がキッカケとなって、スピリチュアル的な世界へ導かれる端緒にさえなれば、よいのではないか?と思っています。
どのみち、スピリチュアル精神世界と言うのは、学派(?)としては極端にマイナーのものであるのと同時に、内容的には必ずしも霊訓に出会わなかったとしても日々の内面的・外面的な向上心をもっている人ならば誰しも心の内に内包している、まさにグローバルスタンダードと言えるべき思想です。

だから、それこそ無私的な思想や動機のもとに日々の仕事や家事、活動をなさっている方については十分スピリチュアリズムに合致した生き方だと思うのです。
だから、江原さんの書籍が内容的に(?)であっても、カルティックなものであったとしても、スピリチュアル的世界への導入部になるとするならば、私はそれはそれで有意義だと思うのですが・・・・
それにより、自らの人生を省みて、軌道修正する方向に行けたとしたら、人生全体が大変有意義な学びの場となるのではないかと思っています。

繰り返しますが、スピリチュアル的精神世界と言うのは学派としては超マイナーですが、その精神はグローバルスタンダードです。
それこそ、マザーテレサのように世界的に有名な人生もあれば、人知れず近所の公園や道路をなんの名誉も賞賛も無いのに、日々せっせと掃除しているおばあさんの人生もスピリチュアリズム的です。

学ぶために生まれてきているわけですし、およそこの世に学ぶ価値の無いものは少ないと思います。
ただし、個人崇拝的な危険なカルト、テロを礼賛する原理主義などは有害無益な典型ですが、あったとしても、スピリチュアル的精神的基盤を確立しておけば、強固な羅針盤を心のうちに確立しておけば、この世の事象というのは学びの教材になるものが多いのだと思います。

*江原さんの本については、例えばということです。
 有意義か有害、無益かということについては、読んでいないので判断はでき ません。
 できれば、買ったことにして、その代金分で「国境無き医師団」に寄付したいですが・・・

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2204 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年01月20日 (月) 23時55分14秒
江原さんの本ですが、批判するのなら読むべきです……というより、読まずに批判するのは無責任ですし、読んでなければ批判してはいけません。批判するために読むなんていうのは、確かに気が進みませんけどね……。

どうせ読むなら、これが江原さんの本当に出したかった本だという「スピリチュアルメッセージ―生きることの真理」を読むべきでしょうが、いくらなんでも薄くて文字が大きくて空白も多くて損した気になるかもしれません(僕はなりました(^^;)。1,200円という値段は比較的良心的ですが、一時間で読めてしまうのでコストパフォーマンスは悪いです。(そういう尺度で判断するものでも無いんでしょうが)

その点「幸運を引きよせるスピリチュアル・ブック」は文庫本で安いのでお薦め?ですね。内容も「スピリチュアル……」よりはマトモだと思います(そう、指導霊の本のほうが何故か気持ち悪いんです)。
「人はなぜ生まれいかに生きるのか」というのもありまして、これは僕が読んだのは8年も前ですが、当時は若い世代の新鋭スピリチュアリストが出てきたと大いに期待したものでしたから、そこそこマトモだったような気はします。(今読んだらどう思うかは分かりませんが)

ところで、「読んだほうがよいのでしょうか?」と聞いておいて、勧める人が出てきたら「1000円有れば、10人の子どもに命の薬を届けられますね。」というのは、それはそうなんでしょうが、予め答えが決まっている質問をしているようで不公正というか、不公平というか、それはあんまりだという感じがしました。

たぶん、批判するために読んでおいた方が良いかという意味で聞いたのに、ストレートに「良いから読んで!」というような勧められ方は想定外だったのだろうとは思いますが、もうちょっと配慮が必要だったかなと思います。(まぁ、僕なんかがこんなこと書くと「お前が言うな」って感じですが(^_^;ゞ)

http://www.paperbirch.com/
2205 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年01月21日 (火) 00時08分13秒
なんか肝心なことを書いてなかったような気もしますが、批判はするわ本を読むなと言うわではあんまりだと思うので、「読まなくたっていいよ」とは言いづらいというのが本当のところです。

批判するためになんか読む必要はありません。人を批判してたって、それが必要なこともあるとしても、やっている本人に良いことなんて一つもありません。

ですから、書店で手にとってみて、興味を惹かれる部分があったら読めば良いと思いますし、その結果、酷いと思ったら批判しても良いですし、別に悪くないと思えば擁護していただいても面白いと思います。そこらの霊能者の本と比べれば、よっぽどマシなことを書いてる部分もありますから。(ただそれを言い始めると、大川隆法の初期の霊言集の方が、更に良いことが書かれてたりするんですが(^^;)

http://www.paperbirch.com/


2173 おめでとうございます。
名前: きりこ  投稿日: 2003年01月11日 (土) 05時28分19秒

たまさん、ご結婚おめでとうございますうーーーー
あれから、全く経過報告が無かったので、どうなってしまったことかと思っておりました!
いやはや、結婚と言うものは、恋愛と違って様々な局面から考えなくてはならないですからね。
とくに女性はシビアでしたねえ。外見、精神的な相性、肉体的な相性、経済的な事情、相手と自分の家庭環境、思想信条(宗教含む)、等々、様々な要素が入り乱れます。
私が結婚相手を探しているときは、まだ今ほどは景気が悪くなくて、地方公務員(都)は結婚相手としてそれほど人気が有りませんでした。
なにせ東京には、大企業の本社要員(エリート)がうじゃうじゃいますから・・・・・・
だから、女性のシビアさを結構感じましたね(大笑)。

バブルのときに結婚した先輩だと、あの当時公務員カマってくれるのは同じ公務員の女性しかいなかったと嘆いておりました・・・
いま、27歳の後輩が結婚デモするか、と考えて結婚相談所に登録したら、くるわくるわ、(彼には不釣合いな)見合い希望女性が沢山来るそうです。外見は平凡な人ですが、いまでは地方公務員の職業に惹かれる女性が多いそうで、相談所の職員によると、銀行よりもどこよりも、人気が有るそうです。時代が変わったあ・・・・
はっきりいって、うらやましい・・・・

ま、なにはともあれ、

物事は、あれこれウジウジ考え込んでしまうより、エイヤっと、前に一歩足を踏み出してしまうほうが、大変賢いことなんです。
「案ずるより生むが易し」
この言葉は金言です。
たまサンの結婚がエイヤかどうかはしりませんが、良い決断だと思います。
いやなことも多いですが、良いことのほうが多いですね。

結婚はスタートですから、これからいろいろ楽しいことがありますよ!

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2172 キャンペーン終了のお知らせ(ワイルドストロベリー効果のプレゼント付き)
名前: たま  投稿日: 2003年01月11日 (土) 01時54分00秒

ペーパーバーチさんはじめみなさま こんにちは。
少々時差ありすぎですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年も改まり、すべてが心機新しく始動しているこの時機に、みなさまには、私の個人的キャンペーン終了のお知らせをここにさせていただきます。めでたい!と取っていただいてよし、大丈夫?と訝っていただくもよし、単におもしろがっていただくもよし。なにしろ、こちらでは今までにさんざん己の恥部までも開陳させていただいてきました。ここはやはり締めくくりにふさわしく、この半年ちょっとに亘るキャンペーンの総括と結果報告をし、最後の恥かきをさせてください。「そんなんいらんわい」と思われる方もおいででしょうが、どなたかお一人でもの具体的行動の叩き台となり、なんらかのお役に立てれば、なによりの幸いです。
が…… はじめに申しておきます。今回も、いかんせんさらに大人のハナシが多すぎですので、一応30歳未満の方にはご理解いただけない部分があるかも…という立て札を立てさせてくださいね。そしてもしも理解できなかったとしても、別年代の世界をちょっと早めに覗くくらいのつもりでおおらかに構えて受け止めていただけるなら、有難く思います。


さて、十月に「もしかすると私は結婚への一番大きな推進力である「盛り上がりと勢い」を自分で殺いでしまった」のだろうか…とこぼした私にペーパーバーチさんが挟まれた合いの手ですが、いやいや、またも次のステップへの大きなきっかけづくりになってくれました。

> その通りかも……。欲を何もかも邪魔者扱いして潰してしまうのではなく、制御しつつうまく開放してやって、生きる活力(盛り
> 上がりと勢いと言ってもイイですが(^^;)として活かす必要もあるんじゃないかなぁ……と、僕は時々思ったりします。食欲・性
> 欲・睡眠欲……そればっかりではいけないにせよ、欲が無くては人間は生きて行けないものですから(^^)。生欲を何もかも邪魔者扱いし

とのことでしたが、実はあの時、読んだ途端に焦りました。今度はこんな部分に「新たな課題」がドカンと来てしまってはかなわない…と思いましたから。なにしろ、私、ペーパーバーチさんとは違って、普段から食欲と睡眠欲はしっかり満たしてしまっていますからね。残りは……(- -;)

順を追うため、まずは前回私が罹った病気の根っこについて懺悔します。
その構図と礎石が見えた途端にスーッと引いていった、あの「恋」といわれる病気。
あの時、私に見えたのは、まずは「私は相手の人柄に惹かれているのではない」という点でした。たしかに、それまでの私にとっての「こうあってほしい」という相手への希望がいきなり形になって自分の前に現れたわけですから、その驚きも手伝って病気に罹ってしまいました。が、考えてみれば、その人が「好きです」と言わず「俺を知ってほしい」と言ったことを、私は「私の視点で」捉えすぎていました。その正直者は、本当に言葉どおり「俺を知って」ほしかったんですね。「私を知りたい」のではなく。
にもかかわらず私に対して強烈な牽引力を持って存在したその人とは、なんだ、分かってみれば、私が相手に望む外見的条件 -- 容姿学歴収入などというものでなく、行動パターンという意味で -- を満たしているというだけのことでした。つまり、私は、人間性を見るつもりでいながらまだまだ相手の表面に目が眩んでいただけでした。ようするに「自分がどう扱われたいか」という点でしか相手のことを見られていませんでした。
逆にいえば、その人が私に「俺を知ってほしい」と言うのは当然でした。私はそのずっと手前にあるもの、その人に付随しているもの=私に対しての態度や行動をしか見ていなかったのですから。本当のその人を見られていない状態になってしまっていたのですから。その人もどこかでそれに勘付いていたのでしょう、「俺を知って」なんて言葉が素直に出てくるのですから。結果的に私はその相手にとても失礼な対し方をしてしまっていました。頭ではそんなことの違いなんてとっくに分かっているつもりでいながら、こんなに簡単にひっかかっていたなんて……猛省しました。

ところで、これはなにも一対一の男女の付き合いだけの話ではないはずですよね。
その後、つくづくと、人が人を見るときの視点について眺め直してみました。同じことはいっぱい溢れているということに気付きました。
一番分かりやすかったのが、よく言われる「いい人」という表現。正直、誰もがそれを言われて悪い気はしないでしょう。
でも、言う側は「いい人」という言葉をどういう意味に使っているのか、一皮二皮剥いてそれを見てしまったなら果たしてどうでしょう。
私にとって扱いやすくて都合の「いい人」、こっちのことを分かってくれるので居心地が「いい人」、八方美人的に振舞うことしかできないヤツだから本人は大変だろうけど私は胡坐をかけて楽で「いい人」、まだまだ他にも言う側の意味合いはあるでしょう。でも共通して、言う側の視点からしか発されていない「いい人」でしかない。
よく言われる「『いい人』と『分かり合える人』とは一致しない」というのも、このあたりから出てきていないでしょうか。他人を「いい人」と表現するときの言う側の心、そしてそれを言わせてしまう言われる側の心の状態、それらを知ってか知らずか「いい人ね」と言われてなぜか誰もが感じてしまう心に吹く一陣の隙間風……見ていくとまだまだいっぱいいろんなものが見えてきそうだ…と、今回の自分の失敗を機に、実感させられ教わり、考えさせられています。


さてさて、こうやって私たちを導いてくれる存在とは、本当に有難いものです。
私がその課題のポイントを掴んだと判断してくれたのか、その後の心の後片付けをして、ではこの生身は具体的にその人とどういうお別れの段取りを踏むのか、などの踏ん切りをきっちり済ませた直後のことでした。
最初はなんの気なしに声を掛け合った程度の出会い。それがそのままジェットコースターの逆巻き落としに突入。
お互いの生身に付随している事柄(環境、趣味嗜好など)はすべてがことごとく正反対な人とネット上で出会い、6週間後にはその人は海を渡ってきてくれてしまったのですから…「あなたを知りたいから」と言って。年末年始のそんな時期に急遽探して直行便チケットがあったこと自体の不思議から始まり、他にも数え切れないほどの偶然を、風は起こしてくれました。
そして、素性もよく分からないいわば初めて会った人と、会ったその日から6日間という時間をずーっと一緒に過ごすという、本人たちにも信じられない異常事態になっていきました。その間、40もとっくに過ぎた女がなんとスッピンで過ごし、楽しみにしていた新年カウントダウン直前に街中で酔いつぶれて醜態も晒し、お互いにキッチンに立って普段のメニューを作って振る舞い合い、喧嘩も数回し、仲直りもそれ以上にし、お互いのおなかの肉を抓んで遊び、気取りも飾りもなくまったくの子供に帰った状態で自然のままにお互いの中身をじっくりと見合った中年男女は、空港で別れた十二時間後に男が成田からかけた電話で長々と話し、自分たちの感じている寂しさをそれぞれに訴え、お互いに「こんな変わったヤツいない。自分にはこれくらい変わった相手がいいのかも」と思っていることを確認し合い、結婚することに決めました。
ちなみに生身本人たちは、映画「Sleepless in Seattle」「You've got a mail」を二つ合わせても、ドラマ性ではこりゃ勝ったぜ…とヘンに自負して満足していますので、今へたに揶揄すると、羊くらいには蹴られます(^^;。

いえいえ、のろけているつもりなんかありません。なぜって、これが私にとっての次の「課題」であることは、先刻承知ですから。
そうでなければ、「人間性だけで相手を選びたい」なんて言っている女の前に、本当にそれだけで選べるようなこんな「好条件」がそろうはずもなく…(^^;。なにしろ、どんな仕事をしてどんな家族がいてどんなところにどう住んでいるのか、相手には丸見えになっても私には相手のそれは全然分からない状態だったわけですから。にもかかわらず、ポーズでなく本当に私がそういうことを知ろうともしないことに、相手は驚いていたようですが…ま、フツウ驚くでしょうね、たしかに。相手の仕事も聞かないなんて、この世的にはあり得ませんものね、フツウ。
でも実際、たとえどんなにこの世的結婚条件を吟味して自分に都合がいい相手を選びに選んだとしても、なにか問題の出てこない結婚生活があるはずもないことはすでに知ってしまっていますし、おまけに社会的に一番ビミョーなすぐにも大問題に出くわしやすいお年頃。
さらに、「私にとって必要な問題や課題だけが与えられる」と、コイツは信じてしまっています。
それらすべてを考えても、この信じられない出会い方惹かれ方の設定は、私自身にとって、自分のその信頼を再確認するいい機会になりました。そして、その信頼にしっかり応えてくれた存在を、今回またも再確認できました。一見つまらなく見落としがちな、あることで。

以前からひそかに一つだけ不安があったんです。人間性だけで選んで、あとはどんな設定でも受け入れようと決意はしていましたが、一応女性とはなかなか動物的なものでして、「生理的にダメ」という条件は結構強いものがあります。もしも「運命の人」がそういう部分にひっかかる相手だったらどうしよう…という思いは実はずっとありました。今までに周りにたくさん知っている離婚した女性たちが「最初はちょっと気になる程度だったけれど、もうどうしても彼のにおいがダメで、その一つがダメだと思ったら他のいろんなことがすべてダメになっていってしまって…」的な本音を持っていることも知っていますから。そして、私自身にもその記憶はありますから。
におい、声、癖、爪の形、肌の感触、体温、汗のかき方などなど、いわゆる容姿とは別にこういう「ささいな条件」は、生理的感覚的なものであるだけに、こと結婚という長距離走で考えた場合、盲点ながら大切…ですよね? しかもこういうことは結婚してみないとほんとには分からない場合も多いわけですものね。

と、そんな不安を持っていたからなのでしょうか。結局、私に与えてもらえたのは、見事にこうしてそれらをすべて実際に自分で確認できる機会であり、またそれらすべてにおいてなんの違和感も感じない、どころかすべてが私にとっては好ましくフェロモンにすら感じられる相手であったんです。多分世間的外見的にはお互いそうとう強烈な個性の持ち主であろうと思われるのに、声を聞いていると身体の芯が融けて力が抜け、体臭はおろか、髪のにおい、起き抜けの口臭までが好ましく、さらには相手の発するこの世的生臭みまでが愛らしさと感じられてくるという、私にとってはまったく未経験の驚天動地な事態に。単に交接としてのセックスでなくそれでいてエロでなく、年齢を重ねたことの良さをお互いが感じられる交歓のときを経験できました。
しかし、生理的ひっかかりがまったくないなんて、実は今までに考えられなかったことです。ということは、私ってバカでした。もしも運命の人がそういう部分にひっかかる相手だったら…ではなく、運命の人だからひっかからないものだったんですね。すぐにそれと分かるようにしてもらえていたんですね。こんな単純なことにまで、取り越し苦労の網を張っていたんですね、情けないことに。
見落としなんて本当になく、必要でない課題は与えられず存在しないと、こんなことでまたも言われた気がしました。

ということは、です。きっかけはともかく、そんな細かいことが今回の課題ではない、ということのようですね。
いったいどんな大きな課題であるのか、すべてはいずれ見えてくることでしょう。来月私が日本に行っていろんな手続きを済ませる頃からが本番でしょうか。やっと生身の現実問題と対面できます。新たな多忙の中、今、この長期課題の全貌が見えていくことを、わくわくと楽しみにしている状態の私です(^^)
あ、「やっぱりのろけてるだけじゃん?」と感じた方、ごめんなさい。もしかすると、結局やっぱり、そうだったの、かも…(^^;。


ところで、私こちらでは、最近だけでも二度は心から喜ばしく思わせていただきました。
もりふみさんが「『あなたという人が(よぉ〜く)分かりました』と言われることにはもう飽きている」とおっしゃっていたことから、それをおっしゃれるもりふみさんの愛嬌あるキャラ(失礼)と、そのバックグラウンドに「重要関係人さん」との強い絆を見せていただいて、善き哉…と微笑ませていただきましたし、busy hermitさんの

> 結婚とは「失うことへの恐れ」が作った掟などではありません。一つになろうとする愛、与えようとしあう愛、最も内なる種類の愛の
> 自然な発露であり、根本的で、天界的なものといえます

という言葉には、私の内から、ほかに何も混じらない強い同意が湧いてしまいました。
これらは比較検討対象の問題などではなく、ただ純粋に、お二人が内にお持ちの愛の質をそれぞれに手触りとして感じさせていただけたラッキーとして、とても嬉しく思いました。なかなかそういう風には、特に日本人男性には感じさせていただけないものなだけに、私にとっては貴重な嬉しさでした。
この場に流れる、そういう貴重な光る愛を引き出し発露を促す力に、そしてそれをキープし続けるペーパーバーチさんに、改めて感謝とエールを申し上げます。もちろん、今回の個人的キャンペーンにとてもタイムリーなコメントをくださり続け、結果的に建設的に課題をこなすことができて次の大課題に出会うことになったことにも、感謝です。ペーパーバーチさんの場に働くパワーを、改めて感じさせてもらっております。  ありがとうございまーす(^.^)
ですから、 呆れながら読んでくださったみなさんすべてに、感謝を込めて、今の私のHAPPYのお裾分けをさせていただきます(ちょっと悪酔い気味ですが、この場のパワーにさらに「ワイルドストロベリー効果」をしっかりプラスするはず、と思いますよ(^^))。

ぜひ、「ご自分の」大切な応援団との連携を育ててください。
他者との比較でなく、己の行動と反省の積み重ねで信用を培っていってください。
「あなただけ」をいつも見つめていてくれる応援団は、どこか別のところではなくあなたの内にこそいるはずであり、なによりもすごい奇跡を起こせるパワーを持っているのは、他でもない「あなたの応援団」とあなたの信頼ですから。
信じる者を救ってくれるのは、他の誰でもなくあなた自身=あなたの応援団なのですから。

基本はシンプル。
その具体的ほんの一例として、「恥ずかしいなんて絶対嘘だ」と思われるであろうことをいままでいろいろ書いてきましたが、ここに一応の結果をお知らせし、キャンペーン終了宣言させていただきます。そしてこの先の大課題に、私が愚痴を垂れに来ましたら、遠慮なく叱ってやってくださいね。応援してくださった方々、ありがとうございました(^^)  しばしの間、ごきげんよう。

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2202 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年01月20日 (月) 22時54分43秒
たまさん、ご婚約おめでとうございます〜、ドンドンパフパフパフ! なんだか盛り下がった(意訳)とか仰ってたので心配してましたが(^^;、うふふふ、その後に波乱万丈のドラマがあったようで(^^)。延々とのろけ話(確かにのろけ話です!)を読まされて、こっちまで嬉しくなってしまいました。いや、多くは語りますまい、羊に蹴られてはたまらない(^^;。

|ちなみに生身本人たちは、映画「Sleepless in Seattle」「You've got a mail」
|を二つ合わせても、ドラマ性ではこりゃ勝ったぜ…とヘンに自負して満足してい
|ますので、今へたに揶揄すると、羊くらいには蹴られます(^^;。

「事実は小説よりも奇なり」と言いますが、所詮この世の人間がつくるドラマなど、霊界が演出するドラマの足元にも及ばない、というところでしょうか(^^;。

それにしても、毎度たまさんのご自分を掘り下げて観察する力には感心させられます(^^)。某新興宗教団体では反省行などということを言うようですが、たまさんの方がもっと広い意味で自分を観ることが出来ているように思います(って誉めすぎ?)。まぁ、だいたい『反省行』なんて言葉自体、後ろ向きで詰まんない事を言ってるもんだ、と僕は思ったりもするわけですが(^^;ゞ。

前世がなんちゃらと霊視したり思い出してしまったりして、お手軽に自分を分かったつもりになる人も多いようですが、たまさんをちょっとは見習って、自分の心の動きを観察してもらいたいと思ったりする今日この頃なのでありました。

さてさて、何かはなむけにふさわしい言葉をとも思ったんですが、どうにも気恥ずかしさが先に立ってしまって上手く書けないので、僕が結婚する時にパソ通で親しくさせていただいていた方からいただいた言葉をご紹介させていただきますね。

'94年07月02日Nifty-Serve FARION(13)神秘学遊戯団にて、KAZEさんのコメント
|もちろん、結婚してみなけりゃ見えない部分ってのはたくさんあるけど、
|これも「嫌いでも理解・好きならもっと理解」ということで、
|好きで結婚されるのですから理解を深め合うのは当然ともいえます。
|それにもし、少しでも嫌いか最初は理解しがたい側面もあったとしても、
|「理解」を心がけるというのがとっても大切なことだと思います。

|会社をふくめて僕の周囲の結婚されてる方の現状をみるにつけ、
|1カ月も口をきかないのを自慢したり、相手をぼろくそにいったり、
|「騙された!」といってみたり、
|子供がいなけりゃ離婚する!なんてのを連呼したりすのって、
|やっぱり気分のいいものではありません^^;。
|そこにも根本的に欠けているのは「理解」ということです。
|おそらくそうした破壊的な状況のようにみえることは、
|相手を鏡のようにして自分の課題とすることを
|否応なく見せられるということなのだと思います。
|で、そこに「理解」がないと「創造」は生まれないわけです。

……ああ懐かしい。このかたも今はご自身のサイトを精力的に運営しておられます(当サイトのリンクのコーナーからどうぞ)。
結婚というのは結構大変なこともありますが、思いがけない発見もたくさんあって楽しいものです。楽しみましょう!(お互いに)

http://www.paperbirch.com/


2171 私もそう思います
名前: きりこ  投稿日: 2003年01月08日 (水) 22時15分29秒

こんばんわ。
もりふみさんのご意見に賛成。(意味はずれてるかもしれませんが)

スピリチュアリズムと言うのは、各自の自己努力がその根本に有るのであり、
決して特殊な祈りや儀式、組織や教祖(もしくはそれに類したもの)によって霊性を高めたり、徳を積むものでは有りません。
日々の活動、日常生活、世間の動き、世界政治・軍事・経済情勢等、森羅万象
すべての事から学習していくことだと思います。

学習するための根本理念と言うか、スタンスというものを霊訓は示しているんです。
別段、霊訓に出会わなくとも、宗教を信じなくとも、霊性を進化させる事だってあるわけです。そんな人はいくらでもいます。
でも、およそ浮世はいろんなことが次から次へと起こるモンでして、学ぶにコト欠くということはないですね。

辛いことも多いけれど、頑張って勉強しましょう。

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2170 謹賀新年的御挨拶ついでに・・・
名前: もりふみ  投稿日: 2003年01月08日 (水) 12時39分11秒

ペーパーバーチさん、みなさん、松が取れてから言うのもなんですが、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、正月そうそうアレですが、busy hermitさんの短評に触発されて手にとった江原氏の新刊について、私も寸評をひと言だけ。

スピリチュアリズムは(そのエッセンスを知らない人から見れば)、いわゆる『鬼神怪力』と履き違えられやすい傾向があるように思いますが、著者は、そんなヒトの傾向を意識的に逆手に取って『鬼神怪力』的なものにすがりたいと思う人々を増やそうとしているのであろうかという疑念が残るのみでした。まぁ、いずれにしても、スピリチュアリズムが『鬼神怪力』と履き違えられやすいという困った傾向を助長するのには大いに役立つのではないでしょうか。busy hermitさん御指摘の語り口《〜じゃ》など、『鬼神怪力』を求めるヒトの心理を見透かしたものであるということ以外に何の必然性があるでしょうか。著者は読者一般の理性というものを馬鹿にしすぎているとしか思えません、まさかスピリチュアルカウンセラーとは、『鬼神怪力』を求めるように人を導く仕事ではありますまいに。

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2168 busy hermitさんへ
名前: 堀江  投稿日: 2003年01月07日 (火) 22時06分31秒

悠々塾掲示板752に、あなたへの質問と意見が掲載されています。

http://www.d5.dion.ne.jp/~susa/index.html

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)F027011.ppp.dion.ne.jp

2201 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年01月20日 (月) 22時48分17秒
当掲示板の投稿に対するコメントを他の場所で書くのはご遠慮ください。以前にも、当掲示板に初めて書き込みをされた方へのコメントを他の掲示板で書いておられましたが、そのようなことをされるのは非常に迷惑です。そういうふうに「おかしなコメントを付けられそうで掲示板に書き込むのが怖い」という声が、少なからぬ人たちから寄せられています。

これ以降、同じことをされた場合は(他の誰であっても)宣伝掲示と見なして削除させて頂きます。

http://www.paperbirch.com/


2167 業務連絡
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2003年01月07日 (火) 03時01分56秒

#2162と#2160は単なるコピペ荒らしでしたので削除させて頂きました。#2161は他の方ですが宣伝掲示でしたので削除しました。

また、うらら氏については悪質でしたので、使用されたIP(※)のサーバー管理者に問い合わせのメールを送らせて頂きました。過去の同種の荒らしの某氏の生IPも同様にして分かっていますので、場合によってはプロバイダに何らかの対処を要求致します。

それにしても、論理的に反論できないとなるとコピペ荒らしとは……情けないですね。

※当掲示板はプロクシは通さない設定になっていますが、一部のプロクシ特有の環境変数を出力しないプロクシは通ってしまいます。今回のうらら氏のIPもそうですが、岩城氏が使ったいくつかのIPも、同じサイトの匿名プロクシリストに載っていたものです。

http://www.paperbirch.com/

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2163 busy hermitさんへ
名前: さき  投稿日: 2003年01月06日 (月) 20時42分43秒

 江原啓之さんの「スピリチュアル・メッセージ」を読みました。最初に書店で「本書は江原啓之とその指導霊である昌清霊との交霊会の記録をまとめたものです」の一文を読んで、江原さんがこれまで書かれた本とは全く性格のちがうものだと知り、楽しみにして帰宅しました。「類魂」を始め霊的な真理、法則が昌清霊の言葉で分かり易く語られていて一気に読みました。ちなみに大阪梅田の紀伊国屋書店で本を買ったのですが、大きな手書きポスターで江原さんの本が紹介されていて、よく売れているのが分かりました。こんなふうにこれまで江原さんの本を読んだ人が今度の新しい本を読み、実際に昌清霊からの言葉に触れ、この日本でも、人間は霊的な存在なのだという認識が広がっていく、広がっているのでしょう。江原さんは大きな働きをしておられると思いました。以上、簡単に私の感想です。
 
 以下、busy hermitさんの書き込みを読んで、感想と疑問です。busy hermitさんは「全般的に…なんでわざわざこんな分かりきったことを今さら言う必要があるのでしょう?」と書いておられますが、まず「霊」という言葉さえ、幽霊・怖いものとか、うさんくさいもの、としかとらえられないことが多いなかで、「こんな分かりきったこと」が実際に多くの人のなかにあたりまえのこととして浸透していくとしたら、すごいことだと思いませんか。
 
 私には、「人間は肉体をまとった霊・たましいである」ということがあたりまえのことととして語られ、認識され始めているというのはうれしい驚きです。そこから多くの人が霊的に目覚める、今の地上的なとらわれから自由になって「生きることの真理」に気づくことができる。大きな契機になります。江原さんはそれを意図されているのだと思います。busy hermitさんも、「江原さんは普及に関わっているから、という一面だけをもって良しとするのは短絡的…」と書かれていますからそれは否定されないでしょう。
そのことを抜きにしてのbusy hermitさんの「間違い」等の指摘は、どんな動機で書かれたものなのでしょう。

 ひとつだけ引用します。母性、父性についての言葉に対し、――ここでは母性と父性をただ子供を作るか作らないか、という面からしか捉えておらず、子供をたくさん作れれば、それが真の男だ、女だ、と豪語しています(まあ、はっきりいえばセックス奨励ですね。酒宴でのエロおやじの話と同程度だということです)。――と書いておられますが、一体どうすればこんなふうに読むことができるのか、私には全く理解不可能です。

 昌清霊が繰り返し伝えているのは、私たちはたましいであり類魂の一部であるということです。こんなことも言っていますね。「この現世のなかで、どのたましいにおいても共通する学び。それは傲慢さ、みずからが類魂の一部であるということを知らないがための、みずからの利己主義、愛なき行動、依存心などを知るということじゃ。まことの謙虚さを知るということ、まことの謙虚さに気づくということが大事なのじゃ。」

皆さんも感想を、とあったので率直に書かせていただきました。

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2200 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年01月20日 (月) 22時44分11秒
どうも一部で、動機が○○だからという憶測を根拠に、批判の内容から目を逸らそうという議論が横行しているようですね。

僕はbusy hermitさんの動機が“霊的真理への敬意”ゆえであることを疑うものではありません。しかし仮にbusy hermitさんの動機がどうであろうと、それはbusy hermitさん自身の問題に過ぎないのであって、指摘した内容の可否とは別の問題です。busy hermitさんの動機次第で指摘の内容が正しくなったり誤りになったりというものではありません。

それを、busy hermitさんの動機が云々と言いはじめるのは、問題点から目をそらすための誤魔化しの議論でしかありません。真理を探究する者の取って良い態度ではありません。江原さんの言葉がシルバーバーチの霊訓と矛盾しているのは、busy hermitさんの動機のせいではありません。

動機が云々と言って誤魔化している場合ではありません。真理に忠実たらんとするならば、まず、その矛盾として指摘されたところに対峙するべきでしょう。「批判する連中は嫉妬しているのだ」などという、何の根拠もない妄言----非論理的な負け犬の遠吠えと言っても良いですが(こういう言い方をするから僕は敵を増やすのだな(^^;)----を巻き散らかす前に。


|まず「霊」という言葉さえ、幽霊・怖いものとか、うさんくさいもの、としか
|とらえられないことが多いなかで、「こんな分かりきったこと」が実際に多く
|の人のなかにあたりまえのこととして浸透していくとしたら、すごいことだと
|思いませんか。

この程度で良いのなら、江原さんの本よりもっと売れている宜保愛子はどうですか? 大川隆法は? また、江原さんの活躍で「うさんくさいもの」というイメージは果たして払拭されるのでしょうか?

少なくとも理性的に物事を考えられる人間にとっては、江原さんはむしろ「胡散臭い」イメージを強化する役にしか立たないのではないでしょうか。1時間5万円(キャンセル料3万円)のカウンセリングは言うに及ばず、インチキ古語の霊言集も……どうしてここに集まっているスピリチュアリズムを愛する人たちの多くが、江原さんの言動に異議表明しているのか、考える必要があると思います。

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2159 江原さんの霊界通信について2
名前: busy hermit  投稿日: 2003年01月05日 (日) 15時01分32秒

・労働の意味についての誤り
 
 スピリチュアルメッセージ・生きる事の真理 p94
 
Q:「食べるためという理由以外に、私たちが仕事をする目的は何かあるのですか?」

 この質問について昌清霊は「人との関わりが必要だから」という一面的な点だけを強調しています。

 しかし本当にそうでしょうか?。わたしも同じような疑問をかつて持ったことがありますが、人が労働する、ということは本質的に霊というものが、お互いに助け合って生きていく、というメンタリティというか、法則を持っている、そういう根源的なところに根ざしたものだと考えます。
 お互いに助け合う、そういうごく当たり前のことが曇らされている、分からなくなっている、だからこそなぜ働くのか、などということが今になって、改めて問題として生じてくるわけです。もしそのことが分かっていれば働くということは、自分のお腹が空くから、食べるということと同じくらい自然な行為であるといえるかもしれません。

 昌清セオリー(仕事の本当の意味は人との関わりのため)でいくと、たとえば専業主婦の家族への献身的な奉仕も、ほとんど無意味なものとして見ていることになります。また大企業で生きている人の方が、中小企業や自営業で生きている人よりも立派な学びをしているかのような印象を与えかねません。
 
 シルバーバーチは「人のために」と思ってなされるサービスであれば、そのサービスは尊いのです、と言っていますね。ですから、大企業で数多くのお偉方と面会できる人も、もし自分の営業ノルマ達成(利己的目的)だけが念頭にあるようなら、それよりは、家で今日一日をたとえ誰とも会わなかったとしても、家族の為に、と思ってせっせと奉仕した専業主婦の方がより学んでいる場合だってあるということです。

・占術に関する誤り

 スピリチュアルメッセージ・生きる事の真理 p135

 「ぬしらの世にある「占い」の信憑性は、残念ながら、まるでない。占いには何の真理もないのじゃ。」

 ここも一面的で偏見に満ちた態度です。一概に占いというと範囲が広いのですが、占いの中には、霊感、また霊界とのリンク(潜在意識)を利用したものがあり、それについては紛れも無く本物があります(偽ものも確かに、非常に多いにしろ)。

 「…今のぬしらのいう占いは、いわば統計学。」

 それも全くの誤りです。バーチも占星術について、星に何らかの影響力があることを認めています(ただしそれが今日の星占いほどの生活を大きく左右するものだ、とは言っていないだけ)。ある種の占いには霊界とつながっている潜在意識を利用したものがあり、それについてはユングという学者も易(竹をジャラジャラする占いですね)などを研究し、なぜ当たるのか、その原理をまとめています。

 したがって、占い全てが正しいとは言いませんが、「ある種の」占いには真実を告げているものもある、ということです。
 
注:だからといって僕は占いを大いに奨励しているわけではありません。ある種の占いはある程度、可能性を教えてくれますが、決定的に未来を定めるのは、自分自身でしかありません。下手に未来を占ったことで、逆に自分の可能性を狭く、小さくしてしまう危険もあります。それから注意しなくてはいけないことは、偽ものが多いということ。それからいたずらに高額を巻き上げているところも多いですね。おっと、話が少しそれてしまいました。

・(守護霊にしては)あまりにも同情心が薄く、無責任。
 
 スピリチュアルメッセージ・生きる事の真理 p91

Q:「離婚が当たり前の時代になり、また一方で不倫をする人たちも少なくありません。」

A:「一言でいうて、好きなようにすればよい。まったくもって興味のないことじゃ。」

 またp143でも「ぬしらの世に起きている具体的な事件など、わしらは何も感知せず。」などと言っています。

 謙虚さを説く一方で、横柄で不親切。それはこうした態度や言葉遣いにも表れていますし、現代の我々に真理を伝えるのが使命、など言いつつ、ちっとも現代語に合わせようとはせず、わざわざたどたどしい、古語を使おうとするところにも見受けられます。

 それではここで、アラムさんに質問させてください。以下の文章はどこが間違いだと思いますか?。ぜひじっくり考えてみてください。

 p145 まことの謙虚さをもつ者は、傷つくという傲慢さがない。みずからは愚かでアホで、何の取り柄もない者と思う者は、傷つくこともない。

 p153 便利さをなぜ求めるか。弱さじゃ。弱さゆえ便利さを求める。
 
 以上、大まかにかい摘んだ感想でした。

 江原さんのスピリチュアルなんたらとか冠した本は1冊だけ買ったことがありますが、今どこかのダンボール箱の下の方にあって取り出すのが面倒なこともあり、今回は感想は書きません。でも読んだ時の印象は、何でもかんでもごっちゃにして考える人だなぁ、という感じでした。

 さて、江原さんは普及に関わっているから、という一面だけをもって良し、とするのはあまりに短絡的ではないでしょうか?。本当にある霊からの通信であるにしろ、これを世に問う江原さんにはその内容を、他の霊訓と比較したり、理性を用いることによって、好ましい波動の界のものからかどうかを見極める責任が有るのではありませんか?。 

 また以前にも話したように、文章に真理が幾らか含まれているから、というだけの理由でその著者(霊)が正しい、と簡単に印をついてしまうのは非常に多くの人が陥ってきた罠です。大抵の主要な宗教団体は真理の効果をよく知っていて、それを撒き餌のように使って、誠実な人を最後に釣り上げ(奴隷化、金づるにし)ます。

 ともかく、こんな招霊の「茶番劇」が毎週どこかで開かれていて、そこにまじまじと集まる人が居る、という事実が僕には到底、信じられません。本当に毎週しているのでしょうか?。もし参加している人が居れば、一度カセットテープに取って、ここに原文を書き起こしていただけませんか。いかに古語、表現、文法等がメチャクチャかが、よりわかるはずです。

 それから、またこの調子でパート2を企画しているようですが、江原さんは、スピリチュアリストをなめているのでしょうか?。それともせっかく霊言をくれた昌清霊に悪いからという理由でこれを続けるのですか?。わたしは江原さんのお仕事を邪魔するつもりは全く有りませんし、憎んでいるわけでもありませんが、ここは一つじっくり考えるべき時ではないでしょうか?。お金など、誠実さを通すことで、後からついてくるぐらいに考えておけばいい、そういうことを霊訓は言っていますよね。
 
 最後になりますが、わたしが今日書いたようなことはスピリチュアリズムを少しかじった人なら、すぐに分かることです。たまたま僕がそれを先だって書いているだけのことです。ぜひ皆さんも感じられたことを、簡単でもかまいませんから書いてみてください。わたしも当然多くを学ぶべき存在です。そうして今後ともお互いに啓発しあっていければいいな、と思っております。それでは今回は、これにて失礼します。

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2158 江原さんの霊界通信について
名前: busy hermit  投稿日: 2003年01月05日 (日) 14時31分31秒

 まずは皆さま、明けましておめでとうございます。今年も皆さまにとって良い年となれば良いですね。

 さて、先回言っておりました江原さんの霊界通信なるものについての感想を述べさせていただきたいと思います。

 まず言っておきたいこととして、わたしは(霊訓といわれる種類の通信以外の)霊界通信と呼ばれるものを頭から否定するつもりはありません。本物も僅少ながら存在することは確かですし、その中には、新しい境地を教えてくれるものも有ります。今回も、もしかして…などとひそかに期待していた面もあったのですが…。

 まずざっと読んでみた印象とか、言葉遣いですね。そのあたりから言いますと、

 全体的に的を得ない曖昧な答え(ぼやかし、ごまかし)。横柄な言葉遣い。とても高級な霊とは思えません。昔にも昔なりの敬語がありますし、謙譲語もあります。もっと品がよく、親切で適切な言葉を選べるはずです。ぬしら、などという盗賊の棟梁が使うようなぞんざいで、見下したような言い方からしてもそう言えます。それから高級霊の通信に共通の、文章の持つ美しさ、品位、(時には涙を流すほどの)思いやりに富んだ表現、時折見せる上品なユーモアのセンス、こうしたものがこの霊言の場合は少しも感じられません。

 実際に読んでみると分かりますが、…じゃ、という言葉がくどいほど繰り返されている。昔の人がなんとかじゃ、などと使っていたと考えるのは時代劇などに感化され過ぎであって、実際は当時の人は、このような言葉遣いはしていませんでした。

 あと、面白いのは、時々取って付けたように単発で、違和感ある表現が加えられていること。いきなり「でござる」だとか「…なり」、「…べし」などと一部分だけ(ある週だけか)表現がおかしくなっている。しかし、それで気がすんだのか、その後はまた元の調子に戻っている。

 では、そのような言葉しか使えないのかと思いきや、「カリキュラム」だとか「牛耳る」だとか「選民意識」だとか、「六感」(アメリカの学者が作ったシックスセンスという造語を訳した言葉)とかいう、近年よく使われているような現代用語がスラスラ出てきてしまう。

 もしこうした言葉を自然に出せるほど現代語を知っているとするならば、なぜに今の標準語が、しかもこれだけ何十年も江原氏の周りに居るというのに、習得できなかったのか?。たとえて言えば、サッカーのラモス選手が20年も日本に居て、日本語が十分話せるにも関わらず、ブラジル語をわざわざ混ぜながら、自分はブラジル人なのだ、と強調するかのようです。或いはブラジル人の変装をしている日本人が、うっかり普段の日本語を出してしまうのにも似ています。
 
 全般的に、もう何十年も前からスピリチュアリズムで言われていること、手垢の付いた言い回された表現の言葉ばかり。なんでわざわざこんな分かりきったことを、今更言う必要があるのでしょう?。

☆読んでみて気付いたこと(たくさん有りますが、目立った部分のみ)
 
・神(大霊)は進化する存在か

 スピリチュアルメッセージ・生きる事の真理 p27

 「神とは、いわば「調和」であるのじゃ。…そしてその「調和」も、より高き進化を目指しているということじゃ。」

 まるで宇宙が膨張し続けているのと同じレベルでしか神を捉えていない、次元の低い見方です。神は我々のような存在の次元を、はるかに超越しておられます。神は完全にして無欠な方であられます(たとえ人間の概念で理解できなくても)。成長とは不完全なものが完全に近づく過程のことを言うのですから、神が成長する?という定義(言葉)それ自体からして成り立っていません。

参:シルバーバーチのスピリチュアルな生き方QアンドA p196

Q:ということは、大霊も進化しているということでしょうか?

A:そうではありません。大霊は法則であり、その法則は完璧にできあがっています。

・神は利己主義か?

 スピリチュアルメッセージ・生きる事の真理 p28 

「すべてのたましいは、先に申したように、神の調和のなかにある。そのすべてがみずからであるゆえ、その調和を愛する神は利己主義である。」

 前にも話した通り、神はすべてなのですから、神以外のどこかの神を愛することはできませんね(笑)。しかしだからといって、人間の次元でいうところの、利己主義(自分だけの利益・幸福・快楽を求めて他人の立場を全く考えない態度)のカテゴリーに、間違っても、入れることはできませんよ(笑)。というか、はっきりいえば、全く別です。また付け加えて言えば、全ての「他」と言われるものは、一つ残らず神に属していますから(繰り返しますが、神はallな存在です)当人の理屈から言っても、神は全部の「他」を愛する究極の利他主義となるはずなんですがね…。昌清霊はそういう理屈に合わない理屈で、自分の「利己主義」を肯定化しようとしてるのかもしれませんが。

・たましいの宿る時期について

 スピリチュアルメッセージ・生きる事の真理 p86

 「受精の時じゃ。または、それより以前からじゃ。」

 またはそれより以前って…。あまりに大雑把であることも笑えますが、仮にそうだとすると、まだ精子が卵子に「たどりついてもいない」時に魂が宿る、ということとなります。つまり、昌清霊は「受精」という言葉の意味すら分かっていない可能性があります。

 シルバーバーチのスピリチュアルな生き方QアンドA p86
 
Q:「胎児のどの段階で霊が入るのでしょうか?」

A:「何度も出された質問ですが、回答はいつも同じです。…わたしは断言します―精子と卵子が一体となり、ミニチュアのかたちで媒体としての機能を備えた瞬間から、霊は地上生活を開始します。」

・死期に関する間違い

 スピリチュアルメッセージ・生きる事の真理 p119
 
 「早く亡くなった者は、それを切り上げたということじゃ。学びの達成が早い。そして、早くに帰る。」

 これも勝手な決め付けです。学びを終えたどころか、死んですぐにまた同じような国の同じような場所へ、再生を命じられる魂もたくさん居ます(平田胤篤も記録した勝五郎やインドのシャンチー・デヴィなどの例)。

 ですから、一概にそうだとは言えません。見過ごせない点としては、現世の事態は外側ではなくて、「現世に居るものでしか」影響を及ぼせない部分がある、という点です。したがって、この地球人類を励起する使命をより果たすには、外側ではなく、この現世で長く生きて影響を及ぼす人も、当然ながら必要だということです。だからこそ、私たちは誰でも、このあずかった肉体をいつも良い状態に保って、できるだけ長生きし(長生きを恥じる必要はありません)、自分の使命がより立派に果たせるようにすべきでしょう。

・性(別)の意味に関する間違い
 
 スピリチュアルメッセージ・生きる事の真理 p41

 「女に生まれ出でた者は、母性を学ぶため。男に生まれ出でた者も同じ。父性を学ぶためじゃ。…母性を見直す世になっておる。母性への警告が多いのはそのためじゃ。…女である場合、母性を映し出す病が今どれだけ増えているか。または、子を宿せるか宿せぬか。…男も同じじゃ。子を宿せぬという問題がどれだけ多いか。…これらはたましいの警告じゃ。…道を誤るなかれという、愛の言葉なのじゃ。」

 ここでは母性と父性をただ,子供を作るか作らないか、という面からしか捉えておらず、子供をたくさん作れれば、それが真の男だ、女だ、と豪語しています(まあ、はっきりいえばセックス奨励ですね。酒宴でのエロおやじの話と同程度だということです)。
 「ベールの彼方」では確かにこれから母性がリード(支配でなく)する時代になると書かれていますが、それはどれだけ子供を作れるか、などといった馬鹿げた視点ではなく、もっと精神面の性質的なものとして捉えています。

参:ベールの彼方4 
 
 女性の持っている良い特性として、「敵をも包み込む愛」p246、「喜んで与える性質」p246、「柔和さ」p249、「鋭い直感」p254などを挙げています。
 ちなみにキリストは男性でありながら、これらの特質をも持ち合わせていたそうです。

・結婚制度についての間違い

 スピリチュアルメッセージ・生きる事の真理 p86

Q:「たましいの上では法律上の結婚というものをどのように考えるのですか?」

A:「意味があるというたは、現世にとっての意味があるだけ。幽世においては何ら関係もない。なぜならば、先にいうた「恐れ」がつくった掟であるから。」

 これも結婚制度を侮辱したかのような発言です。
 
参:スウェーデンボルグ「結婚の愛」より

 「婚姻関係においては、当人たちのあいだに相互的に存在している愛がきわめて強烈なものであるので、彼らは一つになることを欲し、一方の者は他方の者に自分のものをことごとく分かち与えようとする。…他の愛は、【欲している】ことから成り立つが、結婚の愛のように、【為し得る】ことから成り立っていない。したがって、結婚の愛は根本的なものであり、天界そのものであることが明白だ。」

 「結婚の愛はあらゆる愛のうちで最も内なるものであって、一方の配偶者が他方の配偶者を外なる心と内なる心との中に見ているようなものである。そのため一方の配偶者は他方の配偶者の中に自分自身を持っている。…このことが、言語で表現しえない天使の観念によって表象されたのである。」

 「好色の愛もまた、外なるものとして、つまり内なる心に入らずに外なるものの中に留まるものとして表象された。こうした愛の大半は結婚の愛と混同されるけれども、それは好色の愛であるということも暗示された。ひとりの夫と数人の妻とのあいだに存在する愛もこの種のものであり、こうした結婚の中には結婚の愛はみじんも存在しえない。同じように、配偶者以外の者を愛している人びとの中にも結婚の愛は存在しえない。結婚の愛とは、夫は妻以外の女性を思い浮かべることさえも許容しない、それどころか、そうしたことを嫌悪する、といったものである。なぜなら、真の結婚の愛における最も内なるものは良心の原理だからである。」

 結婚していても愛し合っていないカップルが居るとしても、それは結婚制度の意義や、結婚生活から本来得られる上級の喜びを否定するものではありません。
 結婚とは「失うことへの恐れ」が作った掟などではありません。一つになろうとする愛、与えようとしあう愛、最も内なる種類の愛の自然な発露であり、根本的で、天界的なものといえます。

 文が長いので、ここでいったん切りますね。

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2247 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年02月15日 (土) 15時46分55秒
busy hermitさん、どうも。

いやぁ、素晴らしい批評を書いてくださってありがとうございます(一カ月もたって今更何言ってんだという感じもしますが(^_^;ゞ)。書かれていた内容はどれも納得できるものばかりでした。あまりにも妥当な内容すぎて、僕もようやく同書の書評を書いたんですが、どうしても同じ内容になってしまって難渋しました(^^;。何度書き直したことか(汗)。

ただ、それは僕がbusy hermitさんの書かれた内容に引きずられたからではなくて、ある程度スピリチュアリズムを理解している人間が読めば必然的にどこがおかしいか一致してくるということなんだ……ということにしておきます(^^;(ちょっとは意識している部分もありますけど)。

っというか、普通に社会生活を営んでいる大人がこんな本を真面目に読んでいるというのは信じがたいことです。たとえスピリチュアリズムを知らなくても、普通の知性と理性があれば、こんなものを高級霊の言葉と信じることなんかできないと思うんですけどね。

もっとも、人間の理性というものがあまり働いていない人も結構いるようですし……。世の宗教団体の氾濫も然り。

http://www.paperbirch.com/
2250 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年02月15日 (土) 16時21分22秒
あっと、それからこれは書くのを忘れてましたが、当サイトのお約束の言葉狩りをしておきますと(^^;、「的」は「得る」じゃなくて「射る」ですね。「得る」のは「当」のほうです。
http://www.paperbirch.com/


2157 良い決断です
名前: きりこ  投稿日: 2003年01月03日 (金) 10時28分26秒

ペーパーバーチさんの決断、至極ご尤も。

例のゴジラの件でも、ちょっと山田さんが意見言っただけで、ひっくり返りそうなヒステリックな反応が悠々塾掲示板に掲載されていたし、飯沼さんの投稿も、誰と誰が同一人物であるとか、そのレベルのお話ばっかりで、いいかげんうんざりしていました。
たとえば、霊性を向上させるためには、日々なにをこころがければ良いのか、とか、慈善団体に寄付するのに重大な動機が必要なのか?とか、霊性を向上させるということは霊訓をよんで、世界の為にお祈りしていれば寄付や慈善活動、日々の仕事や家事をさほど熱意をもたなくてもよいのか?とか、そのような身近なお話で議論を掛けて来るのならば、とても有意義なことだったのではないかと思ったのですが、結局一度も有りませんでしたね。
別に政治の話でも経済の話でも、文化・芸術・科学、国際情勢等、そこから学ぶべき題材はいくらでもあるでしょうに。

そのために、我々は生まれてきているのですから。
物質世界で、多いに学ぶべきことがあるから我々は生まれてきたんですよね。
霊界では学べないことが沢山あるから、生まれてきたんです。
およそこの世は学ぶに値するもので満ち溢れています。(反面教師も含めて)
もちろん、霊的な使命を帯びて、特別に生まれた霊もいらっしゃるでしょうが、
自分がそうだと思っているとしたら、その人は単なる誇大妄想(精神疾患)です。

投稿禁止は、大変良い決断だと思います。
こちらの掲示板で書きこみをしていると、悠々塾掲示板で、口を極めて個人攻撃されそうで、イヤだったです。
頼んでもいないメッセージとやらを送られた人もいるそうですし。(特にペーパーバーチさん)

今回の英断、感謝いたします。

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2156 RE:再生説について2
名前: よっちゃん  投稿日: 2003年01月03日 (金) 01時31分49秒

ペーパーバーチさん、回答ありがとうございます。
回答を元に何か、考えてみたいと思います。
今のところ特に新しいアイディアや疑問は無いです。
ペーパーバーチさんの日記で紹介されていた、シルバーバーチさんの霊言集、是非読ませていただきます。貧しい者に福音ですね。ありがとうございました。

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