心霊学研究所
掲示板の過去ログ

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)2651-2700の過去ログです。
(メールアドレスは、スパムメール防止のため過去ログ収納時に削除しています)

過去ログの目次][心霊学研究所トップページ


2700 霊と肉体について
名前: きりこ  投稿日: 2003年08月19日 (火) 22時54分56秒

よく、宗教的志向を持つと、霊を主に、肉を従に、という考えを持ちます。でも、私の意見はそんなに単純じゃ有りません。

そんなに霊が素晴らしく、肉体が価値が無いものならば、そもそも生まれてこないで霊界で修行しつづけているはずです。
霊界でなら、純粋に霊的な事柄・教師のもとで学習できるはずです。
にも関わらず、肉体で生まれてきていると云う事は、地球という苛酷な環境で学ぶ必要があるからなんだと思います。

はっきりいって、スピリチュアリズムに出会おうが、出会うまいが、宗教信者であろうがなかろうが、そんなことはタイしたことじゃ有りません。
べつに、スピリチュアリズムの本を読んで、神様にお祈りしているからと言って、なにか特別であると云う事は無いと思います。

日々の生活から様々なことを学ぶ、これが我々にとって最も大事なことだと思います。
それに、スピリチュアリズムの教義はきわめて単純明快です。

わたしは、「心の道場」さんが云う事を全て丸のみにしたり、逆に全て拒絶したりすることはしません。

「カルト」ではないのですから。

本を読むことは大事ですが、字面に縛られてしまうことは、陥穽にはまります。
一人一人、それぞれ学ぶべきことがあって生まれてきたんですし、それほど大それた霊的使命があるわけじゃ有りませんから、日々の生活の中で地道に学習して行けば良いと思います。

 


2699 どうもなあ・・・・
名前: きりこ  投稿日: 2003年08月19日 (火) 22時41分21秒

皆さんも、多分、かつては他のニューエイジだのなんだの、様々な経験をされてきていると思います。

宗教的志向をもった団体・グループと言うのは、殆ど二つのパターンに
陥る法則があるようで・・・・(苦笑)

?グループ内の主導権争いが激化し、分裂・離散を繰り返して事実上崩壊
?教祖・リーダーが独裁体制をしき、批判その他を一切許さず、追従できない 人間は追放。

単に、権力欲は人一倍あるのに実社会ではその願望を実現できない人が、宗教やニューエイジの世界で、その願望を果たそうとしているようにしか見えませんね。

多分、みなさんも、いろいろ失望した経験があると思います。
スピリチュアリズムは、リーダーも先生もいません。いま、生きている環境そのもの全てが先生です。

生きると云う事は、辛いことが非常に多いですが、勉強です。
わたしは年中くじけそうですが、いちおう、もちこたえております(笑)。

 


2698 ひとつの魂
名前: ファニーズ  投稿日: 2003年08月19日 (火) 06時28分02秒

魂が主で有るなら、肉や身体は単なる道具にすぎません、私は道具と理解しています。人間的な尺度や言葉のレベルで、この問題を表す事は非常に困難を要するのです。皆さんは、自由意志を持った、ひとつの魂なのです、肉体は借り物に過ぎないのです。一日一日を精一杯に生き、色々な方に霊的心理を広め有効に使いたいと思っています。今日一日、皆様が良い日でありますように。

 


2697 神の子波動
名前: ガーデナー  投稿日: 2003年08月19日 (火) 00時27分48秒

ありがとうございます。色んな方のご意見はとても参考になります。

道具の原文はInstlemental?だったかな?俗に言う人間が作った宗教嫌いの私としては、神と言うと違和感を持ってしまうので、祈りを始めた当初はやりにくかったです。

祈りとは、神とはと定義づけに走ってしまうと、肝心の実践が難しくなります。私は実践の方にウェートを置いています。

私にとっての祈りとは高い次元の方との共振共鳴の原理だと認識しています。科学技術の進歩により、我々の自我は異常拡大しています。我が母校の早大のO教授が良い例かな?!

私が学んでいる事をすべて公表することはできませんが、少しずつ明かしていきますので、参考になる方は頭の隅っこにでも留めておいて下さると幸いです。いきなり祈りへ持って行こうとしても高い次元の方と共振できませんので危険です。

まず、異常拡大した自我を自己修正することから始めるべきです。自分が如何に小さな存在であるかを実感します。実感する方法は改めてお伝えします。

私は、職業霊能者ではありませんが、一人でも多くの方に自然の摂理・法則をお伝えする手段として、祈らせて頂いています。病苦を克服された方から、お菓子や取れたて野菜を頂いたり、コーヒーをご馳走になってシルバーバーチ談義に花咲かせています。

私は、ガーデナーという職業ゆえに大自然の光景に感動を覚えます。師と仰ぐK氏は、ビルの中で蟻のように働く人々を見て、愛しくて涙が出るそうです。

本物もあれば、偽物もあります。又、逆もしかりです。人々にスピリチュアルという言葉が残ると言う点では、江原氏を初めとする方々の存在もあってしかるべきと思います。簡単に掴めるようでは、価値がありません。

 


2696 訂正
名前: yumi  投稿日: 2003年08月18日 (月) 21時33分20秒

ガーデナーさん御質問の主旨とずれたことを言ってしまったようで、すいません。シルバーバーチの原文がどのような表現になっていたか解りませんが、私も個人的に「媒体」の方がいいと思います。しかし「道具」の方が無私でありやすいかもしれません。

失礼しました。

 


2695 神の道具
名前: yumi  投稿日: 2003年08月18日 (月) 21時14分13秒

ガーデナーさんはじめまして。
私もそこは最初ひっかかりました。
しかし霊能者の勉強会にいくつか参加してみていつも思うのですが、霊能者(及び高級霊)はそこにいる人々の霊的レベルにあった言葉でしか真理を説けないということです。それを越えることは出来ません。なぜなら当たり前のことなのですが、そこにいる人達に解ってもらわなければ何の意味もないからです。後生の人に語っても全く意味がありません。
個人的な見解ですが、その当時は、主体的な言い方はともすればおごりに繋がってしまうと思われ、そうすると媒体として扱いにくいものになってしまうと思われます。シルバーバーチも説きかたに苦慮していると思えることが結構ありました。
現代の人は、勿論人にもよりましょうが当時の人よりさらに理解力があると思いますので、本当は現代に合ったものが出てくると良いと思っています。
私は今は、言葉ではなくそこに込められたものを見るようになりました。

霊能者であれ何であれ、表に出るということは、人々の想念を良きにつけ悪しきにつけ受けるということです。本人がそれを撥付けるものを持たないと逆に潰されてしまったりすることが往々にしてあるようです。意識の世界を本当に解っている人はあまり表に出たがらないようです。
勿論そういう使命のある人は別ですが。

 


2694 おさがわせしました
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年08月18日 (月) 13時04分38秒


 以外に早く祈りがききとどけられました。<なんでもないですよ>前方60cmくらいから声が聞こえました。ひっそりと小さく、そして事実そのようになりました。 このたびは、祈りに関して認識をあらため、深めるもとなりました。私のことをやや脇に置いて、私より苦しむ者のことをメインにおもって祈ったこともあって聞かれたのだと理解しています。私の祈りかたは、たどたどしく、よく聞いてくださったものと感激しています。 これからは、夜中でもいいから一人になる時間を持ち、祈りと瞑想を行うようにしていきます。

 


2693 はじめまして
名前: ガーデナー  投稿日: 2003年08月18日 (月) 01時49分36秒

皆様、はじめまして。ガーデナー(庭師)を生業にしております三重県在住の47才の者です。PC歴もまだ4年なので、上手く使いこなせませんが参加させて頂いて宜しいでしょうか?管理人さんが見て駄目だとお思いになられましたら、削除していただいて構いません。
私がシルバー・バーチの霊訓を薦められて5年になります。あれ以来、1巻は赤線と付箋と手垢でボロボロです。座右の書というか、いつも傍に置いています。今も横にあります。何かに迷った時はパッと開くと、そこには必ず解決の糸口があります。
この所の雨続きで時間がありましたので、皆さんの御意見を全てではありませんが拝見させていただきました。とても真摯な態度で研究されてみえるので、思い切って投稿させて頂きます。
心の道場の方とは接点がありませんが、とても素晴らしい活動をしてみえるようですね。シルバー・バーチの霊訓の訳にもあるのですが、どうしても気になるのが、人を神の道具として訳されてる点です。道具というのは、主体性がありませんよね!人が、神の神性を備えているのであれば、直訳じゃなく、神の媒介とか媒体とかでないと混乱すると思うのですが、皆さんは素直に入れましたか?我々が被ってる肉体は神に顕された道具です。死んだら、きれいに灰にして神にお返しする物だと思います。
管理人さんの日記も読ませていただきましたが、とてもお嬢様のことを愛してみえるご様子が拝見できました。お嬢様のことで、ヒーリングをお受けになった事はないのでしょうか?私は霊能者でもインチキ霊能者でもありませんが、霊界の医師団の存在は実感しています。
私の師である名古屋のA院のK院長の勉強会で色んな霊的研究を学んできました。ずっと無料で勉強会を開いてくださっています。ヒーリングも上限2500円でやってみえます。家賃や事務所経費を考えると、とても真似できません。彼もまだ世に出るつもりはないようです。
勿論、皆さんが心配されるような宗教じゃありません。神とは法則であって神仏に縋るものではありません。私は大の宗教嫌いです。立派な神社、仏閣、教会を建てる金があれば、どれほど多くの人を救えたでしょう。精神的に安らぐ場を作ったかも知れませんが、無駄な気がします。管理人さんのような芸術家の発掘には役立ったようですが。
初回から長くなりました。ごめんなさい!失礼します。

 


2692 実践
名前: yumi  投稿日: 2003年08月17日 (日) 23時40分53秒

それは真理の実践と言うものになっているか否かは解りませんが、一つのやり方として御紹介します。
私はとても簡単なやり方で、自分を知る(見る)ということをしています。
現象が起きてきたとき、そのことに対して感情が動き、苦しみや悲しみ、怒りといった感情が沸いてきます。その自分を見ていきます。(反対の感情も同じようにあるのですがとりあえず負の方で)
「どうして腹が立つのか?どうして嫌だと思うのか?どうして苦しいのか?」「どうして?どうして?」ということをずっとやっていきます。そうすると必ずその原因にたどり着きます。大抵は今まで「あれが良い、あれが悪い」いう世間の勝手な決めごとに自分が洗脳されていたことに気がつきます。世間体や善悪感情や損得感情、そういったものに自分を当てはめています、そして同じ目で他人を判断していたことに気がつきます。そうやっていくとそんなものは何にもにもなかったんだと言うことに気がつきます。そうすると現象も起こっている必要がなくなって消えてしまいます。様は自分がそこで何を学ぶのかが解ればいいのですが。
私は10年来そうやって自分を見るということをやっています。色んな自分を知りました。自分を知ると同じものを持っている他人のこともよく解る(見える)ようになります。
今は色んな現象が起きても「昔はこういうことを言われたら凄く傷ついていたな。」とか「昔だったら苦しんでいたな。」などとよく思います。自分が昔とは全く違う人生を生きているのがわかります。
他人を変えるにはまず自分が変わらなければ無理です。自分が変わると自然に周りも変わっていきます。
真理もそれを鵜呑みにするのでなく、「それがなぜ真理たるものなのか」、と言うことが理解できればそれが確実に自分のものとなって、何の意識も無く自然に当たり前の行動として動くことができるようになります。
いろいろなやりかたはあると思いますが、一つのやり方としていかがでしょうか。

 


2691 知足さんへ
名前: busy_hermit  投稿日: 2003年08月16日 (土) 22時18分38秒

 お盆休みもわずかばかり。少し掲示板を見る暇が有りましたので、一スピリチュアリストとして、思うところをつれづれなるままに書いてみました。

>★『もし霊的真理を知りつつも、毎日の生活がそれとは無関係な歩みであるなら、スピチュアリストとは言えないということです。霊的真理が知識レベル・学問レベルにとどまり、信仰実践にまでなっていない人、人生のすべてが霊的真理の実践になっていない人は問題です』(第5号p13)

 簡単に言うと、当時のキリスト教的慣習、風潮からすれば牧師や神父はただ勉強していればいい、世俗から、日常的煩雑から離れていい、それで当然だと思っていたのです(もちろん例外は有るとしても)。だからこそバーチは真理とはそういったものではないですよ、単なる空理空論を弄すようなものではありませんよ、と言っているのです。
 
 ホワイトイーグルも言っています「おできになりますか?真理を説くことではなく、真理を生きることを」と。使われてこそのお金という言葉があるように、使われるための、使われることを意図した、使われてこその霊的知識なのです。頭でっかちの優越感ばかりの、実の無い高慢な「ラビ」にはなりなさるな、過去と同じ過ちを繰り返しなさるな、と言っているのです。 

>★『私達が、スピチュアリズムのために自分の人生・生命をすべて捧げるのは当然のことです。
そうであってこそ、スピチュアリズムははじめて「純粋な信仰」となります。』p14
>★『これまでの地上の宗教の中で、純粋さの点において最も優れていたのは、キリスト教に代表される「殉教」です。信仰のために生命を捨てるースピチュアリズムの信仰もまた当然そうでなければなりません。キリスト教によって示された信仰以下のレベルであっては成らないのです。』p14

 殉教した人(だからといって殉教そのものがその行為だけで自動的に皆素晴らしいとされる訳では無い)というのは生活そのものが、その人の信奉する教えと一体化していました。すなわち、その教えを捨てるくらいなら殉教=生活そのものを失う=死ぬも同じと考えたわけです。
 そして真の意味で殉教した人というのは、その教えによって何かを得られるから、その教えを信じているわけではないということを図らずも示しています(当時の人にとって命以上に失うものなど無いから)。そこにはただ無欲で、生活と密着して離れない生活一体型の形態が浮き彫りにされているわけです。
 真理のかけらをそこに見た真理探究者は、そのほんのわずかな輝きにすら自分を賭け得た、自分を捨て得た、この美しい事実をバーチは「たとえ」に使っているのです。ここで強調されているのはキリスト教でも、真理ゆえ死ぬことでもありません。真理を自分の生活とぴったり一体化させた(真理を、また真理を行うこと自体が心の喜びといった)真理探究者の態度であり、趣です。
 ですから、この文章でバーチが言わんとしていることは、「さあ真理を求めきた者たちよ、今ここに遂にあなた方が求めた真理が有る、あなた方がスピリチュアリズムと呼んでいる(それもまだ半信半疑で)このものこそ、正にそれなのですよ」と(+若干【ハッパ】をかけているんですな…)。

※上記を読んでいただいて分かるように、当然ながらスピリチュアリズムは(何かが目的といった)還元主義とは全く逆ですヨネ。お分かりいただけるとは思いますが。

 バランス的補足(極端に走る人が居るかもしれないので老婆心ながら)

 シ12 P165
 生活は「行い」だけで成り立っているのではありません。「言うこと」も「思うこと」も生活の一部です。行為だけが大事だと思ってはいけません。

・ニューズレター

 性欲については大方心の道場さんの言っていることは間違っていないのでは。わたしも種々の高級霊、賢者の言葉を見てきましたが、皆一致しています。肉欲、物欲とは生きるために適正な量等を体が要求しているという事実に過ぎず、それを「ていのいい理由」にして他人から奪い取ってまで欲を満たそうとするのは単なる強欲です。そして強欲とは理性や愛の働きに乏しい状態をあらわしています。また強欲のような他人が傷つくような衝動は、真の「ワクワク」などでもありません。

 


2690 ハート出版の広告
名前:   投稿日: 2003年08月16日 (土) 10時45分50秒

今日、新聞を見ていると、シルバーバーチの文字がちら
ほらと出てました。

地元の新聞かと思ったら、日本経済新聞というサラリーマン
には必須の新聞。

でもこんな方面の新聞になぜ広告をだしているのだろうと
考えてしまいました。リストラで精神的にまいっている人
対象に広告をだしているのでしょうか?

わたしにはわかりかねます。

 


2689 祈りについて 追伸
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年08月15日 (金) 15時39分01秒


 祈りについては、その本来の霊的活動(大霊あるいは 神さまによりちかずこうとする)そのものの部分と、祈りの霊的活動そのものに付随して生ずる、サイキックな面があるようです。サイキックな面をいくら発達させても、霊的向上にはつながりませんが、祈りがふかまるにつれていろいろなものが見える体質のようです。普段でもそうなので 振り回されはしませんが、なんらかの指標になるかもとおもって記入した次第です。

 


2688 祈りにいて
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年08月15日 (金) 13時44分44秒


こんにちは。

 困ったときだけ神様に祈ったりしてきたのでしたが、今回は、祈りについて、いつもより深く考えています。 シルバーバーチは語る A W オースティン編 近藤千雄訳 第8章 祈りの効用 によると、<祈りとは魂の表現である。 祈りとは光明と導きを求めての魂の叫びです。  その行為そのものが解答をもたらす。 なぜならその行為が思念のパワーを生み出すからです。 そのパワーが原因となって解答をうみだす。祈りの思念そのものがその波動レベルの階層の霊に届くのです。 あなたの進化に応じた階層...>

 この困難な状況での選択の前になにとぞ私の霊性を進化向上させてください。私の身の回りに与えられた恩寵の数々に感謝します。神の御心にかなう日にどうか私のすべてをお使いください。私をめぐる人、動植物、環境に、神の恵みが下されますように。 これが私の今のところの祈りです。

 祈っていると 女の人が目に浮かびます。やり過ごすともう一度まったく同じように私の前に現れました。もう一人は、もっと左側に大きく。 まさしくいまの 私の進化のレベルに対応している階層の方々かもしれません。居間でソファに寝ていて、亡くなった家族のこえで起こされても、まだ眠いからと、また寝入ってしまったり、なにかいつも見えたり聞こえたりの一面が私にはあります。それでもって商売できるほどのことでは全然ないのですが。 

 菜食で 体操もすこし。(もっと体力がほしいので健康食志向です)瞑想と祈り事始めの私にとりましては、みなさまの ご意見がとてもたすけになります。

 


2687 天と地
名前: ファニーズ  投稿日: 2003年08月14日 (木) 06時45分55秒

私の場合は、自宅から瀬戸内海を眺め、ゆったりと椅子に座りマイナスイオンをたっぷりと吸い、それから大霊様、守護霊様に感謝して祈ります、五分位で無心になり全てを天と地に任せ一体感になった時に、ビジョンが頭ではなく胸の中に開けて見えてきます。雨の日も嵐の日も日課になっています。この身体を霊の道具として、お使い下さい。その為には毎日の心の持ち方、運動や食事も大切です。

 


2686 つらいとき 
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年08月13日 (水) 14時55分40秒


こんにちは

霊訓7がきました。同時に人生上の超難題も一緒にきました。
これが、カルマというものか、といった感じです。
これを、笑顔と優しい言葉できり抜けようと思います。
いままでは、振り子(ダウジングみないなもの)と サイコロでの略筮法の易占い 潜在意識による法 で きました。今回は祈りと瞑想も加えてみます。 私の場合、声が突然、たとえば電車の中で胸の中から聞こえます。ひつようがあるときだけ、図が、パッとみえたりしますが、今まだどうなるかわかっていない段階です。 実際のところ瞑想は、すぐ眠くなり、雑念が入り込むので正心調息法(塩谷信男博士提唱、金澤竹哲さんのHPがいちばんいいです)を瞑想以上にいいものとして行っています。そのときにも、いろいろな解決策や、鍵になることがらが、心に浮かびます。しかしこのたびは瞑想もやってみようと思います。
これもなにやら導かれていると思わないわけではありません。瞑想と
カルマの刈り取りのセット(!) 理論と実践。 本と一緒にやってきた感が強いです。

 


2685 守護霊の存在
名前: yumi  投稿日: 2003年08月12日 (火) 02時01分30秒

こんばんは、管理人さん皆さん初めまして、yumiと申します。
以前から時々掲示板など拝見させて頂き、いろいろ参考にさせていただいていました。ありがとうございます。
わたしはスピリチュアリストというよりも、枠なし人間ですので、もし不遜な発言と思われましたら削除ください。
私はここの掲示板は始めてのもので恐縮ですが「守護霊の存在について」ということでしたので投稿させてもらいました。

守護霊の存在は感じていますが、いつも意識しているわけでは在りません。
一応繋がるやり方としては。
まず、体の力を抜きリラックスします。
そして、頭の力を抜きます。これは頭脳を使って考えるのを止めるということです。又低級霊がちょっかいを出しているときも頭に力が入っていることが多いです。
次に心の力を抜いて下さい。心の力というのは自分が今まで生きてきて身に付けてきた「こう在らねばならない、こうあるべきだ」というこだわりや人生の枠や方程式です。それをいっさい取り払って自分を「空」の状態にします。
暫くすると、言葉ではないものが自分の中から沸き上がってきます。大抵は「ああそうだな!」「これしかない!」と思えることです。言語で来たときは気をつけて下さい。低級な霊のことが多いです。(人によると思いますが)
しかし、例えば何かを選んだとき、「自分の経験から絶対こうだと思うが、何か違う気がする??」と思うのは。それは違っているというメッセージです。お見逃しなく。
で、それでも解らなければ、現象が教えてくれます。そこで見るべきものを見ればいいのだと思います。

私の場合は、どうしても知りたいことがあり「教えてほしい」とお願いしたら、その答えが沸き上がってきました。でもその答えが本当かどうか自信がなかったのです。すると夢をみました。広大な霊的宇宙空間で、ある人から「自分(守護霊)を疑うことはない。」と言われる夢でした。それで解ったという次第です。
でも実は本当は皆、無意識に幼少の頃からメッセージを受け取って来ているのだと思います。気がつかないだけなのだと思います。

とまあこんな感じですが、これが全てかどうかは解りませんし、感覚的なものなので、何とも言えない部分は在ります。
しかしその存在は解らなくても真剣にお願いすれば、それが道にかなっている事であればメッセージは解らなくても何とかなっていくのではないかと思われます。
以上、参考程度にお聞き下さい。失礼しました。

 


2684 つ、疲れました…
名前: ココア  投稿日: 2003年08月11日 (月) 13時56分59秒

ペーパーバーチさん、ありがとうございます。

何をもって‘克服’というのか本当難しい問題ですね。
人それぞれの捉え方にもよるのでしょうね。捉え方、考え方によって人生を楽しく過ごせるか否か左右されますものね。考え方を改めなくてはと反省です。
今生で受入れるべきものは,受入れないと何も始まらない。文字にすると薄っぺらなんですけどね…なかなか
人間に克服できないことなどない!と、強く自分に言い聞かせながら日々過ごしたいと思います。

「シルバーバーチの霊訓1」など数冊読んではいるのですが、私には解釈が難しいところがあったりでした。が、こちらのHP、掲示板では日常の観点から噛み砕いて説明されていたり、意見交換しているのでとてもわかりやすいです。感謝です!


あの…実はこの投稿5度目なんです。送信しても二重投稿云々の表示が出て文章がどこかへ飛んでいってしまって。もしかして書き始めてから送信までの時間がかかりすぎるとNGということありますか?(数行ではありますが、頭の中は言いたいことがたくさんあっても,文章に起こすのがどうも苦手で…)
私のパソコンがおかしいのかも解りません。(@_@)

 


2683 才能について
名前: PEN  投稿日: 2003年08月10日 (日) 22時53分02秒

古代霊は語るの中でちょっとした疑問がありましたので質問させてください。

………………………………………………………………………………………
… 古代霊は語る
●P109
地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあ
らかじめ用意されているのです。そのチャンスを前にして、積極姿勢をとるか消極
姿勢をとるか、滅私の態度にでるか利己主義に走るかは、あなた自身の判断に
よってきまります。地上生活はその選択の連続といってよいでしょう。選択とその
結果、つまり作用と反作用が人生を織りなしていくのであり、同時に又、寿命つき
て霊界に来た時に霊界で待ちうけている新しい生活、新しい仕事に対する準備が
十分できているか否か、能力的に適当か不適当か、霊的に成熟しているか否か、
といったこともそれによって決まるのです。単純なようで実に複雑です。
そのことで忘れてならないのは、持てる能力や才能が多ければ多いほど、それだけ
責任も大きくなるということです。地上に再生するに際して、各自は地上で使用する
才能についてあらかじめ認識しております。才能がありながらそれを使用しない者は、
才能のない人よりはそれだけ大きい責任を取らされます。当然のことでしょう。

………………………………………………………………………………………

問題は“そのことで”から始まる下段の4行です。この“持てる能力や才能”というの
は霊的な才能(霊的治療能力とか霊媒能力)のことでしょうか、それともごく一般的
な絵画や音楽等の芸術的な才能、またはスポーツ等の才能のことでしょうか。
他のところでは霊的能力として同じようなことが書かれていますので多分これも
そうだと思うのですが、もしこの“才能”が一般的な才能全般を指すのであれば
自分の人生を大きく変更しなければなりません。
この世で発揮されなかった才能は霊界で思う存分そのチャンスを与えられる。
と他のところで書かれていますし・・・やっぱり霊的な能力のことですよね?
「内在する神性を開発するためのチャンス」「滅私の態度にでるか利己主義に走るか」
とありますし。

ペーパーバーチさんと同じく芸術系の大学で絵画(油彩)を専攻していた私にとって、
この“才能”の意味が気になって気になって夜は7時間しか眠れません (-_-)゜zzz…

 


2676 「スピチュアリズム」は還元主義か?
名前: 知足  投稿日: 2003年08月08日 (金) 21時43分19秒

基本的には、「スピチュアリズム」は「還元主義」ではないと思うのですが、
表現方法を間違うと、危ないかもしれないと思うのです。

『臨死体験・気功・瞑想』の掲示版で、
http://bbs3.otd.co.jp/312564/bbs_plain

『「スピチュアリズム」は「還元主義」か?』の議論を少ししましたが、

こちらのHPの『スピリチュアリズムQ&A(4)』のペーパーバーチさんの
下記の文章を見まして安心しました。

『しかし、同じスピリチュアリズムと言っても千差万別です。
100人いれば100種類のスピリチュアリズムがあると言っても良いほどでありまして(^^;、
モーゼスの『霊訓』やシルバーバーチの霊訓を中心とする最も正統的なスピリチュアリズムから、
アラン・カルデックの“スピリティズム”、日本的な“心霊主義”、
そして、ほとんどキリスト教の“クリスチャン・スピリチュアリズム”まで、
「いったいどこに共通点があるんだ?」と言いたくなるほどです(^^;。』

「心の道場」さんの『スピチュアリズム』の主張は、それらの「一つ」なのですね。

なぜ、私がこんなにも「〜イズム」(還元主義)にこだわるのかといいますと、
私事で恐縮ですが、20代半ばに、人生を掛けて(笑)、飛び込んだヤマギシ会の
「ヤマギシズム」という還元主義が、多くの人たちの人生をメチャクチャにしたと思うからです。

『もともと、真理は言葉などで掲示しうるものではない』
『真理は、心の中で造り上げられたものではない。』
『真理について、ある答えを与えても、それはただ、或る一つの観念(考え)を造りあげるだけである。』
ということだとすれば、

「霊的進化の真理」を『スピチュアリズム』(霊的進化主義)という言葉で表現するのはいいとしても、
その『スピチュアリズム』のために、「〜しなければならない」とか、「こうあるべきだ」などと
(他者に)語るのは、「還元主義」的だと思うのです。
自分に向けての「戒めの言葉」なら、問題ないのですが、こういう公的な印刷物での記述となると、
私の思い過ごしかもしれませんが、「気負いすぎた危うさ」を感じるのです。

例えば、私が危惧するのはこんな記述です。

★『もし霊的真理を知りつつも、毎日の生活がそれとは無関係な歩みであるなら、
スピチュアリストとは言えないということです。霊的真理が知識レベル・学問レベルに
とどまり、信仰実践にまでなっていない人、人生のすべてが霊的真理の実践になっていない人は問題です』
(第5号p13)

★『これまでの地上の宗教の中で、純粋さの点において最も優れていたのは、キリスト教に代表される
「殉教」です。信仰のために生命を捨てるースピチュアリズムの信仰もまた当然そうでなければなりません。
キリスト教によって示された信仰以下のレベルであっては成らないのです。』p14

★『私達が、スピチュアリズムのために自分の人生・生命をすべて捧げるのは当然のことです。
そうであってこそ、スピチュアリズムははじめて「純粋な信仰」となります。』p14

そういう記述内容は、『スピチュアリズム(霊的進化の真理)』的なのでしょうか。

★【「スピリチュアリズム」といった用語は、ただの言葉に過ぎません。
私たちは言葉には関心がありません。言葉というのは、観念や真理を表現する手段に過ぎません。】p158
『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A』ハート出版

 


2668 日本で本を買ってきます
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月08日 (金) 00時00分29秒

明日から日本に一時帰国して(私は海外で働いています)、スピリチュアリズムの本を買って来る予定です。「心の道場」さんにも沢山注文しましたし(心の道場の出版物は海外に配送してもらえないので、この帰国を楽しみにしていました)。

日本に台風が来ているようで心配ですが、マア何とかなるでしょう。

日本の家に置いてきたPCが動けばいいのですが、ダメな場合は2週間後にお会いしま〜す。

 


2667 「輪廻転生」するのは「意識体」?
名前: 知足  投稿日: 2003年08月07日 (木) 22時50分37秒

皆さん、色々と教えて戴きありがとうございます。
少し、調べてみました。

★最近に読んだものには、「輪廻転生」するのは「意識体」であるという説が、幾つか出てきます。

?『月刊サティ!』(原始仏教の法話)に「転生」に触れた箇所があります。

『生存への本能的欲求が変わらずにある限り、個々の生きものによる生存の流れは死後も続きます。
そして前世で蓄積された心象や性質が受け継がれます。
一つの生から次の生へと転生する「魂」というものは存在しません。しかし、継続する「意識の流れ」
のようなものは存在し、その中で優勢な性向に応じて、死後新たな生の形をとって現れます。』(p2)

?『人生の価値』飯田史彦著では、転生する「意識体」について、

『「意識体」は、地球上では「一個の固有のエネルギー形態」ですが、
実際には、意識体たちは多面的・重曹的に
つながり合っているため、「今。地球上に何個いる」とか「宇宙には何個の意識体たちがいる」
といった数値で示すことはできません。』(p271)

「意識体」というのは、個物ではなく、1対1で、転生するのではないということのようです。

?再生について(「心の道場」さんのHP)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/essece-saisei.htm
『再生の実態について見ていくことにしよう。まず重大な結論を述べると、
「これまで地上人が考えてきたような再生――現在多くの人々が再生という言葉で考えている
ような事実はない」ということである。再生があるという意見は正しいのだが、
その再生について考えている具体的な内容となると、
事実とはあまりにも懸け離れているのである。再生はないと断言した方が、
むしろ正しいと言えるほどの“事実誤認”を犯しているのである。
高級霊に言わせれば、地上人の考えているような再生はない、ということになる。』

『前もって言っておかねばならないが、再生について地上人に分かるように説明する
ことは想像を絶する難しさが伴うということである。』

『生まれ変わりを信じる大半の人達は、今の人物像がそのまま次の地上人生においても
出現すると考えている。が、“大きな私”(魂)の一部が再生するのは同じであるが、
地上に出現するのは“別の人物像”なのである。その人の手の別の部分、足の別の部分なのである。
それをもし地上の側から見たら、全く別人が出現するということになる。
つまり「前世では、今の私はいなかった。今の私とは違う意識の持ち主がいた」
ということになるのである。』

『「同一の魂の再生はあるが、地上に現れるのは、違う私の意識体(魂は同じだが)である」
――すなわち同一の私という意識は現れないのである。前世に私と感じていたその意識は、
次の再生時には別のものに変わっているのである。前世の私はもうなくなって、
別の私に変わって出現するのである。前世の私と再生時の私は全く別人物である。
それは地上人の側から見れば、全くの別人が現れるということであり、
それゆえ「再生はない」と言っても間違いではないのである。
しかし、それを霊側の観点からすれば、同一の霊が再現することには変わりがないため
「再生がある」と考えるのである。』

『とかく、「私の前世は〜で、次に〜に生まれ変わります」という形で再生が語られるが、
それはこうした――「人物像」イコール「私」イコール「全意識」――という間違った
前提に立った上での説明で、そうした事実はない。今、私と思っている自分は、
前世時にも再生時にも存在しない。今、私と思っている私がそのまま再生することはないのである。』

(少し長い引用ですいません。)

http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm

 


2666 退行催眠について
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年08月07日 (木) 13時41分41秒


最近書物や、テレビで話題になったことですが、退行催眠をかけると、
潜在意識が、あらゆる経験を引っ張り出して、前世を創作する場合が
あるとのこと。肯定も否定もできませんが、だとすると前世療法とか催眠療法を100%信じてはいけないのだろうとおもいます。 潜在意識についてもあまりわからないうちにそんな説が、あったりです。人がなくなるときには、守護天使や、死の天使が、やさしく導いてくれるとか(天使と妖精 ホワイトイーグル)肉体から離れるときに手伝ってくれるというのです。 シルバーバーチのいうとうり、理性でもって考えるようにしていますが、保留あるいは、理性を働かせる前段階、ペンディングみたいなかんじのことがおおくなりました。 
 人類が進化の行進をすすめるときに、先駆けと しんがりの役があるようですね。 人類全体の整合性をとるために、発願して、あえて遺伝子疾患や、重度の障害をおうことで、奉仕している霊性の高い人たちのことをおもいます。個々の家系においても一家の責任をとるための不幸や障害をおうために生まれてくる人たちもいることです。もわたしは、先駆けでもしんがりでもありません。家系的にも私が何かを発願したとはおもわれません。スピリチュアリズムを学べるほどのありがたい身の上に感謝はしていますが、どうも奉仕活動がたりない、ので、なにとぞ
私をお役に立ててくださいと祈るときには、手短にお祈りします。 
そのうち、戦士の戦列にはせ参じるようになるのかも。 いまのところは、まだそんなきには、なれません。 心の道場さんの本をインターネットでいっぺんに購入(11冊も)、頭でっかちになりそうです。みなさまの考えや、お書きになることがとても参考になります。

 


2665 前世の有無について
名前: PEN  投稿日: 2003年08月07日 (木) 11時53分44秒

知足さんはじめまして。私もつい最近この掲示板に参加するようになった者です。
よろしくお願いします。

私は不勉強なので飯田氏(退行催眠)の説は存じ上げませんが、知足さんの
借りてこられたシルバーバーチの霊訓(八)の後ろの方に
----- 解説“再生”と“前生”についての誤解 ----- 訳者 P223というのがあります。
この部分はシルバーバーチの霊訓そのものではなく、訳者の観点で語られている
ものだと思いますが、人間には前世は分からないというふうに書かれています。
(P226)

引用するにはあまりにも長いので差し控えさせて頂きますが参考になれば幸い
です。

> 「明確に、1対1で、死者は霊体という波動に移行するのか?」という疑問です。

現在私がシルバーバーチの霊訓から得ている知識からはどうも理解できない
質問のようです。というより質問の意味それ自体が理解できないというか (^^ゞ

お力になれなくてすいません。

 


2664 テレビと本にもありがとう
名前: 空句  投稿日: 2003年08月07日 (木) 08時23分34秒

★ペーパーバーチさんこんにちは

NHK教育テレビ『福祉』の番組は介護の仕事をするようになってからよく見るようになりました。
5月に放送された「子どもの相談室・自閉症の子とともに」も見ましたが、ペーパーバーチさんお薦めと知り、また昨日は新鮮な気分で見せていただきました。
再放送、楽しみです。ありがとうございます。

いつも視聴者から寄せられた手記が読まれると、愛で結ばれた親子の強い絆を感じ胸がいっぱいになります。
障がいを持っていらしゃるお子さんは(霊的レベルが高い)神様に近いような、素晴らしい個性の持ち主なんだと思います。そういうお子さんに出会えたことが嬉しいです。


★知足さん ヨシさん はじめまして

こちらの掲示板はレベルが高くてついていけないのですが、理解できる範囲内で勉強させていただいています。

もし、私の勘違いだったらごめんなさい、知足さんの質問に関してです。
心の道場さんから出ている1999年のニューズレター6号の印刷物にも、飯田先生のことが詳しく出ていました

ニューズレターはスピリチュアリズムの勉強をされている知人から見せてもらいました。
何も知らなかった私は、飯田先生の本からスピリチュアリズムに関心を持つことができ、シルバーバーチの本に出会うきっかけになったので肯定的に受け入れ感謝しています。

 


2663 早とちりしたかも---
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月07日 (木) 00時10分30秒

知足さん

すみません。私は早とちりして、飯田氏(退行催眠)の説というのを「退行睡眠による前世の記憶を引き出す」という説と勝手に解釈しましたが、それで良かったでしょうか?

私はその前提にたって、話を進めてしまいましたが----。

最近追加投稿してばかりで、すみません。

 


2662 私も他の参加者の意見を聞きたいです
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月06日 (水) 23時48分01秒

知足さん

●知足さんが参加されている『臨死体験・気功・瞑想』という掲示版を見てみました。皆さん真摯に議論されているようで大変好感が持てました。この分野での知足さんのご意見も伺いたいところです。

●私もいろいろな思想・宗教遍歴を経てスピリチュアリズムにたどり着いた者ですが(まだまだ初心者です)、知足さんがスピリチュアリズムにご関心をもたれたことを大変うれしく思います。是非、このペーパーバーチさんの掲示板を利用してスピリチュアリズムも学んで下さい。

●ご質問の件ですが、正直言って私は知見を持ち合わせていませんので、適切な回答ができません。スピリチュアリズムについて私よりもはるかに多くの見識を有している他の掲示板参加者の方のご意見を待ちたいと思います。
(シルーバーバーチは「人間で前世に記憶を有していることは希である」趣旨のことをどこかで言っていましたが、私はこれについては正しいとも、間違っているとも何とも言えません)

●類魂については、この掲示板HPの「類魂とは何か」と言うサイト
http://www.paperbirch.com/groupsoul/groupsoul1.html
でペーパーバーチさんが大変分かりやすい説明をして下さっています。

それでは

 


2661 前世の有無
名前: 知足  投稿日: 2003年08月06日 (水) 22時16分44秒

ヨシさん、お返事をありがとうございます。
今日、図書館で、「シルバーバーチの霊訓3〜8巻」と、「モーゼスの霊訓1〜3巻」
「永遠の大道」などを借りてきましたので、読んでみようと思っています。

「ニューズレター」の6号以降も読んでみたいと思っています。
「心の道場」さんのHPにも、部分的に載っていますが、
全文が載っている本体の迫力は、かなりなものだと思っています。

前世を明確に語っている飯田氏(退行催眠)の説と、「スピチュアリズム」の説(類魂)と
どう違うのかに、今一番興味があります。
何か、参考になる資料をご存知ですか?

「明確に、1対1で、死者は霊体という波動に移行するのか?」という疑問です。

 


2660 ヨシさん
名前: きりこ  投稿日: 2003年08月06日 (水) 19時00分41秒

含蓄あるコメントありがとうございます。
また、改めて返事させて頂きます。

 


2659 NHK教育「自閉症の子とともに」
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2003年08月06日 (水) 11時18分35秒

今日の夜20時からNHK教育で自閉症に関する番組が放送されます。5月に放送された番組「自閉症の子とともに」の再放送ですが、良い内容だったと思いますし、一人でも多くの方に見ていただきたいと思います。毎週水曜日に全四回のシリーズで放送されます。見逃した方は、翌週のお昼13時20分からの再放送もあるようです。

全4回の内容は以下の通り。
8月6日 1.行動を理解する
8月13日 2.コミュニケーションの力を育てる
8月20日 3.家庭を暮らしやすく
8月27日 4.スペシャルトーク「"光"の世界にこめた思い」(ゲスト・戸部けいこ)

詳しくは下記サイトをご覧下さい。
http://www.nhk.or.jp/fnet/koho/308wed.html

また、今日のお昼(13時20分)には先週の番組「自閉症についてのQ&A」の再放送もあります。これは上記番組のダイジェストと、視聴者からの質問に答える内容になっています。

http://www.paperbirch.com/

 


2658 二つの目で(追加)
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月06日 (水) 00時32分50秒

 ニューズレターはスピリチュアリズムを学ぶために大変いいものですので、是非6号以降もお読みすることをお勧めします。
 それから、信仰の件ですが、シルバーバーチは(ニューズレターも)この信仰の重要性をいたるところで強調しています。盲信はいけませんが、(スピリチュアリズムを通じ、人生の課題を克服しなければならないような苦しいときには特に)スピリチュアリズムの真理を「信じる」、「信仰心を深める」ことも大事なことだと思っています。

 


2657 二つの目で
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月06日 (水) 00時17分47秒

知足さん、はじめましてよろしくお願いします。

>ヨシさんの感じられる「ニューズレターの禁欲主義」もこの5号あたりの
>論調と通じるものかもしれません。=私の感想であり、確認は出来ていませんが。

その通りです。
(何度も言いますが、「心の道場」さんニューズレターは大変参考になり、スピリチュアリズムを学ぶ者にとって貴重なガイドブックですが)厳格な禁欲主義のほかにも、知足さんが指摘されるような点で(例えば、私が以前問題提起した「嫌いな人にも利他愛を実践しなければならない」というような点でも)、非常に厳格なところがあり、心理的な圧迫感を感じるところがあるのは事実です。

シルバーバーチも言っているように、スピリチュアリズムは、自分の理性に合致しないものは無理に受け入れる必要はありませんので、そのためのいい題材を提起していただいているという考えで、私は「心の道場」のニューズレターを読むようにしています。

ニューズレターの中で、「私たちは敢えて高いハードルを設けています」と書かれていた箇所がありましたが、自身の成長のためにはそのような高いハードルを設ける観点も必要なわけで、要は、厳格な目と、自分の感性を大事にするという目の、二つの目で見ればいいのではないかと最近では思うようになりました。

 


2656 はじめまして
名前: 知足  投稿日: 2003年08月05日 (火) 23時22分27秒

はじめまして、「知足」と申します。
よろしく、お願いします。

『臨死体験・気功・瞑想』という掲示版によく書き込みをさせてもらっていまして、
http://bbs3.otd.co.jp/312564/bbs_plain
いま、「シルバーバーチの霊訓」や「スピチュアリズム」の話題になっています。

私は、その掲示版で『天使のほほえみ』のフラン(えみこ)さんと出会い、
この掲示版を教えて貰いました。

私は、もういい年(51歳)なのですが、シルバーバーチを知ったのはつい最近です。
(フランさんに教えてもらいました。)
精神世界に関しては、若い時から興味もあり、本なども読んでいたのですが、
「霊訓」というのは、知りませんでした。

以前にハマッテ読んでいたのは、和尚や禅の本です。
最近は、トランスパーソナル関係や、飯田氏の著作を読んでいましたが、
導かれるようにして「霊訓」に辿りついた感じです。
「霊訓」に関しては、数冊の本と、「シルバーバーチの霊訓」の1.2巻を読みました。

先日、心の道場さんのニューズレターを送ってもらい、読ませて戴きました。
1号〜4号までは、「素晴らしいなあ」と思って読んでいたのですが、
5号の後半になると、「スピチュアリズムのために自分の人生・生命を
すべて捧げるのは当然のことです。」(p14)などという記述が出てきて、
少し怖くなってきました。

あまりに、「スピチュアリズム」的生き方を強調しすぎると、
「〜主義」「〜信仰」になってしまうような気がし、危惧を覚えました。

(ヨシさんの感じられる「ニューズレターの禁欲主義」もこの5号あたりの
論調と通じるものかもしれません。=私の感想であり、確認は出来ていませんが。)

http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm

 


2655 ニューズレター該当部分
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月05日 (火) 07時58分51秒

昨日の私の投稿で何のことか分からなかった方もいらしゃると思いますので、ニューズレター該当部分を紹介しておきます。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/news-letter-10.htm#10-2

過去ログの該当部分は
http://www.paperbirch.com/bbs/2000/bbslog0012.html
12月18日以降の投稿です。

過剰、不必要な性的宣伝が氾濫している世の中で、高い志が必要なことを心の道場さんは強調しているのだと思いますが----。

2682 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年08月10日 (日) 08時15分07秒
懐かしい議論と該当する過去ログまでご紹介くださいまして、ありがとうございます。

この時の議論に関して掲示板に(たぶん)出ていないお話を一つ。
実はここでの議論の内容を読んだ『心の道場』の方がとても喜んで下さいまして、ある人を通じて感謝の言葉をいただいています。そのことからも分かるとおり、心の道場の方たちは、決して自分たちの言葉に固執したり、教条的に考えたりはしていないということです。「ニューズレターに書いてあったから」と鵜呑みにされるのは、一番嫌うところだと思います。

他の人たちと同じ一人のスピリチュアリストの意見の一つとして読んでいただいて、それぞれでシルバーバーチの言葉と比較対照し、受け入れるところは受け入れ、批判するところは批判すること。読者の一人一人が「スピリチュアリズムとは何か」を考える機縁となれば、それこそ心の道場の方たちが最も喜ぶことなんだと思います。

同じ話題がもう少し後にも出ていますので、併せてご覧ください。2002年4月の#1435あたり。
http://www.paperbirch.com/bbs/2002/bbslog1401.html

……それから念のため。心の道場の主宰者の方は、いつもここを見ていらっしゃるわけではありません(少なくとも僕が伺ったときは、いつも見ているわけではありませんでした)。メンバーのうちで若い方の中に見てくださっている人もいて、その方が面白いと思ったところをプリントして渡しているという、そんな感じらしいです。ここで心の道場の方に呼びかけても通じないと思いますので、心の道場の方へのご意見をここには書かないようにお願いします。

http://www.paperbirch.com/


2654 ニューズレターの禁欲主義
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月04日 (月) 20時05分03秒

私の投稿が続いているようで申し訳ありません。

今、過去ログの2000年12月のところを読んでいますが、ちょうど私が悩んでいた箇所の議論があったもので、急遽書き込みしています。

それは「心の道場」さんのニューズレターに関する議論です。私はこのニューズレターには大変お世話になっているのですが、引っかかる部分がありました。それは性欲について非常に禁欲的な部分です。

この掲示板をご覧になっている方の中には、ニューズレターを読んで同じことで悩んでいる方もいらしゃるかもしれないと思い、書かせていただいています。

スピリチュアリズムを実践するに当たっては、ニューズレターに書いてあるように、ここまで禁欲的にしなければならないのかと悩んでいたのですが、2000年12月の過去ログではいろいろな意見を読ませていただき、この部分を相対的、客観的に見られるようになりました。

性欲に関する私の意見は、ある程度高い目標を置いて禁欲的にする必要はあるが、過度の禁欲はかえって害があるというものです。

(いずれにしても、私は「心の道場」さんの活動を高く評価していますし、感謝しています)

これから出かけなくてはならないため、急いで書きましたので、若干とりとめなく書きましたがご容赦ください。

 


2653 過去の投稿者の方々
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月03日 (日) 21時22分20秒

最近、過去ログを利用して、過去の掲示板を読んでいます。高校生なのに深い見識を持っていたSherryさん、霊能者の弟子だった老神いさおさん 、その他MUPさくらさん、物理学者さん 、たるもあさん、minnさん等々そうそうたるメンバーがペーパーバーチさんとともに議論を交わしていました。参考になる発言が沢山あります。

このような方は最近、投稿していないようですが、どうしたんでしょうか?もし、今でもこの掲示板をご覧になっているのであれば、ご自身のスピリチュアリズム人生について、近況などお伺いしたいものです。

これら議論の中では名言が沢山ありますが、老神いさおさんの一部の発言だけ紹介します。
>私は、『頭で考えるな!腹で考えろ!!』と仕込まれました。
>頭では心配ないとわかっていても、不安が追い払えない事ってありますよね。
>こういうのを、腹が据わっていないと表現します。
-----
>「私はこういう人になりたい!」と宣言すると、それに応じた指導霊がつくものです。
>その「請合い」を言葉だけで終わらせずに、行為を積み重ねると霊界から更に多くの指導を得られるようになります。

2681 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年08月10日 (日) 08時04分45秒
うん、まぁ掲示板の参加者というのは何年もすれば入れ替わるものですから。考え方の違いで離れていく人もいますし、仕事が忙しくなって発言を続けられなくなる場合もあるでしょうし、継続的に発言を続けるモチベーションを維持できないこともあるでしょう(簡単に言えば、飽きてしまう、と(^^;)。

特に当サイトの掲示板の初期には霊能者崇拝的な考え方や、ニューエイジ的な考え方から離れられない人も多くて、違和感を拭えなかった記憶があります。カルト教団の信者とか、自分が教祖になりたい人(笑)とか、調子イイこと言ってるけど全然分かってない人とか。そういう人は、やっばり離れて行きますよね。誰と誰がどうだというのは欠席裁判になりかねないので控えますが、当時は僕もまだ肝が坐ってない部分もあって、「え〜、そうかぁ?」と思いつつ、当たり障りのないコメントをしたことも……(^^;ゞ。

でも、当時の参加者の方でも、今でも時々メールをくれる人もいらっしゃいますよ(いつも返事が書けなくて心苦しい限り)。気が向いたら掲示板にも書いてくれるんじゃないでしょうか。ま、名指しで発言要請してもプレッシャーになりますしね(^^)。

http://www.paperbirch.com/


2652 喜捨の精神
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月03日 (日) 16時31分26秒

きりこさん

●私も「火垂るの墓」を見ましたが、とても悲しくて、二度目を見るときはよほど覚悟しないと見られません。子供が戦争の犠牲になる映画は他にもありますが、例えば、古い映画ですがフランス映画の「禁じられた遊び」なども、エイッと気合いを入れ、ハンカチを用意してからでないと、とても見られません。

●このような悲しい、酷い体験をする子供たちに対し、カルマのせいで----などと考えるのでなく(そのような側面もあるとは思いますが)、悲惨な現実に対し心を痛めながら直視することはとても大事だと思います。

●私は以前開発途上国に住んでいたことがあります。物乞いの人が多く、お金やものを当然のようにもらっている姿を見て、当初はこれだから(自立心がないから、もらうことに恥ずかしみを感じないから)経済発展ができないのだと思い、敢えて物乞いの人たちにはお金を上げないでいました。また、一部の白人の人たちが、動物にものをあげるような横柄な態度でお金、ものを上げ、それを開発途上国の貧しい人たちがあたりまえのように(卑屈に)お金をもらっている態度に嫌気がさしたからでもあります。

●しかし、現地人で少しでも経済的に余裕のある人たちが(当然日本人よりははるかに貧しい人たちが)、自分の財産の一部をそのような貧しい人たちにお金、ものを与える姿を見て、喜捨の教えというのが大事だと思うようになりました(と同時に経済発展優先の考えにも疑問を持つようになりました)。

●まだ使えるのに、捨てて新しい消費財を買うことにより経済発展を優先させようとするような先進国の経済体制そのものがどこか狂っている、長く続くものであり得ないと思います。
イスラム教や仏教が伝統的に持っていた喜捨の精神を考え直してもいいと思うようになりました。

 


2651 課外授業2
名前: きりこ  投稿日: 2003年08月03日 (日) 08時50分17秒

能天気そうに見える高校生達、ちゃんとテーマを与えて、しっかりとした議論の場があれば、
しっかりと受け止めて、真剣に考えてくれるんだなあ・・・
嬉しいです。

 


過去ログの目次心霊学研究所トップページ