「死刑制度」については、わたしも関心があります。
霊的なレベルでの解釈を、具体的に当てはめてみてはどうでしょうか。
基本的には、下の2つを前提にしなければならないように思います。(他にもあるかもしれませんが)
【A】あなたが生命を与えたのではありません、ですから勝手に奪うことは許されません、
生命は神のものです。(霊訓8)
【B】何人(なんびと)といえども、悲しみの試練を経ずして、栄光ある頂上に登ることは許されません。
『モーゼスの霊訓 (下巻)』
このことを、前提にして、具体的に考えてみてはどうでしょうか。
?死刑囚の魂(霊)は、どのように救われるべきか。
(「憎いから殺す」「償わせる」という発想でよいのでしょうか)
?死刑を実行する刑務官の魂(霊)は、どのように救われるべきか。
(【A】に反するわけです。死刑を職務として実行される刑務官の方のストレスは凄いそうです)
?殺された被害者の魂(霊)は、どのように救われるべきか。
(「肉体からの解放」という霊的解釈のレベルでは、もちろん解決されませんが)
?殺された被害者の家族の魂(霊)は、どのように救われるべきか。
(ご家族の方は、実際に悲しんでおられるのですが、その悲しみ(試練)こそ、
スピチュアリズム(「霊的真理の理解」)に出会う機会でもあるわけです)
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★ガーデナーさん、確かに、何も知らない人に話す時には、「霊」よりは、
「魂」とか「心」の方がいいかもしれませんね。それぞれのレベルでの「理解」なので、
いきない「霊」というのは違和感がありますね。
★ペーパーバーチさん、色々と、解説をありがとうございます。
とても、よく理解できました。
http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm