心霊学研究所
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発言番号(親記事の)2751-2800の過去ログです。
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2799 ごめんなさい
名前: 空句  投稿日: 2003年09月02日 (火) 06時56分29秒

★ ファニーズさんへ
私が[2797 ファニーズさんへ]で書いたことでここを去られるのでしょうか?
無神経な私は何か失礼なことを書いたかもしれません。ごめんなさい。
ファニーズさん どうか去らないでください。
ファニーズさんのお話を聞かせてください。

それから、シルバーバーチの祈り方、[2798]を書いてくださったお蔭で想像がつきした。私、やってみます。ありがとうございます。

★管理人さん みなさんへ
掲示板の流れを把握していなくて場違いな投稿だったかもしれません。
流れをみだしてごめんなさい。

 


2798 管理人様、皆様・空句さんへ
名前: ファニーズ  投稿日: 2003年09月02日 (火) 05時13分08秒

朝の目覚めが素晴らしく心地良かったので運動前の時間に書いています。実は昨日、進展が有りました。

自宅に電話がかかって来たのです。話によると家から一歩も出なかった娘さんが運動したいと行って出掛けて行ったそうです。来週からはアルバイトもするそうです。

電話からは母親の涙声が聞こえ、私も嬉しくてもらい泣きでした、今も涙が止まりません。あれ程、霊的な話を疑っていたに話も聞きたいそうです。今日はニューズレターを差し上げ、優しく判りやすい様に少しずつ御話させて頂く事になりました。

閉ざされた心が開きはじめたようで本当に良かったです。大霊様、守護霊様、有難う御座いました。まだまだ私の祈りは果てなく続きます。

管理人様、皆様へ

大変貴重な御意見を頂きまして本当に有難う御座いました。短い間でしたが、この時代に皆様と出会えて光栄に思います、思う所があり少し掲示板から離れようと思います。皆様の守護霊様、さようなら。いつか何処かで。

 


2797 ファニーズさんへ
名前: 空句  投稿日: 2003年09月02日 (火) 02時12分41秒

ファニーズさんが書いてくださった[2783 タクシーにて]は私の魂に響きました。感激です。

シルバーバーチの本にあるような祈り方はやったことがなくてまだよくわかりません。でも他は「やっぱりこれだ!」と全て納得します。旅支度ってこういうことなんですね。

[2783 タクシーにて]を書いていただきとても嬉しいです。ほんとうにありがとうござます。

 


2796 ヨシさんへ
名前: yumi  投稿日: 2003年09月02日 (火) 01時26分19秒

霊的にでも物体的にでも同じだと思うのですが、確かめたものは確実に自分のものになります。そしてそこから導きだされ理解したものは次の理解の掛け橋となります。色んなことに応用がきき、全ては繋がっているように思います。そのような事実を知ると、まだ啓示されていないことも信じることはたやすいことのように思います。

色々見解はあると思いますが、私的に実践する時だと思います。
皆、殺し合いは嫌だと口をそろえて言います。人を殺してはいけないと全ての人は言うでしょう。それなのに戦争やその他の行為で人を殺すことを止められないでいます。
それはいったいなぜなのでしょう。
結局は口ではいけないと言いながら、実生活のなかで、「あいつはバかな奴だ。」とか「あんなやつは居なくなればいい。」あるいは「自分の思い通りにしたい。」と言う意識を持って生活している人が多いように思います。それが戦争を生み出していると思うのです。

意味もなくこの世界に居るわけではないし、意味もなく戦争や殺人を見せられている分けではないと思います。人事にしていると、人事にできないような状況に陥ってきます。この世は自分が作り出している世界であるからです。
そういう自分を見ていくことがこの世を良くしてゆく一番の近道だと私は思っています。

そして私達がその器になれば、また次なる啓示がもたらされるのだと思います。

 


2795 「理想と現実は別物ではない」そうです。
名前: 知足  投稿日: 2003年09月01日 (月) 23時14分58秒

きりこさんも「理想は大事です。」と言われていますが、わたしもそう思います。
いま、『14歳からの哲学』池田晶子著というのを読んでいるのですが、
その中に【理想と現実】p92という項目があります。

池田氏の著述によりますと、「理想と現実は別物ではない」そうです。どういうことかと言いますと、

?「未来」も「過去」も現在(今)思っている思考の「内容(イメージ)」なので、
「未来」と「過去」は別のものではないということなのです。両方とも今、自分が
描いている「イメージ」なのです。
すなわち、「理想」というのは、今思っている「理想の状態」、「現実」というのは
今思っている「現在の状況(現状)」というわけです。

?私たちが「何かをする」ということは、歩くにしろ、掴むにしろ、どんなことでも、「理想」の
状態が「イメージ」としてあるから、行動するわけです。
だから、「理想と現実は、今の自分のこころ(観念)のなかに、一緒に存在する」のだそうです。

?きりこさんが指摘された「死刑制度」を含めてたさまざまな社会的な問題も、
それは、「問題としてだけ」あるのではなく、「理想」を持つことと同時に、「今の現実」の中に存在するということだと思うのです。
だから、このようにして議論をして、その中から、「あるべき(善き)の状態」を
見つけ出し、「理想」を持ち続けることこそ、大切なことでしょうね。

★この本とても良いです。御一読をお勧めします。
『14歳からの哲学』池田晶子著(トランスビュー 2003年)1200円

http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm

 


2794 現代という時代の意味
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月01日 (月) 21時45分42秒

霊媒体質の投稿があったので、その関連で質問があるのですが、

●シルバーバーチの霊訓に『目で確かめずして信じることのできる人は幸いです。しかし、確かめた上で信じ、----まだ啓示されていないことまで信じることのできる人は、その何倍も幸せです』という言葉があります。
これは、霊的な現象を実際目の当たりにして、さらに真理の言葉を信じられる人は、(霊的な現象を実際に見ないでいる人よりも)何倍も幸せです---ということと理解しています。

●また、シルバーバーチは他のところで、『もっと道具(霊媒)が必要です』とも言っています。

●モーゼス、オーエン、カミンズ、バーバネル等と霊媒を通じた高級霊訓がラッシュのようにあった時代がありましたが、「地球浄化という神の大計画」の観点からすると、今はどのような時代なのだと考えますか?

●スピリチュアル・ヒーリングを通じた時代ともいえるかも知れませんが、この掲示板ではそのようなスピリチュアル・ヒーリングを通じてスピリチュアリズムに入ってきた人たちはいないように見受けられます。(私は書籍のみから入ってきました)

●全ては神が佳きに計らっているのだとは思いますが、皆さんはどのように考えますか?

 


2793 でも
名前: きりこ  投稿日: 2003年09月01日 (月) 20時00分01秒

理想は大事です。

現実的には実現困難でも、理想を持つと云うこと、それを目指す心意気と言うのは大切だと思います。

 


2792 理想と現実はちがう
名前: きりこ  投稿日: 2003年09月01日 (月) 19時56分13秒

ということですね。
死刑も、本来なら廃絶したほうが良いのでしょうが、現実の社会・犯罪状況がそんな理想論を吹き飛ばすくらいに悪化しているということ。
日本は死刑制度を採用していますが、死刑判決が出るのは、もう、本当に最悪な凶悪犯罪やった連中が殆どです。
おじさんが警視庁捜査1課の係長だった(OB)のですが、本当に悪くなると、どうやっても更正なんかしないそうです。


それとは別に、弾みで犯罪を犯してしまったり、追い詰められて犯罪を犯してしまった場合については、十分更正するそうです。

ただ、最近は麻薬中毒やアメリカ的な精神異常者(統合失調症の事では有りません)が増えてきて、現役が可哀想だと言っていましたね。

いまの社会状況では、死刑廃止は理想にしか過ぎないと思います。戦争反対だから、日本を非武装にしろといっているのと、同じような気がします。
死刑制度があることは、抑止効果は良く判りませんが、恫喝的な効果は間違いなくあります。

軍備も死刑も、無いほうがいいものでしょうが、現状では必要です。
日本に、強力な防衛力が必要とされているのと同様です。

北朝鮮という、危険な敵性国家が身近にあるからには、日米同盟を基盤として防衛力をしなくてはいけないのも、必要悪でしょう・・・

 


2791 実現可能性という点で
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月01日 (月) 17時23分15秒

光のシャワー様

うーん、スピリチュアリズムが万人に行き渡るという究極の世界ではそうなるかもしれませんが(そのような世界は実現しないと思いますが) 、実現可能性という点でどうなんでしょうか???
需要(死刑執行の判決、肉を食べたい)があるから供給(死刑執行、肉食)があるのではないでしょうか。やはり需要面から規制しないと実現しないのではと思いますが---。

なお、スピリチュアリストでも肉を食べたい人は食べても言いと思っています。私も肉食はしています。(しかし、活け作りのように魚、エビなどが動いているのを見ながら食べるというような、残酷な料理方法は廃止して欲しいですね)

 


2790 ヨシさま
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年09月01日 (月) 16時08分32秒


わかりずらい文章をかいてしまってすみません。

死刑執行官、牛、豚 、鶏 などを屠殺する仕事、や 動物実験業務
を、命を取る仕事を職業として 選ばないならば、 選ばない人が増えていくに従って、人の死刑は実行されずらくなり、動物たちも、残酷な実験からすくわれ、食肉も出回らなくなり、肉食の習慣が、なくなる方向に向かうのではないか、とおもうのです。 そうあってほしいという願望もあります。

昔と違って、世襲の職業は、少なくなりましたから、命を取りたくないと思えば、転職の自由はあるという意味でもって、世襲云々とかきました。(風がふけば、桶屋が儲かると、いわれそうですね)
 
私は、個人的には、動物がかわいそうで、肉食も反対なもので、つい力が入ります。

 


2789 光のシャワーさんへ
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月01日 (月) 14時09分54秒

>それらの職業につかずに 他に転職するという道もあります(世襲制>でないとしたらば)。 転職とか最初からその職を選択しない、そう>いうひとがふえると、世の中から、死刑、動物の命を取ること、動物>実験、さらには肉食もなくなることになります

どうも話の脈絡がつながらないのですが。よく理解できません。

 


2788 死刑 屠殺 動物実験
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年09月01日 (月) 13時38分43秒


物騒な題名となりました。

それらの職業につかずに 他に転職するという道もあります(世襲制でないとしたらば)。 転職とか最初からその職を選択しない、そういうひとがふえると、世の中から、死刑、動物の命を取ること、動物実験、さらには肉食もなくなることになります。いい世の中になると思います。 

死刑にしたりすることで悩んだりしなくても、もっと違う悩みを選択しても幸福になれると思います。

殺す側も殺される側も、いずれもそれにふさわしい死後のあり方ががまっていて、最後には、救済されるという風に理解しています。反論ください。問題あるかもしれません。

年少者だからといって、犯罪者はためらわずに重刑を科
すべきだとおもいます。社会が悪いという言葉、は、物事の本質を、
社会という言葉に、逃げ込ませるだけです。 

なんであれ、悪いことをした者が、悪いに決まっているのです。 年少者でも責任は果たすべきです。 殺した遺族に、週いっぺんは謝りに出向くとか。その生活を保証すべく、全生涯を捧げるとか。

生命は、大切にされなくてはならないという見地からです。

 


2787 霊媒体質
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月01日 (月) 11時54分00秒

らふぃえるさん、yumiさん

そうなんですか。
私には、そのような霊媒体質がありませんので、不思議な感じがします。
ぼんやりしていると、雑念がわいてくることはよくありますが、それとは違うんでしょうね。
いずれにしても不思議な---。

 


2786 らふぃえるさんへ
名前: yumi  投稿日: 2003年08月31日 (日) 23時33分59秒

え〜、霊媒体質です。
私の場合は霊聴で直接聞こえ、話をすることが出来ます。最初スピリチュアリズムの知識が無かった為大変な目にあい、ものすごく苦労しました。
こちらの方はあまり参考にはならないと思います。

しかしあまり気になさらず、そちらの方向へあまりエネルギーを投入しすぎないほうかいいように思います。あまりそちらへ傾きすぎると、意識レベルの低い霊がよってきそうです。
自然に解っていくのがベストのように思います。必要なものは来るべきときに、しかるべき形で訪れるようになっているようですので。

寝ている間は意識のロックが外れやすいので、特に寝入りばなや目が覚める直前は意識も戻っていて霊にとっては色々な事を伝えやすい状況にあるようです。軽いトランス状態のようですね。霊的感受性のあまり強く無い人でも、通信を受けやすいようです。
私も色々なものを見たり聞いたりしました。

聞こえたり見えたりしたものが何を指し示しているか、ということを見ていけばよいのではないでしょうか。「本当にそうなのか」ということの確認をしていく必要があると思います。そうでないと振り回されてしまいします。
背後の人達であれば、多分に教示的な意味合いが強いです。

ん〜、人それぞれなのであんまり参考にならなかったかもしれません。

 


2785 死刑の及ぼす影響
名前: ミュウチリン  投稿日: 2003年08月31日 (日) 10時56分50秒

ここほど霊的見地に立ち、議論を交わせる場はなかなか無いですねっ。
素晴らしい事だと痛感しています。ん〜

これについて書くと、「他人事だなぁ。」と思われる箇所が多々ある事でしょうが色々と予測して書いてみます。

死刑を、霊のついて何も知らない立場で考えますと、自分の愛する人達を突然何のいわれも無しに殺されたのであれば、私なら殺人者を自分の手で死ぬか死なぬかの瀬戸際に置いて、いつまでも苦しませて地獄を味合わせてやりたいと、心底思う事でしょう。そこにあるのは絶望と憎しみしか無いと思います。
そしてその地獄の中でその殺人者が死んで行ったとしても心のモヤモヤは晴れずに、結果として自らが殺人者と同じレベルへ堕ちてしまっているのではないでしょうか。それは殺人者に施した行為の結果なのかもしれません。
その様子を殺された大切な人が見ていて何と思う事でしょう。
私なら絶対に嫌です。大切な人を失い悲しむのは仕方ないですが、怒りの暗闇に入って行く地上の大切な人を見ているのは、更に死者に鞭打つ行為なのではないかと思います。
私ならそんな地上の大切な人の様子を見ていて泣きますよ。

そして、死を持ってして死に対するのであれば、結局それは大切な人を殺した人間と同じレベルとなってしまうのではないかと思ってしまいます。
そうしたら、殺された大切な人と肉体的人生の直後に果たして会う事が出来るのか甚だ疑問です。
それどころか、怒りと憎しみを持つ人間ばかりの世界に行ってしまうのがオチなのではないでしょうか。そこに果たして大切な人はいるのか。
もしそこに居たとしても、同じ境地の者同士では救う事は難しいのではないかと。(殺された報いを受けてる事でしょうからまず無いと思いますが)
それならば、どちらにせよ霊的向上を志すのが、視野を広く持った末の行動なのではないかと思います。

一方、何らかの方法で殺された殺人者は怨霊となり、後々の世に悪影響を及ぼして行くのでしょうから、悲劇が繰り返す原因を作る事に最後は辿り着くのではないかと思います。もしかしたら、今回の犯人もその様に死刑にされた人間が憑いていたのかもしれない。
こうして殺人鬼養成霊団が形成されて行くのかもしれませんね。

逆に肉体においての生活が全てでは無いと知っているのであれば
殺人者は肉体を持っている内か、はたまた肉体を抜けた後かは分かりませんが、自らが犯した行為に対する償いをする事は必至なのですから、
わざわざ死刑にせずとも、業によって、自らの魂によって裁かれるのを
待つのではないかと。それは決して苦れられないのですしね。

それならば自ら殺人者と同じ境地へ堕ちてしまう事も無く、その後霊的向上を心掛けて居れば、肉体的人生の後に殺された大切な人と会う事が出来ると思います。

怒りと憎しみを持って霊界入りしても、その大切な人に「何でそんなに汚れてるの?そんなんじゃ一緒にいられないよ」と言われてしまいそうです。そして後悔先に立たずで、怒りと憎しみに満ちた地上人生を悔やむ事でしょう。

そんな感じにシミュレーションしてみましたがいかがでしょうか?
(いつも長々とスミマセンですっ)

 


2784 「死刑制度」についての霊的レベルでの解釈
名前: 知足  投稿日: 2003年08月31日 (日) 07時14分40秒

「死刑制度」については、わたしも関心があります。
霊的なレベルでの解釈を、具体的に当てはめてみてはどうでしょうか。

基本的には、下の2つを前提にしなければならないように思います。(他にもあるかもしれませんが)

【A】あなたが生命を与えたのではありません、ですから勝手に奪うことは許されません、
   生命は神のものです。(霊訓8)
【B】何人(なんびと)といえども、悲しみの試練を経ずして、栄光ある頂上に登ることは許されません。
『モーゼスの霊訓 (下巻)』

このことを、前提にして、具体的に考えてみてはどうでしょうか。

?死刑囚の魂(霊)は、どのように救われるべきか。
(「憎いから殺す」「償わせる」という発想でよいのでしょうか)

?死刑を実行する刑務官の魂(霊)は、どのように救われるべきか。
(【A】に反するわけです。死刑を職務として実行される刑務官の方のストレスは凄いそうです)

?殺された被害者の魂(霊)は、どのように救われるべきか。
(「肉体からの解放」という霊的解釈のレベルでは、もちろん解決されませんが)

?殺された被害者の家族の魂(霊)は、どのように救われるべきか。
(ご家族の方は、実際に悲しんでおられるのですが、その悲しみ(試練)こそ、
スピチュアリズム(「霊的真理の理解」)に出会う機会でもあるわけです)

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★ガーデナーさん、確かに、何も知らない人に話す時には、「霊」よりは、
「魂」とか「心」の方がいいかもしれませんね。それぞれのレベルでの「理解」なので、
いきない「霊」というのは違和感がありますね。

★ペーパーバーチさん、色々と、解説をありがとうございます。
とても、よく理解できました。

http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm

 


2783 タクシーにて
名前: ファニーズ  投稿日: 2003年08月31日 (日) 01時44分36秒

またまた徹夜です。今日も運動を兼ねて歩いて遠くまで出掛けていましたが大地の恵みの雨に降られてしまいました。そこへ通りかかったタクシーの運転手「女性」がクラクションで合図をしたのです。

初めは誰なのか判りませんでした、顔はやつれて、昔の面影が、少し残るだけでした、私は久しぶりなので自宅までの間、乗る事にしました。

聞いた話では、乳癌の手術をした事、娘さんが躁鬱病で手首を切り自殺未遂をした事を話されました。現在は医者から頂いた強い薬で、引きこもりながら毎日を自宅で過ごしているそうです、車の中が急に重苦しくなり直感で苦しんでいる姿を感じたので家族や兄弟で自殺をした方は居ませんかと尋ねた所、その方のお兄様が首吊り自殺をしたとの事でした。家柄にも因縁が有ったのだそうです。

スピリチュアリズムの話が喉まで出かかったのですが、女手一つで子供を育てている勝気な女性、それに二回目の手術を乗り切った生命力と現実しか見えない「医者の言う事が正しいと言う認識」と言う事もあり、魂の永遠性だけを話したのですが、断固として信じないのです。

私は思いました、無理もありませんね、忙しい毎日、自分達の生活だけで精一杯、心の余裕というか、心の眼が開いていないのです「霊的心理」も、その方にとっては胡散臭い宗教と同じに受け取られてしまうのです。

私は、その御家族、自殺された、お兄様に、ただただ祈り、もし聞いているのならばと思い、自宅に付いてからも祈りました。

雨も上がって、祈りが最高潮に達した暗黒の無の中で光りとともに風鈴の音が心に響きました。私の胸の重苦しい気が晴れていくのが判りました。「霊媒体質なので判るのです」お兄様の犯した自殺と言う行動は必ず自分で責任を取らされます。でも死を自覚させてあげる事は誰にでも出来るのです。後は、その方の守護霊様に任せるだけです。

身近な所からでも良いのです、出会った方には幸せになって貰いたいですね、今度、乗った時には、霊的な初歩の話でもしようと思いました、そんな今日と言う日でした。

 


2782 被害者の親として
名前: 空句  投稿日: 2003年08月30日 (土) 23時58分23秒

私の娘は遊具による事故死です。
池田小の殺傷事件の被害者とは桁違いですが、同じく被害者という扱いをされました。
同じように被害にあった親御さんから、裁判にかけないのかと誘われましたが、私は裁判にかけたところで肉体を持った娘が戻ってくるわけでもないし、その遊具も娘を殺すめに公園に在ったわけでもないので遊具に対しての憎しみも全くなく、裁判にかける気は全くありませんでした。

私の霊的成長の度合いに合わせた苦しみを与えられたのだと思います。私がもう少し霊的に進化していたら池田小の殺傷事件のような苦しみ度の高い死別体験をするのではないかと想像します。

とにかく今の私は、娘のいる界層まで行くための旅支度をしないと、娘のように私もいつ地上を離れることになるかも知れません。

掲示板で議論をすることは、今の私にはちょと難しいです。すいません。
今の私にできること・・・シルバーバーチの本を池田小学校にお送りしてみるというのはどうでしょう?

 


2781 追加で失礼します
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月30日 (土) 23時45分07秒

追加で失礼します。

●この議論で欠けているのでは---と思うポイントとして、私たちはこのような犯罪者にはならない、私たちはこのような犯罪者の枠外にいる---と言うことを前提にしている点があると思います。果たしてそうでしょうか。
私たち、少なくとも私は、もしかしたら或る状況に置かれたら、同じような犯罪を犯すかもしれない、人ごとの話ではない、と思っています。

●それから、スピリチュアリズムを信じていようがいまいが、このような犯罪を防止する手段をもっと考えていかねばならないと思います。しかし、犯罪の抑制手段として死刑がどうしても必要だということにはならないと思います。(復讐の手段としての死刑は、邪霊の付け入る隙を作るだけだと思います)

 


2780 スピリチュアリズムの観点から、一市民として
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月30日 (土) 22時50分24秒

スピリチュアリズムを知る前の私は、幼児虐待死などの残虐な事件を耳にするたびに、加害者は、単なる死刑では軽すぎ、それこそ市中回しの上、磔にし、さらし首にしても物足りないと思っていました。

しかし、一市民としても、そこにスピリチュアリズムの観点から世の中の出来事を見るようにしてからは、ずいぶんと考えも変わってきました。(例えば、ハリウッド映画の中で、善の主人公が悪人を、バッタバッタと爽快に殺す場面を見ても、これでは世の中かえって悪くするばかりだよな---という具合に)

私の考えは、繰り返しになりますが、?霊は肉体が死んだ後でも存在すること、?浄化されない霊が地縛霊となって、この地上の人間の隙をうかがい、そそのかそうと虎視眈々としていること、これらの事実を前提とするならば、死刑でなく更生の道を考えるべきだとの考えです。

この考えは、加害者のためというよりは、私たちを含めたこの世の中の人々のためという考えです。

加害者の立場に立てば、TMHさんの仰るような、
>逆にいつ果てるとも知れぬ長い長い償いの旅に踏み出してしまった加害者の小さな魂、>及びその関係者達(守護霊など)が、かわいそうになってしまいます
という観点もあると思いますが。

ファニーズさんの仰るように、スピリチアリズムの観点から、死刑制度について国民的な議論ができればいいな、と思います。

ところで、このような未浄化の地縛霊の守護霊は、いつまでも彼らの面倒を見ているんでしょうか?
邪悪な霊に悔悛の芽生えが見えたときに、上層界からの支援がある(当然彼ら邪悪な霊はそれなりの苦しい道を歩まねばなりませんが)という記述は、「ベールの彼方」や「(インペレータの)霊訓」ではありましたが---。

 


2779 心しずかに おだやかに
名前: ファニーズ  投稿日: 2003年08月30日 (土) 22時41分23秒

私の場合は、何時、自分が殺されても悔いは有りません。毎日、精一杯生きていますので、この世に執着は有りません。

家族が殺されても運命と捕らえます。「実際に、全員亡くなりました。私一人です。」この命果てるまで霊の道具として、明るく愛を持って守護霊様と共に生きていきます。今後、日本でも霊体次元のヒーラーと裁判官を作りスピリチュアリズムに立った裁判や判決を期待します。

 


2778 うーーーむ・・・
名前: きりこ  投稿日: 2003年08月30日 (土) 21時44分46秒

死刑に付いては、確かに、ひとつの制度として考えると、スピリチュアリズム的に考えると、確かに皆さんの仰るとおりでしょう・・・

しかし、

宅間の遺族に対する暴言、積みの無い子供達への残虐行為、自分の子供が被害者であったなら、、、

昨今、酷すぎる残虐事件が多すぎます。それに自分たちの感覚が慣れてきてしまっているのは非常に悲しい・・・

加害者の人権が過剰に保護されすぎです。

比較して、なんで被害者はあそこまで書きたてられ、プライバシーを捏造され、さらしものにならねばならないのでしょうか?
熊谷の事件もそうです。福岡の一家殺害もそうです。
なんであそこまで被害者が罵倒されなければなら無いのでしょうか?

それに比べ、加害者一味の未成年の少年少女のプライバシーは十分に保護されています。

偶然い合わせただけの女性を三人も殺すなんて・・(二人は助かったが)
あーーーーーーー!!!書いてるうちに、怒りが込み上げてきた!!!

ちっと、気持ちを改めて再度書き込みします。

あと、皆さんは、スピリチュアリストとしての自分と、一市民としての自分という部分があると思います。

両者の立場でどう思うか、是非聞かせてください。

 


2777 あゆさんへ
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年08月30日 (土) 20時48分29秒

本当にメッセージありがとうございました。

あゆさんの娘さんも、きっと霊界で絵や字を楽しみ、ますます上達されていると思います。
そのことは、僕の経験から、間違いないと確信しております。
ひょっとしたら、霊界でうちの妹とあゆさんの娘さんもどこか同じ霊界の絵画教室で学んだり、どこかでお会いすることがあったかあるいはこれからあるかもしれませんね。

僕の場合、妹が自分の遺した作品をなるべく多くの人に見てもらいたいと、ある霊媒の方を通して、またのちに僕に直接言ってきました。
そのため、妹が遺してくれた自分が作曲して演奏していたものを録音したテープをCDにして自費出版して知り合いに配ったりしまして、その過程でだいぶ慰められる気がしました。
次は、妹は絵も好きだったので、画集を出す予定です。

あゆさんの娘さんも、ひょっとしたら自らの絵や字をなにかの形にしてまとめて多くの人に見て欲しいと思ってらっしゃるかもしれません。

教えてくださったHP、これからゆっくり読ませていただきます。
ありがとうございました。

 


2776 すみません。
名前: あゆ  投稿日: 2003年08月30日 (土) 20時40分01秒

マークを変なところへ入れてしまいました。
最後の文字は消し忘れです。 (=^^ゞ

http://www.tensmile.jp/

 


2775 死刑制度について
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年08月30日 (土) 20時37分15秒

私も、死刑制度については反対です。

もちろん、理不尽な犯罪に巻き込まれた被害者やその御家族は、いかばかり無念な思いかは想像を絶します。
自分も、もしそういう目にあった場合は、犯人に対して報復をしたいと考えるかもしれません。

しかしながら、ヨシさんのおっしゃるとおり、魂は永遠との観点に立てば、犯人の肉体を消滅させても何の解決にもならないと思います。
また、当事者でないゆえに言える言葉にすぎないのかもしれませんが、やはり理想としては、極悪人や罪人といえども、慈悲の心を以って対処すべきと思います。
死刑というものも、国家の名において行われる暴力であることを考えれば、人を殺すような暴力はやはり避けた方がいいのではないかと思います。

死刑を正当化する考えとしては、一、社会秩序のために死刑によって犯罪を抑止する威嚇の効果、 と、二、被害者の報復感情を満たすため、の二点があると思います。
しかし、一の点においては、本当に死刑が抑止効果を持つかは甚だ疑問で、いまの日本のように死刑があってもある種の人間は諸々の事情から犯罪を犯してしまうわけです。
また、二の点も、本当に犯人が死刑になることで被害者の家族の気は晴れるのか疑問であり、むしろ犯人と被害者たちの間でコミュニケーション等をはかっていく方が効果を挙げる場合もあるのではないかと思います。

 


2774 らふぃえるさんへ
名前: あゆ  投稿日: 2003年08月30日 (土) 20時34分11秒

はじめまして、娘(18歳)を昨年なくしたあゆと申します。

らふぃえるさんの
>私の妹は一年前23で亡くなったのですが、そのあとある霊媒の人を>通して、またのちに直接僕に現れて、あの世で音楽を楽しんでると告>げてくれました。

のお話でとっても嬉しく感じました。
娘は絵や字がとっても上手だったのですが、
それをこの世で生かせなかったのが親としては、悔しいやら悲しいやらですが、
霊訓などにもやりたい事が勉強したりできるとありますが、
実際にお話をお聞きするとまた嬉しく感じました。

娘も特技を生かして向こうで楽しんでいてくれますよね。
ありがとうございます。
親と

http://www.tensmile.jp/

 


2773 御返事をくださった方、ありがとうございます
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年08月30日 (土) 20時23分04秒

ガーデナーさん、ハナリンさん、光のシャワーさん、僕に対して丁寧なお答えありがとうございました。
自分で尋ねておきながら、目を通すのが遅くなりすみません。

ハナリンさんのHPはこれからゆっくり読ませていただきますね。
本当にありがとうございます。
スピリチュアリズムの本では、シルバーバーチの霊訓や心の道場さんのHPのニューズレターや「スピリチュアリズム入門」を読んだことはあるのですが、他に必読の本等ございましたら教えていただければ幸いです。

光のシャワーさん、霊界でピアノの練習ができるのは間違いないと思います。
というのは、私の妹は一年前23で亡くなったのですが、そのあとある霊媒の人を通して、またのちに直接僕に現れて、あの世で音楽を楽しんでると告げてくれました。

ガーデナーさん、たしかにもう少し具体的に僕の抱えてる問題を説明した方がよかったと思います。
他の方がどういうときに霊媒ができるのかは僕にはわからないのですが、
僕の場合は、自分で催眠をかけて深い意識の状態になった時に、普段は三人ほど、なじみのあるスピリットが現れて話ができるという感じです。
自分が意識を失っている間に話をしているとか、そういうことはありませんし、激しいトランスになったりしたことは一度もなく、いつもごく静かに、催眠で深い夢に入ったかのような状態でスピリットと出会うことができます。
時には単に自分の妄想や意識の産物に過ぎないのではないかと、始終疑いと心配の念が出てきたりもしますが、自分では考え付かないようないろんな言葉や発想が出てくるのも事実です。

今後とも皆様に御教示いただければ幸いです。

 


2772 訂正です
名前: TMH  投稿日: 2003年08月30日 (土) 10時23分33秒

足元の現実に地がついたご意見(意味不明)

現実的な地に足がついたご意見

 


2771 贖罪の旅
名前: TMH  投稿日: 2003年08月30日 (土) 09時39分46秒

きりこさん、こんにちは。TMHです。
きりこさんの足元の現実に地がついたご意見、いつも共感を持って読ませて頂いております。死刑についてのご意見も、心情的には私も同じです。もし自分の家族が同じ目に会ったら、自分がどうなろうと、どんな行動に走るかわからないというのが正直なところです。

しかし、現実的な対応では納得できないことだらけだからこそ、いやそんな場合にこそむしろ、永遠の生命を前提としたスピリチュアリズムにたちかえって考える意味があるのではないでしょうか。

私は、このような凶悪な事件の報道に接すると、まずやりきれない怒りを感じますが、その後には、せっかく何かを学びにこの世に生まれてきながら、目的も果たせないばかりか、逆にいつ果てるとも知れぬ長い長い償いの旅に踏み出してしまった加害者の小さな魂、及びその関係者達(守護霊など)が、かわいそうになってしまいます。

 


2770 訂正
名前: ファニーズ  投稿日: 2003年08月30日 (土) 03時00分11秒

残された被害者や犯人の方々からでは無く

法で処されたとしても残された被害者の方々と犯人の家族同士で永きに渡る怨念・悪想念が発生してしまう可能性が有ります。の間違いでした。

 


2769 死刑と怨霊
名前: ファニーズ  投稿日: 2003年08月30日 (土) 02時51分06秒

徹夜の仕事の合間に書いています、私もヨシさんと同じ意見です。知り合いが20数年前に作ったパソコンゲームで「怨霊戦記」と言うのが有ります。

当時は「つのだじろう」さんや「丹波哲郎」さんが霊界について活躍していました。そこで霊や怨霊を扱った日本初のゲームを作ろうと言う事になりました。そのオープニングの文句を書きます。

この世に怨みの無い方はございません、人の命が短いばかりに人の情けも事の善悪も欲望の限りも悟りの道が遥かなため

人の怨み、この世を怨み旅立つのでございます、その旅立ちすら無念がゆえに、この世に残した怨みがつのり

死する事も生きる事も出来ない姿で、のたうちまわり死霊が怨霊と化して、この世に満ち溢れている事でございます

誠この世は怨霊の群の渦に巻かれた姿なれど不幸にも人はその姿見えず
業のさだめの為か生ある人は怨みを生み続けているのでございます

あな恐ろしや、はるかこの世は本当に地獄の姿に化するのでございます。

と言う具合で始まるのですが犯人は身体も意識も怨霊に乗っ取られてしまっています、死刑をしても死んで同じ怨念を生み続け同じ波長の人間に憑依します。同じ事の繰り返しなのです。

無期懲役と言う長い孤独と苦痛の期間で強制的に魂を更生できれば良いのですが。殺された御家族の事を思うと、やりきれません、死刑をしても犯人の魂の浄化は難しいですね。死んで本人が自覚出来れば良いのですが。残された被害者や犯人の方々から永きに渡る悲しみや怨念・悪想念が発生してしまう可能性が有ります。

 


2768 内と外
名前: yumi  投稿日: 2003年08月30日 (土) 01時42分28秒

霊主肉従よりも、霊主体従の方が私的にはしっくり来ますが、同じ意味なのだと思っています。

霊主体従と言う言葉は以前聞いたことがあったのですが、スピリチュアルな本を読みはじめ、再度この言葉に出会ったとき、「よし、霊主体で生きてみよう」と思いました。するとその日に見た夢は霊的な自分の求めているものは、肉体人間の私が求めているものと全く違うというものものでした。
霊的な私が求めているものと、肉体次元の私が求めているものは正反対のものだったのです。

ではどちらが道に合っているものなのかということを考えると、やっぱり霊的な自分が求めているものなのでした。
そうするとだんだん肉体人間の自分は、この世的なものに振り回されていることに気付いて来ました。

そういうことを考えると、やっぱり霊的な自分が肉体的な自分より上なのだと言うことがよく解ります。

内の(霊的な)自分と、外側の(肉体の)自分が一致しないとちょっと辛いです。
でも内側の自分と、外側の自分を一致させるととても快適です。
それは物的な次元を否定したり無視することとは違います。

 


2767 死刑というかなんというか
名前: さらり^^  投稿日: 2003年08月30日 (土) 00時21分00秒

江戸時代にならって、極悪非道で反省もしない殺人鬼はすでに
人権はないので、市中引き回しのうえ、打ち首獄門でいいのではないでしょうか
さらに、被害者の家族の皆さんの気持ちを考えたら、折の中にいれて
気が済むまで殴る権利があってもいいように思います。
現在の法律は被害者の人権には冷たいから、いいのでは・・・

 


2766 死刑制度
名前: ヨシ  投稿日: 2003年08月29日 (金) 23時27分57秒

確かに、人間の仮面をかぶった鬼畜の行う犯罪が多すぎ、このような犯罪を聞くにつけ、きりこさんの仰ることもよく理解できます。(被害者及びその家族の苦しさ、無念はいかばかりかと思います)

しかし、?霊は肉体が死んだ後でも存在すること、?浄化されない霊が地縛霊となって、この地上の人間の隙をうかがい、そそのかそうと虎視眈々としていること、この事実を前提とするならば、死刑でなく更生の道を考えるべきだと私は思います。

したがって、私は死刑制度には反対です。恨みに恨みで返すならば、霊的な向上はなくなってしまいます。

 


2765 1000の風
名前:   投稿日: 2003年08月29日 (金) 22時28分26秒

1000の風の話題がここの掲示板にあって、なるほど
そんなのがあるのかという感じでいました。

しかし、親が天声人語の記事でこの本に興味があったらしく
アマゾンで注文してほしいと言われました。

アマゾンのレビューでここの掲示板で書かれていた詩が
あったのでなんと、掲示板を見直して確認した次第です。

母親は、祖母が死んで以来、仏教のしきたりについての
本を読むことが多く、お墓参りもかかさず行くように
なっていました。お盆に僧がきた際にも、お経を僧と
復唱するなど、仏教にのめり込んでいました。

私は、以前そういう母に「そんな形式的なものはさほど
重要ではないか?」と聞くと、そんなことはないと怒って
ました。

そんな母親が、このような本に興味を持ったということは
いいことではないかと思いました。

やはり、死を最後と考える従来の考え方が次第に変わって
きているということでしょうか?

ゴミですが、この掲示板と母親の行動の偶然の一致で少し
驚いたので書き込んでしまいました。

 


2764 死刑制度
名前: きりこ  投稿日: 2003年08月29日 (金) 22時16分56秒

スピリチュアリズムの思想のなかで、受け入れることが出来ないのが死刑についての考えです。
インペレーターの霊訓でも、死刑に付いては激しく否定していらっしゃいましたが、私は宅間だの麻原だの、あの畜生(って、畜生に失礼か?)どもには死刑以外に妥当な判決なんてないと思います。

というか、なんで何億・何十億円もかけて裁判やら無きゃならんのだ?とさえ思います。

 少年事件で闇に葬られる事件でも目を被いたくなるような残虐な事件が多すぎます。
 過剰な人権主義と言うのは、人間を腐敗させるような気がします。
 権利と言うのは、それに付随して義務と責任が生じると言う大前提を皆が忘却してしまっているという点で、我が国の大きな病根になっているんだと思います。

 


2763 霊媒体質
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年08月29日 (金) 13時52分16秒


人は あるいは命あるものはすべて、受信機であり発信機であるとおもいます。 小学生の頃から、低級霊にとりつかれることが多く、この頃ようやく脱しました。

何を願うか、によってもちがってくるようですね。 よい想念をもつなど、でも違います。 このあいだ これこそカルマ、ということに、祈りは、ききとどけられましたが、私にしてはいつもと違う妙に悲しい気分が去りませんでした。

悲しくて、ダイアナ妃がいきていたらに抱きしめてもらいたい、などと思うのです。 ある人の想念を受信していることにきずくのに、何日か かかりました。 そうわかっただけで、戻っていくのです。 いわゆる、生き霊です。 

スピリチュアルなことをたくさん、学んでいきたいです。 

霊訓には、霊界でピアノの練習ができますかという質問があります。できるのだそうです。大人になってから始めた私としては、とても、未来(!)に 楽しみがもてます。時間は無限にあるのだし たべるための仕事もしなくていいのです。 例えばです。 勤勉はどこにいても美徳であるとはわかっています。

 


2762 らふぃえるさん(霊媒について)
名前: ハナリン  投稿日: 2003年08月29日 (金) 07時22分40秒

霊媒はだれでもできると思います。
・・・というのは、人間は霊なので、常に他の霊とのアンテナになっているのです。

自分で考えていると思っていたり、自分で話しているつもりが、実はその人の霊格に合わせて他の霊が話している...ということもありえます。

自分でコントロールできない(勝手に話してしまう等)とちょっと危険なので、「霊媒体質かな?」と思ったら、まず、スピリチュアリズムを勉強して、霊的な世界をわかっていた方がいいと思います。

http://www2.odn.ne.jp/~ohana

 


2761 死刑について
名前: きりこ  投稿日: 2003年08月29日 (金) 06時29分22秒

スピリチュアリズムでは、死刑はノーなのかもしれません。

しかし、私は死刑賛成です。少年も厳罰化すべきだと思いますし、人権人権と、加害者の人権ばかり尊重しすぎだと思います。
刑法はもっと厳しく厳罰化すべきとおもいますし、警察に、もっと強大な権限を与えるべきだと思います。

異論もあると思いますが、私の持論です。

 


2759 考え方
名前: さらり^^  投稿日: 2003年08月29日 (金) 02時50分36秒

いろいろあるんだな〜・・・
ちなみに、霊主肉従というのは訳の違いで日本語でいうなら
霊主体従のことではないでしょうか?
日本では霊体といいます、霊肉とは言いませんよね?
霊主肉従と霊主体従はちがうのでしょうか?
どうでもいいことかもしれないけど・・・

2760 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年08月29日 (金) 04時08分29秒
今日は夜更かししているので、こちらにもコメントしてしまいます(^^;

僕も「霊主肉従」という言葉には違和感があって、頭の中で「霊主体従」と変換して読んでいます。これはもともと大本教あたりの言葉で、それに倣うとすれば「体」が正解なんだと思うんですが……。心の道場さんが「肉」の方を使っているからか、この掲示板でも「肉」派が多いみたいですが、霊と肉とを対比させるのはキリスト教的な考え方が混ざっているんじゃないでしょうか?

とすると、霊主体従という言葉が意味するところの「霊が主であり肉体は従である」というのとは、ちょっと違ってくるような気もします。つまり、霊とは創造主のことであり、肉とは人間存在全般を指すという解釈が成り立つわけ。「神が主であり人間は従である」という意味になってしまうんですね。

もしかしたら心の道場さんはそういう暗喩も込めて「霊主肉従」と言っているのかもしれませんが、普通に「肉体が従である」という意味なら、やはり霊主体従と言ったほうがしっくり来るんじゃないかな、と僕は思います。

だいいち「霊主肉従」と聞くたびに、僕は精肉コーナーの様子が頭に浮かび、おまけに「肉汁」を連想してしまうので(笑)
(でもネットで検索すると「肉」の方が沢山出てくるんですよね。ううむ)

http://www.paperbirch.com/


2757
名前: ガーデナー  投稿日: 2003年08月28日 (木) 23時48分45秒

知足さん今晩は。「霊主肉徒」は「霊主肉従」の事ですよね?!

文章にすると硬い表現になりがちですが、知足さんにとって霊とは何ですか?何も知らない人に話す時に、どのように御説明なさってみえるのでしょうか?

私は、霊=魂=心であると、今の自分のレベルでは解釈していますので、
肉体も当然重要な役割をもっているし、魂が霊性向上の為に敢えて物体
次元に現わされてると思っています。

答えは見つからないと思うのですが、いい加減でしょうか?!
余計な口はさんでごめんなさい!

らふぃえるさんの思いも良く分かるのですが、もう少し具体的じゃないと
分かり辛いと思います。

霊媒体質者と霊感体質者と霊能力者は違います。
不成仏霊や動物霊に憑依されやすい方もいれば、
見えたり、、聞こえたりする方もいます。
勿論、供養、浄化のできる方もみえます。

 


2756 1000の風
名前: 空句  投稿日: 2003年08月28日 (木) 23時07分54秒

★ みなさん こんにちは
ここでは、いろいろと勉強させていただいています。ありがとうございます。
あまりさんが紹介してくださった『1000の風』を読んで、私もお話ししたくなり投稿します。

最初に私が『1000の風』の詩に出会ったのは仏教系の掲示板でした。
その次はキリスト教系の死別体験者の集まる会、次は終末医療を考える会、そのまた次はカウンセリング教室です。

ひとり娘がめでたく霊界入りをしたのに、私は物質的次元でしか判断できず、救いを求めていろんな会に出かけていました。
私のような死別の悲しみを持った者に、いろんな所でこの詩は紹介されます。
その度に「ああ〜、何度聞いてもいい詩だなあ」と思うのですが、ひとつだけ気になる所があります。

>私のお墓の前で 泣かないでください
>そこに私はいません 眠ってなんかいません

もちろん、うちの娘もお墓で眠っていません。
でもお墓にいる時もあります。私がお墓に行けばお墓にも娘がもいると感じます。

世間一般は遺骨やお墓という故人の抜け殻に執着し過ぎるので「お墓にはいない」とまで言い切ったのじゃないかと想像します。

娘は霊団の仲間になって 大宇宙に溶け込んでいて、でもちゃんと個性を持っていて、私とは思念で通じ合えるので、いつでもどこでも一緒にいる気分です。

世間は私のような境遇を「お気の毒に」と思うようですが、私と娘の関係は以前より幸せです。
肉体を持っていた時の娘より、肉体を離れ永遠のいのちに戻ったことで身近な存在になりました。
娘はイキイキ生きていて、とても幸せな状態で私を愛してくれ、応援してくれていてます。

一時期は地獄のどん底だったけれど、どん底のおかげでシルバーバーチの霊訓に書かれてある中の自分が体験したことにおいては、真実として確認できる日々を過ごせるようになりました。

本を読んでも体験がなくて想像しかできない所もいっぱいあります。
まだまだこれから先、学ぶこと、前進することがいっぱいあります。
みなさん 初心者ですが、どうかよろしくお願いします。
シルバーバーチの本に出会えたことも、このサイトに出会えたことも、このうえなく嬉しく思い感謝しています。

★ オリハルさんが紹介してくださった「ニュース・ステーション」で放送した映像、うちのPCはアプリケがなくて見ることが出来なきません、残念です。

 


2755 「霊主肉徒」について
名前: 知足  投稿日: 2003年08月28日 (木) 22時03分31秒

「霊的真理」を言葉で、正確に言い表すことはできませんが、私の理解する範囲で少し書きます。
間違いや理解不足がありましたら、指摘してもらえるとありがたいです。

「霊主肉徒」について語る前提として、「人間」についての二つの定義があると思うのです。
?人間の本質は、肉体ではなく、霊的な存在。
?人間の本質は、肉体であると同時に霊的な存在。

まったく知らない人に、「シルバーバーチ」とか「スピチュアリズム」について
説明する場合、このようなことをまず話すのですが、?と?では、印象がちがうと思うのです。

要するに、?のように語ると、「肉体」を否定しているような印象を与えてしまい、
私が懸念する「還元主義」的な色合いが濃くなるように思うのです。

けれども、?のように「肉体」であると同時に「霊体」でもあるのだよと説明すると、
多くの場合、頷いてもらえると思うのです。

「霊主肉徒」という言葉ではなく、『意味』が大切だと思うのです。
「霊主肉徒」というのは、どんな英語に略なのでしょうか? ご存知の方は居られますか。
「霊主肉徒」という言葉は、?の内容を充分に現わしていないと思うのですが、どうでしょうか?

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★『霊の書(上・下)』アラン・カーデック編(潮文社)を、今読んでいます。
細かいテーマについて、詳しく書かれているので、興味深く読んでいますが、
奥が深くて、難しいですね。全体的な世界観をつかみ切れずにいます。

http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm

 


2754 誰か霊媒のできる方いますか?
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年08月28日 (木) 21時33分55秒

誰か霊媒のできる方がいたら、まじめに話したいんですけど、いますか?
私は、本当に霊媒かどうかは自分でも判断がつきかねますが、トランス状態になった時に、そのように感覚されることはあります。
このようなことを通常言うと、気がおかしいとか思われそうですし、揶揄されるだけと思いますのであまり話さないのですが、もしこの掲示板にいらっしゃればいろいろ話してみたいです。
もしいらっしゃったら、アドヴァイス等お願いします。

 


2753 こんにちは
名前: オリハル  投稿日: 2003年08月28日 (木) 21時19分59秒

 ペーパーバーチさん、こんにちは。たまたま「悠々塾問題専用の期間限定特設掲示板。過去ログ(その4)です。2001年09月12日 (水) 22時50分55秒」の発言を読みましたが、私は「松田聖子と結婚する」と述べたことはありません。それは、事実ではなく、捏造・嘘の類です。できれば、その話の根拠が知りたいものです。

 ひれから、ちょっと気づいたのですが、あまりさんの「2751 ちいさな詩」は、「ニュース・ステーション」であるイラク人家族の悲劇を放送した映像に関連している発想の可能性があるように思いました(下記リンク)。

http://www.bekkoame.ne.jp/~oriharu/jvideo.htm#The_Boy

2800 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年09月02日 (火) 07時47分23秒
おおっ、オリハルさん、お久しぶりです。

調べてみました。そうですね、松田聖子と結婚するとは仰ってませんね。オリハルさんが結婚すると言っていたのは中森明菜さんでしたね。大変失礼致しました。

オリハルさんと言えば「聖子ちゃんを愛している人」というイメージがあったので間違えて書いてしまいました。でも、愛しているのは聖子ちゃんだけど、運命に導かれて中森明菜と結婚するということだったんですね。この↓ページで確認させていただきました。
http://www.bekkoame.ne.jp/~oriharu/jmkj.html

今回、久々にオリハルさんのサイトを拝見しましたが、相変わらずのオリハルさんワールドが展開されていて嬉しくなってしまいました。明菜さんとの結婚は無くなったんですね。そうですかぁ……残念でしたね。って言いながら、なんだか頭がおかしくなりそうですが(笑)

http://www.paperbirch.com/


2752 (ノ´▽`)ノオオオッ♪
名前: ミュウチリン  投稿日: 2003年08月28日 (木) 20時00分55秒

誰のか分からない詩なのに物事の核心を突いてますねっ!
詠み人知らずの詩であっても、こうして今まで伝えられているのを見ると、本質を捉えていれば誰がそれを言ったかはほとんど意味が無い事だと分かりますね。

今日、地下鉄から地上へ上がる階段途中でフッと思いました。

長い階段の上から太陽の光が暗い地下へ差し込んでいたのですが
そこを上がっていて、人間の中で宇宙の真相に目を向け求め、そして実践している人のみがその光を鑑識出来るのであり、物質が全てと思っている人間にはその光も見えず、階段がある事も知らない為、地下から明るい地上へ上がって行く目の前にある階段を登ることも出来ずにいつまでも暗く湿った地下にいるんだなぁ。と。
階段を上がるのは辛いけど、上がれば上がるほど明るい所に出られるのにねっ。
と、地下鉄の階段に教えられました/(゜ё゜)\

それと、名古屋の中川区を走っていましたら、どういった意味で用いているのかは分かりませんが「Spiritual」という名前の美容院を見かけましたよっ。
何だか、心を込めてやってくれそうな気がしてしまいますね(*^▽^*)

 


2751 ちいさな詩
名前: あまり  投稿日: 2003年08月28日 (木) 16時27分40秒

こんにちは。
皆様の投稿を、いつも興味深くよまさせていただいております。

けさ(28日)の朝日「天声人語」欄に、いま欧米や日本で静かに広がっているという作者不明の小さな詩が紹介されていました。
米国では、20数年前から一部の有名人の葬儀などでたびたび朗読されて感銘をあたえていたそうですが。

   私のお墓の前で 泣かないでください
   そこに私はいません 眠ってなんかいません
   千の風に 千の風になって
   あの大きな空を 吹きわたっています

   秋には光になって 畑にふりそそぐ
   冬はダイヤのように きらめく雪になる
   朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
   夜は星になって あなたを見守る

全体の一部だそうですが、作者をめぐっては米国先住民の伝承など諸説あるそうです。

美しい詩ですが、これってシルバーバーチを読んで思い描く死生観とつながるものがあるので特別新鮮な感動をもったわけではありませんが、スピリチュアリズム的表現が多くの人の心に残ったのだろうなあと感じました。
シルバーバーチの本からは、美しいもの慰められるもの、安心するものがもっともっと描かれていますもんね。・・・・ それだけではナイことも、十分わかっておりまする はい。

 


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