心霊学研究所
掲示板の過去ログ

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)2851-2900の過去ログです。
(メールアドレスは、スパムメール防止のため過去ログ収納時に削除しています)

過去ログの目次][心霊学研究所トップページ


2900 祈りについて
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月23日 (火) 12時03分57秒

祈りについては、本掲示版でもいろいろ書いてきましたが、現時点では私は次のように考えています(時の経過でいろいろ考えが変わっていくのですが)。

祈りとは、
?神、守護霊への素直な語りかけ
?その背景として、摂理の存在の確信、神・守護霊への揺るぎない信頼が必要

したがって、「--してください」、「---が欲しい」という現世利益的なことだって、心底そう思うなら、素直に要望すればいいのではと思うようになりました。その回答と違う回答が神・守護霊からあるかもしれませんし、回答自体がないかもしれません。しかし、?の信念・信仰さえしっかりしていれば、その時点で、悩み、考えていけば、それだけその人の霊性は向上するのではないでしょうか。

今の私は、
?今までのことに対し、守護霊に感謝
? 「--してください」、「---が欲しい」という現世利益的なこと
? 人の心の痛みを我が痛みとできるように
?恨み、憎しみなどの念をなるべく持たないで清浄な気持ちが多くを占めるように
?信仰心を強化してください
?道具意識を持たせてください(傲慢にならないようにしてください)

先日、小桜姫を読んでいたのですが、小桜姫が指導霊のおじいさんに、「---が見たい」、「--と会いたい」と素直な気持ちで語りかけています。あのような素直な態度でいいのでは、と思っているのですが。

 


2899 祈り
名前: ガーデナー  投稿日: 2003年09月22日 (月) 22時45分53秒

質問で〜す。
皆さんにとって祈りって何ですか?
どのように受け止めてみえるのですか?
御自分のためですか?
家族のためですか?
愛する人のためですか?
苦・困難に苦しんでる人のためですか?

http://www1.ocn.ne.jp/~healing/

 


2898 ありがとう
名前: さら  投稿日: 2003年09月22日 (月) 21時56分20秒

ヨシさん、フォローありがとうございました。


らふぃえるさん、私もアッシジのフランチェスコの祈り、大好きです。

 


2897 詩「ゆるすこと」のホームページ
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月22日 (月) 21時28分24秒

「ゆるすこと」の詩は、山口県にある会社のHP↓のようです。
http://www.joho-yamaguchi.or.jp/koubundo/

この他にもいい詩が紹介されていました。こんな粋なことをする会社っていいですね。

 


2896 シルバーバーチの新刊が出ました!
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2003年09月22日 (月) 16時25分35秒

いつも新刊の紹介を誰かに先取りされてしまうので、今回は頑張って紹介一番乗りします(^^;。

『シルバーバーチの新たなる啓示』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4892954713/ref=nosim/paperbirch-22

これはトニー・オーツセンによる第二期三部作の二冊目。以前にハードカバーで出ていたシリーズですが、一冊目の『シルバーバーチのスピリチュアルメッセージ』に続いて新装・再刊が待ち望まれていたものです。装丁もシンプルで上品なソフトカバー判になって、価格も大幅値下げの1,300円。バーバネルの愛弟子にして誰もが認める後継者であるオーツセンによる編集だけに、とても読み応えのある内容になっています。オススメです!

http://www.paperbirch.com/

 


2895 さらさん
名前: ころ  投稿日: 2003年09月21日 (日) 22時11分31秒

初めまして。
とても、素晴らしい詩を有難うございます。
これは、どちらかの、ホームページですか。

 


2894 さらさんありがとう!
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年09月21日 (日) 08時21分34秒

素晴らしい詩をありがとう。
本当に、ありがとうございます!

 


2893 祈りのことば・・あるいは詩
名前: さら  投稿日: 2003年09月21日 (日) 00時12分50秒


私の心を奇蹟的に平安に導いた詩があります。
「ゆるすということ」というものです。

貼り付けるには長いので、興味がある方はこちらをどうぞ。
http://www.joho-yamaguchi.or.jp/koubundo/hoshi.html

 


2892 掲示板に入れない人の処置について
名前:   投稿日: 2003年09月19日 (金) 12時50分50秒

リリスさんのリンクでインターネットセキュリティー下で掲示板に
アクセスできるようになりました。

いままではTurboLinuxで書き込みをしていました。

今回の場合は、クッキーを有効にするといった方法では解決できません。
是非、リンクでもいいですからこの方法をHPで紹介して頂きたいです。

インターネットセキュリティーも2003から2004になるようですので
是非、この情報をHPで掲載してください。

お願いします。>ペーパーバーチ様

 


2891 ハナリンさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月18日 (木) 18時24分38秒

ハナリンさん、「太陽の賛歌」を教えていただきありがとうございます。また、ご紹介いただいた映画もビデオを借りて、見てみたいと思います。

 ただ、この「太陽の賛歌」を読んでみて、正直な感想を言いますと、ちょっとピンときませんでした。何か青空のなかのまぶしい太陽の中で、目をしょぼしょぼさせている感じで----。

 よく、「悪」について考えるのですが、私の内面を見つめるとこの「悪」の要素が大きいと感じますし、ある状況に置かれれば(犯罪者の生い立ちや環境を見ると、犯罪を犯すそれなりの要因はありますよね。勿論、だからっと言って犯罪が許されるわけではないですが)、新聞を騒がせるような凶悪犯罪だってしでかす人間にだってなるかもしれない、と思っていますので、「悪」、「弱さ」について苦しみながら、神に訴えるような祈りがどうも私は好きです。

いずれにしてもありがとうございました

 


2890 ヨシさんへ(フランチェスコの太陽の賛歌)
名前: ハナリン  投稿日: 2003年09月18日 (木) 07時34分56秒

ヨシさんが「太陽の賛歌」を知りたいということでしたので、
貼付けておきます。

フランチェスコを知るには、「ブラザーサン・シスタームーン」という映画がきれいでおすすめですよ。

・・・・・・・・・・・・・・

神よ、造られたすべてのものによって、わたしはあなたを賛美します。

わたしたちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。

太陽は光りをもってわたしたちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。

わたしたちの姉妹、月と星によってあなたを賛美します。

月と星はあなたのけだかさを受けています。

わたしたちの兄弟、風によってあなたを賛美します。

風はいのちのあるものを支えます。

わたしたちの姉妹、水によってあなたを賛美します。

水はわたしたちを清め、力づけます。

わたしたちの兄弟、火によってあなたを賛美します。

火はわたしたちを暖め、よろこばせます。

わたしたちの姉妹、母なる大地によって賛美します。

大地は草や木を育て、みのらせます。

神よ、あなたの愛のためにゆるし合い、

病と苦しみを耐え忍ぶ者によって、わたしはあなたを賛美します。

終わりまで安らかに耐え抜いく者は、あなたから永遠の冠を受けます。

わたしたちの姉妹、体の死によって、あなたを賛美します。

この世に生を受けたものは、この姉妹から逃れることはできません。

大罪のうちに死ぬ人は不幸な者です。

神よ、あなたの尊いみ旨を果たして死ぬ人は幸いな者です。

第二の死は、かれを損なうことはありません。

神よ、造られたすべてのものによって、わたしは深くへりくだってあなたを賛美し、感謝します。

http://www2.odn.ne.jp/~ohana

 


2889 リリスさんへ
名前: こまりんぼ  投稿日: 2003年09月17日 (水) 23時34分27秒

おかげさまで問題が解決しました。
ありがとうございました。

 


2888 こまりんぼさまへ
名前: リリス  投稿日: 2003年09月17日 (水) 11時49分31秒

下にSymantec社のサイトへリンク張ってみました。解決すると思いますよ。

http://service1.symantec.com/SUPPORT/INTER/nisjapanesekb.nsf/jp_docid/20021020160209947

 


2887 管理者による削除
名前: *****  投稿日: 2003年09月17日 (水) 07時32分44秒

わけの分からない文章で何度読んでも意味が分かりませんでしたが(^^;
●宣伝であるらしいこと
●銀行口座とパスワードらしきものが書いてあること
などの理由により削除させていただきました。

 


2886 掲示板へのアクセス方法
名前: こまりんぼ  投稿日: 2003年09月17日 (水) 00時09分42秒

「掲示板に入れないときの対応方法」で質問。
最近私もNorton Internet Security2003をインストールしたのですが2002でのバージョンでの解説のため私の2003での設定方法が今ひとつ
わかりません。セキュリティをオフにすれば掲示板を見ることは可能なのですが今ひとつ不安が残ります。どなたか設定方法がわかりましたら
教えてください。

 


2885 小桜神社に訪問してきました
名前: ゆきたろう  投稿日: 2003年09月15日 (月) 03時27分47秒

こんにちわ。ペーパバーチさん。このサイトは2001/3月から拝見させてもらっています。まずはペーパバーチさんにお礼を申し上げます。先年生まれてはじめて病気で入院しまして会社もやめ長期療養していました。
その時にこのサイトがきっかけでシルバーバーチを知ることに
なり早速全巻購入しました。
精神的な部分での活力の復元にとても役にたちました。
ペーパバーチさんも心身共に大変な時期かと思いますが無理せず
がんばってください。
私は商業サイトの運営で毎日仕事で気が狂いそうになり体調を
崩してしまいました。
仕事も家庭もきつい(限界)ときは休む(さぼる)勇気も必要です。
さて9/14(日)に子桜神社へ訪問(お参りではありません。信仰しているわけではないので)してきました。
このサイトの常連の方はご存知かもしれませんが私は知らなかったのですが、
小桜神社は現在は諸磯神明社といいいます。
小桜姫物語の本編にはどこにも所在地がないのですが巻末の浅野多慶子氏の子桜姫は実在の人の項目にチラッと神明社の名称がでてきます。
油坪マリンパークの近辺らしいとわかったので油坪いって地元の人に聞いたのですが小桜神社といってもわからない人がいましたので探すのに苦労しました。お年寄の女性は知っている人が多いようですが。
訪問した感想ですが以外に質素でした。豪壮な社が建っているのかと思いましたがこじんまりとした神社でした。ただし、何かよくわかりませんがただならぬ気配が漂っていましてビデオを持参していたのですが、畏れおおく、礼拝をしてすぐに退散しました。
小桜神社のサイトですが現在の所在地や正式名称等も加えていただくと私のように迷うこともないかとおもいますのでご検討ください。それともどこかに掲載されているのでしょうか。

 


2884 更新停止しています。
名前: リラタイ  投稿日: 2003年09月14日 (日) 22時46分54秒

お久しぶりです。こちらのリンクのページに載せていただいている。リラタイと申します。

5月以降更新が停止しています。再開予定が今のところないのですが、
無料HPサービスを利用しているので更新が長いことないと削除される
可能性があります。そちらのリンクのページを更新されることが
ありましたら、リンクを削除していただけないでしょうか?よろしく
お願いいたします
今までリンクしていただいてありがとうございました。

 


2883 皆さん素晴らしい
名前: ガーデナー  投稿日: 2003年09月14日 (日) 21時50分54秒

やはり書き込みが止まりましたね。

さすがスピリチュアリストの皆さんです。

ニューエイジについて質問させて頂きましたが、出来が悪いので
あまり理解できませんでしたが、ありがとうございました。

私には、今、時間がありませんので勉強できません。

諺に「情けは人の為ならず」ってのがあります。
情けを掛けるのは人の為にならないって事じゃなく、
人の為に親切にすると、自分にも返ってくるという意味です。

霊性向上という喜びが返ってくれば嬉しいですね。

 


2882 飯田先生の本との出会い
名前: 空句  投稿日: 2003年09月13日 (土) 08時29分08秒

★地足さんへ

飯田先生の本との出会いから、私が思ったことを書きたくなりました。「中にはこんな人もいるのか」と聞いてくだされば嬉しいです。

飯田先生の本にある催眠療法を2年前に受け、光の世界(霊界)にいる娘に会い、娘と会話し、大きな光になった娘に抱かれるという体験をしました。『生きがいのメッセージ』(飯田史彦・責任編集)にもあるような不思議体験も次々おこり、死後の永遠のいのちは信じられるというよりも、もう完全に認めています。

ですが、飯田先生の本『ブレイクスルー思考』で生きるよりも、シルバーバーチの本に書かれてある生き方をしたいです。
縁あって近づく人の力になってあげること、慈悲の心を持って接すること、機会があればどこでも人のために役立つことを心掛けることです。

飯田先生や催眠療法にはとても感謝していますが、『シルバーバーチの霊訓 10 』 の7章「再生問題を語る」に書かれてあるとおりだ思います。

私にとって、私の霊的進化の過程において、飯田先生の本を読み、催眠療法を体験することが必要だったのだと思います。シルバーバーチの霊訓を受け入れるための準備段階の一過程だったと思います。

[NO.2782 被害者の親として]の私の投稿のような考えではまだまだです。娘と同じ界層に行きたいから役立つ人になろうなんて思う私の心に利他愛はないです。仏教のお話で聞いたことがある十牛の図の10番目の「街に入って、手を差しのべる「入廛垂手」の生き方がシルバーバーチの本にある生き方と共通しているように思います。

『生きがいの真実』は友達に借りて読みましたが、飯田先生の話術に魅せられ、あっと言う間に読んじゃったというのが感想です。感想になってないですね、すいません。初めて読んだ『生きがいの創造』ほどの感激はなっかったです。

『生きがいの創造』の本にある一節を書き出します。
「若くしてこの世を去る人々はすでにこの世の目的を果たしてしまったためか、あるいは若くしてこの世を去る事自体が、その家族にとって特定の大きな意味を持っているからなのだ。(省略)自分が死ぬことによって両親や家族の精神的成長を早める。」
飯田先生の本、なかでもこの一節から、子どもを亡くすという真っ暗闇の中に一筋の光りを見つけた人は少なくないです。私もその一人です。

「大霊さま、守護霊さま、ありがとうございました。」

 


2881 ニューエイジの捉え方
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月13日 (土) 02時39分28秒

もりふみさんへ

ニューエイジをとらえる際に「苦に対する自己責任」が一つのキーワードになるのかもしれませんね(他にもキーワードとなりものがあるかもしれませんが)。

そうだとすると、らふぃえるさんが思想の流れという観点から分類して下さった「1960年代ごろから主にアメリカ西海岸で起こった精神的な潮流のなかで出てきた思想」の中でも、少なくとも「苦に対する自己責任」の認識を持つものは、(今まで、ニューエイジ的な考えは甘いと言ってきたような意味での)ニューエイジではないということになりますね。

このような捉え方は一般的ではないかもしれませんが、ニューエイジを十ぱ一絡げにとらえるのではなく、いいものは理解し吟味する必要があるという観点から、このような捉え方には賛成です。

むしろ、『地球浄化のための神の大計画が現在も進行している』という観点からも必要なことではないでしょうか。

 


2880 「飯田史彦氏の著作」
名前: 知足  投稿日: 2003年09月12日 (金) 21時52分16秒

『生きがいの真実』(飯田史彦著)を昨日読んだのですが、
皆さん方の、飯田史彦氏の一連の著作についてのご意見をお聴かせ頂ければと思います。

私の場合は、飯田史彦氏の著作について『臨死体験・気功・瞑想』というサイトの掲示版に書き込みを
したのがキッカケで、あゆさんと出会い、シルバーバーチを教えてもらいました。
http://bbs3.otd.co.jp/312564/bbs_plain

『生きがいの真実』について印象的であった所を2つほど書きますと、
?前半の『命の章』の「あなたの正体は、『自分』という独立した自覚と意思を持ち、
成長したいと願う『意識』である」とか、

?『光の章』での「私たちに求められるのは、正しい判断ではなくて、
『いつ、どのような場合においても、直面する試練を通じて大いに学ぶこと』しかありません。」
というところです。

http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm

 


2879 インチキニューエージ試論
名前: もりふみ  投稿日: 2003年09月12日 (金) 20時10分44秒

 ペーパーバーチさん、みなさん、こんにちは。

 ちょっと出遅れた感もありますが、私も我が偏見的独断的偏狭的揶揄的一方的哄笑的意地悪的僻目的微視的盲人撫象的な『ニューエージ』観を、空想科学漫画的古典文学的米国地方都市的精力旺盛人物的関連(何のこっちゃ?)において、ひとつ。

 基本的には、ヨシさん(2861)が纏めて下さった

>?人生の苦難は、自分自身の責任で生じたものであり、したがって、その苦難を克服するには自己の責任において行わなければならない、という苦への自己責任という認識がない。

 が所謂ニューエージを大括りする共通要素としては非常に簡潔でいいと思います。ただ惜しむらくは、上の要素の中にはニューエージではない考え方、ニューエージとは縁もゆかりもない人も入ってしまうことですね(何ら思想的背景を持たないただの“甘ったれ”等も含まれてしまう)。
 そこで私は更に絞り込みを行なって、上記要素を持つ人・考え方に属し、なおかつ以下四つの内のいずれか一つ以上の型に入るもののみを『ニューエージ』と捉えてはどうかと考えるのですが、御賛同を得られるかどうか・・・。

(1)『雨中選管』、もとい『宇宙千巻大和』、いや失礼『宇宙戦艦ヤマト』型、です:

  世の中には様々な「波」があることが知られています。「さざ波」、「高波」から「電波」「音波」、「高周波」、私は送られたことはありませんが「秋波」、更には「スカラー波」という波もあることが最近になって判明しました。また牛丼にも「波」が、いえ、これは「並」でした、失礼。え〜っと、エヘン、ゴホン、素粒子論の世界では、すべての物質の最小単位である素粒子はすべからく「粒子」であると同時に「波」でもあるということのようです。これを踏まえてのことかどうかは知りませんが、この「並」、もとい「波」の動きが分かる(見える・感じる)人たちがこの型に属します。やたらに「愛の波動」を送ったり「憎しみの波動」を感じたり出来るタイプですね。「スカラー波」さえ感知できない私のように鈍感な者をつかまえては、ふた言めには「・・・の波動が云々」というのが特徴です。こんな場面に遭遇してしまった人は、ひそかに「あぁ、『波動砲』攻撃だ」とヤマトの主装備を想起するのではないでしょうか?とにかく何でもかんでも「波動」に原因を帰してしまう「波動」がとてもお気に入りのタイプ。

(2)『源治』型。あれ、これは郭源治(元・中日ドラゴンズ)のことじゃないか?そういえば魅了されましたねぇ、あの剛速球には。今はどこで何をしているんでしょう。あ、いえ、もとい、『源氏』型です、はい:

 「オーラ」という光芒というか後光のようなものがあって、それが見える(らしい)人。プラス、それが見えていることに基づいてやたらに他人にお節介したがる人(なかにはそれを生業にしている人も)。また、「オーラ」とは呼ばなくともまばゆいばかりの「光」を瞑想中に見たり、「光」に導かれた人生をおくっていると主張したりする人、「光の手」や「光の足」等で他人を癒す人(考古学関係者にたまに見られる「神の手」系の人と混同しないで下さい)などもこの型に属する。とにかく言動・思想がオーラをはじめとする「ヒカリもの」がベースになっているタイプです(月の光や街灯に導かれて夜道を帰る人はこれに含みません)。そんなタイプの人たちのことを私はひそかに『光の君』と呼んでいるのですが、これは紫式部に対して失礼でしょうか、それとも一介のプレイボーイ如きに擬せられた人の方に対して失礼にあたるでしょうか?

(3)『穴は医務』、失礼、そうではなくカタカナで『アナハイム市民』型:

 天子や陽性、もとい、天使や妖精がたいへん好きだという方々のことは、私はこうしてかろうじて何とか文字にこそ書けますが、「彼女は『天使』グッズがお気に入りなんだってね」というサラッとした文脈においてさえ、間違っても口に出せるものではないと思ってしまうのは何故でしょうか?やはり恥ずかしいのですね(オトナの矜持かオトコの面子か、その両方か?くだらないプライドと笑わば笑え)。いずれにしても「天使」や「妖精」という言葉が私の口から発せられることは決してないと思います。ところがオトナでも(主として女性だとは思いますが)、「こんな朝は天使が空から降りてくるのよ」とか「あ、ほら、花の妖精が踊ってるぅ」などと平気で(しかも真顔で)仰る人たちがいないわけではないようです。この種の人たちに私は『アナハイム市民』型という称号を贈りたいと思うのです(受け取らないでしょうが)。呼称の理由は次の通り。米国はカリフォルニア州アナハイム(ロスアンゼルス郊外)と言えばディズニーランド、ディズニーと言えばアナハイムというわけで、様々な妖精キャラクターがあふれる街。市民はたくさんの妖精に囲まれているのです。それなら『浦安市民』型としてもいいのではと思われるでしょうが、残念ながら浦安(東京ディズニーランド)に天使はいないのです。ところがアナハイムは昨年のMLB(メジャーリーグベースボールです、為念)ワールドチャンピオンに輝いたAngelsの本拠地であって(しかもAngels球団オーナーは他でもないディズニーランドグループそのもの)、市民は天使たちを熱狂的に支持・応援しています。メルヘンチックな妖精たちに暖かく見守られながら天使たちの活躍を願うことが出来る!これは実際のアナハイム市民以外では、この『アナハイム市民』型に属するニューエージャーたちだけに許された特権だったのです。あぁ、でも、何となく私もアナハイムに移住したくなっ・・・・・・、おぉっと、アブナイアブナイ。

(4)絵寝る・・・、違う、え〜っと、『エネルギッシュ』型:

 これは(1)『宇宙戦艦ヤマト』型の相似形というか類似形というか、とにかく似たようなものです。要は(1)が使う「波動砲」、いや「波動」というものが「エネルギー」に変換されただけのタイプです。「愛のエネルギー」や「憎しみのエネルギー」を感知する型。「波動」と「エネルギー」の違いが何なのかは不明ではありますが、おそらく同根異株で「本家」と「元祖」、「本流」と「亜流」みたいなものだと思われます。おっと、こんな言い方はいけませんね、どっちが「本流」でどっちが「亜流」なんだと突っ込まれそうですからね。でも「波動」と「エネルギー」の間で雌雄を決して貰うのも悪くないなと思ったりするのは、やはり不謹慎でしょうか?私としては、ただ「エネルギー」って言われたって、それが「熱エネルギー」なのか「運動エネルギー」や「磁気エネルギー」か、はたまた「核エネルギー」なのか「省エネルック(古い!)」の一種なのかが分からないという茫漠とした印象を持ってしまうだけなので、どちらかというと「もっともらしさ」で「波動」の「ヤマト」型に軍配を上げたいのですが、いかがでしょうか。こんなことを言うと「エネルギー」派から「あなたの言い方には、とても屈折したエネルギーが感じられます」などと言われかねないので、これくらいにしておきましょう。私はこのタイプをひそかに「エネルギッシュな人」と呼んでいますけど、やはり違いますかね、ダメですか?

   
 あまりフザケたことばかり書いていると多方面から叱責がとんできそうでコワいですが、まぁ、だいたいこの内のどれかに属するものを総称して私はインチキニューエージと呼んでいます。

 ところで、あまりといえば「あまり」さん、我が投資に対する「お祈り」のエールを頂戴し、恐縮至極、感涙に堪えません。ありがとうございます、おかげさまで自信を持って投資に望めそうです。畏れ多い銘柄『秋天』が取引される当日は、取引所の様子をNHKが全国民に向けて実況中継するキマリになっています。我が投資が首尾よく成功した暁には、私は取引の帰趨が決する地点近辺のハイビジョンカメラに向かってメロスのように走り寄る所存です。そして荘厳な面持ちで右手に高々と取引証券を掲げて声高に叫ぶでしょう、「あまりさん、ありがとう」と。それが聞こえたらTV画面に向かって手を振ってくださいね(波動かエネルギーで感知したいと思います)。もしその声をマイクが拾えなかったとしても、似たような行為をする多数の国民の中から私を見分けることは決して難しくはありません、J事務所アイドル系を探せばいいだけなのですから。

 それではこれにて失礼致します。

 


2878 類魂
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年09月12日 (金) 12時18分43秒


類魂 このことについて、いつもよくわからなかったのでした。 

この心霊学研究所に、類魂とは何か が特集されておりました。
勉強会座談会の第五回にもです。 

内容は続スピリチュアリズム入門第12章や、霊訓の各巻をよんだあとにもすっきりしないことが、整理されて詳しい説明がありました。参考文献も紹介されてありました。 ペーパーバーチさま、ありがとうございます。

類魂を理解できるお許しが出たのだとおもいます。うれしいです。

 


2877 こんばんは(^^)
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年09月11日 (木) 22時24分08秒

ヨシさん

フランチェスコのは、「太陽の祈り」ではなく「太陽の詩」もしくは「太陽の歌」というのが正確なタイトルのようでした。
ネット上にも多々書いている方がいらっしゃるようなので、googleかyahooで検索すればすぐ見つかると思いますよ(^^)


レッドディアーさん

らふぁえる、ではなく、らふぃえるです(^^;
天使ではなく、某マンガの猫が名前の由来です・・・。


仏教は、釈迦の教えに限ることはなく、その後多様な発展を示しているわけで、たとえば法華経の如来寿量品に出てくる「永遠のいのち」の認識は、間違いなくスピリチュアリズムにおける大霊の認識に一致するものと思います。
仏教は、慈悲とかいうわりには、キリスト教に比べて実践面に関して劣ってる気が、特に日本の歴史を見る限り思われるのですが、しかしたとえばダライ・ラマの文章などを読んでいますと本当に慈悲の心に胸を打たれる思いがします。
愛もしくは慈悲の深さと広さが霊格の高低ののバロメーターであるならば、仏教徒にもとても霊格が高い人がいるのは否定することのできない事実でしょう。
心の道場さんのニューズレターは、要するに「無我」論がスピリチュアリズムと一致しないということなのだと思います。
しかし、大乗仏教においては「無我」論は釈迦が方便で説いたことであり、涅槃経ではかえって「大我」が説かれますし、法華経でも「永遠のいのち」への認識が説かれています。
あまり、原始仏教といいますか、釈迦に仏教を限ってスピリチュアリズムとの整合不整合を考えなくてもいいのではないかと思われます。
特に、日本人には歴史的に、原始仏典より大乗仏典の影響の方がはるかに多いわけですから。

2930 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年10月02日 (木) 07時25分01秒
|愛もしくは慈悲の深さと広さが霊格の高低ののバロメーターであるならば、仏教徒
|にもとても霊格が高い人がいるのは否定することのできない事実でしょう。

もちろん同様にキリスト教にも、ニューエイジにも、唯物論者にも霊格の高い人はいるでしょう。でも、それがそれぞれの思想信条のおかげで霊格が高くなっているとは限らないですよね。

ところでシルバーバーチの交霊会でも全く同じ質問が出ているんですが、ご存知ですか?(キリスト教徒にも立派な人はいますが、それはキリスト教徒として立派なのではなくて人間として立派なのだ……という内容)


|しかし、大乗仏教においては「無我」論は釈迦が方便で説いたことであり、涅槃経
|ではかえって「大我」が説かれますし、法華経でも「永遠のいのち」への認識が説
|かれています。

法華経が成立したのは釈迦の死後200〜500年後(諸説ある)ですし、涅槃経に到っては3世紀ごろに書かれたものであって、どちらにせよ釈迦の思想とは無関係のシロモノです。釈迦の死後間もない頃に、既に生前の言葉はまとめられているのですから(いわゆる原始仏典)、その頃に影も形もない思想が何百年も経ってからヒョッコリ出たとしたら、それは後世にでっち上げられたものと判断すべきでしょう。

涅槃経については、釈迦が語ったこととして考えるより、成立年代から考えれば間違いなくキリスト教の影響があったと考えるべきものです。1世紀にはキリスト教はインドに伝道されていますし、3世紀頃には相当広がっていて、キリスト教会もあちこちにあったようですから。恐らく法華経も同様。

と、こういう書き方をするとまるで頭ごなしに大乗仏教を否定しているみたいですが(^^;ゞ、そうではなくて、大乗仏教の教えに価値を見出せるなら、それはそれで良いと思っています。ただ、それは飽くまでも釈迦の死後数百年も経ってから出てきた教えであり、釈迦が説いた教えとは別のもの、無関係なものとして扱うべきだということです。

大乗仏教の人と話すと「原始仏教で説かれているのは方便で、真意はこちら」みたいなことを言われることが多いのですが、そこまで行くと明らかに嘘ですよね。どう考えても別の教えなんですから、ちゃんと分けて考えなければいけない(でないと本質を見誤る)と思います。

http://www.paperbirch.com/


2876 ははは
名前: きりこ  投稿日: 2003年09月11日 (木) 22時18分10秒

株の話題なら、私も一丁!

中国株なら、本土株式よりも、浙江高速や電力会社、北京国差空港などのインフラ関連が一番良いでしょう。国自体が成長していくことが確実ならば、あえて成長企業を選別して投資するより、インフラ関連に投資するのが一番です。

成長国のインフラ関連は、我が国の成長企業と同じ位の成長率を見せますし、バックに有力な国家機関がついていますから(国務院や人民解放軍、省政府など)、やはりそちらのほうが良いと思いますね。

それに、本土インフラ関連企業が上場している香港H株は、ま、そこそこ財務情報等もディスクローズされていますが、本土上場株は殆ど情報公開していませんからね。
実を言うと、私は中国株については利食いして一時撤退しています。
理由は簡単。
ちょっと割高感、過熱感が出てきたからです。
なので、いまは様子見です。
実は、資金は日本株に振り替えました。

日本企業のIT関連企業の中には、ITバブル崩壊後、過小評価の超割安放置銘柄(PER1桁、配当利回三%以上、無借金で、手元現金よりも時価総額のほうが安い)がゴロゴロしていましたので、それらを発掘し、投資しました。

最近の株価上昇で多少は資金が回ってきましたが、まだまだ安いですね。ま、ここまで安いのは、東証一部・2部にはありませんが、ジャスダックやヘラクレスには結構有ります。

ご存知のとおり、日本はコンピューターネットワークでは1990年代、完全にアメリカの後塵を拝してきました。
しかし、日本が復活と言うか、世界のトップを握ることが出来る分野がいよいよ本番を迎えようとしています。

それが、なんだかわかりますか?その関連の有望企業に投資すれば、マイクロソフトやクアルコムほどにはいかないでしょうが、良い所まで行くと思います。

2929 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年10月02日 (木) 07時16分07秒
日本株も先週あたりから調整に入って絶好の買い場になりつつありますし(と思ってたらちょっと上がっちゃいましたが)、円高の今こそ支那・米国など外国株式がお買得!という感じもしますし、あれもこれも目移りしてしまう悩ましい相場が続きますね。

何か、何ヶ月分もの含み益が吹っ飛んだという人も少なくないようですが、僕は既に大部分を現金に変えてますので、もっと下がれ下がれ、なんて思ったりして(^^;。

支那株で今持ってるのは、石油・石炭・電力・家電・製薬です。高速道路は思っていたよりPERが高くなっていたのと高速道路料金の値下げというリスクもありそうなので当面見送り。自動車も一つは持っておきたいところですが、日本の自動車株を持っていたので、こちらは何となく暫く様子見しようかな、と(同じ動きをするわけじゃないでしょうから、理由にもなってないような理由ですが)。

|しかし、日本が復活と言うか、世界のトップを握ることが出来る分野がいよい
|よ本番を迎えようとしています。

バイオとかでしょうか? でも、急成長企業が必ずしも急成長産業にあるとは限らないとピーター・リンチも言ってますし(^^;、以前にIT暴落で大ダメージを受けてますので(>_<)、産業自体の将来性に期待して投資するのはちょっと怖いですね。成長するジャンルには次々と新企業が参入するものなので、現在有望に見える会社が最終的な勝者になるとは限りませんし。

それより、大きく儲けようと思わなければ今なら日経平均連動のETFに投資するのがローリスクで良いんじゃないかと思ってます。日経平均一万円割れたら貯金全額突っ込んでも良いんじゃないかと。ホラ、竹中さんも「絶対に儲かる」って言ってましたし……怒られてましたけど(笑)。で、無くなっても諦められる程度の金額をハイリスク・ハイリターンな銘柄に集中投機(^^;

http://www.paperbirch.com/


2875 もりふみさんへ
名前: あまり  投稿日: 2003年09月11日 (木) 20時19分42秒

こんにちわ。

わたしにとってはチョイト肩の凝るはなしが流れている間をぬって、もりふみさんの投稿、おかしくてチカラが抜けました。

深センB株って何?と私にはさっぱりワケ分からない分野ですが、ペーパーバーチさんはじめ一部のくわしいかたがたは身をのりだされて読まれたのではないでしょうか。

走る銘柄「天皇」株での大勝を、かげながらお祈りいたしております。
(格調あるお祈り紹介がつづいたあとに、俗っぽい祈りでみなさまスミマセン)

 


2874 ちょっとした過ちの修正。
名前: レッドディアー  投稿日: 2003年09月11日 (木) 18時10分09秒

皆様、こんにちわ。らふぁえるさん(名前間違っていたら、すみません。)が仏教にもちゃんとした神理がある様な気がする。との様な事が書かれていましたので、皆様の中にもしかしたら、仏教について誤解を持って生活されている方がいるかもしれませんので、是非少しの間だけ説明させて下さい。 そもそもなぜこの様な話題を持ち出したのかといいますと、実は、こことは別のスピリチュアリズムニューズレターさんと言うホームページにシャカに対する過ちがありますので、この場所とタイミングをお借りしまして、少し述べさせていただきます。

ニューズレターさんの言うシャカがブッタであるならば、ブッタは、光の大指導霊の一人であります。
ブッタは、人々に心について説いた偉大な方の1人であります。ブッタは、人々に瞑想とは、反省であると説いております。なぜ瞑想が反省なのか?それは、今まで溜まりに溜まった過ちや罪を思いだし反省し、克服する機会を与えるものだからであります。神は、皆様の心に光を与え続けています、しかし、もし自分自身の心にスモッグがあるならば、その光は、残念ながらあまり届かないでしょう。つまり反省と克服という行為に寄って人の心は、きれいになり神の光をより完全な状態で受ける事ができると言っているのです。ブッタは、更に人は、他人には、ウソはつけるが、自分にはウソがつけない。つまりそれが人間一人一人の中に神が存在する確かな証拠だと言っております。自分の心の中の様々な過ちを正し真実の自分をつくりその愛を広めていきなさいとおしゃっております。ブッタは、悟りを開いた時に三人の梵天(天使)に会っています。その三人の名前がアモン、クラリオ、モーゼです。アモンとは、イエスの前の名前であります。クラリオは、イエスの分霊です。モーゼは、皆さんが知っているとおりです。なぜこの様に名前を出したのか、本来は、名前を出すべきでは、ありません。私も重々その意味の深さを承知しております。ですが、ブッタの指導霊、守護霊が分かることによって改めて、仏教もキリスト教もひとつなんだったと理解できるのでは、ないでしょうか?今ある仏教に何一つ正しいものは、無いかもしれません。ですが、もともとの原点は、仏教もちゃんと霊界からの導きで
神の啓示として人々に伝わっていったものの一つでありました。ニューズレターさんは、 シャカが、イエスに、遠く及ばないとか天地とほど霊格に差があるとか、それが分からない人は、霊格視点がないと言っておられましたが、私から言えば、その様なあいまいな霊的な知識で軽はずみに人に教えるものでは、ありません。ブッタの中に毒矢の譬えというものがあります。これをニューズレターさんは、「シャカは  「現実に苦悩の矢に当たって苦しんでいるのに、世界は常住であるのかどうかとか、魂は永遠であるのかどうかなど、おかしな話ではないか。まず毒矢(苦悩)を取り除くこと、すなわち苦悩を解決するのが先決である」と答えます。そしてそのために示した解決方法が『四諦(したい)の教え』でした。 こうしたシャカの論法は言うまでもなく、「霊的事実」に対する無知から出たものです。もしシャカに霊界や霊魂を見ることができる能力があったなら、このような返答など決してしなかったはずです。」と説明しております。しかし人間にとって一番の幸福はなんでしょう。それは、心の安らぎです。宇宙は永遠か有限かを知って、その人は安らぎを覚える事ができるでしょうか、それはできません。心の安らぎは、時々刻々、変化してやまない己の心を知り、執着から離れ、その心を自然の法に乗せたときにのみしか得られないからです。キリスト教は神、仏教は仏とみて、神と仏は別個の存在のようにみるのは、聖書や仏典の文字にとらわれるためです。人の心を理解し、心を通して聖書を読まれ、仏典をみてくると、神と仏、つまりイエスとブッタの説いている真意が理解されていきます。
 神とは宇宙に遍満するエネルギーであり、法であり、無限の真意なのです。その法なり、意思にふれて、神の意を現実に生かし、人々を導いていく者を如来といい、仏というのです。ブッタが唯物論者であるかどうか、この理を理解すれば、こうした解釈は、出てこないはずです。この様に解釈の出発点がひとつ違うとすべてが違ってきます。頭で理解しようとするから、違ってるくるのです。地上界が混乱と不信に満ち、争いが絶えないのも、人の心のなんたるかを知らず、心をおろそかにした生活を送るからなのです。宇宙の永遠を知る前に自分自身を知るべきです。自分の心が理解できれば、宇宙が永遠であるかどうかも理解されてくるものです。
スピリチュアリズムも、もちろんすばらしい神理のひとつです。ですが、高級霊界通信に出ていないから、正しくないとか、通信を皆さんの又は、神理の中心の様に気がつかないうちに考え、通信やシルバーバーチを基準に見てしまう事がある人もいるのです。でも本来は、神が中心であります。本で読んだ知識より何か善行をする方が、より深い神理を理解する事もあるのです。

2924 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年09月30日 (火) 07時34分33秒
|ニューズレターさんの言うシャカがブッタであるならば、ブッタは、光の大
|指導霊の一人であります。

キムタクがスターであるならば、スターは、芸能人の一人であります。と言っているようなものですね、これは(^^;。仏陀というのは覚者という意味の梵語「buddha」であって個人名ではありません。ついでに言えば、「ブッタ」とは言いません。梵語の綴りを見れば分かるとおり「ブッダ」です。


|ブッタは、悟りを開いた時に三人の梵天(天使)に会っています。その三人の
|名前がアモン、クラリオ、モーゼです。アモンとは、イエスの前の名前であり
|ます。クラリオは、イエスの分霊です。モーゼは、皆さんが知っているとおり
|です。なぜこの様に名前を出したのか、

その情報源の詮索はしませんが、「なぜこの様に名前を出したのか」と言えば、それはその情報の出所であるナニモノかが低級霊界通信だからです。レッドディアーさんが弄んでおられる上記のような知識は、仏教ともキリスト教ともかけ離れたものですし、ましてや霊的真理とは何の関係も無い、(シルバーバーチの言う)子供のおもちゃに過ぎません。釈迦が悟りを開いた時に誰と誰に会っていたとか、そんなことは霊性進化にとって何の意味もありません。インチキな新興宗教の教祖が、ハリボテの教義を飾りたてるためにでっち上げたデコレーションでしかありません。


|本来は、名前を出すべきでは、ありません。私も重々その意味の深さを承知してお
|ります。ですが、ブッタの指導霊、守護霊が分かることによって改めて、仏教もキ
|リスト教もひとつなんだったと理解できるのでは、ないでしょうか?

ないです。誰が誰の守護霊だからと教えられたことを根拠に(しかもそれが正しいかどうかも分からないのに!)教えを理解しているなんて、仮に僕が教えている側だとしたらガッカリするようなお話ですね。あくまでも教えの内容そのものを深く理解することが先決であって、誰と誰がなんていう知識は先入観になるだけで百害あって一利なしです。だからシルバーバーチだって地上時代の名前は言わなかったのですが、あなたが一体どういうふうに「重々その意味の深さを承知して」いたのか、とても不思議に感じられます。


|キリスト教は神、仏教は仏とみて、神と仏は別個の存在のようにみるのは、
|聖書や仏典の文字にとらわれるためです。

心の道場さんはもちろん、少なくとも僕の知っているスピリチュアリストで、そのように神だ仏だと用語に囚われ別個の存在と捉えて、盲従したり、またその逆に全否定している人など一人もいません。釈迦にしても、霊的真理をこの世に伝える役割を果たした人物であったことをニューズレターだって否定はしていないはずです。ただし、その神性の顕現の度合がイエスに比べれば遥かに小さかったというだけのことです。一人の人間として尊敬されるに足る霊性を備えた人物であったことまで否定されているわけではありません。三大宗教などと言ってイエスと並び称されるのは過大評価が過ぎるということです。


|頭で理解しようとするから、違ってるくるのです。地上界が混乱と不信に満ち、
|争いが絶えないのも、人の心のなんたるかを知らず、心をおろそかにした生活
|を送るからなのです。宇宙の永遠を知る前に自分自身を知るべきです。自分の
|心が理解できれば、宇宙が永遠であるかどうかも理解されてくるものです。

心で理解すると言えば聞こえはいいですが、僕にはこのあなたの文章は、どこかで読んだ文章を未消化のまま持ってきて切り張りしただけの……身も蓋もなく言ってしまえば「単に頭を使ってない」だけの文章に見えています。そもそもいったい誰かが「自分自身を知る」前に「宇宙の永遠を知る」べきであるなどと言いましたか?

http://www.paperbirch.com/


2873 追加
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月11日 (木) 17時56分54秒

らふぃえるさんへ

よろしければ、フランチェスコの「太陽の祈り」も教えてください。

追加が多くてすみません。

 


2872 フランチェスコの祈り、感動しました
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月11日 (木) 17時51分58秒

らふぃえるさん、どうもありがとうございます。

>慰めるほどには慰められることを求めず、
>理解するほどには理解されることを求めず、
>愛するほどには愛されることを求めることがありませんように

いいですね。大変感動しました。私はこれを読んで、フランチェスコが「人を慰め、理解し、愛することがいかに難しいか悩み抜き、しかしその悩みの中で、なんとか歯を食いしばって、人を慰め、理解し、愛する人間になりたいと、神に必死に祈る」姿を想像しました。(私レベルの解釈ですが)

聖書や法華経をもう一度読み直したい気持ちになりました。いいものはいいですからね。

 


2871 ヨシさんへ
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年09月11日 (木) 17時23分12秒

ヨシさん、御返事ありがとうございます(^^)
イエス様のその言葉は、一応聖書で読んだことはあったのですが、そんなに味わったことは今までありませんでした。
いまヨシさんに指摘していただいて、はじめてじっくり味わうことができました。
本当にありがとうございます。
素晴らしい祈りですね。

マリア様にも、「御心のようになりますように」という祈りがありますよね!?(たしかルカの一章か二章あたり・・・)
コエーリョの「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」にもそのマリアの祈りが出てくるので、そっちの方は前からとても好きでした。
イエス様の祈りの方は、その前にヨシさんのおっしゃるような前半部分があって、さらに胸を打つものになってますね。
イエス様の地上での人生の始まりと終わりに、「御心のままになりますように」という祈りがあったことに改めて気付き、なんだか本当にじーんとくるものがありました。

アッシジのフランチェスコの祈りというのは、以下のものです。

「アッシジのフランチェスコの祈り」


私をあなたの平和のための道具としてください。
憎しみのあるところには、愛の種を蒔かせてください。
いさかいのあるところに許しを、不和のあるところに統一を、
疑いのあるところに信仰を、誤りのあるところに真実を、
絶望のあるところに希望を、悲しみのあるところに喜びを、
暗闇に光を。
慰めるほどには慰められることを求めず、
理解するほどには理解されることを求めず、
愛するほどには愛されることを求めることがありませんように。
なぜなら、私たちは与えることにおいて受け取るのであり、
許すことにおいて許されるのであり、死ぬことにおいて永遠なる命に
生まれるのですから



あと、もう一つ、フランチェスコには「太陽の祈り」というのもあって、そちらもとてもいいですよ(^^)

 


2870 2868 yumiさん
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年09月11日 (木) 14時56分51秒

 
他人と自分は同じであるとの認識に立てば、あえて利他利他と言わなくてもいいことなのですね。 

とても大変なことではあると思いますが、
たしかにそうですね。

私の場合は、まだ未熟で、心の温度が低く、頭ではわかっても、ということが多いです。 それでも 自分だけの救済には終わらせないとおもっています。

 


2869 ペーパーバーチさん、お節介ですが・・・
名前: もりふみ  投稿日: 2003年09月11日 (木) 12時34分31秒

 ペーパーバーチさん、みなさん、こんにちは。

 たいへん興味深いニューエージ論が交わされている最中に斯様に不粋な書き込みをしてしまうことをお許し願います、行きたくない海外公演(J事務所所属アイドルのつらさよ!)から帰国すれば、なんと、ペーパーバーチさんが深センB株への投資を既に開始された由、要らぬお節介とは知りつつも最重要留意点などお伝えしておきたいと思って書き込む次第でありますゆえ、みなさん、平に御容赦願います。

 以下、ペーパーバーチさん並びに中国株への投資を考慮されている方々へ。

 御存知の通り、現在の世界経済のhot issueは人民元の切り上げ論です。中国政府当局は以前の朱鎔基時代とは違って、明瞭に「絶対に切り上げはしない」というメッセージを強く世界に向けて発信しているワケではありません(切り上げ圧力に対してはせいぜい不快感を示す程度)、これは近いうちに(とは言っても、年内はないでしょうが、来年には)ある程度の切り上げ(段階的切り上げの第一歩)はせざるを得ないという認識があると読まなければなりません。私としては、2008年の北京五輪までには現在の管理為替制から変動相場制への移行は成し遂げられなければならない筈だと見ています。

 したがって、輸出銘柄がその大部分を占めている深センB(上海Bも同様ですが)への投資は、よほど銘柄を選ばなければなりません。人民元の切り上げそのものが実施される前であっても、国際的に切り上げ圧力がちょっと高まるだけで(まさに昨今のように)簡単に値を下げてしまう銘柄がゴロゴロしているからです(相当下げたとしても底値はまだまだその先にあるでしょうし)。ですから、ポイントは、業績が輸出によって支えられているような銘柄への投資は控え目にして、売り上げ構成に占める内需比率(中国国内での売上げ)が高い銘柄の中から選びに選び切り、それを本線に考えるという戦略ですね(公司名称や日本のファンドが提供するIR情報だけでは判断は容易ではないかも知れませんが)。
 ですから、ペーパーバーチさんが既にトライアルで投資された銘柄が輸出銘柄であれば、基本的に超短期投資として位置づけるというスタンスが宜しいのではないかと。また、いずれそのうちA株とB株の垣根は取り払われますから、長期本格投資はその時点での旧A株の中からという戦略もアリかな、と思います。

 というふうにいかにも偉そうなことを申し上げましたが、私自身は株式投資はコワくて出来ないのでしたことはないのです(恐縮)。しかし株式以外への投資はしないわけではありません。でも投資の証しである証書というか証券(いや、まぁ、一種の「券」ですけど)の保有期間はとても短いですよ、もっとも長い期間でも(銘柄『菊』などの場合)三分間程度、投資可能時期が近づいている銘柄(畏れ多くも)“秋の『天皇』”の場合で二分間を切るか切らないかというところでしょうか。まぁ、いずれにしても投資というものは簡単ではありませんね。

みなさん、失礼しました。ではまた。

2921 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年09月29日 (月) 07時24分19秒
もりふみさん、こんにちは。

人民元の切り上げやら円高やらはアメリカ政府が強硬に要求してるみたいですね。大統領選もありますし。

もちろん数年のうちに間違いなくあるでしょうけど、段階的に行われるでしょうし(甘いかな?)、やっぱり支那株は内需の伸びに期待だと思ってるんで輸出産業にはほとんど投資してませんし、たぶん大丈夫でしょう。それに人民元が切り上げられれば、日本円ベースで考えれば相対的に価値は株の価値は上がるので、そう悪いことばかりでもない……かもしれません(もっと株価が落ちるって?(^^;)。

AB株の統合を見越して、A株との価格差の大きい(割安な)B株に投資するという戦略もよく言われますが、本当にそんなことが通るんかいなというのは半信半疑。でもちょっとだけ考慮して銘柄選定してます。

で、ええと、株以外の投資について(^^;。確か還元率が宝くじは50%、馬などの公営ギャンブルが75%ぐらいだったと思います。それと比べれば株は100%(と言えなくもない)ですし、読み間違えてもゼロになることも滅多にありませんし、下がったと思っても何年か我慢してれば戻ってる(元より上がってたり)こともあるので、長期で考えればそんなに怖くないですよ。(これが株じゃなくて先物取引なんかだと競馬より怖いと思いますが)

要はナニゴトもちゃんと勉強してやることだなぁと、最近は思ってます。何せあまり勉強せずに始めて、ロクに株価のチェックもせずに数ヶ月ほったらかしていたら(論外?)百万円単位で暴落したりしてましたから(+_+)。実は未だにその時の損を取り戻せていないんですが(^^;、最近の上昇相場でほとんど取り戻しつつあります。今月末の暴落にも大きな被害は受けずにすみましたし。

“投資の神様”ピーター・リンチも次のように言っています……。

  資産運用リスクが理解されてくると、投機と投資の違いは、その手段(債券、
  株、競馬など)によらず、その人の技や自主性や姿勢に負うものであると考え
  られるようになる。競馬にしても、方針のはっきりしたベテランにとってはか
  なり安全な、長期の収益性を持ったものと言えるかもしれない。話題の銘柄を
  追いかけてせっかちに売り買いするなら、株式投資といえども、あてずっぽう
  で馬券を買うのと同じくらいリスクが高いものになる。
  『ピーター・リンチの株で勝つ』P.83

っというわけで、“投資”頑張ってくださいね〜(笑)。

http://www.paperbirch.com/


2868 スピリチュアリズムとニューエイジ
名前: yumi  投稿日: 2003年09月11日 (木) 01時07分53秒

私は仏教、ニューエイジ、心霊家(霊能者)に師事、等を経て今は自分で学んでいます。
心霊関係の本を読んだのは割と最近です。

全くの私の個人的観測です。
本を読んで感じたのは「やっぱりそうか!」と感激する反面「何でニューエイジとスピリチュアリズムはジャンルを分けて語られて居るのだろう?」というものでした。
「お互いに良いところを取り入れればいいのに」というのが私の感想でした。

一つのものを角度を変えて語っているだけで、同じことを言っていると思いました。ニューエイジのジャンルで語られていることも、参考になることが沢山あると私は思っています。
この2つはいづれ同じところに行き着くと私は思います。

ニューエイジもスピリチュアリストも「自分がやったことが返ってくる」と言っています。

昨日書き込んだ利他の行為をもっと進めて考えると、結局は純粋な利他行為であっても結局は自分に形となって返って来ることが解ったら、他人の為の行動は、自分の為の行動とイコールであると解ります。
それは他人は自分であるということを教える、法則(神)の計らいで在ると私は考えます。
要するに、他人の為とか、自分の為とかではなく、ただ出来ることをするということに尽きるように思います。

2920 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年09月29日 (月) 07時06分36秒
別にニューエイジとスピリチュアリズムを分けて考えているわけではありませんよ。スピリチュアリズムと言われているものの中に良いものと悪いものがあるように、ニューエイジと言われているものの中にも良いものと悪いものがあるのは当然のことです。そもそも、ニューエイジにもスピリチュアリズムにも、他の宗教のような根本経典があるわけでも教祖がいるわけでもないので「これはニューエイジに所属しているから」「こっちはスピリチュアリズムに所属しているから」などという分類は、本来は出来ないはずです。(まぁ、実際は「これはニューエイジの○○」という言い方はするわけですが)

そもそも霊界からの働きかけは現在も続いているはずで、しかも現在出てくる霊媒は自動的にチャネラーと呼ばれ、ニューエイジのカテゴリーに入れられてしまいます(^^;。仮にもスピリチュアリズムを学んだ者が「ニューエイジは全部ダメ」などと言えるはずがありません。ですから今回、「自分はスピリチュアリズムとかニューエイジを分けて考えてないから」みたいな書き込みがいくつか見られたのには、少なからず驚かされました。(ううむ、そこから説明しなきゃいけないのか……という(^^;)

ただし、スピリチュアリズムとニューエイジ、それぞれのムーブメントの歴史的な意義・位置づけには根本的な違いがあります(と、僕は考えています。詳細は後日)。また、現在の精神世界・ニューエイジにハマッている人たちの傾向・問題点というものはあるので、それがニューエイジ的と評されるわけです。あらゆるジャンルに所属するものの9割が屑である(スタージョンの法則ですね)のと同様に、ニューエイジの少なくとも9割は屑ですから、「ニューエイジ的」という呼称が一般的に流通する(このサイトだけで使われている言葉ではありません)のも当然のことであると思います。

一応言っておきますが、ニューエイジの9割が屑であるのと同様にスピリチュアリズムも9割以上が屑だったはずです。ただ、現在日本ではスピリチュアリズム150年の歴史でも最も良いもの・淘汰に耐えて残った最良のものばかり厳選されて紹介されています。それで良いものばかりに見える……それだけのことです。もっとも、今でも江原啓之とか桑原啓善とか悠々塾とか初期の大川隆法とか、スピリチュアリズムを名乗っているものにも「何だこりゃ?」ってのも多いですが。

ですから、そうだなぁ……あと何十年かしてニューエイジの世界でも淘汰が進んだ(バシャールとか神との対話みたいな屑が忘れ去られた)頃には、僕もニューエイジャーを名乗るようになっているかも知れませんけどね。

http://www.paperbirch.com/


2867 私の好きな祈り
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月10日 (水) 22時46分16秒

らふぃえるさんへ

らふぃえるさんはご存じだと思いますが、私は
キリストが、生涯で最大の苦悶に遭遇したとき発したという「父よ、願わくはこの苦しみを取り除きたまえ。しかし、私の望みより、どうか御心のまままになされんことを」が好きです。

「どうか御心のまままになされんことを」と究極の言葉を発する前に、「願わくはこの苦しみを取り除きたまえ」と神に願う人間の弱さをさらけ出しているところが好きです。

人間的な面を出しているという点では、同じくキリスト教の「主の祈り」にある「---われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。われらに罪を犯す者をわれらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ。われらを試みに会わせず、悪より救い出したまえ---」も神に語りかけるように希望、願望を正直に述べているところが好きです(違う解釈もあるかもしれませんが)

シルバーバーチの祈りですが、正直って、どうも私にとっては、言葉が大上段すぎて、ピンときません。

それから、基本的な質問で申し訳ありませんが、アッシジのフランチェスコの祈りとはどういうものでしょうか。

 


2866 ニューエイジ思想の吟味
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月10日 (水) 17時29分32秒

らふぃえるさんの仰る
>ニューエイジが必ずしも、自らの苦に対する摂理の認識がない、ということはないと思>います。たとえば、ブライアン・ワイス博士とか、タデウス・ゴラスとかもニューエイ>ジの著作に含まれるわけですよね?とすれば、自らの苦は摂理によるという認識がある>と思われます。
を読み、考えました。

私は、ブライアン・ワイスやタデウス・ゴラスの著作は読んだことがないのですが、らふぃえるさんの仰るとおりだとすれば、ニューエイジはいろいろな考えを盛り込んだ幅の広い思想なのですね。私も認識を改めなければなりません。

ただし、ニューエイジにない考えとして『地球浄化のための神の大計画が現在進行している』というものがあると思います。そうだとすれば、ニューエイジ思想の中で良質のものは、その大計画の一環としてあるものだと思いますので、玉石混交のニューエイジ思想の中身をよく吟味して、いいものは取り入れていく作業も必要かもしれませんね。よっぽど慎重な吟味が必要だと思いますが。

祈りについては、別途お話したいと思います。

 


2865 ニューエイジ  利他愛
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年09月10日 (水) 16時50分56秒

 
 続スピリチュアリズム入門(心の道場)題10章の題目は、スピリチュアリズムとニューエイジ です。

ニューエイジャーは、霊界や背後霊、厳正な因果律の認識に乏しく、
自己愛、自己救済が主眼となり、セミナーや、チャネリングなど大規模に活発に行うも、金儲けや、低級霊にとりつかれ、それらの暗躍するところとなる。。。

ペーパーバーチさんが、自分で考えるのもいいかもとおっしゃったことが、勉強の機会をつくってくれました。 が、掲示板との関連が、いまいちピンとこないのは、もう少し考える必要があるのでしょうね。


利他愛を実行しようとおもっただけで、その実行は利他とはなっても
利他愛ではなくなるということもあるのですね! とすると 

大霊さま、いつでも私をお使いくださいと、祈り、他者への働きかけを即実行するということになります。 これはファニーズさんが何回も述べられていました。やっぱり行き着くところは、ここですね。 私の、ヒマラヤ、私のエベレスト。。。

 


2864 祈りのことばについて
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年09月10日 (水) 16時50分15秒

すばらしい祈りの言葉は、世界にたくさんあると思うのですが、
みなさんが知ってる素晴らしい祈りの言葉でまだ僕が知らないのがあったら教えていただきたく思います。

僕は、シルバーバーチの祈りや、アッシジのフランチェスコの祈り、法華経如来寿量品偈や観音経が、自分にとってとても魂に良いように感じられます。
なにか素晴らしい祈りの言葉があったら教えてくださいね。

 


2863 ニューエイジについて
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年09月10日 (水) 16時44分20秒

ニューエイジが必ずしも、自らの苦に対する摂理の認識がない、ということはないと思います。
たとえば、ブライアン・ワイス博士とか、タデウス・ゴラスとかもニューエイジの著作に含まれるわけですよね?
とすれば、自らの苦は摂理によるという認識があると思われます。

ニューエイジとは、要するに1960年代ごろから主にアメリカ西海岸で起こった精神的な潮流であり、
一方スピリチュアリズムは19世紀後半から20世紀前半にかけて欧米で起こった霊媒現象に基づく精神的潮流と言えると思います。
問題は、ニューエイジが必ずしもスピリチュアリズムの成果を継承しているわけではなく、別個に発生している現象というところにあります。
霊的真理の深みにおいても体系性においても、ともすれば時代的には先に現われたスピリチュアリズムのシルバーバーチ等の方が優れてると僕としては感じられるものも多いです。
しかしながら、ニューエイジにも極めて良質なものが多く含まれている思いますし、僕もシルバーバーチの著作に触れる前に、ブライアン・ワイス等の著作に触れてとてもためになるものがありました。

There are many paths to the truth.
とある外国の友人に言われたことがありますが、
ニューエイジだからと言って毛嫌いする必要はなく、スピリチュアリズムだからといってむやみにありがたがる必要はなく、要は自分の霊と頭で何が良く何が悪いか考えて自主的に取捨選択していくのが大事なのではないでしょうか。

なお、スピリチュアリストは、仏教に対してあまり高い評価を与えない傾向があるような気がするのですが、全てではないにしても一部の仏教には決して他の思想に負けない高い霊性が含まれていると思います。

2916 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2003年09月28日 (日) 00時22分24秒
当たり前といえば当たり前の顛末ですが、ニューエイジ的と指摘した雰囲気が全く払拭される気配さえ感じられないので(^^;、これからしばらくの間、そうしたテーマを中心に指摘していきたいと思います。(もちろん掲示板の参加者にもいろいろな人がいらっしゃるわけで、十把一絡げにニューエイジ的なんて括るのは乱暴すぎましたね。その点はお詫びします)

さて、ブライアン・ワイスはよく知りませんが(たしか一冊ぐらいは読んだことがあると思うんですが見つからなかったので)タデウス・ゴラスの『なまけ者のさとり方』なら3〜4回は繰り返し読みました。……まだ霊的真理への理解が浅くて、何が良くて何が悪いかも分かってなかった頃のことですが。

それでも何回も読めば流石に分かります。これはニューエイジのもっとも悪い部分を濃縮したような本です。今回、久々に書棚から引っ張り出して見ましたが、やはりとても読むに耐えない内容であると再確認しました。“自らの苦に対する摂理の認識”に関しては、カルマの結果が何らかの形で帰ることは分かっているようなので認識してないことはないようです。が、最も肝心な“苦に立ち向かう必要性(そのことの素晴らしさ)”は否定していますね。

この本によれば、努力なんて必要なく悟ることが出来るとか、あらゆるものがそのままで完全なのだとか、ニューエイジ系の本でおなじみのセリフが次々と出てきます。「今のあなたのままで、できる限り愛しなさい。」とか。

でも、よぉく考えれば分かると思います。こんなのは何の実効性もないお題目のようなものです。単なる空理空論であり何も言っていないに等しい。「卵よお前はそのままで鶏なのだ。さあ空を飛べ」と言ってるようなものです。飛べると言われれば飛べるような気になる人もいるんでしょうが、実際に飛ぶにはそのための具体的な成長のプロセスを経る必要があるはずです。が、この本にはそのプロセスは何も書かれていません。ただ、こう思えとか、こう考えればみたいなことを頭の中でグルグル回しているだけです。
まぁ「そのままで」悟れるというのが著者の主張ですから当然なんですけど。

あまつさえLSDを試してさとりを得られたと言い始めるのですから何をかいわんや。結局この人の主張する「さとり」とは、ニューエイジ的な麻痺した状態を勘違いしているに過ぎないわけです。

オリヴァー・サックスの有名な著書に『火星の人類学者』(ハヤカワ文庫NF)というのがありますが、その中に、脳腫瘍で感情や記憶が壊れてしまった人の話が出てきます。その患者はある宗教教団にいたんですが、脳腫瘍のために精神の一部が欠落した状態が当にタデウス・ゴラスが主張している悟りそのもので、その教団内でもステージの高い人と言われていたようです。(やがて症状が進むと放り出されて施設に入ることになるのですが)
『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』オリヴァー・サックス著 ハヤカワ文庫NF
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/415050251X/ref=nosim/paperbirch-22

脳腫瘍の痴呆状態をステージが上がったと勘違いした教団や、LSDによる迷妄状態を“さとり”と勘違いしたタデウス・ゴラス。ニューエイジに分類されるものの多くには、これらと同じ問題が内包されていますよね。光だ愛だ波動だエネルギーだ導きだと、ズレてはいても言っていることの一つ一つは“決定的な間違い”と言えるほど狂っているわけでは無いかもしれません。が、現実世界から逃避し、地に足の着かぬ脳内理想世界に暮らす彼・彼女らは……一見愛に満ちているように見えますが……そんなものは現実世界との接点が“麻痺”しているがゆえの勘違いに過ぎません。

接点がなければ摩擦も負荷も起こり得ませんから、本人的には愛に満ちた世界に入れたかのように思うのも無理はありません。が、そんなものは空ぶかしのエンジンが何千回転でも回ってしまうのと同じで、実際の霊性は少しも上がってはいないわけです。いや、この『なまけ者のさとり方』に書いてあるようなことをやっていたら、それこそ空ぶかし用のチューニングをしているようなものです。

そりゃあ、気持ち良く何万回転でも回るでしょう。あまりにも気持ちよく回るので負荷を掛けるのが馬鹿らしくなるのも分からないでもありません。努力することや、シルバーバーチの“苦の哲学”みたいなのをニューエイジ以前の古い考えとして否定しようとするニューエイジゃーの如何に多いことか。

でもそれは「クラッチをつながなければならないなんて古い考えだね。そんなことをしたってエンジンの回転数が落ちるだけなのに」と言ってるようなもんです。彼らが忘れているのは、たとえエンジンを何万回転で回そうが、クラッチをつながない限り車は前に進まないということ……っというか、空ぶかし用にチューニングしたエンジンなんて、たぶんクラッチをつないだ瞬間に壊れるでしょうけど(^^;。

だからニューエイジゃーは負荷が掛かることが嫌いなんですね。壊れちゃうから(苦笑)。ニューエイジの人の多くが議論を嫌うのも同じ理由でしょう。本来、議論することこそスピリチュアリズムとニューエイジを分ける最も重要なキーワードである(と僕が考える)「健全な懐疑精神」の発露なんですが、ニューエイジの人は「懐疑される」という負荷には耐えられないようです。マシュマロのように柔らかな“愛”に包まれていないと……実際、論破される過程で壊れていくのはそういうタイプの人だったりしますし。


……っと、今では批判的な僕ではありますが、以前には友人たちと「これは重要な本だね。注意して読まないと誤解する危険性はあるけど」なぁんて、したり顔で言ってたこともある……というのはナイショですよ、ナイショ!

http://www.paperbirch.com/


2862 訂正
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月10日 (水) 14時59分20秒

すみません。(↓)の、「?をしっかり持った上であれば」は、「?に述べている”苦への自己責任”をしっかり持った上であれば」でした。訂正します。

 


2861 ニューエイジとスピリチュアリズム
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月10日 (水) 14時47分10秒

ニューエイジとは何か? と改めて考えると、難しいですね。辞書に定義が出ているわけではないし。人によってとらえ方が違うでしょうが、私は以下のように考えていました。

?霊界、UFO、テレパシー、などの日常生活では感知できない現象、あるいは科学的に証明できないような不可思議な現象に、専ら関心を寄せる。
?人生の苦難は、自分自身の責任で生じたものであり、したがって、その苦難を克服するには自己の責任において行わなければならない、という苦への自己責任という認識がない。

以上の?、?を持つ考えを私はニューエイジと考えていたと思います。

スピリチュアリズムは、?の点で全く相反するし、不可思議な現象に関心を寄せるにしても、「専ら」関心を寄せるのでなしに、それは手段であって、最終的な目標を霊的な成長にとらえている点が、ニューエイジとは違うと考えています。

最近の投稿は、私の投稿も含めて、霊的な現象を中心とした内容だったので、ニューエイジ的な印象を持つようになったたのではないかと思います。

スピリチュアリズムを議論するときは、?をしっかり持った上であれば、不可思議な現象を議論することは、スピリチュアリズムに対する信仰の強化につながるのではないかと思います。

こういうことを言うと、信仰とは何かという議論になりそうですが---。

 


2860 真理の実行
名前: yumi  投稿日: 2003年09月10日 (水) 01時24分45秒

え〜、私はニューエイジもスピリチュアルリズムも分けて考えていませんので、人によっては多分にニューエイジ的に見えるかもしれませんし、あるいはスピリチュアリスト的に見えるかもしれません。そのどっちでもあり、そっちでもない感じです。
しかし、自分の体験を通した話を心掛けています。
何かありましたら御指摘いただければと思います。

私は色々な入り方、学び方があっていいと思います。
何かを学ぶ時、こだわることもあっていいと思います。こだわらなければ解らないものもあると思います。それがカルトとは思いません。

霊能も自然に開けたものならば、「それを使って学びなさい」ということなのだと思っています。
物質は物質のみでは存在できません。その背後に見えざるものが在り、だからこそ物質は存在できうるのだと思っています。

真理の実行ということですが、それが真理の実行になっているかは解りませんがとりあえず、自分が引っ掛かったものを見ていくということをしています。

他者への利他の行為は、自分の魂の向上に根差したものは利他の行為にはならないと思うし、真理だと言うから行動するのは、洗脳された行為なので、利他の行為ではないと思っています。
それが真理であろうが、なかろうが、自分の魂が成長しようがするまいが、自分ができることをあたりまえのこととしてやっていくことを目指しています。
でも、どんな形にせよ他人のための行動は、その行動自体が自分を押し上げてくれることがあるのは事実です。ある所までは。

後は、他人の行為に影響されず、自分を変えない事かな。
事柄によりますが、全体のことを考えると割合うまくゆくかな。
それと、不自由なのは相手の方だと解ったので、自分も同じになる必要はないかと・・・。(理不尽と思われる相手の行動に関して)

痛い目にあいながらも、そのように行動することの方が楽だということがちょっとずつ解ってきました。

 


2859 まあーた蛇足・・・
名前: きりこ  投稿日: 2003年09月09日 (火) 20時44分32秒

霊的向上や真理の実践については、「この方法しかない!」というのは無いと思います。
チョモランマ登るのにも、多数のルートがあるけれど、目指す所は同じですよね?

人生という学習機会もそれと同じだと思います。
人それぞれ色々な登攀ルートがあると思います。それはその人が自分で考えて行くものだし、それこそ守護霊(霊的ガイド・教師)による導きもあると思います。
また、人それぞれに目指す高みも違うでしょう。チョモランマを目指すレベルの人もいれば、裏山レベルの人もいるでしょうし、逆に泥沼の底で蠢いている人もいるでしょう。

人それぞれです。目指す所がどこであれ、それなりに有意義に学ぶことが出来れば、すばらしいことだと思います。妙に深刻になる必要は無いと思っています。
お祈りやスピリチュアルヒーリングなども、素晴らしい実践の1つだと思います。

 


2858 あゆさんへ
名前: きりこ  投稿日: 2003年09月09日 (火) 20時23分47秒

光り輝く魂という表現に付いては、例示としてなんとなく偶然浮かんだだけで、他意は全く有りません。気になったのならごめんなさいね・・・・

真理の実践と言うことですが、私はタイしたことは出来ていません。ただ、日々の生活や業務では、自分の利己的・打算的な部分、欲望にうち負けてしまいそうになります。(簡単にうち負けてしまいます?)

私も単なる迷える子羊(?)ですので、つねにあっちフラフラ、こっちフラフラしています。
霊訓は、間違った方向に常に進みそうになる自分にとって、北極星や羅針盤の如き存在です。
人間、常に方向を見誤るものです。くじけそうになるものです。そのとき、霊訓の教えを思いだし、自分なりに軌道修正するんです。

それが、一番の真理の実践ですかね?なので、そんな大それたコトはしておりません。
あとは、他者への利他行為という最大の実践テーマですが、自分なりに行っていることは、「国境無き医師団」等の信頼できるNGOに義援金を寄付することですね。
人間、利己的に出来ていて、他人の為にお金を使うということには非常に抵抗を覚えるものです。
仲間同志や職場の同僚など、身近な人の為にお金を使うと言うことでは、あとの見かえり等も多少期待できることですが、NGOに寄付しても、その種の打算は成立しません。

ただ、国境無き医師団に一万円を寄付すれば、間違い無く人の命を複数以上助けることが出来ます。そのことについては自分で誇りに思えます・・・

最も、あまり私も偉そうに言えた義理でもなく、寄付しなければと思いつつ、最近またしてもディズニーキャラクターグッズにはまっています。

あたしゃ、34のおじさんの分際でミッキーサンやぷーさんが大好きなのであります!
でずにいランドは、結構近場にあるので、子供をダシにして良く行っております!

今日から稲刈り始まったので、終わったらまた行きたいなあ・・・・・

 


2857 教えて!
名前: ガーデナー  投稿日: 2003年09月09日 (火) 20時19分45秒

私は、縁あってご依頼受けた方だけに祈らせて頂いているので、
それがスピリチュアヒーリングと呼ばれようが、心霊治療と
呼ばれようが、名称などは関係ないのですが、ニューエイジ
ってのは何ですか?教えてください。

名称がそんなに大事なのでしょうか?

 


2855 きりこさんへ
名前: あゆ  投稿日: 2003年09月09日 (火) 00時02分15秒

>光り輝く魂とか、いろいろ書きこみがありましたけれど、それはあくまでも実生活上での行いを見て始めて判断できることであって、掲示板で幾ら素晴らしいこと言っても、霊訓を暗記しても、それ自体はタイしたことじゃないと思います。

まったくきりこさんの言われる通りだと思います。
今日、何をしたか誰の為に愛をもって行動したかが一番大切だと思います。

先日、掲示板を離れられた方の、苦しんでおられるお友達に勇気を出して、スピリチュアルなお話をされた内容は感動しました。

そんなお話をきりこさんや皆さんにお聞きしたいです。
どう真理を実践したか、どんな方法で・・。

<追伸>「光輝く魂」という題名で投稿したのは私なんですね。
内容は特になかったように思いますが・・。
何か問題ありましたら教えてください。

http://www.tensmile.jp/

 


2853 貴重な体験談ありがとうございます
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月08日 (月) 23時37分36秒

らふぃえるさん

霊的な現象の存在を知ることは、スピリチュアリズムへの信仰を深めるために必要だと、最近つくづく思いますので、大変参考になりました。

人生の苦難(立派な教材)→苦難に立ち向かうために強い信仰が必要→そのために、真理の理解+体験(自身の体験AND/OR他の人の体験)が必要---と思っています。

もちろん、そればかりにこだわっていては、きりこさんが心配されるようなニューエイジ的、オカルト指向的なものになってしまいますので、そのようなものに流されない強い自我を持つことが当然必要ですが。

それから、私が「神が佳きに計らってくれる」と書いたのは、人間側で最大限の努力をした上で、神に委ねると意味で書いたつもりですが、らふぃえるさんのおっしゃること肝に銘じる必要がありますね。

-------------------------
ペーパーバーチさんへ

もしこの掲示板がなければ、いくら霊訓に感銘を受けても、スピリチュアリズムについて、私はそれ以上の深化はできなかったし、挫折していた可能性が非常に高かったと思っています。この掲示板の存在に大変感謝しています。

ログが異常に早く流れる責任の一端は私にあると思いますが、すみません。

 


2851 すみませんでした(−。−;
名前: さらり^^  投稿日: 2003年09月08日 (月) 22時41分41秒

ペーパーバーチさん、すみませんでした。
たしかに鬱の人に、がんばれは禁句でした(−。−;;汗汗

当分の間、ロムの刑に服します。

 


過去ログの目次心霊学研究所トップページ