心霊学研究所
掲示板の過去ログ

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)2901-2950の過去ログです。
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2950 うーむ
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 18時38分51秒

結構呆れながら書いたので、誤字脱字が多かった・・・

 


2949 どうかなあ
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 18時37分11秒

金星に生命は要るかもしれませんが、知的生命、ひいては文明なんて存在し得ませんよ。すくなくても、現在の時間ではね。
硫酸の雨と、400度以上の高温と、数10気圧の大気圧では、どこをどう考えても文明は存在しません。少なくとも、いまは。

私が不思議でならないのは、スピリチュアリズム精神を多少なりとも勉強した人ならば、人類が蓄え、観測した天文学の知識が示す知的生命の存在可能性が皆無に近いこと、本に書かれている金星人だの水星人だの、冷静に考えればどちらが正しいか、すぐにわかるいうものでしょう。

それが、霊訓で熱心に勧めている自己の理性的な判断と言うものです。
社会的・科学的常識を理解せずに、なんでもかんでも信じるなんて言うのは、
、はっきいって間違いです。

 


2948 ガーデナーさん Thank you !!
名前: サラ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 12時01分38秒

そうなんですよネ・・・波長的にも自然はここちいいで〜す!!最近、富士山を車で3日続けて一周してきました GOOD!! 十里木へ行く途中の陸上自衛隊敷地の「ススキの群集」は最高デ〜ス!!仙石原もいいけどまたスケールが違う。自然ー!!に包まれてい〜るるんるんという感じ・・・今度、自宅近くのとっておきの小高い丘(山)に行ってきま〜す ☆

おおーっ!!皆さん宇宙人についての話題ですネ・・・視(み)える・視えないは次元の違いだけです。サラも詳しくはまだ学びの身ですのでわかりませんが体験です・・・宇宙人に会いました(睡眠中にみなさん会っていま〜すヨ)
いろいろ会っていますがこの3次元(現世界)で10年前位(!?)だったと思いますが当時、某大手スーパーのレジにいた時にペアで買い物にきました(霊視)エンリケバリオス著「アミ小さな宇宙人」に書かれているアミにも何度か会いました。母船にも乗りました(宇宙船艦ヤマトと同じものと思って頂ければよいようです)UFOにも何度か乗りました。一般に言われている良いUFOと悪いUFOのどちらにも指導霊様に導かれて乗船しました。悪いUFO(グレイー)に乗船したときにはとても冷たくてひんや〜りしていたのを覚えています。ある時には数百のUFO、またあるときにはひとつのUFOがモニターしているのを何度か視ました(主人や家族は目撃していません=波長の法則 でも、このように視えた人が役割でお伝えすることができます)皆さん、それぞれいろいろな星から来ています。あなたも宇宙人なのですヨ・・・
ただ忘れているだけのことです。必要であれば、そして準備が整っていれば視えます。ただし、責任が伴います!! *余談ですが・・・霊能力だけを追い求めると危険です。知識も必要!! 自然の流れに任せるのが一番楽で〜す☆
私は自分が銀河連盟で任務していたこと・・・モニターしていて地球が危ないと認識してアトランテイスの中期に来たことやエジプト・ホピー(アメリカンインデイアン)など必要な前世は求めなかったが自然とある日、記憶が甦った。宇宙人やUFOと会うことにも同意してたことが最近わかった・・・
「無理に知ろうとしなくても時期がくればすべての人にそれぞれわかるときがきます・・・常に責任がともなうことをお忘れなく!!」参考にして頂ければ幸いです。  あとは、信じる・信じない のどちらかだけです。すべて自由です!!

 


2947 すみません。間違ったタイトルでした
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 11時21分59秒

(↓)のタイトルは、『宗教の観点から:スピリチュアリズムとニューエイジの違い』です。

一つの問題提起としてお読みください。

 


2946 宗教の観点から、スピリチュアリズムとニューエイジの近
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 11時19分32秒

【2940】の続きですが、宗教とは以下の要素を持つ思想だと思います。(まだまだ精査しなければならない要素もあると思いますが)
?人間・物質界以上の絶対的存在(神・法則)を信ずる。
?その絶対的存在を信ずることによって精神・霊性の向上を図ろうとする。
?その独自の思想体系を有する。その思想体系に反するものは排除しようとする。

もしそうだとすれば、スピリチュアリズムは宗教に分類されますが、ニューエイジは宗教には入りません。これもスピリチュアリズムとニューエイジの違いかと思います。

 


2945 知的生命体
名前: あゆ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 10時25分00秒

宇宙には霊界と同じように知的生命体はいると思います。
きりこさんの言われるように私達とは違う次元にしかいないと思いますが、トンデモ本などに宇宙人と遭遇したとかあるのは、
遭遇した人に五感以外の能力のある人だったのではないでしょうか?

それをこの次元に存在してるような表現にしてしまうと、せっかくの真実もトンデモになってしまうのだと思います。
それは、とっても残念ですね。

 


2944 トンデモには注意しないといけませんが
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 09時41分32秒

マイヤースの「個人的存在の彼方」に火星人や金星人の記述がありますね。私は↓でも述べたように、これは地球以外にも知的生命体がいることを象徴的に述べていると解釈していますが。

しかし、水星にいるかどうかについては、我々の物質レベルでは計り知れない要素を持った知的生命体がいることも完全には否定できないのではと思います。

確かにこのような話はすぐトンデモものの世界に入ってしまうので、益のない話ですが、頭から否定するのも間違いかとは思います。

 


2943 トンデモ書はよまないほうが・・・
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 05時26分10秒

火星ならイザ知らず、水星のファンダメンタルズがどのようなものか、ご存知?

次元の違う宇宙には確かに太陽系の他の惑星にも知的生命が存在するかもしれないですが、我々の次元ではいませんよ。
そのような馬鹿馬鹿しいトンデモ本は、読まないほうがいいです。
コンノケンイチとかいう、インチキうそつきやろうがいたなあ。

 


2942 careficaさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 00時29分41秒

careficaさん、どうもはじめまして。

我々人間のそばにも霊界があって、そこに霊、霊の世界(住居などもあるそうです) が存在しているというのが、いろいろな霊界通信が教えるところです。

地球の上に、幽界があり、その上に霊界がありという階層の世界(これは三次元の物質的次元の発想ですよね)でなく、我々のそばにあるのだが、波動が違うので、見えないし、我々とともに同時に存在するという世界だそうです。

火星や水星は見えるのだが、そこに存在する知的生命やその建造物が見えないというのもそのような次元の話ではないかと思います。
ただ、私は火星や水星に知的生命がいるという話は、地球以外にも真理を求めている生命体が存在することを象徴的に述べているだけで、実際に火星や水星にそのような知的生命が存在するかどうかは疑問に思っていますが。

 


2941 はじめまして
名前: cerefica  投稿日: 2003年10月07日 (火) 00時14分44秒

スピリチュアリスト1ヶ月の若葉初心者のcereficaと申します。皆さん、宜しくお願い致します。

さて、以前から疑問に思っていたことが一つあります。
火星や水星にも我々と同じ人間がいて、魂向上のための修行をしています。我々地球人に彼らの姿が見えないのは、同じ物質界でも波動が異なるからです。
ということですが、腑に落ちないのは、なぜ地表だけ見えているのかという事です。我々に見えないのなら、星全体が見えないという方がすっきりしていませんか? また、人間だけ見えないということであれば、何らかの建造物は見えても良さそうではありませんか?
いろいろ自分なりに考えたのですが、よく分かりませんでした。もし分かる方がおりましたら、ご教授してくださると非常にありがたいです。

 


2940 宗教とは:スピリチュアリズムの位置づけの観点から
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月06日 (月) 23時35分31秒

宗教とは以下の要素を持つ思想だと思います。
?人間・物質界以上の絶対的存在(神・法則)を信ずる。
?その絶対的存在を信ずることによって精神・霊性の向上を図ろうとする。
この2点は、どの宗教にもある共通点だと思います。

この他に、この2点から発生してくる次の?のポイントも宗教の特徴だと思います。
?その独自の思想体系を有する。その思想体系に反するものは排除しようとする。

以上を見るとスピリチュアリズムも、まさに宗教と呼んでいいと思いますが、他の宗教と異なる点は、
・教祖、組織を持たないし、持つことを拒否するという点だと思います。これがスピリチュアリズムを他の宗教団体と全く異なるものとし、きりこさんが仰る権威主義・利権主義から遠ざける要素だと思います。

スピリチュアリズムの意義・位置づけをより明確にするためにも、ニューエイジの議論と同時にしてもいいのではないかと思い投稿しました。

この私の宗教に関する考えは、まだまだ精査しなければならない点があるともいますので、皆様のご意見も伺いたいです。

 


2939 意図を曲解しないで頂きたい。
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月06日 (月) 22時43分26秒

わたしは、宗教的思想などをネガティブに捉えている旨の書きこみを
したことはないですし、それは私の意図では有りません。

私が否定しているのは、宗教に名を借りた権威主義、利権主義です。
宗教と言うものの性質上、どうしても独善的・独裁的になるか、個人崇拝的な部分が発生してしまうところがありますが、それは多少は致し方ないとしても、それが極大化してしまうと、カルトの陥穽にはまってしまいます。

ひととしての、業ですかね? 
だからといって、人間の欲求・欲望を否定するつもりはありません。
経済や科学技術、医学、宇宙理論、ま、なんでもいいですが、その発展を支えているのは、結局の所、人間の持つ欲求・欲望です。

欲求、欲望と言うのは、非常に大事なエネルギーです。

ただし、それを全て肯定しうるものでもなく、有意義な人生を送るために必要となるのが、羅針盤としての霊訓なり、宗教的思想なのだと思います。

ようは、なんでもかんでも、物質的欲望・欲求に流されるのではなく、一部分でも、欲求・欲望のエネルギーを霊的・精神的・人間的成長への欲求へと振り向けていくこと、これが大事なんだとおもいます。

難しいですけれどね・・・・

 


2938 サラさんへ
名前: ガーデナー  投稿日: 2003年10月06日 (月) 10時06分51秒

とても良い環境に住んでみえて結構!結構!
お近くに小高い丘はありませんか?
あればそこから遠くを眺めてみてください。
人々の姿が見えて、街並みが広がってて遠くには山々の連なる姿があって、
そして地上にあるもの全てを抱くように大空が果てしなく広がる光景。

きっと神の作り出す御力を実感できると思います。
いくら科学が進歩しようと、自然の前では赤子同然です。

私たち人間は自然に対しての畏敬(いけい:おそれ多い)の念が薄れて
る気がしてなりません。
私は、この全てを現わす御力を自然な気持ちで神様とお呼びしてます。

できたら澄み切った夜空に浮かぶ星々達も眺めて見てください。
気の遠くなるような宇宙の姿をタダでみられますよ〜!

 


2937 ひとりごと
名前: サラ  投稿日: 2003年10月06日 (月) 08時16分19秒

すべてはひとつ・・・                                                            連帯感・友情のようなものがでてくるのはいいんじゃないかい(!?)と私は思う。2年前位から全てはひとつが私の主要テーマ(!?)みたいで・・・
あるときにはやっぱりすべて繋がっている=すべてはひとつなんだ!!と思ったり、思えないときもある。以前ほど落ち込んだりしないけれど(!?)ネガテイブかなあ〜と感じたときなどはよくボーッとして自然を眺めていると癒されてくる。「イエスも弟子から離れてよく一人で自然のなかに入って行った」と聞いたことがある。幸い昨年の1月に私の大好きな海へ歩きで行けれる所へ引っ越してきた・・富士山も近い!!最初は便利さに慣れすぎていて、かなりの不便を感じたが今は最高の住環境だ〜!!とつくづく思う(感謝!!)     


「みなさ〜ん 疲れたら(疲れる前にも)自然に癒してもらいましょう!!」


 ☆タダですよ・・・5分でもO・K!!(お花・空・雲の流れもgood)

 


2936 ニューエイジと癒し
名前: ハナリン  投稿日: 2003年10月06日 (月) 07時38分15秒

こんにちは、ニューエイジ論でもりあがっていますね。

私もスピリチュアリズムを知ったのは、ニューエイジ方面からだったので、なんとも言えませんが・・・。

私の場合は、ニューエイジの雑誌に載っていたセラピーを知って、そこに行ったところ、シルバーバーチの本を紹介されたのです。

今、ニューエイジが人気なのは、「癒し」とセットになっているからかな〜と思います。

実際、病気が良くなったり、身体が気持良くなったりすれば、本だけ読んだり議論だけしているよりも入りやすいですものね。

シルバーバーチの本がいくら面白くて良くても、紹介する人の人格が信頼できるか、その人が本物ではないと難しいのかな、と思います。

ニューエイジの本の中にも癒しの言葉がたくさんあって、(『光の手』のバーバラ・ブレナンは、『神の道具になりなさい』と言っていますし)そういうものも参考になりますよね。

http://members.jcom.home.ne.jp/auratoida/therapist-kotoba.htm

それでは、また。

http://www2.odn.ne.jp/~ohana

 


2935 閑話休題:ちょっと思ったこと
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月05日 (日) 14時56分30秒

ニューエイジ議論と関係ないですが、ちょっと徒然なるままに考えたことを、

私はこの掲示板の他に、ある掲示板(特定地域の話題を扱う掲示板で、日常生活のことが主な話題です)にも参加しています。参加しているうちに不思議に思うのは参加者がお互い誰だか知らないのに(皆、匿名で参加していますので)、その中で連帯感、友情のようなものまでできてくることです。

そこで考えたのですが、人生もこのような掲示板に参加しているようなものではないかと。
現実の人生では直接人と人の交流があるわけですが、それでも五感を通しての交流でしかないわけだし、もっと大きな視野から見れば、匿名で参加者が掲示板の上で意見や感情を出し合っているのとそう大差ないのではないかとも考えられます。

そのように考えると人生の中で、あくせく財産、地位、にうつつを抜かし、人を恨んだり、憎んだりするのもバカバカしいことでは、とも思います。

とはいっても、実際はそのような人間の煩悩に振り回されている私ですが、----

大変失礼しました。

 


2934 ヨシさんと同意見です・・・
名前: サラ  投稿日: 2003年10月05日 (日) 11時46分11秒

Thank you !! 私自身もまだスピリチュアリズムに興味をもつ前に某宗教団体に関わっていたことがあります。やはりその当時には、わたしにとって必要だったのです。ある時一緒に関わっていた「友達に憑依していた霊が離れた」瞬間に具合が悪くなり結果、亡くなりました・・・
宗教団体の対応に目を覚まされたのです(!?)
もちろん、今でもその宗教団体には感謝していますがその時その時の自分の段階に応じて必要なことがきます。偶然はありませんのでいつもどれを選択するかは自分の自由です(責任も然り) 体験あっての知識ですのでヨシさんと同じ!!  きりこさんの言っていることもわかりますが・・・  みんなそれぞれ必要なことしかやっていないのですよネ・・・

 


2933 宗教と向上心は車の両輪
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月04日 (土) 00時38分36秒

きりこさん

|大事なのは、宗教ではなく、向上心でしょう

宗教<向上心という関係でなく、宗教(思想・哲学)+向上心=車の両輪、と経験上私は思っています。

私は以前ある仏教系の宗教団体に入っていたことがあります。その時は、今から考えると普通の人だったらとても持たないような悩みがあったのですが、その時の私の状態にはその宗教がピッタリだったのだと思います。その宗教のおかげで私は救われたと思うし、その宗教がなかったら私は自殺だってしていたかもしれません。 その意味では今でもその宗教には感謝しています。(ただし、その団体の持つ集団主義性、一個人への特異な崇拝などのためやめましたが)

ですから、その時のその人の霊的な状態に当てはまる宗教(思想)があり、その宗教(思想)により霊的な向上もあると思いますので、らふぃえるさんの言う

|通常はその人の思想信条がその人の霊格を高める上で大きな役割を果たしていると思います

ということは、私の経験上あり得ると思っています。

 


2932 らふぃえるさん
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月03日 (金) 23時17分06秒

>もちろん、そうでない場合もありますが、通常はその人の思想信条がその人>の霊格を高める上で大きな役割を果たしていると思います。
>思想は、ある人が霊格を高める上での地図のようなものです。
>地図が間違っていれば、全く誤った方向に行ってしまうでしょう。
>逆に、その思想を持つものの中に霊格の高いものがおれば、その思想には相>当に霊的真理が含まれていると、よほど何か別の思想の影響がその人に見ら>れない限り、みなせるはずです。
>歴史上の仏教徒中に数多くの霊格の高い人物がいることを認めるのであれ>ば、それが仏教によるわけではないとわざわざおっしゃることにいったい何の >意味があるのか理解に苦しみます。
>良い実を結ぶ樹は良い樹に違いないのでは?

わたしは、基本的に仏教は大好きです。思想信条の妥当性を見るうえでも、人物でも、評価するのは普段や過去の行いです。

キリスト教は、嫌いです。創始者を嫌うと言うわけではなく、それを曲解した教会組織が嫌いです。
キリスト教の歴史は、血塗られています。あれほど、神の名のもとに大虐殺を行った宗教はないでしょう。
イスラムは従来寛容な宗教でしたが、最近は偏狭になってきていますね。

その点、仏教は、あそこまでの血をながしていません。教え自体も寛容ですし、深刻な宗教対立も、歴史上あまり起こしていません。いまのスリランカでも、大虐殺は殆ど発生していませんし・・・

なので、仏教はスキです。

ただ、らふぃえるサンの意見で、1つ反駁したいのは、わたしは、宗教や思想信条それ自体が人を高みに導くものであるかどうか?ということです。

本来の仏教やキリストの教え、マホメットの教え、ツアラトウストラの教え、きっと、スピリチュアリズムと同様、シンプルで素晴らしいものだったはずです。内容的にも、たいして変わらなかったと思います。

でも、いまの宗教は人を高みに導くよりも、人の心を奴隷化するような方向でガチガチに教義化・教条化してますよね。
なので、霊的にかどうかはわかりませんが、人間的に素晴らしい人というのは、きっと、宗教の影響云々ではなく、もともとそのような素質というか、与えられている人生という学びの機会を、十分に生かすことの出来る向上心のある人だったんだと思いますよ。

大事なのは、宗教ではなく、向上心でしょう。わたしは、白帯ですが・・・・

 


2931 ペーパーバーチさんへの反駁2 2930に対し
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年10月03日 (金) 18時21分38秒

>2930

ペーパーバーチさん

>もちろん同様にキリスト教にも、ニューエイジにも、唯物論者にも霊格の高い人はいる
>でしょう。でも、それがそれぞれの思想信条のおかげで霊格が高くなっているとは限ら
>ないですよね。

もちろん、そうでない場合もありますが、通常はその人の思想信条がその人の霊格を高める上で大きな役割を果たしていると思います。
思想は、ある人が霊格を高める上での地図のようなものです。
地図が間違っていれば、全く誤った方向に行ってしまうでしょう。
逆に、その思想を持つものの中に霊格の高いものがおれば、その思想には相当に霊的真理が含まれていると、よほど何か別の思想の影響がその人に見られない限り、みなせるはずです。
歴史上の仏教徒中に数多くの霊格の高い人物がいることを認めるのであれば、それが仏教によるわけではないとわざわざおっしゃることにいったい何の意味があるのか理解に苦しみます。
良い実を結ぶ樹は良い樹に違いないのでは?

>ところでシルバーバーチの交霊会でも全く同じ質問が出ているんですが、ご存知です
>か?(キリスト教徒にも立派な人はいますが、それはキリスト教徒として立派なのでは
>なくて人間として立派なのだ……という内容)

該当する箇所を教えていただければ幸いです。霊訓の何巻の何ページがお教えください。

>法華経が成立したのは釈迦の死後200〜500年後(諸説ある)ですし、涅槃経に到っては
>3世紀ごろに書かれたものであって、どちらにせよ釈迦の思想とは無関係のシロモノです。
>釈迦の死後間もない頃に、既に生前の言葉はまとめられているのですから(いわゆる原
>始仏典)、その頃に影も形もない思想が何百年も経ってからヒョッコリ出たとしたら、そ
>れは後世にでっち上げられたものと判断すべきでしょう。

もちろん、歴史上の仏陀の死後数百年も経ってから、法華経や涅槃経は書かれているので、それを仏陀が書いたというのは、歴史的な視点から見ればあなたのおっしゃるとおりでしょう。
しかし、もしその視点に立つのであれば、シルバーバーチの霊訓も、シルバーバーチが説いたものではなく、モーリス・バーバネルが説いたもの(あなたの言葉を借りれば「でっちあげ」)ということになります。
一方にのみ歴史的視点から教理上の視点をでっちあげと論じ、他方を否定しないのであれば、甚だアンフェアなものと思いますが、いかがでしょうか?

>涅槃経については、釈迦が語ったこととして考えるより、成立年代から考えれば間違い
>なくキリスト教の影響があったと考えるべきものです。1世紀にはキリスト教はインドに
>伝道されていますし、3世紀頃には相当広がっていて、キリスト教会もあちこちにあった
>ようですから。恐らく法華経も同様。

使徒トマスのインド布教はあくまで伝説上のことで、なんらの実証的裏づけがなされていません。それをもって、一世紀にはキリスト教がインドに伝道されていたとおっしゃるのはいかがなものかと思います。
3世紀には相当広がっていたというのも初耳です。資料をお示しください。
ネストリウス派が東方に大規模に布教を開始するのは四世紀、インドで最も古く教会がつくられたのは六世紀では?

それに、キリスト教が大乗仏教に影響を与えたとは、資料的な裏づけがなければ絶対に言えないはずです。
大乗仏教は、仏教内部で部派仏教に対する内発的な批判運動から起こったと見るのが通説なのですから。
思想的にも、空の概念を強調し、全ての人が悟りを得ることができるという大乗仏教の思想は、あまりキリスト教とは関係なさそうに思えます。

さらに、ニューエイジストの中では、キリストは空白の青年期において実はインドに修行に行っていたと説くものがあります。
もちろん、これは資料的な裏づけのない話ですが。
シュタイナーも、福音書にはインドの霊的伝統が流れ込んでいるということを言っていたと聞いたことがあります。
ちなみに中世のキリスト教では、仏陀が聖ヨサパトとして聖人として崇められていました。


>と、こういう書き方をするとまるで頭ごなしに大乗仏教を否定しているみたいですが(^^;ゞ、そうではなくて、大乗仏教の教えに価値を見出せるなら、それはそれで良いと思っ
>ています。ただ、それは飽くまでも釈迦の死後数百年も経ってから出てきた教えであり、
>釈迦が説いた教えとは別のもの、無関係なものとして扱うべきだということです。
>大乗仏教の人と話すと「原始仏教で説かれているのは方便で、真意はこちら」みたいな
>ことを言われることが多いのですが、そこまで行くと明らかに嘘ですよね。どう考えて
>も別の教えなんですから、ちゃんと分けて考えなければいけない(でないと本質を見誤
>る)と思います。

ですから、教理上の問題と、歴史上の問題は峻別するべきでしょう。
歴史上の視点から、教理上の問題を否定するのであれば、上にも述べたとおりスピリチュアリズムにもその視点を適応して、シルバーバーチの霊訓はバーバネルの思想と述べるべきです。

仏陀は、もともと法身の思想を説いており、また在家仏教徒の存在にも意義を与えていました。
大乗仏教はそうした仏陀の教えを、出家主義に偏った部派仏教の批判を通して、発展させていったわけで、別に仏陀の教えから断絶していないと思います。
また、大乗経典を書いた執筆者たちは、深い瞑想状態において、いわば霊訓を語る霊媒師のように、主観的には釈迦如来からの言葉として、大乗経典を執筆していたことと思います。

僕が、このように大乗仏教を擁護する論陣を張るのは、何も単なる身びいきからではありません。
大乗仏教の持つ霊的価値を正しく評価し、活かすことがスピリチュアリズムの発展にとって大きなプラスになると考えるからです。
神道に関しては、すでに浅野和三郎がスピリチュアリズムの観点から大きな再評価と再構成を行っているようですが、仏教に関しては僕はほとんど聞いたことがありません。
法華経に「衣裏繋珠」というエピソードがあります。
自分の衣の衿に宝玉が着いてる人がそれに気づかず長年他国をさまよい宝を捜し求めるという話です。
日本のスピリチュアリズムは「衣裏繋珠」を忘れがちのように、僕には思われます。

 


2928 断片的ですが
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月01日 (水) 12時27分09秒

ニューエイジについては極少数の本しか読んだことがないので、分からないこともあるのですが、ちょっと書かせてもらいます。

●ガーデナーさんの質問から
>ニューエイジというのは思想ですか?
ニューエイジにはいろいろな考えの人が雑多に入っていますので、それら個々人の思想はあるかもしれませんが、ニューエイジ全体としての思想体系、整合性のある思想はないと思います。そこがスピリチュアリズムとの違いの一つだと思います。

>神をどのように捉えているのでしょうか?
神の概念抜きで、過去世の回想による精神障害の克服をとらえたり、あるいは瞑想による精神の向上を図るという人がいたりしますので、ニューエイジとしての統一された神の概念はないと思います。

●あるがままで
ペーパーバーチさんがタデウス・ゴラスの『なまけ者のさとり方』の中の「今のあなたのままで、できる限り愛しなさい」というような考えは、努力・苦労の軽視で、“苦に立ち向かう必要性(そのことの素晴らしさ)”を否定するものだと仰っています。私はこの本を読んでいませんが、このような考えはニューエイジの考えによく見られるものであることは認識しています。

しかし、この「あるがまま」あるいは「あるがままに受け入れる」という考えは、消極的(ニューエイジ的とここでは言わせてもらいます。これが上記のような考えです)、積極的の全く異なった捉え方があると思います。積極的に見た 「あるがまま」、「あるがままを受け入れる」はもっと厳しいもので、得てして他人や社会の責任に転嫁したい問題や苦しさを、自分の問題として 「あるがままに受け入れる」(苦の自己責任として受け入れる)ことは、苦の重要性を説いたスピリチュアリズムにとっても必要なものだと思います。

●キリスト教
ニューエイジの議論とは違うのですが、私が聖書を読んでいて感動するのは、人間の弱さ、醜さ、残酷さを凝視し、その上で神、摂理、真理に近づこうとの、人間の悲しい「さが」がうまく記述されている点です。
この点、シルバーバーチの霊訓などは、どうも上からすばらしい教えを教えられて(ちょっとうまく表現できませんが)、という感じで私のような弱い、悪い人間には取っつきにくいこともあります。
仏教でも悪人こそ成仏するという教えや、無知蒙昧の衆生でも念仏や題目を唱えてさえいれば成仏するという考えがありますが、これもある意味では、どうしようもない馬鹿な弱い人間の視点からの思想だと思うのです(←間違っているかもしれません)

しかし、私はスピリチュアリズムの思想体系は、少なくとも今まで私が学んだ中では最も合理的で理性に合致する思想だと思っています。が、キリスト教のこのようなすばらしさも同時に身につけていきたいと思っています。

 


2927 ペーパーバーチさんへ
名前: yumi  投稿日: 2003年09月30日 (火) 22時30分03秒

ペーパーバ−チさんがどのような意味で『ニューエイジ的』と言っていたのか解りました。私は飲み込みが悪いのでよく解りませんでした。『理解が甘い!勉強しなおしてこい!却下!』でも良かったのですが(^_^)、説明いただきありがとうございました。

『なまけ者のさとり方』はわたしも昔読みました。本棚にまだ残っていたので、ぱらぱらっと読んでみましたが、「こりゃちょっと!」と思う箇所はありましたがそんなに間違っているとは私には思えませんでした。『バシャール』もしかりです。現在認められている霊界通信も「こりゃちょっと!」本を投げ出した事がありました。私的にはどっちもどっちといった感じでしょうか。でも私もこれは現時点での話しなので、今後どのようになってゆくかは解りません。

確かにニューエイジと名乗っている人たちは議論を避けたり、マシュマロのような愛が好きな人が多いですね。私もその点は引いてしまう事が多いです。議論は必要であればやった方がいいと思います。でも中には毎日のように議論している人もいますし、自分のなかで処理しようという人もいるとは思います。
(ちなみに私は議論が不得手です。)

入り方は仏教から入った私は、色んな入り方があっていいんじゃないかと思えます。
マシュマロのような愛も一つの側面であってそれがすべてではないように、苦の処理の仕方もそれぞれです。御承知のように苦は角度を変えて捉えてみると、苦が苦でなくなります。角度を変えてみる事を勇気を持って立ち向かい、悪戦苦闘して得ることも出来ます。(それは私です)しかしそんなにエネルギーを使わなくても、角度を変えてみることは出来ます。ニューエイジは苦をそちらから語っていると私は解釈しています。
ジルバ−バーチは(本をまだ沢山読んだ訳では無いのですが)、当時の時代的背景、宗教的背景、人的レベル、が大きくあってあのような表現になったのではないかと思っています。

個人的に、「もうやり直した方がいいんじゃないか。」と思えるぐらい苦しんだ事がありました。しかし苦しんでみて解った事は、苦しんでいる人の気持ちが解るようになったことぐらいで、苦しみの中には何も無いということでした。苦しみのなかに真理はありませんでした。真理は苦しもうが楽しもうが、常にそこにあるものだ。(実は背後の人に教えたもらった。)と今は思っています。苦しんだ後に得た素晴らしさは相対的なものであって、それを否定するつもりはないけれど、それは本当のものではないように思っています。

苦であっても何であっても、それを見てゆくと、何にも無かった事に気がつきます。
学ぶ学と言っても、いったい何を学ぶのかといったら、実は何も無かったと言う事を学ぶのだと私は思っています。この世は本当は何も無いのに何か有るように自分達でしてきた訳です。
しかし何も無い事が解れば、あとは自由意志を使って選んでゆくだけです。どのようにも生きてゆく事ができます。

ニューエイジはこの変を加味して話しが進んでいるような気がしてます。

 


2926 さらさんありがとう!!  皆さんに感謝!!
名前: サラ  投稿日: 2003年09月30日 (火) 16時54分02秒

Thank you !! (私自身にも言えることなんですヨ・・・) 意識して霊的なことをされている人達は想念がより強力です。私たちは永遠に進化しますが、いろいろな本にも書かれていたように段階を追うごとにより掘り下げて心の点検が必要ダ〜!!と体験させられている(!?)自分が求めたのかもしれませんが・・・私を含めて人間はいろいろな側面をもっていることの視えない部分のレッスンだー!!と今、気付いた・・・現在、親しくしているソウルメイト(Mさんは某○○に所属しているカウンセラー)のバックはいつもではないけれどドラキュラーみたいな感じで オーッ!!今度はドラキュラかいな? サラもいろいろと体験させて頂いているので怖いなんて少しもないけど、自分の動機で波長の法則とビンゴ!!することをしっかりと学ばせて頂いていま〜す!! でもネ・・サラが思うには「いいかげんはダメだけど好い加減がよい」最近思うにはこれってお釈迦様の中道ってことじゃない(!?)
 おっとりのサラにぴったりじゃない!!なんて喜んでます   

☆ ☆ ☆

皆さんに感謝しま〜す!! 今日もまたまたサラの知らない情報ありました
楽しく読ませて頂いていま〜す ☆  A・Kさんに教えて頂いて、昨日初めて掲示板を見て、読んでいるうちに何となく投稿したくなって今日もしちゃいました  ☆A・Kさんありがとう!!

 


2925 「犠牲」を読んで
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月30日 (火) 14時53分16秒

●ニューエイジの議論が再開しました。この議論の中でスピリチュアリズムの意義・位置付けがより明確になり、いい意味で柔軟な、開かれたスピリチュアリズムの普及につながるものと期待します。
 私も、チャンスがあればこの議論に参加したいと思っています。

●さて、話は変わるのですが、柳田邦男氏の「犠牲(サクリファイス)」という本を読みました。既にお読みになった方もいらっしゃるかと思いますが、これは柳田氏の次男洋二郎さんが、精神障害で悩み抜いた末、自死され、11日間の脳死状態の後、亡くなったという出来事を父親である柳田邦男氏が洋二郎さんへの鎮魂を込めて書かれたすばらしい本です。

その本の中で、洋二郎さんの友人であったクリスチャンの方(女性)が洋二郎さんの死後、柳田邦男氏に宛てた手紙が紹介されています。これを読んで私は大変感動しましたので、その一部をここでご紹介したいと思います。

-----処刑を目前にしたイエスが、ゲッセマネの園で賢明に祈っているそばで、弟子たちは眠りこけていた、という記事が聖書にはあります。弟子たちがイエスのことを愛していないわけはなかったと思うのですが、彼らはイエスの苦しみを、本当に分かることはできなかったのでしょうか、あるいは、知っていてもなお、肉体の疲れには勝てなかったのでしょうか。弟子たちはまさに人間であると思います。イエスは十字架にかけられ、弟子たちは逃げて生き延びました。洋ちゃん(注:洋二郎さんのこと)がいないことを、本当に悲しく思いながら、でも食べて、寝て、私は生き残っています。弟子たちの鈍感さは、まさに私のものです。ただ、イエスは、眠っている弟子たちを裁かず。「もうこれでいい、時がきた」と言うのです。そして、「立て、行こう」と弟子たちを誘います。私の鈍感さ、残酷さがなくなるわけではないけど、このイエスの言葉に嬉しくなるのです----

「---でも食べて、寝て、私は生き残っています。弟子たちの鈍感さは、まさに私のものです」の言葉はこの私の胸に深く突き刺さりました。クリスチャンでも誰でも、真剣に求道している人の文章は胸を打つものがあると感じました。

●洋二郎さんのご冥福をお祈りします。霊界でお幸せに過ごされることを心よりお祈りいたします。

 


2923 サラさん
名前: さら  投稿日: 2003年09月29日 (月) 22時29分02秒

サラさん、こんにちわ。そうですね。自分が今どんな想念を出しているか、私も気をつけていきたいです。私も過去にたくさん間違った想念を出した分、お掃除していかなきゃ、と思っています。
せめてこれからは、こころを汚さないように、していきたいです。

 


2922 皆さん、ありがとう☆ そして想念のチエック怠らないように!!
名前: サラ  投稿日: 2003年09月29日 (月) 16時35分18秒

お詫び:さらさん、ごめんなさいネ。かくいう私もサラで〜す!!霊的世界は20年位やっていますがやればやるほど奥が深〜い!!桑原先生や古神道の山田正晴先生・気道の長谷川先生その他数名の先生やイシャヤ・アセンション(聖ヨハネ)・ソウルメイト達と共に学んできましたが今はバックの方々のサポートとご縁のある方々から学んでいます☆☆ 実を言いますとサラはセラピーをさせて頂いています。セッションとは関係なく。突然ですが最近こんな経験をしました・・・もちろん必要であれば霊視をしますがプライベートで起きたことです!思い(想念)がどのような形で現れるか皆さんはご存知でしょうか?ポジテイブならいうことなし!!ネガテイブはすごいですヨ〜!!最初にお断りしておきますが同じように霊的なことをズ〜ッとされている方のことです。サラが自分より先にフリーでセラピールームもあり自分から離れたので嫉みから想念がコウモリ(実際の霊的なバックはロード・オブ・ザ・リングに出てくるドラゴン!?と同じです)に物質化して2Fのアパートの女子大生の部屋に出現したのです!!忘れていましたが、本人から5年前くらいに日本で3人か5人位の人が物質化できる!!と聞いたことを思い出したのです・・・
たぶん、本人は自分が物質化したことを気付いていないと思います(!?)

 


2919 2916 ペーパーバーチさんの意見への反駁
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年09月28日 (日) 15時56分50秒

>2916

ペーパーバーチさん

僕の書き込みへの長文のお返事ありがとうございました。
僕はもともと、ニューエイジの著作よりはシルバーバーチの本の方が学ぶものも多いと思っておりますし(<2863)、あまりニューエイジを擁護する義理もないのですが、せっかくですので、ペーバーバーチさんに少々反駁して、自分の理解を深める機会とさせていただきたいと思います。

まず、ペーパーバーチさんがニューエイジの欠点を指摘されるにおいて、まず最も重点を置いていることは以下の三つの点かと思います。
“苦を真正面からとらえて闘う姿勢の乏しさ”、“客観的現実の把握に乏しいこと”、さらに“霊性の発展のための修行・修養を軽視すること”。(違ったら御指摘くださいね)
これらの問題に対する批判は、僕も全く同感でありますし、ニューエイジ以外の多くの新興宗教などにもつきものの問題と思います。(スピリチュアリズムに対しても、もっと政治や経済を重視していいのではないかと思うほどであります)。

とはいえ、何事にも一長一短があるわけで、おそらくゴラスのこの著作の場合は、もっと別のことをまずは言いたかったのだと僕は思います。
あまりにも暴力とストレスの溢れたアメリカの読者層を主に念頭においているわけですから、とりあえず自己肯定感を強く打ち出して、愛の大切さを説いたのではないかと思います。
いきなり霊的な真実を知らない人に、困難なトレーニングを言っても実践不可能でしょうし、初心者や自他に絶望している人間にわかりやすく易しい道を説くのもそれなりに意義のあることではないでしょうか。
あまりにも他人に対する思いやりに欠け、自分への肯定感に乏しい現代人においては、ゴラスのように自己肯定感と万物への愛を説くことは、確かに当たり前なことかもしれませんが、しすぎてもしたりないぐらいのことではないかと思います。

仏教では、教相判釈といって、どんな他人の思想や意見にもそれなりの段階的な真実は含まれていると考え、さまざまな意見についてその程度の高さや低さを評価した体系づくりをさまざまなお坊さんが行ったといいます(空海の十住心論など)。
一方、キリスト教は、自らの意見に合わぬものを異端として切り捨て否定するばかりで、各宗派が自らを正統として争ってばかりいました。
僕としては、これはスピリチュアリズムだから良い、あれはニューエイジだからだめ、というような態度よりかは、これこれの思想の中にはこういう良い発想もある、この段階においては役に立つ部分もあるだろう、けれどももっと上の真理はこういうものだ、といった教相判釈みたいな整理をした方が建設的なのではないかと思うわけです。

また、ゴラスの著作はペーパーバーチさんのおっしゃる上記三つの点も多くあてはまると思いますが、ニューエイジが必ずしも現実との葛藤に乏しいとは思えません。
地球環境などの現代社会の問題が本当に人類を滅ぼしかねるという危惧から、「サバイバル」と「オールタナティブ」を目指したのがそもそも1960年代のニューエイジと呼ばれる諸潮流の原点だった思います。
そういう中で、ラブロックの「ガイア理論」なども出てきたわけですし。

さらに、ニューエイジに、輪廻転生や変成意識の重視や「全てとつながっているという感覚」といった、それまでの西洋文化に欠けがちな、かつスピリチュアリズムとも基本的に共通する視点が入ってきていることを考えれば、これらを否定ないし無関心である人が大半の現代の状況を思う時、あまりニューエイジを否定してかかるのは有益ではないのではないかと思う次第であります。

僕は議論を好みますので(笑)、マシュマロのような愛ではなく、厳しい愛を持って御批判等いただければ幸いです。浩然の気概を持って議論に向かう所存です。

 


2918 思想ですか?
名前: ガーデナー  投稿日: 2003年09月28日 (日) 01時40分35秒

またまた教えてくださいね!
ニューエイジというのは思想ですか?
神をどのように捉えているのでしょうか?

苦がない進歩はありえないでしょうよ!
鉄は叩かないことには刀にはなりませんよね。

ニューエイジを研究する時間はないけど、人間の弱さをついて
極端に走る人がいるのも物体次元のサガなんでしょうね。

 


2917 勇気づけられました
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月28日 (日) 00時53分39秒

ガーデナーさん

>霊訓一巻だけは何度も読み返し、いつも家にいる時も手の届く所にあります。
●霊訓一巻はシルバーバーチの言わんとしていることを全て網羅しているとどこかで読んだことがあります(たしかペーパーバーチさんが仰っていたと思います)。もちろん他の霊訓も味わいがあっていいですが。

>ヨシさんはいつも真摯に受け止められているので、頭が下がる反面、
>「がんばりすぎないで」って言いたくなります。でも仲間がいるんだと
>思うと、とても嬉しく思います。これからも宜しくお願いします。
>霊性というのは、一歩一歩の前進です。気楽にいきましょうよ!
●ありがとうございます。ジーンときました。私は気楽が好きな怠け者ですが、どうも神様がそうはさせじといろいろと課題(チャンス)を与えて下さいます(笑)。私がいつも携帯し、読んでいる紙には『あなた方は常にリラックスし、受け身的で穏やかで平静で、しかも奥に自信を秘めた状態であらねばなりません』との霊訓が書いてあります。日常生活のなかでいかに困難があろうといつも穏やかで平静でいたいと思います。また、仰るとおり、一歩一歩の前進で行きたいと思います。
●私も仲間がいると思うと大変勇気づけられます。この掲示板のおかげでどれだけ救われたことか。ペーパーバーチさんに感謝します。

>祈りから逃げ出した〜いなんて思うと、重〜い患者さんを守護神さんは
>連れてみえます。私は全てを神に委ねてますから、何も恐くありません。
●私は疑念と信仰の間を行ったり来たりです。神に委ねられると思ったすぐ後に、神は存在しないかもしれないと思ったりします。多分私は今後もこのような揺れの中で生きていくのだろうと思っています。

どうもありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

 


2915 ありがとうございます
名前: ガーデナー  投稿日: 2003年09月27日 (土) 23時53分39秒

霊訓一巻だけは何度も読み返し、いつも家にいる時も手の届く所に
あります。最近、あまり開く事はありませんが、何か問題があって
迷ってる時などに手に取ってパッと開いてみてください!

そのページには迷いを解決する言葉が必ずあります。私は何度も
救われました。霊訓って厳しいんです。私のような甘え体質の人間
には、丁度いいと神が授けて下さったと感謝しています。

理解の仕方は人それぞれですが、これは駄目、あれも駄目なんて
思って自分を縛ってしまうと必ず行き詰ってしまいます。
自我や執着や欲をコントロールすることが、とても大切に思えて
なりません。極端から極端は危険だとおもいます。

ヨシさんはいつも真摯に受け止められているので、頭が下がる反面、
「がんばりすぎないで」って言いたくなります。でも仲間がいるんだと
思うと、とても嬉しく思います。これからも宜しくお願いします。
霊性というのは、一歩一歩の前進です。気楽にいきましょうよ!

私は、祈りで現世利益は望みません。守護神、守護霊は、その人に
本当に必要なら黙っていてもお与えになられます。
私が貧乏なのに笑って暮らせるのは、私がお金の使い方を知らないから
だと思います。お金を与えたら、ロクな使い方をしないんじゃないで
しょうか!?(笑)

祈りから逃げ出した〜いなんて思うと、重〜い患者さんを守護神さんは
連れてみえます。私は全てを神に委ねてますから、何も恐くありません。
霊視も透視も今のレベルじゃできないし、今は自分を鍛えることしか
考えていません。レベルが上がれば上がるほど孤独な闘いになるから、
その時のために色んな研究して鍛えて行こうと思ってます。

 


2914 ガーデナーさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月27日 (土) 22時19分42秒

>末期の患者さんで、自分の事よりも同じ病で苦しむの患者さんの治癒を願い、
>奇跡的な快復を遂げた方がみえます。なかなか出来る事ではありません。
●相手が家族でしたらできるでしょうえけど、赤の他人だとしたらなかなかできることではないと思います。

>自分が今こんな状況にあるのもないのも、全ては神のままと命を神に委ね
>られました。祈りとは心の奥底からの叫びです。
●本当にそう思います。これもなかなかできるものではありませんが。

この掲示板を訪れる数多くの方々にお願いです。スピリチュアリスト
として、心の隅っこで構いませんので平和への意識を持っていてほしい
です。(本当は祈ってほしいですが、私は意識してるだけなので大きな
事は言えません)
●努力したいと思います。

●ところで、ガーデナーさんは以前シルバーバーチの霊訓1を特に読んだと以前仰っていましたが、その理由はなんでしょうか。

私はシルバーバーチの霊訓でこれはと思う文章を小さな紙に書いて、財布にしまい、心が乱れそうになったときなど、取り出してはそれを読むようにしています。結構効果あります。

この紙を作ろうと思い立ったとき、どの霊訓から読み始めようか迷ったのですが(霊訓は沢山あるので短期間のうちに全部を読み直すのは大変なので)、ガーデナーさんの上の言葉を思い出し、霊訓1に絞ってこの紙を作りました。いくつか項目(主題)があるのですが、霊訓1だけでほぼ項目を網羅できたと思っています。

 


2913 お願いします
名前: ガーデナー  投稿日: 2003年09月27日 (土) 18時44分12秒

「ある不治の病に臥す患者の詩」は素晴らしいですね!
傲慢な人間の心を戒めてくれてます。

末期の患者さんで、自分の事よりも同じ病で苦しむの患者さんの治癒を願い、
奇跡的な快復を遂げた方がみえます。なかなか出来る事ではありません。

自分が今こんな状況にあるのもないのも、全ては神のままと命を神に委ね
られました。祈りとは心の奥底からの叫びです。

今年はイラク戦争から破壊の念が世界中に広がってしまいました。
日本では度重なる爆発事故や事件に地震。今年も残り3ケ月ですが
まだまだ悲惨なニュースが飛び込んできますよ。

この掲示板を訪れる数多くの方々にお願いです。スピリチュアリスト
として、心の隅っこで構いませんので平和への意識を持っていてほしい
です。(本当は祈ってほしいですが、私は意識してるだけなので大きな
事は言えません)

 


2912 「ある不治の病に伏す患者の詩」
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月27日 (土) 02時13分09秒

さらさん、大変いい詩ありがとうございます。わたしもこんな風に思えるようになったらいいな思います。

 


2911 池田晶子氏の著書
名前: 知足  投稿日: 2003年09月26日 (金) 22時24分03秒

御無沙汰しています。以前にも少し紹介しましたが、
「真理」について語られている、興味深い本に出会いました。

『14歳からの哲学』・『あたりまえのことばかり』
  池田晶子著(トランスビュー 2003)です。

★『今、ここに生きている「こいつ」は何か?』
★『その「こいつ」が、生きているとは、どういうことか』
 がテーマです。

池田女史がこれらの著書で述べられている「真実」と「シルバーバーチの霊的真実」と
どのくらい整合性があるのかが知りたくて、他の著書なども読んでいます。
(かなり、整合性がありそうです)

それらの内容については、下記の掲示版に多少書かせて頂いていますので、
もし、宜しかったら、ご覧下さい。
わたしはまだ、「霊的真実」のことが良く理解出来ていないので、
みなさんのお知恵を拝借できればと思っています。

■池田氏は、この名前で、名付けられる以前の「こいつ」は
何なのか?という「この存在の不思議」を考えておられるのだそうです。

『臨死体験・気功・瞑想』掲示版
http://bbs3.otd.co.jp/312564/bbs_plain

http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm

 


2910 もうひとつ
名前: さら  投稿日: 2003年09月26日 (金) 22時06分14秒

もうひとつだけ紹介します。
「ある不治の病に伏す患者の詩」
http://www11.big.or.jp/~shinkai/inori/fujinoyamai.html

こんな風に思えたら、本当にいいのですが。

 


2909 許し
名前: ころ  投稿日: 2003年09月26日 (金) 19時25分17秒

ヨシさん、有難うございました。
他の詩集も見せていただきました。
癒されますね。

 


2908 さらさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月25日 (木) 21時30分26秒

うーん。何となく、「さら」っと軽くなったような(笑)

 


2907 ヨシさん♪
名前: さら  投稿日: 2003年09月25日 (木) 20時51分35秒

それではその悩みが軽くなるように、つつしんで祈らせていただきます(笑)

 


2906 独り言です
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月25日 (木) 14時35分48秒

独り言を言っていると思って聞いてください。

皆さんの祈りの考え、実践を読んでいると素直というか、自然体ですね。

私の場合、要らぬ力が入っているというか、どうも要らぬブレーキやアクセルを踏んでいるようで---

また悩みが増えたというか---ウーム。

 


2905 お昼休みだすっ(⌒◇⌒)
名前: ミュウチリン  投稿日: 2003年09月25日 (木) 12時30分43秒

お昼休みに入ったので、書き込みをばっ。

清らかなお話されてる最中に野暮な話題かもしれませんが、
先日寄った喫茶店で某少年誌を見ていた所、「○○キング」なる漫画が載っていたんですね。

それで何気に見ているとどうも何か引っ掛かる所があったので、後日マン喫にて一巻から見て行きますと、作品の根底に霊的要素を含ませようとしているらしく、そこかしこにここの皆さんならお馴染みの用語が散りばめられ、それについてのお話が展開されておりました。
作品に出てくるインディアンの名前が、皆さんのご想像に近い名前だったりで久々に漫画見ていて面白かったです!

この作者、明らかに霊訓読んでるのが分かって「あははっ!」と思う所が多々ありました。
小学生も読む分、演出は多々施してありますけど大衆向けには良い作品だと感じました。

それでは突然失礼しましたっ。ではではーっ♪

 


2904 祈りの力
名前: さら  投稿日: 2003年09月25日 (木) 05時50分05秒

私が祈りの力を実感するようになったのは、実は最近です。150人の祈りの会員が依頼に応じて祈る、というサークルに入っているのですが(宗教とは無関係です)そこで、自分が依頼をしてその効果があまりにもはっきりあってからでしょうか。それから、不思議なのは、祈る行為で自分が変わっていくことです。
祈りの力ですが、私は自分の力ではないと感じています。ただ、祈ると、自分とその相手の方との間に一種の線のようなものが出来、そこにその祈りの内容
に応じて、高次の力が流れるような気がします。
高次の力が働く通路を作る、という意味で、祈るという行為が必要なのだと感じています。

 


2903 祈りについて
名前: yumi  投稿日: 2003年09月25日 (木) 01時47分25秒

私的にはあまり「祈る」という意識はないです。
念を込めて祈る時は、よほどの人生の一大事(?)だと思っています。
だいたい意識をその方向に傾けるだけで今の所事足りているようです。(それを祈りと言う事もできるとは思いますが。)

ハナリンさんのおっしゃるように、思った事が現実化しているようなので、「仕事仲間の人とスピリチュアルな話がしたい。」と思っていると、ある日グッドタイミングでそのチャンスが訪れるといった感じです。そういう時は相手も受け入れ体制が出来ているので、すんなり話しを聞いてくれます。
世界平和や全ての人の霊的進化を願う気持ちは、意識として持っていますが、念の力を使う事は今の所あまりないです。

その他も「あんな洋服が欲しい、こんなバッグが欲しい」と思っているとそのうち、あんな服やこんなバッグが(やってきます)見つかります。(笑)これは大した意味もないので、手に入れるか否かはその時選べばいいと思っています。

もちろん、何でも思い通りになる訳では無いし、マイナスの思い(意識)や自分が気づいていない意識まで現実化して目の前に展開してゆきます。
そこには何かしら学ぶべきものがあると考えます。
意識が現実化して目の前にあらわれていく様は、ホントに神の法則はよく出来ていると感動します。

 


2902 ゆるすということ
名前: ハナリン  投稿日: 2003年09月23日 (火) 13時31分15秒

ヨシさん、さらさん、素敵な詩のご紹介ありがとうございます。

大内博さん訳で「ゆるしのレッスン」という本が出ていますが、ゆるすということは、簡単なようで難しいのでしょうね。

さて、「祈り」ですが、シルバーバーチは「祈りとは、神の波動に心を合わせること」とも言っていますし、「自分を神の道具として使って下さい」と祈るのがいいともアドバイスしています。

でも、祈りって、自由なものでいいのではないでしょうか?

私もスピリチュアルな法則を知る前は「素敵な人に会わせて下さい」「いいところに就職できますように」「広いアパートが見つかりますように」なんて、自分のことしか祈りませんでしたが・・・

「思ったことが現実になる」という法則を知ったら、(どうせ祈るんだったら世界平和でも祈ろう!)という気持になるのが不思議です(笑)

今は、そうですね、「神の真理が一人でも多くの人に伝わり、それを知った人が神の道具となりますように」とか、友達やクライアントさんで気になる人のことを祈っています。

皆さんの祈りの内容も教えて下さい。

http://www2.odn.ne.jp/~ohana

 


2901 すみません
名前: ヨシ  投稿日: 2003年09月23日 (火) 12時21分53秒

↓の文章は舌足らずで、読みづらいとは思いますが、ご容赦ください。

 


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