心霊学研究所
掲示板の過去ログ

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)2951-3000の過去ログです。
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3000 ちなみに
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月13日 (月) 09時19分38秒

らふぃえるサンは、どのような実践をされていますか?

素晴らしい考えのおもちのようですので、さぞや素晴らしい実践経験があるのでしょう。

ぜひ、ご教授願いたいものです。

 


2999 龍さんへ
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月13日 (月) 09時12分54秒

本の題名は、NHK出版のアインシュタインロマン、第3巻「光と闇の迷宮」です。

興味がありましたら、是非読んで見てください。

あと、援助についての記載がありましたが、有効な支援先を探すのも、重要な支援活動です。

自助努力を促すための支援活動をしているNGOも多数有りますし(例:シャプラニール)、いま、死にかけている人達を支援しているNGOもありますし、(国境無き医師団)、教育や農業指導を通じ、自助努力と自然を大切にする心の醸成を支援しているNGO(子供の森計画)もありますし、支援先は幾らでもあります。
純粋に自然保護を目指す団体もありますし、ようは自分の志向に合う分野を支援すればよいと思います。

人間と言うのは、自分のためや家族のために、お金を使うことには抵抗ありませんが、赤の他人や地球のためには、ビタいちもんも出さないものです。
(職場同僚とか、友人とか、多少なりとも利害の絡む相手はのぞく)

それは人は本来利己的で、当然のことだと思います。

ただし、そのなかからも、ほんの少しでも支援に回すことが重要だと思います。
私だって、生活を犠牲にしてまで支援できません。

人を助けると言うことは、簡単なことです。日本は経済大国なので、ホンの数千円でも人の命を助けること、教育のための教科書を、文具を、送り届けることが出来ます。
将来のための苗木を何10本も植えることが出来ます。それによって、自然保護にもなるし、現地の雇用促進にもなります。(特に女性の)

その簡単なことを、無駄に難しくしようとしている思想そのもの、宗教だの動機付け、理想だのなんだの難しい理屈に名を借りて、言い訳にしようとしている考えこそ、利己心そのものです。
気がつかないでしょうがね。
小難しいことを言うひとよりも、他者の為にお金を使える人のほうが、遥かに私的には評価します。

 


2998 知足さん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月13日 (月) 01時09分50秒

知足さんの2991宗教とは、『人のために自分を役立てること』にコメントさせていただきます。(旅先からのコメントです)

【何のために議論するのか。なぜ知識、理論が必要か】
●何のために、言葉や概念に時間をかけて議論してきたかについては、らふぃえるさんが2994で明確に述べていらっしゃるので、私は別の角度から申し上げたいと思います。

【TVのチャンネルの回し方とTV画面の背後にあるもの、など】
●ニュースを知りたいときに、テレビのチャンネルを回すことを知っていれば、とりあえづはさほど支障はないでしょう。
 しかし、テレビは電気を動力源としていて、コンセントの電源からこの電力を得ている。映像は、放送局からの電波を家の屋根にあるアンテナがキャッチして、その電波を電気的な信号に換えて、----というTV画面の背後で機能していることを知っておくこと、更にニュース源としては、新聞、週刊誌、インターネットからもニュースを知り得るし、それぞれが独特の特徴を持っていること(内容の正確さ、詳しさ、思想的傾向など)を知識として知っておくことは必要だと思います。
例えば、TVが見れなくなったとき、その原因はどこにあるのか、更にはそのTVの情報が正しいのか、もっと詳しく知りたいときはどこから情報が得ればいいのか、他の情報との関係はどうなのかを知りたいとき、などにつき必要に応じ適宜対処できるからです。(そのような必要性というものは必ず生じるものです)

【宗教に関する理論、知識も同じこと】
●こもことは、私たちのように宗教の実践をしている人間にも言えると思います。
 特に、スピリチュアリズムのように組織がなく、個人の解釈、信仰に任されている宗教については、問題が生じたとき、疑問に思ったときに、頼れる師匠や同志がそばにいなくて、自分自ら解決しなければならない場面におかれることが多いのですから、なおさら知識を深め、自ら信仰する思想の意義・位置づけを常に考え、研鑽を積む必要はあるのではないでしょうか?

 


2997 しなくてはならない苦労、しないでもいい苦労
名前: yumi  投稿日: 2003年10月13日 (月) 00時10分12秒

光りのシャワーさんこんにちは。随分遅ればせな感じですが、2974でおっしゃって居た「しなくてはならない苦労、しないでもいい苦労」の質問に関しての私なりの意見です。だいたいサラさんのおっしゃっていたことと同じです。
「しないでもいい苦労」は、「取り越し苦労」のように思います。「ああではないか?」「こうなんじゃないか?」と事実ではない自分の想像で起こす苦労だからです。
もう一つは、ほんのちょっと肩を押してあげて、本人が一歩前に出るだけで「なあ〜んだ!!」と解るようなことでしょうか。それはその事がちゃんと見えている人で無いとできないことですが。(だからこそシルバーバ−チなのですね)
「しなくてはならない苦労」は自分の今生のテーマに関わるものや目の前にあるものだと思います。ただしそれを苦労と思うか否かは本人次第だとは思います。

何かをする時に「どういう状況が本人にとって一番いいのか」ということを未来に渡って見てゆくといいかもしれません。(その場しのぎではなく)
例えば貧しい人にお金を与えるのは良いように思いますが、それもある所までで、あとは自活(自立)してゆけるような援助をするのが良いと考えます。働かずに生活する環境が長く続く事はあまりいいとは思えないのです。
気を付けたいのは、どんなことでも同じですが頼らせる(一時的に必要な場合もある)のでは無く、その人が自分の足で立って歩けるように援助すべきだと考えます。そうするとどのように動いたら良いかということも見えてくるのではないでしょうか。

 


2996 LSIの原理で・・・
名前:   投稿日: 2003年10月12日 (日) 22時56分43秒

すいません。以前の発言でLSIの原理は量子論のなんたら
効果でできているというのがありましたよね。

それを書いてあった本の題名を知りたいのですが、宜しく
お願いします。

 


2995 アインシュタインロマン
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月12日 (日) 22時18分12秒

cerefica さんへ

アインシュタインロマン、購入されるのですね?
「事実は小説より奇なり」という言葉を、実感できると思います。

量子論と言うのは、光の本質を追求するのが主題のひとつですが、まさに、光の迷宮です。

私は、読書が好きなほうですが、読み終わるまでに1ヶ月掛かりました。

理由は簡単です。

寝てしまうからです(笑)・・・
でも、ある程度なれてくると、量子論は本当に面白いです。
べつに、物理学を専攻するわけではないですし、概念だけ楽しめばよいと思いますよ。
いすれにせよ、高校では学ばない理論ですので、新鮮だと思います。
知的な迷宮は、有意義だと思います。

 


2994 知足さん 2991への返事
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年10月12日 (日) 21時36分48秒

知足さん

>2991

まず、何のために議論をしているかですが、
定義に関する議論が始まる前に、ニューエイジや大乗仏教とスピリチュアリズムの関係についての議論があっていたことは、以前の書き込みを見ればお分かりいただけると思います。
そうした議論をするために、まず議論の土台として宗教の定義について議論する必要がありました。
僕は、大乗仏教やニューエイジなど他の宗教の良いところを積極的に摂取することが、人助けにも自分の霊格を高めるためにも必要と思っているので、そうした他の宗教をスピリチュアリズムの観点から積極的に評価・包括し、比較検討するためにも、まず土台として宗教の概念について規定する必要があったのです。
ヨシさんは、他の宗教と比較してスピリチュアリズムについての理解と信仰を深めたいという目的があったようです。

シルバーバーチが「宗教とは人の役に立つこと」と言っている場合の定義とは、まずいかなる意味の定義かをしっかり考えなければなりません。
定義には、
?辞書的定義  概念の一般的規定。たとえば「青年とは、15〜25才の人びとである」など。あらゆるその概念に共通した内容で規定する必要がある。
?説得的定義  ある概念を、ある意味で使うように説得すること。つまり、最も重要な側面はこれである、っていうものの言い換えですね。「青年とは、溌剌とした人びとである」など。「春はあけぼの」「花はサクラ」「ハムは霧島」などの用法。

があります(ある文脈で使われる用語の意味の定義という意味で?約定的定義というのもありますが、この場合は問題ではないので置いておきましょう。)

シルバーバーチが使っているのは、この場合?の説得的定義の用法で、宗教は人の役に立つことをこそその真髄としなくてはならない、宗教においては人助けこそ最も重要な要素である、という意味で定義を使っていると思います。
あらゆる宗教に通底した定義として「人の役に立つこと」という定義をシルバーバーチが持ち出しているわけではないでしょう。
人の役に立たない宗教だって山ほどあります。
あけぼの以外の春、サクラ以外の花、霧島以外のハムがたくさんあるのと同じです。

最初に言ったように、宗教の比較検討のためには、辞書的定義を宗教に関して行う必要がありました。
土台がなければ、議論などできないからです。
僕とヨシさんが議論していたのは、?の意味でであり、なぜならば、ヨシさんが2940で、「神・法則を信じること」と「霊性探求」を、あらゆる宗教について共通することと述べていたので、決してあらゆる宗教に共通するわけではないということを僕がずっと論駁してきたわけです。
そして、他の宗教と比較検討する議論の土台とするべく宗教概念を規定してきたわけです。

本当に行動をしようと思って、もがいて苦闘してきた人間は、理論や知識の大切さが骨身にしみているはずです。
シルバーバーチが「行動こそ大切」というのは、十分な知識を持っていることを前提にしているはずで、知識の重要性と責任をシルバーバーチは再三説いてます。

もし、我々が本当に人の役に立とうと思うなら、それこそさまざまな奉仕や愛の実践方法を知らねばならず(なぜなら知らなければ実行できないからです)、また本当に人の役に立つためには自分が智慧や霊格を高めておかねばならずそのための修行方法などもいろいろ知っておかねばならないでしょう。
これら、人助けに必要な知識は、伝統宗教から得られるものが非常に大きいと思います。
ゆえに、僕は積極的に他の宗教の良いところを摂取すべきと思います。
しかし、伝統宗教を摂取するには、スピリチュアリストとしていかなるスタンスをとるか、どういう点を摂取し批判するかを用心深く適切に行わねばならず、そのためにはスピリチュアリズムと他の宗教とを比較検討し正しい認識を持たねばなりません。

また、世の中にはスピリチュアリストよりも他の宗教の方が圧倒的に人口が多いわけですから、それらの人と接触した際に、いかにして適切なアドヴァイスなり議論なりを(もちろん適切な時に限りますが)行うかは、人助けに密接に関わると思いますが、そのためにもスピリチュアリズムと他の宗教との比較検討を十分にしておく必要があるでしょう。

孫文は、「知るは易く行なうは難し」という中国の伝統的な発想こそ、中国の決定的な没落をもたらしたと批判し、「知るは難く行なうは易し」こそ真実だと言いました。
実践の場で苦慮して、単なる短絡的な見通しと軽挙妄動では何もできず、確固たる理論があってこそ本当の実践ができるということを骨身にしみて学んでこそでてきた言葉と思います。
ベーコンも「知は力なり」と言ってます。
議論と言うのは、骨が折れるし、大変なものなのです。
しかし、それだけの豊饒な実りをもたらすものであると思います。
誰も議論のための議論などしないと思います。
何かの実践のために、まず議論をして理論を精緻なものにしようと努力していると思います。
僕とヨシさんが、多くの時間と労力を割いて、何のために公開の場で議論していると思いますか?

議論の目的や、わからない点を率直にお尋ねになるのは良いかと思いますが、「(笑)」印など嘲笑的な表現や皮肉な言い回しは、真面目に議論しているもののやる気を削ぐものであり、それこそ「人の役に立つ」精神からもっとも程遠いように思いますが、いかがでしょうか?

 


2993 わたしは・・・
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月12日 (日) 05時39分15秒

やはり、寄付活動ですね。
あとは、できるかぎり、法令を守るとか・・・自転車を放置しないとか、その程度のことですが・・・

普及に付いては、あまり難しく考えてはいません。
いきなり、準備に無い人に勧めても、まず、意味がなさそうですし、それに、準備が出来ていれば、自然に霊訓などと出会えるのでは?とも思っていますし、自分自身が素晴らしい、尊敬にたる人物ならともかく、私みたいな未熟な人間が普及を行っても、まったく説得力が無いですし・・・

人生に迷いが生じたとき、宗教に救いを求める人もいるでしょうし、書店においてある霊訓などの書物に手が伸びる人もいるでしょう。

そこで、自分の波長(?)とあえば、自然とスピリチュアリズムに興味を持つでしょうし、仏典や聖書に手が伸びる人もいるでしょうし、神智学やグルジェフに手が伸びる人もいるでしょう。

ここのサイトが重要なのは、インターネットで手を伸ばそうと思い立ったとき、ここにあることです。

人生、いろいろな出会いがありますが、導きと言うものはあると思います。

ただし、それは自分から求めてこそ、出会うものだと思います。

 


2992 具体的な利他愛の実践について
名前: cerefica  投稿日: 2003年10月12日 (日) 00時15分29秒

きりこさん、遅くなりましたが、アインシュタインロマンの本を注文させていだだきました^^)
その節はアドバイスありがとうございました。

さて、
皆さんに聞きたいのですが、スピリチュアリストとして、どのような利他愛の実践を行っているのでしょうか?
私の場合は、コンビにや街頭での募金に寄付したり、ホームレスが売っている本を買ったりしております。
しかし、肝心の霊的真理の普及については、(まだ学習不足という面もあるのですが)特にまだ活動をしておりません。
皆さんの具体的な活動をお聞かせいただけませんか?

 


2991 宗教とは、『人のために自分を役立てること』
名前: 知足  投稿日: 2003年10月11日 (土) 22時28分39秒

らふぃえるさんとヨシさんの議論を興味深く拝見しているのですが、
難しいですね。正直言いまして、たぶん、私のレベルが低いからだとは
思いますが、何のために議論をされているのか、私にはよく判りません。(笑)

『私にとって、宗教はたった一つしかありません。人のために自分を
役立てることーこれしかありません。ニューエイジでも、キリスト教でも、
イスラム教でも、スピリチュアリズムでも、レッテルは関係ないのです。』
とシルバーバーチは、語っているではないのですか。

だから、『人のために自分を役立てること』というのが、宗教の唯一の定義だと思うのですが、
どうでしょうか。そして、もっというならば、『人のために自分を役立てること』ということ
を実行しているならば、それを「宗教」と呼ぶ必要もないように思います。
シルバーバーチの言うように『行動こそが、大切』だからです。

スピリチュアリズムを実践するのに、なぜ【スピリチュアリズムの意義・位置づけ】
が、言葉や概念として必要なのかよく分かりません。
『人のために自分を役立てる』ためには、自分は何をしたらよいのかということが、
スピリチュアリズムの、いわば唯一の「テーマ」であるように思うのですが・・・・。

http://homepage2.nifty.com/hiroshi_n/etegami.htm

 


2990 証明はなくても・・。
名前: あゆ  投稿日: 2003年10月11日 (土) 22時09分13秒

サラさん、とっても楽しく読ませていただいています。

>宇宙人やUFOの証明は出来かねるということです・・・ 仮に同じ場所にいても視える人とそうでない人とがいます。

そうなんでしょうね。見える人がいることをまずは信じないと話がトンチンカンになってしまうんでしょうね〜。
私は信じる人ですので、サラさんが言われるように誰もが見える日がくればいいなぁ〜と思います。
私も中学の時にUFOは見ました。飛び方がゼンゼン普通でないんですよね。

信じない人は信じないでOKだとも思います。
また、いろんなお話を聞かせてくださいね。

 


2989 ヨシさん
名前: サラ  投稿日: 2003年10月11日 (土) 00時04分12秒

Thank you !!

掲示板に限らず時々そうなのですが・・・
自分が書いているのに途中から意思とは関係なく書かされている(!?)感覚
があるのです。考えなくても言葉が浮かんできてキーボードを打っているサラがいる・・・ だからと言って責任逃れをしようなんて思っていません!! ただ、宇宙人やUFOの証明は出来かねるということです・・・ 仮に同じ場所にいても視える人とそうでない人とがいます。数年前に証明と言えば証明になるかもしれないことがありました! 宇宙人もイエスも基本的には(次元が違いすぎるかもしれませんが)同じですよネ・・・ 皆さんオーバーシャドーのことご存知かと思いますがイシャヤ・ジャパンセンターに関わっていたときのことです。○○先生が10人近い人達とミーテイングしているときでした「メモを取らないで聞きなさいと言われて聞いていたら○○先生がイエスに変わったのです!!」そのオーバーシャドーを目撃したのは私を含めて3人いました。また別の日でのミーテイングでも違う○○先生がやはりイエスにオーバーシャドーしました。そのときにも私を含めて2〜3人が目撃しています!! 時間は食事をはさんでいましたのでいずれもお昼前後です。その他にももう1度やはり同じ○○先生が10数名の時にイエスにオーバーシャドーするのをサラを含めて2人で目撃しました。動かしがたい事実なのですが証明を求められるとどう証明すべきかわからないのです(エクトプラズマもありますが複雑すぎてサラには説明しきれませ〜ん)それで 信じる・信じない だけのことです!! になってしまいました。 ウ〜ン!! やっぱり答えになってないかも? 失礼致しました!!         (そう遠くない日にすべての人にUFOや宇宙人がわかる日がくると思いま〜す・・・ 自然の流れにまかせましょう)

 


2988 スピリチュアリズムの意義・位置付け
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月10日 (金) 17時23分15秒

まだ、宗教とは何か、という議論が完結していませんが、とりあえず他の高等宗教、ニューエイジと比較して、スピリチュアリズムはどのような特徴、意義を持つのか考えたことを述べたいと思います。(らふぃえるさんとの議論を参考にした部分が多々あります)

この観点から、逆に宗教、高等宗教の特徴なども浮き彫りにできるかもしれません。
かなり、大ざっぱな考えかとは思いますが、コメントなどいただければ幸いです。(間違っているところも多々あると思います)

(なお、私は10日間ほど、当地を離れますので(家族と海外に旅行に行きます)、10日後にまたこの掲示板に来たいと思っています)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(注)以下の論点は、大まかな考えですので、例外もあることはご承知おきください。

●スピリチュアリズムは、既存の宗教(高等宗教)と類似の特徴を有するため、宗教に分類できる。その意味では、スピリチュアリズムは特別な思想ではない。

●しかし、現代の要請にマッチした要素を持つ思想であるといえる。逆に言えば現代という時代が来たことで、スピリチュアリズムが普及する条件が整ったとも言える。(条件の例:組織を持たず、点在しているスピリチュアリストがお互いに意思疎通できる通信手段が整った。スピリチュアリズムは個人の自由意思・理性に基づく信仰を強調するが、このような自立した自由な考えを持つことのできる法制度・社会的環境が整った。科学万能・唯物主義が疑問視され、目に見えない不可思議な現象に対し関心を持つ人たちが増えた、など)このようなことを考えると、社会環境の整備・科学技術の発達なども含めた、現代という時代すべてが霊界側からの働きかけ、神の導きとも考えられる。
また、このような条件は先進国に限定されるところが大きいので、極度の貧困、思想の自由のない国への援助は、単に人道援助というだけでなく、スピリチュアリズム普及の条件整備を行うという観点からも、神の道具として考えなければならない事とも言える。

●現代の要請にマッチするという点では、ニューエイジも同じ。しかし、(大部分の)ニューエイジは信仰という要素がないため、人間が本来的に持つ「苦」への根本的な対処ができない。

●スピリチュアリズムは、組織を持たず、自由意思・理性に基づく信仰を説くため、強い信仰を維持することが難しい。また、解釈が個々人に任され、分派ができやすい怖れもある。

既存の宗教(高等宗教)、ニューエイジ、スピリチュアリズムの比較

○組織
既存の宗教:強固な組織を持つ。
ニューエイジ:組織を持つもの、組織を持たないものもあるが、その入会・離脱は自由なものが多い。
スピリチュアリズム:組織を持たないし、持つことを否定する。ただし緩やかな集まりは許容する。この点はニューエイジと似ている。

○特定個人への崇拝
既存の宗教:教祖、あるいはその他の特定個人への崇拝があることが多い。
ニューエイジ:不明
スピリチュアリズム:特定個人への崇拝(教祖など)は持たないし、持つことを否定する。これはスピリチュアリズムだけの特徴

○信仰
既存の宗教:信仰は重要な要素。師匠が黒と言えば、白でも黒と思う、というような信仰を強要することもある(盲信に陥る可能性がある)。
ニューエイジ:詳しくは不明だが、既存の宗教が持つような信仰はないと考えられる。
スピリチュアリズム:信仰は重要な要素。しかし、信じるに当たっては個人の判断・理性に任される面が強い。

 


2987 サラさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月10日 (金) 14時06分40秒

ご返事ありがとうございます。サラさんが真摯にご回答していただいたことは文面からもよく分かりました。

しかし、このような話は、安易に興味本位で聞きたがる人も沢山いますので、十分注意して話された方がいいとは思います。

私自身、不思議な現象には興味があるので、自分自身をいさめるつもりでも書きました。

今後ともよろしくお願いします。

 


2986 ヨシさん
名前: サラ  投稿日: 2003年10月10日 (金) 13時07分57秒

複雑なのでうまく説明できませんが・・・
私たちは多次元に生きているのですよネ。 よく言われていますがこの3次元といろいろな次元がピタッとくっついているのです。 昔は山などにこもって修業していましたが(霊的進化)今はそうしなくても日常生活のなかでできるのです。私自身を含めてみなさんいろいろなことありますよネ・・・
それはいろいろな次元の方がこの3次元に一緒に住んでいるということです。
たくさんの本にも書かれていますのでご存知かと思いますが・・・
だから魂が磨ける・霊的進化が容易に(!?)できるのです。その時その時の段階があるので説明がむずかしいのですが・・・ サラの場合は必要なときのみ自然に霊視しています。ご存知のように霊媒体質ですが(役割でそれを踏まえてのセラピーをご縁のある方々にさせていただいています。失礼いたしました)本当はすべての人が視えてたのですよネ・・・(いろいろな本にも書かれています)分離して忘れてしまっただけのことのようです。ご存知のように現在、いろいろな側面で統合されつつありますよネ。 そのプロセスのなかでサラのような霊視される方々がそれぞれの役割でたくさんいらっしゃいます。視える人の役割のひとつとしてケースバイケースで今回のように情報をお伝えすることもあります!! 「幸島の100匹サル現象」といえばおわかりになるかと思いますが・・・ 答えにならないかもしれませんがただ 信じる・信じない だけのことです。不特定多数の方々がわかってもわからなくても読んでDNAが少しでも活性化されて思い出すきっかけになればそれでよいのです・・・ 申し訳ありませんがサラには証明できませんが、ある時期がくれば(ひとりひとり違いますが)自然とわかるときがきます。訪れます。サラを含めて人間はいろいろな側面をもっていますので、たまたま宇宙人にあった・UFOに乗ったというひとつの側面でしかありません。他の側面はみなさん方のほうが先に行かれていると思いますヨ!!(ですのでいつもどんな情報があるのかな?と楽しみにしていま〜す) すべて自由です!!

 


2985 らふぃえるさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月10日 (金) 10時57分27秒

少し付け加えますと、今回、高等宗教との対比を考えたいとの私の考えは、人間の特質・特徴をよりよく理解するために、人間に最も近いと思われる類人猿・チンパンジーの特徴・特質をまず把握してみたいという発想と同じものです(キリスト教や仏教などの高等宗教に失礼な例示ですが----(-_-;;;。

もちろん、宗教全般(上の例示で言えば、ほ乳類全般、生物全般)の定義を考えることは、それはそれで大変興味深いものですので、別途議論してもいいと思います。

 


2984 らふぃえるさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月10日 (金) 01時18分04秒

(↓)どうも読み返していると、らふぃえるさんの意見をまず聞いてと言うよりも、私の進めたい方向に勝手に筆が進んでしまっているようです(-_-;;;。
十分吟味して、らふぃえるさんの進めたい議論があれば仰って下さい。私では力不足の面があるかもしれませんが、できる限りお互いが、またこの掲示板の参加者の方々にも有益な方向で議論が進めばいいなと思っています(^^)。

 


2983 らふぃえるさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月10日 (金) 01時01分09秒

【用語の正確さ】
仰る通り、このような議論をするに当たって、用語を正確に規定しておくこと(定義しておくこと)は大切だし、必要不可欠のことだと思います。らふぃえるさんが強調されることはよく理解できますし、私も同意見です。宗教、ニューエイジの議論をしていても、宗教、ニューエイジについて、お互いが違う意味で語っていては、議論は噛み合いませんから。

ただ、今回の議論については、いわゆる一般に宗教と称されている、宗教全般の定義を決めてからと言うのでなく、らふぃえるさんが、2971で
>とりあえずスピリチュアリズム的な価値観に基づいて、霊性探求を具備する宗教を高等とみなす
と仰った「高等宗教」の特徴・共通点を探ることから始めたいと思います。

これは、極少数の宗教しか知らない私にとっては、いわゆる宗教全般の定義を下すことは私の力量を越えるということも理由としてありますが、目的としたいスピリチュアリズムの意義・位置づけを探るには、この高等宗教との比較で十分だし、その方が意義・位置づけがはっきりすると考えるからです。

【高等宗教の特徴点・共通点】
高等宗教の特徴点・共通点として私は以下の3点を提示しました。(定義とするかどうかは、更に議論・考察を深めてからにしたいと思います。しかし、当面はこの特徴点・共通点でも議論を進めることはできると思います)
ただし、私は後で述べるようにこの考えにこだわるものではありません。

?人間・物質界以上の絶対的存在(神あるいは法則の存在)を信ずる。
?その絶対的存在を信ずることによって精神・霊性の向上を図ろうとする。
?その独自の思想体系を有する。その思想体系に反するものは排除しようとする。

これに対し、らふぃえるさんは
>相手を全否定しなければならないということにはならないと思います。-------部分的にこの部分は正しいけれど、この部分は間違っている、という姿勢もありうると思います
と指摘されました。

私もまさにその意味で、「その思想体系に反するものは排除しようとする」の意味に使っていました。らふぃえるさんは、その場合は排除でなく、包括的の方がいいというご意見ですが、包括的ですと、これまた全てを飲み込む、受け入れるというニュアンス、含意がありますので、むしろ「是々非々の態度で排除あるいは受け入れる」としたほうがいいかもしれません。

しかし、むしろこの?については、その部分を削って
?その独自の思想体系を有する。
としたいと思います。「強い信仰」と「柔軟な精神」を持ち合わせていれば、わざわざこおここで「是々非々の態度で排除あるいは受け入れる」としなくても、自然とそのような態度・行為に導かれると思いますので。

したがって、高等宗教(スピリチュアリズム的な価値観に基づいて、霊性探求を具備する宗教)の共通点・特徴として、
?人間・物質界以上の絶対的存在(神あるいは法則の存在)を信ずる。
?その絶対的存在を信ずることによって精神・霊性の向上を図ろうとする。
?その独自の思想体系を有する。
とするのは、いかがでしょうか。

私は上の考えにこだわるわけではなく、らふぃえるさんが宗教の定義として提示したものに若干加え、
?いわゆる「聖なるもの」を探求する思想(ヌミノーゼを求めるもの)
?人生の究極的な問題への応答、ないし不条理を受け入れやすくする思想
に加えて、
?その独自の思想体系を有し、それを実践することにより霊性の向上を図ろうとするもの
とすることもいいと思っています。

【スピリチュアリズムの意義・位置づけ】
それでよろしければ、これら高等宗教と比較したスピリチュアリズムの意義・位置づけについて、らふぃえるさんのご意見を伺いたいと思います。

できれば、ニューエイジの比較もしたいのですが、ニューエイジとは何かとの議論が未だですね。ニューエイジ全般と考えると、私もらふぃえるさんも全てのニューエイジに通暁していないようですので、ニューエイジの中で、この掲示板参加者も知っているようなもの、あるいは簡単な説明があれば議論できるような代表的な個別のニューエイジを例に出してもいいと思います。

できれば、この掲示板参加者の方にも役に立つような、また皆が参加できるような実りある議論にしていきたいと思っています。

 


2982 ヨシさん
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年10月09日 (木) 23時16分50秒

>2975

ヨシさん

【定義について】
>>それでは、宗教一般の定義は?いわゆる「聖なるもの」の探求?人生の究極的な問題への応答、という定義でよろしいですね?
>この定義を考えるときは、どうもあらかじめ「宗教」という既定の概念があって、そこに定義を当てはめるので、人によって定義の仕方が違ってくるのではないかと思います。らふぃえるさんは広く宗教をとらえていると思いますが、私の場合は、宗教をもっと狭く考えていて、「信仰」(どのようなことがあっても自分は信じた思想(宗教)を信じ抜く。その信じ抜くことで、神に近づくことができるというような意味での強い信仰)の要素のないものは果たして宗教といえるのかと思っていますので、やはり?整合性のある思想体系をもっているもの、を入れたくなります。つまり、そこまで強い信仰を維持するためには、寄って立つ思想体系が不可欠だと思いますので。(私は神道についてはよく知りませんので、神道がこの定義に当てはまるかどうかについては分かりません)
いずれにしても、この定義については、らふぃえるさんなり、私なりがアプリオリに持っ>ている概念によって変わってくるのかなと感じます。

定義というのは、人によって違うなどというものであってはならないのはわかりますね?それでは何のための議論なのかわからなくなります。
概念の定義がしっかりしていなくては、議論の土台そのものが崩壊することになり、あらゆる議論も価値の探求も成り立ちません。
(馬についての議論をしていると思っていたら、相手は鹿について話していると思っていたら当然話がかみあわないですよね)
定義というのは、概念内容の規定なので、あまりに例外がある場合はその定義は不適当というのはわかりますか?
2964に多くの事例を書いたように、ヨシさんの宗教の定義はあまりに当てはまらないものが多いのです。
ヨシさんが、そんなもの宗教と呼びたくないと言おうが言うまいが、現に宗教と呼ばれている広大な領域と事例があるわけです。
私は緋色だけを赤色と認める、紅色やその他のいろんな赤は赤とは認めたくない、だから緋色以外は赤じゃない、という論法は成り立たないことはわかりますね?
2964で僕が指摘したことについて十分な論駁をされていないうちに、あくまで自分の定義に固執されているのでは、議論を進めることができません。
僕はアプリオリに宗教の概念を持っているわけではなく、十分に2964等で自分の定義の妥当性と、ヨシさんの定義が当てはまらない根拠となる例を述べているはずです。
ヨシさんの宗教の定義も、アプリオリなものではなく、キリスト教と日蓮宗という極めて狭い事例の経験によるものだと思いますが、いかがですか?
アプリオリという言葉は先験性を意味しますので、この場合使うのは妥当でないと思います。
議論においては、言葉遣いと理論を厳密にしなくては、とてもじゃありませんがまともな議論も実のある議論もできません。
何もヨシさんを論破することが目的なのではなく、なるべく実のある議論をしたいので、敢えて苦言を呈しているわけです。
ヨシさんが、霊性探求や信仰心を宗教に大切な要素だと思いたい気持ちはわかりましたが、自分がそうあって欲しいからそれが宗教の定義として妥当だ、とは言えないことはちゃんとわかってくれますね?

>それから、この話については{投稿:2940}で私が問題提起したのが始まりだったと思いますが、そこで私が「スピリチュアリズムの意義・位置づけをより明確にするためにも、ニューエイジの議論と同時にしてもいいのではないかと--」と書いたように、当初から定義の議論を目的とするものでなく、スピリチュアリズムの意義・位置づけをより明確にするためのものでした。らふぃえるさんが{投稿:2958}で「宗教の定義」と題して回答くださった時に、そのことを指摘すればよかったのですが、その時は私も定義議論に参加してしまったためご迷惑をおかけしました。
ただし、らふぃえるさんとの議論の中で、一般に言われている宗教の中でもいろいろなレベル・種類があるので、その中での区分けをしなければならない場合もある、ということ>が分かってよかったと思っています

了解しました。定義が主要な関心事ではなかったわけですね。
ただし、宗教について精査するなら、いつかは定義もしなくてはならなかったかと思いますので、迷惑云々ではなく、実のあるものにできればいいなぁと思います(^^;
ヨシさんは、
「宗教とは以下の要素を持つ思想だと思います。
?人間・物質界以上の絶対的存在(神・法則)を信ずる。
?その絶対的存在を信ずることによって精神・霊性の向上を図ろうとする。
この2点は、どの宗教にもある共通点だと思います。」
と2940でおっしゃっていたわけですが、
以上の二点が決してどの宗教にもあてはまるというものではないことは、僕が挙げた例でおわかりいただけましたか?この二点はどの宗教にもあてはまる共通点では決してありません。

以上、宗教の定義について長々とこだわってきたのは、実は以下に述べる、宗教が排他的であるべきか包括的であるべきかの論点にも重要に関わってくるからです。
そもそも、土俗宗教や古代宗教など、霊性探求や思想体系とあまり関係のない宗教は宗教ではない、などとごっそり切り捨てる立場をとっていれば、十分な包括などできるはずないのですから。

【本来、宗教は排他的か?】
>>?、つまり他の思想の排斥は宗教のマイナス面であり、本来目指すべき「高等宗教」にはない方が良いものではないでしょうか
>柔軟な精神は勿論大事です。しかし、強い信仰を維持するためにはどうしても譲れない線があると思います。例えば、スピリチュアリズムであれば、苦の克服により霊性を向上させるという真理、罪の自己責任の真理どは、譲れない線であり、この真理を擁護するためには、どうしても排斥的にならざるを得ないと思います。だからこそ、苦の自己責任の思想のないキリスト教をシルバーバーチは手厳しく批判しましたし、この掲示板でも、一>部(あるいは大部分の)ニューエイジに対し批判的なのだと思います。


ここからの論点が本番ですね。おそらく、ヨシさんも、これを論じたかったのかと思います。スピリチュアリズムの性格や路線をどう規定するかという問題と密接に関わる議論ですから。
ただし、その議論の前提に宗教の定義がしっかりしていないと論点がかみあわなくなることも、くどいようですが改めて述べておきます。ゆえに、ここに至るまで、かなり長い精緻な議論をしたことも決して無駄ではなかったと思います。

さて、ヨシさんは、宗教は「?その独自の思想体系を有する。その思想体系に反するものは排除しようとする。」(2940等)とおっしゃるわけですが、僕は前に述べたようにそうは思いません。
むろん、たとえば「苦の克服により霊性を向上させるという真理、罪の自己責任の真理」といった信条がキリスト教と相反する場合などのように、ある宗教の信条と相反する信条を他の思想が持っている場合、そのことについて相手を批判することは当然ありうるでしょうし、また必要なことと思います。
しかし、自分の立場から相手の思想に対し一定の価値解釈をすることで済むわけで、決してそれがゆえに相手を全否定しなければならないということにはならないと思います。
相手の足りない部分を補う、あるいは部分的に相手の間違ってるところを批判する、といった態度に限定できるわけであり、決して排除まで行き着く必要はないと思います。

排除というのは、たとえばキリスト教や日蓮宗が自分の宗教・宗派と異なるものは全否定することではないでしょうか?
キリスト教や日蓮宗が、いかに他の宗教に対して悪口雑言を尽くし、全否定するかは見てて甚だ気分の悪くなるものがありますが、このようなものは宗教にとって決して必要不可欠なものなどではなくて、かえって大きな損失をもたらしかねないものと思います。
そういう排他的姿勢ではなくて、部分的にこの部分は正しいけれど、この部分は間違っている、という姿勢もありうると思います。
この後者の態度を、排除ではなくて、包括と呼んでよいかと思います。
(たとえば、空海は自分以外の宗派を、それぞれに部分的な真理も含んでいて、ただし高低の段階があるということを述べて、間違ってる部分や足らない部分をあげ、かつ良い部分もあげているわけです。これなどが包括型の例として挙げられると思います。)
スピリチュアリズムは、キリスト教の良いところや、他の地域におけるさまざまな霊的働きかけの価値を認めているわけですから、単純な排除ではなくて、包括的なものとみなすべきではないでしょうか?
僕が、大乗仏教の価値を繰り返し説き、ニューズレターに見られるような原始・部派仏教における仏陀の思想を批判するだけで、仏教全てをキリスト教より低いだとか誤ってるとみなすのは大間違いだと指摘しているのも、今までの歴史上の良かったものはなるべく正当に評価して包括することがスピリチュアリズムの発展につながるという僕の立場からです。
この議論は、2930でストップしたままの大乗仏教の位置づけにも密接に関わる議論ですし、ニューエイジにどう臨むかという問題にも密接に関わる議論です。
実のある議論が活発にできればなと思います。

 


2981 ヨシさん
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年10月09日 (木) 17時16分30秒


追加も含めてご丁寧にご返事いただきありがとうございます。
イスラムの国の話とても 感動しました。 たしかにそういうものなのですよね。

日常的には何をどのようにも選択できることが多くて 様々に迷うのです。単に優柔不断なのではないとおもいたいです。そのような状況に 其れも試練なのでしょうが、おかれることが多いのです。

自由意志、と、見守る度量の深さと理性、偶然などない、という観点ですね。 やっぱり相当難しいことには違いありませんが、納得できました。  

お返事にあったように霊訓1巻を もう一度どよみかえします。 (第1巻が実は1番難しかったのでした。)

 


2980 光のシャワーさん(追加)
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月09日 (木) 15時08分16秒

すみません。光のシャワーさんの2977の投稿を見ないで、2978を投稿してしまいました。

>自己責任において霊性向上に奮闘努力している人に安易に手をかしたりしては、いけな>いし、自分にもまたしかりということでしょうかね。たすけないのではなく 見守る、>あたり。

私も同感です。しかし、その時の判断というのは本当に難しいし、厳しいですね。

それから、シルバーバーチは「あなた方は常にリラックスし、受け身的で穏やかで平静で、しかも奥に自信を秘めた状態であらねばなりません。その状態である限り万事がうまくいき----」(霊訓一巻、48ページ)と言っています。私は、何か判断しようとするときは、この霊訓を思い出すようにしています。←この実践も大変難しいし、厳しいものがありますがーーー。

>みんな これは霊性向上に絶対必要だと信じていているけれども、必要でないもの、あ>ってはならないものがあるのではないのか? と思ったりしています

偶然はないし、すべて必然だと思っていますので、我々の目から見て、必要でないと思うものでも、霊的な次元では必然があって生じたものと考えています。(サラさんの仰る>自分の目の前に来たこと=どうしても直接、関わらなくてはならないこと・・・がしなくてはいけないことです、も同じ事を言っていると思います)

 


2979 サラさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月09日 (木) 14時51分48秒

私はサラさんがUFOや宇宙人を見たと仰ることは本当なのだと思います。たぶん、サラさんは霊視のできる霊媒体質をもった方なのでしょう。

睡眠中に霊界に行った時の記憶の残像と、サラさんが無意識のうちに抱いている宇宙人、UFOのイメージが重なって、宇宙人を某スーパーのレジで見た、UFOに乗った、と思ったのかもしれません(←単なる私の推測ですので、念のため)

しかし、そのように思ったことと(あるいは霊視で見たことと)、現実に宇宙人を見た、UFOに乗った、ということは全く違う次元の話ですので、峻別しなければならないと思います。

もし、現実の世界の中で、見た、乗ったと仰るならば、厳格で、説得力のある証拠をサラさんが提示しなければ、それこそトンデモの話になります。このような公共性のある掲示板で、そのようなことを仰るには、発言に対する、それだけの責任が伴うと思います。

 


2978 光のシャワーさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月09日 (木) 14時28分57秒

●>貧しい状況とか、ここら辺でたすけてあげたいとか助かりたいとおもうときに、其れが必要なのか、必要でないのかのあたりです

敢えて言えば、その時、その人の直感、良心が基準になるかもしれませんが、これはこうだというような外部から与えられる一律的な基準はないと思います。

その時、その時、その人が考え、悩みながら判断することではないでしょうか。それがシルバーバーチなどの高級霊訓が強調している「自由意志」の問題なのだと思います。

私もこのような「自由意志」などなくて、誰かから指示があって、その通り行動した方がよっぽど楽だと思うことが多々ありますが、こればかりは人間の霊的成長のため、神のご意志でできた摂理ですので、仕方がないとあきらめています(笑)

●話は変わるのですが、「悩み」について、以前ある本で感動的な箇所を読んだ事がありますので、ご紹介します。(若干記憶違いがあるかもしれません)

あるイスラム教の国での話ですが、ある小学生が、学校でいじめられたりして悩んでいたそうです。そして、その少年がアラーの神に「いつになったらこの悩みがなくなるのでしょうか?」と毎日毎日祈ったのだそうです。そして、ある日、その少年が眠っているとき、アラーの神が現れて、「いいのだ。悩んでいいのだ。悩むことが私の答えだ」と言ったそうです。その少年は、その回答に大変満足して、その後の日々を過ごした。

という話です。私はこの少年はなんと立派な人物かと、心底思いました。

 


2977 サラさん ヨシさん 
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年10月09日 (木) 14時20分22秒


サラさん
わからないことの早速のご回答ありがとうございます。
確かに、目前のことを引き延ばしがちな私にとって、本当にとても必要なアドバイスです。

ヨシさん
ヨシさんのラフィエルさんへ2975 本来宗教は排他的か のなかに、スピリチュアリズムの特徴として、苦の克服により霊性を向上させるという真理、罪の自己責任の真理 という文章を見て、私への解答を目的とされていなくても、考え方の見本として、というか、結構本質的なことでも私は、疑問に想っていたのだと知りました。 

自己責任において霊性向上に奮闘努力している人に安易に手をかしたりしては、いけないし、自分にもまたしかりということでしょうかね。たすけないのではなく 見守る、あたり。でも、しないですむ苦とは?

みんな これは霊性向上に絶対必要だと信じていているけれども、必要でないもの、あってはならないものがあるのではないのか? と思ったりしています。 そんことないよ といわれそうですが。

 


2976 きりこさん and 光のシャワーさん
名前: サラ  投稿日: 2003年10月09日 (木) 13時12分14秒

きりこさんへ

まだ何も起こらないうちから危険が伴うかもしれない・・・?
あなたはそうあって欲しいと思いますか(!?) それともなるべく穏便に業務に携わりたいとお思いですか(!?) 後者のほうでしたら何も思わない・考えないことです!! 前者が浮上してきたらなんでもよいので・・・例えば、今日は何を食べようかなア? とか 楽しく業務をこなしているご自分の姿をイメージ(ビジュアライデーション)してみて下さい。また浮上したら同じようにしてください ◎シルバーバーチのCDブックを流しているだけでも効果絶大!!(音無しでも波動は変わりありませんのでよろしかったらお試しを! 曲にもよりますが他の曲でもO・K)忘れそうでした必要なレッスンであれば来ます・・・が、ご安心を!!きりこさんが越えられるハードルです!! よろしかったらですが参考にして頂ければ幸いです


光のシャワーさんへ

自分の目の前に来たこと=どうしても直接、関わらなくてはならないこと・・・がしなくてはいけないことです。

しなくてもよいこと(苦労など)
上記以外のことでどちらでもよい場合。
よろしかったらですが参考にして頂ければ幸いです。


サラは失敗をしてしまいましたー!! が〜ん!! 今、息子からアドレス公開してるヨー いいの? と聞かれてわ〜ん!!と涙が(!?)・・・いいもン!!今まではしょうがないけどサ・・・どうせ息子達が勝手に私のアドレスを知らないうちに作りプレゼントがいくつか送付されてきた恩恵があったけ・・・はい!!わたしの責任でござりまする。

 


2975 らふぃえるさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月09日 (木) 12時16分05秒

●分かりにくいというご指摘もありましたので、なるべく睡眠薬にはならないよう気をつけて書きたいと思います(笑)。

【定義について】
>それでは、宗教一般の定義は?いわゆる「聖なるもの」の探求?人生の究極的な問題への応答、という定義でよろしいですね?

この定義を考えるときは、どうもあらかじめ「宗教」という既定の概念があって、そこに定義を当てはめるので、人によって定義の仕方が違ってくるのではないかと思います。らふぃえるさんは広く宗教をとらえていると思いますが、私の場合は、宗教をもっと狭く考えていて、「信仰」(どのようなことがあっても自分は信じた思想(宗教)を信じ抜く。その信じ抜くことで、神に近づくことができるというような意味での強い信仰)の要素のないものは果たして宗教といえるのかと思っていますので、やはり?整合性のある思想体系をもっているもの、を入れたくなります。つまり、そこまで強い信仰を維持するためには、寄って立つ思想体系が不可欠だと思いますので。(私は神道についてはよく知りませんので、神道がこの定義に当てはまるかどうかについては分かりません)

いずれにしても、この定義については、らふぃえるさんなり、私なりがアプリオリに持っている概念によって変わってくるのかなと感じます。

それから、この話については{投稿:2940}で私が問題提起したのが始まりだったと思いますが、そこで私が「スピリチュアリズムの意義・位置づけをより明確にするためにも、ニューエイジの議論と同時にしてもいいのではないかと--」と書いたように、当初から定義の議論を目的とするものでなく、スピリチュアリズムの意義・位置づけをより明確にするためのものでした。らふぃえるさんが{投稿:2958}で「宗教の定義」と題して回答くださった時に、そのことを指摘すればよかったのですが、その時は私も定義議論に参加してしまったためご迷惑をおかけしました。
ただし、らふぃえるさんとの議論の中で、一般に言われている宗教の中でもいろいろなレベル・種類があるので、その中での区分けをしなければならない場合もある、ということが分かってよかったと思っています

【本来、宗教は排他的か?】
>?、つまり他の思想の排斥は宗教のマイナス面であり、本来目指すべき「高等宗教」にはない方が良いものではないでしょうか

柔軟な精神は勿論大事です。しかし、強い信仰を維持するためにはどうしても譲れない線があると思います。例えば、スピリチュアリズムであれば、苦の克服により霊性を向上させるという真理、罪の自己責任の真理どは、譲れない線であり、この真理を擁護するためには、どうしても排斥的にならざるを得ないと思います。だからこそ、苦の自己責任の思想のないキリスト教をシルバーバーチは手厳しく批判しましたし、この掲示板でも、一部(あるいは大部分の)ニューエイジに対し批判的なのだと思います。

【この議論の重要性】
私は他の宗教(あるいは、ニューエイジでもいいですが)と比較してスピリチュアリズムの特徴は何か(魅力のある点、嫌われる点)、現代という時代の中での位置付け(霊界側からの働きかけはどのように行われているか、など)を考えることは大変意味のあることだと思っています。従って、私としては、私からの一方的な発信になってもいいので考えたことをこの掲示板で発言していきたいと考えています。

●うーん、やっぱり難しくなってしまいました。もっと分かりやすくしたものを工夫してみます。

 


2974 わからないこと
名前: 光りのシャワー  投稿日: 2003年10月09日 (木) 11時31分46秒


シルバーバーチの霊訓のなかに、霊性向上のために苦労はしなくてはならないものであるけれども、しないでもいい苦労をしている部分もある、それを取り除かなくてはならない、取り除いてあげたいというところがあります。(巻、頁ともにわすれ)

しなくてはならない苦労、しないでもいい苦労のあたりがおわかりの方、ご回答お願いします。

本来直感で分かることなのかもしれませんが、物事をスピリチュアリズムの光であててみると、たとえば、延命措置も、あまりにもこだわる必要はない、とか、死体を保存する必要はないとかはわかるのです。

貧しい状況とか、ここら辺でたすけてあげたいとか助かりたいとおもう
ときに、其れが必要なのか、必要でないのかのあたりです。

 


2973 あゆさん、ヨシさん Thank you !!
名前: サラ  投稿日: 2003年10月09日 (木) 02時18分51秒

スピリチュアルリズムに興味を持ったのは20年前位からですが・・・本当は幼稚園のころから不思議な体験をしていました。小学校5〜6年のころ数人で登校中にUFOを目撃しています(もちろん大人達は信じてくれませんでしたが) みなさんきっと笑うでしょうが(笑ってちょうだ〜い!!)・・・同じ頃に「もし自分が今死んでしまったらこの地球はどうなるのだろう?」と真剣に考えていたことがありま〜す。 今なら自分の役割とリンクします。 ごめんなさーい!! 宇宙人のことですネ。 いっぱいいっぱい疑ってくださ〜い。サラ自身は気付いたときにはすでに違和感がなく自然のことでしたので疑うことはありませんでした。ただ、反対の役割を演じているものは巧妙で本物か偽者(霊的)かの見極めは必要です!! ある時期、必要で四六時中視えっぱなしのときもありましたので・・・正直、こんな経験したくな〜い!神様イヤダ!!と泣いたことも何度かある。その度に神様方が怖がらなくてもよいヨ☆と言って私たちに馴染みのある姿で微笑んでくれるのです。必要であればイエスもきます。まだ泣いてた頃の17〜18年前位(!?)に光が降ってきて等身大のイエスが来てくれたことはいまだに忘れられません。何度も来てくれました。「みなさ〜ん!! 神様がたは視えない・感じなくてもはいつもサポートしてくれていますヨ!!」これも体験ですが生命の樹をやめる数年前だから十数年前のことです。宮澤賢治の朗読劇に出ていてワーオッ!!宮澤賢治が来てくれている・・・感激!! だから諸先生方が言われているように(書かれているように)本当だー!!本を読んだりその関連をすると来てくれるんだ〜!!と認識した。but、興味本位で視たいと思うと落とし穴がいろいろありますので要注意!!   宇宙人に戻りますがサラの場合は普通に生活しているときや音楽を聴いているとき、イシャヤ・アセンション・アテチュード(目を開けていても瞑っていても安全な瞑想で信じても信じなくてもよい。余談ですがいろいろな瞑想を今までやってみて私的には簡単でgood!!)などをしているときに目撃します。スンマセン特定致しませ〜ん!! ちなみにサラは地球のある銀河ではなくアンドロメダ大銀河(M31)の中のトリシーという星で6次元から来ました。 信じなくてもよいのですヨ! 疑ってくださ〜い!!

 


2972 そう言う意味じゃなかったもので・・・
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月09日 (木) 02時03分56秒

私は、量子論書き込みしましたが、掲示板の主旨と違うことを書いたかな?と自分に対し書いたまでのこと。
気に障りましたら、訂正します。
議論自体は大変有益ですよ。

私は、今後業務で(公務)、今後新規事業を始めるのですが、もしかしたら暴力団などの不当利益要求等にさらされる危険性があり、心配で頭が一杯・・・

 


2971 ヨシさん
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年10月09日 (木) 00時39分29秒

>2967

それでは、宗教一般の定義は?いわゆる「聖なるもの」の探求?人生の究極的な問題への応答、という定義でよろしいですね?
(宗教一般の定義を求めるのでないならば、まずはっきりとそのことをおっしゃる方が議論がしやすかったのではなかったかと思います。
もちろん、議論する中で思考が整理されたというのであれば、嬉しいことですが。)

そのうえで、「高等宗教」の定義として、ヨシさんのおっしゃる三つの特徴があてはまるかを考えてみたいと思います。
(霊性探求などの特徴を持たない宗教を下等と言ってしまっていいかは疑問ですが、とりあえずスピリチュアリズム的な価値観に基づいて、霊性探求を具備する宗教を高等とみなすことには僕も異存はありません)。

?人間・物質界以上の絶対的存在(神あるいは法則の存在)を信ずる。
?その絶対的存在を信ずることによって精神・霊性の向上を図ろうとする。
?その独自の思想体系を有する。その思想体系に反するものは排除しようとする。

僕は、?と?を持つものを高等宗教とみなすことに異存はないのですが、?が必ずしも伴わなければならないものか甚だ疑問です。
たしかに、キリスト教や日蓮宗は、?を強烈に伴っていますが、多くの仏教諸派やスピリチュアリズム、またニューエイジ・トランスパーソナル心理学は、結果としてキリスト教などと相容れない場合もあるでしょうが、あまり自ら排他的な価値観を称揚することはないのではないかと思います。
実際、仏教諸派は神道や道教と共存し融合してきた長い歴史があります。
?、つまり他の思想の排斥は宗教のマイナス面であり、本来目指すべき「高等宗教」にはない方が良いものではないでしょうか?

まあ、それにしても、このような議論は皆さんからあまり好まれず、眠くなる方もいらっしゃるようなので、真面目に議論して眠いと言われるほどやる気をそがれるものもありませんので、あまりニーズが無いようであれば、そろそろ打ち切っても良いかと思います。

 


2970 うーーーーむーーー・・・・
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月08日 (水) 21時53分08秒

ヨシさんとらふぃえるさんの議論、すごく難しい・・・

読んでいるうちに眠くなってしまった・・・(しつれい)

って、私の量子論の方が眠くなったかな?

ま、秋の夜長の不眠には良いでしょう・・・・

 


2969 疑って、疑って、更に疑う姿勢が重要と思います
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月08日 (水) 14時52分53秒

私は宇宙人やUFOの存在を否定するものではありません。UFOはともかく地球以外にも真理を探究する知的生命は存在すると思っています(それが神の意志だと思いますので)。

しかし、このような話はトンデモものに陥りやすいので、検証の上にも検証を重ねなければならないと思います。

例えば、サラさんの宇宙人にあった、UFOに乗ったという体験談であれば、どこで、いつ、どのような状況下で、周りに誰がいたか、その時サラさんはどのような精神的・身体的状態であったかなどなど、疑って、疑って、さらに疑って検証すべきです。

さもなければ、興味本位に走り、大変危険だと思います。

 


2968 サラさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月08日 (水) 14時26分44秒

サラさんの、躍動的な文章にはいつもうらやましく思います。私は無味乾燥な文章しか書けなくてイヤだなーといつも思っています。

さて、サラさんが宇宙人に会った、UFOに乗ったというような話は正直言って、私にはどうしても理性が反発するし、申し訳ない言い方ですが、トンデモものとしか考えられません。

私はサラさんに文句を言うつもりは毛頭ないのですが、正直な気持ちを申し上げました。お気に障ったらすみません。

 


2967 らふぃえるさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月08日 (水) 14時18分53秒

●>最初に確認したいのは、ヨシさんは、宗教の定義を求める議論をし>ようとおっしゃってますが、そもそも何が目的かということです。
→私もこのことを言わなければならないと思っていました。私の目的は宗教の定義をここで明確にすることよりも、むしろ他の宗教あるいはニューエイジとスピリチュアリズムを比較することで、スピリチュアリズムの意義・位置付けをより明確にすることにあります(そうすることにより、でき得ればスピリチュアリズムの良さを再認識し、スピリチュアリズムへの信仰を強めたいいう願望もあります)。
→私の知っている宗教は、私が今まで実践したことのあるキリスト教と仏教(仏教と言っても私が実践した日蓮系の仏教に限りますが)、そして理解は非常に浅いですが外国の友人が実践していたイスラム教だけです。正直言って、その他の宗教については、私はよく知りませんので、宗教全般との比較は私の力量を超えるものですし、宗教全般の定義ということであれば、宗教学の専門的な分野の議論としてした方がいいのではないかと思います。
→したがって、私としては、私及び本掲示板参加者がよく知っていると思われる宗教、あるいは私たちが日々実践し目的としている霊的成長の観点から、スピリチュアリズムと比肩しうる宗教との比較という観点から議論したいという気持ちを持っています。(ただ、残念ながら私は神道のことはよく知りません)

●以上の観点から、私がとらえる宗教(霊的成長を大きな目的とする宗教。しかし、私のよく知っているキリスト教及び仏教に偏った考えになるとは思います)の特徴点・共通点は以前書いたように以下のポイントがあると思います。なお、以前は「定義」としましたが、「特徴点・共通点」と致します。
?人間・物質界以上の絶対的存在(神あるいは法則の存在)を信ずる。
?その絶対的存在を信ずることによって精神・霊性の向上を図ろうとする。
?その独自の思想体系を有する。その思想体系に反するものは排除しようとする。

●私はスピリチュアリズムはこれら3つの特徴点・共通点を持つということで、らふぃえるさんと同じくスピリチュアリズムは宗教と言っていいと思っています。

また、これら宗教とスピリチュアリズムの差異ですが、らふぃえるさんが仰るように、
>教会や寺院等の組織を持たないという点
は大きな特徴だと思います。
この他に、「教祖を持とうとしない、持つことを拒否する」、「個人の理性的判断、自由意志を尊重する(盲信を避けようとする)」、「組織を持たない、持つことを拒否する。しかし、緩やかな組織・集まりの中での信仰の深め合いは許容する」、「他の思想を排除するといっても、既存の宗教のような攻撃的・暴力的排除はせず、理性による対話あるいは霊的条件が整うまで待つという穏やかな方法をとる」点も他の宗教にはない特徴点だと思っています。

これらが、スピリチュアリズムを魅力あるものとする反面、厳しい教えととらえられる点だと思います(自由意志に任せられることや、組織を持たずに信仰を維持することは大変つらいことです)。

また、このような事ができるようになったのも、例えば私たちがインターネットを使ってこのような議論をしているわけですが(緩やかな組織における信仰の深め合い)、このような条件整備も現代における霊界側の働きかけと見てもいいかもしれません。その意味では、ニューエイジの普及も霊的なことに関心を持つ人を増やす(底辺を底上げする)という意味で、意味のあることではないかとも思います(だからといって、上記にも述べたように、スピリチュアリズムの思想に反するものについては、理性を踏まえた議論・説得をしていく必要はあります)。

●その他、らふぃえるさんが長文でご指摘くださった諸点は私にとって回答できないものもあり、また議論を進めたいものもありますが、これらは今後の課題とさせて頂きたいと思います。

 


2966 サラさん、ありがとう!
名前: あゆ  投稿日: 2003年10月08日 (水) 14時01分20秒

サラさんの貴重な体験を聞かせていただいてありがとうございました。
実は私の知人でもサラさんとまったく同じような体験をされた人がいて、
私も霊的真理を勉強しながらも興味がわいてきたところです。
その方はやはり霊視もできますので、何か繋がりがあると思えてきました。

サラさんの、時期が来た時に・・と何らかの意味があるなどの事が響きました。

夜空を見上げながら壮大な神様が作られた世界を思うと、日頃の些細な事は気にならなくなってきますね。

 


2965 う〜ん
名前: あまり  投稿日: 2003年10月08日 (水) 11時34分19秒

私はここ数日、ペーパーバーチさんのお嬢さんが、ことしは泣かずに楽しく運動会を終えられたかどうかの報告があるかな?とワクワクしながらサイトをのぞいているのですが、掲示板の急流には ほとりでたたずんどります。

知識の少ない者にはニューエイジ論は「そういうものか・・」と読ませていただきますが、量子論やアミラーゼいやヌミノーゼなんかがでてきたらとてもじゃないですがついてゆけません。
さすが某スーパーのレジで宇宙人をみましたという論(?)には、全くわたしの理性が反発し得心しませんが。

ペーパーバーチさんが幼いお嬢さんと抱きしめあって「ああシアワセ」とつぶやく若い(?)パパの愛の念こそ、こむずかしいこと抜きのスピリチュアリズムの基本の基だと感じています。
身近な家族や友人に、もっと愛をもち表現しようと素直に思わせてくれたのが私にとって「霊訓」でしたので。

こむずかしい「知識」も必要なんだし、タダで学べてお得だわとついてゆきますのでよろしく。

 


2964 ヨシさんへ
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年10月08日 (水) 10時54分23秒

ヨシさん

>2960.2962

最初に確認したいのは、ヨシさんは、宗教の定義を求める議論をしようとおっしゃってますが、そもそも何が目的かということです。
僕は、あらゆる広範な宗教現象を定義できる定義を目指しての考えるところを提案したのですが、
ヨシさんが、おっしゃるところの「高等宗教」にあてはまらない下等なものは宗教じゃない、とか、シャーマニズムや土俗宗教は話がややこしくなるから排除したい、とおっしゃるようでは、そもそも話がかみ合いません。
僕は何も議論に勝ちたいがために議論をするわけではなく、宗教というものについて納得のいく定義を深めたいと思ってるだけなので、ヨシさんが宗教の定義が目的ではなく、「高等宗教」のみの定義に関心があるなら、「宗教の定義」としての議論は不適当だと思うので、まずその点の御回答をお願いします。

そのうえで、一応「宗教の定義」に関する議論をしているものとみなして、以下に御指摘・御質問のあった点に関して僕の考えを述べます。

・ >この定義の中に3.整合性のある思想体系を有すること、を入れなくていいでしょうか? 
そもそも、整合性のある思想体系とは何を指すのでしょうか。くりかえし申しておりますように、そんなに立派な思想体系を持たない宗教は世の中にいくらでもあると思います。そもそも、神社神道にいったいどのような思想体系があるのでしょうか?

・ (1)>儒教や仏教は必ずしも神を説かない宗教ですし 
>神を説かなくても「宇宙の絶対的法則」は説いているのではないでしょうか?

たしかに仏教は宇宙の法則性を説いてますが、神は必ずしも説きません。儒教はそもそも神も法則性も説いてないと思いますが、儒教における「法則性」とは何ですか?ちなみに道教も後世のものはともかく、「老子」を読む限りそもそも法則性の探求自体があるように思えません。
 念のために確認しておきますが、ヨシさんのおっしゃる「法則性」とは何なのでしょうか?また、神も法則性も両方なければ宗教ではないのか、そのどちらかがあてはまれば宗教に値すると思ってらっしゃるのでしょうか?

・>(2)御利益宗教
単に神社にお参りして御利益をお願いするなどという単なる儀式のたぐいは別にして、御利益だけを求める宗教ってあるのでしょうか(私はないと思います)。確かに御利益に重点を置く宗教はあると思いますが、いやしくも人生をかけてある宗教を信ずるならば御利益だけを追求し続けるということはあり得ないと思っています。牛に引かれて善光寺参りという言葉がありますが、最初は御利益だけでもそれだけを追求すれば必ずどこかで破綻が来るし、その時さらに信じ続けようとすれば、その時にこそ、その人にとって何らかの悟>りのたぐい(=霊的な成長)を得るのではないでしょうか。

まず、神社や道観へ御利益を求めに行く行為が、単なる儀式なのか宗教なのか、その点にヨシさんと僕とで見解が全く異なっています。初詣に霊性向上を求めて行く人は非常に少ないでしょうが、しかし単なる儀式で行く人も少ないんじゃないでしょうか。なんらか人間を越えたものへ、御利益を求めに行くわけですし。人間同士の儀式とは全く異なるものでしょう。神社への参拝を宗教ではないとおっしゃるとすると、じゃあ神道は宗教ではないのでは、という問題に行き着くと思いますがいかがでしょうか?また、この壷を買えば幸福が、みたいな宗教もいくらでも昨今あると思いますが、それが「高等宗教」にあてはまるかどうかは全く疑問ながら、単なる通常のビジネスでは成り立ちえない非合理な売買であることを考えれば、当然単なる「商売」の言葉で片付けるわけにはいかず、宗教のからんだものとみなさざるをえないでしょう。

・ >(3)共同体の維持のための宗教
私はこのようなものは、宗教でなくむしろ共同体維持のための規則・規律として分類した方がいいと思っています。

単なる共同体維持のための規則、であれば、世俗的な法律や慣習もそうなりますが、それとイスラムやユダヤ教やその他のそういった類のものとは全く異なると思います。
その厳格性や当事者の意識からしても、「神の罰」を恐れるのであり、世俗的な警察や司法機関の罰を恐れるものとはまったく異なります。
しかしながら、それらの宗教が個人の霊性開発を言ってるかと言うと、そうでもないと思います(前述したとおり、スーフィーとカバラは例外です)。

そもそも、霊性の探求といった類のことは、宗教現象の中では当初には存在しなかったことで、古代エジプトやシュメールなどなどの宗教は、個人の霊性などほとんどの場合探求していなかったでしょう。日本の神社神道の大半もそうだと思います。
仏陀やキリスト、といった個人の霊性探求を求めた宗教家はかなり人類の歴史がくだってから現われたと見るべきですし、仏教やキリスト教においても、中世においては僧侶階級が知識を独占して、庶民には直接的な霊性探求を妨げ、結果として単なる御利益宗教や共同体維持のための宗教として機能するパターンが往々にしてありました。
それらを宗教ではない、ということは勝手ですが、その場合、大半の宗教現象とその歴史の多くを切って捨てることになると思います。

・(4)>たとえば日本では神道と仏教はお互いに融和して神仏習合が起こっていましたし
確かにそうですね。宗教どうしが影響しあって、融合することはあると思います。しかし、(あいまいな言い方で申し訳ありませんが)ある程度確立した思想体系を作った場合には、他の思想を排斥しようとするものだと思います。
つまり、宗教にとって信仰は不可欠のものですが、特定の信仰を持つならば、それに反する他の信仰とは相容れず、反発するのは不可避だからです。
   私の?の定義には「その思想体系に反するものは原則として排除しようとする」と>したほうがいいかもしれません。

いや、ですからそうおっしゃるなら神道は宗教ではない、ということになりますが、それでいいのでしょうか?

(5)>三つの定義がなぜニューエイジにあてはまらないかも疑問です
ニューエイジ全体を私は網羅して勉強していないにも関わらず、全てのニューエイジに当てはまるような言い方は間違っていたと思います。すみません。らふぃえるさんがこれら>3つの定義に当てはまるニューエイジの思想をご存じでしたら教えて下さい。

私も全てのニューエイジを学んだわけではありませんが、?と?があてはまるニューエイジはいくらでもあると思います。というか、ほとんどそうだと思いますし。
シャーリー・マクレーンのような、やや「トンデモ本」ぽい内容を含むものでもそうだと思いますし、トランスパーソナル心理学やワイスやゴラスでもそうではないかと思います。
?の点ですが、ニューエイジの方から他の宗教に排撃的な立場をとることはほとんどないのではないかと思いますが、結果としてあまりにキリスト教と異なるために、キリスト教と対立するということが起こっていると思います。
というわけで、三つとも当てはまると思いますが、いかがでしょうか?(もちろん、その法則性の認識の是非となると議論の余地があるでしょうが)。

●ところで、らふぃえるさんはスピリチュアリズムは宗教だと思いますか?

僕は、自分の定義に従えば、問題なくスピリチュアリズムは宗教と思っております。
なお、個人の霊性探求の強調と、教会や寺院等の組織を持たないという点で、現代社会に対応する形の興味深い宗教現象であり、他の宗教よりもその二点の共有という点ではニューエイジと近いものと思います。

 


2963 量子論について
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月08日 (水) 05時54分52秒

量子論及び最先端宇宙論に興味があれば、
NHK出版教会「宇宙未知への大紀行 第四巻 未来への暴走」

を購入して、読んで見てください。

面白いです。

量子論の学術書は、おなじNHK出版の「アインシュタインロマン」が入門としては良いですよ。
「未来への暴走」も、「アインシュタインロマン」も、物理学の素人であるNHKッスタッフが自分なりに必死に取材・勉強し、ビジュアルを駆使して書いていますので、わかりやすいです。

ぜひ、当掲示板のアマゾンへのリンクからアクセスして購入しましょう!!
サイト運営を頑張っているペーパーバーチさんに協力しましょう(笑)!!

物理学者が書いた本を最初に読むのはお薦めしません。
難しくって・・・寝てしまいます・・(大笑)!!秋の夜長の不眠には良いですが・・・

ところで、量子論の多元宇宙と言う概念は、理論でのみの話ではなく、その現象を実用しようとしている段階です(汗)・・・

それが、IBM研究所が開発中の「量子コンピューター」です。
いまのコンピューターは、我々の宇宙でのみ計算作業を行いますが、「量子コンピューター」は、無限にある宇宙で同時に計算させることで処理スピードを圧倒的な処理速度を目指すと言うものです。
現在、IBMでは簡単な計算を実施することに成功させ、それをはるかに新化させようとしています。
多元宇宙を活用したコンピューター・・・・オカルトです!!!
理論的には何故できるのかよくわからんそうですが、実用段階も視野に入っているそうです。

最先端物理学は、じっさい、変なトンデモよりも遥かにトンデモです(大笑)!!!!

霊的書物もだいじでしょうが、ぜひ、物理学の本も読んで見てください。

なお、繰り返しますが、そのさいは、当掲示板を経由して購入してくださいね!

 


2962 宗教について
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月08日 (水) 00時39分32秒

たびたびすみません。

宗教を考えるときは、シャーマニズムや土俗宗教のようなものまで含めるから、定義などがややこしくなるので、「人間の霊的な成長を目的とする高等宗教」に限って、考える方がすっきりとした議論ができるのではないかと思います。

 


2961 Cere fica さんへ
名前: サラ  投稿日: 2003年10月08日 (水) 00時31分35秒

私も皆さんのご意見とても参考になりました。
きりこさんの量子論にワ〜オッ!!

「霊的真理と科学の接点もそう遠くない話かもしれませんね」に付いてです

が・・・  量子力学では念写について桜美林大の学会で発表があり参考資料

を頂きました。その時の先生の名前は忘れてしまいましたが、学会に知人が出

席するというので6〜7年前位(!?)だったと思います

 


2960 らふぃえるさん
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 23時07分11秒

●>僕は、宗教は、
>1.「ヌミノーゼ」を求めるもの
>2.人生における究極の問題への応答、ないし不条理を受け入れやすくするもの
>の二点が認められるものと思っています。

⇒なるほど、このような観点から宗教をとらえるという視点は、私が今まで考えなかったことで勉強になりました。ヌミノーゼとは、他の言葉で表せば、絶対的なものに対する「畏敬」、「畏怖」ということでしょうか。
しかし、この定義の中に3.整合性のある思想体系を有すること、を入れなくていいでしょうか? さもないと、特定の宗教を信じていない人でも、日常生活の中で、ある時ふと絶対的なものの存在を感じたり、至高体験をする場面があり、そのことによって人生の深い問題を悟ったという体験があると聞いていますが、このような体験も宗教となってしまいます。(宗教的体験ということでくくってもいいかもしれませんが)

●私の提案した定義につき、らふぃえるさんが指摘されたことは多岐に渡り、それぞれが絡み合っているのでコメントしにくいのですが、
(1)>儒教や仏教は必ずしも神を説かない宗教ですし 
神を説かなくても「宇宙の絶対的法則」は説いているのではないでしょうか?
(2)御利益宗教
単に神社にお参りして御利益をお願いするなどという単なる儀式のたぐいは別にして、御利益だけを求める宗教ってあるのでしょうか(私はないと思います)。確かに御利益に重点を置く宗教はあると思いますが、いやしくも人生をかけてある宗教を信ずるならば御利益だけを追求し続けるということはあり得ないと思っています。牛に引かれて善光寺参りという言葉がありますが、最初は御利益だけでもそれだけを追求すれば必ずどこかで破綻が来るし、その時さらに信じ続けようとすれば、その時にこそ、その人にとって何らかの悟りのたぐい(=霊的な成長)を得るのではないでしょうか。
(3)共同体の維持のための宗教
私はこのようなものは、宗教でなくむしろ共同体維持のための規則・規律として分類した方がいいと思っています。シャーマニズムはよく分かりません。考えてみます。
(4)>たとえば日本では神道と仏教はお互いに融和して神仏習合が起こっていましたし
確かにそうですね。宗教どうしが影響しあって、融合することはあると思います。しかし、(あいまいな言い方で申し訳ありませんが)ある程度確立した思想体系を作った場合には、他の思想を排斥しようとするものだと思います。
つまり、宗教にとって信仰は不可欠のものですが、特定の信仰を持つならば、それに反する他の信仰とは相容れず、反発するのは不可避だからです。
   私の?の定義には「その思想体系に反するものは原則として排除しようとする」としたほうがいいかもしれません。
(5)>三つの定義がなぜニューエイジにあてはまらないかも疑問です
ニューエイジ全体を私は網羅して勉強していないにも関わらず、全てのニューエイジに当てはまるような言い方は間違っていたと思います。すみません。らふぃえるさんがこれら3つの定義に当てはまるニューエイジの思想をご存じでしたら教えて下さい。

● 私たちは、宗教のことを簡単に「宗教」、「宗教」と言って議論しますが、このような定義にもいろいろな考えがあることを知ると、簡単に「宗教」とは、と言えなくなることがよく分かります。

●ところで、らふぃえるさんはスピリチュアリズムは宗教だと思いますか?

 


2959 大変参考になりました。
名前: cerefica  投稿日: 2003年10月07日 (火) 22時31分55秒

ヨシさん、きりこさん、あゆさん、サラさん、ご回答ありがとうございます。大変参考になりました。
特にきりこさんが語った量子論は非常に興味深いものでした。
霊的真理と科学の接点もそう遠くない話かもしれませんね!

 


2958 宗教の定義
名前: らふぃえる  投稿日: 2003年10月07日 (火) 21時44分32秒

>2940,2946
?人間・物質界以上の絶対的存在(神・法則)を信ずる。
?その絶対的存在を信ずることによって精神・霊性の向上を図ろうとする。
?その独自の思想体系を有する。その思想体系に反するものは排除しようとする。



ヨシさんの定義は、いくつかの点で疑問があります。
まず、?と?があらゆる宗教に共通とおっしゃってますが、たとえば儒教や仏教は必ずしも神を説かない宗教ですし(宗派によりますが)、シャーマニズムや御利益宗教には法則性を説かない・ないし法則性の認識が極めて未発達なものも山のようにあると思います。
また、宗教が霊性発達を図るとは必ずしも言えず、御利益宗教はもとより、共同体の維持のための宗教(土俗的なものや、いわゆる神社神道などなど。ユダヤ教やイスラム教も、霊性発達より法の実践が重視されてるような気がします(むろん、スーフィーやカバラは例外です)。

なお、?も必ずしもあるというわけではなく、たとえば日本では神道と仏教はお互いに融和して神仏習合が起こっていましたし、中国でも三教一致と言って、儒仏道の一致を説く思想が多々ありました。
ヒンズー教のように何でもとりこんでしまう宗教もあります。

僕は、宗教は、
1.「ヌミノーゼ」を求めるもの
2.人生における究極の問題への応答、ないし不条理を受け入れやすくするもの

の二点が認められるものと思っています。

ヌミノーゼとは、魅すものにして戦慄させるもの、という意味の概念で(要するに聖なるものでしょうか)、よく宗教の定義に使われる概念です。
たとえば、聖地に行くとか、大自然の中の神秘を求めに行くとか、あるいは至高体験とかがあてはまると思いますし、こわいもの見たさというのもある種のヌミノーゼを求める心から起こるものの一種かもしれません。

また、人生における、簡単には納得のいかない不条理、死や人生の意味といった究極の問題に対する応答という面が、宗教にはかかせないと思います。
たとえば、御利益宗教などは、あまり霊性の発達にはなっていませんが、ある種のこうした応答の一種とは見ることができるでしょう。

以上の二点の方が、幅広く宗教というものにあてはまる定義ではないでしょうか?

なお、宗教の定義の疑問とは別に、もう一つ疑問なのは、ヨシさんが挙げられた三つの定義がなぜニューエイジにあてはまらないかも疑問です。
ニューエイジのある種のものは、これら三つのものがあてはまると思うのですが、なぜあてはまらないとおっしゃったのでしょうか?

 


2957 ヨシさんへ
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 21時42分07秒

否定しませんよ。
これだけ広大な宇宙なので、人類より遥かに進歩した生命・文明が存在しないとする考えは、あまりにも非合理的ですし、
次元が異なる宇宙であれば、金星や火星にも文明が存在するかもしれません。

次元の概念ですが、実は最先端の物理学では、結構受け入れられている考え方です。
量子論という分野があると言うことはご存知だと思います。相対論と並ぶ物理学の双璧ですが、光の分野を扱う量子論と言うのは、理論的には全くの未完成です。
にもかかわらず、量子論は、理論的に完成された相対論よりも、遥かに実用的です。
半導体と言うのは、量子論のトンネル効果と言う現象を利用したものですし、量子論の導く現象と言うのは距離や量の概念を超越している所があって、それを活用しようとしているのが、量子通信(IBMやNTTが開発中)です。

でも、この現象も、現象としては実証されていますが、理論的にはあまり解明されていません。
最先端の物理学と言うのは、あんがい、オカルティックです(笑)・・・

ま、難しい話はわたしもわからんのですが(笑)、量子論が当然の帰結として導き出すことがひとつあります。
それが多元宇宙です。
量子論が導き出す宇宙と言うのは、我々の存在する宇宙とは別に、次元の異なる無限の数の宇宙が存在することを示唆しているそうです。

そして、異なる宇宙間は無数のワームホール(超極小なので、気付かないが)で結ばれているそうです。
ワームホールをひろげ、固定化することが出来れば、次元の異なる宇宙間を、行き来することができるそうです。
それを固定する技術と言うのは、「真空の斥力」という、宇宙膨張を引き起こしている未知のエネルギー(これもオカルティック)を使いこなすことが出来れば、十分可能だそうです。

「真空の斥力」を使いこなすと言うのは非常に困難で、人類にはあと数千年必要とか(?)書いてありましたが、相対性理論を突き破ったワープ理論よりは、実現可能性は遥かに高いそうです。

どうです?最先端科学と言うのは、けっこう、オカルティックでトンデモでしょう(大笑)?

地球に来ている宇宙人は、遥かな宇宙の彼方から来ている種族も多いでしょうが、異次元からワームホールを抜けてきた種族が、案外多いのではないか?と思います。
無限にある多元宇宙の中には、金星に生命が発達するに十分な素地があった場合もあるでしょうし、その場合、偉大な文明を築いている次元もあるでしょう。(あたりまえか)

なので、もし金星人というものと接触したと言うならば、その多元宇宙のどこかの金星ではないでしょうか?
この次元の金星には、どこをどうみても文明は絶対に存在しませんけどね。

最先端物理学っつうのは、けっこう、おもしろいですよ。
量子論の導く光の本質と言うのも、非常にオカルティックですよお(笑)!

 


2956 ↓すみません。また、カラ打ち
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 21時03分40秒

すみませーん。タイトルをローマ字にしたまま、enterキーを押してしまいました。

「そうですね。楽しく行きましょう」としたかったのです。

今後ともよろしくお願いします。

 


2955 soudesune.
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 20時59分38秒

>私は前提条件として、この次元・時間ではと言っています
はい。とすれば、我々とは異なる次元の知的生命の存在の可能性については否定されないわけですね。

私はどちらかというと議論は苦手なのですが、理屈っぽいところがあるのでいったん議論が始まると、しつこくなります(笑)。

そうですね。議論は楽しく行きましょう。

 


2954 間違いではないですね。
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 20時30分20秒

私は前提条件として、この次元・時間ではと言っています。

自分の理性に照らして、存在し得ないと思うことを自分の意見として表明することは、間違ったことでは有りません。

わたしは、霊的な事柄については、全て疑うようにしています。そして、自分の知識・理性に照らし合わし、信じるに値するか吟味します。

私も、阿含だのセムヤーゼだのに騙されたことがあるので、霊的話題に付いては十分に疑って、吟味しています。私は、霊的事柄については非常に疑りぶかいです。
基本的には信じません。
たとえ、霊訓に書かれていようと、インペレーターに書かれていようと、ニュースレターに書かれていようと、ただ、そこに書いてあるというだけでは信用しません。

これが私のスタンスです。クローズドスタンス(笑)ですねえ。
野球のスタンスにも、オープンスタンスもあればクローズドスタンスも有りますから、ヨシさんのオープンスタンスとは、スタンスが違うんだということですね(笑)。

個人によってスタンスが違うのは、当たり前のことですし、違うスタンスの人間が沢山いるから掲示板も面白いですからね。

議論しましょう。

ただ、日本人と言うのは、どうも議論が下手というかなんと言うか、激論を交わすと、相手を否定してしまうような(個人攻撃的?)ところがあって、健全な議論が展開しない所がありますね。

議論は楽しくいきましょう!

 


2953 もう一言。二言
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 19時24分09秒

私が言わんとしたことは、
・物質レベルの科学(きりこさんの仰る人類が蓄え、観測した天文学の知識)だけで、頭からその存在を否定することは間違い
・違った観点、レベルからは、その存在もあるかもしれないという、柔軟・開かれた態度(open mindな精神)が必要
・マイヤースの「個人的存在の彼方」などの霊訓に、その存在の記述があるが、私は象徴的にとらえている
・この手の話はトンデモな話に陥りやすいので、十分な注意が必要
ということでした。

 


2952 姿勢の問題です。
名前: きりこ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 19時07分15秒

金星人や水星人についての議論は、無駄ではなかったと思いますよ。

いるかどうかが問題なのではなくて、「自分の理性・知識・常識」に照らし合わせて、妥当か否か、取捨選択すべきかどうか、判断することの重要性を、
しっかりと認識しているかどうかと言うことです。

ただ、金星人がいるかどうかについて議論することは、たしかに無意味ですので、止めてもよいと思います。

 


2951 もうやめましょう
名前: ヨシ  投稿日: 2003年10月07日 (火) 18時55分23秒

金星人・水星人云々の話は、霊的向上に全く益のない話なのでやめませんか。私はスピリチュアリストたる者、何事にもopen mindでということで少し書いたのですが、もうやめましょうよ。

それよりも、せっかく議論になりかけた、ニューエイジ論や宗教論から考えたスピリチュアリズムの意義・位置づけの議論をした方がいいと思います。勿論、その他の真理に関する話や雑談も大歓迎ですが。

 


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