ジンさん、どうも。
さて、何から書いたものか……(^^;。とりあえず、僕は別に怒ったりはしてませんよ。確かに推敲不足の文章を書き散らかされるのは不快ではありましたが、不快感と怒りとは別の感情ですから。内容はともかくとして、誤字は減っているようですし、一応サイト内のコンテンツも読むつもりはあるとの事ですので(その割には、とても読んでいるとは思えない事も仰っているのは気になりますが)、少しばかりコメントしてみようと思います。
まずアクセス規制については、たまさんのおっしゃるとおりですし、いちおう言っておきますと「あなたのため」にアクセス規制するとは一言も言っていないハズです。ジンさんのためになろうがならなかろうが、この掲示板運営に支障があればアクセス規制しますし、そうでなければしません。が、仮にアクセス規制することになったとしても、それはあなたにとって却って親切でさえある----相手をしてあげることが親切ではない----という事を言っただけのことです。現実にアクセス規制はしていないワケで、こうして相手をしてあげることであなたの甘え(※)を助長することになるとしても、まぁ、僕にとってはどうでもイイことです(^^;。せっかくコメントするなら、ジンさんのためにもなるコメントを書こうというくらいの気持ちはありますが。たまに勘違いしている人が迷い込む分にはアクセスも伸びるし、さほど悪いことばかりではない、という計算も働いていますし(笑)。
※あなたの甘え----ぞんざいな口調での書き込みが許容されると思っていること。自分でサイト内(ここはスピリチュアリズムを紹介するためのサイトです)を読みもせず、自分の為に一からスピリチュアリズムを説明してくれと要求すること(時間はあるんだから説明しろ? 普通の社会人はそれほどヒマではありませんし、うちのように障害を持った子供のいる家庭は尚更です)。自分の陳腐な世界観が、相手に行動を起こさせる価値があると思い上がっていること。真面目な投稿に茶々を入れて恥じないこと(再度言います。茶々を入れているのはあなたです)。「ラーメーン。」「茶茶。」「ランディージョンソーン」「ダウト。」……クイズでもやって遊んでいるつもりですか? 世界観だの修行だのの前に最低限の礼節を学ぶべきで、この程度のことは日本だろうがアメリカだろうが関係ないはずです。
閑話休題。
まず、ジンさんが何度か言っておられる“懐疑”についてですが、スピリチュアリズムこそ懐疑的精神の神髄を体現したものである事は、当サイトの主なコーナーを部分的にでもご覧になればお分かりいただけるハズです。まぁ、それについては後で語るとして、懐疑とはそれだけで意味があるのではなく、懐疑を裏打ちする“論理的思考”とセットになってこそ意味が出てくるものです。懐疑するだけなら簡単です。ただ「ホントかよ〜」とか言っていれば良い。全く頭を使う必要もありません。あなたがやっているつもりになっている懐疑は、まさにその、頭を使わない“懐疑”でしかないのです。
例えばジンさんは、こんなことを書いてますね。
|おれは昨日ドイツ一のフィルムアニメーターの話をしましたよね。 誰か、
|それが本当か否か疑いましたか?」
少なくとも僕は疑いました……というより、あなたの明らかに適当に書き飛ばされた誤字だらけ文章は、ここの多くの人が事実関係を疑いながら読んでいると思います。文字のレベルでも間違いだらけなのに、内容だけしっかりしているとは思えませんから。「ああ、やっぱり間違ったことを書いていたか」というのが当然の論理的帰結です。にもかかわらず、ここの人たちが恐らく書かれたものを疑っていないと思ってしまったのは、自分自身がそうした疑いを持たないことの投影であり、つまり、ジンさん自身が正しい懐疑的姿勢を身につけていないことを示唆しています。
既にcereficaさんが、スピリチュアリズムと科学的検証についても示唆しているにも関わらず、それについて調べもせず「疑いをもって探られていないもの」などと言っていますね。こうした態度を“懐疑”とは言いません。科学者が調査していることを聞いた時点で、既に「疑いを持って探られている」ことは分かっていなければおかしい。その疑いによって調査された結果の如何は、また別の問題であると考えるのが論理的な考え方であって、あくまでも「探られていない」というご自分の思い込みに固執してしまったことで、立派な“盲信者”であることを露呈してしまったわけです。
そうそう、ついでに差別の話についてもコメントしておきましょうか。確かに日本(の特に田舎)では外国人は珍しいですから、どう接していいのか分からない人は多いと思います(ハローって言ってしまうのもそうでしょうし、大阪万博の当時は「外人さん」にサインをねだった子供も少なくなかったと聞きます(笑))。しかし、ハーフだから虐められたって、ホントにそうなんでしょうか? 別の原因があったのかも知れませんよ。僕が通っていた小学校にも何人かガイジンの子供はいましたが、普通に“お友達”でしたし、外人だから虐められるとは限りません。そりゃあ虐めようと思えば「ガイジン」という言葉も出るでしょうが、毎日同じクラスにいるのに肌や瞳の色など意識し続けられるものでもないでしょう。(これも“懐疑”の例ですね(^^;)
ただ、日本の方が差別は酷いという話は、部分的には賛成です。日本には、肌の色も、宗教も、学歴も関係ない、無条件の差別があります。部落差別です。これは最も酷い、どうしようもない差別の一つだと思います。
懐疑的な研究の実例として、当サイトの内のコンテンツをいくつか紹介しておきます。
『ジャック・ウェバーの霊現象』ハリー・エドワーズ著/近藤千雄訳
http://www.paperbirch.com/webber/webber.html
全てを読むのは大変でしょうから、この中の次のページを読むだけでも良いでしょう。
A・R・ウォーレスの実験会ノート
http://www.paperbirch.com/webber/webber27.html
スピリチュアリズムに関わった当時の科学者たちが、如何に注意深く霊の存在を立証しようとしたかが分かるハズです。
こうした物理的現象の科学的研究によって霊の存在を確信した人たちが、霊の語る霊界の様子や、霊的真理を学び始めたのがスピリチュアリズムであるということです。そのことについては……これは当然最初に読んでいなければおかしいですが……
心霊学研究所のご案内
http://www.paperbirch.com/annai.html
更にこちらでスピリチュアリズム全体の概要と、シルバーバーチのことも分かってくるでしょう。
シルバーバーチとは何者か
http://www.paperbirch.com/archive/arc001.html
他のサイトで、既にcereficaさんも紹介されていますが、こちらも必見です。
スピリチュアリズム・ブックス
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/
このサイトでは『スピリチュアリズム入門』などの良書が現在5冊、全文掲載されています。1時間かけてたまさんの所まで行く必要もありません。無料で全部読めます。シルバーバーチの霊訓もです。まずは『スピリチュアリズム入門』から読んで、当サイトの上記情報は補足的に読むのが良いかも知れません。
ジンさんが斜め読みで言及しているマイヤーズは、霊界の人物です。再生についての説は、全て彼自身が霊界で学んだ事です。これはこの世での実験などでは原理的に分かり得ないことですから、この世にいた時から有名な心霊研究家でもあったマイヤーズの言葉(生前の知り合いによって本人確認済み)を、仮に採用しているということです。スピリチュアリズムに於いては、他の霊訓との整合性も重視しており、それによって信頼性の判断の一助としています。
つまりスピリチュアリズムでは、実験室で確認できる物理的現象および霊的治療によって霊の存在を実証し、霊媒を通じて出てくる霊が最近他界した者であれば身元確認をすることで真実性を検証し、さらにその言葉を比較対照することで信頼できる霊の言葉を選り分けるという手順を踏んでいるわけです。
もちろん、数多くの霊媒を通じて出てくる何千人もの霊が全て口裏を合わせて“フィクション”を作り上げているかも知れません。現在のレベルの地上人類には伝えきれない内容についてなど、どうしても正確でない可能性もあります。が、だから“他の宗教と同レベルの信仰に過ぎない”とは言えないはずですし、もしもそのように強弁するとしたら、それは論理に基づいた懐疑とは別のナニモノかに過ぎません。
スピリチュアリズムは基本の部分に科学的研究手法を取り入れ、それで足らない部分を信仰で補っています。この構造は現代の科学と全く同じです。さて、ジンさん、あなたは現代の全ての物理学、科学がフィクションでないという確信を持っていますか? 持っているとしたら、その確信はどこから来るんです?(※)
※これは僕が現代の科学に疑問を抱いているワケではなく、妄想的懐疑の一例として挙げています。極端なことを言えば「宇宙が現代の物理学の法則通りに動いているのは全くの偶然にたまたまそうなっているだけに過ぎない。無限の時間の中では、素粒子の一つ一つまでそのような動きをすることだって何度もあるのだ」……と言い張ることだって出来るわけですから。
懐疑について更に知りたければ、当サイト内を検索して見ると良いでしょう。過去に何度か懐疑・疑うことについて書いていますから。
最後に……
|人間の持つポテンチャルを引き出すためには、世界中の人達に発展の自由を与
|えるべきだと思ってます。(中略)世界の平和はある意味、人間達の解放を意
|味するわけです。
僕はこのあなたの『世界観』?を空想的と評したと思います。しかし、酷評されてもその陳腐さに気付けないようで、いまだに『思想』などと言っていますが、こんなものは思想でも何でもありません。中学生の作文なら「世界中の人たちが自由であればいいな〜」なんて言ってても微笑ましく見てられますが、高校生以上でこんなことを言っていたらダメです。ましてや『思想』などと……(失笑ものですよ)
これは少しでも物を考えている人間なら一人残らず賛成してくれるほど明らかな事実だと思いますが、ジンさんが書かれた物の中に『思想』の名に値するものなど一つもありません。全てその手前の段階の、生の材料、断片、一つの情報に過ぎません。観念は思想ではありません。更に一段二段深めて、熟成させ、総合的な観念体系にまで昇華させねば、とても思想などとは言えません。もっともジンさんの場合はそれ以前の問題でしょうが。
……実際には世界中が発展するためには自由が制限されざるを得ませんし、自由を与えれば発展は制限されます。世界の平和はある部分では人間を抑圧せねば実現し得ませんし、人間の解放が戦争を起こしている現実にも反します。理想は大切です。しかし、困難な現実から目を背け、事実に反する材料で“空想”を組み立てても、それは誰の驚異にもなり得ません。
恐らくあなたはまだ若いのでしょう(僕も十分若いつもりですが(^^;)。今からでも遅くありません、大いに学んでください。別にそれはスピリチュアリズムでなくても結構です。多くのことを学び、更に熟考することで、ごちゃごちゃと絡み合っていた知識の一つ一つが有機的に絡み合い、目の前が開けてくるはずです。その時「嗚呼、思想とはこういうものであったか(そう言えばペーパーバーチとかいうイケ好かないヤツがこんなことを言っていたな)」と、あなたにも理解できるはずです。その日が明日か、1,000年後かは分かりませんけどね。
http://www.paperbirch.com/