心霊学研究所
掲示板の過去ログ

スピリチュアリスト掲示板

発言番号(親記事の)4101-4150の過去ログです。
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4150 ヨシさん、どうもありがとうございます!!
名前: MOMO  投稿日: 2005年04月13日 (水) 01時08分07秒
ヨシさん、とても丁寧なお返事どうもありがとうございました。とても参考になりました。

とにかくこれからたくさん関連書物を読んでみます!私は幼稚園から大学院まであるキリスト教系の学校に高校まで通っていたのですが、やはり無駄だったとは思いません。毎朝、礼拝や聖書の時間もあったので、シルバーバーチさんの本の中でキリスト教が影響力を持つ国の人々の質問内容もある程度理解できますし(共感するという意味ではなくて…。)、人のために祈ることや世界の平和を願うというキリスト教の良い部分も知っています。

私はいま、大学で心理学を勉強しているのですが、どうも心理学で人が助かる気がしなくて落ち込んでいたのです。本当は心理学が世の中に役立つ学問だ…と思って専攻したのですが。。。なんだか統計処理とか色々なアプローチについての勉強ばかりです。日本に帰って本屋さんへ行っても、「こんなの…」と思ってしまうような心理テスト関係の本や自己啓発系の本がたくさんあってうんざりしてしまうこともあります。とてもポップで受け狙いとも取れるような本のタイトルが多いです。でも、「人間の行動の傾向」を理解するためには心理学専攻はよかったと思います。

いろいろ回り道しながら数々の疑問の答えを見つけようとしてたのですが、これから自分からもっと積極的に行かなくてはと思っています。もちろん禅や大乗仏教にも利他性や協調性という点でスピリチュアリズムと共通する部分が多くあります。『宗教という「形」はどうでもいい、個人がどれだけ人のために自分を役立てるかが問題だ』ということもシルバーバーチの霊訓の本を読んでいるうちに(まだ読み足りないのですが)理解してきました。その某宗派の御霊界から、私を使っていただけるのなら、それが私の道なのかもしれません。その某宗派に頼りすぎてしまうならば、私はその教えや霊的真理を傷つけると共に、自分自身の霊性も傷つけているのかもしれないのです。こんなに霊的に救ってもらいながら、ある一定の宗派に固執する自分もなんだか間違ってる気がしています。御霊言は、私の数年先を知ってアドバイスを下さっていると思うと、これと高級霊が示す普遍的な霊的真理が別々だとも思えません。目指す真理は一つなのに、色々な真理に対しての表現方法があると、何を基盤に生活していけばいいのかかわからない…と迷っている自分自身の弱さもよく分かります。

まだまだ読み始めたばかりなので、教えていただいた他の高級霊の本も読んでみたいと思います。英国でのスピリチュアリズムについても、ここでレポートできたらいいと思います。折角のチャンス、間違った方向に行かないように関連書物や教えていただいた掲示板でしっかり勉強したいと思います。

最後にもう一度、丁寧なお返事本当にどうもありがとうございました。

4149 MOMOさん、はじめまして
名前: ヨシ  投稿日: 2005年04月12日 (火) 16時15分16秒
★私はシルバーバーチにたどり着くまでに色々な思想・宗教を遍歴しました。キリスト教、日蓮系の仏教、ニューエイジ(成功哲学)、気功、精神分析学などなどを学び、実践してきましたが、これらの経験はスピリチュアリズムを信仰するに当たって必要なことだったと、今になって振り返るとつくづくそう思います。

人それぞれの境涯、状況がありますから、その時々の境涯・状況にあった思想・宗教があってもいいと思います。

スピリチュアリズムはこれまでこの世に伝えられた思想・宗教の中の真理の部分を総合的にまとめた宗教・思想と言われていますから、大乗仏教の教義の中にも当然真理があって然るべきだと思います。

しかし、MOMOさんはせっかく、スピリチュアリズムにたどり着いたのですから、スピリチュアリズムの基本原則をしっかりと頭に入れて、他の思想・宗教を建設的な批判精神でもう一度見つめる作業をされたらどうでしょうか。(注)

★>シルバーバーチの言う壮大な計画の一部なのかどうか、全く関係ないものなのか、私は妙な疑問を持ってしまったのです

シルバーバーチと同じ高級霊であるインペレーターは次のようなことを言っています。

『すべてこちら側でなされたことで、地上では何一つなされておりません』
(「インペレーターの霊訓−続霊訓−」(潮文社発行) P173 )
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806311863/exblog-22/249-7045004-6028301?dev-t=DJUT61OBEY1IR%26camp=2025%26link_code=xm2

この言葉は非常に深いことを言っていると思います。つまり、幾多の思想・宗教のみならず、文学・音楽・美術などの芸術や民主主義などの社会制度、人権というような概念も全て霊界側から降ろされたものだ(つまり霊界側の計画の一部)・・ということでしょう。このことを考えると、私達はもっと謙虚になり、霊界の導きに厳粛な気持ちを持たなければならないと思います。

★>もし公式(?)というか、真のスピリチュアリズムを勉強している組織がありましたら、教えていただけないでしょうか?

Two Worldsの編集部に聞いたらいかがでしょうか(http://www.users.globalnet.co.uk/~tortzen/)。Two Worldsではトニー・オーツセンが編集長をしています。彼はバーバーネルの後継者としてTwo Worldsを運営しており、潮文社の『シルバーバーチの霊訓』のうち2冊、ハート出版の『古代霊シルバーバーチのシリーズ』3冊などの英語オリジナルの編集をした人です。

イギリスにいるMOMOさんがうらやましいです。英語のサイトを見ていると、シルバーバーチは数ある高級霊の中のone of themとして扱われているようで、シルバーバーチがこれほどポピュラーな国は日本だけではないかという感じがしていますが、そこらへんの事情も教えていただければ幸いです。

(注)スピリチュアリズムの基本原則については、Spiritual Cord 掲示板(Spiritual Town)(http://spcc.cc/board/index2.html)の「Q&A」の「No.254スピリチュアリズムの基本原則を具体的に教えて下さい」以降で議論が行われています。

4148 はじめまして
名前: MOMO  投稿日: 2005年04月12日 (火) 00時01分13秒
はじめまして。まず、この掲示板に出会えたことを感謝したいと思います。管理人のペーパーバーチさん、このような場所を設けてくださって本当にありがとうございます。

突然ですが、勉強会や同じ志を持ったもの同士の集まりのようなものは近々ありますでしょうか?スピリチュアリズム初心者なのですが、シルバーバーチさんの本を読んで強く引かれるものがあります。現在、大乗仏教の宗派にaffiliationがありますが、もちろん「利他」を目的としています。でも、身近にあまりにも物質主義者が多くて最近負けそうなのです。自分が弱いだけなのですが…。霊を否定されるからと言って、自分が信じているものを曲げることもできません。宗教という形もよく否定されます。「宗教(霊的なもの)を信じている=怪しげ・理解できない」という態度をよくとられます。自分が霊的に何度も救われていることはよく分かるのです。救われた事実があるからこそ、この信条は曲げられません。でも、人の心も変えられないのです。私はまだその段階から抜けきれていないのだと思います。行ったり来たりで…その宗教を求める動機も、自分救われたいという現世利益からのように思えて成らないのです。そんな時期だからなのか、切磋琢磨できそうな人たちが集まるこの掲示板に目が留まったのだと思いますが…

私の普段の行いが足りないから、周りを救うどころか宗教や心霊主義に疑問や誤解を持たれてしまうのもわかっています。何も信じていなくても立派な人はたくさんいます。シルバーバーチの説く真理に共感できても、何も出来ないちっぽけな自分がなさけないです。

もう一つの疑問は、その宗教に霊力があって、求めるものをその人が成長できるように導いてくれるのですが、それが、シルバーバーチの言う壮大な計画の一部なのかどうか、全く関係ないものなのか、私は妙な疑問を持ってしまったのです。シルバーバーチの本では、必ずしも宗教で霊性を磨くことが魂を向上させることではないのはわかります。でももし、その大乗仏教の教義とシルバーバーチの霊訓との間に、利他性や死後の世界の認識やその他もろもろの事柄において矛盾がないとしたら、、、霊能がないもので、何にも所属していない人間はどのように霊性を磨いているのでしょうか?

あと、私はイギリスの大学に留学中なのですが、海外での勉強会などの情報はどのように探せばいいのでしょうか?インターネットではあまりに情報が散乱し過ぎていて、早まって間違った(純粋なスピリチュアリズムでない)組織に接触しかねません。もし公式(?)というか、真のスピリチュアリズムを勉強している組織がありましたら、教えていただけないでしょうか?

なんだか、質問の内容で自分の未熟さを披露してしまっていてお恥ずかしいのですが…どうぞ宜しくお願いします。

4147 もりふみさん すいません
名前: 空句  投稿日: 2005年04月11日 (月) 22時39分32秒
もりふみさん、私に「いろいろ教えてくださいませ」とおっしゃられても
トラのパンツでプロレスならいいのですが、私の場合、人の褌で相撲になりかねません。
ご期待にそえなくて申し訳ありません。
おっレスもうしません、すいません。

4146 空句さん
名前: もりふみ  投稿日: 2005年04月11日 (月) 19時38分23秒
空句さん、どうもどうも。

>もりふみさん はじめまして。
って、はじめまして、でしたか(私は全然そんな気がしていませんでした)、失礼しました。
トラックバックなるものがついていない(っていうのもオカシイ?)Blogもアリなんですね、知りませんでした。どうも私はインチキ完全主義者でして、少しでも不明なトコロがあるとなかなか新事物に取り組むことができないために、トラのバックやふろしきやピロシキについて分からないままでBlogを云々することはできないと思っておりました。
モノゴトがあらかた見えてくるまでは遠巻きにして観察するだけで飛び込んでいけないという私の臆病なトコロは、重要関係人に言わせれば、A型のイヤらしくズルい点だとか。うるせー、何でもかんでも血液型に結びつけるなー、そのA型であることを承知の上でキミは関係人になったのではなかったか。とタンカを切りたいところですが、とてもそんな勇気は持ち合わせていないのがじつにナサケない。
つまらないグチを申し上げましたが、私の見るところ、空句さんは私と違う勇気ある血液型だと勝手に推察しております。ぜひトラのパンツを導入なさって、いろいろ教えてくださいませ(トラの威を借りたいズルいネコのようですみません)。

4145 もりふみさん ありがとうございます
名前: 空句  投稿日: 2005年04月08日 (金) 19時01分41秒
もりふみさん はじめまして。
知的なもりふみさんからお声をかけていただきとっても嬉しいです。
ありがとうございます。

>空句さん、Blogにはお詳しいようですね。

いえいえ、とんでもございません、全然詳しくないですよ。
お気楽なのは書く内容のことです。私の痴的な戯言は広告の裏で十分です。
広告の裏に書こうと思い新聞のチラシを探してみましたが、
今時の折り込み広告、片面印刷はなかなか見つからないです。

そんなこんなで私もついにBlogにトライしたものの
トラのバックもふろしきも使い方がさっぱりわからず、
手ぶら、こうもレスがつかないと思ったら・・・・

>ピロロロロ、バックします、御注意ください。

なるほど、そういうことだったのですね、私の不注意です。
そうとは知らずひそかにプロ愚を楽しんでしまっていました。
ピロシキ食べてBlogのお勉強をして出直しです、バックオーライ、オーライ!!

でもやはり、私のBlogはトラのバックを持たない方が世のため人のため。
もりふみさん 楽しく教えていただきありがとうございました。

4144 Blogとポートフォリオ公開とアシモの死
名前: もりふみ  投稿日: 2005年04月07日 (木) 18時26分29秒
 ペーパーバーチさん、みなさん、こんにちは。ごぶさたです。

 空句さん、Blogにはお詳しいようですね。私もそれなりに勉強しようとしたのですが、解説をいくら読んでもトラックバックなるものの目的(何が意図されているのか)がいったい何なのか、まるで分かりません。わが周囲には、かつて、「プロキシってピロシキよりもおいしそうね」と言った者もいますが、このような人物に訊ねるわけにもいきません(どうせ、「えっ、知らないの? バッカじゃないのぉー。『ピロロロロ、バックします、御注意ください。ピロロロ、バックします、御注意ください』ってコンビニの横の道からよく聞こえてくるじゃない」などと言うにきまっているのです)。だからこのペーパーバーチさんのHPがBlog化されるのをひそかに待つことにしました(とエラソーに言っても、私には見分けられないのですが)。

 ペーパーバーチさん、株式ポートフォリオの一端を開示されるのは、今後の投資にとって非常に結構なことだと思います。すでに開示してしまった以上、今後はアホでマヌケな投資はできないゾ、という緊張感や慎重さが生じるはずです。そしてその研ぎ澄まされた投資スタンスは必ずや好結果を招くに違いないのです(ひょっとしたらペーパーバーチさんは、そんな深慮に基づいて開示されたのではあるまいか)。
 投資といえば、私も銘柄「桜」への投資時期が間近に迫ってきております。いまや8種を数えるほど増えた投資証券の種類を前にして、最適な証券ポートフォリオ戦略を練らなければならないという非常事態を迎えつつあるのです。しかしペーパーバーチさんはそんな私に、大いなるヒントを与えてくれました。そう、今回は事前に開示しよう! カクカクシカジカという根拠のもとにコレコレという要素を加味して、証券への投資はこの通りとする! っと、事前に周囲に宣言するのです。胃が痛くなるほどの緊張感と慎重さが求められるに違いないでしょうが、きっと、奏功するに違いないのです(少なくとも、「えっ? バッカじゃないのぉっ。どうしてタケユタカをハズしたのよっ! 」などと事後に罵倒されるリスクは回避できるハズ)。

 ところで、今日の東京は狂ったように暑いのですが、岡山も二日前はそうだったのでしょうか。倉敷で二足歩行ロボットのアシモが溶鉱炉に飛び込んだのは、たしか二日前でした(一部報道によれば)。今日のこの暑さをみれば、アシモがあのような行動をとったのも気候の急変が引き金になったのでは、という気になってきます。いずれにしても残念な事件でしたが、霊界に入ったアシモはいまごろ、自らが霊であることをすでに悟っているでしょう。アシモ霊はきっと、なみいるヒトの霊に対して「あっしも霊でやんす、よろしく」などとアイサツしているかもしれません。(合唱)、もとい、(合掌)。
 おあと、よろしいでしょうか。

4143 Blog
名前: 空句  投稿日: 2005年04月01日 (金) 19時03分29秒

ペーパーバーチさん こんにちは。

05.03.30(水)の日記を読みました。

Blogは楽しいです。
すっごい簡単で寝る前に歯磨きをしている気分と似ています、気楽にキーを打って「はい、おやすみなさい」という感じです。

これは私の場合です、すっ すいません、他の方は真剣に取り組んでいます。

まずはトップページの日記をBlogに移行されるというのはどうでしょう。
「今日からの日記はBlogをご覧ください」とするのは問題有りでしょうか。

それから背景がグレーに変わりよりいっそう落ち着き、タイトルの色帯としっくりと馴染み目に優しい配色ですね。
さすがプロのデザイナーさんです!!とてもきれいです。
もちろん美しくてわかりやすいレイアウト、素敵です!!

4142 お!
名前: キリコ  投稿日: 2005年03月29日 (火) 05時40分10秒
アップルさん。
おはようございます。
やっぱり「明治」、みましたね。

良い番組ですね――――――――。
それにしても、渋沢栄一翁の言葉には、昨今の目先利益主義の経営者達との、
格の違いを感じました。
明治の元勲達、男前というか、良い面構えをしていますよね。

4141 NHK
名前: アップル  投稿日: 2005年03月26日 (土) 21時59分37秒
今日21時からあったスペシャル番組-明治-
いい感じでした。
4回のシリーズなのでぜひ次回もみたいと思います。

キリコさん、すーっと通ってたのしりませんでした?

4140 そーっと
名前: キリコ  投稿日: 2005年03月25日 (金) 21時38分24秒
突然、投稿が止まる時って在りますね・・意味もなく・・んでもってそうなると、とうこうしづらひ。。。
学校ではこういうの、霊が通ると言いましませんでした?・・・・・・・・・

4139 「国益」について
名前: ヨシ  投稿日: 2005年03月19日 (土) 08時56分13秒
4137で私は「国益」と言う言葉を多く使いました。この「国益」という言葉に抵抗感を感じる方もいるかもしれませんので、ここで私なりの「国益」に関する考えを書いてみたいと思います。

「国益」とは、簡単に言えば「国の平和と安全を図り、国の繁栄を増進すること」だと思います。そして、各国がそれぞれこの「国益」を追求しているという姿が現実の国際社会の姿です。

ある意味で(また実際にも)、利己的な考えで各国がしのぎを削っているのですが、現代のようにグローバル化が進み、国同士の相互依存関係が進んだ時代では、自分だけ良ければいいという考えでは生存できなくなってきていて、自分の国だけのことを考えれば良いというものではなくなってきています。

つまり、「いかなる事業といえどもその正否は、参加する全員が利益を得るシステムを作れたか否かにかかっている」というように、みんなにトクさせることで、自分がトクするということが「国益」となっている場合が多くなっていると思います。その意味で私にとっては「国益」の追求には違和感を感じません。

しかし、中国の武力による台湾併合、北朝鮮の信じがたい犯罪行為、瀬戸際外交などは、「みんなにトクさせることで、自分がトクする」ということには決してなりませんので、このような行為に対しては毅然とした姿勢が必要だと思いますし、そのためにこそ、同じ価値観を有するアメリカ、韓国などとの密接な連携が必要だと思います。

4138 葬儀三昧…(^^;
名前: 雑念の塊  投稿日: 2005年03月18日 (金) 21時10分44秒
 沢山の方々からコメントいただきました。ありがとうございます。

 #4124のメッセージをこしらえた後、俄かに周りが慌しくなり、キリキリ舞いの一週間でした。
 というのも、日曜の午後に親類(歳の離れた従姉妹でもあり、私ら夫婦の仲人親)が亡くなり、月曜夜通夜、火曜告別式(神式−金光教)。
 更に木曜は会社の同僚の祖母の葬儀(仏式−浄土真宗)に出席。
 一息つくまもなく、今日金曜日は友人の母親の葬儀(仏式−日蓮宗)。

 まさに礼服を着っぱなし、白色カッターシャツをクリーニングに出す暇もない、とでも表現したいくらいです。御霊前/御香典のために懐が寂しくなる一方…(^^;。


 まったく、どうしたことかと思いながらも、ひょっとしたらこれも類魂が与えてくれた試練で、葬儀の話題を振ったための因果を経験せよという采配なのかなぁ、と思ったりしてます。
 それぞれの葬儀に出席しながら思うところがありましたが、それを文章にするだけの気力が湧くところまで達せず。ちょっと休んで落ち着いたらボチボチ戴いたコメントへのResも含め拵えたいと思っています。

 とりあえず今日はもう寝ます。は〜ぁ、くたびれました。

4137 竹島問題と韓流ブームについて書こうとしたら・・/
名前: ヨシ  投稿日: 2005年03月18日 (金) 19時19分00秒
竹島問題と韓流ブームについて書こうとしたら、東アジア情勢についても書かざるを得なくなりました。スピリチュアリズムとは直接関連がありませんが、私見を述べてみます。

★(東アジア情勢)
日本を取り巻く東アジア情勢(韓国、中国、台湾、北朝鮮、ロシア)を見ると次のような特徴があると思います。

@(多様性)
民主主義、市場原理に基づく経済という政治・経済体制についての価値観を共有する国としない国が混在している。また、経済の発展状況もまちまちであって一様でない。

A(軍事的脅威)
日本列島全てを射程距離におく核弾道ミサイルを保有している可能性が高く、合理的・理性的な思考ができない北朝鮮、毎年二桁台の軍事費増を行い、領土問題解決のためには武力攻撃もいとわないとしている中国、共産主義を捨てたとはいえ、大きな軍事力を保有し、極東への出口を求めているロシアという現実の軍事的脅威が存在している。

このような状況の中で、日本を含め、それぞれの国がそれぞれの国益を追求しているというのが冷徹な現実の姿だと思います。そして、世界との自由な交易によって成り立っている日本は、この地域の平和と安定を確保することが、日本にとっての国益の確保につながります(これは他の多くの国にとっても益になることだと思います)。

★(価値観を共有するアメリカ、韓国、台湾との関係)
このような現実を直視するならば、日本は、政治・経済面での価値観を共有し、政治・経済・軍事技術・情報の収集発信力などあらゆる面で突出した力を持っているアメリカと同盟関係を維持し、東アジア地域の平和と安定を図っていくことが大変重要だと思います。
そして、この日米同盟を基軸にしながら、日本と同じ価値観を共有し、経済的にも先進国のレベルになっている韓国、台湾と密接な関係を持つことも同時に重要だと思います。

★(韓国との関係:竹島問題と韓流ブーム)
ですから、同じ過去に関する問題でも、日中と日韓関係は同列に比較できませんし、中長期的には、共産党一党独裁体制の中国とは異なり、同じ価値観を共有する韓国と日本はもっと近い関係にならなければならないし、早晩そうなると思います。(ヨーロッパではナポレオン時代からの宿敵関係であった、フランスとドイツが今では強い信頼関係を持つパートナー同士となっていますが、日本と韓国も同じような信頼関係に基づいた近い関係になることが望まれます)

さて、ここからが書きたかったことですが・・・

(竹島問題)
最近の竹島問題もこのような中長期的な観点から見れば、一時的な話であって、中国との尖閣諸島問題やロシアとの北方領土問題とは異なる話だと思います。もちろん、国家主権の問題として韓国に対してはキチンと言うべきことは言わなければなりませんが、相互の信頼に基づく日韓の友好関係を築くことが中長期的な日本の国益にも適うことを考えればいたずらに感情的にならず、冷静に対処しなければならない話だと思います。このような対応がひいては日本の国益にもつながると思います。

(韓流ブーム)
この観点から、最近の韓流ブームも、明治維新以降(江戸時代以降かもしれませんが)始めて日本で起こった国民レベルでの韓国文化への憧憬という点で、大変意味のある歴史的な現象だと思っています。
つまり、文化面では明治維新以降日本からの輸出超過現象が見られましたが、この日本での韓流ブームによって、韓国と日本が対等の立場でのパートナー関係を持つようになる第一歩となったという意味で大変良い現象だと思います。(私は韓国人の友人がいますが、彼ら/彼女らは日本の事情について大変詳しく知っています。これに比べ、日本人は韓国事情・歴史について今までは関心が比較的少なかったようですが、今後は韓国語の学習を初め韓国事情・歴史をもっと知る日本人が多く輩出することが望まれます)

★(台湾との関係)
台湾についても、中国の台湾への恫喝をこれ以上行わせないためにも、日米同盟を維持し、中国に対し毅然とした姿勢を示して、軍事的な行動は中国のためにもならないと思わせるような抑止政策を採っていかなければならないと思います。

4136 題名が一番難しいです・・・(t t)
名前: しん  投稿日: 2005年03月18日 (金) 09時37分07秒
こんにちは
竹島問題は凄い事になってますね。日韓問題・日中問題は日に日に大きくなっている感じがします。
その全ての問題が第二次世界大戦前後の事柄が基本に動いているような感じですね。
その前は? 他国の状況は? とかは全くお構いなしという事にはなはだ疑問を感じています。
中国は台湾独立を武力で阻止するという法案までできてしまって・・・。しかも満場一致で決まったという事を恐ろしく思います。一人くらいは反対がいてもおかしくないのでしょうが・・・。
国民はメディアや教育によってそのような思考になっているのだとしたら、日本も末恐ろしいですね。私もその一人でしたけど・・・。
教科書問題も意見が割れ、しかも他国の意見介入までありますし、メディアもライブドアなどのような訳分からない会社が乗っ取る時代ですし。
日韓問題も日中問題も結局は領土やお金が欲しいのだろうと思っています。あと政治家の保身のため日本という敵を作り世論に後押しされる形をとっての支持率アップでしょうか。
どの国も結局利己主義が蔓延しているのでしょうね。
鏡には現物より綺麗に映すという効果があると聞いた事があるのですが、自分自身の本当の顔は一生見る事ができないんですよね。だからこそ、日々自己検証と反省が必要なのだと思います。
このような硬い話は日本人って結構嫌いなのでしょうか?私の周りにはほとんどいない・・。
ましてや“どう生きるべきか”という問題に対しては皆無です・・・(tt)
ですからこの掲示板は私にとっては最高の勉強の場だと思っています。
精神世界を基本としながら、決して現実を見失わない姿勢(その逆もしかりですが)の諸先輩方に圧倒されています!

昨日は会社の飲み会で非常に眠いです・・・

4135 竹島問題
名前: キリコ  投稿日: 2005年03月17日 (木) 18時15分01秒
なにはともあれ、鬱陶しかった韓流ブームが終焉して欲しい・・

4134 しんさんへ
名前: アップル  投稿日: 2005年03月16日 (水) 21時01分58秒
しんさん、活発なご活躍うれしく拝読しております。

歴史の学習をされておられるのですね。
いろんな資料を見られているようですね。

最近は歴史学の権威が聖徳太子はいなかったとか、
いろいろトンデモ発言がありますから
自分の良心で比較研究をしてください。

歴史は事実が一つしかありません。
いろいろな偏見に流されず
正しい事実を研究、見つめてください。

今年は歴史教科書の採択問題で揺れるはずです。
新聞各紙や、共同通信(前回問題を起こしました)など
継続して見ることで各紙の姿勢や歴史の事実を
発見することができると思います。

ここからは私見ですが、
歴史学習を通して世界に希有な継続性のある
日本の清楚な心を感じ取ることができれば
霊的真理を得た者としては、
利他行実践の最高のカンフル材になります。

実践と、「心から利他の事を考えられたか」の反省を
毎日続けられたら素晴らしいなと考えます。

私は毎日ため息混じりの反省ですけどね。

4133 えっと
名前: PEN  投稿日: 2005年03月16日 (水) 19時26分09秒
雑念の塊さんへのレスが少し押し付けがましくなってしまいました。
2年程前の自分に重なって見えたものですから・・・。すいません。

4132 連続ですいません
名前: しん  投稿日: 2005年03月16日 (水) 07時51分21秒
連続ですいません。
最近の掲示板の話題の葬式や霊のいきつく所について私なりの意見を。

スピリチュアルや精神世界の本は私も何冊も読みました。
まさしく、色々な本を読めば読むほど混乱する!
出所が違うと全く違うこと書いていますし、同じ出所でも矛盾点がいっぱい・・という感じです。まともに文字だけを捉えていたらまずまとまらないでしょうね。
私がシルバーバーチを気に入っている点は、一番“公正”だと思うからです。因果律ということが存在しなければ世界は大変な事だと思いますから。死後の世界があるのかないのかについては、私の中では不確定要素なのですが・・・。
霊のいきつく所は私は永遠に神と一つにはならないと思っています。シルバーバーチでさえまだ一つになっていないですしね。もし、一つになるのだとしたら心や精神の準備が出来上がった者だけが一つになるのだと思います。一つになるのが怖かったり、嫌だったりすると一つにはきっとならないので何ら問題はないと思っています。そうなるようにはそれこそ永遠の成長が必要だと思います。

私の葬式は楽しくしてもらいたいですね〜。私の葬式で気苦労する人のないように簡単に線香だけであとは世間話でいいですね〜。線香は来て頂いた人が何かしたいと思うでしょうからその為になんですけど。でも、生前に意思表示していない人の葬儀は世間一般程度にするのが妥当のような気がします。葬儀をしてもらいたい霊がいるような事を本で見たような気がしますから。(シルバーバーチだったかな・・??)

相変わらず、文章下手ですいません。  ・・・精一杯です(t t)

4131 久しぶりに投稿です。
名前: しん  投稿日: 2005年03月16日 (水) 07時50分46秒
お久しぶりです。
多忙で参加できませんでしたが皆様の意見は拝見させてもらっていました。
初めての方もいらっしゃるので挨拶を。
はじめまして しん といいます。
鹿児島に住んでいますが、先日3月だというのに雪が積もりました。
鹿児島も寒いです〜。

キリコさんは問題集をしてるのですね。凄いですね!私は詳説日本史を買って
読んでます。日本と世界とを対比しながら書かれているので分かりやすいですね。
他に「昭和と戦争(全8巻)」のビデオを見ましたが、期待はずれでした。南京の大
虐殺事件のような場面で“これは事実です”と言っていましたのでがっくりでした。
ある意味自虐的なビデオのような感じでしたね。
「特攻(全2巻)」のビデオも見ました。これは特攻のみに焦点をあてたビデオだった
のですが・・・・よかったです。ビデオだけを見ていると同じようなシーンの連続で
あったのですが、直前に靖国の遺書の本(「いざさらば・・・」「散花・・・」)を読ん
でいましたので、気持ちがダイレクトに伝わってくるようで。
このような知識や気持ちを与えてくださる機会を作って頂いた皆様に感謝いたします!

そういえば「ローレライ」という映画凄く評判いいみたいですね。
是非見に行きたいと思っています。

4130 雑念の塊さんへ + ペパさま 以前はありがとうございました
名前: 空句  投稿日: 2005年03月15日 (火) 15時53分46秒
雑念の塊さん はじめまして

私は4年前にひとり娘を9歳で亡くしたものです。
葬儀のお話をされていましたので、私も見送る側として一言お話を聞いていただきたくて投稿しました。こんな人もいるのだと気楽に聞いていただければうれしいです。

私の娘の場合は不慮の事故だったので、まさか娘の葬式を出すなんて思いもよらないことでした。
もちろん、娘に「あなたの葬儀はどういうのがいい?」なんて聞いたこともありません。

また、娘を突然亡くし、私も主人も気は動転していたので近所人たちや、娘の学校の先生方、友達の親御さんたち、親戚の人たちなどまわりの人たちに支えられながら一般的な葬儀をしました。

死後、半年が過ぎた頃、葬儀をしてくれた歌うおぼうさん、娘と関わりのあった友達、ピアノの先生、学校の先生、主人のバンド仲間が舞台に立ち、娘に関わりのあった人たちを招いて、みんなで一緒に娘の追悼音楽会もやりました。

最愛のひとり娘の、二度とない霊界入りの大イベントは見送る私の方が動転しながらも必死というか、無我夢中でした。

シルバーバーチの本に出会ったのは葬儀も追悼音楽会も終わった後の一周忌の頃です。
心の道場さんのニューズレターを読み、「私たちで行った葬儀は間違ってたのではないか?」と思っていた頃もありました。

でも今では、あの葬儀や追悼音楽会のことはきっと娘も満足し、私たちはもちろん、残された娘に関わる人たちにとっても満足できるお見送りで本当によかったと思っています。

宗教、宗派にとらわれないということにもとらわれないで、旅立つ人も見送る人もその人らしく自然で心地よい葬儀であればいいのではないかと思いました。また後になって、遺族にとっては心残りもなくよかったと思えるのではないでしょうか。

(シルバーバーチの本に出会ったことも、ペーパーバーチさんのこのサイトに出会ったことも、娘はきっと望んでいたこと、そして今、喜んでいると私は思っています。ペーパーバーチさんはじめみなさんありがとうございます。)


★ペーパーバーチさんへ

以前は株についてご丁寧なご説明ありがとうございました。
一言お礼をと思いつつ、期を逃しすっかり遅れてしまってすいません。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/happinss/

4129 雑念の塊さんへ
名前: PEN  投稿日: 2005年03月14日 (月) 09時06分14秒
雑念の塊さんはじめまして。私はつい最近、母親が自宅で他界しているのを発見し、
見送った者です。参考になるかどうかはわかりませんが、その時の様子を書いた
投稿が少し前のログにあります。私は母親が他界する約1年前からシルバーバーチの
説く摂理を受け入れていましたので、親の他界という現実を苦もなくスルーする事
が出来ました。その代わり経済苦がやって来ましたけど。(>_<)

私の意見はキリコさんと同じで、まず第1に葬儀は見送る人の為にではなく、他界
した方の為にあるということです。また、他界した本人に正しい霊的な知識が無い
場合は、自分が肉体から抜け出てこの世で言う“死んだ”という状態にあるという
ことを納得させる為にもあるのだと思います。あくまでも本人の気がすめば良いと
いう意味です。

ですからキリコさんのおっしゃる様に、御両親が死についてどう思っておられるか
が1番大事なことだと思います。もし人が死んだら葬式をするものだと思っておられ
るのであれば、その方なりのイメージの葬儀をしてあげるのが良いのではないかと
思いますし、もし霊的知識をお持ちで葬儀など必要ないのだという認識をお持ちで
あれば全く必要ないかもしれません。とは言っても親類縁者の方達の事も考えねば
なりませんが、要はその人の自覚次第だということです。

雑念の塊さんの場合は御両親が健在でおられるわけですから、この機会にまず
雑念の塊さんが、今以上に霊的知識の探求・吸収をされてはどうかと思います。
その上でその摂理に納得され、得心がいかれれば御両親にも御一読を勧められる
のが良いのではないでしょうか。知識があるのと無いのとでは大違いですから。

私の母は形だけの“なんちゃって創価学会員”で、わけもわからず信心しておりま
した。私が知識を伝えようとしても感情的に抵抗しておりましたが、他界する少し前
には何とか「死んでも死なないよ」という程度のことだけは伝えられたと思います。
それが役に立ったがどうかはわかりませんけど。

雑念の塊さんの御両親が特定の宗教にとらわれていないというのは、私の母に
比べると霊的知識を知って頂くには有利だと思います。間違った知識を植え付けら
れていない分、その手枷足枷を取り外す手間がいらないわけですから。

私は以前、経済的な葬儀について調べた所、ファミーユという葬儀社を見つけました。
一般的な葬儀社のいいなりになっていると、大金を支払わなければならないので、
それならと思って一応会員にもなっていますが、いまだ使わずじまいですので内容の
方は未体験です。ですからお勧めは出来ませんが参考まで。

4128 ・・・・・・・
名前: キリコ  投稿日: 2005年03月13日 (日) 22時19分34秒
推敲前に投稿ボタンをおしてしまつた・・・
誤字多数、すいませんでした・・・・・

4127 形式は別として・・・
名前: キリコ  投稿日: 2005年03月13日 (日) 22時17分55秒
私が送る立場の時は、心の中で、以下の点を呼びかけるようと考えています。

@なくなった方に対して
 ○なくなった方は、自分が死んだことに気づかず、右往左往している場合が  多いそうです。
「自分が元気に生きているぞ!!」と伝えたくとも、誰にも伝わらない、  ということに、深く傷ついてしまうことがあるそうです。

なので、「あなたは、もう死んでいるんですよ」と呼びかける。
 
○なくなった人には、必ず、霊界から導きの霊(守護霊など)が迎えに来   るそうですので、

 「お迎えの方のアドバイスに、素直に慕ってください」と呼びかける。

 Aそして、お迎えにきているはずの、産土神様、守護霊様等に対して、
 「なにとぞ、○○さん産土神様、守護霊様、故人をよろしくお導きくだ   さい」と呼びかける。

 とうような感じでお祈りさせていただこうと思っています。

4125 そうですね
名前: キリコ  投稿日: 2005年03月13日 (日) 21時33分19秒
こんばんわ。

葬式についてですか・・・
まずは生前にそれとなく聞いておくのが正解だと思います。

その好みに合わせるのが、一番妥当だと思います。
日本人は、基本的に無宗教と言う括りにはいる方が圧倒的多数とは思いますが、漠然とした宗教観も兼ね備えているものですし、送られる方が一番しっくり来る形式が一番だと思います。
仏教でも、様々な宗派がありますが、基本的に懐が深いので、自分の好みで全く問題ないと思います。
排他的な宗派もありますけれども、日本の仏教、神道は非常に寛容です。
神道などは、それこそ、イスラム原理主義者がお参りに来たって、問題ないくらい寛容です。

逆説的に考えると、宗教に拘らないのであれば、逆に仏式などの伝統様式に則った方が自然かと思います。

ただ、私個人としての考えでは、日本という国では、1000年以上の長きに渡り、仏教と神道が尊ばれ、心の拠所になってきました。
精神的土壌として、この国の国土に、その思いが浸透しています。
無宗教と言うのは、数千年の歴史で、たったの数10年に過ぎません。

高級霊界へのパイプと言う点では、我が国においては神道、もしくは仏教的な作法が、もっとも理に叶っているのでは?と考えています。

4124 悶々と…
名前: 雑念の塊  投稿日: 2005年03月13日 (日) 09時01分02秒
よっしーさん、ヨシさん、こんにち/ばんわ。Reありがとうございます。

 ふむふむ、なるほど、と読ませていただきました。私のこだわりもだいぶ方向がずれているようですね。早速修正、したいのですが…。


 ちょっと我が家の宗教事情をご説明しますと、私の父母ともそれぞれの実家の跡継ぎではないので先祖の墓守の必要なく、特に信心深くもないため家の中には仏壇や神棚も存在していません。
 その状態でいざ家族の(年齢からいって近い将来)「死」を迎えたとき、どこの宗教にもつながりを持っていないがゆえ、業者の言うがままにせざるを得ないのかなぁ、と漠然と思っています。

 形式も様式もこだわるつもりはなく、内面の動機が重要、亡くなった人への気持ちが大事だとは(頭では)理解できているつもりですが、自分自身が全く信心していない宗教形式で事が進んでいいものか、仏式にしたとしたらどこかの寺院に対しても失礼な気もするなぁ、と。
 それならばいっその事「無宗教」で「お別れの会」の形にしたほうが自分の気持ちに素直になれるのではないのかなぁ、というのが発想の発端でした。

 …でもそれもつきつめるとやっぱり形にこだわろうとしているのかなぁ、ならば淡々と業者にまかせて流されるままになるのかなぁ、でもやっぱりそれもなんだかなぁ、と悶々としております。
 …悶々とすること自体がまだ修行が足りないのかな?

 あはは(^^;。「ゴチャゴチャと一体何を考えているんだお前は!」というお叱りを受けそう(^^;ですが、スピリチュアリズムに出会えたばかりの超初心者ゆえ、お許し下さい。

 とりあえずもうちょっと自分なりにあれこれ調べてみます。


 スピリチュアリズムは宗教、には同感です。読んで字の如し、「信」じて「仰」ぎ見る「宗教」に初めて出会った気がします。
 私が今まで興味を持ちながらも「無宗教」で通してきたのは、現有の「宗教」と名がつくどれにも心底納得できる一貫した摂理・法則を感じられなかったからですが、スピリチュアリズムに出会ってやっとこさ本物に行き当たったなぁ、という思いでいます。

 で、これも時機なんですね。出会わせてくれた守護霊に感謝します。


#よっしーさん、呼び辛くて申し訳ありません(^^;。
#「雑念の塊」というハンドルは、パソコン通信開花期の15年以上前から使い続けてきたもので、すっかり身についてしまいました。
#オンライン・オフライン問わず通信友との間では本名よりも敏感に反応したりして(^^;。

4123 Re4120,4122
名前: ヨシ  投稿日: 2005年03月12日 (土) 09時29分04秒
私もよっしーさんに同感です。

自分及び他者の霊性の向上を図ることによって、この宇宙の進化に貢献するために私たちが存在している・・と私は考えていますが、この観点から、この世を去った人たちに何ができるかを考えるべきだと思いますし、その意味では形式にこだわる話ではないと思います。

なお、私はスピリチュアリズムには信仰が必要なことから、スピリチュアリズムは宗教(宗教の一側面も持つ思想)だと思っています。

4122 はじめまして。
名前: よっしー  投稿日: 2005年03月12日 (土) 00時22分35秒
雑念の塊さん(ちょっと呼び辛い・・)はじめまして。
よっしーと申します。

私は初心者ですが、挨拶がてらお節介させてください。

スピリチュアリズムとは形式や様式を問題とせず、内面の動機に重きを置く思想だ
と思います。
よって、こういうものがスピリチュアル的な葬式だという型はなく、死を悲しまず
今までの感謝、そしてこれからの成長に対する激励の気持ちを持って、故人を送り
出すならば、どんなやり方でも「スピリチュアル的な葬式」といえるのではないで
しょうか。
それはたとえ、業者による「普通」の葬儀であっても同じだと思います。

うう、今の私にはこれくらいしか言えません。助言になってないかも・・。
勝手ながら他の方に期待(w。

それでは失礼します。

4121 ?#4118
名前: 雑念の塊  投稿日: 2005年03月11日 (金) 23時43分40秒
 ひょっとしたら#4118、私の投稿の失敗の残骸かもしれません。
 さきほど書き進めて投稿しようとしたらタイムアウトではねられ、そのままログインしたら自動投稿されたのが原因かもしれないな、と思っています。
 もしそうなら申し訳ありませんでした。
4126 名前: ペーパーバーチ  投稿日:2005年03月13日 (日) 21時38分38秒
#4118は削除しておきました。掲示板の仕様の所為でお手を煩わせたようで、申し訳ありません(_ _)ペコリ
http://www.paperbirch.com/

4120 はじめまして&ご教示下さい
名前: 雑念の塊  投稿日: 2005年03月11日 (金) 23時39分34秒
皆さんはじめまして。雑念の塊(かたまり)と申す不届きものです。よろしうお引き回しのほど。

 フトしたきっかけから霊的真理の存在に目覚め、目下種々の書籍&テキストデータで霊訓など鋭意お勉強中の(齢充分すぎるほど充分な(^^;)オッサンです。
 いろいろあれこれ読み進めるうちに「おぉ、この世に生を受けた訳はこういう意味だったのかぁ」とか「なぁるほど、生きる、ってそういう事なのね」と激しく納得する反面、「あぁ、この霊訓は知らなかったほうが…」とか「えっ、それってつらいなぁ…」とか…、まだまだ修行が足りませんね(^^;。

 てなわけで、あれこれ探し回り、やっとこさここに辿り着きました。皆さんと一緒に魂の向上を目指し、修行を進めていきたいと思います。今後ともご指導よろしく。


 というわけでまだしばらくは眺めさせていただく予定ですが、ひとつだけご教示下さい。

 スピリチュアルの精神に合致した葬式、特に「無宗教」での葬儀に関する情報の在処・情報をご存知の方、ご教示いただきたく。とりあえずここの過去ログを検索してみましたがみつけきれませんでした。

 というのも、心の道場の霊界通信一覧に掲載してある「続スピリチュアリズム入門」を読ませていただいて『葬式』や『墓』に対する考え方が大きく変化しましたが…、
 実は私の両親のそれらをそろそろ視野に入れないといけないという歳になっておりまして、さてどうしたもんかなぁ、と思いあぐねているのです。

 仕事上、あるいは知人・友人・親類縁者の様々な葬儀に出席するにつれ、神式・仏式・キリスト教式のどれにも何となく違和感を覚え、自分の肉親の葬式は流れ作業的な儀礼にとらわれない、いわゆる「お別れの会」といった形で霊界への旅立ち(里帰り?)を祝い(?)たいと思うに至りました。
 葬儀場のパンフレットでも「そういうやり方もある」という程度で詳しくは載っていません。
 インタネットで検索してももうひとつピンと来ず、スピリチュアル的な葬式、ってどんなんだろーなー、…と思い悩むところも、結局修行が足りないのかもしれませんね。

 よろしくご指導下さい。

4119 皆さん、ありがとうございました。
名前: よっしー  投稿日: 2005年03月11日 (金) 23時38分29秒
ヨシさん、今までしつこく質問を繰り返す私に、暖かく接し続けていただき、本当に
ありがとうございました。
キリコさん、ご助言ありがとうございます。
キリコさんのお考え、十分よく伝わりました。

>高級霊と言われるシルバーバーチやインペレター、 〜略〜 などの霊は、(背後から
>霊団の働きかけがあったにせよ)完結した一個の人格を有して通信を送っていますから、
>「無意識状態」ではなくて、「”私”という主観」を持っていたと思います。

なるほど、つい「本霊が個霊の記憶を元に、本人を演じているのでは」なんて勘繰って
しまいますが、もしそうなら、シルバーバーチの「パーソナリティは保たれる」旨の説明
は有り得ないだろうし、やっぱりヨシさんの仰る通り「主観はある」と解釈するのが自然
だと思いました。

>個が成長して行くにつれ、より大きな、高いレベルでの意識の共有化が行われ、それに
>ともない個の意識が類魂全体の意識と一体化し、自分自身として大きくなって行くので
>はないか?

私の言いたかった「統合されても個性を保つ」とは、それの事です。
キリコさん、文章表現がお上手で的確・・・、私の文章表現の不適切をキリコさんに全て
拾っていただく形になってしまいました。

>全体が自分で、自分が全体といいますか・・・・
>傍から見れば、個が消滅した様に見えますよね。

主観的に見れば「私」という自我意識は残ったままだが、そんな「私」を他の霊の立場で
客観的に見れば、とても大きく成長し他とも馴染んでいるせいで、まるで個性を無くした
ように見える。
なるほど、そう考えれば得心がいきます。
「無」の解釈も、私達人間の感覚だと「何も無い」と受け取りがちですが、実際はかなり
広い意味合いと観点があるみたいですね。

しかし皆さん本当に暖かい。
私は叩かれたり鬱陶しがられても仕方がない書き込みをしたと思います。
でも皆さんはそれどころか本当に懇切丁寧に助言を下さいました。
さすがは、スピリチュアリズムに深く馴染まれている=そうできる霊的レベルにある皆様
だと思いました。

しばらく自分なりに考えてみようと思います。
お付き合い本当に感謝しております。

4117 そういえば・・・
名前: キリコ  投稿日: 2005年03月11日 (金) 22時45分21秒
直接今回の話題とは関係ないかもしれませんが・・・

最新の宇宙論の描き出す原初の世界というのは、宇宙は無から生まれたと言います。
無と言うと、我々は普通、全くなにもない「虚無」を想起しますけれど、最新の量子論などが想定する無と言うのは、「虚無」などではなく、激しく活動する、大きな役割を持つ、「無」なのだそうです。

「無」から生まれた我々の宇宙も、無数に生まれている宇宙のホンのひとつにすぎず、我々の宇宙も、正体不明のエネルギー(全宇宙のエネルギー・質量のうち、実に95%!!が正体不明!!)が支配する、激しく活動する「無」の世界です。

つまり、インペレーターが仰っていた「無」というのは、決して、決して虚無などではなく、
激しく活動し、宇宙を生み出しているところの、つまり宇宙の実態そのものを表現したと言うことかもしれません。

4116 おそらく
名前: キリコ  投稿日: 2005年03月11日 (金) 22時24分07秒
地上の言語として、文章として霊媒が表現する時に、それは地上もしくは霊媒の限界があるのでしょう。

高級心霊(神霊)のもたらす真理と言うのは普遍的な価値がありますが、それさえも、地上にて表現される際には限界が生じてしまうと言うことは、「霊訓」で繰り返し述べられている事ですから・・・・・
ただし、この件について自分在りに考えたり、思索する事は非常に有意義だと思います。

私なりの解釈も、文章にすると、非常に伝えにくいですね・・・・・・

おそらく、究極の段階における個の存在に付いては、表現が非常に困難なのではないか?と考えます。
ヨっシーさんが提示してくれた部分には、インペレーターは「少なくとも我々はそう信ずる」という表現をしていますね。

そう、表現するより無かったのではないか?と考えます。

個が成長して行くにつれ、より大きな、高いレベルでの意識の共有化が行われ、それにともない個の意識が類魂全体の意識と一体化し、自分自身として大きくなって行くのではないか?
霊界では、自分と同レベルの霊と共に生活していると言う内容の記述が基本になっていますが、高級界になるにつれ、その個々が生活と言う範疇を超えて、意識そのものが一体化していくとおもっています。

高等神界では、自我だの利己主義だの、そのようなレベルの意識は払拭しているからこそ、より普遍化されたレベルでの意識の一体化があるのだとおもいます。そして、個々の経験は、その大きくなった意識において共有化され、拡大した個の意識が全体として一体となる・・

表現が難しい・・・

太陽系神界ならいざしらず、星団神界や銀河神界などのような超高級神界ともなれば、当然、人類とは似ても似つかない形態の知的生命出身の高級神霊と交わるわけですから、ホモサピエンスとしての自我は、あまり意味がなくなってしまうのではないかなあ・・・・

と、考えていますが・・・・・

全体が自分で、自分が全体といいますか・・・・
傍から見れば、個が消滅した様に見えますよね。
つまり、それが表現の限界だったのでは?と考える次第です・・・
難しい・・・
ヨッシ―さんも、シンさんも、実に素晴らしい問題提起をしてくださって、感謝します。
シンさんが提起してくださった件についても、いま、日本史問題集お勉強しています。最近の参考書はいいですねえ。わかりやすくて。Z会の問題集を、とりあえず一回終了させて、いま、2回目をやっています。
ま、十回くらい繰り返すつもりです。

ヨッシ―さんの質問は、「我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへいくのか」という
人類永遠の問いを、改めて考えさせてくれました。
もうちょっと、しっかり私も考えます。
漠然としか、考えていませんでした。
文章化しようとすると、難解そのものです・・・

4115 「”私”という主観」はあると思います
名前: ヨシ  投稿日: 2005年03月11日 (金) 22時07分37秒
>「”私”という認知感覚を保っている」のか、それとも「テレビのスイッチを切るがごとく、”私”という主観を無くし、無意識状態になる」のか、それともまた別の解釈なのか、という疑問でした。

高級霊と言われるシルバーバーチやインペレター、高級霊とまではいかなくても霊界に行ったステッド氏(タイタニック号の沈没で亡くなった人で娘を通じて通信を行った霊。「タイタニック 永遠の旅」(ハート出版))や小桜姫(http://www.paperbirch.com/sakura/index.html)などの霊は、(背後から霊団の働きかけがあったにせよ)完結した一個の人格を有して通信を送っていますから、「無意識状態」ではなくて、「”私”という主観」を持っていたと思います。

4114 すみません。訂正です。
名前: よっしー  投稿日: 2005年03月11日 (金) 21時43分02秒
×「大我=私として、”私”という認知感覚を保っている」

○「”私”という認知感覚を保っている」

「大我=私として」は余分でした。

4113 ヨシさん、ありがとうございます。
名前: よっしー  投稿日: 2005年03月11日 (金) 21時28分56秒

>このような不安や悩みに対しては逃避するのではなくて、それはそれとして、ありのままに
>持ち続けることが大変重要だと思っています。

同感です。
「難しいから忘れてしまおう。」という結末だけは避けたいと思います。

>これは、類魂の一側面である「私」(個的自我)が類魂(全的自我)に統合されるとき、
>「私」(個的自我)の個性はどうなるのか?・・という指摘でしょうか。

ごめんなさい。どうも表現に迷ってしまってうまく伝えられません。
もう一度、言い直させて下さい。

「個的自我が類魂(全的自我)に統合されるとき、”私という主観”はどうなるのでしょう?」

↑、この方が近かったです。
つまり、統合の後の「私」という感覚は、
「大我=私として、”私”という認知感覚を保っている」のか、それとも「テレビのスイッチを
切るがごとく、”私”という主観を無くし、無意識状態になる」のか、それともまた別の解釈
なのか、という疑問でした。

本当に何度もごめんなさい。

4112 よっしーさん、こんばんは
名前: ヨシ  投稿日: 2005年03月11日 (金) 20時49分25秒
★4103でも書きましたが、スピリチュアリズムを学び、実践していると、分からないこと、信じられないことが出てきて、不安や悩みを持つことがありますが、このような不安や悩みに対しては逃避するのではなくて、それはそれとして、ありのままに持ち続けることが大変重要だと思っています。そのようにしていれば、適切な時期に、霊界側から適切な回答がもたらされると考えています。

★さて、よっしーさんの以下の指摘ですが、
>つまり、「失わずに統合される個性」とは「自我意識」と解釈していいのか、ただ「本霊の記憶」として保たれるだけなのか、それともまた別の解釈なのか、それが分からず気になってしまいまして。

これは、類魂の一側面である「私」(個的自我)が類魂(全的自我)に統合されるとき、「私」(個的自我)の個性はどうなるのか?・・という指摘でしょうか。

私自身も、その個性がどうなるのか・・については、よく分かりませんが、私の推測は以下の通りです。

@(恨みや間違った考えを持った霊は浄化せず、幽界に長く留まっているそうですが、このような未浄化霊は別にして)霊界に長くいる魂はこの世での経験を忘れてしまう、自分の名前さえも忘れてしまう・・ということをどこかで読んだ記憶があります(近藤千雄氏の解説だったかもしれません)。

Aまた、この世への支援、働きかけを行っている霊団にも得手不得手があって、自分の得意な分野で働きかけをしているということ。

このようなことを考えると、「私」(個的自我)の個性は、この世での細かい記憶の集積は無くなってしまい、心(精神・霊)の傾向(芸術分野が好きだとか、慈善事業に関心があるとか、指導者として能力があるとか、ヒーリングが得意だとか・・という心の傾向)が個性として類魂(全的自我)に統合された後でも残る・・と推測しています。

★しかし、これはあくまで私の推測ですので、よっしーさんがこれからスピリチュアリズムを学んで、これに対する適切な回答を得られたときにはそれを教えていただければ幸いです。
↑↑↑↑
またまた、違った回答になってしまたかもしれませんが、そうであればすみません。

4111 ヨシさん
名前: よっしー  投稿日: 2005年03月10日 (木) 23時27分07秒
ヨシさん。ご回答ありがとうございます。
私の質問は仰るとおり、「個的自我(パーソナリティ)を捨て、全的大我(インディビジュアリティ)
である類魂」についてです。
シルバーバーチの「川が大海へそそぐ。オーケストラのバイオリン」の例えの具体的なイメージを知り
たくて質問させていただきました。
つまり、「失わずに統合される個性」とは「自我意識」と解釈していいのか、ただ「本霊の記憶」
として保たれるだけなのか、それともまた別の解釈なのか、それが分からず気になってしまいまして。

ユング心理学のお話、勉強になりました。
たしかに、霊訓の「顕在する小さな自己」と「潜在する大きな自己」の関係に似てると思いました。
ただ、私の求めている回答は・・、ごめんなさい。正直に申しますと納得できずにいます。
私が基礎的な知識と理解も持たないままに、解釈の難しい問題の回答を得ようと背のびしたせいで、
的を射ない質問文を書いてしまったからでしょう。

書籍名やページ数を書いてくださっているところから、わざわざ本を出して調べて下さったので
しょう。
ヨシさんは的確な助言を下さっているのに、私に受け入れ態勢が出来てないのかも知れません。
こんな返事をしてしまって、手間を掛けさせてしまってごめんなさい。そしてご助言頂きありがとう
ございました。

今更ですが、HN似てますね。
私も名前に「よし」が付くので、「ヨシ」というのもアリだったのですが、メールアドレスが
「よっしー」と読めるので、そちらを取ってHNとしました。
あと、似ていると言えば、私もペーパーバーチさんと同じ名古屋人です。

4110 類魂について
名前: ヨシ  投稿日: 2005年03月09日 (水) 22時19分15秒
よっしーさん、直接の回答にはならないかもしれませんが・・・

★これは、ペーパーバーチさんが4012で指摘している
>個的自我(パーソナリティ)を捨て、全的大我(インディビジュアリティ)である類魂
・・・・
に関することだと思います。

私は自己流ですがフロイトやユングの精神分析学を勉強したことがあります。そして、ユング心理学では、日常意識している自分(自我)は無意識を含めたより大きな自分(自己)の一部でしか過ぎず、より大きな自分の中にある他の自分は、日常意識の自分(自我)への統合を求めており、その調和された統合こそ人生の課題(自己実現)としています。

★この精神分析学の考えはスピリチュアリズムの魂の考えに通じるものがあります。

『再生の事実は認めますが、それは部分再生です。自我の全部が、再び物質界に降りてくる生まれ出ると言うことは絶対にありません。自我のほんの一部分のみの再生です。自我は出生以前にも立派に存在し、死後も依然として存在します。』(「心霊主義」浅野和三郎著(でくのぼう出版)116ページ)

『真の自我であるダイヤモンドには無数の側面があり、それが様々な体験を持ち帰ってダイヤモンドの光沢を増す、という考えです。ダイヤモンド全体が一度に生まれてくることはありません。・・・(略)・・・もう一度生まれ変わりたいという願望を持つようになる人がいます。奉仕活動をしたいという場合もあります。成し遂げたい仕事がある場合もあります。償わねばならないカルマ的借金が残っている場合もあります。そういう人たちが地上に再生するのです。二度、三度と繰返すこともあります。が、いずれの場合も再生してくるのは真の自我すなわちインディビジュアリティの側面の一つです』(シルバーバーチの霊訓(10) 122〜123ページ)』

このように全的大我(インディビジュアリティ)の一部である個的自我(パーソナリティ)が部分再生をしながら霊性を向上させるよう努力し、それが「大きな私」(全的大我(インディビジュアリティ))の向上につながっていくという考えです。

★このような過程の中で、(シルバーバーチの例えで言えば)ダイヤモンドの一側面であるパーソナリティー(←ヨシという個別の人格であり、あるいはよっしーという個別の人格であると考えていいですが)の個性は失われず、より「大きな私」であるインディビジュアリティー(individuality)(シルバーバーチの例えではダイヤモンド本体ですが)に統合されるという考えです。

4109 度々、すみません。
名前: よっしー  投稿日: 2005年03月09日 (水) 21時52分48秒
しつこくて、ごめんなさい。
どうしても気になってしまって・・・。
これだけ質問させて下さい。

「シルバーバーチは語る」11章からですが、

>(質問)複数の個霊が進化して、どこかで一個のグループとして融合し、個性を失うということは
>あり得るのではないでしょうか。

>(バーチの回答)私の知る限りでは、あり得ません。

そして、同じく「シルバーバーチは語る」19章ですが、

>(質問)個々の霊が独立しているのでしょうか。

>(バーチの回答)独立はしていません。あなたも他の分霊も一個の「内奥の霊的実在」の側面です。
> 〜略〜 そのうち全分霊が共通の合流点を見出して、最終的には一つに再統一されます。

これらをどうつなげれば、意味合いが合致するのかが、私の感覚では掴み辛いです。
もしや、他の個霊と個性を共有するという意味でしょうか?
どうかお知恵を拝借できませんでしょうか。

4108 皆様、ありがとうございます。
名前: よっしー  投稿日: 2005年03月09日 (水) 00時48分12秒
ペーパーバーチさん、ヨシさん、キリコさん。
大変丁寧なご回答を本当にありがとうございます。

>恐らく霊媒の潜在意識が混入したための間違いだろうと、僕は考えています。
>悪は消滅させられてしまうという考え方は、いかにもキリスト教的ですよね。

なるほどと思います。発想としてはスピリチュアリズムというよりも、むしろ
人間がこしらえた教義に近い印象を受けますね。

>類魂と合流するにしても、それでパーソナリティを構成していた部分が消滅
>してしまうわけではありません。

この問題についてのシルバーバーチの説明が理解し辛く思います。
「パーソナリティが消滅しない」とは、「自己を認知できる意識を保っている。
個霊だけが自己だったものが、本霊そのものを自己の認知するようになる。」
という事なのでしょうか。
それとも、「客観的に見れば、本霊+個霊という事なので、個霊の存在は消えて
いないが、個霊の主観で見たとき、すっかり本霊に吸収されて、思考や自己認知
ができない「無」の状態に入る。」という事なのでしょうか。
解釈に迷ってしまいます。

>「神性の火花は消えても、神性の本体自体は消滅しない」

ペーパーバーチさんのお考えとは若干違いがあるようですが、どちらも、とても
納得できます。
霊界通信は文章のまま受け取らず、文意を洞察する必要があるのですね。
「火花と本体を別とする解釈」。私には思いつきませんでした。

>神自体が無限の存在なので、そのプロセスは無限に続く・・ということでは
>ないでしょうか。

なるほど、「成長には限りがない」つまり、何かの目的を全うする為の成長を
するのではなく、成長する事そのものが目的なのかも知れないですね。

>長い年月を掛けて魂は進化し、大きな領域に対応した広大な意識レベルの中
>で、自意識も拡大・飛翔して行くのだと思います。
>その場合、傍から見ると、個々の存在が識別しにくくなると言うことは考え
>られますが、実際は、個々の意識が拡大しているということであり、個が
>消滅したこととは違います。

それが正解であってほしい!!!
もし、それを確信できれば、私の感じている恐怖は吹っ飛んでしまいます。
もし、気の遠くなる長い時間を経た進化・成長の先に待っているのが、「無」
だとしたら、唯物論者の「死んだら終わり」と何も変わらない気がします。
また、唯物論者が死を恐れるのと同じ恐怖を私は覚えます。
それに、何のための進化・成長だったのかも分からない空しさも感じます。

皆様、それぞれ違ったご意見を下さいましたが、それぞれ相反しない所を見る
と、解釈そのものは皆様共通されているように感じます。
皆様の深い解釈、洞察力には驚かされるばかりでした。
私はまだ全然未熟ですね。これから徐々に知識と理解を得ていきたいと思います。
本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

4107 ペーパーバーチさん
名前: アップル  投稿日: 2005年03月08日 (火) 22時35分14秒
おおっと、チャンネル桜ですか!

私のスカパーの受信機、初期タイプでなぜか
映りませんが、
HPにもある高森先生の講義、感動で胸おどりますよ。
高森先生は200人くらいの会場なら
マイクはいりませんといって、お腹から発声するすごい人です。

あと、現役の高校の歴史の占部先生。
占部先生の講義を直接聞くときはハンカチが必須です。
ホント。感涙ですよ!
私に日本のすばらしさを教えていただく
きっかけをいただいたのは占部先生です。

いいな〜、そうですか契約されたんですか。
チューナー替えようかな。

4106 ペーパーバーチさん
名前: キリコ  投稿日: 2005年03月08日 (火) 21時53分46秒
ライブドア対フジテレビ、泥仕合ですね。

わたしは、最初ライブドアが仕掛けたと聞いたときに、中国が産経潰しの為に
仕組んだ事か!と考えました。
それくらい、中国は産経を敵視しているでしょう。
今と違って、数年前までは「日中友好」の美名に、日本中が騙されていましたが、
当時でさえ、フジサンケイグループは、その安易な風潮に、警鐘を鳴らしつづけていた貴重な存在です。
モルガンの資金の出所が中華資金だと言う可能性は、いくらでもあるわけで。

以上は、なんの根拠も無い、私の想像です。
ま、案外そうかもしれないですけれど・・・・(笑)

フジは、脇が甘かったですね・・・本当に。

4105 さすがじゃ
名前: キリコ  投稿日: 2005年03月08日 (火) 20時51分58秒
よっしーさん、はじめまして。

ペーパーバーチさんとヨシさんが、さすが!な答えをしていますので、なんとなくわかっていただけましたか?
各人、解釈が違っても、それもスピリチュアリズムのあるべき姿ですから。

私的には、以下のように考えています。

○霊界は果てしなく続いていく。
 → 地球の霊界でさまざまなステージをクリアして行く。

 → 太陽系神界
 → 恒星系神界
 → 星団神界 
などというふうに、長い年月を掛けて魂は進化し、大きな領域に対応した広大な意識レベルの中で、自意識も拡大・飛翔して行くのだと思います。

その場合、傍から見ると、個々の存在が識別しにくくなると言うことは考えられますが、実際は、個々の意識が拡大しているということであり、個が消滅したこととは違います。
川の水が海に流れ込んでも、川の水が消滅したわけでは在りません。

ちなみに、堕落して行く事も同じではないでしょうか?
魔界や暗黒界も下方に広がっているのであれば、そのなかで魔の領域で個が拡大していく事も可能性としてはありますね。
ミカエルやラファエルなどの大天使がいるとするならば、ベール○ブブやアスタ○ト、ベリア○、アスモデ○スなどのごとき存在も、地球霊界にはあるのかもしれませんね。(穢れた名前なので、伏字)

日本神界についての非常に貴重な記述がされている「異境備忘録」にも、魔界についての記述があります。

4104 よっしーさん
名前: ヨシ  投稿日: 2005年03月08日 (火) 20時12分43秒
今下を見たらペーパーバーチさんが回答をしていましたね。

ペーパーバーチさんのような考えもあろうかと思います。

4019で書きましたが、
>スピリチュアリズムの解釈・考え方は、その基本原則さえ踏み外さなければ、いろいろな考えがあっていいと思っています。いろいろな考えが提示され、読者がそれらの考えを自ら吟味して判断すればいいし、そのための判断材料としていろいろな意見が提示されることが望ましいと考えています。

スピリチュアリズムは組織も教祖もない思想・宗教なので、強い「自立心」が求められるわけですが、よっしーさんが、私やペーパーバーチさんの考えを参考にしながら、ご自身で思索を深められることを期待します。

4103 よっしーさん、初めまして
名前: ヨシ  投稿日: 2005年03月08日 (火) 19時24分04秒
私のHNと似ていますね( ´ー`)ノ。今後とも宜しくお願いします。(実は私もHNをよっしーに替えようと思ったことがありました)

★まず、私なりの回答をする前に、気づきの点をいくつか申し上げると以下の通りです。

(1)スピリチュアリズムはシルバーバーチやインペレーターなどの「多くの時と多くの人々のフィルター」を通されて残った高級霊訓を拠り所にして、自ら学び、実践する思想・宗教ですから、よっしーさんのとっている姿勢・・すなわち、高級霊訓の原典に直接遡って、自ら考えようとする姿勢は、正統派スピリチュアリストとして、まさにありうべき姿勢だと思います。

(2)スピリチュアリズムを学び、実践する過程では、分からないことや、信じがたいことがあり、そのために、不安・悩みがあるものですが、それらに対する回答がすぐに得られるとは限りません。何ヶ月も、あるいは何年にもわたって、場合によってはそれ以上の期間、その不安・悩みを持ち続けなければならないこともあるかと思います。それでも神の存在を信じ、信仰していこうとする姿勢が大事だということです。(誰かが「悩み保持力」が大事だと言っていたことを思い出します)

(3)真理については、
・真理を語ると言っても、「言葉の限界」から、全てを同時に表現することは不可能で、どうしてもある一面だけしか語れないことが多い。
・相手の状況などに応じて(表面的、形式的には)矛盾する考えを説くこともある。
・高級霊からの通信と言っても、よっしーさんが指摘するように完璧なものではなく、通信者自体の認識が間違っていることもあろうし、受信者の価値観や無意識の不純物が混じることも否定できない。(シルバーバーチやインペレーターなどの高級霊訓にはこのような間違いや不純物は非常に少ないとは思いますが、それでも完璧なものではないと思います)

★それでは、よっしーさんの質問に対する私なりの考えを述べたいと思います。

(1)堕落が過ぎると神性の火花が消えるのか、消えないのかと言う点ですが、「神性の火花は消えても、神性の本体自体は消滅しない」ということだと思います。堕落により「火花」はなくなっても、カルマを精算し、火花を燃やす環境が整ったときは、(神性の本体自体は残っていますから)その火花が復活する・・ということではないでしょうか。

(2)進化は無限なのか、終着点があるのかとの点ですが、これは「同じことを(形式的には)異なった表現で」言っている例だと思います。

私たちは最終的には進化の終着点として神の中に入ることを目的にこの宇宙に存在しているが、神自体が無限の存在なので、そのプロセスは無限に続く・・ということではないでしょうか。

以上ですが、ご参考になれば幸いです。

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