スピリチュアリズム勉強会&座談会
('01.10.16作成)

第5回('01年9月23日)
「スピリチュアリズム・ニューズレター」第14号について

その2


 

有希:もしペーパーバーチさんが癌になったらどうしますか?

ペ:癌になったら? 何歳頃になるかでも違ってきますけど。

有希:もし今なったら?

ペ:それは困りますよね。若いと進行が早いから死んじゃいますよね。どうしようかな? どうしようも無いですよね〜。

有希:私はひょっとしたら喜んじゃうかもしれません。もしかしたら何の手立てもしないで、癌の進行状況を楽しんで見ていくかもしれません。

長田:偉いですね。私も何の手立てもしようとは思わないけど、痛みだけはとってもらいたいなぁ。

有希:私も痛みはとってもらうけど、死ぬことに関しては何も怖くないから。

ペ:うちはまだ子供が小さいから困るんですよね。僕が今癌になったら、そうだなぁ、子供に5年ごとぐらいに見せるビデオを残しておきたいかなぁ。

長田:手紙とかビデオとかあるよね。まだ子供さんが小さいから、メッセージを残す事はとても良い事ですよね。

有希:私はね、病気で死ぬということはとっても幸せだと思うんです。心の準備が出来るじゃないですか。

長田:そうですよね、たとえ3ヶ月でも終わりが分かるわけだから。アメリカのテロ事件のように突然死んじゃうと、本人も家族もショックですよね。

ペ:当事者からすると、なかなかああいうのを天命とは思えないでしょうね。

有希:ただああいうのでも助かる人もいるし、死んじゃう人もいるし、やっぱり何かあるんだろうなと思います。バーチの中に書いてありましたよね。飛行機事故とかで突然死ぬ人に何かそういう意味があるんですか?という質問に、そう考えてもらって良いです、というところが。

ペ:そういう時に何か虫の知らせがあって乗るはずになっていたのにキャンセルして乗らなかったとか。またその逆にキャンセル待ちで乗った人もいるはずで……。

有希:また飛行機が落ちても助かった女の子もいましたよね。

長田:今回もちょっと遅刻したら助かった人もいましたし。

有希:ということは突然死ぬのには、それなりの意味があるということですね。

長田:ヒーリングに戻りますけど、すでにスピリチュアリストだったらもう死については知っているから、あたふたして死にたくないとか、どうやってでも治して欲しいとかは思わないですよね。

有希:ええ、思わないですよね。でも人によって違うから分からないけど。私はもうそのまま受け入れちゃおうと思っています。

長田:私もそう思います。

有希:だから衰弱しようが、食べれなくなろうがそれはそれでいいやってね。病気で死んだ猫を見ていてそう思ったんです。衰弱していくんだけど、そのまま受け入れているから、体は苦しいけど心は苦しくないだろうなって。
昔、地雷とか踏んで片足になったらどうしようとか考えたことがありますけど、そういうのはスゴくショックですよね。でもそれはそれで受け入れて生きて行くしかないなーと考えました。片足を無くしたなら片足をなくした自分にしか体験できない事が必ずあるし、もし自分がそうなったら、そういうのを楽しんで見て行くんじゃないかな。私っておめでたい性格ですね。(^◇^)

ペ:僕もたいがいの事は大丈夫かなーと今思いますけど、ただ一つだけ、恐らく目が見えなくなるのだけは耐えられないと思います。絵画も鑑賞できなくなるし、仕事も失うことになるし、何といっても本が読めなくなってしまうでしょう?

有希:大人になってから見えなくなるのは凄く辛いみたいですよね。交通事故か何かで突然光を失っちゃうのはやっぱりショックみたいです。

長田:暗闇になるのはちょっと辛いよね。でも今度は耳の機能がすごく復活しますよね。

有希:そういう意味では逆に目が見えなくなると幸せかなーとも思います。だってその分心の目が発達するし、肉眼で物事を判断しなくなるから。

長田:そう、それに目が見えない分誰かが本を読んでくれるようになるし。

ペ:ううん、僕は朗読では我慢できないなぁ。目で読むのとはスピードが全然違う。

有希:それはそうですけど、その分愛情も一杯もらえるわけで。

長田:そうそう、また違ったものが見えてきますよ。

ペ:愛情が貰えればいいんですけど、ほっとかれたりして……それまでの人徳が問われるところです(笑)。

長田:でもやっぱり真理を知っていると、どんな状況におかれてもこれは自分に与えられたものだから、よし受けて挑戦してみようと思えるというのは有難いですよね。

有希:もし私がそうなったら最初はもちろんショックでしょうけど、知らない人よりわりと早く乗り越えられるんじゃないかなーと思います。

ペ:実際なってみないと分からないですけどね。実際になった時にその人の真価が分かる。

有希:そうそう、私はその真価を自分で見てみたいというのがすごく強いんです。だから自分の父親が死ぬという時に自分はどういう状況になるのだろうかと考えてました。死んだら本当に「はい、行ってらっしゃい」と思えるかどうかって。いざとなったらワーワー泣きわめくかもしれないし、こういうのってその場になってみないと分からないものですね、でも実際死んで見ると、予測していたのと全く同じでした。病気だったというのも心の準備になって良かったんです。でも死んだのが自分の子供だったらわからないですけど。

長田:私もよく考えますよ。当然いたものがいなくなるのだから現実には寂しいでしょうけど。最近はどんな死に方でも霊界にいけるのだからいいんだと思えるようになりました。

有希:たぶん予測していた通りになるだろうと思うけど、ショックはショックだし、寂しいのはあるけど、霊界を知っているから癒されるのはとっても早いだろうと思います。

長田:ちょっと質問なんですけど、よく身近な人が死ぬと残された人はしくしくといつまでも立ち直れないで、亡くなった人のことを思っていますよね。その思いが強いと死んだ人も引っ張られるというか、幽界に行けなくなるという事ありますか? よくあんまり悲しんじゃいけないといいますよね。

有希:あまり関係ないと思いますけどね。

長田:じゃあ、死んだら残った人のことはあまり関係なくて、連れに来てくれる霊が分かればどんどん旅立っていくんですね。とにかく自分が死んだことに気づくかどうかが問題なんですよね。
それからスピリチュアル・ヒーリングの必要性というのは、霊的覚醒しそうな人を覚醒するように導くというか、促すというのが目的なんですよね。

有希:一応心の道場で出しているのはそれが前提ですよね。でも、覚醒する人は覚醒するし、しない人はしないというところだと思います。ヒーリングをやる時は、ヒーラーは霊界の道具になるだけで、覚醒するかどうかは本人自身の問題ですから。

長田:だけどこれはよくまとめられていますよね。これだけ多くの内容が書いてあるんですから。

有希:このように論理的にうまく書いてあるというのはすごいですよね。

長田:それにヒーリングは無料でやってらっしゃるし、浜松にもいるみたいですよ。

ペ:ご近所の豊橋にもいる(有希・長田は浜松。ペーパーバーチは豊橋の隣の豊川在住です)。全部で19人もいるんですね、すごいですよね。でもヒーリングに頼るんじゃなくて、その前に自分の食生活とか生活スタイルを正す事が大切だよと書いてあるのがイイですね。これは前提として大事だと思います。

有希:ええ、本当はこれが大切なんだと思います。自分の体は自分で守っていくという自己管理が大切ですよね。

ペ:学生の時にスキースクールでインストラクターのバイトをしていたんですよ。そうすると山で一日中運動して、早寝早起きで食事も規則正しく食べて、という生活になりますよね。そうするとその間だけものすごく健康になっちゃうんですよ。で、山から下りて来てしばらくすると元の不健康な体に戻るという(苦笑)。本当に食事とか生活習慣って大事だなーと思いましたよ。それをキチンとするだけで、ほとんどの病気はなくなっちゃうんじゃないかな。

有希:でしょうね。自然の中って霊と肉のバランスがとれそうですもの。現代の文明が進めば進むほど逆にバランスは悪くなるのかもしれません。

長田:そうね、楽な方ばっかりを選んでいるから私も少しは運動しなくちゃいけないと反省しました。霊的なことばかりでもダメですしね。

ペ:こういう霊的治療というのは霊的なことに目覚めるためにあるのであって、すでにスピリチュアリズムを知っている人が頼るようではダメですよね。

有希:そうですね。
では次に類魂に行きましょうか。類魂についてはペーパーバーチさんのHPにも書いてありますよね。

ペ:一応載せていますけど、僕もあまりわかってなくて、本など見ながら書いています。だいたい、この世の人でちゃんとわかる人なんていないんじゃないですか。『永遠の大道』のマイヤース霊だって、本当のところはわかってないですよね。ましてこの世の人間でわかる人なんて……。

有希:いないと思います。ただこれを本当に知って理解する必要があるかどうかというと、やはりこれは知的レベルでしかないと思うの。

ペ:大体のところであやふやでも、ちゃんとイメージを持っていればいいと思いますけど。

有希:とりあえず、今まで考えられてきたような再生とは全然違うんだということですね。

ペ:そうですね。昔言われていたような、そのまま生まれ変わるというような考え方を持っているとちょっと弊害があるから、それは違うというのを出すために心の道場さんもこういうものを出しているんでしょうね。たしかこの類魂説をしっかり理解する事にそれほど意味があるとは考えていないような事を、前にお会いした時に言っていましたよね。

有希:ここに「そうしたグループは、小さいものでは数十人から成り、大きなものでは数千人にも上るといわれています。」と書かれているけど、具体的な数字が出てくると面白いですね。

長田:数十人と数千人のこの差は何ですか?

有希:数十人は相当レベルが高いという事じゃないかしら。

ペ:若い類魂は構成員が少ないという事でしょう。生まれ変わるたびに新しい霊(パーソナリティ)を生み出して、その数が少ないということは、つまりまだ類魂として若いという事です。

長田:そうすると古い霊と新しい霊ということで、霊がどんどん増えちゃうんですか?

ペ:そういうことですね。

有希:でもこれを読むと、ちょっとニュアンスが違いますよ。もともとある中から一部が出てくるわけで、死んだら戻るだけだから増えないんじゃないかしら。
私は人間のレベルで言うと、魂があまり成長していない人達ほど沢山いるわけだし、そこから成長すると次の類魂に行くわけですよね。ピラミット型に上へ行けば行くほど純度の高い親和性になるから少ないのかなーと思っていました。

ペ:いや、シルバーバーチの中にもたぶん書いてあると思うんですが、1つの類魂の中に高い霊から低い霊までいるんです。レベルが上がったからってその類魂から抜けて違う類魂に入るというものじゃないですから。(※注)
親和性によって似ているものが集まるといっても、レベルが同じとは限らないと思うんですよ。例えば自分の経験に置き換えて考えると、日本画なんかの美術の世界では、もしもその人が凄く偉い先生としても、他の社会の人達よりすごく親和性を感じるんです。全くレベルが違うとしても、それでも、話をしてみればどこかしら通じ合う所はある。そんなイメージです。

※注:以下は類魂を広義に考えた説明で、通常の類魂は別の生物まで内包するわけではありませんが、様々な段階にある霊を含む点は同じことです----ペーパーバーチ
 ここで、類魂の構造をはっきりと心に描いておいてもらいたい。類魂の本霊は、それに所属する植物、樹木、花、昆虫、魚、獣、人間など、進化の様々な状態にある生物を、生命と心の光によって養っている。そしてまた死後の世界の様々な意識の段階にある魂にも命を注ぎこんでいる。(中略)というのも本霊はあらゆる形態における経験を収穫物として集める必要があるからである。(『不滅への道』G.カミンズ著、梅原慎太郎訳、P.82)

有希:私はそれは霊系だと思っていました。例えばキリスト教ならキリスト教系の人がピンからキリまでいるけど、親和性はあるから縦社会で連なっているという霊系です。だから霊系が違うと親和性も全然違いますよね。同じ霊系だから高い霊が低い霊に会いに行く事もできるということじゃないかしら。これが霊系が違うと水と油みたいに全く合わないということも起きてくるんじゃないかなあ。でも死んでみないとわからないですけどね。

長田:死んでも全体の事はわからないよね。例えば、こうして有希さんとスピリチュアリズムを通して親しくしてもらっているけど、地上に来ている事を思うと同じ類魂ではないわけですから、でも上下の差はあるにしろ同じ霊系の中のどこかの類魂で、そういう意味の親和性というのはあるかもしれませんね。
でも死んで、自分が親和性で結ばれたところへいけると思うと不安はなくなりました。今この地上で色々な人に気を使って生きていると、死んで自分と全く同じ考えの中に行ける事を思うと楽しみに思えますもの。

有希:あとメールをもらった時、これはとても不思議なんですけど、文字だけなのにすごく親密感を感じる人と、長くやっていても全然親密感を感じない人と2通りあるんです。そういうことはありませんか?

ペ: ありますね。すごく親しげに話し掛けられてもあまりこの人とは合わないなーと思う事もありますし。類魂の問題は難しいですね。興味のある人はこれ(ニューズレター)やシルバーバーチ、『永遠の大道』なんかを読んでくれればいいと思いますが。

有希:でも類魂の目的というのが、カルマの解消とあとは自分の体験などを類魂に持ち帰って共有するというのは、とっても新しい発見でした。今までカルマの解消が中心だと思っていたけど、やっぱり成長を持って帰れるというのは希望が大きいですよね。ただ読めば読むほど、地上には無い感覚だから考えても無駄かなとも思います。それと、普通の人と使命を持った人とでは再生の仕方が違うわけですよね。これもよく言葉に表してくれたと思います。いつかはこういうことも感覚として分かるようになるのかなーとも思いますが、できれば生きている間に分かりたいものです。
類魂にしても再生にしてもとても深く書いてあるので知的には満足するけど、最後はやっぱり具体的な実践しかないと思うんです。普段の生活の中で自分が何をどう実践していくかとか、自分で自分をどうコントロールしていくかとか。理想の自分に現実の自分をいかに近づけていくかとかも考えます。例えば愛の実践にしても、困った人がいれば躊躇せずに助けていこうという自分の目標があったとしたら、そういう場面に出会ったら実践するとかね。つまり自分に対する目標を持っていて、それに自分を近づけていく努力をする事がすごく大切だと思うんです。そのための知識だし、またそのランクを1つあげるための知識だと思っています。

長田:そうですね。頭でっかちにならずにまず自分の足元から実践していかなければいけないですよね。

有希:そうですね。今回選んだテーマはニューズレターの中でうまく説明し尽くされているから、それを読んで理解するのが一番だと思いました。

ペ:心霊学研究所の方でも何度か書いていますが、類魂の概念が判ると“カルマ”というものの本質が判ってくると思うんです。カルマというとどうしても「親の因果が子に報い……」みたいな、おどろおどろしい解釈がされたり、そこまでヒドくなくても、ほとんどの場合、後ろ向きな受け止め方をされていると思うんですね。
しかし、グループソウルの考え方に基づいて考えれば、全ては進化のための経験に集約されるわけで、むしろ「カルマがあるからこそ進歩できる」わけです。いわゆる悪いカルマも、良いカルマも同じです。一般の霊能書には「カルマを切る」みたいな表現が乱舞してますけど、そういうもんじゃなく、カルマとは愛であるというのが僕の持論ですし、そのように理解することで、より前向きな、力強い生き方が出来るようになると思います。そこにこそ、シルバーバーチなどが類魂説を丁寧に説明している意味も(知的興味だけではなく)あるんじゃないでしょうか?


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