スピリチュアリズム勉強会&座談会
('02.02.16作成)

第9回('02年1月20日)
「シルバーバーチは語る」
5章 絶対的摂理の存在(第3回)
6章 ヒーリングの問題

その1


 

参加者:有希、長田、ペーパーバーチ

有希:ペーパーバーチさん、まりあちゃんのお誕生おめでとうございます。

ペ:ありがとうございます。

有希:え〜と、どのくらいでしたか?

ペ:3,338gでした。

有希:大きすぎず、小さすぎず丁度いいですね。予定日よりずいぶん遅れたんですか?

ペ:いや、そうでもないです。20日が予定日だから2日遅れただけですから。

有希:安産だったんですか?

ペ:そうですね。朝起きた時に陣痛が来たみたいで、9時半ぐらいに病院へ行って、10時49分にはもう産まれちゃいましたから。

長田:それは早いですね。すっごい安産ですよ。

ペ:そうですねー。上の子の時は前日の朝に病院へ行って、なかなか産まれなくて丸一日くらいかかりましたからね。

有希:よかったですね〜。そんなに軽く産まれるとまた次の子が欲しくなるよね。

ペ:でも、本人は「もういい」って言ってますけど。

有希:家族が一人増えると大変だけどにぎやかでいいですよ。

ペ:上の子も「赤ちゃん、赤ちゃん」と言って、すごくかわいく思っているみたいです。ほおずりしたり、添い寝したりしますよ。

有希:上の子をしっかりかわいがっていれば自然と下の子を大切にするからいいですね。でも、普通世の中の人ってそうじゃなくて、「あなたはお姉ちゃんだから我慢しなさい」と下の子ばかりをかわいがるから、上の子が下の子をいじめるようになるんですよ。だから、ある程度下の子は放っておいても、上の子を先にかわいがると、とってもいい兄弟関係が出来ますよ。

長田:本当にそうですね。子育ても利他愛の訓練の1つだと思います。

ペ:ほ〜(勉強になるなぁ……)

有希:それでは本文に入っていきましょうか。今日はP96あたりからですね。
最初に私の方から質問したいんですけど、P95の最後の行からです。

しかし、霊的な無知に浸り切り、儀式や作法に取り囲まれ、あまつさえ神の霊力が今日でも地上界に降りることを否定するようでは(英国国教会では神は紀元66年まで地上に働きかけ、それ以後はいかなる働きかけもしないという信仰がある)、その代償は目に見えております。(P.95-P96)

この代償というのはどのようなものなんでしょう。この英国国教会で言っているというのは、神学の世界の独特な考えですよね。神は最初天地を創っただけで後は何も働かないとか、その類ですよねきっと。そうすると、その代償は目に見えておりますとは、どういうことを言っているんでしょうか?

ペ:ちゃんとした霊的な知識が得られないとか、世の中全体が唯物主義になっていっちゃうとか、霊的真理が衰退していくとか、そういうことなんじゃないですかね。

有希:目に見えた代償とかじゃないですよね。イギリスでは以前はスピリチュアリズムは発展したけれども、今は退廃しているそうですから。広がってはいるけれど深さがないというか、高さがないというか、そんな感じを受けるので、そういうところも入るのかしら。

長田:イギリスではこの英国国教会の信仰というか教えというのは、まだ根強く残っているんですか?

有希:さあ、どうなんでしょう。

ペ:要するにこれは(現代に於ける)霊の働きかけをみんな無いものとするような教えということですから、そうすると自分の守護霊とか背後霊の手助けみたいなものも何も無くなっちゃうわけで、そういう意味でも代償があるぞということなんじゃないですか。

有希:そうすると、霊界が働きかけにくいということかしら。

長田:そうかもしれないですね。すると当然、成長も遅れていきますよね。

有希:それから意外だなと思ったのが、P96の10行目ですけど、

私たちだけでは大きな仕事はできませんが、あなた方地上の人々と協力すれば、幾ばくかの仕事はできます。たった一人の魂を救ってあげるだけでもいいのです。(P.96)

全て霊界が主になって動かしていると思っていたけど、地上では地上人じゃないと出来ないこともあるんですね。

ペ:結局地上の人間の世界なわけだから、霊界の人が主になってというように考えてはいけないと思うんです。やっぱりメインはこの世の人間の働きであって、霊界の人たちはそれを助けてくれているという。

有希:以前は、霊界からは一人一人の心に直接に働きかけることができるから、案外働きかけ易いんじゃないかと思ったこともあったんです。でも、働きかけ易い人と働きかけ難い人の2種類あるんだなと思いました。成長している人はたぶん働きかけやすい人で、成長していない人やこの世にどっぷり漬かっている人は働きかけにくいんでしょうね。そういう人たちに対しては、成長している人に働いてもらわないと動かないといったような、そういう構図が見えてきたんです。言っていることわかるかしら。

長田:わかりますよ。

有希:単純で素直になっていれば、動かし易いでしょうね。だけど、霊的なことを知らない人だと、いくら霊界が働いてくれても損得で考えてしまったりして、物欲の方に流れてしまうのかもしれないですよね。霊的なことを知っている人は頭ではわかると思うんだけど、わかりながらも現実が目の前にぶら下がっていると、そっちを選んでしまったりとかしますし。そう思うと、地上の人間を動かすのって、なかなか大変なことなんだと思いました。あと、シルバーバーチの中によく出てくる、「たった一人の魂を救ってあげるだけでもいいのです」と、これは霊的なことを伝えるだけでいいんでしょうか?

ペ:それはケースバイケースなんじゃないですか。人によっては霊的なことを必ずしも教えてあげなくても他の事でも何かあるかもしれないし。
直接にシルバーバーチの霊訓がどうのこうのと言わなくても、まだ受け入れられない段階にいる人もいるわけだから。そういう人には「こういう様に考えたら良いんじゃないの」というようなアドバイスの方法----その人に合わせた----でも救ってあげられるかもしれないですし。

有希:そうですね。でも中にはそういうアドバイスさえも聞けない人がいますよね。人が人を救うということは、そのきっかけにはなれるかもしれないけど、救うことはできないんじゃないかと思います。最終的には、自分を救えるのは自分しかいないということですもんね。
そうすると、“救い”の定義ってすごく難しいなぁと思います。でスピリチュアリズムの救いとは何だろうと考えてみたら、霊的に目覚めることかなと思ったんです。自力で成長できることが“救われた”という様に捉えても良いんじゃないかって。誰かに助けてもらったりとか、教えてもらったりして救われるんじゃなくて、自分自身で霊的に生きて、自分で学ぶ力を持つというのが救いじゃないかなって思ったんです。

ペ:やっぱり霊的に成長していくことが一番幸せなんじゃないかなと思いますよね。今までわからなかったことがわかるようになったりとか、視野が広がったりとか、成長していくことが一番の喜びですよね。

有希:そうですよね。それもどんどん救われているというふうに捉えてもいいですよね。

ペ:そうですね、限りなく次々と救いが深まっていくというか。

長田:成長といっても、ここまでできたら成長したんですよ、というラインが無いから、やっぱり霊的自立をして、最初の扉を開くところが救いの始まりなのかな。

ペ:どのラインに到達しても、その時はすごく良いと思ってもしばらくするとそれが当然になって、もっと上が欲しくなるものじゃないですか。

長田:そうですね、例えば愛を知れば知るほど余計に自分の未熟さが見えてきて、神の利他愛の大きさを知ることがありますよね。行けば行くほどにもっと上が見えてきますし。

ペ:ここらで一つ冬らしいたとえ話でもしましょうか。スキーなんかもそんな感じですよ。1つ課題をクリアすると、周りの人のやっている少し高度な技術が羨ましく思えて、次はあれに挑戦してみようとか思ってどんどん上を目指したくなりますよ。

有希:それって何でもそうですよね。とりあえず救いというのは成長できるラインに乗ったということでしょうか。意識的に自分で自分を救えるラインに乗れたというか。

長田:本当は再生しなくてもいいラインが救いなのかしら。

有希:霊界全部から見たらそうかもしれないですね。

ペ:それにしても、そこまで行った人にしてみればそれが当たり前のことで、その先がまだまだあるんでしょうし。

長田:この本の中のどこかにも書かれてたんですけど、シルバーバーチを指導している上の霊がいて、さらにまたその上にもいるというのはすごいですね。そうすると「たった一人の魂を救ってあげるだけでもいいのです」ということは、言葉では簡単なようでも実際は救ってあげることなんて出来ないんだけれど、霊的真理を伝えることが自立できるきっかけになるということでしょうか?

有希:ええ、そう思います。
え〜と、P98の3行目を見ていただけますか。

 その永遠の人生をあなた方はとかくこの世だけの出来事によって判断しようとします。その皮相だけを見て偶発的な出来事の連続のように思うようですが、何回かにわたる地上生活の全てを通して一本の糸が貫かれていることにお気づきになりません。
 調和を基本的摂理とするこの大宇宙にあっては、あなた方一人一人が大霊の計画に貢献しているのです。地上生活での出来事は、時には辛さと絶望、痛みと悲惨さに満ちていることもあるでしょうが、その全てが、永遠の旅路に向かうための試練なのです。(P.98)

シルバーバーチの良い所は、苦しいことを苦しいと受け止めない所だといつも思うんです。どんなことでもその人にとってはすごく大きな意味のあることなんですよね。ともすれば今の状況だけを見て、不幸だとか幸せだとか言って判断しちゃいますけど、そういうことは慎まなければいけないと思います。

ペ:僕はP99の4行目からがすごく好きなんです。

全てのことが霊性進化の肥やしになるのです。そのうち皆さんも肉体の束縛から解放されて曇りのない目で地上人生を振り返る時がまいります。その時、紆余曲折した一見取り留めもない出来事の絡み合いの中で、その一つ一つがちゃんとした意味をもち、皆さんの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出す上で意義があったことを、つぶさに理解なさるはずです。(P.99)

これは他の本にも同じ文章があったんですけど、そちらで初めて読んだとき思わず泣いてしまったという……。確か予備校の頃だと思うんですが、すごくよく覚えています。

有希:そうかぁ……と思う良い個所ですよね。その一つ一つにちゃんと意味があって、苦しいんだけど、自分にとっては全て霊性進化の肥やしになるんだ、と思うと何でも来いという気持ちになるから不思議です。

ペ:やっぱり自分の過去にあった色々なことが頭の中を駆け巡って、ジ〜ンときますよ、ここは泣けます(断言)。

有希:泣けますか……そうですね。確かに自分の人生振り返ってみて、いやだなぁと思うことや、何でこんなことに巻き込まれたんだろうということがあるけど、過ぎ去って一連の流れを見ると、やっぱり自分にとってプラスになっていたんだなぁと判ることってたくさんありますね。

長田:本当にそうですね。少し話が違うんですけど、先日友人と話をしていて、その人いわく「私は苦しいことが何にもなくて、毎日のほほんと暮らしているんだけど、苦しいことがないと成長ではないんでしょうか? という人にはなんて言ったらいいんでしょうか?」と言われたんですが、皆さんなら何て答えますか?

有希:苦しいことは自分の成長だけど、苦しいことがなくってルンルンの時は、逆に貢献しやすい状況にあるということじゃないかしら。苦しい時はそれを乗り越えるだけで精一杯で、貢献まではなかなか考えられないですから。

長田:そうすると、今幸せだから今のうちにもっと勉強して、自分の中身を充実させようとか、周りの人のために何か働けることがあれば率先してやりましょうとか、それが成長につながっていくことだと思いますよ、としか言えませんよね。

有希:そう、もし苦しいことを抱えている人がいれば慰めたり、助けたりする立場に立てるわけだし。

ペ:やっぱり成長するというのは、苦しみを通して成長するのもあるけど、それだけじゃないですから、きっとその人は他の方法で成長するという課題を与えられているんじゃないですかね。

有希:苦しみだけが成長の道じゃないものね。

長田:そうですよね。シルバーバーチを読むと、苦しみが前面に出ているので苦しくない人はどうなんだろうと思うのだけれど、誰でもいろいろ乗り越えてきているはずだから、苦しくない状態の時は次の段階の成長の道を歩めばいいんですね。

有希:そういうことだと思います。そして、人によって苦しみを感じる大きさは様々だから、比べることは出来ないですし。

長田:そうですよね。性格や価値観も関係してきますよね。

ペ:6章にそれに関連した内容があるんです。P105の1行目

いかなる方法にせよ、ヒーリングによって治るということは、まだ霊界へ帰る時機が熟していないことを意味し、身体の苦痛を通して魂が成長する上で必要な体験が終わったことを意味します。もとより、霊界入りするまでに体験しなければならないことは他にもあります。身体の苦しみのみが人間の体験の全てでないことは言うまでもありません。(P.105)

まさにさっき言ったとおりのことですね。だから、そういう身体の苦しみとか、卑近な生活上の嫌なこと程度のことから学ぶ段階を脱して、そこから先のことが出来るというのはすごく良いことなんじゃないかなと思います。

有希:そうですね。しばらく前に、精神的に少しダメージを持った人からメールを貰って、その人のメールに書いてあったことなんですけど、体の病気は痛みが目に見えてわかるから痛いと言えばみんな理解してくれるからまだ楽なんです。でも精神的な苦痛というのは目に見えないし、言っても理解してもらえないからもっとつらいんです、っていうようなことが書いてありました。それを読んでなるほどなぁと思いました。だからうつ病とか、神経症とか、そういった心の病気ってなかなか理解してもらえないですよね。

長田:そうですね。肉体の痛みは目に見えるし、ある程度の想像がつくけど、精神的痛みは全く想像がつかないものね。中には甘えているんだ、と言われて非難されることもあるもの。

有希:そうね。精神的苦痛というのは、そういう意味では身体的な苦痛よりもハイレベルという言葉を使っていいのかもしれません。身体的苦痛より成長につながる苦しみというか、成長に必要な苦しみなのかなと思いますから。

長田:精神的苦しみと霊的苦しみと、どう違うんですか? この中にも、物的、精神的、霊的の三種類という言葉がよく出てきますけど。

有希:精神的な苦しみというと、霊的な事がわかっていない苦しみかしら? だけど、私はなかなか愛がもてないとか、霊的真理通りに生活できないという苦しみもあるけど、そういう苦しみは精神的苦しみに入るものね。

ペ:そういうのは精神のレベルのことだと思いますよ。

有希:そうですよね、霊的な苦しみというともっと違う何かがあるような気がします。地上にいる間に、心で苦しいと感じるものは全部精神的ですものね。

ペ:強いてあるとしたら、世の中に苦しんでいる人がいて、自分ではどうすることも出来なくて苦しいという、そういう事くらいじゃないでしょうか。

長田:あ〜そうか、シルバーバーチの苦しみに似たものですね。

ペ:自分がどうこうあって苦しいというものは全部精神的なものですよ。やっぱり霊的な部分で痛みを感じるというのは、よっぱど高度なことというか。

有希:そうとう成長していないときっと感じないことですよね。

ペ:ちょっと想像してみて、この問題でシルバーバーチだったら苦しむだろうかと考えてみて、シルバーバーチでも苦しむなぁと思ったら、それは霊的な苦しみと考えてもいいんじゃないかと思います。

長田:そうかぁ〜。(^。^)そうすると精神的苦しみってすごく巾が広いですね。

有希:それは広いでしょうね。

 


次ページ

勉強会トップページへ