スピリチュアリズム勉強会&座談会
('02.05.11作成)
その3
鈴木:ここでは高級霊団の話がたくさんあって、それ以外の邪魔する霊とか、そこら辺はどうなっているんですかね。霊界で低級な霊には高級な霊が降りていって、導くんですかね。それに対して物質的な我々は全く関係ないのか、それとも、低級な霊に何もしないと、我々の方に何か影響を及ぼすようなことをするのか、それとも、我々が低級な霊に働きかけて向上するような何かができるのか、ということなんですけど。 ペ:低級な霊と言っても、幽界とか霊界にいる霊がこの世にちょっかいを出すことはできないし、こっちからそんなに働きかけたりというのもできないだろうし。まぁ、関わりがあるとしたら、この世で迷っている霊のことですよね。 長田:死を自覚していない霊ですよね。 鈴木:憑依とか、除霊とか、そういうのってありますか。 長田:それはありますよね。よくテレビを見ていたりすると、霊がくっつこうとしなくても、自然と引きつけられてしまうという話を聞くから。おなじ波長の人のところに無意識のうちに引きこまれちゃって、そこが居心地がいいと、そこに留まっちゃうみたいですね。だから、自分が高いものを目指していれば、たとえ低級な霊が入ったとしても、居心地が悪くて出ていっちゃうという話をよく聞きます。 有希:それに、こちらが成長していれば近寄っても来ないですし。 鈴木:その除霊というのは、高級な人が光みたいなものをあてて、居づらくするという話なんでしょうか。 長田:除霊する人というのはテレビとかでもよくやっていますよね。インチキじゃないとは思うけど、霊に言い諭す人もいますよね。 有希:でも、いくら除霊しても波長が合えば居心地がいいから、また戻ってきちゃうんですよね。 ペ:やっぱり本人がある程度向上していかないと。 有希:体質的に幽体質素が多い人だと、取り憑かれやすいんですよね。 長田:霊が見えたり、感じたりする人は取り憑かれやすいと言いますよね。 有希:そういう意味では、霊的なものは鈍感な方がいいんですよね。 ペ:霊能者で除霊やりますと言ってるような人が、一杯取り憑かれていますよ。だいたい。 長田:で、そういう気づかない霊も自分で気づかなければしょうがないんですよね。本当は近くに守護霊がいるんだけど、本人が見ようとしないから見えないと言いますね。 鈴木:そうなんですか。本当はちゃんと見守ってくれている霊はいるんだけど、やっぱり本人が気づかないとダメということなんですか。 長田:守護霊はちゃんといるんだけど、自分が死んだことに気付かなかったり、地上に未練がたくさんあると、守護霊の存在に気がつかないようだし。だから最初に言った“魂の病”と同じで、恐いんですよね。 有希:生きている間は、ある程度理屈を言って言い諭せばわかるんだけれど、死んでからは、もう凝り固まっている部分だけがクローズアップされてしまうから、それが取れるのにはすっごい時間がかかるんですよね。憎しみをもって死んだりすると大変です。まだ生きている間だったら、何か他の人とかの影響で憎しみが和らぐということはあるけれども、憎しみを持ったまま、それこそ自殺なんかしたら最悪ですよね。 ペ:昔の日本の本なんかでも、成仏していない霊が自分の子孫に取りついて、自分の墓が出来ていないから成仏できないようなことを言われて、言われたとおり奉《まつ》ってやったら浄化したというような話もあるんですよ。スピリチュアリズムとかそんなのはまだ何にも入っていなかったくらいの時代の話ですけど。だから、霊能者が必要だとしたら、そういう霊の要求を一旦聞いてあげて、どういう対処方法をすればいいかという、そういうところでは必要な場合もあるかもしれません。霊能力で霊を払ってやったとか、そういうのはあんまり意味がないですよね。 有希:実際、私も霊能力者知っていますけど、本人の人格と霊能力は比例しないんですよね。本当に目覚めた霊能力者だと低俗な霊能力は使わなくなりますよ。霊性の優れている人は真理の方が上だというのがわかるんですよね。そういうのがわからない人は、世のため、人のためとか言って霊能力を使いますもの。それも多額にお金を取ってね。そうすると逆にどんどんと悪いものを呼び込んでしまったりする場合があるようです。低霊能力者の怨念は念が強いから恐いですよう。 ペ:僕もたぶん一部の霊能者からは恨みをかってますけど、何もないですよ。きっと守護霊が守ってくれているからかな。平気ヘーキ(笑)。 有希:流石ですね。 ペ:昔、近藤千雄さんが書いた本の中に、近藤さんの師匠の霊能者の話があったんですけれど、ある学校の先生が突然霊視能力を持っちゃって、生徒の弁当の中身を片っ端から当ててしまう、これはすごい霊能力だという話になったんですが、その師匠の人がポンと背中を叩いて「もう見えなくなったヨ」と。そんな弁当の中身なんか見えてどうするんだ、そんなことをするのは低級霊に決まっているんだからと。だから現象とかは、そんな意味のあることではないということですよね。 ----ここで鈴木さんからある霊的体験についての話が出て、それにどんな意味があるのかという質問が出ました。有希:私も霊体験はそれなりにありますよ。これは何の意味だろうと考えたこともありましたけど、結局わかってもたいしたことないんですよね。それよりもシルバーバーチの言葉で感動するとか、その方がずっと意味が大きいです。私の知り合いで、物品移動をやる人がいたし、玄関に誰が来たかとかわかった人もいましたものね。でも、それが何の意味があるかというと、ただそういう能力があるというだけですから。 ペ:何か必要な事であればいつかわかる時が来ると思いますよ。その時にああこれだったのかと思うことがあるかもしれないし、何にもないかもしれないし。まぁ、本屋さんへ行くとうんちがしたくなるのはなぜだろうとか、そんなのと同じ程度の話でしょう(笑)。霊体か幽体がなにかと反応しているとか、そんなことがあるのかもしれないですけど、そんなに気にすることはないと思います。 鈴木:そうですね。今生きている人のためになることをすれば、いいわけなんですよね。 有希:そういうことがちょうどP147の2行目に書いてあるんですよ。
本当の生命原理の鉄則と言うのは、お互いがお互いのために自分を役立てるということなんですよね。「ダンテの神曲」の中の長いスプーンで食べる食事風景の話って知っていますか? 鈴木:知らないです。 有希:お話の中に天国と地獄の食事風景があるらしいんですよ。で、天国にも地獄にも同じように丸いテーブルがあって、そこにはご馳走が山のように積んであって、その回りにみんな座って食事をするんですけど、みんなお腹ペコペコなんです。でも、そこに長いスプーンが置いてあって、これで食べなければいけないという規則があるんです。地獄の方はどうかというと、一生懸命食べようとするんだけど口に入れようとするとポロポロこぼれてしまうんですね。それぐらい長いスプーンなんです。なかなか食べられないから、お腹は空いたままだし、残り少なくなってくると、我先に取ろうとして争いがひどくなってくるんです。では天国はどうかというと、自分はペコペコなんだけど、回りの人もお腹が空いているように見えると、自分は後でいいからと言って反対側の人に食べさせてあげるんです。そうすると相手も自分に食べさせてくれるんですね。食事が無駄にならずに、すぐお腹がいっぱいになったという、そういう話なんです。だから、本当にお互いがお互いのためにしているだけで、すぐに充実するし、何も無駄はないし、いさかいも起こらないということを教えてくれてます。これってすごくいい話だなぁと思ったんです。金八先生でもやっていましたね。 長田:そうなんですか。 有希:ええ(^・^) ペ:ダンテの話だとは知らなかったな。仏教の話だと思っていました。 有希:仏教がそれをもじって、お箸に書き換えたみたいですよ。考えてみたら本当に簡単なことなんですよね。自分を後回しにして相手のことを先に考えてあげるというたったそれだけのことなんですよね。でも、わかっていてもなかなかできないのが人間の未熟さなんですよね。 ペ:会社組織とかでも同じですよね。社長が恵まれない人に何かやりたいと思っても株主が許さないとか、ちゃんと利益を追求しないと。 有希:でも、自分の会社の利益ばかりを追求していると、速かれ遅かれ、潰れますよね。先に他人の利益を追求した人が松下幸之助さんとよく言われていますけど。 ペ:このP147の9行目で
神学体系というところに僕は注目したんですよ。やっぱりキリスト教というのは、元々その教えに根拠もないし、あっちこっち矛盾してるところだらけなんで、それを誤魔化す……と言っちゃあなんですけど、何とか説明しようとするうちにあんな小難しい神学の体系が必要になってしまったワケです。 有希:そういう人はいっぱいいますよね。簡単なことを難しい言葉を使って東陶と述べると、とっても立派に聞こえますもん。でも本当は、難しいことでも簡単に説明できることが一番いいんですよね。 ペ:そういう、偉そうに見せたいという誘惑からは逃れたいですよね。 有希:そうですね。ちょうど今読んでくれた次に
で、スピリチュアリズムでもニューエイジでも心霊主義でも似ている箇所があるじゃないですか。「霊界がある」ということに関しては一致しているけれど、全然違うというのは、土台なんだなあと思います。 ペ:「心霊主義」は単にスピリチュアリズムの訳語なんで、本当は同じものなんですけどね。(ただし、心霊主義という言葉を使いたい人の傾向はあるようです)鈴木:ニューエイジって何ですか? 有希:元々ニューエイジはアメリカのヒッピーから出ているんですよね。 ペ:僕もそんなに詳しいわけじゃないけれども、交霊会みたいなことをやってという点ではスピリチュアリズムと変わらないんですけど。ただその霊というのが宇宙人だったり、審神者《さにわ》を置かない場合が多かったりして、信頼性に欠けるイメージはあります。 有希:ニューエイジって何かな〜と思って知りたくて、一度ニューエイジのワークショップに出たことがあるんです。めちゃ高くて、確か2日間通して10万円位だったかな。私はそんなにはとても出せないから2時間のデモンストレーションに出ただけですけど、それでも1万円位かかったと思います。とりあえず出てみないと話は始まらないと思って、言ってみたんです。アメリカから呼んだ霊能力者がいて、日本人が通訳しながら進めて行くんですけど。要するに降霊会だったんです。霊を降ろしてしゃべるんですけど、その内容は本当にくだらなかったです。「あなたは誰ですか?」という質問になって、「スリをやっていた者だ」とかね。みんな「あぁ、すごいな〜」と言うんですよ。スリをやっていてもこうやってしゃべれるんだ〜じゃないですけど、私は、え〜?と思いました。結局ニューエイジって、内容は陳腐でも降霊というので何万も取ってるんですよね。といっても一部だけなのかもしれませんが。 ペ:人間の欲を肯定的に見ていますね、ニューエイジは。何かをしたいと思ったら、そうしていいんだ、という感じで。 有希:そうそう。ワクワクするようなことをしなさい、と言いますよね。あれはバシャールかな。だから、ワクワクしないことはしなくていいんだと言うから、どんどん間違ったように伝わってしまうんですよね。今日は会社に行くのにワクワクしないから、行くのをや〜めた、なんてね。 ペ:ワクワクしないことは魂が求めていないことだから、違うことをやるべきだという考えなんですよ。 鈴木:一見正しそうに聞こえますけど(^◇^) 有希:そう、一見正しいんですよね。だから、そういうのが本当に正しいか間違っているかを知るためには、やっぱりちゃんとした真理を勉強していないと惑わされてしまうし、見極められないですよね。ニューエイジもピンからキリまであるんです。なかなかイケているなぁと思うのもあるし、へぇ〜こんなくだらないというのもあるしね。スリが出てきた時にはビックリして、こんなのに1万円払ったのかと思ったら何だかねえ〜。終わってから質疑応答があって、その中で、霊が見えたとか、金縛りにあったとか、そんな質問ばっかでした。それに1つ1つ答えるんだけれど、これがまたトンチンカンな答えばっかりなんですよね。本人が知りたいことと全然違う、なんでそうなるの?というのばっかりなんですよ。 長田:それは低級霊のいたずらですよね。 有希:そう、どう見ても低級霊なの。はっきり言えば見世物ですよね。たしか、その時は3人位の霊を出しましたけど。どれもこれもたいしたことない、どころじゃなかったですね。 ペ:それって結構有名な人ですよね。スリの霊が出てくるって聞いたことがある。 有希:有名なのかな? 確かシャーリーマクレーンもそうでしたよね。私が行ったのはその関係じゃなかったけど、そのチャネラーはわりと有名だというのは主催者から聞きました。 ペ:まぁ、宜保愛子や織田無道だって有名ですからね。 有希:低俗な方が広まるし、有名になるんですよね。 ペ:宜保愛子の霊視なんて何十分かで十何万円とかいってましたよ。女性週刊誌の広告で見た(笑) 有希:そんなに高いんですか。 ペ:江原さんなんてカワイイもんですよ(苦笑) |