僕はこの問題には口を挟みづらいんですよね。なぜなら、お肉が大好きだから(^^;。なにしろ、テレビとかで狂牛病のニュースで牛が映ったりすると「ああ、焼肉食べたいな〜」っと思ってしまうぐらいで、狂牛病の影響で焼肉屋の売上が激減とか言われても「ナンで?」という人間なので(苦笑)。皆さんだって、豚骨ラーメンがこの世から無くなったらイヤなんじゃないかと……ああ、カツオだしのあっさりラーメンが好きなんですか、そうですか。
……などという漫談はこのぐらいにしておきまして(^^;、スピリチュアリズム的に言えばやはり肉食は望ましくない事だと思います。少なくとも現在のような大量消費のシステムの中で、動物に不自然な生と、不自然な死を強いるのは、決して正しいことでは無いでしょう。それでも人類が生存するために必要なことであるなら「必要悪」と思えないこともないですが、決してそうではありません。(ここは記憶を頼りに書くので不正確だと思いますが)一頭の牛を食べることで取れるエネルギー量を1とすると、その牛を育てるため使われた穀物を人間が食べれば、60以上のエネルギー量を摂取できるという話を聞いたことがあります。つまり、牛肉ばかり食べていた人がホンの1億人ほど(^^;ベジタリアンになって、大豆やトウモロコシをエネルギー源にすれば、世界の60億の人が飢えずにすむようになるということです(これはもちろんモノのたとえで、実際にはこんな単純な筈はありませんが)。
但し、肉食が絶対に「ダメ」だとは僕は思いません。少なくとも現時点の人類にとっては「望ましくない」けれど「許容範囲」のことだと思います。これはあくまでも相対的なものであって、過去の人類には肉食は「良い」事だったかも知れませんし、未来の進歩した人間にとっては「ダメ」になることもあるでしょう。
|動物でも植物でも大霊が創造した生命である事には何ら変わりはない筈です。
|なぜ肉食がいけないのか分かりません。
本当に「変わりはない」のでしょうか?
では、犬や猫の肉を食べるのに抵抗は感じませんか? いや、犬とかでは判りづらいかも知れませんね。今でもお隣の国では犬鍋の店が普通にあるぐらいですし(日本にもあるけど)。極端な話、人間の肉を食べるという話を聞いたら野蛮だと思いますよね? では逆に、風邪などをひいたとき「ウイルスだって同じ生命だから薬を飲んで殺したりなんかしない」と思う人がいるでしょうか? 「寄生虫の人権を守るため」に虫下しを飲まない人がいるでしょうか?(いや、実はいるらしいんですけど……)
さて、人間と動物、植物、寄生虫やウイルス、これらの違いは何でしょうか。なぜ風邪の菌を殺すのは平気なのに人間を食べるのは野蛮なんでしょう? 過去には人間を食べる地域もありましたよね。いろいろな文化的背景はあるにしても、それ以前の問題として、食料の乏しい国では重要な蛋白源だったというのは否定できない事実でした。でも、今では野蛮なことです。それだけ人間が進歩したから、以前は必然だったものを野蛮に感じるようになったのです。(異論はあるでしょうが、僕はそう思います。もちろん、そんな野蛮な時代でさえ、食用の人間を狭いところに押し込めて大量生産するようなことは、人類の歴史上一度も無かったと思います)
動物や植物のそれぞれを、食べていいのかとか殺していいのかを分けるものは、僕の考えでは霊的進化の程度、持っている意識の程度、もっと簡単に言えば苦痛や恐怖を感じるか、ということだと思います。牛や豚は屠殺される時、恐怖や苦痛を感じると思います。植物は感じないはずです(花の自然霊が人間に摘まれて鑑賞されることを喜んでいると言う霊界通信もあります)。魚なんかも苦痛と言うより単なる反応でしょう。死に恐怖や苦痛を感じないものを食べるのに、罪悪感を感じる必要はありません。
もう一つ、その動物の一生が類魂に何を持ち帰ることができるか(動物は死後、個体を維持せず、類魂に埋没します)ということも考慮すべきでしょう。その点で最初に書いた「大量生産システム」は最悪でしょう。モノのように扱われた牛や豚の類魂が進化するとは思えない。その点、昔ながらに放牧された牛ならば、最後には食べられるとしても(;_;)、プラス・マイナスで言えばプラスの方が多いんじゃないかな……というのは肉を食べたい人間の妄想かも知れないので、話半分に聞いておくべきかも……(^^;。
大量生産を止めれば、もちろん食肉の価格は現在の数倍以上になるでしょう。しかし、それでいいのだと思います。肉は贅沢品、もしくは副食であるべきで、その方が日本の食卓も正常になるんじゃないでしょうか? やっぱり、安ければどうしても肉を使ってしまう(それだけで食卓を成り立たせやすい食材なので)もんね(^^)。
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