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0246 終了です
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年07月03日 (水) 23時01分22秒

皆さん、こんにちは。当掲示板管理人のペーパーバーチです。

約一年の間、皆さんにご利用いただいてきた勉強会&座談会掲示板ですが、先々月のサイト更新終了に伴い閉鎖することになりました。短い間でしたが、たくさんの方にご参加いただき、濃密な議論が展開され、有意義な掲示板だったと思います。また機会があれば何か新しい企画を考えたいですね。ま、とりあえずここではお別れということで(^^)、皆さん、ありがとうございました。

今後、ご意見、ご質問などありましたら、スピリチュアリスト掲示板の方へお出でください。そちらにも、有希さんや長田さんも巡回してくださっているハズですので。

では、また。

http://www.paperbirch.com/

 


0245 いらっしゃいませ&心霊学研究所へどうぞ(^^;
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年07月03日 (水) 22時22分37秒

うさぎさん、(遅ればせながら)はじめまして。
ようこそ勉強会&座談会ウェブサイトへ。

紛らわしくてすみません。ここは心霊学研究所の掲示板じゃないんです〜。で、勉強会&座談会の方は四月で無事終了しましたので、この掲示板も早急に終了せねばならなかったんですが、なんとなくそのままにしてしまってました。反省……。

お子さん、二歳なんですか。うちも三歳の子供がいますが、毎週のように図書館に行って、絵本や紙芝居を借りてきてますよ。ご近所の図書館にも子供の本のコーナーはあると思いますので、いちど一緒に行ってみると良いんじゃないでしょうか。楽しいですよ。

ただ、確かに本屋さんには行きづらいので(さすがに子供に売り物の本は触らせられない)インターネットで本が買えるのは便利ですよね。当サイトのリンクやバナーからamazon.co.jpに行って本を買ってくださると、売り上げの一部が僕のところに入ることになっております。精々ご利用くださいませ(おっと、宣伝になってしまった(^_^;ゞ)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect-home?tag=paperbirch-22

宜しければ、今度は心霊学研究所の方にもおいでくださいませ。ではでは、今後ともよろしくお願いします。

http://www.paperbirch.com/

 


0244 まちがえましたm(_ _)m
名前: ともうさぎ  投稿日: 2002年06月17日 (月) 20時52分59秒

掲示板二つあったんですね。
こっちに書いてごめんなさい。
お詫びに。。。
インドの知恵の泉でも
ご覧ください〜☆

http://www2s.biglobe.ne.jp/~t2zone/tomo/indianwisdom.htm

 


0243 多謝
名前: うさぎ  投稿日: 2002年06月17日 (月) 16時56分39秒

三日ほど前、起きたときに
シルバーバーチの言葉を読みたい衝動
感じました。名前だけ知っていた。
サーチしてここに来ました。
本を買うより早かった。
二歳の子がいて図書館にもなかなか行けない。
感謝します。ほんと、ありがとう☆
神崎さんは、一度お会いしたことあります。
最新日記に内容にも驚きました。私を
導くすべての霊に感謝します。こんなに
書いてくださったペーパーバーチさんに特に感謝。
今後ともよろしくm(_ _)m

 


0242 RE:0241 オススメのシルバーバーチ本
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2002年04月18日 (木) 00時43分58秒

月光さん、こんにちは。

えっと、この掲示板は勉強会&座談会ページのテーマ専用掲示板で、「心霊学研究所」のペーパーバーチと、「人生を変えるスピリチュアリズム」の有希さんが共同で管理してます。ペーパーバーチだけが管理している掲示板は「スピリチュアリスト掲示板」のほうですので宜しく(^^)。
でもまぁ、シルバーバーチの本の話ですからこちらでも良いかな?

オススメって難しいんですよね。全部オススメですから(笑)。強いていえば太陽出版から出ていた「愛の摂理」からの三部作が一番好きだったんですが、これは残念ながら絶版。

いま、まず一冊を選ぶなら(amazon.co.jpでは買えませんが)「心の道場」さんが自費出版で出している「シルバーバーチは語る」が、もっとも網羅的にまとめられていて最初に読むには最適です。2,400円と値段は張りますが、ページ数も他のシリーズの倍はあるのでお徳(^^)。当サイトの勉強会のテキストでもあります。

注文方法などは心の道場さんのサイトでお調べ下さい(電話かFAXで注文です)。無料でニューズレターも送ってもらえますし、最初はこれが絶対のオススメです。一緒に「スピリチュアリズム入門」「続スピリチュアリズム入門」なども注文されると良いでしょう。
心の道場さんのサイトはこちら(↓)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/


amazon.co.jpで購入するなら、潮文社から出ているものの中から早く届くものを選んで注文すれば良いと思います。たとえばモーリス・バーバネルの愛弟子トニー・オーツセン編の8巻とか
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806311847/paperbirch-22

人気のエピソードが多い5巻とか。
(ただし「シルバーバーチは語る」と重複部分多し。編者が同じなので)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806311669/paperbirch-22

あと、僕がなんとなく好きなのはパム・リーバ編の10巻ですね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806311901/paperbirch-22

でも、最初はやはり心の道場さんの「シルバーバーチは語る」でしょうね。電話注文って敷居が高いですけど、それだけの価値があることは保証します。

http://www.paperbirch.com/

 


0241 シルバー・バーチの霊訓のうち、どれがおすすめ?
名前: 月光  投稿日: 2002年04月15日 (月) 19時00分43秒

ペーパーバーチさん、こんにちは。
最近シルバーバーチを知り、その内容に驚きつつ、これからシルバーバーチについて勉強ができる未来が待っていることを思うとわくわくしています。シルバーバーチについては、このホームページで得た知識がわたしの頭の中のすべてです。なのでさっそく「シルバー・バーチの霊訓」を買って読もうと思うのですが、わたしの近くの本屋にはないようですので、Amazon.co.jpで購入する予定です。そこで相談なのですが、全集のなかから一冊づつ読もうと思っているわたしのような初心者にとって、ペーパーバーチさんが個人的に「これ!」とおすすめする一冊は何巻目ですか?こんな高級な討論の場で、低い次元の質問ですみません。

 


0238 不満
名前: アラム  投稿日: 2002年03月22日 (金) 22時44分47秒

以前の話として「自分にはもう不満がないんだ」と言っている人の話をペーパーバーチさんがされていましたが、それは何に対する不満でしょうか?

霊的真理を知ることによってなくなる不満というものもありますよね。

「自分はもっとお金持ちのところに生まれたかった」、「もっと容姿がよく生まれたかった」、「もっと才能を持って生まれたかった」
こうした不満は霊的真理を知る前には持っていました。

しかし、霊的真理を知ることで、「自分で選択して生まれてきた」のだからということに気付き、不満を持たなくなりました。

「他の人は自分のことを分かってくれない」という不満を持っていましたし、「他の人が自分が望むようにはしてくれない」という不満を持っていました。

それが、「自分のことを理解してくれている守護霊という存在がいる」ということを知り、「他人の心は自分の思うようにはならない。全ての人に自由意志が認められている」ということを知って、不満がなくなりました。

「どうして苦しい目に遭わなければならないのか。この世に神はいないのか」という不満を持っていました。

しかし、「この苦しみはあなたを向上させるためにあるのだよ」ということと、「自分が蒔いた種の結果だよ」ということを知って不満ではなくなりました。

「どうして願いがかなわないんだろう」という不満を持っていました。

しかし、「それは本当に君に必要なことじゃないから」、「願いがかなわないということにこそ意味があるのだよ」ということを知って不満ではなくなりました。

「もらえない、足らない、そんなことばかり思っていないで、自分がもう受け取っているものに気付いてごらん。与えられていることが分かる。もっと感謝の思いを持つこと」ということを知ることによって、不満がなくなりました。

自分の勝手な思い込みや期待が裏切られたことによる不満。自分の欲望が満たされないことに対する不満。
このような自分を中心に考えることによる不満は霊的真理を知ることによってなくなったり、なくならないまでも軽いものにとどめることができるようになります。

「不満がなくなった」というのは、こうした我欲、原因と結果の法則を知らなかったこと、自分が既に与えられているものに気付かなくなっていたこと、感謝の気持ちが足りなかったこと、自分のありのままを認めることが出来ずにもっと飾りたい、よく見せたいと思っていたことなどが原因になっていた不満に対してなら言えるのではないでしょうか?

「全ての不満がなくなった」と言えるかどうかということになりますと言えませんね。

霊的真理を知ることによって、「それまで持っていた自分勝手な不満はなくなった」という喜びがもたらされたという感じが出てきますが、霊的真理が示す理想像というものも出てきます。
そうすると「その理想像に近付くことが出来ない」、「霊的真理に適えばこうでなければならないのに、そのようになることが出来ない」という不満が出てきます。

持っていても自分の心の状態を悪くするだけで何の役にも立たない不満は霊的真理を知ることによってなくしていくことが出来ます。
「してもらえない」、「こうではなかった」という自分中心による他の人や環境に対する不満です。

逆に、「自分はこうであるべきなのに、そうできない」という自分の努力や向上に対する不満は霊的真理を知るほど大きくなっていくように思います。

自分の不十分さ、未熟さに対する不満は肉体に宿っている本当の自分のほうがはるかに大きく持っていると思います。
「本当の輝きを十分に発揮できていない」、「果たすはずだった仕事が十分に出来ていない」といった不満です。
地上的な意識で鈍らせているために、その不満が本当に実感できていません。

高級霊となると、さらに多くの人のための不満、本来あるべき姿に世界がなっていないことに対する不満などが加わってくるのでしょう。

「自分のやるはずだった仕事を果たすことができない」、「計画で必要とされた霊的向上に達していない」というような他界後の不満は小さくしたいですね。

 


0237 無知と邪悪
名前: アラム  投稿日: 2002年02月24日 (日) 01時21分04秒

遅くなりましたが、第8回に関してのものです。

「無知蒙昧なもの―これを皆さんは“邪悪”と呼んでおられるのですが」(P84)

有希さん〜
>何も知らないということでしょうか。でもこれがどうして邪悪となるんでし ょう。
ペーパーバーチさん〜
>邪悪な存在のように見られているのは、結局無知ゆえにそういう行動をして いるのだ、という事じゃないかな。
有希さん〜
>今まで“邪悪”というと、利己性というか、人の事を陥れてやろうとか、自 分さえ良ければ他はどうなっても良い、みたいな心のことだと思っていたん ですけど。
ペーパーバーチさん〜
>でもそういうように考えて行動するのも、結局(霊的真理に対する)無知ゆ えにという事ですから。

「恐怖は無知から生じるものだからです」(P85)

有希さん〜
>余分な知識ばかり入っていて肝心な事を知らないから、それこそ無知なんで すよね。
ペーパーバーチさん〜
>また間違った知識をもっていたりとかね。
有希さん〜
>知らないってことは、やはり恐怖心を呼ぶものですね。

ペーパーバーチさんが述べられたように邪悪と見える行動は霊的真理に対する無知ゆえにということが多いと思います。

仏教では無知のことを無明と言いますが、この無明が地獄のような状態を作り出しているわけです。

自分の行動がどのような結果につながるかが理解できていないこと、霊的に自分と他人がつながっているということが理解できていないことが残虐な行動を可能にします。

霊的には一つで、民族や人種の違いなどないのだということを知らないから、異民族の大量虐殺などということが出来たわけです。

自分に与えられている愛について知らないから、「愛されない」と不満を持ち、他の人への憎しみを抱くということもあります。

「自分の命が奪われる、自分が害される」という恐怖心から他の人の地上生命を奪うということもします。

さらに「お金こそ最も大切だ」という誤った思い込みから、「お金を自分から取り上げようとする」と思われるものに対して攻撃をしたり、他の人から冷酷に奪い取ったりするということもします。

無知であるということが、邪悪と思われるような行動を取らせているわけです。

これに関してシルバーバーチ以外の霊界通信を見てみます。
『ゴードンより愛をこめて』(グレース・ローシャー著 中央アート出版社)
「恐ろしい計画は、破壊兵器を造って、互いを打ち負かしたいと考えている人々の気持ちから出ていて、まさに狂気の最たるものだ」(P38)

「邪悪霊は(中略)遥かに意識の低い知性や、低い状態の環境の中に住んでいるんだ」
「邪悪霊は、暗示に対して無防備な、現世の人たちの心に影響を与えるから危険なのだ。その人たちというのは、余りに賢明すぎて、神を信じられない人たちなんだ」(P39)

「自分の利益のための武器製造にのみ関心のある他国の餌食に曝されている、という誤った考えに陥っている状況」
「戦争に対するこの奇怪な先入観は、人々の心に邪悪な影響をもたらす、死の彼方の者たちによって左右されている結果」(P40)

「邪悪な魂とは、それぞれが様々な方法で、悲惨と破滅を引き起こす原因を作りながら、地上生活を送って来た者たちだ」
「今度は、他界から現世に影響を与えつつ、もう一度、元の世界に戻る機会を捕らえようとしている。彼らは建設よりも破滅を選ぶ」(P41)

邪悪とはこの様なものだということが示されています。
この邪悪より守るにはどうするのか?
「霊的な世界と神が存在すること」(P39)
「一般の人たちに、どこに悪の根源が在るのかを示し」(P41)

霊的真理を示すことということになります。

邪悪な魂と無知とがどのように関係しているかということですが
「残酷な生き様をする人々がいるが、彼らはより良いものを知らないのだ。
彼らは、愛する父としての神について何一つ知らず、魂の真実についても全く無知なのだ。彼らにとって生命は、単に存在のための闘争があるのみで、その生き様は動物と何ら変わらず、しばしば『人に対して非人間的』な業の犠牲になっている」(P44)

「地上で、無慈悲な利己的な生活を送った人々、贅沢な楽しみに明け暮れた億万長者などは、こちらに来てから、恐ろしい環境にいる自分を知らされる。その現実は、彼らの怒りや憤りを呼び覚ます」(P57)

「人々が自ら邪悪な行動をし、狂気に走るのを阻止はできない。人々は、自らの運命をつくり上げる権利と、自らを傷つける自由を持っており、しばしば本人が選んだ困難な道を歩まねばならない」
「現世で発生する全ての悲劇の根底には、物質主義に目がくらみ、生命は地上にのみに存在するという観念にとらわれた、権力者の貪欲が横たわっているのだ」(P75)

「誰も、他人に与える不幸によって、また正しい行為に反する罪を犯すことで、大きな不幸に見舞われるのだと、本当には気付いていない。人々は、自らの野心が、将来の恐ろしい試練を招き寄せるという事実を知らず、信じないのである」(P75)

「長年その場所に住みつき、現在の自分たちの環境とは非常に異なった、より良い場所がこの世界には存在することも知らない人がいる」(P100)

「こちらの世界での自分の運命を厳しいと感じており、自分の誤りによるものだという認識を受け入れるのは難しそう」
「死後の生活などありえず、神は存在しないと考えて生活してきた(中略)そのような観念のもとに、日々の多くの時間を無為に過ごし、悪事を行っては、馬鹿らしい事柄に金を浪費してきた」(P103)

「彼はまだ敵意を持ち、運命を呪っていた」
「それが自分自身の過ちであると思えないでいるのだ」(P104)

「低い知性が生活を完全に支配するとき、(中略)この類の生活は、人を人と思わせないほど、人間の尊厳をおとしめる」
「獣のような生活の仕方は、人を反抗的に見せるものだ」(P106)

「彼らは今の状態を変えようと、思い悩んでいない」
「彼等が決して深く考えず、目覚めることに対する恐怖心が、僕には見てとれる」
「彼らは、自分たちによい生活ができるか、新しい環境が親しめないのではないか、と疑っている」(P110)
「彼らは現在の状態の暗がりに馴れてしまった」

無知とそれによる恐怖心が人を邪悪な行動へとかりたてることになるわけです。

シルバーバーチは
「心に邪悪なものがなければ、善なるものしか近づけません」(P84)
「愛と信念と知識のあるところに恐怖心は生じません」(P85)
と説いていますが、本当の愛と信念と知識があれば邪悪というものは存在できなくなることになりますね。

ペーパーバーチさん〜
>本当に正しい道を摂理に沿って生きているのなら、そんなのは全く心配する 必要のないことだ、とここには書いてあるわけです。

「大霊とその摂理の保護のもとに生き、そして行動しておられる」(P84)
この条件を満たしていれば、邪悪の力は及ばなくなるのでしょう。

心から無明を取り除くこと、智慧の光明、霊的真理の光で照らし出すことが大切なのですね。

 


0236 「霊性の感度」について
名前: 有希  投稿日: 2002年01月29日 (火) 12時50分04秒

ずっとレスしなくっちゃと思いつつ、魂の成長とはあまリ関係のないことにはなかなか気が乗らず、本日になってしまいました (^^;)

> 私はここは「霊的感度」で構わないと思います。
> これは「霊感の感度」ではなくて「霊的な感度」ですから。

アラムさんの説明でいくと、ふむふむ、なるほどそうだなあ、と思います。

> 私には有希さんの言われる「霊性の感度」というものはどのようなものかが理解できません。
> 霊性が低いとか、霊性が高いとかを感じ、見分ける能力のことでしょうか?

私が「霊性の感度」と言ったのは、アラムさんが説明してくださった「霊的感度」とほぼ同じです。
でも、自分や友人を見ていて思うことですけど、同じ自分なのに感度の良い時と鈍い時があるのを感じます。
そう考えると「霊的感度」はその時々によって変動する敏感度、と感じたんです。

それに対して「霊性の感度」というのは、その人の成長レベルで定着している感度、その人のレベルに呼応する霊界から受け取る感度、とでも言ったらいいでしょうか。アラムさんが説明してくださった次の

> 「霊的感度」が低いと低い階層のバイブレーションしか受け取ることが出来ませんが、霊性の向上の結果、
> 「霊的感度」が高くなり、霊界の高い階層からのバイブレーションを受け取ることが出来るようになるわけです。

と同じになります。
ということで、その人の魂の成長度として定着している感度を私は「霊性の感度」という表現をしたんです。勉強会の場で思いついただけの言葉ですから適切かどうかはわかりませんが。
後になって考えてみて、「霊的感度」でも「霊性の感度」でも、どっちでもいいんじゃないかなと、自分で言い出しておいて反省しています。

 


0235 最高の階層のバイブレーションに反応
名前: アラム  投稿日: 2001年12月31日 (月) 20時50分39秒

長田さん〜
>「最高の階層のバイブレーションに反応する」とはどういうことなのかを、もう少し説明して欲しいんですけど

有希さん〜
>私は(心の道場が出している)ニューズレターだと思ったんです

私は、ニューズレターは霊的真理を地上的サイドでの観点に転換している、レベルを下げている点で、純粋な最高の階層のバイブレーションとは言えないと思います。

最高の階層のバイブレーションに地上において近いものと言えば、『シルバーバーチの霊訓』そのものではないかと思います。

ニューズレターも最高の階層のバイブレーションではなくて、最高の階層のバイブレーションに反応したことによる産物であると言えると思います。

「最高の階層のバイブレーションに反応する」ということはどのようなことでしょう?

「周囲には常にあなた方を愛する大勢の人々が見守り、導き、援助し、鼓舞せんとして待機していることを知っていただきたいのです。
そうした中で霊性が開発されて行くにつれて少しずつ大霊に近付き、その摂理と調和して行くのです」(P83)
「同胞のために役立つことをしている時、神の無限の腕に抱かれ、その愛に包まれ、それが完全なる安らぎをもたらしてくれることになります」
(P83〜P84)
「皆さんは、無知蒙昧なものーこれを皆さんは“邪悪”と呼んでおられるのですがーに邪魔をされるのではないかとの不安を完全に捨て去ることが出来てしかるべきです。大霊とその摂理の保護のもとに生き、そして行動しておられるからです」(P84)
「心に邪悪なものがなければ、善なるものしか近付けません。善なるものは善なるものが支配するところにしか存在できないからです」(P84)
「霊界からこの交霊の場に訪れるのは大霊の使者のみです。あなた方を包み込んでいる力、支え導き鼓舞せんとしている力は、大霊から放射されている力です。
その力が試練と苦難に際してあなた方を支えているのです」(P84〜P85)

こうしたシルバーバーチの言葉から「最高の階層のバイブレーション」とは、大霊の霊力であり、大霊の使者を介してもたらされるものと考えられます。

霊的真理を受け入れ、霊界の道具として、同胞のために役立つことをしていくときこそ、最高の階層のバイブレーションに反応していると言えるのではないでしょうか?

霊的感度を高めていくということもそのために必要なことではないかと思います。

 


0234 良いお年を
名前: 有希  投稿日: 2001年12月31日 (月) 18時45分00秒

哲子さん、アラムさん、書きこみをありがとうございました。
お二人の書きこみに対して何か書こうと思いつつ、大晦日を迎えてしまいました。
年が明けてから、またゆっくりと書きますね。
どうぞ、良いお年をお迎えください。

 


0233 勉強会&座談会
名前: 哲子  投稿日: 2001年12月25日 (火) 02時04分10秒

おひさしぶりです。哲子です。
第7回の勉強会&座談会を読ませていただきました。
もう7回になるんですね。三人の和やかな雰囲気が伝わってきて一緒に楽しませて
いただいて、笑わせていただいて、勉強させていただきました。

長田さんが多く質問していらっしゃいましたが、私も同じように聞きたかったことを質問
して下さったので嬉しかったです。また長田さんが質問してくれたことで私もわかった
つもりでいたけど実はわかっていなかったことに気がついたりしました。

具体例が多く示されていて理解の助けになりました。特にペーパーバーチさん
冴えておりましたね。男性の方の発想って私達女性にとって新鮮なことが多くあるように
思います。例えば無限大×1も無限大×100も同じ無限大・・・など。
(痴漢100回はいただけませんが。しかし何と正直・・・・)

有希さんが聖書のなかで20年前に保留にしていたところをわからせてもらえてよかったですね。
20年かかることもあるんですね。「やったー」っていう感じでしょうか?
聖書には「後の者は先になり、先の者はあとになるだろう」みたいなよくわからない
文章が多いですよね。でも意味は深そうで魅力を感じますけど。

5章は言葉の宝庫というか、教訓の宝庫というか大切なことが多く書かれていると思いますし
勉強会&座談会の内容も盛り沢山でしたが、私は特に以下の御言が心に残りました。

「魂が目覚め、霊力とともにもたらされる愛の恩恵に浴した人、つまり霊的真理の
掲示の恩恵によくしながらもなお自分中心の生き方に終始している人は、その怠慢に対する
罰がそれだけ大きくなります」
いつももっと役に立ちたいと願ってはいるのですが、思うにまかせません。

「人生は行為だけで成り立っているのではありません。口に出して述べること、そして頭や
心の中で思考することも大切な要素です。行いだけが責任を問われると思ってはいけません」
私もはじめ、「厳しい!」と思いましたが、頭をよぎるくらいのことは関係ないとわかって
安心しました。

また次回も楽しみにいています。

 


0232 霊的感度
名前: アラム  投稿日: 2001年12月23日 (日) 00時22分14秒

有希さん〜
>「霊的感度が増す」ということはどういうことなんでしょう
>霊性が上がるとか霊性が豊かになると考えていいんですよね

長田さん〜
>「霊的感度」だけをとると、霊的敏感度というか、霊感の感度ととられがちですものね

有希さん〜
>やっぱり霊感の方ではなくて霊性の方ですよね。
>「霊性の感度」に書き換えて欲しいなあ

私はここは「霊的感度」で構わないと思います。

これは「霊感の感度」ではなくて「霊的な感度」ですから。

次のところに出てくる
「霊の世界の最高の階層のバイブレーションに反応するようになっていただかねばなりません」
と関係があることです。

「霊的感度」が低いと低い階層のバイブレーションしか受け取ることが出来ませんが、霊性の向上の結果、「霊的感度」が高くなり、霊界の高い階層からのバイブレーションを受け取ることが出来るようになるわけです。

「霊的能力の値打ちが上がるということは、霊的感度が増すということです」
これは、霊的感度が増すと、優れた霊的能力が発揮できるという意味でしょうか?

優れた霊的能力は、高級霊を通じて働く大霊の霊力の通路となってこそ発揮されるわけですから、霊的感度が低いとそれに反応出来ませんから、優れた霊的能力が発揮されることはありません。

「物的な感度」、「精神的な感度」、「霊的な感度」といった中の最も重要な感度が「霊的感度」だと思います。
霊的次元からのエネルギー、バイブレーションなどを感じるためには霊的感度の向上が必要となります。

霊的感度が向上するにつれてより高い段階の霊力に反応することが可能になっていき、ついには最高の階層のバイブレーション、大霊よりの霊力に反応できるようになるのでしょう。

私には有希さんの言われる「霊性の感度」というものはどのようなものかが理解できません。
霊性が低いとか、霊性が高いとかを感じ、見分ける能力のことでしょうか?

また、長田さんの言われる「霊的敏感度」、「霊感の感度」は単なる「霊感度」のことでしょう。

「霊感度」が高い「霊感者」であっても「霊的感度」は低い段階にしかないということもあるわけです。

「霊感度」は生まれつき高い人も、訓練によって強める人もいるでしょうが、「霊的感度」は「霊性の向上」によらなければ向上することはありえないわけです。

「霊感度」が心霊的能力(サイキック)と関係するものであるのに対して、「霊的感度」は霊的能力(スピリチュアル)と関係するものと考えてよいのではないでしょうか?

 


0231  思想の奴隷
名前: 有希  投稿日: 2001年12月21日 (金) 22時03分46秒

アラムさん wrote:
> ここを読んで、これは「思想の奴隷」というより「思念の迷い人」という感じだなあと思いました。

あ、なるほど、そうですね。

> 「思想の奴隷」ということでは、思想というのは生み出されたものであり、本来は自分の選択によって変わって
> いくべきものなのに、その思想を守ろうとして必死になって抵抗するような人の状態ではないかなあと思います。

いますねえ、こういう方たち。
心も頭も固いからなんでしょうか。
それとも、プライドかしら。
どちらにしても、せっかく成長できるチャンスを自分で阻んでいるということですね。

 


0230 思想の奴隷、思想の主人
名前: アラム  投稿日: 2001年12月18日 (火) 23時41分12秒

有希さん〜
>ただやたらに考えて、もやもやして堂々巡りをしているようなのが、思想の>奴隷になっていることだと思います。
>あれだけ多くの罪もない人たちが殺されて、その罪はアメリカにあるのか、
>それともタリバンにあるのか、と考えていくと事がどんどん大きくなって
>余計に悶々としてしまいますよね
>考え始めたらわけが分からなくなるとか
>ああだのこうだのと勝手に色々展開していく

ここを読んで、これは「思想の奴隷」というより「思念の迷い人」という感じだなあと思いました。

「思想の奴隷」ということでは、思想というのは生み出されたものであり、本来は自分の選択によって変わっていくべきものなのに、その思想を守ろうとして必死になって抵抗するような人の状態ではないかなあと思います。

例えば「科学で証明できないことなど何もない」という思想を持っている人がこの思想に反することに直面すると、「こんなことはありえない」と認めまいとして必死に抵抗します。そのことに反する証拠が提示されてもそれをもみけしたり、でっちあげをしたりします。
思想が主人であるかのように守ろうとしているわけです。

似たようなものとしては「お金が一番大切」とか、「死は恐ろしいものである」というようなものもあります。

有希さん〜
>答えはわかっているのに認めたくなくて

これが「思想の奴隷」の特徴だと思います。

自分が「絶対だ」と信じている思想が「真実でないこと」を認めようとはしません。その思想が崩されることを怖れているわけです。

真理に近付くように自分の思想を変えてゆけるような人は「思想の主人」と言えるでしょう。
必死になって真理に反した思想にしがみついているのです。

「死とは恐ろしいものである」という思想によって、自分を守ろうと他の人と争ってでも生き残ろうとします。
「お金こそが大切だ」という思想によって、お金を得るために罪を犯すことさえします。
思想によって操られているわけです。

これが宗教思想となると、狂信者はそれを守るために反するものを排除しようとまでします。それに反したものは一切拒絶しようとします。
これは「思想の囚人」と言えるでしょう。

「思想の奴隷」はその思想が間違っていることを認めたくなくて、必死に抵抗するようなものですが、「思想の囚人」はその思想が間違っていることを絶対に認めようとせず、それを崩そうとするものを抹殺しようとするようなものです。

「他の国の人は鬼だ」という思想を信じている人は、他の国の人がにこやかに笑いかけてきても、それを認めようとせず、怖れて逃げたり、自分を守るために殺したりします。

他の人種への残虐な行為、異教徒への迫害など思想に束縛され操られたことによる出来事は多くあるでしょう。

こうしたことが「思想の主人」ではないということではないかと思います。

自分で選び、変えてゆき、より優れたものにすることが出来てこそ「思想の主人」と言えるのだと思います。

 


0229 お答えありがとうございました
名前: アラム  投稿日: 2001年12月18日 (火) 22時44分29秒

「アトランティス」についての皆さんのお答えありがとうございました。

「どうでもよいこと」という結論では一致しているようですね。

 


0228  興味がないので
名前: 有希  投稿日: 2001年12月18日 (火) 22時31分28秒

アトランティスに関しては全く興味がないので、書くのはよそうと思っていましたが、

> 皆さんはどうなんでしょうねぇ。

というペーパーバーチさんの問いかけに、一言だけ書いてもいいかなと思って、のこのこ出てきました (^^;)

アトランティスについてなぜ興味が持てないかというと、たとえ知識として知ったとしても、その知識は知的好奇心を満足させるだけで魂の成長には必要ない、ということだからです。
知ることで何か良い影響があるのかしら。
あるとすれば少しは知ってみようという気にもなりますけど、過去世のことと同じで、知ってもどうにもならないじゃないかとも思うわけです。

ということで、アトランティスに関しては、ニューズレターで取り上げられる前から、私にとっては、知っても知らなくても「どうでもいいもの」だったので興味も湧かない、というところかしら。

 


0226 アトランティスについて
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年12月18日 (火) 00時17分44秒

ボーッとしてる間に出遅れてしまいましたが、僕からも一言。

僕もアトランティスなんてどうでもいいことだと思ってます。「否定すべきもの」かどうかと言われれば……ええと、そもそも元々存在もしていないものを否定すべきも何もなくて、正にどうでもいいとしか言いようが無いというのが正直なところです。

高級霊界通信が「否定すべきもの」として言及しているかと言えば、たぶん何も言ってないんじゃないでしょうか? おとぎ話か夢物語のようなものを、わざわざ否定しようとしても仕方がない。“ネバーランド”を「否定すべきもの」として言及している霊界通信が無いのと同じことです。
※知らない人はいないと思いますが念のため、ネバーランドというのはピーターパンに出てくる夢の世界のことです。

もちろん、常識的に考えられる範囲で、ある程度発達した文明や文化が存在した可能性は否定しませんが、そんなものなら今さら取り上げる価値はありませんし、さりとて一部のオカルティストが信奉するような、現代文明に勝るとも劣らない科学力を持った高度に発達した文明というのは有り得ない話です。そんなものがたったの1万年前にあったなら、その遺物が世界中でごろごろ出てくるハズです。一つの大陸にだけ高度に発達した文明が出現して、他の大陸には一切広がらず、遺物の一つも残さず大陸ごと沈んだなんて、少なくとも僕には信じられないことです。

ですから、わざわざ霊界通信に頼るまでもなく、この世の証拠を検討することによって「アトランティス? どうでもいいよ、そんなの」という結論に達するのが、スピリチュアリストとしてあるべき姿じゃないかと思うんですが……皆さんはどうなんでしょうねぇ。

http://www.paperbirch.com/

 


0225 アラムさんへ
名前: もりふみ  投稿日: 2001年12月17日 (月) 23時31分51秒

 あぁ、そういうことでしたか、分かりました。ありがとうございました。

 積極的に「否定」しているような記述は少なくとも「シルバーバーチ」にはなかったと私も思います。しかし、「どうでもよいこと」と位置付けるというのは、積極的な「否定」よりも更に冷淡ですよね、最初から相手にしないということですから。でも私も以前の書き込みで申し上げたように、同様のスタンスです。

 シュリーマンの主張も最初は冷淡にあしらわれ、殆ど相手にされなかったようですが、彼は信念と情熱で自らの考えが正しかったことを証明しました。彼を突き動かしたその信念と情熱には、由って来たる源泉として幼少時に読んだホメロスの叙事詩があったからです。しかるに、アトランティスやムーの存在とそこに繁栄したであろう超古代文明を云々する人々は果たして突き動かされるような信念と情熱を以って云々しているのだろうか?--もしそんな人がいるとしたら(どこかにいるような気もしますが)、シュリーマンにとってのホメロスの叙事詩の如く、その人の信念と情熱を掻き立ててやまない源泉とはいったい何だろうか?--という疑問を私は抱いてしまいます。

 


0224 もりふみさんへ
名前: アラム  投稿日: 2001年12月16日 (日) 21時12分05秒

もりふみさん、アトランティスについての私のスタンスの中での
>「否定されること」とされる根拠は何でしょうか?
という言葉はその前回のかきこみでの質問を繰り返したものです。

ニューズ・レターに限らず、アトランティスを否定される人にはその傾向があるように思われたのです。

ニューズ・レターでは、特にそのように受け取れる箇所があるように思われました。
ニューズ・レターの内容が霊訓の考えを適用しているのだとすると、霊訓のどこかにそのように説かれているものがあるのだろうかという事が私の疑問でした。

アトランティスについて話すような霊は低級霊だとすると、「アーネルの通信」もそのように評価されることにならないだろうかと思ったこともあります。

「どうでもよいこと」ということでしたら、霊訓にもはっきり出てきます。
しかし、「否定されるべきもの」とは説かれていないように思われたのです。

そこで、もしそのように説かれているところをご存知でしたら教えてくださいという意味で書いたわけです。

 


0223 再びアトランティス等・・・
名前: もりふみ  投稿日: 2001年12月16日 (日) 02時23分06秒

 アラムさんのスタンス、よく分かります。ありがとうございました。確かに全否定する根拠など誰も持ち合わせていませんよね。カール・セーガンの言葉だったと思いますが、「証拠が存在しないということが即ち非存在の証拠なのではない」と私も思いますから。ところでアラムさん、

>「どうでもよいこと」とする結論でしたらそれでも構わないのですが、  「それは否定されること」とされる根拠は何でしょうか?

 は「ニューズ・レター」への問いかけですか、それともひょっとしたら私への問いかけですか?すみません、ちょっとはっきりしないものですから念の為に伺いました。

 


0222 私のアトランティスへの考え方
名前: アラム  投稿日: 2001年12月14日 (金) 23時22分31秒

もりふみさん、お答えありがとうございます。

私にとってはアトランティスはまだ結論がでていないものです。

スピリチュアリズムでは「どうでもよいもの」ということになりそうですが、ニューズレターからは「否定されるもの」として語られているように思われました。

ニューズレターでもアトランティス説のもととしてプラトンが出ていましたが、それは伝説としてであって、高度に発達した文明国アトランティスは神智学者のエリオットの描いたものだと思うのですが、それについてはニューズレターには出ていませんでした。

エリオットの著作を読んだことがありませんので、そこに描かれたヴリル・パワーの国というものがどんなものかはわかりません。

同じ様に、クレードック夫人のアトランティス小説三部作も読んだことがありません。

小説にしても、単なる創作に過ぎないものと何かの意図があっての霊界からのインスピレーションによるものとがあるのではないかと思うのです。

歴史的なものとししての実態は考古学で明らかにされると思いますが、私がどうなのだろうと思ったのは、霊界通信や霊的透視によるものです。

ニューズレターでは「ニューエイジでは、かってアトランティスの住人であったという“霊”からの通信が送られてきており」と書かれていましたが、今回、『霊界の妻は語る』を読んで、ニューエイジ以外でもアトランティスについてのものがあるようだと思いました。

神智学や人智学のルドルフ・シュタイナーなどの霊的透視能力者が見たアトランティスもあるようですから、それらの全てがでたらめなのかどうかは疑問に思います。

描かれた新時代と同じく、現代への警鐘や理想社会へのヒントとなるようなものがあれば、何かの意味を持つのではないかと思います。

ニューズレターの指摘で疑問に思ったのは、アトランティスを語る霊の通信と高級霊による霊訓との内容を比較してみるところで、「“類魂”について正しく理解しているかどうかです」という箇所です。
ニューエイジのチャネリングならばその比較は出来ますが、それ以前の通信となるとどうでしょう。
スピリチュアリズムにおける霊界通信でさえ類魂について説かれていないものがありましたが、そのことで確認ができるのでしょうか?

「地上人の魂の成長を促すものとなっているのか」という点について、「地上の危機を示す」という目的はそのことに反しているのでしょうか?

内容を比較するための主要な著作が日本語に翻訳されていないということもあります。

「どうでもよいこと」とする結論でしたらそれでも構わないのですが、「それは否定されること」とされる根拠は何でしょうか?

霊訓の中に「アトランティスという高度な文明は存在しなかった」と述べられているところがあるのでしょうか?

アニメーション映画でも「失われた大陸」が出てきたことですので、本来のテーマとは関係のないこのような質問を出してみました。

私は「まだ認められないけれども、否定もできないもの。何かの参考にはなるかもしれないもの」と位置付けます。

 


0220 アトランティス?
名前: もりふみ  投稿日: 2001年12月14日 (金) 11時45分42秒

 アラムさん〜:
>みなさんはアトランティスについてどのように思われますか?
 
 正直に言って、それについて何かを思う、考えるという知的行為の対象として捉えることは私はしていません、としか言いようがないですね。アトランティスかレムリアかムーか或いはそれらのすべてかは知りませんが、太古のむかしには存在してはいたけれども現在は存在しなくなった大陸というのはあったかも知れないとは思いますが、ただそれだけのことだと思います。あったとすれば、その大陸上に豊かな文明があった可能性もあるとは思います。でも、だからどうだこうだとか、そこに(考古学的な、或いは地球物理学的な意味以上に)何らかの意味を見つけようとしたり付与しようとしたりするのは、少なくともいまの時代では、愚かなことにとしか私には思えません。

 アラムさんが引用されたアトランティスについての何らかの記述のある書籍群の著者が如何なる思惟、考慮に基づいて各々の記述を行なっているのかを知らずして軽々に論じるのは憚られますが、じつは、それ以前に、それらを忖度する気にはなかなかなれない、というところですかね。

 インチキニューエージかぶれのおばかな人たちが「私の前世はレムリアの云々・・・」とか「アトランティスの神殿では云々・・・」などとおばかなことを真顔で話しているのを聞いたことがある私としては、

>どうでもよいものとされています。

 というニューズ・レターと同様或いはそれ以上に冷淡なスタンスを取りたいと思います。じつは私は東京のド真ん中(日比谷通りに面した内幸町の交差点)で夜の10時頃に音もなくゆっくりと低空飛行するUFOを目撃したことがあるのですが、非常に興奮して舞い上がっていた当時に比べて、いまは、自らの鮮烈な体験であるにもかかわらず、やはり、ニューズ・レターにあるように「どうでもよいこと」のひとつとしか考えていません。・・・でも、ちょっとこれは余計なハナシでしたね。

 アラムさん御自身のアトランティス等へのスタンスはどうですか?

 


0219 アトランティス
名前: アラム  投稿日: 2001年12月08日 (土) 01時37分56秒

みなさんはアトランティスについてどのように思われますか?

ニューズ・レターでは、どうでもよいものとされています。
特に第10号では「アトランティスやムーの話題はすべて想像上にのみ有り得ることで、事実ではありません」
「アトランティスやムーがらみで語られる(中略)チャネリングのすべてが「霊的事実」から全く掛け離れたものであり、単なる想像上の作り事か低級霊のからかい以外の何物でもないことを、よくよく心に留めておくべきです」
「スピリチュアリズムを受け入れた人々の中においても、アトランティス人からのチャネリングを本物と錯覚している人達がみられます」
と全面的に否定し、「その存在の有無については、これからの考古学の研究によって明らかにされることでしょう」としています。

「高度に発達したアトランティスの存在となると、当然否定されることになります」
「アトランティスを引き合いに出すような通信霊は、初めから“低級霊”と判断しても間違いありません」と結論しています。

霊訓で「高度に発達したアトランティスなど存在しない」と説いているものがあるのでしょうか?

どうもアトランティスについて説いたものが思い浮かびません。

『ベールの彼方の生活(四)』で、
「歴史的に言えばアトランティスよりもずっと前、あるいはレムリアと呼ばれている文明が登場するより前のことです」(P80)
と言及されたぐらいです。

ところが、『霊界の妻は語る』(日本教文社 新選谷口雅春選集7)
の中で、著者のレスター氏が「彼女は荒唐無稽な常識に反するような空想的事物には何事であろうとも嘲笑の眼をもって迎えるタイプの婦人であった」、「健全で何の異常もないジャーナリストとしての仕事」、「有名なジャーナリストで婦人編集長である」と述べるクレードック夫人が霊聴によって聞こえた内容を一時間五十分の間に七五〇〇語をタイプライターで打つという形でアトランティスについての著作をしたということが出ています。(第十章)

「何ら先入的な知識をもっていない」、「タイピストとしては未熟であった」女性がこれを成し遂げたことは立証的な心霊現象としても意味がありますが、彼女は「もっと精細な研究をつづけて、出来る限り多くの確証をつかんだ上でなければ、その霊聴現象の本源が霊界からくるものだということを承認するのを拒んでいた」というのです。

建築工学の専門家に、アトランティスの建築だとして自動タイプされた各部を点検して、科学的な知識と一致するかどうかをチェックしてもらったそうです。
「若しこれらの多数のデーターの中で唯一つの間違でも見出されたならばクレードック夫人は、もうこの問題を全部放棄するつもりでいたのである」
「併し、そのデーターの全部がことごとく細部にいたるまで正しいということが立証された」(P229)

『Gate to Remembrance』を最初とする三部作の小説となり、
「目的はアトランティスの滅亡と今日存在する地上の危機との相似を示さんがためであり、アトランティスの都市が陥没地震と沈下による海水の浸入とで姿を没し去ってしまったと同様に、今日の地上の文化が人類の自由の理想に反対する水爆その他の暗黒なる破壊力によって壊滅するかもしれぬと云うことを示さんがためである」とされています。

「若しこの著述が単に建築工学の論文と植物学のデーターと年代を追った事件の学術的記録で成立っているならば、こうしてロマンティックな小説の装いをもってこそ得られたような広い読書層を獲得することができないに相違ないからだ」(P230)という理由から実際の歴史的記録としての形をとらないで、小説の形をとったというこの著作を読んでいませんので、アトランティスについての霊界通信が全て意味がないものかどうかはわかりません。

『霊界の妻は語る』では、他に第十四章でも、霊界の科学者が
「あなたはアトランティスについてご存知でしょう」
「あの大陸が沈没したのが、一時代の終末でした」
「あなたはアトランティス時代に生まれておられました」(P305)
「アトランティス時代に先立つルミナリアン時代の遺跡です」(P306)
と語っていますが、これではニューズレターが批判したニューエイジのアトランティスについてのチャネリングと変わりはないでしょう。

もし、霊訓で「高度に発達したムーやアトランティス」を否定する箇所がありましたら教えてください。

アトランティスについては、ブラバッキーを中心とする神智学やシュタイナーを中心とする人智学などが認めています。
日本でも高橋信次さんが説いた中に出てきます。

スピリチュアリズムでは、これを否定する明確な根拠があるのでしょうか?


アメリカでは、アガシャーの霊界通信の中にこのことに関したものが出てきます。
(『天と地とを結ぶ電話』 J・クレンショー著 谷口清超訳 日本教文社)
「失われたたる文明の物語りを確証する記録が、大ピラミッドの中や周辺に発見されるであろう。書版も記録も共に所謂失われたるアトランティスの文化との関係を示してくれるであろう」(P256〜P257)
「アトランティスの「失われた大陸」の上に建てられていたと言われている巨大な半円形の建築物が殆ど其のまま発見されてその構造が研究せられるであろう」(P258)

エドガー・ケイシーのリーディングと同じで、それが実際に達成されるまでは正しいのか間違っているのかはわかりませんね。

 


0218 ホームレスの人たち
名前: 有希  投稿日: 2001年12月01日 (土) 11時46分31秒

アラムさん wrote:
> ところで、地球が下から二番目のレベルということは具体的にはどのようなことでしょう。霊訓のどこかに示されていましたら教えてください

世の中を見渡してみたら、そう言われるまでもなく確かにひどい世界だと思うのです。
戦争、略奪、密猟、レイプ、大量繁殖、動物実験、クローン、水爆・・・・・書き出したらキリがないほど世の中は利己性の固まりです。
この人類全体が抱えている利己性は人類全体のカルマとして解消していかなければいけないけれど、解消しつつも、新しいカルマを作っているのが実状だと思います。
差し引きすれば少しずつ明るくなっているということなんでしょう。
ですから、そういう世界が明るくなるということがわかっただけでも、私には充分なのです。

日本は戦争がないし、不景気だとは言いながらも他国に比べたらはるかに高水準の生活をしています。
それにもかかわらず不満が鬱積し、目先の自分たちの利益を求めています。
そう考えたら、霊訓を探すまでもなく、地球人の霊性の低さを感じてしまいます。
それも、霊界では霊性引き上げのプロジェクトチームが作られているということですから、地上にいる私たちは、地上にいる間にしかできないことをしていきたいものです。
そして、未来を絵に描いた餅にするのではなく、今現在、自分にできることをせいいっぱいしていくことが未来を明るくすることだと思うので、今を大切に生きたいと思っています。

アラムさんの頭の中には、全ての霊界通信の内容がしっかりと詰め込まれているんですね。
いつも的確な引用をしてくださるので、それを感謝して学ばせて頂いています。
アラムさんは神学者ならぬ、スピリチュアリズム学者なのかな。

ホームレスの人たちに関しての意見はアラムさんと同じです。
私は3回だけホームレスの人たちに、おにぎりとか、スープを配るお手伝いをしたことがあります。
長田さんも一度一緒に行きましたよね。
そこで感じたことがいろいろありましたので、その時のことを少し振り返ってみます。

確かに、ホームレスの人たちの抱えている問題は心の問題です。
誰でもいいから、しゃべりたくて仕方がないという人が大勢いました。
中には話しかけられるのもうっとうしい、という位すさんだ人もいました。
仕事にしても、週に1,2度だけ出て、食費分を稼いだら後は何もしない、という人、20代の若者が就職したくてもできないので、ということで野宿している人もいました。
食事だけでなく、衣類や薬、日用品などももらえて、本当に感謝している、という言葉もたくさん聞きました。

確かに一番の問題は心の問題だと思いますけど、心の問題は経済的に裕福な人にもあります。
愛に飢えている人も然りです。

行政の人の話では、全てのホームレスの人の肉親を探して、経済的な援助をお願いしているのだそうです。
多くの親戚は「かかわりたくない」「自分で勝手になったんだから、自業自得」というのがほとんどで、福祉科の人たちを困らせているそうです。

食事を提供していた人たちはほとんどがブラジル人で、教会の神父さんが中心になってやっていました。
日本人のホームレスに対して、外国人が中心になって活動しているというのも、ちょっと驚きました。
その人たちの話を聞くと、「週に一度配っているだけだし、彼らのお腹を満たすのに充分な量ではありません。
だから大した助けにはなっていません。でも、自分たちは見捨てられていない、ということがわかってくれるたけでもいいんです。」
「活動もマンネリになっていて、ただ配って歩くだけ」、というようなことを言っている人もいました。
洋服も、皆さん善意で送ってくださるんですけど、半分以上は使い物にならないものばかりだそうてす。
「せっかく送ってくれたものを処分しなければいけないのは、つらいです」ということも言っていました。

その中心になっている神父さんに「何のために続けているんですか? 聖書か何か、パンフレットでもいいし、あの人たちの心の栄養になるものを何か配っているんですか? そういうお話をする機会もあるんですか?」と聞いたら、顔が曇ってしまいました。以前はしていたけれど、無駄になることが多かったので、やめてしまったとのことでした。

スピリティズムのHPに「食いしん坊のジュカ」があります。
アラムさんが紹介してくださったんですけど、書きながら、ホームレスの人たちは、あの食いしんぼうのジュカなのではないかと思いました。
結局、自分で蒔いた種の結果を受けているわけですから。
とは言うものの、その言葉だけで割りきりたくはないですけどね。
私もホームレスの人の心に関わる何かをしたくて、試みたことがありますけど、あまりにも問題が多すぎて、断念してしまいました。
私の仕事ではなかったということなのかもしれません。

今回ここで書いたのはあくまでも浜松でのことなので、他で活動していらっしゃる人と同じと考えているわけではありませんので、ご了承ください。

「食いしん坊のジュカ」のページは以下から ↓

http://www.ne.jp/asahi/spiritism/kardec/indexjf.htm

 


0217 愛の行為はすばらしい
名前: 長田  投稿日: 2001年12月01日 (土) 10時19分48秒

アラムさんの言われた内容は全て本当にその通りだと思います。
私もホームレスの人達の為に無償の奉仕をしている方々には本当に頭の下がる
思いでいます。その愛の行為によって一人でも本当の愛の姿を知ったり、立ち直ることが出来れば素晴らしいですものね。
そこに携わる人達の「何とかしてあげたい」という動機は純粋なものだと思います。

私は頭のなかだけの理想ばかりを考えていたのかもしれません。
今の自分がそういう行為をしたくないから、自分でしない理由をつけていたような気がします。本当に軽はずみなことを言っていると反省しました。
全ての人が魂の成長段階にいるわけで、その成長の手助けとして霊界から使ってもらえればいいわけですから、愛の行為は全て意味があり素晴らしいことですね。だからそれぞれの場に応じてそれぞれの役割があるんですから。
私も将来はそういう導きがあるかもしれませんし。
次第に増えつつあるホームレスの人達の問題も心の問題なんでしょうね。
もう一度考え直すことが出来ました事、感謝に思います。

 


0216 ホームレスの人への援助
名前: アラム  投稿日: 2001年11月30日 (金) 23時17分18秒

長田さん〜
>ホームレスの人に食べ物を分ける事もできますけど、はたしてそれで本当に>いいのかと思ってしまいます
>どう見ても体が丈夫そうな人に関しては、頑張れば何だってできそうなのに>と思ってしまうんです

有希さん〜
>そのホームレスの人にしても、自分は働けますからいいです、と断るだけの>力があって、本当に困った人に受けてもらうという自主性があればいいです>けどね。
>善意が踏みにじられるということはなくならないですもんね

ペーパーバーチさん〜
>自分が持っているから単純にみんなに分け与えればそれでいいかというと、>ちゃんと考えてやらないと全部無駄になって終わってしまうという感じもし>ますし

長田さん〜
>無駄に終わるだけならいいですけど、逆にマイナスになることもあるのでは>と思うんです

愛を与えるときには智慧を働かせなさい といいますね。

それが甘やかしになって、本当のその人の向上にはつながらないということは確かにあると思います。

こうしたホームレスの人への支援活動は、イエス・キリストやクリシュナなどの愛の神の教えを信奉している人によって実践されていることが多いです。

しかし、すぐには効果が出ないかもしれませんが、全く意味がないことでしょうか?

それを本当に心から無償で行っている人たちがいます。

本当の愛の行為は決して無駄になることがない とも言います。

「頑張れば何だってできる」ということですが、その 頑張ろう という気持ちをなくしてしまった人もいます。

「自分は働けますから」と言っても、働く場所がないということになったらどうすればよいのでしょう。

楽をしたい、甘えの気持ちがある人も多いですが、働く意欲を失っている人もいます。

誰も自分のことを愛してくれない と思っているような人もいます。

そうした人たちにとっては、自分たちのために心からの愛の行為をしてくれる人がいるということを知ることも何かの刺激となるのではないでしょうか?

それが立ち直るきっかけとなることもないでしょうか?

本当の向上がもたらされないまま地上の人生が終わったとしても、やがて、その愛の行為を受けた記憶が向上への転機をもたらすということもあるかもしれません。

そうしたことを考えると、ホームレスの人への援助の行為も全くの無駄とは思えないのですが。

心からの愛による行為を受けて、自分もこのように他の人への愛の行為ができるような人間になりたい と思うようになってくれれば、それが一番だと思います。

一番の問題は、しがらみが嫌になって、何にも束縛されない生活にあこがれてホームレスとなった人たちです。

いつの時代でもいるものですが、放浪者たちです。
家も何もないから、勤めに追われることもないから、気楽だと思っている人たちです。

こうした人たちは、愛の行為を受けたところで、変わることはないでしょう。そうした生活をよしとしているからです。

物に囲まれた生活に嫌気がさして、精神的なものを求めるようになった出家者と似たようなところもあるかもしれません。

景気の悪化、倒産による失業者の増加にともなって、さらにホームレスになったり、出家しようとする人も増加するかもしれません。

 


0215 菜食
名前: ポカQ  投稿日: 2001年11月30日 (金) 00時45分40秒

こんにちは、ポカQです。

皆さん返事のレス有難うございます。
皆さんの意見を参考にしながら、まずはあまり負担にならない位の所から菜食を始めたいと思います。
ご意見有難うございました。

 


0214 理想の未来
名前: りゅうじん  投稿日: 2001年11月29日 (木) 14時36分56秒

アラムさん〜
>りゅうじんさんが心配されていることもわかりますが、それは現時点での話です。

そうですね。僕は現時点で、未来に起こる危険性のある問題について考えました。
結局言いたかったのは、霊的覚醒をすることや霊的能力があることなどと、霊性の高さは別ということかもしれません。自分に霊感がないからじゃなくてね(笑)。

>霊的光明が世界へ広がったときにどのような世界になるか?
>この際の前提は、他力本願になるような人、自分の努力を怠るような人がいなくなっているということです。

そういう前提なら理想的でしょうね。少なくとも戦争くらいは誰も起こそうとしない世の中になってほしいものです。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

 


0213 新しい世界が示される理由は
名前: アラム  投稿日: 2001年11月28日 (水) 23時32分32秒

有希さん〜
>人間が明日の世界についてあれこれ述べたとしても、所詮は視野の狭い人間の考えること

それでは新しい世界が示される理由は何でしょうか?

現在の世界の状態について絶望感を抱いている人に対して希望をもたらすことでしょうか。

それとも、目指すべき世界を示すことによって、これから取り組んでいかなければならないことを示すことでしょうか。

人間も、他の生物も向上していくものですが、この地球という星自体も向上していく道の途中にあります。

地上に生まれてくるのには、自分のカルマの償いのため、類魂の向上のためという魂の成長のためということと、地上界を進歩・向上させるためということがあると思います。

地球は霊的進化のレベルでいうと、下から二番目であると言われています。しかし、この地球もやがては次の段階へと進んでいくことになります。

霊界は思いが実現しますが、この地上界でも時間の経過が必要とされるものの、思いは実現していきます。

想念の集積が形つくっていくという点では同じです。

暗い未来を思い描く人が多くなれば世界は暗くなり、明るい未来を思い描く人が多くなれば世界は明るくなります。

人間が明日の世界について思い描くことが何かを生み出すことにつながるのです。

予想大会ではなく、あなたはどのような未来を思い描くことができますか ということです。

それが未来を形つくる何らかの役割を果たすことになるのです。

「カルマの解消」と「魂の向上」、そして、「地上世界の向上への関与」

霊界を認める人も認めない人もいるというのは現時点でのこの地上世界、地球でのレベルの話です。これ以上はあり得ないと思うならば、そこで向上は止まってしまいます。
その次の段階、神の存在を否定したり、霊界の存在を認めない人はいなくなるという世界を思い描く人が増えることでそうした世界に一歩近付きます。

りゅうじんさんが心配されていることもわかりますが、それは現時点での話です。

霊的光明が世界へ広がったときにどのような世界になるか?

この際の前提は、他力本願になるような人、自分の努力を怠るような人がいなくなっているということです。

霊的真理が既に地上の人にとっての常識となった世界、それはどのようなものでしょうか ということです。

霊性の進化した人々が増え、日常レベルでの霊界との交流がなされるようになた時です。

その新しい世界を描いた上で、現在の地上世界との比較により、これから人類がなさねばならないことが見えてきます。

現在の科学技術の進歩によってもたらされた恩恵も、まずはそうしたことを思い描いた人がいたからこそ可能になったのです。

今、あなたが思い描いている世界が長い年月の経過の後に現実のものとなるのかもしれないのです。

ところで、地球が下から二番目のレベルということは具体的にはどのようなことでしょう。霊訓のどこかに示されていましたら教えてください。

「スピリティズム」では次のように示されていました。(参考までに)
「より遅れた世界では、そこに住む存在はある意味において原始的です。人間の形をしていても、美しさは存在しません。彼等の本能は、どのような繊細な感情も善意も、正義と不正の区別を未だ持つまでに和らげられてはいません。彼等の間では粗暴な力が唯一の法です。産業も、発明も欠けているため、食物を手に入れることによって人生を過ごします」
「あなた達の世界では善を感じるために悪が必要です。光を賞賛するために闇夜が必要です。健康の価値をしるために病が必要です。別の世界ではこれらの対比は必要ありません」
「あなた達の間に住む優れた知性の数は、地球が創造主の手元から離れたばかりの霊達が生まれてくる原始的な世界ではないことを示しています。
彼等が身につけている生まれつきの性質は、彼等が既に存在し、ある程度の進歩を遂げていることの証です。
しかし、無数の行う傾向にある悪癖は道徳的不完全性の指針です」

「原始的な世界、追放の世界、試練の世界、更生の世界、幸福の世界」
「全ての者が神を知り、神の法を守りながら神に向かって歩もうとします。しかしながら、これらの世界には未だ完全な幸せは存在せず、幸せの兆しが存在しています。そこに住む人類は未だ肉体を有しており、故に完全に物質から脱却した人だけが解放されることになる苦しみは、依然として受ける状態にあります」
「これらの世界でも人間は未だ誤りやすく、悪の霊達も完全にその統治を失ったわけではありません」

「人間が劣っているため、苦しみや惨めさしか経験したことが無く、天の明るさを予感することが無かったからです。つまり、知らないことについては語ることはできないのです。
しかし、人間が昇進し、浄化していくに従い、地平線は延び、自分の後ろに存在する悪を理解したように、自分の前に存在する善を理解することになります」
(『スピリティズムによる福音』第三章 アラン・カルデック著 
                        角智織さん訳)

 


0212 僕のスタンス
名前: りゅうじん  投稿日: 2001年11月28日 (水) 11時40分30秒

とおるさん、はじめまして。レスありがとうございます。

僕はこの場では異分子的発言をすることが多いと感じられるかもしれませんが、これはスタンスというか役割の違いなのだと思います。
僕はあくまでも霊的覚醒をする可能性があるのにきっかけがなくて苦しんでいる人の力になりたい、できることなら覚醒の可能性がなくて苦しんでいる人の力にもなりたいと思っているので、ほんとはここに来られているような覚醒した人と話すことはあまりないんですね(笑)。基本的には、霊界や魂の永遠を受け入れた人は、後は自分で考えればいいと思うので。
統計を取ったわけではありませんが、この世では霊界の存在など信じない人、宗教なんて怖いものと思っている人が大半だと思います。そういう人に、頭から霊界はあるんですなんて言ったところでアブナイ奴と思われるだけでしょう。以前の僕がそう思ってましたから。だから僕は常にそういう人でも納得できるような理論を探していて、霊界を受け入れるところまでは行かないまでも、この世を無駄にしないで生きてほしいと思っているんです。
で、こういう言ってみれば特殊な人たちの集まりの中で霊界ありきの話に終始していると、普通の人が置いてきぼりにされる気がして時々心配になるんです(笑)。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

 


0211 便りのないのは、良い便り?
名前: 有希  投稿日: 2001年11月28日 (水) 11時21分32秒

とおるさん wrote:
> 有希さんから丁寧なご挨拶もいただいておりましたのに音信不通で、、、ごめんなさい。

そんな、そんな、謝って頂かなくてもいいですよお "^_^"
こうして、また書きこんでくださって、とてもうれしいです。
またぜひ来て、ご意見を書きこんで下さいね。

 


0210 他力本願は無知なるがゆえ
名前: 有希  投稿日: 2001年11月28日 (水) 11時19分28秒

りゅうじんさん wrote:
> レベルの低い話だと言われるかもしれませんが、

いえいえ、これは多くの人が疑問に持ちそうなことだと思うので、整理して考えておくべきことの一つだと思いました。
真理を理解するのに、高いとか低いというのはないですもんね。
こうした意見交換を通して、更に真理の理解を深めていくことができるので、とてもありがたいと思っています。

> 前に、他力本願になる気もすると言ったのはそういう意味です。

そういうことだったんですね。
確かにそういう人たちは霊的真理に対して無知なので、他力本願に走りやすくなると思います。
でも、その人たちは本来の霊界の在り方を知らないために、努力せずに苦しみから解放されたいとか、地上で楽して生きることを望んでいるからそうなるということですよね。
それとか、霊の声なら何でもすばらしいと思ってしまうのも、無知から来るものだと思います。
正しい知識を持ったら、そういう人たちも安易に霊能者に頼って、地上の利益だけを求めることはなくなるでしょうし、ましてや、ただ苦しみだけを取り除いてほしいとは言えなくなるのではないでしょうか。

問題は自分が霊の声を聞くようになってしまう場合かもしれません。
霊がある程度立派なことを言ってくれば、それをすばらしいと思い、霊が何か指示して来ればそれに沿おうとして、とんでもないことをしてしまう危険性もあるからです。

でも、霊と地上の人間の関係は、「その人間の成長に応じた霊の影響を受ける」ということですし、シルバーバーチによると『心に邪悪なものがなければ、善なるものしか近づけません。善なるものは善なるものが支配するところにしか存在できないからです』とあります。
自分が成長していれば、それにふさわしい霊の影響を受けるし、利己性が強ければそうした霊に翻弄される可能性は大きいと思います。
ですから、そういう邪霊に惑わされないためにも、シルバーバーチは霊的真理の必要性を説いているのだと思います。

 


0209 肉食と菜食のかねあい
名前: アラム  投稿日: 2001年11月27日 (火) 23時35分39秒

高級霊からの通信でも、現時点では、「肉食をしてはならない」とまでは説かれておらず、「肉食は避けたほうがよい」という程度に止めていることを考えると、自分のできる範囲から始めればよいということでしょう。

肉食などを避けるということには、動物への愛ということと霊性の向上の二つの動機があります。

動物への愛ということからでしたら、自分がこれを食べることは動物への愛に反するというように自主的に選択していくことになります。
食べられないの辛いけれども、動物への愛に反することになるので我慢するということになります。

もう一方の霊性の向上からという場合には、霊主肉従の努力を続け、その状態を保てるようになるにつれて、食べるべきでないものは身体が受けつけないようになります。食べるべきでないものに対しては身体が拒否をするようになります。食べると気分が悪くなるというようになり、やがて、そうしたものを口にすることができなくなります。
これには自分の意思での選択など必要ありません。身体が何を欲するのか、何を避けようとするのかを知ればよいわけです。身体が避けようとするものを口にすれば拒否反応が起ります。
その食物にこめられているものに身体が鋭敏に反応するからです。

そこまでいっていない人は、自分の意思で、肉を食べない日を設けてみるというようなことから始めていくことでしょう。

しかし、飢え死にしそうな場合、体力が落ちて、急速な回復が必要とされる場合には肉食もやむをえないこともあるでしょう。

ゴータマ・ブッダは餓死寸前までいった時に当時の修行者には禁じられていたミルク粥を口にしています。

また、過去仏の教えとして、「他の生命を害し、貪り取ることがなまぐさなのであって、肉食がなまぐさなのではない」というようなものがあります。

肉食をすることは、「他の生命を自分の中に取り入れているのだ」ということを自覚するという意味合いがまずあったのでしょう。
ネイティブ・アメリカンやエスキモー、アイヌなどの神話・伝承の中にはそういうものが見られます。

まず、肉食をする人は、それを無駄にしないこと。感謝をするということ。他の生命によって生かされているのだから、その生命を粗末にしないこと。この点からも自殺は許されないことになります。
そして、自分だけのためにその生を使わないこと。より多くの生命の幸福なために使うこと。これだけの義務を背負うことになります。
他の生命の犠牲をより多くのものに幸福にもたらすことによって償うことになるのです。

料理人なども同じです。他の生命を犠牲とするかわりに、それを無駄とすることなく、より多くの人に喜びを与えることによって償いを果たしているわけです。

次に、肉食をしている他の人とのつきあいによる必要性がある場合ですが、この場合は、自主的な判断に任せるべきでしょうが、ある程度やむをえない場合もあると思います。

ゴータマ・ブッダは不殺生のため、できる限り肉食を避けようとしましたが、肉を常食としている人々からの施物を受けるため、そのためにわざわざ殺したのではないものについては受け取ることもしました。
当時のシュードラーやバリヤなどは肉を食していましたから、その施物に肉が含まれていることもあったわけです。
施物を施すことを喜びと感じていた人々にとって、受け取りを拒否されることは大きな悲しみとなるので、肉食をしないという戒めをゆるめて受け取ることをしたわけです。

イエス・キリストにしても、人々との交わりのために、肉や魚を食しています。
「人は口から入ったものによって汚されることはない。口から出るものによって汚される」の言葉は、こういう場合にも用いてよいものでしょうか?

菜食を実践できる人はそうするべきです。
しかし、まだそこまでは無理という人は少しづつ努力していくべきです。
特に作物が収穫できないという地域に住んでいるような人はそれも仕方がないことでしょう。

「平和の民」ホピはトウモロコシなどを主食とし、日々、大地や精霊と交わり、作物に愛情を注ぎ、言葉をかけ、手間をかけることで、収穫が得られるとしています。

作物が十分にとれないという状態も、人間の問題からなのでしょうか。

 


0208 神から賜ったセンサー
名前: とおる  投稿日: 2001年11月27日 (火) 21時32分24秒

こんばんは
有希さんから丁寧なご挨拶もいただいておりましたのに
音信不通で、、、ごめんなさい。

りゅうじんさん、はじめまして。
りゅうじんさんはちょっと違った角度から発言されるようですね。

霊的な覚醒をするということはそれ以降、自らの生活が神から賜ったセンサーともいうべき「良心」に従ったものとなるでしょう。
魂の成長を重ねている人なら尚のことです。
霊を感じるからといって、自分の行動を人(霊)のせいにするようならば、まだ霊界の本当の姿(利他愛の世界)を知らないということです。
霊的覚醒をしていない人の行動については、翻弄されない建設的な思考で受け止めたほうが良いかと思います。

そう言う私も翻弄されることばかりですが、スピリチュアリズムの素晴らしさが分かっていて、他力本願は変だと思います。

 


0207 霊的なことの自覚
名前: りゅうじん  投稿日: 2001年11月27日 (火) 13時48分36秒

有希さん〜
>私たちの出した見解も、神から見たら、やはり想像の域を出ていないと思うので、論ずるに値しないと思います。

論ずるに値しないこともないと思うんですが、未来の予想大会をやるのが目的ではないので(笑)、地上の目的の話はここらへんでやめます。

で、実は僕が懸念しているのは、霊的なことを自覚できる人が陥りやすい落とし穴のことです。自分の感じた世界、自分の通じた霊がどの程度のものか。守護霊なのか、背後霊なのか、地獄霊なのか、動物霊なのか。勿論、本人の霊性の違いでピンからキリまで来るでしょうが、この区別はなかなかつきにくいようです。自分は大丈夫とみんな思ってるんでしょうしね。

霊感がなくても霊の影響は受けて行動してるんでしょうけど、霊感がなければ何か失敗しても自分が悪いと考えやすいですが、下手にどっかの霊の言うことを信じて失敗すると責任転嫁もしたくなるのではないかと思うんです。心霊治療で金は取らない方がいいというのも、そういった悲劇の防御策としての意味はあるかもしれません。霊的なことっていいこともあるでしょうが、落とし穴もいっぱいありそうです。

レベルの低い話だと言われるかもしれませんが、前に、他力本願になる気もすると言ったのはそういう意味です。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

 


0206  マヨネーズ
名前: 有希  投稿日: 2001年11月27日 (火) 00時50分43秒

へぇ〜、マヨネーズには防腐剤は入っていないんですかあ。
私の知識は古かったようです。
栄養士さんから聞いたことと、マスコミで言われていたものをそのまま鵜呑みにしてたんですけど、防腐剤が入っていないというのは目からウロコでした。
でも、中には危険な添加物の入っているのが出まわっているのも確かですから、表示を確かめるのが一番かも。

ただ、添加物にこだわり始めると何も食べられなくなっちゃいます。
知人から聞いたことですが、、完全なベジタリアンで、添加物の入ったものは一切取らないし、全て無農薬のものしか使わい人がいたそうです。
どんなに熱が出たとしても薬も飲まなかったようです。
その人がある時交通事故を起こして入院しました。
そうしたら、手術の時にかけた麻酔が効き過ぎて、亡くなってしまったということでした。

どんなに良いものでも、地上に関することは「過ぎたるは及ばざりし」になるので、気をつけながらも、ある程度世の中に合ったようにしていくのが一番良いのでしょう。
人間の体は順応性が高いので、多少摂った方が添加物に対応できるから、その方が良いのかもね。
でも、シルバーバーチの言葉を借りれば、「それ相応の原因があって、結果があるのです」となるので、霊的に見れば様子はまた変わるのでしょうが。

 


0205  明日の世界
名前: 有希  投稿日: 2001年11月27日 (火) 00時49分21秒

> 先のことはわからないとも言えますが、僕は証明はできないと思います。

りゅうじんさんは証明できないと思われるわけですね。
確かに今の段階で見るかぎりでは、霊的なことは証明できないと思います。
この世の目的はあくまでも、「カルマの解消」と「魂の成長」ですから、「霊的なことを証明することがこの世の目的ではない」と言われれば、異議は全くありません。
ただ、「証明できない」と言い切ってしまうのはどうかと思うのですが。

> そして自覚できている人でも僕のような人に証明はできないし、思い込みだと言われても100%否定できる証拠
は持っていないはずです。

それはそうでしょうね。
気がつく人は、小さな偶然からでも気がつくでしょうし、そうでない人はどんなに説明しても、場合によっては霊現象に遭遇したとしても認めないと思います。

> ただ、地上では、霊感があろうとなかろうと努力次第で真理に気づくこと、それに添った行動を起こすことはで
> きるわけで、それこそが地上の目的なのではないかと思うんです。だから、この世で霊界の存在が明らかになる
> ことはないし、その必要もなく、霊界を肯定する人も否定する人もいるのが地上の自然な形だと思うんです。

目的は人間の成長段階によっていろいろ異なると思います。
ですから、りゅうじんさんのおっしゃるのも当然そのうちの一つに入ると思います。
「真理に添った行動をする」のは何のためかと言うならば、結局は「カルマを解消するため」「魂が成長するため」ということになりますもんね。

ただ、人間が「明日の世界」についてあれこれ述べたとしても、所詮は視野の狭い人間の考えること。
人間がいくら白であってほしい、と言ったとしても、神が別の色のつもりで創られていたとしたら、やはり白ではなく別の色なのでしょうから。
私たちの出した見解も、神から見たら、やはり想像の域を出ていないと思うので、論ずるに値しないと思います。
地上的観点で見ているうちは、視野の狭さは否めませんものね。

 


0204 マヨネーズが腐らないわけ
名前: ペーパーバーチ  投稿日: 2001年11月26日 (月) 16時12分21秒

どうも、肉食妻帯姦淫乱交なんでもありのペーパーバーチです(ウソです〜、乱交はしたことありません(^^;)

僕は肉も食べますのでポカQさんの疑問には答えられませんが、難しく考えなくても、動物が可哀想(だとかその他の理由)で食べたくないと思うなら食べなければいいし、そう思わないなら食べればいいのではないでしょうか? 加工品で肉のエキスが入っているだけのものでも摂取したくないなら、大変な手間はかかると思いますが、自分の気持ちとして、そこまでやるだけの内的な衝動を感じるならそうすればよいと思います。そこまではちょっと〜と思うなら、こだわる必要は無い。玉子や魚も同様。
ま、僕は玉子が苦痛を感じるはずは無いと思いますし、ましてや可哀想とも思わないので食べてますが(^^;。杓子定規に「何を食べたからお前は地獄行き」とかそういう問題では無いので、何なら良いのか悪いのかという疑問はスタート地点から間違っているんじゃないでしょうか(但し、それを聞いてみた事そのものは、悪いことでは無いと思います)


>0202 有希さん

|市販のマヨネーズは防腐剤の塊のようなもので、自分で作ったものに市販
|のマヨネーズをスプーンに一杯入れるだけで、相当日保ちするくらいです
|から、体に良いわけがありません。
|もし、自分でマヨネーズを作られるのなら、問題はないと思います。

「玉子で出来ているマヨネーズがあんなに日持ちするなんて、防腐剤がたくさん入っているに決まってる」
これは巷間に広く膾炙した説ではありますが、実は市販のマヨネーズには防腐剤は使われておりません。少なくとも、誰でも知っているような大メーカーの大量生産品には、防腐剤が使われているものは無いハズです。総じてマヨネーズは添加物の少ない食品で「化学調味料」が使われている以外は大メーカーの市販品を安心して使って良いと思います。

じゃあなぜ防腐剤を使ってないのに長持ちするの?ということになるかと思います。

マヨネーズが酢と玉子と油からできているのは皆さんご存じだと思います。市販品ではこれらを混ぜる時に専用の機械を使い、微細なコロイド状態をつくりだしています(これは手作りでは不可能です)。要するに、腐りやすい卵黄や油の粒子を、殺菌力のある酢の粒子が包み込む形になっているわけです。ですから、市販のマヨネーズを調べると、製造直後よりしばらく経った後の方が細菌の数は減っているそうです。つまり酢の殺菌力ゆえ、防腐剤など使う必要は最初から無いわけです。

手作りマヨネーズでは、市販品のようなコロイド状態を作り出すのは不可能ですから、当然、傷みやすくなります。最悪の場合、作った翌日にはサルモネラ菌に感染ということも……(^^;。手作りの場合は酢の殺菌力に期待せず、ただの割った玉子程度しか保たないつもりで早めに使い切りましょう。専門家の中には「手作りマヨネーズは危険だ」と言い切る人もいるそうです。

市販品は開口部の小さいポリ容器に入っているのも、保存性には有利な点の一つですね。ポリ容器の安全性の問題は気になる人もいるでしょうけど。

それから、玉子は特別なブランドが付いている玉子でなければ、1パック10個入り百何十円の玉子も78円の玉子も、どれも同じです。特別安売り用に生産されているものがあるわけではありませんから。少なくとも僕がチラシを作っている某中堅スーパーでは、安売りでも仕入先は同じでした。安全な玉子を食べるためには、数倍の値段のブランド玉子を選ぶ必要があるのではないかと……よく知らないですけど(^^;ゞ。


----マヨネーズとは関係ないですが、ちょっと思いついたので追加。

大きな問題として、肉も玉子も安すぎるということがあると思うんです。たとえば僕が作成した某スーパーのチラシ。玉子Lサイズ1パック78円とか、豚すき焼用モモ肉100g88円とか、カツ用ロース肉100g88円とか……そりゃ食卓が肉食中心にもなりますわな。白菜半切100円だけでおかずをつくるのは難しいですけど、肉だけでおかずを準備しろと言われてもそれほど困らないでしょう? それぐらい肉の力って強いんです。よほど問題意識を持ってる人でなければ、安ければどうしたって使っちゃいますよね。

前回も書いたと思いますが、不自然かつ非人道的な形で大量生産している結果、こういう異常な値段を実現しているわけです。おそらくこれから、動物愛護の運動や、自然食志向の高まり、食糧危機などにより生産方法を見直さざるを得なくなる時がきます。その当然の結果として価格が上昇し、肉食は減少することになるのではないかと僕は思っています。その意味で、ニューエイジ的な動物愛護や自然食なども、果たす役割は大きいのかも知れませんね。

http://www.paperbirch.com/

 


0203 地上の理想2
名前: りゅうじん  投稿日: 2001年11月26日 (月) 13時28分36秒

アラムさん、有希さんのおっしゃることはわかるつもりなんですが、僕はあくまでも地上はどういうところかということを問題にしたわけです。
霊力は受け手が自覚できようができまいが、受け入れられる人には注がれるんでしょうし、霊性の向上の可能性が無限であることも異論はありません。ただ、

りゅうじん〜
> だからこの世では霊的なことは絶対に証明できない仕組みになっていて、

有希さん〜
> 今はそうかもしれませんが、数100年後はどうでしょう。

先のことはわからないとも言えますが、僕は証明はできないと思います。逆に言えば証明されることがこの世の目的ではないと思うんです。現在でも、霊能力のある人、霊感の強い人は霊的なことを自覚できてるんでしょうが、少なくとも僕にはできないので、これは僕にとってはあくまでも信仰という要素になります。そして自覚できている人でも僕のような人に証明はできないし、思い込みだと言われても100%否定できる証拠は持っていないはずです。
ただ、地上では、霊感があろうとなかろうと努力次第で真理に気づくこと、それに添った行動を起こすことはできるわけで、それこそが地上の目的なのではないかと思うんです。だから、この世で霊界の存在が明らかになることはないし、その必要もなく、霊界を肯定する人も否定する人もいるのが地上の自然な形だと思うんです。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

 


0202 栄養学の観点で
名前: 有希  投稿日: 2001年11月25日 (日) 21時03分10秒

> ところで皆さんにお聞きしたいのですが、ひとくちに菜食といってもどのようにすればいいのでしょうか?

自分でできるところから始められた方が良いと思います。
今までの習慣もありますし、スピリチュアリストはこういう食生活でなければダメ、というのもありませんから、一気に変えるのではなく、気になるものから少しずつ変えていかれるのがベストだと思います。
もし、ポカQさんが一気に変える気持ちがあるのでしたら、それはすばらしいことだと思いますが、一気にすればその反動もあるのではないかと。

でも、私なりにですが、栄養学の観点から書いてみたいと思います。

> 牛乳や卵は駄目なのでしょうか?
> これがもし駄目だとすると洋菓子類がまったく食べられなくなります。
> これは私にとってかなり辛い事です。

洋菓子が好きだと、それを食べられないというのはつらいですね。
卵は安いのを食べなければそれほど問題はないと思います。
問題なのは牛乳と白砂糖、リノール酸です。
市販のマヨネーズは防腐剤の塊のようなもので、自分で作ったものに市販のマヨネーズをスプーンに一杯入れるだけで、相当日保ちするくらいですから、体に良いわけがありません。
もし、自分でマヨネーズを作られるのなら、問題はないと思います。

牛乳はかなり問題ありです。
まず、牛に与えられた抗生物質が凝縮して入って入ること、
牛乳はカルシウム摂取を目的として飲む人が多いけれど、大量に飲む人は逆に貧血、骨粗しょう症になりやすい、
というのがデータに出でています。

私は栄養学の点から考えて、牛乳や卵もあまり摂らないようにはしています。
でも、全く摂らないわけではなくて、たまには食べています。
それと、ドレッシングは自分で作っています。
酢、しょうゆ、亜麻仁油、を混ぜたものです。
たまにはそれにコショウなども入れていますが。

私は食べる時の自分の気持ちに従っています。
肉は気持ちが受けつけないから食べないけれど、卵は質の良いものであれば頂きます。
ワンパック100円、などというのはちょっと恐いので、買いません。
という感じです。

このように、私が一線を引いているのは肉の塊と、あきらかに肉が原料だとわかる加工食品だけです。
でも、魚はたまには頂きます。
もちろん、感謝の思いを持ってですが。

ポカQさんはポカQさんなりに、自分の気持ちで選ばれたら良いと思います。

> また人付き合いの中で肉が食卓に並ぶということもあるかと思いますが、その時はどう対処していますか?

しばらく前までは出されたものは食べていましたが、今は全く手をつけなくなりました。
「私は肉は嫌いですから、すみません」というのでも通りますしね (^・^)

 


0201 他力本願にはなれない
名前: 有希  投稿日: 2001年11月25日 (日) 20時13分18秒

りゅうじんさん wrote:
> 僕はこうなると既に地上としての意味はない気がするんです。

そうでしょうか。
そこまで進んで行くのが地上での意義だし、また、たとえそこまで進んだとしても、また次の段階があるはずなんですが。
私たちが出した見解が全て正しいとは思いませんが、その見解がある程度正しいとしても、それも途中段階に過ぎないと思っています。
シルバーバーチが述べている「明日の世界」は完璧な世界のことを言っているのではなく、今の人類の次の段階のことを言っているように思うんです。
ですから、今回シルバーバーチが言っている段階で地上としての意味がなくなることは決してないと思います。
もし成長する余地がないほど完璧な世界になるのでしたら、それは地球が消滅する時なのかもしれません。

> 霊界の存在なり、背後霊の援助なりがあることを全ての人が明らかに自覚できるような状態になることはこの
> 地上の理想ではなく、人間の進歩も望めなくなると思うんですよね。

人間の進歩は計り知れないと思います。
進歩が望めなくなるほどの世界がきたとしたら、それはすばらしいことじゃないですか。
それまでに、私たちは何度再生を繰り返すのでしょう・・・
シルバーバーチも、人の成長は終わりが無いと言っています。
でも、地球は天体の中で下から2番目に低いと言われているくらいですから、地球での成長がどれほど進んだとしても、進歩がなくなるほどの世界と言うのはシルバーバーチにさえも読めないくらい先のことなのではないでしょうか。

> だからこの世では霊的なことは絶対に証明できない仕組みになっていて、

今はそうかもしれませんが、数100年後はどうでしょう。

> はじめから明らかに霊界の存在がわかっていたら他力本願になる気もしてね。

これは逆だと思います。
神とか霊界をご利益信仰的に考えて、神頼み的に期待している人にとってはそうでしょうけど、霊界の摂理、霊界の地上へのかかわり方を知ると、決して他力本願にはなれません。だって、「役に立つ人間」になることが大切なわけですし、それ一つ考えても、自分の努力無しでは何にもならないということだと思います。そして、『利他愛』『霊主肉従』は全て自分の自由意志で行うしかないわけですから、他力的になって成就できるはずがないと思うのです。

霊界がするのは準備と援助だけです。
それをどうやって地上で霊的利益に結びつけるか、それは地上の人間しかできないことだと思います。
ですから、本当の霊界の姿がわかればわかるほど、他力本願になりようがないと思うのですが。

 


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