心霊学研究所
kaleidoscope
('00.01.25作成)

ただ「生きる」以上の事を……


 

 「自分だけは幸せでいたい」というのは、人間の深い深い部分に、楔《クサビ》のように食い込んだカルマのようなもので、如何ともしがたいものがあります。実際、僕だって、口でなら立派な事を言えても、世界中で起こる不幸な出来事を観ると「自分でなくて良かった」と思ってしまいますし、それなりに裕福な(?)生活もしています。

 ちょっとばかりの寄付をユニセフにすることもありますが、その行為が“免罪符”を買いあさった中世の人達と、いったいどう違うのか? 自問自答することもあります。まだまだ欲に負け、自分に嘘を吐いていると感じることもあります。それはもう、まったく嫌な気持ちです……。

 この気持ちが、シルバーバーチの言う「真理を知った人間は、決して楽な人生を歩めません」(記憶で書いてますから正確ではないと思いますが)という事の一面なのかもしれませんね(^^)。

 でも「知った」ことを後悔しているわけではないんですよ。むしろ、知ることが出来たことを感謝しています。少なくとも、自分の邪心を自覚させてくれましたから。

 

 もちろん、わざわざ貧乏になる必要は無いと思いますが(当然ですね)、自分を含む世の多くの人は、その「豊かさ」を無駄に消費している感があります。飢え死にする心配が無いのは良いことに決まってますし、豊かな事が悪いわけでは無いはずなんですが……。

 私達には、「生きる」だけでせいいっぱいの国の人にはできない事ができるはずですし、そのために、この「豊かな」国に生まれてきたのだと思います。それが何かというのは人それぞれでしょうけど、少なくとも、単に豊かさを消費するのみに終始したくはないものですね。

 この豊かな国に生まれ、スピリチュアリズムという真理に出会えた事……その意義と幸運を夢々軽んじることのないように、真摯に生きて行きたいものです。


 以下余談

 僕の好きな日本画家の一人である畠中光享《はたなかこうきょう》(僕の相棒の短大時代の先生です)は、若い頃インドに旅行した折り、道端にゴロゴロ死体が転がっているのを見て、画家を目指す決意をしたのだそうです。

 「たとえ画家になれずに路頭に迷うことになっても、日本に暮らしている限り、野垂れ死ぬような事にはならないだろう。だったら思い切って、好きな道に進んでみよう」と。

 インドで、死体を跨いで歩きながら、そう心を決めたのだとか…(^^)。

初出:Nifty-Serve FARION『心霊学研究所』('95.11.13)を改稿


前ページ目次次ページ

心霊学研究所トップページ