心霊学研究所
スピリチュアリズムQ&A
('04.12.30作成)

スピリチュアリズムQ&A(17)


 

身近な人間を亡くしてから起こった異変への対処法は?

身近な人間(肉親・恋人・友人など)が亡くなってから親族にいくつかの災いが起こっています。何かを伝えようとしているのでしょうか? それとも守ってくれているのでしょうか? どうもそばにいるような感じはするのですが、どういう事なのでしょう?

 


 

残された人間にできることは霊的真理の理解と、それに則った生活をすること。過度に悲しむことは禁物です。

まず第一に、あなたの愛する人が災いを起こしているのかもという悲しい考えは捨ててください。そういうことが全く有り得ないとは言いませんが(後述します)、そうかもしれないと考えることで物事が良い方へ動くことは(万が一それが事実だったとしても)有りませんから。また、この世から去って間もない霊がこの世の人間を守るということも、同じぐらい小さい可能性しか有りません。幼稚園からようやく小学校に上がったばかりの子供が、幼稚園に先生として出張するようなものですから。

では霊能者が「亡くなった肉親が守ってくれている」と言うのは全て間違いなのかというと、そうとも言い切れません。時々そばにいるような感じがするのは勘違いなのか? いや、それはきっと本当にそこにいるのです。(これは気休めではありません。事実として申し上げます)

この世を去ったばかりの霊がこの世に居る場合、三つの理由が考えられます。
●一つは、この世に未練を残していたり、自分が死んだことに気付かずに迷っている場合。
●二つ目は、まだ霊界のバイブレーションに適応しきれない霊が、一時的に地上の家族などの近くに戻る場合。
●三つ目は、あるていど霊界でも落ち着いた段階の霊が、守護霊や指導霊を補助する仕事をしている場合。
実際はそれほど単純に分けられるものでもありませんが、大ざっぱには以上の三つと考えれば分かりやすいと思います。では、この三つのケースを、より詳しく見て行きましょう。

まず第一の「迷っている場合」です。迷っている霊はぼんやりした状態で漂っていたり、自分の妄念に囚われていたり、または苦しみのあまりこの世の人間(時には家族)にすがりつくこともあるようです。それらの霊のオーラと接触した時に怒りや心配などのマイナスの感情に囚われていると波長が合ってしまい、体調が悪くなったりすることは有り得ます(これの甚だしい場合、深く結び付いてしまったのが憑依)。が、これに対する特別な対応策というのは有りませんし、考える必要もありません。霊的真理に沿ったより良い生き方を指向することが、最高の、そして原理的にも唯一(※)の対応策だからです。

※霊能者が憑依霊を祓ったりというのを決して否定はしませんが、そんなことをしても本人が変わらなければ同じような霊にまた憑依されるだけで意味がありません。祓われた霊も、訳が分からないまま迷い続ける事になり、救いがありません。

スピリチュアリストとして霊的真理を学び、霊性の向上を心掛けることで、迷っている霊は憑依していられなくなります。憑依とは両者のオーラが重なり合い影響し合っている状態です。ですから、この世の人間の霊性が高まれば憑依していた霊にも少なからぬ良い影響が及びます。人間の霊的真理への理解が深まれば、憑依霊も霊的真理に気付く可能性が高くなるわけです。

#霊に対して霊言集などを読み聞かせると良いのでは?と思われるかも知れませんが、シルバーバーチはそれには否定的なようです。が、有効と考えている霊能者(人智学のルドルフ・シュタイナーなど)もいますし、それぞれの民族や国柄によっても違うかも知れませんので、一概に否定することはできないと思います。実際、日本でも昔から読経という形で教えを読み聞かせていますね。

もしも亡くなった方が強烈に未練に思っている事がある場合は、出来る限りそれは解決してあげるのも一つの手です。実際「お墓のことが心配で……」と迷ってしまう霊もいるそうですから(霊的に見れば無意味な習慣としても)先祖代々の宗教が求める供養は行った方が良いと、僕は思います(そうした儀礼の無意味さを、飽くまでも説き聞かせるべきと考える人も多いです)。今の人だったらそういう儀式には拘らないでしょうが、死んだら臓器移植のドナーにしてくれとか、遺品は誰々に渡して欲しいとか、誰々からお金を借りていたから返さなければ、とか(^^;。

もっとも、こんなことは死後の生を知っていようが知らなかろうが、愛する家族への思いやりとしてやってあげて当然のことで、「死者が迷っているかもしれないから……」という理由であわててやるようなことではありませんよね。それに、そんなことに引っ掛かるのは余ほど強く拘っていたことだけで、ほとんどの場合霊界に行けばこの世で気にかかっていたことなどどうでもよくなるようです。もちろん「遺産を巡って骨肉の争い」なんてのは論外で、さすがに霊界から介入してくるかもしれませんが(^^;

次に第二の理由。霊の里帰り(と言っていいのか?)は、主に子供の場合に高頻度で行われます。胎児が臍の緒を通じて母親から養分を授かるように、肉体を失った子供の霊も、両親のオーラを通じて霊的な養分を授かる必要があるからです。霊界の保育者に連れられて、しばらく家で遊んでいたりするようです。

その時に注意しなければならないのは、この世で迎える側(親・きょうだい)が、あまりにも深く嘆き悲み続けていては、子供の霊の発達に悪影響を与える可能性があることです。これは相手が子供の場合に限らず、大人の霊の場合でも同じで、地上の人間の哀悼の念が強すぎると、幽界の霊や、地上で(自分の死に気付かず)迷っている霊の執着を更に強めることになります。霊の進歩を妨げることになってしまうわけです。

ですから、霊的真理を知ったスピリチュアリストは、悪戯に死を悲しむのではなく、死とは消滅ではなく別の世界への移行に過ぎないこと、愛する人が別の世界で変わらず生きていることを理解し、彼・彼女の新たな世界での成長を願い、祝福し、いつか自分もそちらに行った時に再開できることを楽しみに待ちたいものです。もちろん、そう簡単に割り切れるものではないでしょうけど……。

第三のケースは、守護霊・指導霊に仰せ付かって、補助霊として働いている場合です。どういう事情でそうした仕事に付くのか一概には言えませんが、この世に降りて高級霊の指導の下で働くことで、まだ未熟な霊のカルマの解消にもなるでしょうし、学ぶことも多いのでしょう。ただし、これは死後ある程度時間の経った霊や、高齢者の霊の場合に限られるのではないでしょうか。若くして死に、それから時を経ていない霊は、まだこの世への未練が強く、却って成長の妨げになると思われます。

また、今回のご質問にあるような、誰々が亡くなってから……で、その人が守ってくれているから小難で済んでいるのか、というのは、残念ながら関係ありません。災難から守るにしろ与えるにしろ(与えることもあります)それを指揮するのは守護霊の役割であり、地上から霊界に移ったばかりの下働きが一人増えたからとて、この世の人間が感じられるような変化は起こり得ません。

ではなぜ彼・彼女が亡くなってから、様々なことが起きはじめたのでしょう? それは、もしかしたらそのこととは関係なく、いろいろなことが起こる時期が来ていただけなのかも知れませんし、親しい人が亡くなったために神経過敏になっていて、今までは気にも止めなかったことを「またこんなことが起こった」と思うようになってしまっただけかも知れません。もしくは、愛する人を亡くす経験をしたこの機会に、併せていくつかの試練を与えることで、何か大きなことを学ばせようという守護霊の計画があるのかも知れません。

いずれにせよ、シルバーバーチの霊言集などでスピリチュアリズムを学ぶことです。霊的真理を理解し、それを実生活に反映して行くことで、迷っている霊は徐々に気付いて行けるでしょうし、悟った霊も安心して霊界で暮らせますし、この世の人間も嘆き悲しんで暮らさなくて済むのですから。何も特別な儀式は必要ありませんし、特別な能力(例えば霊能力とか)だっていりません。この世を去った彼・彼女が何を求めているのか……みんなが幸せであることでしょう? ならば大丈夫。きっとみんな幸せになれます(^^)

 


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