心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.02.19公開)

九.神鏡


 

 ひととおり見物がすむと、私たちは再び岩屋の中に戻ってきました。その後神様は早速これからの修行について、かんで含めるようにいろいろ説き聞かせてくれました。

 『これからあんたの生活は、現世時代とはすっかり変わってしまうから、少しでも早く慣れてもらいたい。現世の生活は、そのほとんどが衣食住の苦労に費やされ、多くの人間はそのことだけにあくせくして一生を過ごしてしまうわけだが、こっちでは食べる心配は全然ない。もともと肉体あっての衣食住なわけで、肉体を捨てた幽界の住人は、できるだけ早くそうした地上の考えを頭の中から払いのけなければならならない。それからこちらの世界の住人として最も慎まなけらばならないのは、うらみ、ねたみ、その他もろもろの欲望である。そんなものに心を奪われたが最後、幽界の亡者に成り果て、いつまでたっても浮かぶ瀬はない。またこちらの世界で何より大切な修行は精神の統一で、これ以外はほとんど何もないとさえ言ってよいほどだ。つまりそれは、とにかく一心不乱に神様を念じ、大げさに言えば神様と自分とを一つにまとめてしまって、他の一切の雑念妄想を払いのける工夫なんだ。でも実際やってみるとこれが意外と難しい。姿は殊勝《しゅしょう》らしく神様の前にすわっていても、心はいつしか悪魔の胸に通じていたりするからね。中身よりもうわべを大事にする現世の人々の眼は何とかごまかせても、こちらの世界ではそんなごまかしはきかない。全部が神様の眼にはお見通しで、またある程度お互いの眼にも見えちまう。というわけであんたもさっそくこの精神統一の修行を始めなけりゃならんのだが、もちろんはなっから完全を望むのは無理というもの、ある程度の失敗は見逃しもするけど、あんまり眼にあまる時はそのつど厳しく注意するから、その覚悟でいなさい。それから何か希望することがあるなら、今のうちに遠慮なく言いなさい。無理のない願い事であればなんでも許すつもりだからね。』

 ようやく寝床を離れたと思ったら、もうこんな厳しい修行の話を聞かされ、その時の私はずいぶん辛いなあと思ったものです。その後こちらで様子を見ていると、人によってはとてもラクな扱いを受け、まるで夢のようなのんきな生活を送っている方も結構いらっしゃいますが、どういうわけでこのような違いが生じるのか私にはよくわかりません。私なんかは特に厳しい修行を言い付けられた方らしいのですが、なぜそうなったのか自分でも不思議なんですよ。やはりこれも身魂《みたま》の因縁というものなんでしょうか。

 それはともかく、神様からこのように何か望みのものがあるか尋ねられた私は、いろいろと考えぬいた末にたった一つだけお願いをしました。

 『おじいさま、どうか私に御神鏡を一つ授けてください。私はそれを御神体としてその前で精神統一の修行をしようと思います。何かのめあてがないと神様を拝むような気分になれないんですもの。』

 『それは至極もっともな願いだね。すぐにそれを取り寄せてあげよう。』

 おじいさまは快く私の願いを聞き入れてくれると、ちょっと後ろを向いて黙祷《もくとう》されましたが、もう次の瞬間には白木の台座のついた一体の鏡がその手にのっていました。この鏡はさっそく岩屋の奥のちょうどいい高さにある壁のくぼみに据《す》えられ、私のその後の礼拝のもっとも神聖な目標になりました。その時からもう四百年以上過ぎ、私の住みかはその間に何度も変わりましたが、この鏡だけは変わりなく今もなおその前で正座黙祷を続けているというわけなんです。

 


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