心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.03.11公開)

十二.愛馬との再会


 

 岩屋での修行中のできごとですが、もう一つちょっと面白い話がありますのでお話しておきましょう。こちらで自分の愛馬に再会したのです。

 前にもお話しましたが、私は三浦家に嫁いで初めて乗馬の練習をしました。最初は馬に乗ることも少し怖いぐらいでしたが、やっているうちにだんだん乗馬が好きになっちゃいました。というか馬が可愛くなっちゃったのです。経験のない方にはおわかり頂けないかもしれませんが、乗り慣らした馬というものは、それはもう不思議なほど可愛いいんですから。

 私の愛馬は、夫が色々探した上でこれはと見立ててくれた、それはそれは優しい感じの見事な雌馬《めうま》でした。自慢じゃないけど体の地色は白で、所々黒の斑が混じった美しい毛並みが特に素晴らしく、私が乗馬して外出したときには、道行く人々も足を止めて見とれるほどでした。えー、乗り手に見とれたんじゃないかですって。冗談がお上手なんだから、もう。そんな酔狂な人なんかいらっしゃいませんでしたわよ。私じゃなくて、馬に見とれたんですってば。

 そうそう、この馬の名前については私と夫の間でひと悶着ありました。私は優しい名前がいいなあと思って、さんざん考えた末に『鈴懸《すずかけ》』という名を思いついたんですが、夫は私の意見に反対でした。『それはあまり面白くないね。若月にしなさい。』と言い張って、私の言うことなど頑として聞き入れてくれませんでした。私は内心不満たらたらでしたが、もともと彼が見立ててくれた馬でもあるので、とうとう『若月』と呼ぶことにしたんです。『今度だけは負けてあげますわ。でも次にいい馬が手に入ったら、そのときこそ鈴懸と呼ばせてもらいますからね。』確かそんなことを言ったのを覚えています。でもそれからすぐにあの北条との戦が起こったので、私の望みはとうとう果たされずに終わってしまいました。

 とにかく名前についての経緯はさておいて、私は若月が好きで好きでたまりませんでした。馬のほうもよく私に慣れてくれ、私の姿が見えようものならさも嬉しいといった表情をして、大きな体をすりつけてくるのでした。

 落城後あちこち流浪していたときも、若月はいつも私の側に付き添って、一緒にさんざん苦労をしてくれました。臨終が近づいたとき、私は若月を庭に呼んでもらって、別れを告げました。『あなたにもさんざん苦労をかけちゃったわね。』心の中でそう思っただけの別れでしたが、それは必ず馬にも通じたんじゃないかと思います。こんなに可愛がったためかしら、ある時私が岩屋の中で精神統一をしているときに、ふと若月の姿が目に浮かんだんです。

 『もしかしたら若月はもう死んじゃったのかもしれないわ。』

 そう感じたので、そのことをおじいさまにお尋ねしてみますと、やっぱりもうこちらの世界に引っ越しているとのお返事でしたので、私はぜひ一目昔の愛馬にあってみたくなったんです。

 『とても勝手なお願いですけど、一度若月のところに連れて行ってもらえませんか。』

 『それはすごく簡単なことだよ。』と普段どおりの口調で、おじいさまは親切に答えてくれました。『馬のほうもあんたをとっても慕っているようだから、一度会っておきなさい。早速これから一緒に連れて行ってあげる。』

 幽界ではどこをどう通って行くのかよくわかりません。それこそが幽界の旅と現世の旅の大きな違いです。とにかく私たちはアッという間に途中をすっ飛ばして、ある一つの馬の世界としか言いようのないところへと到着しました。そこには見渡す限り馬ばかりがいて、他の動物は一種類もいませんでした。しかも不思議なことに、どの馬もみなたくましい駿馬《しゅんめ》ばかりで、毛並みのモジャモジャした足の太い駄馬などは一頭もいませんでした。

 『若月もここにいるのかしら。』

 そう思いながらふと野原のほうに目をやりますと、はたせるかな一頭の白馬が群を離れて、飛ぶようにこちらへと駆け寄ってくるではありませんか。それは間違いなく私のかつての愛馬、若月でした。

 『まあ、若月。よくきてくれたわね。』

 私は心から嬉しく、しきりに自分にまとわりつく愛馬の鼻先を、何度も何度もなでてやったのでした。その時のされるがままの若月の表情といったら…。思わず涙ぐんじゃいました。

 その後しばらく若月と一緒に遊んでから、私は大変軽い気持ちになって帰宅しましたが、その後二度とそこへは行っていません。人間と動物との間の愛情にはこのようにいくらかあっさりしたところがあるようです。

 


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