心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.03.28公開)

十三.母の臨終


 

 岩屋の修行中に誰かの臨終に出会ったことがあるかとのお尋ねですね。それは何度もありますよ。私の父や母や、私の下で働いてくれていた一人の忠実な老僕なんかも、私が岩屋で修行している時に相前後して亡くなりまして、そのつど私はこちら(幽界)から見舞いに訪れました。どうやらあなたは、幽界から見た臨終の光景を知りたいとお考えのようですね。わかりました。では一例として私の母が亡くなったときの様子を、できるだけありのままにお話してみましょう。はじめから調査する意図を持って臨んだわけではないので、色々な見落としがあるかもしれませんが、その点はご了承くださいね。もし必要があればそのような意図のもとに誰かの臨終に立ち会っても構いませんよ。そういうわけで、今回は当時の私が見たまま感じたままをお話することにします。

 それは私が亡くなってかなりの歳月がたったころ、そうかれこれ二十年も過ぎたころでしょうか。ある日私が神前でいつものように修行をしている時、突然母が危篤であることを胸に感じました。このような場合、どんなケースでも必ず何らかの方法で知らせがあるんですよ。それは亡くなる人の思いが直接伝わる場合もあれば、神様から特にお知らせがある場合もあります。その他にもいくつか方法はあるようですけど。母の臨終の際は、私は自力でそれを知りました。

 私はびっくりして、早速鎌倉のあのなつかしい実家に飛んでいきました。しかしその時はよほど臨終が差し迫っていたようで、母の霊魂はその肉体から半分出たり入ったりしている最中でした。人間の眼には臨終の際、衰弱した肉体に起こる悲惨な有様しか見えませんが、私にはその他さまざまな光景が見えました。中でも最も印象に残っているのが、肉体のほかに霊魂、つまりあなた方が言うところの幽体が見えていたことです。

 ご存知のことと思いますが、人間の霊魂というものは、肉体とそっくり同じ形のまま肉体から離れるんです。それは白っぽいいく分フワフワしたもので、普通は裸です。それが肉体の真上の空中に、肉体とそっくり同じ形で浮いているさまは、決して見栄えのよいものではありません。でもその頃の私は、すでに何度か臨終に立ち会った経験がありましたので、そんなに驚きませんでした。だけど初めての時は、なんてへんてこりんなの、ともうびっくりしちゃったものです。

 もう一つ変だったのは、肉体と幽体が白いひもでつながっていることでした。一番太いのがおなかとおなかをつないでいる太いひもで、ちょうど小指くらいの太さがありました。頭同士をつないでいるもう一本のひもは、それよりやや細いようでした。もちろんこのようにひもでつながっているのはまだ絶命しきってない段階で、最後のひもが切れた時がいよいよその人の死んだ時なんです。

 前述したように、私が母の枕元に行ったのは、そのひもが切れる少し前でした。母はその頃もう七十歳ぐらいで、私が最後に会ったときとは全く変わってしまっており、見る影もなく老いさらばえていました。私は耳元に近づいて『私ですよ。』と言いましたが、人間同士で話すのと違い、なんだか見えない壁を隔てているようで、果たしてこちらの思いが病床の母に通じたかどうかはわかりませんでした。もっともそれは肉体をもった地上の母に限った話で、肉体を捨ててしまってからの母の魂とは、その後自由自在に通じ合いました。母は帰幽後間もなく意識を取り戻し、私と母は何度も何度も会って、地上時代のことをあれこれ話し合ったものです。母は死ぬ前に父や私の夢を見たと言っていましたが、もちろんそれはただの夢ではありません。すなわち私たちの思いが夢という形をとって病床の母に通じたものというわけなんです。

 それはともかく、あの時私は母の断末魔の苦悶の様子を見るに見かねて、一生懸命母の体をさすってあげました。これはただの慰めの言葉よりもいく分効き目があったようで、母はそれからめっきり具合がよくなった様子で、間もなく息を引き取ったのでした。何事も真心を込めてやればそれだけ報われるということでしょうね。

 母の臨終の光景を語る時に忘れられないのは、私の眼に、現世の人たちに混じってこちらの世界の見舞い客の姿が見えたことです。母の枕元に、生きた人は約十人あまりいました。皆眼を赤く泣きはらして別れを惜しんでいましたが、それらの人たちの内私が生前顔見知りであったのは二人だけで、あとの人たちは見覚えがありませんでした。一方幽界からの見舞い客は、まず母より先に亡くなった父、次に祖父と祖母、それから肉親の親類縁者や母の親しい友人たち、そして母の守護霊、司配霊、産土の御神使《うぶすなのおつかい》などなど、いちいち数え上げたら大変な数になっちゃいます。とにかく現世の見舞い客よりずっとにぎやかでした。第一双方の気分がまるで違います。一方は自分たちの仲間から親しい人を失うのですから、沈みきっちゃってます。もう一方は自分たちの仲間の親しい人を一人迎えるのですから、むしろ張り切っていると言ってもいいぐらい陽気な表情をしているんですよ。こんなことは生前には思いもよりませんよね。

 さて気づいた点が他にないでもないんですが、へたな言葉ではとても言い尽くせないような気がしますので、ひとまずこれぐらいで母の臨終の物語は一区切りとさせてください。

 


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