心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.06.06公開)
間もなく先ほどの少女が現れました。 『どうぞお上がりください。』 少女の案内のままに、私は御殿の廊下を何度か曲がり、ずっと奥のほうにある一間に案内されました。部屋は十畳ばかりの青畳を敷き詰めた日本間でしたが、そうはいっても白木造りの純和風ではありませんでした。障子《しょうじ》、欄間《らんま》、床柱などは黒塗りで、一方縁の手すり、庇《ひさし》その他の造作の一部は丹塗りといった具合に、とってもその彩りが複雑で、そして濃艶なのでした。床の間には一幅の女神様の掛け軸がかかっており、その前には陶器製の龍神の置物が据えておりました。その龍神がまた素晴らしい勢いで、カッと口を開けていたのが今でも目に焼き付いています。 開け放った障子の隙間からはお庭もよく見えましたが、それがまた手の込んだすごく立派な庭園で、樹木や泉石の見事な配合はとても筆舌に尽くしがたいほどでした。かねてから京の金閣寺、銀閣寺の庭園も数寄の手の込んだ、とても贅沢なものだと聞いていましたので、ある時私はこちらからのぞいてみましたが、龍宮界のお庭と比べるとゼンゼン大した事ありませんでした。やっぱり現世は現世だけのことしかできないようですね。 えー、そのお部屋で乙姫様にお目にかかったかとおっしゃるのですね。ふふ、ずい分お待ちかねですこと。それじゃお庭の話なんかで勿体ぶるのはこれぐらいにして、早速乙姫様にお会いした話に移りましょう。もっとも私がその時お会いしましたのは玉依姫様の方で、豊玉姫様ではありません。言うまでもなく龍宮界で第一の乙姫様と言えるのが豊玉姫様であるのに対し、第二の乙姫様と言えるのは玉依姫様です。このお二方は姉妹ということなんですが、なにぶんにも龍宮界のことはあまりにも奥が深く、私にもまだおふたかたの関係がよくわかっていません。お二人が本当に姉妹の間柄なのか、それとも豊玉姫の御分霊が玉依姫であられるのか、どうもその辺がまだ私の腑に落ちません。ただどんな関係にせよ、おふたかたがお互い切っても切れぬ因縁の姫神でいらっしゃることは確かなようです。私はその後何度も龍宮界に参り、そして何度もおふたかたにお目にかかっておりますので、少しはそのあたりの事情に通じているつもりです。 この豊玉姫様というお方は、第一の乙姫様として龍宮界を代表なさるほどの尊いお方ですので、やはり何となく貫禄があります。どこかしら龍宮界の女王様といった感じなんです。お年は二十七〜三十歳ぐらいに見えますが、もちろん神様に実際の年齢なんか意味がありません。ただ私たちの眼にそれぐらいに見えるというだけなんですけど。それからそのお顔はどちらかといえば下ぶくれの面長、目鼻立ちが取り立てて優れているということはありませんが、全体によく整った、実に品のある素晴らしいお顔をされており、そして身のこなしは本当におしとやかな感じです。私がどんな失礼なことを言っても、決していやな顔お一つお見せにならず、どこまでも親切に色々教えてくださいます。そのお気持ちのお優しく素直でいらっしゃることは、どこの世界を探しても、あれ以上のお方はいらっしゃらないと思うほどです。それでいてその奥の方には凛としたたいそうお強いところも備わっていらっしゃるんです。 第二の乙姫様、玉依姫様の方は、豊玉姫様にくらべてお年もずっとお若いようで、やっと二十一か二十二歳になったばかりのように見えます。お顔はどちらかというと丸顔で、見るからにたいそうお陽気そうで、服装は思いっきり派手です。ちょうど桜の花がぱっと一時に咲いたような華やかさがおありなんです。私が初めてお目にかかった時の服装は、上着が白の薄手のものに、何枚かの色物の下着を着けられていました。帯は前に結んでだらりと下げ、その他にもいくつかのヒラヒラした長いものを巻きつけていました。これまで私が知っている服装の中で、一番弁天様のお身なりに似ているような気がしますわ。 とにかくこのおふたかたが龍宮界切っての花形であり、お顔も気性もどこか似通ってはいるのですが、幾代かに渡って御分霊を出されていく内に性質の相違が次第に強まっていったようで、末の人間界の方では、豊玉姫系と玉依姫系の区別がかなりはっきりつくようになってきているみたいです。大雑把に言って豊玉姫の系統を引いたものはあまりはしゃいだところがなく、どちらかといえばおしとやかで、引っ込み思案といってもいいほどです。これに対して玉依姫系統の方は至って陽気で、進んで人の間に割って入っていくような方です。ただ人並みはずれて情け深いことは、おふたかたに共通の美点で、やっぱり姉妹の血筋は争えないようですね。 あらら、また話がわき道にそれちゃったようですわ。少し話を戻して私がはじめて玉依姫様にお会いした時の模様をお話することにいたしましょう。 |