心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.05.29公開)

二十二.唐風の御殿


 

 それからしばらくして、ようやく私は龍宮界の御門の前に立っていました。私は辺りがあまりにも現実的なのを意外に感じていました。おじいさんの話からすると、龍宮界というのは一つの蜃気楼のようなもので、乙姫様の思し召しで作り上げられた一つの理想世界という感じですのに、実際目の当たりにしてみますと、それはどこにも危なげのない、どこまでもガッシリとした、正真正銘の現実なのでした。『もしこれを蜃気楼というなら、世の中に蜃気楼でないものなんかありはしないわ。』私は心の中でそう思ったほどです。

 龍宮界の第一印象ですか。一口に言うと、それはお社《やしろ》というよりむしろ大きな御殿といった感じでしょうか。言い換えると人間味がたっぷりしているんです。そしてどこか唐風(支那風)なところがありました。まずその門ですが、屋根の両端が上に反っていて、光り輝く大きな瓦で葺いてありました。門柱その他は全て丹塗り(赤い塗装)、扉はついてなく、その丸い入り口からはすっかり中の様子が見通せます。辺りには別に見張りの方は見かけませんでした。

 エイヤッと私は思い切ってその門をくぐって中に入っていきました。門内は見事な石畳の歩道になっていて、チリ一つとして落ちていませんでした。道の両側の広々とした庭には、形の良い松その他の樹木が植え込まれており、奥行きは広すぎて見当がつかないほどでした。大雑把に言って地上の庭園と大きな違いはなさそうでしたが、ただあんなにも冴えた草木の色や、あんなにも香ばしい土の匂いは地上のどこにも見当たりません。こればっかりは筆舌に尽くしがたいというより他なく、実際に行ってみる他ないんじゃないかしら。

 門から御殿まではどのぐらいかはわかりませんが、ただ遠かったことだけは確かです。御殿の玄関は黒塗りの大きな式台作り(玄関の様式の一つ)で、上の方にあるひさし、柱、長押《なげし》(柱と柱の間をつなぐ横材)などは皆眼のさめるような丹塗りなのに対し壁は白塗りですから、全ての配合がいかにも華美《はで》で、朗らかで、見ているだけで目が覚めるようでした。

 私はそこで身づくろいをし、居住まいを正しました。もちろん心でそう思うだけでいいんです。それだけで今までの旅装束が、その場できちんとした謁見の服装に変わっちゃったんです。そんなことができるからこそ、腰元も連れずたった一人で龍宮の乙姫様をお訪ねすることができるというわけなんです。

『ごめんくださいませ。』

 私はそんな風に声をかけ、案内を請いました。すると、年の頃は十五歳ぐらいに見える一人のかわいらしい少女が現れました。服装は筒袖式のピンクの服を着ており、髪を左右に分けて後ろの方でクルクルと玉にしているところなんかは、どう見ても和風というより支那風に近いもので、私にはそれが御殿の造りにピッタリしているように感じられ、大変美しく感じました。

『私の名前は小桜といいますが、こちらの奥様にお会いしたくて参りました。』

 乙姫様とお呼びするのはなんだか可笑しく、だからといって神様の実名をお呼びするのは逆に改まり過ぎている様で、ついうっかり奥様、なんて言っちゃいました。こちらに来てからもなお私には現世時代の癖が残っているようでした。それでも取次ぎの少女は私の言葉の意味がよくわかったらしく、『承知いたしました。少々お待ちください。』と言い残すと踵《きびす》を返して奥のほうへと消えました。

『乙姫様に無事会えるかしら。』

 私は多少の不安な気持ちを抱えたまま、玄関前にたたずんでいました。

 


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