心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.05.23公開)

二十一.龍宮街道


 

 しばらく湖水の岸辺を歩いているうちに、だんだんと山が低くなり、やがて湖水が尽きるとともに山も尽き、広々として少しうねりがある明るい野原へと出ました。私たちは野原の中のどこまでもどこまでも続く細い道を先へ急ぎました。

 やがて前面に小高い砂丘が現れ、道はその頂上へと続いていました。『なんだか由比ヶ浜に似ているわ。』私はそんなことを考えながら、あまり険しくもないその砂丘を登りました。砂丘の頂上についてそこから向こうを見渡した時、私はそのあまりの景色の素晴らしさに息をのみました。砂丘のすぐ真下がなんとも言えない美しい入り江になっているじゃありませんか。

 刷毛《はけ》で刷いたように弓なりになった広い浜辺に、のたりのたりと音もなく打ち寄せる真っ青な海の水。薄絹を広げたようにどこまでも続く霞《かすみ》。水平線あたりにほのかに浮かぶ遠い島影。すべてがまるで絵巻物を広げたような絶景でした。

 明けても暮れても目に入るものはただ山ばかりの、ひたすら修行三昧の年月を送った私にとって、この海の景色は格別心に染みました。しばらくの間私は我を忘れて砂丘の上に立ち尽くし、景色に見惚れてしまいました。

『どうだい。なかなか良い眺めだろう。』

 おじいさんにそう言われて、私はやっと我に返りました。

『おじいさま、私こんな和やかな素晴らしい景色は見たことがありませんわ。ここは何というところですの。』

『ここが龍宮界の入り口なんだ。龍宮界はここからそう遠くないよ。』

『龍宮界はやっぱり海の底にあるんですか。』

『いやいや、あれは例によって人間の勝手な創作だ。乙姫様は決して魚の身内でも人魚のおば様でもないもんね。だけどもともと龍宮は理想の別世界だから、作ろうと思えば海の底でも、またその他のどこにだって作ることはできる。そこが現世のような作り付けの世界と大きく違うところだね。』

『そうなんですか。』

 なんだか今ひとつピンときませんでしたが、私はそう返事をするほかありませんでした。

『さて』と、おじいさんはしばらくたってから、すごくまじめな顔で話し始めました。『私の役目はここまであんたを案内すればそれでしまいだ。ここから先はあんた一人で行きなさい。ホラ、あの入り江の岸辺から少し左に見える真っ直ぐな道があるだろう。あの道をひたすら行けば突き当たりに龍宮があるから、道を間違える心配はないよ。それから龍宮についたら、どなたにお目にかかるかわからないけれど、とにかく会った方のお話を大人しく聞くだけでは面白くも何ともない。気がついた事、わからないことは何でも遠慮なくどんどん聞かなければね。全ては神界の掟として、こちらが求めただけしか与えられないものなんだ。だから何事も油断せずに、よーく心の目を開けて、乙姫様から愛想をつかされる事のないように、しっかりやってきなさい。では私はこれで帰る。』

 そう言ってすっと立ち上がったかと思うと、次の瞬間にはもうおじいさんの姿はどこにもありませんでした。いつものことですがそのあっけなさといったらありません。私はちょっとの間さびしさを感じましたが、すぐに気を取り直しました。私はこんな時にはいつも肌身離さず持ち歩く母の形見の懐剣を帯の間にしっかりと差しなおして、急いで砂丘を降り、おじいさんから教えられた龍宮街道を真っ直ぐに進んだのでした。

 その後私は何度もこの龍宮街道を通りましたが、この街道だけは何度通っても心地よさは変わりません。それは天然の白砂を何かで程よく固めたようで、踏み心地、足ざわりのよさといったらもう他には見当たらないほどです。またどこにもチリ一つなく綺麗で、道の両側に程よくあしらわれた植え込みも何ともいいようがないほど美しく、とても現世にはこのような素晴らしい道路は見当たりません。この街道がどのぐらい続いているかとお尋ねですか。さあどのぐらいかしら。ちょっと見当もつきませんが、よっぽど遠くまで続いていることだけは間違いありませんわ。だって街道の入り口に立って前方を眺めても、霞がかかっていて遠くのほうは目に入らないんですもの。でもしばらく歩いていると、あるのかないのかちょっと見にはわからないほどぼんやりと山の影らしいものが現れます。もう少し歩いていますとなんだか丹塗りの門のようなものがぼんやりと目に入ってきます。その辺りからでも龍宮の御殿まではたっぷり半里(約2km)ぐらいはあるんですから。なにぶん絵心も何も持ち合わせない私ですから、美しい道中の眺めの素晴らしさを十分伝えられないのが残念です。せめてその十分の一でも伝えることができたらなあ、なんて思います。

 


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