心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.07.18公開)
この時少し変わっていたのは、私たちが少しも現世時代の思い出話をしなかったことでしょう。少しでもそれをしようとすると、なんだか口がつまってでもいるような違和感が感じられるのでした。 それで自然と私たちの話は、死んでからのことに限られる事になりました。私が真っ先に聞いたのは、夫の死後の自覚の様子でした。 『あなたがこちらで気がついた時は、どんな具合でした?』 『僕は実は君の声で眼を覚ましたんだ。』と夫は私をじっと見守りながら、ポツリポツリと話し始めました。 『君も知っている通り、僕は自害して死んだんだが、この自殺というのは神界の掟としてあまりほめたものではないらしく、自殺者はたいてい一たんは暗いところへおかれるものらしい。僕の場合も例外ではなくて、死んでからしばらくの間は何もわからず、無我夢中のうちに日々が過ぎていった。もっとも僕の場合は敵の手にかからないための武士の作法にかなった自殺だったから、罪はずい分軽くて、無自覚の期間もそんなに長くはなかったらしい。さてそうするうちにある日、ふと君の声で名前を呼ばれたような気がして目が覚めたんだ。後で神様からうかがったところによると、これは君の一心不乱の祈願がうまく僕の胸に通じたからだそうで、そうとわかった時の僕の喜びは言いようもなかったよ。もっともそれは後からの話で、あの時はなんといってもあたりが真っ暗でどうすることもできず、しばらくは手をこまねいてぼんやりしていたんだ。でもそのうちうっすらと明かりがさしてきて、今日送ってくださったあのおじいさんの姿が眼に映った。どうだい、目が覚めたかい。そう言葉をかけられた時は正直嬉しかった。僕はてっきり昔の恩人か何かだろうと思って、お名前は?とお尋ねすると、おじいさんはニッコリしてこう言った。あんたはもう現世の人間ではない。これからは私の言う事をよく聞いて、しっかり修行をしなければならん。私は産土の神から遣わされたあんたの指導者である。それを聞いた僕はハッとして、これはもうグズグズしてはいられないと思ったんだ。それから何年になるかわからないが、今では少し幽界の修行も進み、明るいところに一軒の家屋を構えて住まわしてもらっているんだよ。』 私は夫の素朴な物語の告白を、大変な興味を持って聞きました。特に私の生前の心ばかりの祈願が、うまく幽明の壁を越えて夫の胸に届き、彼の自覚のきっかけとなった事が何より嬉しいことでした。 次には逆に、夫が私の話を聞きたいと言いました。それで今ちょうどあなた方にお話しているように、私の帰幽後のあらましを話しました。私が生きている時から霊視が効くようになり、今では座ったままで何でも見えるというと、『君はなんて便利な能力を授かっているんだろう。』と、夫はビックリしていました。また私がこちらで愛馬に会った話をすると、『あの時は君の希望を聞き入れないで、かってな名前を付けさせてすまなかった。』と丁寧にあやまってくれました。その他にも様々な反応がありましたが、特に夫が驚いちゃったのが、龍宮行きの話をしたときでした。『それは途方もなく面白い話だね。どうも君のほうが僕より資格がずっと上らしいぞ。僕の方は一向にぼんやりしたままなのに、君は色々と不思議な体験をしているんだね。』といって私の事をうらやましがりました。私はちょっぴり気の毒になって、『全ては身魂《みたま》の因縁からの役目が違うだけで、別に資格だの上下の関係だのがあるわけではないと思いますわ。』となぐさめておきました。 私たちはあんまり夢中で話し込んでいたもんですから、すっかり時のたつのも忘れていました。ふと気がついてみると、どこへ行かれたのか二人の神さまたちの姿はどこにも見当たりませんでした。 私たちは思わず眼と眼を見つめあいました。 |