心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.08.26公開)

三十四.破れた恋


 

 それからしばらくして、敦子さんが亡くなった事だけは、何かの拍子に私にはわかりました。でもその時はそんなに深く心にも止めず、いつか会えるでしょうなんて軽く考えていました。それからまた何年かたったある日、統一の修行を終えた後に外へ出て、辺りの景色を眺めていますと、指導役のおじいさんではなく私の守護霊から通信がありました。『今からある一人の女性があなたを訪ねるところです。年の頃は四十歳ぐらいの大そう美しい方です。』私は誰かしらと思いましたが、『ではお目にかかりましょう。』と答えますと、しばらくして一人の指導役のおじいさんに連れられて、よく見覚えのある、あの美しい敦子さんが、ひょっこりと現れました。

『まあ、お久しぶり。とうとうあなたとこちらでお会いすることになっちゃいましたわね。』

 私が近づいてそう言葉をかけましたが、敦子さんはただ会釈しただけで、黙って下を向いたきりでした。顔の色も何となく暗くて、私はちょっと戸惑ってしまいました。

 すると案内のおじいさんが代わりに挨拶をなさいました。

『彼女はまだあなたに会わせるのは早すぎると思ったが、どうしても本人があなたに会いたい、一度会わせてもらえば気持ちも落ち着いて修行も早く進むというので、あなたの守護霊にも頼んで今日わざわざ連れて来たような次第です。あなたとは生前特別に親しかったように聞いているので、色々とよく言い聞かせてもらいたい。』

 そう言っておじいさんはそのままプイッと帰っちゃいました。私はこれは何か深いわけがあるんだわと思って、敦子さんの肩に手をかけて優しく言いました。

『あなたと私は幼い時から親しい間柄、特にあなたが何回も私の侘び住まいを訪れていろいろと慰めてくれた、あの心尽くしは今でもとっても大切な思い出よ。そのご恩返しといっては何ですが、こちらの世界で私にできる範囲の事は何でもするつもりです。どんなことでも遠慮なく打ち明けてね。何はともあれ中にお入りなさいな。ここが私の修行場なのよ。』

 敦子さんは最初はただ泣くばっかりで、とても話をするどころじゃなかったんですけど、それでも修行場の中に入ってそこの森とした清らかな空気に浸っているうちに次第に心が落ち着いてきたのか、ポツリポツリと重い口を開き始めました。

『あなたはこんな神聖なところで立派なご修行をなさっているのに引き換え、私などは段違いでとてもあなたの足元にも及びません。』

 こんな言葉を口火に、敦子さんは案外スラスラと打ち明け話をしてくれました。でも最初想像していたとおり、はたして敦子さんの身の上には私の知っている以上にこみ入った事情があったようで、そしてとうとうとんでもない死に方、自殺を遂げてしまったのでした。敦子さんはこんな風に語りだしました。

『生前あなたにもある程度お話していたとおり、私たち夫婦の仲はうわべとは全然違って、それは暗い冷たいものでした。最初の恋に破れた私は、もともと他人に嫁ぐ気なんかは全然なかったんですけど、ただ老いた両親に苦労をかけたくなかったばっかりに、死んだつもりで体だけは夫に捧《ささ》げたんです。でも心は全然夫のものじゃありませんでした。愛情の伴わない冷たい夫婦の間柄なんて所詮浅ましくつまらないものでした。結婚後私は何度自殺しようとしたか知れません。それでも私が何とか生き永らえていたのは、間もなく身重になったためでした。つまり私はただ子供の母親としてのみ、惜しくもないその日その日を送っていたんです。

 こんな冷たい妻の心が、どうして夫の心に伝わらずにすむでしょうか。自棄《やけ》を起こした夫は、いつの間にか一人の側室(愛人)をはべらせるようになりました。その後私たちの間には前にもまして一層大きな心の溝ができてしまい、夫婦とは名ばかりで、その心と心は千里もかけ離れているようでした。そうするうちに、今度は天にも地にもかけがえのない一粒種の愛児に先立たれてしまい、そのまま私はフラフラと気がふれたようになってしまって、前後の見境なく懐剣でのどを突き、すぐに子供の後を追ったんです。』

 私には敦子さんの行動は一応もっともらしく聞こえるけれど、でも何となくしっくり腑に落ちないように感じられました。

 


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