心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.08.29公開)

三十五.辛い修行


 

 それから引き続いて敦子さんは、こちらの世界に目覚めてからの一部始終を話してくれましたが、それは私たちのような月並みな女の通った道とずいぶん趣きが違いまして、相当苦労も多く、また変化にも富んでいるものでした。今ここでその全部をお話する時間もありませんが、現世の方々の参考になりそうなところをかいつまんでお話する事にいたしましょう。

 敦子さんが最初にこちらで置かれた境遇は、それはもう悲惨なものだったようです。敦子さんご自身の言葉で紹介しましょう。

『死後私はしばらくは何も分からずに無自覚ですごしました。だからもちろんそれがどのぐらいの間続いたかはわかりません。そのうちふと誰かに名前を呼ばれたような気がして、眼を開いたつもりだったんですが、あたりは見渡す限り真っ暗闇で、何がなんだかさっぱりわかりませんでした。それでも私はすぐに、自分はもう死んでいるなと思いました。もともと死ぬ覚悟でいたわけですから、死というものは私にとってなんでもないはずでしたが、ただあたりの真っ暗なのにはホトホト弱ってしまいました。そしてそれはただの暗さとは何となく違いました。たとえて言えば深い深い穴蔵の奥とでもいったような感じで、空気がしっとりと肌に冷たく感じられました。しかも暗い中になにやらウヨウヨと蠢《うごめ》いているのが見えました。ちょうど悪夢に襲われているようで、その不気味さといったらたまりません。よくよく目を凝らしてみると、なんとその動いているものはいずれも異形の人間なのでした。髪を振り乱している者、一糸もまとわぬ裸の者、傷ついて血まみれの者などなど…。ただの一人だって満足な姿の者はいません。特に気味が悪かったのは、すぐ近くにいた一人の若い男で、太い荒縄で裸の体をグルグル巻にされ、身動きできないようにされていました。するとそこへ怒りのまなじりを吊り上げた一人の若い女が現れて、クヤシイ、クヤシイとわめきつづけながら男に跳びかかって、髪をむしったり、顔を引っかいたり、足で蹴ったり踏んだりと、乱暴の限りを尽くしていました。私はその時、きっとこの女はこの男の手にかかって死んだんだなと思いましたが、とにかくこんな凄まじい呵責《かしゃく》の光景を見せられて、自分の現世で犯した罪がだんだん怖くなって仕方なくなりました。私のような強情な人間が、何とか熱心に神さまにおすがりする気持ちになりましたのも、ひとえにこの暗闇での世にも物凄い見せしめのおかげでした。』

 敦子さんの物語はその後も続きましたが、よく聞いてみると、彼女が他の何よりも神さまからお叱りを受けた事は、自殺そのものよりもむしろそのあまりにかたくなな性格のためだったという事でした。彼女は一たんこうと決めたらあくまでそれを押しとうそうとしたんです。こんな事も言いました。

『私は生前思った通りにならなければ気がすまず、自分の思いがかなわないのなら生きる甲斐がないなんて考えていました。一生の間に思いを打ち明けたのはあなたお一人ぐらいのもので、両親はもちろんその他の誰にも相談なんてしたことはありません。これが私の身の破滅の原因だったんです。この性格はこちらの世界に来てもなかなか直らず、ご指導の神様に対してさえ全てを隠そうとしました。するとある日神さまは、あんたの胸に秘めている考えなんかは何から何まで分かっているぞとおっしゃって、私が極秘にしていた事柄、もうおわかりですよね、その事をすっぱりと言い当てられちゃったんです。これにはさすがの私も参ってしまい、とうとう一切を懺悔してお許しを願いました。そんなわけで私は割合早くあの地獄のような境地から抜け出す事ができたんです。もっとも私の先祖の中に立派な善行のものがいたおかげで、私の罪はよほど軽くされたという事です。(※訳注)いずれにしても私のような強情な者は現世にいては人に憎まれ、幽界に来ては地獄に落とされ、ほんとに損です。ここで私としてはぜひあなたに折り入ってお詫びしなければいけないことがあるんです。実をいうとこのお詫びをしたいばっかりに、今日はわざわざ神さまにお願いして連れて来てもらったような次第なんですから。』

 敦子さんはそう言って、私に膝をすり寄せてきました。私は何事かしらと緊張いたしましたが、聞いてみるとそれはごくつまらない事でした。

『あなたの方で覚えているかどうかわからないけれど、ある日私があなたをお尋ねして胸の思いを打ち明けた時、あなたは私に向かい自分たち同士が良いのも結構だけど、こういうことはやっぱり両親の許しをもらったほうがいいなんておっしゃいましたよね。本当のことを言うとあの時私は、この人は恋する人の本当の気持ちなんてゼンゼンわかってないわなんて、あなたの事を心の中でずいぶん軽蔑していたんです。でもこちらの世界に来て、だんだん裏から人間の世界を見ることができるようになってみると、自分がどんなに間違っていたかよくわかるようになりました。私やっぱり悪魔に魅入られてたのかしら。ここであらためて謝らせてください。どうか私の罪をお許しくださいませ。そしてこんなつまらない女ですけど前のように可愛がってもらって、これからも正しい道に導いてくださいね。』

 

 この人の一生にはずいぶん過ちもあり、そのため帰幽後の修行にはいろいろと辛いところもあったわけですけど、もともとしっかりした負けず嫌いの性格なだけに、その後一歩一歩首尾よく難局を切り抜けていき、今ではすっかり明るい境涯に達しています。それでもどこまでも自分の過去を忘れることなく、『自分は他人さまのように立派なところなんかには出られない。』なんておっしゃって、神さまにお願いして、わざと小さな岩屋にこもって、修行されています。こんなところはむしろみんなの良いお手本だと思います。

※訳注:キリスト教の贖罪説に似た「罪」の考え方はスピリチュアリズム的には納得できないが、恐らく敦子の身近な霊、あるいは類魂そのものにある種の進歩的なところがあり、その助けによって目覚めが早かったことに対して、高級霊=龍神が本人にわかりやすく俗っぽい説明をしたと思われる。シルバーバーチの霊訓第二巻P.91にも『この方は多くの人から愛されました。その愛こそが死後の救いとなり、永遠の財産となっております。…中略…したがって同胞からの愛と尊敬と情愛を受ければ、それが魂を大きくし、進化を促す事になります。』とあるが、同様のことをいっているものと思われる。

 


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