心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.09.03公開)
あまりに平凡な人たちの話ばかりお話しましたので、その代わりと言っては何ですが、今度はわが国の歴史に名前が立派に残っている一人の女性に会った話をいたしましょう。それは他でもない日本武尊《やまとたけるのみこと》様のお后の弟橘姫様です。 私たちの間の霊的因縁はさておいても、不思議な事に在世中から私は弟橘姫様と、浅くない関係がありました。姫のお祠《やしろ》は相模の走水(※訳注1)というところにあるんですが、あそこは私が嫁いだ三浦家の領地内なんです。そんなわけで三浦家ではいつも社殿の修理その他に心を配り、お祭りでも催される日には、必ず使者を派遣して幣帛《へいはく》(※訳注2)を捧げました。何しろ女性の鏡として世に知られたお方の霊場なので、三浦家でもあそこを代々大切に扱っていたらしいんです。そして私自身も確か在世中に何回か走水のお祠に参詣した事がありました。 えー、その時の事をお話するんですか。ずいぶん遠い昔の事で、まるで夢の中のことのように感じますね。とてもまとまったお話なんかできそうもありませんわ。たしか走水というところは浦賀の入江からそう遠くない、海に山が迫った狭い漁村でした。そして姫のお祠は、その村の小高い崖の中腹に建っており、石段の上からは海を越えて上総《かずさ》房州《ぼうしゅう》(今の千葉県辺り)が一目で見渡せる眺めのよいところでした。 そうそう私がお参りした中の一度は春の半ばで、あちこちの山や森には山桜が満開でした。走水は新井の城から三、四里(12〜16km)も離れた所なんで、私はよく馬に乗ってお参りしました。馬はもちろん例の若月で、従者は一人の腰元のほかに二、三人の家来を連れて行きました。道は三浦の東海岸に沿った街道で、たしか武山《たけやま》とかいうかなり高い山の裾をまわって行くんですが、その日は運よく晴れ上がっていましたので、馬上から眺める景色はまるで絵巻物を繰り広げたように美しかった事をよく覚えています。全くあの三浦の土地は、海に突き出た半島だけに、景色だけは他のどこにも負けないほどなんですよ。もっともそれは現世の話に限った事ですけどね。こちらの世界には龍宮界のようなきれいな所がありますので、三浦半島の景色がいかによいとはいってもとても足元にも及びません。 領主の奥さんの通過というので、さぞかし民衆は土下座でもしたんだろうとおっしゃりたいんですね。ウフフ、まさか。すれ違った時にちょっと脇によけて首を下げた程度です。それさえ私には気詰まりに感じられて、外出が億劫《おっくう》になりがちでしたもの。幸いこちらの世界に来てからはさすがにそんな気苦労はなくなりましたけど。でもこちらの旅はあまりにあっけなくて、現世でしたようにゆるゆると道中の景色を味わうような面白みはゼンゼンありませんわ。 こんな夢みたいな話をいつまでしていても仕方ありませんから、いい加減で切り上げましょうか。とにかくこんな具合に弟橘姫に対する敬慕の念は在世中から深く深く私の胸に宿っていた事は間違いありません。『尊《みこと》のお身代わりとして入水された時の姫のお気持ちはどんなだったんでしょう。』祠前にぬかづいて昔をしのぶ時、私の両目からは熱い涙がとめどなく溢れたものです。 さてある日龍宮を訪れた際、この弟橘姫が玉依姫さまのご子孫、御分霊を受けたお方であるとうかがい、私が姫を慕う心は一層強まりました。『ぜひ一度お目にかかった上いろいろお話させていただいて、お力添えを願わないといけないわ。』そう考え出すと矢もたてもたまらなくなり、とうとうその旨を龍宮界に願い出ると、龍宮界の方でもたいそう喜ばれ、すぐにしかるべき段取りを取ってくださいました。 私がこちらで弟橘姫様にお目通りする事になったのはこんな事情からでした。 ※訳注1:走水----現在の横須賀市走水にある走水神社のことと思われる。詳しくは横須賀市のホームページを参照してください。http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/uragaws/kannon11.html ※訳注2:幣帛----(1)神前に供える物の総称。みてぐら。にきて。ぬさ。 (2)贈り物。進物。/大辞林第二版より |