心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.10.31公開)
私がうかがった弟橘姫さまの物語の中には、他にもまだいろいろとお伝えしたい事がありますが、とてもすべてを語り尽くせるものではありません。いずれまた良い機会がありましたら、あらためてお伝えする事にしまして、最後にあの走水での入水の物語だけは省くわけにはまいりませんので、お話する事にいたしましょう。これこそこのご夫婦の一代を飾る、もっとも美しい出来事なんですから。いいえ、日本の歴史の中にだって他にこんな美談はありませんわ。なるべく姫のお言葉そのままの形でお伝えしますね。 『私たちが海辺に行った時は、まだ朝でした。風こそ少し吹いておりましたが、空には一点の雲もありませんでした。五、六里(20〜24km)もあろうかと思われる広い湾の彼方には、房総半島の山々が絵のように浮かんでいたほどです。そのときの私たちはいつもより少人数で、四、五十人もいたでしょうか。仕立てた船は二艘《そう》で、いずれも立派な新船でした。 一同が今日のよき日の門出を祝福しあったのも束の間、やっと一里(約4km)ほど陸から離れた頃から、空模様がにわかに悪くなっていきました。西北の空からドッと吹き寄せる疾風で船はグルリと向きを変え、人々は滝のような波しぶきをもろにかぶってしまいました。そのときの空模様の怪しいことといったらありません。見る間に赤黒い雲の塊が右からも左からもムラムラと湧き出し、空一杯に広がって、まるで夜のような暗さにおおわれたと思ったら、すぐに白刃さながらの稲光が何度もきらめきました。やがて大粒の雨がドッと降ってきて、人々の顔を打ち始めたのです。わが君をはじめ船上の人々は、しきりに船員たちを励まして荒れ狂う波風と戦いましたが、やがて二、三人が波に飲まれ、残った者たちも力尽きて船底に倒れ、船はいつ転覆するか分からない状況になってしまいました。これらはすべてたった一時間ほどの間に起こった出来事なんです。 こんな事態に至ると、人間にできるのはただ神に祈る事だけです。私は一心不乱に神様にお祈りしました。船の凄まじい揺れにつれて、何度も私の体は船底に投げ出されましたが、それでも私はあきらめずにその都度起き上がって、手を合わせて熱心に祈りつづけました。そのとき突然私の耳にはっきりとしたささやき声が聞こえました。「これは海神の怒りだ。今日を限りに命のいのちを取る。」私がハッと我に返ると、耳にはただすさまじい波の音や、風の叫びが聞こえるばかりでした。でもまた心を静めると、先ほどと同じささやき声がはっきりと聞こえてきました。 二度、三度、五度と、何度も同じ事が繰り返したので、私は命にこのことを打ち明けました。命は日頃のあの荒いご気性のせいか、「バカな事を」と一言で不吉な事を消し去ろうとするように片付けてしまいました。だけど私の耳に聞こえる不思議なささやきだけは消し去ることはできません。私はとうとう勝手に神様におすがりしました。「命のいのちはこの国にとってかけがえのないものです。どうぞ私というつまらない女のいのちを、命のいのちの代わりとなさってくださいませ。」二度、三度とこの祈りを繰り返しているうちに、私の胸には今までの命の愛情がありありとよみがえってきて、両目から涙がとめどなくあふれてきました。一首の歌が私の口をついて出ました。 真峯刺《さねさ》し 相模の小野に燃ゆる火の 火中《ほなか》に立ちて問いし君はも この歌を歌い終わると同時に、いつの間にか私の体は荒れ狂う波間に踊っていました。そのとき命のお顔がチラッと見えましたが、ハッと驚かれたような表情をされていたのを今でも覚えています。それが現世での見おさめとなったのです。』
弟橘姫さまの物語はこれで終わりです。ここでちょっと付け加えておきたいのは、海神の怒りの件です。大和武尊様のような立派なお方がなぜ海神の怒りを買われたのでしょうか。この事は皆さんご不審に思われたことでしょうが、実は私もこの点について、指導役のおじいさんにお尋ねしてみました。そのときおじいさんはこう答えられました。 『それはこういうことだよ。すべてものごとには表と裏がある。命がこの国にとって較べるもののない大恩人であることは言うまでもないんだが、しかし殺された賊の身になってみると、命ほど憎いものはないというわけなんだ。命の手にかかって滅ぼされた賊徒の数は、何万人もいるのだからね。それらが一団の怨霊となってスキをうかがい、たまたま心がけのよくない海神の助けを借りて、あんなものすごい嵐を巻き起こしたんだ。あれは人霊のみでできる仕業ではなく、かといって海神だけであったらあれほどの悪戯はしなかっただろう。たまたまこうした二つの力が合致したからこそ、あのような災難が急に降ってわいたというわけなんだ。当時の橘姫に、そんな詳しい事情がわかるはずもないので、姫があれをただ海神の怒りとだけ感じたたことが間違っていたのはいたしかたあるまい。でもあの時の姫の祈りには涙ぐましいほどの真剣さが宿っていた。そんな真心がなぜすぐに神々の胸に通じない事があるだろうか。結果としてその思いが通じたからこそ、大和武尊は無事にあの災難を切り抜ける事ができたんだ。橘姫はやっぱりまれにみるすぐれたお方なんだよ。』 私のこんな説明がすべてを言い尽くしているのかどうだかわかりません。ただ皆様のご参考までに、私がうかがったことを付け加えておくだけです。 |