心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('02.11.25公開)
あまりに面会談ばかりが続きましたので、今度は少しだけ雰囲気を変えて、その頃修行のために探検した珍しいところのお話をする事にしましょう。こちらの世界には現世からは想像もつかない変わった生き物が住んでいるところがあるんですよ。それはあまりに突拍子もない話なので、ことによるとあなた方は半信半疑、ウッソーなんて言われるかもしれませんが、それでも事実は事実なので、私個人の考えでその事実をねじ曲げるわけにはいかないんです。あなたがたがそれを受け入れるか入れないかはおいておくとして、とにかく私の目に映ったまんまをお話してみますね。 『今日は天狗の修行場に行く。』 ある日例の指導役のおじいさんが言いました。私は別に天狗を見たいなんて思ったわけではないんですが、修行のためといわれれば断るわけにもいかず、浮かない気分で黙っておじいさんの後について山の修行場を後にしました。 いつもと違い、その日は修行場の裏山から奥へ奥へと、どこまでも険しい山路を分け入りました。こちらの世界では、どんなに山坂を登り降りしても格別疲労は感じないんですが、しかしなんだかシーンとした底冷えのする空気に、私の体は思わず総毛立って、体がすくむように感じました。 『おじいさま。ここはよっぽど深い山奥なんですわね。私なんだかぞくぞくしてきました。』 『寒く感じるのは別に深い山中だからというわけではない。ここは天狗界に近い場所なので、自然と空気も違うのだ。大体天狗界は女人禁制(訳注:天狗に男女の別はないという後の説明と矛盾するが、ここでは女の人霊が来たためしはない程度の意味であろう。)の場所だから、あんたはあんまり気持ちよくはないかも知れんね。』 『まさか天狗さんが私をさらっていくなんてことはないですわよね。』 『そんな心配はないよ。きょうは神界からのお指図を受けて訪問するから、客として扱われるだろうからね。それにもう二度とこんな所へは来ないだろうから、よく注意して天狗界の様子を調べなさい。なんか腑に落ちないことがあったら遠慮なく天狗の頭に尋ねるんだよ。』 やがて古い杉木立が山中をびっしりおおい尽くして、昼でも暗いものすごい所に入っていきました。私はますます寒気を感じ、心の中では逃げて帰っちゃいたいほどでしたが、それでもおじいさんがズンズン進みますので、やっとの思いでついていきますと、いつの間にか一軒の家の前に出ました。それは丸太を切り組んでできた、雨露をしのぐのがやっとのきわめて荒い造りのあばら家で、広さは二十畳ほどでしょうか。もちろん畳なんか敷いてなく、荒削りの厚い板張りになっていました。 『ここが天狗の道場だよ。人間の世界の剣術道場に似ているだろう。』 そんなことを言って、おじいさんは私をうながして道場の中に入っていきました。 ふと見ると、室内には白衣《びゃくい》を着た五十歳ぐらいに見える修験者らしい人物がいて、腰をかがめて私たちを丁重に迎えてくれました。 『ようこそいらっしゃった。かねて上層界からのお達しで、あなた方のお出でをお待ちしておりました。』 私はすぐにこの人が天狗のお頭さんだなと察しましたが、前から想像していたように特別鼻が高いわけでもありませんでした。ただ体格が普通の人間より少し大きく、また眼の光が人を射すくむように強いようでした。そしてその総髪(※訳注1) の上に例の兜巾《ときん》(※訳注2)をちょこんと乗せていました。 『女人禁制の土地柄なので、格別のおもてなしもできません。ただ一風変わった、いささか人間離れしたところがこの世界の持ち味でござる。』 意外と親しみやすい挨拶をなさってくれましたので、私も大変心が落ち着き、天狗さんというのは案外優しいものだなと思いました。 『今日はとんだお邪魔をいたします。ではごめんくださいね。』 私は履物を脱いで、とうとう天狗さんの道場に上がりこんでしまいました。 ※訳注1:総髪----(1)男子の結髪の一。月代《さかやき》を剃《そ》らず、伸ばした髪の毛全部を頭頂で束ねて結ったもの。近世、主に儒者・医者や山伏などが結った髪形。そうごう。そうがみ。(2)束ねたり、剃ったりしないで、髪の毛を全部後ろへなでつけて垂れ下げたもの。大辞林第二版より ※訳注2:兜巾----修験道の山伏がかぶる小さな布製のずきん。黒い色が無明《むみょう》を、円形が仏の徳の完全性を、一二のひだが一二因縁を表すという五智宝冠と、長い布で頭をおおう裹《つつみ》頭襟の類がある。 頭巾・頭襟。大辞林第二版より |