私がある日海岸で遊んでいますと、指導役のおじいさんが例の長い杖を突きながら、トボトボと歩いてきました。どういう風の吹き回しか、その日はおじいさん、とっても機嫌がよくて、枯れた笑顔を湛《たた》えて次のように言われました。 『今日は思いがけない人を連れてくるが、誰なのか一つ当ててごらん。』 『そんなこと、私にはできません。できるはずないですわ。』 『こらこら、あんたは何のために今まで統一の修行をしてきたのかね。統一とはこんな時に使うもんだよ。』 『そうですか。ではちょっと待ってくださいね。』 立ったままで目を瞑《つむ》ってみると、間もなくまぶたの裏に髪の真っ白な、やせた老人の姿がありありと浮かんできました。 『八十歳ぐらいのお年寄りですが、私には見覚えがないわ。』 『今にわかる。ちょっと待っていなさい。』 おじいさんは身軽にスーッと岩山のまわりを回って、姿を消してしまいました。 しばらくするとおじいさんは、私が先ほど霊眼で見た一人の老人を連れて、再び現れました。 『どうだい、実物を見てもまだわからないかな。この人はあんたがよく知っているじいや、数間のじいやだよ。』 そう言われてはじめて頭の中に、古い古い記憶が電光のようにひらめきました。 『まあ、あなたはじいやだったの。そういえば、なるほど昔の面影が残っているわ。その鼻の横のほくろ、それが何よりの目印だもの。』 『姫《ひい》さま、わしは今日ほど嬉しい事はございません。』とじいやは砂の上に手をついて、嬉し涙にむせびながら言いました。『早く姫さまに会わせてくださいと神様に祈願しておったのですが、霊界の掟とてなかなか許可が下りず、とうとう今日までかかってしまいましたのじゃ。しかしまあ、昔と変らぬお若さですな。それだけでわしはもう本望です。』 考えてみれば、私たちの対面はずい分久しぶりでした。現世で別れたきり、かれこれ二百年(!)近くもたっているんですから。数間のじいやのことはうっかりまだお話していませんでしたね。彼は昔鎌倉の実家につかえていた老僕なんです。私が三浦に嫁いだ頃は、五十歳ぐらいにもなっていたでしょうか。早くに奥さんに先立たれ、独身で働いてくれていた、いたって忠実なおじさんでした。三浦へもしょっちゅう泊りがけで尋ねてくれたし、よく私の愛馬の手入れもしてくれたものです。そうそう私が現世の見納めに若月を庭先に引かせた時、その手綱《たずな》をとっていたのもやっぱりこの老人でした。 いろいろ聞いてみると、じいやが亡くなったのは私の没後約二十年もたったころだということでした。『わしは病気らしい病気もせず、ちょうど樹木が自然と立ち枯れするように、現世にお暇を告げました。身分は卑しいけど、後生(※訳注1)はいたってようございました。』そんなことを言ってました。 こんな善良な人間ですから、こちらの世界に移ってきてからもすこぶる天下泰平で、ちょうど現世でまめまめしく主人に仕えたように、こちらでは後生大事(※訳注2)に神様に仕え、そしてたまには神様に連れられて、現世で縁故の深かった人たちを訪ねていくとのことでした。 『この間はご両親さまにもお会いいたしましたが、いやそんな時は喜んでいいのやら、悲しんでよいのやら、現世の時とはまた違った気持ちがしました。』 じいやの口からはそんな話が後から後から出てきました。最後にじいやはこんな事を口にしました。 『わしはこちらでまだ三浦の殿様に一度もお会いしていませんが、今日こそはどうかひとつ姫さまのお手引きで、ぜひ日ごろの望みをかなえさせていただくわけにはまいりますまいか。』 『まあ。』 私がちょっとためらっていますと、指導役のおじいさんがすかさず横から言いました。 『それは簡単だけど、わざわざこちらから出かけなくとも、むこうからこちらに来てもらうことにしよう。そうすればじいやも久しぶりで夫婦おそろいの所が見られるってもんだ。まさか夫婦がそろうとまた前のような人間くさい執着を起こしてしまうなんてことはないだろうけど、どうだい、約束できるかい。』 『おじいさま、もう大丈夫ですわよ。』 というわけで、とうとう夫の方からこの海の修行場の方へ訪ねてもらうことになったのでした。 ※訳注1:(1)〔仏〕(ア)死んで後の世に生まれ変わること。また、その世。来世。後世。未来世。⇔今生(こんじよう)⇔前生(ぜんしよう) (イ)来世で極楽に生まれること。来世の幸福。「―を願う」 (2)後生のために、の意。人に哀願する時に用いる語。「―だから教えてくれ」「もう―でおすよ、さあけえんなんし/洒落本・廻覧奇談深淵情」 ――は徳の余り もっぱら功徳を施すことに努力すれば、自然と来世の極楽往生はかなうものである。一説に、生活に余裕がなければ信心もできない、の意とも。 大辞林 第二版より ※訳注2:(1)とても大切なものとすること。大事にすること。「古証文を―に持っている」 (2)後生の安楽を第一と考えること。 大辞林 第二版より ここでは(1)と(2)、あるいは注1の意までかけていると考えられる。(訳者) |