心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('03.06.25)

六十四.主従三人


 

 間もなく夫の姿がスーッと眼の前に現れました。服装なんかは前回と変りませんでしたが、しばらく見ないうちにいくらか修行が進んだのでしょうか、どことなく貫禄がついていました。

『最近は大変ご無沙汰をしていました。ご機嫌よろしいようで何よりですわ。』

『お互いこちらでは風邪さえひかないからね。ははは。君もなんだかすごく若返ったんじゃないか。』

 二言、三言、言葉を交わしているうちに、数間のじいやもそこに現れ、私の夫と久しぶりの対面を遂げました。その時のじいやの喜びようはまた特別で、『お二人がこうしてお揃いのところを拝見しますと、まるで元の現世に戻ったような気がいたしますなあ。』なんてことを言っちゃあ鼻をすすっていました。

 いつの間に誰が用意してくれたのか、砂の上に折りたたみの椅子が三脚据えてありました。しかもそのうちの二脚は間近く向き合い、もう一脚は少し下がって後ろの方へおいてあるんです。どう見たって私たち三人のために用意してくれたとしか思えませんよね。

『どれ、一つ遠慮なく座らせてもらうことにしようか。』夫もひどく気をよくして、そのうちの一つに腰を下ろしました。『こちらに来て椅子に座るのは初めてだけど、悪い気はしないものだね。』

 それぞれの椅子に腰を下ろした主従三人は、次から次へととめどもなく昔話に花を咲かせました。何しろ現世から幽界にまたがる長い年月の間に積もり積もった話ですから、いくら語っても語り尽くせないほどでした。話している途中には、ずいぶん涙を流したり、また笑いあったりもしましたけど、ありがたいことに以前夫と会った時のような変な気持ちだけはほとんど起こらないほどに、心がきれいになっていました。

『ずいぶん軽い手ですわね。』

『ああ、こうカサカサしてちゃさっぱりだよね。こんな張子細工みたいなんじゃ今さら同棲してもはじまらないな。』

 私たち夫婦の間はこんな冗談さえ口をついて出るほどに、あっさりした気分に満たされていました。じいやはというと一層枯れきったもので、ただもう嬉しくてたまらないといった様子で、私たちのことを見守っていました。

 ただ一つだけ夫にとって禁句だったのは、三崎の話でした。遠くに見える景色が油壺の付近に似ていましたので、うっかり話が籠城時代のことになったりでもしようものなら、急に沈み込んでくやしいといったような表情を浮かべるのでした。『いけない、いけない。』私は急いで話をそらしたものでした。

 その他困ったことといえば、夫もじいやもなかなか帰ろうとしなかったことです。現世風に言えば、二人が二、三日私の修行場に滞在する事になったんです。もっともそれはただ気持ちだけの話ですけど。現世のように何日いたなんてはっきり数えることはできませんものね。その辺がすごく話しづらかったりなんかします。

 

 海の修行場の話はこれでおしまいですが、とにかくこの修行場は私にとって最後の仕上げの場所でした。私はこのとき神様から修行修了の仰せをいただいたんです。同時に現世の方では私のために一つの神社が建立《こんりゅう》されつつあり、間もなく海の修行場からその神社へ引っ越すことになりました。

 そのことについては次回にでもお話することにしましょうか。

 


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