心霊学研究所
『小桜姫物語』浅野和三郎著
('03.07.02)

六十五.小桜神社の由来


 

 ついうっかり約束してしまいましたので、これから私が小桜神社として祀《まつ》られた経緯をお話しなければいけなくなっちゃいましたが、実はこれって私にとってはとても心苦しいことなんです。ご覧のとおり私なんか器量が特別すぐれているわけでもなく、また修行を積んだといったってたかが知れていますから。こんな私がお宮に祀られるだなんて、分不相応なことはよくわかっています。ただそれが事実である以上、仕方なくお話するというようなわけなんです。だからくれぐれも私がいい気になって自慢しているだなんて思わないで下さいね。私にとってこんなに話しにくいことはめったにないんですから。

 調べていくうちにわかったことですが、事の起こりはずっと遠い昔、私がまだ現世に生きていた時代に遡《さかのぼ》らなければなりません。前にもお話ししましたとおり、夫の討ち死に後、私はしじゅう彼の墓をお参りしていました。なんてったってお墓の前へ行って目をつぶるだけで、夫の在りし日の姿がありありと浮かぶんですから、当時の私にとってはそれが何よりの心の慰めでした。だからよっぽどのひどい天気じゃない限り、墓参りを怠ることはありませんでした。『今日もまたお目にかかっちゃおうかしら。』私はそれぐらい軽い気持ちで出かけたものでした。墓参りは私が病の床につくまでざっと一年余りも続いたでしょうか。

 ところが意外にもこの墓参りが村人たちの感激の種になったのでした。『小桜姫は女性の鏡だなあ。まだ若いのに再婚もしなさらんで、三浦の殿様に操を立て通すとは全く大したもんだ。』なんて口々に言いまして、道ですれ違う時なんか、みんな涙ぐんでいつまでも私の後姿を見送ってくれたりなんかしました。

 村人たちからそんなにまで慕ってもらった私が亡くなったものですから、そのためにかえって人気が出たとでもいいますか、いつの間にか私は世にも類まれな女性、気性も武芸も人並みはずれて優れた女丈夫であるかのようにはやし立てられちゃったんですの。そのことは後で指導役のおじいさんからうかがって、私のほうがこけちゃいました。私は絶対そんなすごい女性なんかじゃありません。ただ自分の気がすむように、一途に女性としての道を突き進んだだけなんですのよ。

 もっとも最初は別に私をお宮に祀るまでの話が出ていたわけではなくて、時々思い出しては畑仕事の行き帰りに、私の墓に花を手向《たむ》ける程度のことだったんですが、その後あるできごとがきっかけとなり、とうとう神社というところまで話が進んだのでした。ほんと人生なんてどこでどうなっちゃうかわかりませんよね。生きている時にはさんざん悪口を言われたものが、死んでから口を極めてほめられたり、逆に生前栄華を誇ったものが、墓場に入ってからひどい辱《はずかし》めを受けたりなんかしますもの。そして多くの場合そんなことは少しも本人とは関係がないんですから、考えてみれば不思議です。このことだって突きつめればやっぱり人間以外の神秘な力が作用しているということなんでしょう。少なくとも私の場合そんな風に感じられて仕方ありません。

 


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