心霊学研究所
小桜姫物語
('03.09.11)

六十九.鎮座祭


 

 そうこうしているうちに、いよいよ鎮座祭の日がやってきました。

『現界のほうは、今日は大変なお祭り騒ぎだよ。』と指導役のおじいさんが教えてくれました。『地元の村は言うまでもなく、三里、五里(約12〜20km)と離れた村々からも相当の人出があり、あの狭い海岸が身動きが取れないほどだ。道端には屋台や即席のお茶屋まで並んでいるぐらいだよ。だけどそれは地上の人間界だけのことで、こちらの世界はいたって静かなもんだ。わたし一人であんたをあのお宮に案内すればそれで終いだからね。まあ、これまでの引越しと大して違いはないというわけさ。』

 そう言っておじいさんはすましていましたが、私としてはなんだか心細く感じられて仕方ありませんでした。

『あのー、おじいさま。』私は切り出しました。『差し支えなかったら私の守護霊さまにも一緒に来ていただきたいんですけど。だってわたし一人だとなんだか心細いんですもの。』

『いいよ。あんたがここまでこられたのも、陰で守護霊さんがかなり骨を折ってくれたおかげでもあるからね。そろそろ現界のほうじゃ鎮座祭が始まるから、こちらも支度を始めるとしようか。』

 いつも言うとおり、私たちの世界では何をするにも手っ取り早さが取り柄です。まず私の身なりが瞬間で変りました。その日はいつもと違って、身には白練りの装束、手には中啓(注1)、足には木の蔓《つる》で編んだ一種の草履、髪はもちろん垂髪《さげがみ》と、とてもさっぱりしたものでした。他に身につけていたものといえば、母の形見の守り刀だけでした。こればっかりは女の魂みたいなものですから、どんな時も懐から離すなんてことはなかったんです。

 私の服装が変った瞬間には、もう守護霊さんもいそいそと私の修行場にいらっしゃいました。服装は広袖《ひろそで》の白衣《びゃくい》に袴《はかま》をつけ、その上に白い薄物を羽織っていました。

『今日はようこそ私を呼んで下さいました。』と守護霊さんは、いつもの控えめな態度の中にも心からの嬉しさをのぞかせておっしゃいました。『私がこちらの世界に移ってから、かれこれ四百年にもなりますが、その間今日ほど鼻が高かったことはありません。これもひとえにご指導役のおじいさんのご苦労の賜物、私からも厚くお礼申し上げます。今後も何とぞよろしくお願いいたします。』

『いやそんなことを言われると、私もうれしい。』なんて、おじいさんもニコニコ顔でした。『最初この人をあずかった時は、つまらない事でメソメソしちゃって、さすがの私も途方にくれたが、その割にはよくここまで仕上がったもんだ。これからは何ていったって、小桜神社の祭神として押しも押されもしない身分だね。さっそく出かけるとしようか。』

 おじいさんはいつもの通りの白衣姿に藁草履《わらぞうり》を履かれ、長い杖をついて先頭に立たれました。

 波打ち際を歩いた気がしたのはほんのつかの間で、いつの間にか私たちは電光のように途中を飛ばして、例のお宮の社頭に立っていました。

 中に入って息をつく間もなく、ただちに産土の神様のお姿がスーッと神壇の奥深くにお現われになりました。その場所は私たちの場所から遠いようで近く、また近いようで遠く、本当に不思議な感じがしました。

 うやうやしく低頭している私の耳にはやがて、神様のお声がリンリンと響いてきました。

『これから神として祀られるからには、心して土地の守護にあたらなければなりません。人民からは様々な祈願が出るでしょうが、その正邪善悪は別として、土地の守護神となった以上、一応は全ての祈願を丁寧に聞いてやらねばならないのです。取捨選択はその後にしなさい。神として最もしてはならないのは怠慢であり、また最も慎《つつし》むべきなのは偏頗不正《へんぱふせい》(注2)の処置です。怠慢に流れる時はしばしば大事を誤るし、不正に流れる時は神の道を乱すこともあります。よくよく心して、神から託されたこの重責を果たしなさい。』

 産土の神の訓示が終わると、続けて龍宮界からのお言葉がありましたが、そちらはもったいないほどお優しいもので、ただ『何でもむずかしいことはこちらに聞くように。』というものでした。

 私は今さらながら身に余る責任の重さを感じるとともに、限りない神の愛のあたたかさをしみじみ味わうことができたのでした。

注1:中啓:儀式の際に用いる扇。親骨の先を外側に曲げ、閉じた扇の先が中びらきになっているもの。(大辞林第二版より)

注2:偏頗《へんぱ〔「へんば」とも〕》:考え方や立場などが一方にかたよっていること。不公平なこと。また、そのさま。(大辞林第二版より)

 


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