心霊学研究所
小桜姫物語
('03.09.29)

七十一.神馬


 

 鎮座祭がすむと、私は一たん海の修行場に引き上げました。小桜神社の祭神として、実際の業務に入る前に、まだ何らかの心の準備がいるなと考えたからなんです。

 というわけで私は一生懸命深い統一に入り、過去の一切の絆を断ち切ることによって、一層自由自在の神通力に恵まれるよう、心から祈願をいたしました。それは時間にすればおそらく二時間になるかならないかというぐらいの短い統一であったと思いますが、心が引き締まっていたせいか、私とすれば今までに経験がないほどの、すぐれて深い統一状態に入ったのでした。恐れ多いんですが、私、天照大神様と皇孫命様の尊いお姿を拝したのは、実にその時が最初でした。他に色々申し上げたいこともありますが、それはおもに私個人のみに関係した霊界の秘事ですので、ここでは控えさせていただきたいと思います。

 ただ一つここでご披露しておきたいのは、神馬の件です。つまりふとした動機から小桜神社に神馬が一頭飼われることになったんです。その経緯は次のようなものでした。

 私が深い統一から覚めた時、思いがけず真ん前で私を待って控えていたのは、数間のじいやでした。

『姫《ひい》さまが今回神社にお入りなさるにつけては、ぜひ神馬が一頭ほしゅうございますなあ。』

『えっ、神馬ですって。』私はびっくりして問い返しました。『あなたはまたどういうわけでそんなことを言い出すの。』

『実はその昔姫さまがお可愛がりになっていた、あの若月、あれがこちらの世界に来ています。私は何回かあの若月に会いましたんです。』

『若月なら私も一度こちらで会いましたよ。』

『もうお会いなされましたか。なんとお早い。それなら話が早ようございます。あの若月をぜひ小桜神社の神馬に出世させてはもらえませぬか。そうなれば若月もどんなにか喜ぶでしょう。それに神社に神馬の一頭もいないんでは、何となく引き立ちませんでな。』

『そんな勝手なことができるかしら。』

『できてもできなくても、とにかく神様に談判してもらいますぞ。そのくらいのことができないんじゃあ、わしにも考えがありますからの。』

なんて、数間のじいやったら大変な剣幕ですの。

 そこで仕方なく私から指導役のおじいさんに話をしてみると、何のことはありませんわ、産土の神さまの方ではとっくに手筈《てはず》が整っていて、神社の横に立派な馬小屋だってすでに出来上がっているというではありませんか。それを知った時の数間のじいやの得意げなことといったらありませんでした。

『そーれ見なされお姫さま。他のことにかけては姫さまにはかないませんが、こと馬の事に関してはわしの方が役者が一枚上でござる。』

 その後間もなく私は海の修行場を引き上げて、永久に神社の方に引き移りましたが、同じ頃馬の方も数間のじいやに連れられて、頭を打ち振り打ち振りうれしそうに私のところに現れました。それからずっと今日まで馬は私のもとで元気に暮らしています。ただこちらでは馬はいつも神社につながれているわけではなく、どこに行っても私が呼べばすぐに出てくるんです。さびしい時なんか私はよく馬と遊びますが、馬の方もあの大きな舌で私の顔をなめたりなんかします。すっごく可愛いいんですから。(※訳者注)

 それから馬の呼び名ですけど、私は前からの念願どおり、若月改め、こちらでは鈴懸《すずかけ》と呼ぶことにしました。私が神社に落ち着いてから、真っ先に駆けつけてくれたのは父や母や夫でしたが、私は訪ねてくれた方にまず真っ先に鈴懸を紹介しました。その際誰よりも感慨深げだったのはやっぱり夫でした。夫はしきりに馬の鼻面《はなづら》をなでながら、『君もとうとう出世して鈴懸になっちゃったか。いやいいんだ、いいんだ。僕はもう呼び名について反対なんかしないからね。』そう言うと夫は私の方を振り返って、意味深に微笑んでみせました。

※訳者注:神社に祀られている神さまが「さびしい」とき馬と遊ぶなんて、何て微笑ましいんだろうか、と思わずにはいられない。

 


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