あまり他愛のない話ばかり続きましたので、ここで少しこみいった話をしましょうか。願掛けの話なんていかがかしら。願掛けは実をいうとあまり性質《たち》のいいものばかりではありません。たいていは夫の方に愛人ができたりして夫婦の仲が悪くなり、妻が嫉妬のあまり愛人を呪い殺す、なんていうケースが多いようで、たまに私のところにもそんな話が持ち込まれることもあります。ですけど、私、そんないやな祈願にはかかわらないようにしていますの。呪いを受けつける神はまた私たちとは全然別物で、正しい神とはとても言えません。お話としてはあるいはそっちの方が面白いかもしれませんけど。でもあいにく私の手もとには、そんな話は一つもありません。あるのはただただきれいな願掛けの話ばっかりで、面白くないと思いますが、一つだけ例をあげてみることにしましょう。 それはある鎌倉の旧家に起こった事件です。主人《あるじ》夫婦は五十歳になるかならないかぐらいの年齢でした。そして二人の間にはたった一人の娘がありました。母親が大変な美人だったので、娘も母親に似て、いわゆるひなにもまれな美人でした。それだけではなく才気もはじけており、また婦人の嗜《たしな》みも十分過ぎるほど学んでいました。こんな娘が年頃になったものですから、縁談の話はいろんな所から降るように来ましたが、ことわざにも帯に短したすきに長しなんて言いますでしょう。なかなかこれといった話にはめぐり合えないのでした。 ある時鎌倉の某所で、能狂言の催事がありまして、この親子が三人で観賞に出かけたんですが、近くの席に気品にあふれた若者を見かけました。『彼なら娘の婿として恥ずかしくなさそうだ。』なんて、両親の方では早くも若者に目をつけ、それとなく話しかけたりなんかしたんです。娘の方もまんざらでもないようでした。 その後、人にたのんで若者の身元を調べていくと、あいにく彼も一人息子で、とても養子にはいけないことがわかりました。この段階で両家とも大変困ってしまい、何とかよい工夫はないものかと相談を重ねました。もともと若者の方も娘の方も互いを大変好きになってしまっていましたので、最終的に『二人の間に子供ができたら、その子を若者の実家に帰す』という約束が成り立ちまして、とうとう吉日を選んで晴れて婿入りしたのでした。 夫婦仲はすごくよくて、双方の親たちも始めのほうは喜び合ったんです。これでかわいい赤ちゃんでもできたなら何の問題にもならなかったんですけど、そううまくはいかないのが世の中の常ですわね。それから一年たっても二年たっても三年過ぎても、どうしても子供は生まれませんでした。そのころから婿の実家ではだんだんあせりだし、『このままでは家名が断絶する。』と騒ぎ始めました。でも三年ではまだわからないということでそれからさらに二年ほど待ちましたが、やっぱり懐胎の気配はまったくなく、実家ではとうとう我慢しきれずに、仕方がないから息子に離縁して帰ってきなさいと告げたのでした。 二人の仲はとてもよくて、別れる気になどなれなかったんですが、そのころは何より血筋を重んじる時代でしたから、お婿さんは無理矢理、まるで生木を裂くように実家に連れ戻されてしまいました。現代の方々は、もしかしたらずいぶんひどい仕打ちをすると思われるかもしれませんね。でも昔はこれが当たり前だったんですのよ。 とにかくこうして睦《むつ》まじい夫との仲を引き裂かれた娘の、その後の嘆きようといったらありませんでした。一ヵ月、二ヵ月と時がたつにつれ、娘の体はすっかりやせ衰えていき、そして頭もすこしおかしくなってしまったのか、夫の名前を呼びながら、夜中に寝床を抜け出してウロウロするといったようなことがあったのも、一度や二度ではありませんでした。 やがて保養のために、この娘が一人の老女に伴われて、三崎の親戚の家の離れ座敷に引っ越してきたんです。そしてここから願掛けの話が始まるんです。 |