心霊学研究所
『心霊学より日本神道を観る』
浅野和三郎
('02.12.17更新)

七章 天孫降臨の神勅


 

 近頃『肇国《ちょうこく》』という言葉が、『建国』と区別して使われるようになってきましたが、これは非常に良いことだと思います。いやしくもそこに全く独立した別個の事実が存在する以上、誰しも適切にこれを表現するための専用の言葉の必要を感じるのは、当然の成り行きです。

 いうまでもなく肇国とは、皇孫《こうそん》邇々芸命《ににぎのみこと》によって行われた、超物質的な神霊の世界に起こった霊的事実を指すのです。教育勅語に、『国を肇《はじ》むること宏遠《こうえん》云々』と仰られたのがすなわちそれです。また建国というのは、ここに説明するまでもなく、神武天皇が高御座《たかみくら》(訳注:天皇の玉座のこと)を大和《やまと》に移して、ご即位遊ばされた、物質的現象世界に起こった史的事実を指します。肇国といい、建国といい、字義そのものからいえば、あるいは似たものかも知れませんが、このような慣習になっている以上、これらの用語の区別は、今後ぜひとも、もっと一般化していきたいものです。

 ところで、用語を決めるのはとても簡単にできますが、これらの用語に包含された意義、内容、性質などを、はっきりと納得できるところまで持って行くことは、なかなか容易な仕事ではありません。なにしろ明治以来の教育は、日本の物質的文化を高めることを最大の目標としたので、思想だの、信仰だのという方面には、ほとんど手が回らず、中でも、日本の神代《かみよ》に関する知識などは、ほとんど全部、若い国民の頭脳から削り去られてしまいました。いまどき天孫降臨だの、大国主神の国譲りだのといっても、まったく分からない顔をしているものが、どんなに多数に上ることでしょう。ためしに『邇々芸命をお祀りした神宮はどこにあるか?』と聞かれたときに、『それは九州の霧島神宮である。』と答えられるものが、その地方の住人は別として、日本国中に、果たして何人位いるでしょう。恐らく十人に一人、ことによると、百人に一人位の割合かと想像されます。日本国民の理想、信仰生命の活きた本体でいらっしゃる、肇国の祖神の大神霊をお祀りしてある神宮が、あんな九州の僻地にだけ存在しているということも、皇国《こうこく》日本としては手落ちかもしれませんが、しかし、たとえ土地が僻地であろうが、何であろうが、個々にこんなとぼけ切ったことをしていながら、日本は神国でござると言えた義理ではないでしょう。こんな状態がいつまでも続いたら、日本はたしかに精神的に破産に瀕してしまいましょう。

 私どもは元より微力短才、あえて一代の指導者をもって任ずるわけでも何でもありませんが、ただ最近十数年来、まじめに心霊科学の実地研究にあたり、顕幽両界の間に、あるていど交通の道をひらいて、我らの祖神、祖霊たちの教えに接することができるようになりましたおかげで、今まで全然手をつけずに取り残された、超現象世界の真相が、少しずつ判ってきました。その中でも私どもが、非常に意外な感じがしましたのは、かの一見幼稚なおとぎ話くらいにしか思われなかった、日本の古典の内容が、実は途方もなく正確、かつ豊富なものであることでした。ご承知のとおり、近代心霊科学の研究の結果として、いまや広く世界の識者の間に言われるようになったのは、いわゆるスピリチュアリズムですが、そのスピリチュアリズムなるものは、煎じ詰めれば、つまり、日本古典の中に、ぎっしりと充填《じゅうてん》されている日本精神----唯神の道以外の何物でもないのです。一方は科学的事実から導き出された学術的結論、他方は天から下された純主観的な啓示の記録。手法としては、全然天と地の違いがありながら、それがぴったりと結果において合致するということは、ほんとうに不思議なくらいで、その点日本の古典は、掛け値なしに天下一品の国宝的存在です。で、及ばずながら、私は年来の沈黙を破り、スピリチュアリストとしての立場から、少しずつ日本の古典、ことにその神代の巻の要所要所について、私の考えを発表して、皆様の教えを乞うことになりました。すでに『国家の守護神』『日本民族の使命と信仰』にも述べておきましたが、なお研究が未熟なところがあるのはもちろんです。ただしこの国家多難の際、皆様のご参考の助けとなれば望外の光栄です。今回は天孫降臨の神勅を中心として、私の考えを述べるつもりですが、もちろんこれも前者の続きで、つまり前に言い足りなかった点を、ここで補充しようという考えです。

 

 ご承知でもありましょうが、天孫降臨の物語は、古事記にも、また日本書紀にも、どちらにも詳しく掲載されております。表現形式からいえば、両者はよほど趣《おもむき》を異にしておりますが、その中に盛られた内容には、それほどの違いはありません。これから私は、叙述の明快を期すべく、これに関する記録の中から、特に要点のみを抜き出して、できるだけ率直に、私の考えを述べることにいたします。いずれ私の筆致は、例によって例のごとく、ゴタゴタとして不作法でしょうが、この際私としては、ご免をこうむって、神様に非礼をお許しいただくつもりです。なにぶんにも新原野を開拓すべき荒仕事で、上品に澄まし込んでいられないのです。

 さて天孫降臨の物語を読んで、われわれが第一に驚かされることは、はなはだ失礼な申し分ながら、
 一 邇々芸命の擁護団《ようごだん》が、途方もなく立派なこと
です。『天の寵児《ちょうじ》』という熟語がありますが、これは恐らく邇々芸命において、初めて正当に当てはまるのではないかと考えられるのです。何となれば、邇々芸命の第一の擁護者が、かしこくも太陽神霊界の主宰神、天照大御神であらせられ、第二の擁護者が、宇宙神霊界の代表神、高御産巣日神《たかみむすひのかみ》であらせられるからです。これ以上の擁護団が、いったいどこにありますか。

 日本の古典は、この点の叙述において、実にきめ細かくまた手抜かりもなく、全世界の神書経典中にあって、ひとつだけかけ離れて優れています。非常に重要な事柄ですから、わずらわしさをいとわず、古事記の本文の中から、肝要な文字を拾い出してみましょう。

『高御産巣日神《たかみむすひのかみ》、天照大御神の命以《みことも》ちて天安川の河原に、八百万の神を神集《かんつど》えに集《つど》えて、思金神《おもいかねのかみ》に思わしめて、詔《のりたまわく、此の葦原中国《なかつくに》は、我《あ》が御子《みこ》の知さむ国……』

『高御産巣日神、天照大御神、また、諸《もろもろ》の神等《かみたち》に問ひたまわく、葦原中国に遺はせる天菩比神《あめのほひのかみ》、久しく復言奏《かえりごとまを》さず……』

『天照大御神、高御産巣日神、また諸の神達に問ひたまわく、久しく復言奏さず……』

『ここに、その矢、雉《きぎし》の胸より通りて、逆に射上げられて、天安河に座《おわ》します、天照大御神、高木神《たかぎのかみ》の御許《みもと》に逮《いた》りき。この高木神は、高御産巣日神の別名なり。故《かれ》、高木神、その矢を取らして見《そなみほ》すれば……』

『天照大御神詔《の》りたまはく、またいずれの神を遣はせば吉《よ》けむ。爾《かれ》、思金神、また諸の神達、白《まを》しけらく……』

『天照大御神、高木神の命《みこと》《もち》て問ひにつかはせり。汝《な》か領《うしは》げる、葦原中国は、我が御子の所知らさむ国と、言依賜《ことよさしたま》へり……』

『爾《ここ》に、天照大御神、高木神の命以て、太子《ひつぎのみこ》、正勝吾勝勝速日《まさかつあかつかちはやひ》天忍穂耳命《あめのおしほみみのみこと》に詔《の》りたまはく……』

『故《かれ》、爾に、天照大御神、高木神の命以て、天宇受売命《あまのうずめのみこと》に……』

 以上のいくつかの引用を見ても明らかであるとおり、天孫降臨に際して天照大御神は、ありとあらゆる事物について、まさに宇宙最奥の神霊界に向って、神謀りに謀られたことがうかがわれるのです。高御産巣日神、また高木神とは、ご承知のとおり、造化三神の御一柱で、宇宙意思の代表者といえば、つまりこの神以外にはないのです。また思金神《おもひかねのかみ》は、現代的に言えば、つまり霊能力者で、要するに太陽神霊界と、宇宙神霊界との連絡係を受け持っている神霊なのです。こうしてみると、天孫降臨は、実に宇宙の総意の結晶だということになるのです。くどいようですが、日本古典以外に、これほど秩序整然としてきめ細かく、手抜かりのない啓示の記録は、どこにも見当たらないのです。

 が、これが単に日本国体を崇厳化するための巧妙な記録に過ぎないなら、そこまで感心する必要はありませんが、今日われわれが、心霊科学の知識と、調査能力とを傾けて、奥深く超現象世界の内側を探ってみると、日本古典の記録は、ことごとく一つの正確な心霊的事実であることを発見するので、頭を下げないわけにいかないのです。これは独りわれわれ日本のスピリチュアリストの主張たるにとどまりません。うっかりすると支那、インド、または欧米の霊能者たちから、邇々藝命についての説法を聞かされることになるかもしれない状態にあるのです。

 私には筆の上では、これくらいのことしか書けません。もしもこれだけの説明では、まだ肯定し得ないと言いはるものがあるなら、何とぞ率先して、心霊科学の実地研究にあたり、自己の体験をもって、磐石不動の確信をつかんでいただきたい。及ばずながら私どもは、一切の準備をあげて、皆様のご便宜を計ることにいたします。

 次に天孫降臨の記事の中で、深く深く銘《めい》せねばならないことは、
 二 邇々藝命が、地上経綸の永遠の責任者に坐《おわ》すこと
です。これは今まで、日本国民がややもすれば、認識不足の弊に陥っていなかったかと感じられる点ですから、特にご留意を願いたいのです。おそれ多い話ではありますが、この場合の命令者は皇祖天照大御神にあらせられ、その命令の実行者は、皇宗邇々藝命におわしますのです。皇祖皇宗のお立場は、決して同一ではありません。天照大御神は、太陽系全体の経綸に当たられ、地上の事柄は、その一切を挙げて邇々藝命にご依託になられたのです。この間の認識が、十分に行き届いてないと、せっかくの敬神崇祖が、いささか見当外れになりはしないかと危ぶまれます。

 すでにしばしば述べたとおり、われわれ地上の人間としては、もちろん天照大御神を、理想信仰の最高の目標と仰ぎ奉らねばなりませんが、われわれはこれと同時に、自分たちが、常に邇々藝命の直接の統治下にあることを忘れてはなりません。どこまで行っても、この地球上の問題は、ことごとく邇々藝命の御手を通じて実行、実施されるのです。近頃『神は我らの内にある』だの、『我らは神とともにある』だのという言葉が流行しています。これは決して嘘ではありませんが、実をいうと、それでは余りに抽象的で、ぴったりと事実にはまりません。実際問題とすれば、邇々藝命が我らの内にあり、また我らは邇々藝命とともにある、のです。要するに我らは、邇々藝命の御心をもって心とし、邇々藝命の御働きをもって働きとするところまで浄化し切り、また同化し切ることを、人生の第一義とせねばならないのです。これが徹底的に判らなければ、恐らく日本民族としての本当の働きはできそうもありません。

 言うまでもなく邇々藝命は、心霊科学の用語をもって申し上げれば、いわゆる自然霊にあらせられ、超物質エーテル体をお持ちになり、永遠に実在さるるお方です。古典の『神代』を、単なる『古代』の意味に曲解し、邇々藝命を、上古時代の日本皇室の肉体のご先祖と考えることは、とんでもなく度外れな間違いで、およそ何が不都合といっても、これぐらい不都合千万な、冒涜的見解はないと考えます。古事記に掲げられた最後の、天照大御神の神勅は、この点をいとも明白に指示されています。----『日子番能《ひこほの邇々藝命に詔科《みことおほ》せて、此《こ》の豊葦原水穂国《とよあしはらみづほのくに》は、汝《みまし》、知らさむ国なり、云々』『汝知らさむ国』の一句が、すべてを言い尽くして余すところなしです。年代に縛られず、ただお一人で、永遠に水穂国を治《しろし》めすことがおできになるのは、神様ばかりです。

 次に重大なことは
 三 天孫降臨の神勅の中に、理想的な地上経綸の方法が明示されていること
で、とりも直さず、それが皇道の真髄をなすところの『知らす』の思想です。

 『知らす』または『しろしめす』は、日本独特の語法で、考えれば考えるほどその含蓄が深く、これに比較すべき文字は、恐らく世界中のどこの国語にも見当たるまいと推測されます。もともと物を知るという行為ほど、格差の大きいものはなく、浅深、大小、広狭、精粗……詳しく分けたら千人千様、万人万様、とうてい際限がないのです。そして神でも人でも、この知ることの内容によってその資格が決まり、天職が定まります。ずいぶん広く知る者はあるが、広い者はとかく浅きに失する。またずいぶん深く知る者はあるが、深い者はややもすれば狭きに失する。この上もなく微小なところから、この上もなく大きい世界の果てまで、天地間の一切の事物が、ことごとくその曇りのない叡智に映らぬことがないというのは、産まれながらに高御座に上り給うべき、中心の大神霊以外にあるはずがありません。そうした御方であればこそ、初めて永遠に地上経綸の大任をまっとうすることが可能なのです。『豊葦原水穂国は、汝、知らさむ国……』ああ何という荘厳な、また何という意義深遠なるお言葉でしょう。『知らす』の中には、一点の曇りも歪みもない。これが皇道の優れた真価でなくて何でしょう。

 『知らす』の反対は『領ぐ』です。これは神智の伴わない、ただ暴力をもってするところの占領です。力の強い間は、これでも一時的な成功は望まれるでしょう。が、天定まって人に勝つで、やがて簒奪《さんだつ》(帝位を奪い取ること)者が権力の座から滑り落ちることは、古今東西の世界の歴史が極めてハッキリとこれを証明しております。

 それにつけても、邇々藝命の地上の直属の機関たるわれわれ日本民族は、かりそめにもへたな心得違いをしてはならないのです。『知らす』をもって終始一貫し給う神様の御眼が、常に上からご覧になっていることを、一瞬でも忘れたら、それこそ大変です。我々はうっかり個人的欲望の奴隷となってはいないか? 血気にはやって、無名の師などを起こそうとはしないか? 信教の自由、学問の独立などの美名に隠れて、異端邪説の使徒とはなっていないか? 正義の批判よりは、むしろ利害の打算に重きを置いていないか?……。よっぽど腹をくくって鋭い自己批判を行わないと、神のおメガネにかなって、その絶大なご加護に浴する望みはないかと考えられます。歴史以前はともかく、有史以来二千六百年の間に、われわれ日本民族とても、ずいぶんしばしば天災地変にも見舞われ、またずいぶんたびたび不幸や窮乏にもおちいったことがあります。唯物的思想からいえば、人事は人事、自然現象は自然現象、両者は全然関係のない別個の存在であるとしますが、近代心霊科学の研究からいえば、宇宙の内面はことごとく一つの連動装置をなしており、人事と自然現象との間に、密接不離の関係があることを発見するのです。私どもはこの際、親愛なる同胞が、一時も早く、地上世界の一切を知ろしめし給う邇々藝命の認識と、信仰とに目覚められんことを心から提言するものです。それができない限り、おそらく日本は、必然的に苦難の日を重ねるのでしょう。

 次に日本民族が片時も忘れてならないことは、
 四 邇々藝命が、天津日継の皇統の御本体に坐《おはしま》すこと
です。言い換えれば邇々藝命は、心霊科学者の言うところの『自我の本体』または『本霊』であらせられ、その御分霊が地上世界に天降られたのが、取りも直さず一系連綿《いっけいれんめん》たる、日本の皇統に坐するということです。これは日本の古典の明示するところなのですが、今まで浅はかな物質観にとらわれていた連中は、自分の持っている貧弱なモノサシをもって、古典の伝える事柄を測りそこね、とんでもない牽強付会の解説などを流布していたのです。古典の伝える事柄とはほかでもない、随所に発見される『天降り』の一語で、私が本編のタイトルに借用した『天孫降臨』の文字も、つまりその漢訳に過ぎないのです。私は心霊科学の知識をもって、学術的にこの言葉に解釈を下すより以外に、とうてい真の解答への途はないと考えています。

 前にも申し上げたとおり、邇々藝命は、超物質的神霊界のお方です。そしてわれらの研究するところによれば、邇々藝命が、肇国《ちょうこく》の神業にたずさわれたのは、地球の表面に、まだ人類などの発生していなかった、悠遠の太古に属し、したがって邇々藝命の地上経綸とは、人類創造という大事業までも含んだ、この上なく重大で大きな仕事だったわけです。現在世界の心霊学者の間で、人類発生に関する最も有力な仮説は、私のいわゆる『創造的再生説』マイヤースのいわゆる『類魂説』などと称するものです。これに従えば、最初超現象的エーテル界に、『自我の本体』または『本霊』(神または天使)があり、ある時期において、その分霊が物質に宿って、独立した微生物を造り、そして多大な年月の間に、類別的な進化を遂げたのが、現在の人類その他の生物であるというのです。これは多くの有力な霊界通信が、同様に主張するところであり、理論的にも、また実験的にも、何ら欠点を見出しませんから、私はこれをもって人類の創造進化を説明するための、最も有力な学術的仮説と思考するものです。(拙著『神霊主義』、ステッドの『死後』、マイヤースの『永遠の大道』等参照)

 とにかくこの仮説を採用することによってのみ、天孫降臨の意義が、初めて荒唐無稽な憶説の領域を離れて、純学術的な領域に入ることになります。なかんずくこの仮説によって、初めて生きてくるのが、かの日本書紀の第三巻、神武天皇のくだりに、天皇のお言葉として掲げられている、前代未聞の天啓的数字です。

 『昔我天神、高皇産霊尊 《たかみむすひのみこと》、大日霊尊《おほひろめのみこと》、此の豊葦原水穂国を挙けて、我天祖彦瓊瓊杵尊《ひこほのににぎのみこと》に授け給へり……。皇祖皇考、乃《すなわ》ち神、乃ち聖にして、慶を積み、暉を重ね、多《きは》に年所を歴たり。天祖降跡より今に逮《およ》びて、一百七十九万二千四百七十余歳、あたかも遼貌之地、猶ほ未だ王澤に霑《うるお》はず……』

 これまでの国学者、神道家達は、いかにこの一百七十九万何千という、大きな数字を解釈してよいか見当がとれず、なるべくこれを握りつぶす方針をとってきましたが、私たちの観るところによれば、日本の古典は、この数字一つを伝えただけで素晴らしいものだと考えられます。地上に人類の種子《たね》が発生してきたのが、果たして一百七十九万何千年前であるか否かは、もちろん現在の研究ではまだ確定できません。ことによると、それは永久に解けない一つの謎かとも考えられます。が、古生物学、地質学、また進化論などを考慮の中に入れて考究を重ねるときに、生物の発生がよほどの太古に属することは、動かすべからざる事柄です。こうなった時に、われわれは本邦の古伝に対して、自ずから首を下げずにはいられなくなります。世界の何れの経典に、これほどさまざまな可能性に富む天啓的数字が、堂々と記載されているでしょうか。

 くれぐれも日本国民は、この際わが国体のみなもとの、あくまでも深いことに徹底すべきです。天壌無窮《てんじょうむきゅう》は、決して単なる形容詞ではないのです。幽の幽たる宇宙神霊界の精気は、凝り固まって幽の顕たる、太陽神霊界の主宰神、天照大御神と現れ給い、つづいて天照大御神の御霊《みたま》は、分かれて顕の幽たる、地球神霊界の主宰神、邇々藝命と現れ給い、さらにまた邇々藝命の御霊は、分かれて顕の顕たる天津日継の皇統と現れ給い、一系連綿として、永遠にそれぞれの世界の中心をなし給うのです。日本の国体が、この変化の激しい現世的いざこざの外に超越して、微塵も揺るがないゆえんです。

 最後に天孫降臨の件を読んで、われわれが見過ごしてならないことは、
 五 肇国《ちょうこく》の神業が、無限の進展性を有していること
です。読んだものが誰しも気づくのは、『豊葦原水穂国《とよあしはらみづほのくに》』と『葦原中国《あしはらなかつくに》との二語が、はっきり使い分けられていることです。双方とも、まことに含蓄に富んだ上品な言葉で、それが果たして何を意味するかは、簡単に断言することはできませんが、しかし思いをひそめて、よくよく考えて見ると、前者はどうも、人類発生以前の地球全体を表現した言葉であり、また後者は肇国の神業の発祥地として選ばれた、日本国を指しているらしいのです。とにかくそう解釈した時に、初めて古典の意味がよく判るのです。前にもあげたとおり、天照大御神の邇々藝命に降ろされた『此の豊葦原水穂国は、汝《みまし》、知らさむ国』とあります。すなわち邇々藝命は、地球全体の統治の大命を拝したわけですが、しかし邇々藝命が真っ先に降臨されたのは葦原中国で、要するにそこが、神業の発祥地と選ばれたのでしょう。これは古典の本文を読めば、とても明瞭に判ることですから引用は略します。

 以上の意味を深く味わう時に、誰しも痛感せぬわけにいかないのは、邇々藝命の神業が、いやが上にも遠大であること、ならびにその神業が、完成の域をへだたること、まだすこぶる遠いことです。

 由来や理想と現実とは、容易に一致しない性質のもので、そこに永遠の努力がいるのですが、肇国の神業とても、無論その選に漏れることはできません。いやその規模が比べる物がないほど大きく、その性質がこの上なく複雑であるぶんそれだけ、理想と現実との相違が、一層顕著であるとも考えられるのです。

 いったい神様にとって何が一番厄介であるかといって、神様の道具に使用される人間ほど厄介千万な道具は、まず滅多にあるまいとお察し申されるのです。本来人間は、神様から分霊をいただいて地上に生まれたもので、その中身はまことに立派ですが、ただ物質的肉体につつまれて独立した存在となっているために、ずいぶん気ままなふるまいをやりかねません。困った時には神様にすがるが、普段ははなかなか威張っています。極端なのになると、無神論を唱えて、神様に向かって啖呵を切るところまでいきます。これでは神様の理想が容易に地上に実現しないはずです。……それならばと言って、地上の物質界を経営するのには、どうあっても、物質的な肉体を持った人間の手を借りないわけにはいきません。ここに神と人間との連動装置の必要が起こってくるので、神様の方でもやむなく気長にかまえて、一歩一歩、人類が進化向上するのを待たれるわけでしょう。時空を超越した神様であればこそ、百万年でも二百万年でも、ゆっくりとお待ちになることができるものの、性急な地上の人間には、とても想像がおよばぬところです。

 それはとにかく、邇々藝命の神業が、今日ようやく第一段のお仕事に目鼻がついて、第二段のお仕事に着手されたばかりであることは、はなはだ明白だと想像されます。第一段のお仕事というのは、言うまでもなく、神業の発祥地たる日本国の整理統一です。神武天皇が神勅を奉じ給って、都を大和に遷《うつ》されてからも、熊襲《くまそ》だの、蝦夷《えぞ》だのという蛮族が、国内いたるところに跋扈《ばっこ》して、なかなか中央の命令が行き渡りませんでした。ようやくそれらが服従したと見れば、今度は蘇我氏だの、藤原氏だのが権勢を独占して、皇室と人民との間に障壁を築き、つづいて武門武家の封建時代が出現して、国の所有者であるかのような態度をもって力の政治を行うこと、前後七百年に及びました。日本国全土が、邇々藝命の永遠の御理想に添うところまでようやくこぎつけたのは、明治天皇のご即位のときで、神武以来これに要した歳月が、実に二千五百有余年、ずいぶん長くかかったものです。そしてこれほど長くかかった最大の原因は何かといえば、つまり日本民族が精神的に未発達で、遠大なる祖神の肇国の大精神を貫き通すことができなかったためである、とする以外に考えようがないのです。これは単なる空想ではなく、史実の示すところであるから、何とも致し方ありません。

 ともかくも、邇々藝命の第一段のお仕事が完成の域に達したことは、はなはだ結構なことですが、しかしわれわれ日本民族は、そんなことで、われわれの民族的使命が遂げられたと思ったら、それこそ認識不足もはなはだしいのです。肇国の祖神の大理想は、明治天皇を境界として、早くも第二段の経綸に移っておられるのです。これは世界における日本の現状と、天孫降臨の神勅とを照らし合わせてみれば、はなはだ明らかです。今や日本は、日本だけの日本でなく、実に世界の日本で、全世界の情勢は、日本を枢軸《すうじく》として回転しようとする予兆をしめし、なかんずく東亜一帯の平和の維持は、一つに日本国民の双肩にかかっているのです。今後時運がいかなる経路をたどって、どう進展するかは、もとより人知の推定し得る限りではありませんが、とにかく日本国を中心とする、大家族主義的、道義的一大連動装置、例えば東亜連盟と言ったようなものが早晩実現されるべきは、予想するに難くないと思います。何となれば、そうした機運が東亜の諸民族の間に自然に芽生えている気配が感じられるだけでなく、超現象界よりの通信が、しきりにこれを伝えつつあるからです。無論それが有形的にも、また無形的にも、がっちりとした一大組織を形成し、円満なる運用にたえるまでには、容易ならざる努力と、多大な歳月を要しましょう。これは祖神の理想が、日本一国に具体化するのに二千五百余年を要したのをみても、想像に難くはありません。ただ現在はテンポが早いので、まさか二千五百年を要することもないでしょうが、しかし第二段の仕事に目鼻がつくときは、すでに第三段の仕事が着手されるときであり、この仕事には、いつまでたっても、これで完成という事はないのです。そこに苦しみもあるが、また楽しみもあります。

 遠い将来の仕事は、しばらく将来の後継者たちの解決に待つとして、現在の日本国民としての緊急の問題は、いかに東亜一帯の道義的、大家族主義的修理固成を完成して、地上に平和と幸福とをもたらすべきかにあります。換言すれば、明治天皇を紀元として開始された第二の建国を、いかに手際よく解決して、祖神肇国の大精神の徹底を決心するかです。明治の維新の事業は、ほんのきっかけに過ぎません。昭和の日本国民は、よく魂の活眼を開いて、現在から近い将来にかけての、正しい認識をつかまねばならないと思います。

 以上はなはだ乱雑ながら、天孫降臨の神勅を中心として、私の考えのあるところを申し述べました。私は、日本国民の進むべき道が、たしかにこの中に明示されているものと確信しますが、これは日本、いや東亜の運命を左右すべき重要問題ですから、くれぐれも多くの識者のご指導を切望して止みません。今までのように、理想信念の目標をあやふやにしておいて、その日暮らしをするには、現在の国の状態はあまりにも切迫しています。重ねて識者の深い考慮をうながします。私としては近い将来において、必ずや国を挙げて、肇国の大精神の大躍動を見るであろうと信じますが、現在においても、すでにその兆候は現れています。一部の人々は、このさい肇国の祖神邇々芸命の神霊を、皇都の付近にお祭り申して、国民の理想信仰を向かうところを知らしめることが、最大の急務であると主張します。また他の一部の人々は、健全なる思想信念の基礎を築くべき専門の学校、たとえば神霊学院と言ったようなものの設置が肝要であると力説します。私としては双方とも必要であり、したがって双方とも同時に開始されるべきではあるまいかと考えるものです。ただしこれは国家国民の前途に大きな影響を及ぼす重大な問題ですから、われわれとしては飽くまで慎重な態度をとり、おもむろに国民的論議が成熟するのを待つべきであると考えるものです。(昭九・一一月)

 


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