心霊学研究所
『心霊学より日本神道を観る』
浅野和三郎
('02.03.14更新)
(三)二神誓約の神事----前者に引きつづいて、日本神話の中で重要な位置を占め、遠く日本の国造りと密接なつながりがあるのは、二神誓約《うけい》の神事です。大要をかいつまめば、天照大御神と須佐之男命との間には、最初はある程度相手をうとましく思う気持ちがあったのですが、やがて須佐之男命の方から折れて、自分が何もたくらんでいないことの証明として、子生みの神事を行おうと申し出られました。そこで二神は天の安河を中におき、まず天照大御神が、須佐之男命が身につけられた十拳剣《とつかつるぎ》を取って三つに折り、噛みに噛んで吹き出されると、吐き出した霧の中から生まれ出たのが、多紀理姫命《たきりびめのみこと》以下の三女神でした。次に須佐之男命が、天照大御神の左右の御角髪《みずら》、その他に身につけられた球を取り、同じく噛みに噛んで吹き棄てられて、吐き出した霧の中から生まれ出たのが、天之忍穂耳命《あめのおしほみみのみこと》以下の五男神でした。 いかにも伝記小説風の表現法なので、うっかりすると人間界の出来事のように考えたくなりますが、無論これは人類発生以前の悠遠の太古において、超物質的太陽神霊界に起こった霊的事実を擬人化したものです。太陽と地球とが分離した当時は、もちろん大自然界の裏の大規模な混乱の時代で、これを人間流に言い表したら、まさに不和とか「うとましさ」とでも言うべきものでしょう。が、それは過渡期の一波乱たるにとどまり、やがて太陽は太陽として星々の中心を占め、地球は地球としてその軌道を守るようになりますと、ここに完全なる秩序が回復し、そしてやがて両者の間に水火、陰陽の大自然の微妙な造化作用が営まれて、万有の育成に導くことになるのです。それがすなわち、ここに示される五男三女神の誕生で、もちろんそれは超物質的な自然霊----欧米の人々の言うところの天使、心霊学者のいわゆる「自我の本体」を指しているのです。これを直ちに肉体をそなえた、皇子皇女の誕生と考えることは、とんでもない浅はかな考えです。五男三女神は、永遠不滅の生命をそなえて、今も昔も同じく、太陽神霊界に活動を続けられており、われわれ人間とても、心身浄化の極に達して、優れた第六感的能力を発揮しさえすれば、立派にその神姿を拝し、またその神言に接することもできるのです。ちなみに五男三女神のうち、首位を占めるのは天之忍穂耳命で、このお方が、豊芦原水穂国《とよあしはらみずほのくに》の守護神たる任務を授けられるのです。 [註]天照大御神と須佐之男命とを、物質的肉体を具えた人間的な姉妹と考えることは、近代心霊科学がどういうものかを知らぬ田舎者の考え方です。ひとたび超物質的霊界の存在に眼をさませば、そのあたりの真相が、初めてすらすらと把握することができます。 (四)大国主神の国譲り----誓約の神話に引き続いて、見過ごしてならないのは、大国主神の国譲りの神事です。天照大御神は、御子天之忍穂耳命に、「この豊芦原の水穂国は、汝が統べ治むべき国ぞ」と御仰せになりました。そこで天之忍穂耳命は天から降りようとして、天浮橋から下界をご覧になると、水穂国はひどく騒いでいるので、さらに御引き返しになって、天照大御神にことの様子を申し上げられました。このために天の安河に八百万の神々を呼び集めて相談なされた結果、何人もの使者が、かわるがわる芦原の中津国に派遣されたのですが、なかなか思うようになりません。天菩比神《あめのほひのかみ》は、大国主神に媚びて三年たっても復命せず、天若彦《あめのわかひこ》は大国主神の女を妻として八年経っても戻らない。その次に雉名鳴女《きぎしななきめ》が使者に立ったのですが、これは天若彦のために射殺されてしまいました。最後に建御雷神《たけみかづちのかみ》が特派され、その人並みはずれた神威を発揮するに至って、ようやくのことで大国主神も従うようになり、芦原の中津国を、天神の御子にさしあげることになります。 言うまでもなく、これも超現象の世界に起こった地上の統治権確定の神事です。近代心霊科学が、内面の世界に向かって探求のメスを進めれば進めるほど、一切の物質的現象の奥には、その現象の原動力となるところの霊的存在----神霊を認めなければならなくなりました。すなわち個人には個人の守護霊、土地には土地の守護霊、国家には国家の守護霊が存在するというたぐいです。もちろんこれは宇宙の万有一切に当てはまる鉄則であって、そこには一つも例外がないのです。最初欧米の心霊学会は、この点に対する研究がすこぶる未熟で、単に異常現象の作成と調査とに没頭している感がありましたが、近年にいたって、ようやくその研究に深みを加えてきまして、ぽつぽつ重大な霊界通信にも接するようになりました。いわく「いずれの民族にも守護神のないものはない。一面からみれば民族の守護神は、高級天使団の一員として太陽神界から任命され、これを代表するのである」いわく「民族の守護神は、一個の独立した天使としての使命以外に、全民族意識の総合体たる資格を帯びているともいえる。すなわち一民族に宿る無数の自我が、守護神の内に結晶して、一つの国民的精神、一つの国魂《くにたま》を形成しているのである」これがごく最近に、欧米の知識人の筆から出てきた言葉なのですから、意外な感じに驚かされるのです。まさに日本の古典を、心霊科学的に解説したように見えるではありませんか。 さてここで一言注意が必要なのは「豊芦原之水穂国」の名称です。普通我が国の人たちは、これを日本国の事であると解釈していますが、一部の論者は「水穂国」は世界を指し「芦原中国《なかつくに》」というのが日本を指すのであると主張します。子細に古事記の本文を熟読してみると、どうも私どもは、後の見解が正当ではあるまいかと考えるものですが、もちろん取捨の判断は、読者にお任せします。そこはとにもかくにも、この一段が地上における日本国の形式の由来、日本国民が理想と信念の目標と仰ぐべき神霊の何であるかを、力強く物語るものであると考えられます。 [註]日本神話の含蓄は非常に深く、片言やちょっとした言葉の中に重大な意味が隠されているから、その全部をとらえることは容易ではありません。この一段なども、よく味わえば、その中に最も重大な地上経綸の秘策が暗示されており、現代の日本国民に対して、極めて痛切な教訓を垂れているようです。大国主命とは何か? 言うまでもなく、広大な土地を横領して、罪のない人民を苦しめるいわゆる大国でなくて何でしょう。次に天菩鳴女とは何か? 言霊的に考えると、これらはそれぞれ武力、外交、宗教などの働きを指すものらしい。これらのすべてが失敗したときに、最後に出てくる建御雷神とは何か? 言うまでもなく、これは双刀の神剣の発動です。この剣は相手が不正なら相手を斬り、自分が不正なら自分を斬るのですから油断なりません。日本国としては、その武を用いる前に、まずもって正義であらねばならないゆえんです。 (五)天孫降臨----いよいよ日本民族にとって、寝ている間でも忘れることのできぬ天孫降臨の物語です。ここに天照大御神は高木神《たかぎのかみ》(高御産巣日神《たかみむすひのかみ》)の招きを受けて、天忍穂耳命《あまのおしほみみのみこと》に向かい「今葦原の中津国は平定したとのことである。汝は最初申しつけられたとおり、彼の国に降りてよく統治めされよ」と仰せになりました。すると天忍穂耳命は、「私が出発しようと用意していますとき、ちょうど邇々芸命《ににぎのみこと》という子が生まれました。この子が適当と思います。この子を降ろしていただきましょう」とお答えになりました。それで、忍穂耳命の申されることにしたがって、天照大御神は、皇孫邇々芸命に向かわれ、改めて「この葦原水穂国は、汝が治むべき国であるぞ」と仰せつけられると、邇々芸命は「勅命《おおせ》の通りに天降って治めましょう」と申して、いよいよご出発の準備に取りかかり、かくて猿田彦神を御先導として天児屋命《あめのこやねのみこと》、以下いわゆる五伴緒《いつとものを》と称する代表的臣系の神々、その他を従えて、三種の神器をささげて、筑紫の日向の高千穂の串觸嶽《くしぶるだけ》に降臨される。その年代は、神武天皇の御言葉として日本書紀に出ているところによれば、実に当時をへだたること百七十九万二千四百七十年余りの昔だとあります。 この一段に至って古典の擬人的筆法はいよいよ精彩を加え、その結果、とにかく唯物的観念に引きずられがちな近代の人々は、のきなみにこの神事を、物質的現象界の人事のように考え、その間に多くの笑止千万な、牽強付会な伝説も発生しましたが、言うまでもなく天孫降臨の物語は、神代記の他の部分と同じく、主として心霊科学の見方でこれに挑む以外に、絶対に正解の道はないのです。すなわち天孫降臨とは、肉体をもっての外出とか、ご出発とか言ったような、そんな同一平面上のあさはかで卑俗な問題ではなく、太陽神霊界を代表する一大神霊が、地球神霊界の主宰神たる御任務を引き受けられ、そして地上に分霊を降ろして、高貴さ尊さが比べるもののない霊統樹立の第一歩を踏ませられた破天荒の一大神事なので、いわゆる天孫系なる優良民族の発生は、実にその淵源《えんげん》をここに発するのです。無論人類が今日のような状態まで進化を遂げるには、その間に多大な歳月を要したことで、書紀に示された百七十九万年あまりの天啓的数字は、たしかに現代の学者に、一つの有力な暗示を与えるものと考えられます。とにかくわれわれが真に日本の国のなりたちの由来、また日本の皇統の淵源を正しく理解しようとするなら、一切の先入観や、子供っぽいお国自慢や、どこにも通用しないような独りよがりの独断説やらを、奇麗さっぱりとかなぐり捨て、まったく白紙の態度をもって、永遠に不滅の真理の指示に従わねばなりません。無論古典の中には、日本国内の地名がいろいろとかかげられています。が、これは別に第二義的な意味が含まれているので、古典の第一義的精神を味わおうとすれば、しばらくそれらを考慮の外に置く用意が肝要です。なぜならば、日本神話の主脈は、最初から最後まで超現象的神霊界の物語であり、従ってそれは人類以前の物語なのですから……。 天孫降臨の記事については、われわれとして述べたいことが、まだたくさんありますが、何より肝要な事柄は、過去、現在、未来を通じて、とこしえに地の神霊界に君臨したまう、日本民族の大守護神、皇孫邇々藝命についての正しい認識にあると考えられますので、枝葉の点はこれを省略することにいたします。なお天孫降臨につづく神代の記録についても、しばらく手をつけないことにして、これから日本神話の解釈に関する、私どもの意見を総括的に開陳し、識者のお教えを乞いたいと考えます。
言うまでもなく、日本古典、ことにその神代記のような天啓的産物は、その含蓄が非常に深く、したがって単なる一方的見解をもって、すべてを決めつけることは絶対に禁物で、いやしくも純粋な研究者なら、常に充分に大きな心構えで、さまざまな解釈に臨む用意が大切です。わが国でも古典に対する見解は、かなりたくさん現れています。言霊学的解釈、言語学的研究、人類学的・考古学的考察、比較神話的研究……そのほかまだまだいろいろあるでしょう。それらの中には、相当学術的価値のあるものも少なくないとは考えられますが、しかし日本古典をつらぬく中枢的精神は、主として心霊科学の知識をもって、これを把握するより他には、絶対に道がないと信じます。何となれば、超物質的内面世界の事象は、それを探ることをもって生命とする心霊科学の当然の受け持ちにかかり、心霊科学以外の何物をもってしても、とてもその代理をつとめることはできないからです。この事ばかりは、この際ぜひ有識者の十二分の諒解を願いたい。ひとり日本のみならず、世界中の聖書経典の内容は、今やまさに心霊科学の鍵をもって、遺憾なく開かれつつある真っ最中なのです。 日本古典の啓示に対する、心霊学的見解がいかなるものであるかは、前段で述べた中に、すでにその一端を漏らしていますが、こと極めて重大ですから、改めて次にその要点を箇条書きすることにします。---- (一)日本古典のいわゆる「神代」は、超物質的神霊界のことである。 (二)神代と神武時代との間には、「界」の隔たりがある。 (三)神代の物語は、全部一種の擬人的表現法を用いている。 (四)神代の場所として出ている地名は、現世界の地名と何ら直接の関係がない。 (五)古典中の神々は、単なる過去の存在ではない。 (六)古典の神名は、神格の定義である。 以上六箇条は、古典解釈の鍵としては、まだ頗る不完全を免れないとは思いますが、ともかくこれだけの用意さえできていれば、今までしばしば見受けられるような、幼稚で愚劣な迷信的見解に陥って、世間の物笑いを招くようなことにはならないかと信じます。
以上ひとまず日本の神代記についての検討を終り、最後に私どもは、思い切って今までわれわれ日本国民が陥っていた、ひとつの重大な錯誤、重大な認識不足を指摘して、親愛なる同胞の深い考慮と、反省とをうながしたいと思います。ほかでもない、それは 実をいうと、こういった考えが、私どもの胸に宿ったのは、かなり以前のことですが、問題があまりにも重大で、万一にもそれが見損ないであって、いたずらに世の中を騒がすようなことがあってはならないと思いましたので、私どもは、しばらくすべてを心の中に納め、じっと我慢して行動を慎み、ひたすら微力をつくして、ますます超現象界の探求に当りましたが、その後幽明交通の途が発達するにつれ、神霊界の真相が明らかになればなるほど、私どもの邇々芸命の神格についての理解や信念は、いよいよ盤石不動のものとなりました。折りも折り、欧米の純粋な心霊学徒の間からも、太陽神ならびに国家の守護神に対する研究が、次々発表されるようになりました。(「国家の守護神」参照)これは恐らくいわゆる天の時が到来したものと見なして間違いないのではと考えられます。また日本国内においても、国民の思想や信念を統一集中すべき大目標たる存在の必要性を叫ぶ声が、日一日と高まりつつある現状です。これは断じてただごとではないと信じます。 私どもは元より微力で才能も乏しく、このような重要問題の提唱者、また実行者として、あえて適材をもって任ずるものではありませんが、ただいたずらに沈黙を守ることが、スピリチュアリストとして、また日本国民として、決してその責任を果たすゆえんではないと確信されますので、ここに年来の沈黙を破って、謹んで親愛なる九千万同胞に、日頃の考えを披露することになった次第です。これに関する実行の手段、方法、施設、計画などについては、それぞれ考えがないわけでもありませんが、それは別に適当な機会に発表して、広く識者のお教えを乞い、もって万が一にも間違いのないようにしたいと考えているのです。(昭九・九月)
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