心霊学研究所
『心霊学より日本神道を観る』
浅野和三郎
('01.01.03作成)
日本国の物質的環境が、この頃ようやく世界的水準に達したことは、今日の軍縮会議におけるわが国代表の盛んな気迫でもよく判ります。国力が充実しないうちに、いかに気迫を出そうとしても出せるものではありません。「なにくそッ!」という自信があればこそ、自分が正当であると考えることを、列強の前にズバリズバリと言明し得るのです。が、ひるがえって日本国の精神界を見渡すと、これはまた何という貧弱さでしょう。世界的水準どころか、まだ独り立ちさえもできない状態で、卑屈にも千年も二千年も前にできた既成宗教、既成学説の前に、ペコペコ頭をさげている。これはまさに英米の前に頭を下げた、往年の追随《ついずい》外交以上の醜態です。 なぜ日本の精神世界が、そんなに貧弱なのか、その理由は極めて明白です。つまりこれにたずさわる人たちが、あまりにも時代遅れだからです。----というと、彼らは怒るかも知れませんが、それが事実だから何とも仕方がありません。彼らがこね回すのは、カビの生えた経典とか、暗中模索の哲学書と言ったもので、ほとんど全く最新の科学的知識に欠けています。なかでも彼らに欠けているのは、最新科学中の最新科学である心霊科学の知識です。心霊科学についての概念さえも持たずに、思想信仰を口にしようというのだから、全くいい気なもので、ちょうど電気の知識なしに電気機械を取り扱い、薬物の知識なしに投薬を試みようとするようなものです。無責任と言おうか、無鉄砲と言おうか、呆れて物が言えません。 ためしに考えてみてください、なぜこんにち日本の陸海軍が、これほどまでに充実したのでしょうか? ほかでもない、陸海軍の先覚者たちが、早くから近代兵器の必要性に目覚め、意地を捨てて学習すべきは学習し、改良すべきは改良して、血の出るような刻苦《こっく》研磨《けんま》の幾十年を重ねてきた賜物《たまもの》ではありませんか! その他、紡績《ぼうせき》事業も、繊維《せんい》工業も皆同じです。いたずらに古い形式を守っていたのでは、決して今日の盛況は実現できなかったのです。 とにもかくにも、現在の日本の文化は、極端にかたよった発達をしています。形而下的準備はほぼ出来ましたが、形而上的準備は、まださっぱり出来ていないのです。そしてその最大の原因は、日本の学者、宗教家などが、呆れたほど不勉強な不精者で、すこしも新時代の新しい気運に付いて行かず、口先だけでゴマカシばかり行なっているからなのです。 が、私がただこう言い放ったのでは、単なる悪罵《あくば》のための悪罵と見られるおそれがありますから、これから少し実例を挙げねばならないでしょう。槍玉にあげられるご本人には、少々気の毒ですが、理由を言わねば道理が通らぬ以上、今さら何とも致し方ありません。----ちなみに今回の実例は、しばらく神道関係に限るとしましょう。仏教、キリスト教、あるいは近頃続出しているインチキ新興宗教の連中に向かって、いかに道理を説いて見たところで、先人的迷信にあまりにも深く囚われているので、とてもまだ眼を覚ますところまで行かないだろうと推定されるからです。そこへ行くと、まだ神道関係の人たちのほうが、よっぽどましです。途中の計算ができないだけで、答えだけはどうやら知っています。ここが日本神道のありがたいところです。神道以外に至っては、計算も答えもすべてが間違いだらけです。 さていよいよお約束の実例ですが、しばらく神道雑誌『神風』の最新号に掲載されている、中村孝也文学博士の『神武記の底流たる祖神崇敬の信仰』でも引用することにしようと思います。これなどは現代の日本の学者の筆によるものとしては、むしろ一頭地を抜いた方で、だいたいの趣旨は間違っていないのですが、惜しむらくは途中の運算が、さっぱり出来ていないので、合格点は付けられないのです。心してください、二十世紀の人間が求めるべきは、途中の運算です。運算さえ正しければ、その必然の帰結として、正しい答が出るのです。運算から答は出ます。しかし答から運算は出ません。 中村博士は一番最初に、私たちの祖先が心に抱いた敬神崇祖観念を述べています。「古代人は生命を二元的に考えて、肉体は滅亡するけれど、心霊は不滅であると考え、その復活の思想すら持っていました。心霊が蘇る思想です。このようにして自分の生命の源を、肉体と心霊との両面から考えれば、自然に祖先崇拝の思想と、神社崇拝の思想とが出てくるのです。……これが古代人の精神生活を指導する力でありまして、宗教も、道徳も、一切はこのひとつの大きな力によって統率されています」 大体において、日本精神の本質を掴んでいると言って良いのですが、ただ中村博士は、どうしてこれを『古代人の精神生活』と称するのでしょう? 現代人の知りたいのは、右のごとき精神生活が正しいか、正しくないかという問題です。古代人の精神生活が間違っていれば、ただちにこれを改め、もしそれが正しければ、何があってもこれに従う、ただそれだけです。中村博士の態度は、この点において、まず非常に煮え切らないと言わねばなりません。 続いて中村博士は、神武《じんむ》記の中から、敬神崇祖の代表的実例の八ヶ条を挙げています。実例としては決して不当ではありませんが、近代心霊科学の知識に乏しいために、遺憾ながら、その解釈ならびに推論がほとんど皆ゴマカシになっています。「宝の山に入りながら手を空しくして帰る」とは、恐らくこんなことを指すのでしょう。返す返すも惜しいことです。日本の学究《がっきゅう》、日本の神道家が、こんなヘマなマネばかりしているから、日本の精神界がいつまでも暗黒なのです。 中村博士の挙げた実例の第一は、かの有名なご東征《とうせい》の大詔《たいしょう》です。「昔、高皇産霊神《たかみむすひのかみ》と天照大神が、この豊葦原瑞穂国《とよあしはらみずほのくに》を、祖先の邇々藝命《ににぎのみこと》に授けられた」以下「そこに行って都をつくるにかぎる」に到っています。ここで、何より不思議なことは、中村博士がこの詔勅《しょうちょく》の要点とも言うべき、大切な年代をわざと省略していることです。本文には「代々父祖の神々は善政をしき、恩沢が行き渡った。天孫が降臨されてから、百七十九万三千四百七十余年になる。しかし遠い所の国では、まだ王の恵みが及ばず……」とあるのですが、中村博士は、勝手に右の天孫降臨以下の文字を削っているのです。これでは、同氏が自分に都合のよい箇所は引用するが、自分に都合の良くない箇所は、これを省いて知らぬ顔をする人だと言われても、仕方がなさそうです。 われわれスピリチュアリストからいえば、実はこの数字こそ、非常に貴重な数字なのです。世界中に多くの啓示はありますが、地質学、その他の最新の科学から観て、これほど可能性の高い数字は、どこにもありません。仏教の方では、やたらに何々劫《こう》年と言ったような漠然とした数字を説き、支那では各々一万八千歳などという、デタラメな数字を並べ、まるきり問題になりません。そこへ行くと、右に掲げられた百七十九万年は、地上生物の発達程度をもっとも有力に暗示し、天祖邇々藝命の降臨の意義が、初めて解釈が出来るのです。 それにしても中村博士をはじめ、日本の学者たちが、軒並みに右の百七十九万年の数字を厄介視している原因は、そもそもどこにあるのでしょう?----他でもない超現象的エーテル界、並びにその居住者についての知識が皆無だからです。日本のいわゆる国つ神である邇々藝命を、人間として扱おうとしています。無知のさせる事とはいえ、実はこれほど道理に合わない……イヤこれほど不敬なる認識不足はないのです。こんな認識不足で、日本精神を説こうとするから、『古代人の精神生活』などという煮え切らない文句が、自然に発生するのでしょう。まことに困った話です。 中村博士があげた第二の実例は、しばらくそのままにしておいて、第三にあげたのは、神武天皇が高倉下《たかくらじ》から神剣を得た事蹟です。これなどは一つの霊的事実として、押しも押されぬもので、神武天皇の背後に、いかに有力な守護霊団が働いていたかが、よく判るのです。が、これは学術的見地からみれば、いわゆる『物品引寄せ《アポーツ》』現象に属するもので、これをもってただちに天つ神《あまつかみ》のご加護の証拠であるとすることは間違いです。高倉下はどこまでも、高倉下という人間として取り扱うべきです。さもないと単なる迷信を広める事になってしまいます。現在物品引寄せ現象を行ない得る霊媒は、日本にも西洋にもたくさんいます。天つ神のご加護があるから、物品引寄せが出来るなどと言ったら、とても納まりがつくものではありません。 第四にあげられているのが、八咫烏《やたがらす》の導きの物語です。これも立派な霊的事実で、神武天皇がいかに優れた霊覚の所有者だったかが、非常によくうかがわれるのです。中村博士がこの例に目をつけたのは非常に良かったが、欲をいえば、もっともっと突っ込んだ学術的解釈を加えてもらいたかったのです。昔起こったことは、今でも起こるのです。そこに心霊科学の活きた働きがあります。単なる昔話、単なる奇跡として取り扱われては、日本精神が泣きます。 第五にあげられた、丹生《にふ》川の川上における天神地祇《てんじんちぎ》奉斎《ほうさい》(訳注:全ての神々をお祭り申し上げること)、ならびにこれに関連する魚の物語----これも霊的事実として取り扱われる時に、初めて活きてきます。博士はこれを説明して「ここには天神地祇とありますけれども、もちろん思想から申しますと、その中心として天照大神を始め奉り、天神地祇のお力にすがって、事の成功をお祈りになったのです」と言っていますが、なんと中途半端な言説でしょう。天照大神が高天原《たかまがはら》(太陽神界)をお治めになる、もっとも尊くもっとも高貴な大神であることはもちろんですが、豊葦原瑞穂国(地上)の主宰神としては、すでに天孫邇々藝命をご任命になられているのですから、いちいち地上の問題にご干渉遊ばすはずもあるまいというものではないでしょうか? 組織を無視し統制を無視したような見当外れの見解は、かえって人心を乱すおそれがあります。日本の現在の思想信仰の乱れも、その原因を探れば、詮ずる所そこに帰結します。邇々藝命の統治権の確固たる認識なしに、どこに日本の国家の体裁が明らかになると思うのでしょう! 第六の実例は、長髄彦《ながすねひこ》と戦われた時に起こった、金鶏《きんし》の言い伝えですが、中村博士は例によって、こんなことを書いています。「いかなる方が、この金鶏をおつかわしになったのでありましょうか、文章には天照大神の御名が明示されていません。けれども、これもまた天照大神のご意思から出て、天皇の軍が神のしるしを得たというのが、筆者の言わんとするところです」----筆者が何を言われようと、勝手かも知れませんが、日本国民としては、こんな非学術的な解釈を聞かされるのは、どんなに迷惑か知れません。何となれば、それは盲目的迷信を広めること以外の何ものでもないのですから……。 第七にあげられているのは、ご即位の記事ですが、相変わらずまったく要領をつかんでいません。神武天皇のご詔勅には、「上は天神の国をお授け下さった御徳に答え、下は皇孫の正義を育てられた心を弘めよう」と仰せられています。言うまでもなく、天神は天照大神を指し奉り、また皇孫は邇々藝命を指し奉っています。しかるに中村博士は、右の詔勅の前半のみを認め、後半を無視しようとしているらしいのです。こんな無茶苦茶な事で、どうして国の体裁の真価が発揮され、国論の統一が約束されるでしょう。 実例の引用はこの辺で止めておきますが、以上略述したところを見ても、いかに現在の日本国が、思想的また信仰的に、まだ真の黎明期に達していないかが判ると思います。これは日本の古典が、不完全なためではなく、また日本精神が貧弱なためでもありません。ただ日本国民がいかにこれを明らかにし、いかにこれを盛んにするべきかの学術的準備、とりわけ心霊科学的準備に欠けているためです。私はたまたま手元に雑誌『神風』があったので、中村博士の言説についてのみ批判を加えることになりましたが、これは断じて同博士一人の罪ではありません。日本の学者、神道家などのほとんど全部は、いずれも似たり寄ったりです。私としては、むしろ同博士に対して気の毒に感じながら、この一文を草した次第です。(昭、十一、一、十六) 日本書紀からの引用部分は、講談社学術文庫/『日本書紀(上)全現代語訳』/宇治谷 孟著、を参考にさせていただきました。(訳者) |