「あなたの(霊の世界を見る)目がさえぎられているのが残念でなりません。(霊の声を聞く)耳が塞がれているのが残念でなりません。その肉体の壁を超えてご覧になれないのが残念でなりません。あなたが生きておられる世界が影であり実在でないことを知っていただけないのが残念でなりません。あなたの背後にあって絶え間なくあなたのために働いている霊の力をご覧にいれられないのが残念でなりません。数多くの霊----あなたのご存知の方もいれば人類愛から手を差しのべている見ず知らずの人もいます----があなたの身のまわりに存在していることが分かっていただけたら、どんなにか慰められるでしょうに。地上は影の世界です。実在ではないのです。」(P.29)
背後霊とか守護霊という言葉があります。よくテレビに出ている有名な霊能者が、ある人を霊視して「あなたには守護霊はいませんね」とか何とか言っていたことがあって「ああ、世間一般の認識なんてこんなモンか」と思ったことがありました。それにしても、よく人に向かって守護霊がいないなどと(思いやりのかけらもなく)言えたものです。上のシルバーバーチの言葉とはなんたる違い(-_-;;
ま、それはともかく。私たちが生まれてくる前の(霊界での)友人達や、この世で先立たれた友人が、今でも私たちを助けてくれていると思うと、確かに慰められます。もちろん慰められるだけではダメで、彼らの労に報いることが出来るよう頑張らなくてはいけないわけですが、なかなか難しいですよね。(^_^;ゞ
「四季の絶妙な変化、途切れることのない永遠のめぐりに思いを馳せてごらんなさい。すべての生命が眠る冬、その生命が目覚める春、生命の世界が美を競い合う夏、そしてまた次の春までの眠りに備えて自然が声をひそめはじめる秋。
〜〜〜略〜〜〜
同じサイクルが人間一人の生命においても繰り返されております。大自然の壮観と同じものが一人一人の魂において展開しているのです。まず意識の目覚めとともに春が訪れます。続いて生命力が最高に発揮される夏となります。やがてその力が衰えはじめる秋となり、そして疲れはてた魂に冬の休眠の時が訪れます。しかし、それですべてが終わりとなるのではありません。それは物的生命の終わりです。冬が終わるとその魂は次の世界において春を迎え、かくして永遠のサイクルを続けるのです。」(P.30)
「冬」の部分はスピリチュアリズムで言うところの「サマーランド」または「ブルーアイランド」などと呼ばれている所のことと解釈すればいいでしょうか。宗教の世界では「極楽」とか「天国」と呼ばれている場所で、悟りを開いた(どの程度の悟りかは別にして)という人がかいま見るのもこの程度の世界だそうですが、要するに、この世から霊界に行く前の魂の休憩所のこと。
そこでこの世の疲れを癒して、ある人は霊界へ、またある人はもう一度この世に誕生するのでしょうね。
スピリチュアリストとして活躍していた同志が他界したことを聞かされてシルバーバーチは----
「大収穫者すなわち神は、十分な実りを達成したものを次々と穫り入れ、死後にたどる道をより明るく飾ることをなさいます。
肉眼の視野から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私たちの世界ではまた一人物質の束縛から解放されて、言葉では言い表せない生命のよろこびを味わいはじめる魂を迎えて、うれし涙を流します。私はいつも“死”は自由をもたらすものであること、人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しい自由、新しいよろこび、そして地上で発揮せずに終わった内部の霊性を発揮する機会に満ちた世界での生活を始めたことを知って喜んでいることを説いております。ここにおいでの方々は、他界した者がけっしてこの宇宙からいなくなったのではないとの知識を獲得された幸せな方たちですが、それに加えてもう一つ知っていただきたいのは、こちらへ来て霊力が強化されると必ず地上のことを思いやり、こうして真理普及のために奮戦しているわれわれを援助してくれているということです。」(P.32)
私たちが平和に暮らしているこの瞬間にも、世界の他の場所では戦争や飢餓などで何万という人達が死んでいます。その悲劇に思い至る時、私たちは涙を流します。しかし霊界側から見れば、このような信じられないほどの悲劇も、決して100%の悲劇というわけではなく、他界した方々にとっても、ある意味では喜びでさえあることが分かります。
もちろん、だからといって、親しい人達と離ればなれになる事に変わりはないですし、この世に肉体を持って生きている「人間」にとって“死”が悲しい事、重くのしかかる悲しみであるのは間違いありません。が、本当は、それは悲劇ではない、悲しいことではない、涙を流すような事ではない....と、それを知る事ができたこ
とは、せめてもの慰めではないかと思います。
「私たちの目的は魂を解放することだけではありません。
〜〜〜略〜〜〜
挫折した人を元気づけ、弱き者、寄るべなき者に手を差しのべ、日常の最小限の必需品にも事欠く人々に神の恩寵を分け与え、不正を無くし、不平等を改め、飢餓に苦しむ人々に食を与え、雨露をしのぐほどの家とてない人々に住まいを提供するという、こうした物質界ならではの問題にあなた方が心を砕いている時、それは実は私たち霊の世界からやってくる者の仕事の一部でもあることを知っていただきたいのです。その種の俗世的問題から超然とさせるために霊的真理を説いているのではありません。霊的な真理を知れば知るほど、自分より恵まれない人々への思いやりの気持ちを抱くようでなければなりません。」(P.34)
戦争・地震・事故など、多くの人が亡くなる悲劇の裏では、この世からの救援はもちろん、霊界からの救護団も大集結していると言います。その詳細はここでは省きますが(詳しくはハート出版刊『ブルーアイランド』に書かれています)霊界の人達だけではなく私たちも、そうした現に今起こっている悲劇の前に、はたして何ができるのかを考えなければいけないと思います。
そうした私たちの意思や行動を通してこそ、霊界側も十全な働きができるわけですし、私たちにとっても、何もしないで済ませてしまうようでは霊的な事を勉強している甲斐がありませんものね。
それでは最後に、二章の締めくくりの言葉をご紹介します。引用権の認められる範囲を超えて長くなってしまいますから、適当に略しました。テキストを持っている人は、そちらをご覧ください(本を買って読みましょう、という事です(^^))。略した部分には「/」を入れてあります。
「鏡に映るあなたは本当のあなたではありません。真のあなたの外形を見ているにすぎません。身体は人間がまとう衣服であり、物質の世界で自分を表現するための道具にすぎません。その身体はあなたではありません。あなたは永遠の霊的存在であり、全宇宙を支えている生命力/大霊の一部なのです。その大霊と同じ神性をあなたも宿しているという意味において、あなたも神なのです。本質において同じなのです。程度において異なるのみで、基本的には同じなのです。/
/身体の内部に、いつの日かすべての束縛を押し破り真実のあなたにより相応しい身体を通して表現せずにはいられない力を宿しておられるのです。そうなることをあなた方は死と呼び、そうなった人のことを悼み悲しんで 涙を流されます。それは相も変わらず肉体がその人であるという考えが存在し、死が愛する人を奪い去ったと思い込んでいる証拠です。
しかし死は生命に対して何の力も及ぼしえません。/死は生命を滅ぼすことはできません。/もしあなたが霊眼を持って眺めることができたら、/肉体という牢獄からの解放をよろこんでいる、自由で意気揚々として、うれしさいっぱいの甦った霊をご覧になることができるでしょう。
その自由を満喫している霊のことを悲しんではいけません。毛虫が美しい蝶になったことを嘆いてはいけません。カゴの鳥が空へ放たれたことに涙を流してはいけません。よろこんであげるべきです。そしてその魂が真の自由を見出したこと、今地上にいるあなた方も神より授かった魂の潜在力を開発すれば同じ自由、同じよろこびを味わうことができることを知ってください。死の意味がおわかりになるはずです。そして死とは飛び石の一つ、ないしは大きな自由を味わえる霊の世界への関門にすぎないことを得心なさるはずです。/」(P.35-38)
(初出1/19/95 Nifty-Serve FARION mes(13) )
(少し内容を書き換えました6/5/97) |