心霊学研究所
『シルバー・バーチの霊訓(5)』を読む
この第5章のレジュメを書いたのは95年の6月、つまり地下鉄サリン事件の犯人がオウム真理教であることが分かってきて、世間が騒然としていた時期でした。我が心霊学研究所でも時流に乗って(^^;、オウムの事も例に挙げながら説明したりしました。
オウム(に限りませんが)の修行というのは、ちょうどこの逆の事をやっているわけです。「人生の楽しさ、明るさ、安らぎを奪」って、俗世から隔離された無知の状態に置き、薬を使った物質的な悟り----実のところ、それは悟りなんかとは全く関係ない状態なんですが----に満足しているのですから。 彼らが麻原彰晃の悟りの証拠として胸を張る「超能力」も、しょせん物質的な力に過ぎません。空中浮遊が最終解脱者の証拠だなどと思っていることが、すなわち、彼らがまだ、「物質万能主義」から一歩も出られないでいる証拠だと言っても良いでしょう。(ま〜それ以前に、麻原が空中浮遊をしたということが「???」なんですが(^^)) さらに、「修行が遅れる」という理由で肉身の面会を拒否するに至っては、「自己中心主義」ここに極まれり....と言えるでしょう。
とはいえ、どんな辛いことや悲しいことがあっても、それが『心霊学的』に見るとどんな意味を持っているのかを考えるだけで耐えられる……というほど世の中単純ではないでしょうね、やっぱり(^^;。たとえ「霊的観点から観たら、素晴らしい意味のあることなんだ」と思おうとしても、正直に言えば、挫けるときはやっぱり挫けますし、泣けるときはやっぱり泣いてしまいますよね(;_;)(そんなことでドーする!) しかし、たとえ挫けたとしても、スピリチュアリズムの知識さえあれば、「訳も分からず、ただ辛いだけで終わった」ということにはならない(少なくともなりにくい....ハズ(^^))ですし、成長への教訓にし易いのは確かだと思います。 と、これでは間違った印象を与えてしまいそうなので一応補足しておくと、本当は挫けちゃあイカンのです。シルバーバーチが言っているのは、「霊的真理を理解した人間は、どんな厳しい試練にも負けることはない。しょせん物質の世界でしかないこの世には、本来霊的存在である人間を挫けさせることが出来る事など絶対に起こり得ないのだから。」ということなのですから。 もちろん僕も、頑張って試練を乗り越えます。本当です(^^)。(と、わざわざ付け加えるところが却ってあやしい!?(^^;)
僕は昔は、いろいろな宗教の人と話をするのが好きで、ごくマレにですが、道端でお祈りとか布教をしている人をつかまえて(^^;、お話をしていたことがありました。(と言っても、決して議論をふっかけていたわけではありませんよ(^^)) それで、ある宗教団体の人と話しをしていたときに、こんな事を言われたことがありました。 「理性」は人間が神から与えられた能力の一つです。神を理解するために理性を使っていけないはずがありません。シルバーバーチも、理性を使って判断することを求めています。 ところで、世の中の宗教で、理性的に検討しても信じられるものが、いったい幾つあるでしょうか?
いかに立派な寺院を持っていようとも、霊力が働いていなければ宗教とは言えません。僕は先日イタリアでたくさんの教会を見てきましたが、それが巨大であればあるほど「こんなところに霊力が働いているものか!」という気持ちになりました。あれだけのものを造るためには、かなり大きな犠牲が払われているはずだからです。そんな場所に、高級霊が降りてくるでしょうか? 幾多の屍を乗り越えて、信仰のために? まさか。 しかし、過去の古い信仰は急速に力を失いました。そして、この地上世界に再び高級霊界からの霊力が働きかけていることを、スピリチュアリズム運動は示しています。
この地上世界をスピリチュアライズ(霊的に刷新)しようとする霊的世界からの働きは、絶対に後退することはありません。なぜなら、この「霊的真理を啓蒙する運動」は、この世だけで行われているのでは無いからです。霊界の上の世界から下の世界へ、さらに幽界の上層から下層へと順番に、気の遠くなるほどの年月を掛けて行われてきたからです。それが19世紀の中半になって、ようやくこの世に届いたという事なのだそうです。 (初出06/14〜15/95 Nifty-Serve FARION mes(13) ) |