六章では、イエス・キリストについて語られます。
2000年前に人類のために地上世界で働いたイエスという人物は、今も地球を霊的に浄化(スピリチュアライズ)する計画の最高責任者として働いているということから、話は始まります。
「私はレンガとモルタル、祭壇と尖塔(セントウ)でできた教会には何の興味もありません。何の魅力も感じません。建造物にはまるで関心がないのです。私が関心を向けるのは〃魂〃です。それで私は神とその子の間に横たわる障壁を取り除くことに奮闘しているのですが、不幸にして今日では教会そのものがその障壁となっているのです。これほど大きな罪悪があるでしょうか。宇宙の大霊である神は一個の教会に局限されるものではありません。一個の建造物の中に閉じ込められるものではないのです。神の力は人問各自がその霊性を発揮する行為の中に、すなわち自我を滅却した奉仕の行為、困窮せる無力な同胞のために一身を捧げんとする献身的生活の中に顕現されるのです。そこに宇宙の大霊の働きがあるのです」
肝心なのは入れ物ではなく、中身だということですよね。教会などの建物が立派だと、ついそれに目を奪われてしまって、そこでお祈りをすると神さまに通じ易そうな気がしてしまいますが(そんなこと無い?(^^;)、世の中そんなに甘くありません。いかに立派であっても、建物は所詮“モノ”でしかありません。霊的世界からは、何の価値も見いだせないものなのです。
そんな物よりも、各個人が日常生活の中で発揮する“霊性”の方が遥かに尊く、神に通じるハズです。神の分霊である人間の魂は、どんな建造物よりも----たとえばサン=ピエトロ寺院よりも----神に近いのですから。
ま、もちろん一概に「教会なんて意味無い」と、言い切れない部分もあります。古くからの教会や神社の中には、霊的なエネルギーの集まるポイントのようなところを選んで建てられている所もありますし、まつられている神さまが実際に関与していることもあります。そういう意味で、特に日本の神道なんかは案外馬鹿に出来ないみたいです。
そういうことは『小桜姫物語』とか『新樹の通信』のような日本の霊界通信を読むと、いろいろ書いてあって面白いです。よろしければご一読ください。
「確かにキリスト教界にも奇特な行いをしている真摯な人材がそこここに存在します。が私が非難しているのはその組織です。それが障害となっており、ぜひとも取り除かねばならないからです。真の宗教には儀式も祭礼も、美しい歌唱も詠唱も、きらびやかな装飾も豪華な衣装も式服も不要です。宗教とは自分を役立てることです。同胞のために自分を役立てることによって神に奉仕することです」
またまた断言してしまいますが、組織とは腐敗するものですからね。確かに一人の力には限界がありますし、成し遂げねばならない仕事の内容によっては、何らかの組織が必要なこともあるとは思います。それはそれで意味のあることだと思いますし。しかし、こと“宗教”に関しては、組織という形は疑問ですね。
それとも、何か組織がなければ出来ない重要な事、“宗教”にもあったっけ?(^^)
「誤解され、崇められ、今や神の座にまつり上げられてしまったイエス----そのイエスは今どこにおられると思われますか。カンタベリー大聖堂ではありません。(略)実はそうした建造物がイエスを追い出してしまったのです。イエスを近づき難い存在とし、人類の手の届かぬところに置いてしまったのです。(略)
今なおイエスは人類のために働いておられます。それだけのことです。それを人間が(神学や儀式をこしらえて)難しく複雑にしてしまったのです。しかも今こうして同じ真理を説く私たちのことを天使を装った悪の勢力でありサタンの声であり魔王のそそのかしであると決めつけております」
何故そういう風になってしまったかというと、たぶん“イエス”を信じなくなったからではないでしょうか。と言うと「キリスト教なのにイエスを信じないって?」と、奇異に感じるかもしれませんが、少なくとも新約聖書をおとぎ話のようにしか読んでいないのだということは言えると思います。
本当にイエスに対する信仰を持っていて、その奇跡を信じているのならば、現代にも何らかの形で“しるし”としての奇跡が起こると考える方が自然です。実際には「大昔のおとぎ話」のようにしか思っていないから、心霊現象を認められないのでしょう。……教会も唯物主義に毒されているのでしょうか。
というのが僕の考えなんですが、どうなんでしょうねぇ。実際、僕は昔から、キリスト教や仏教の人がそれを信じてやっているというのが信じられない人だったんで(だってそうだよね。あんな“最後の審判”だとか、“仏様”だとか。信じられない方が普通でしょ?)、こんな風に思ってしまうのかもしれませんが……。
シルバーバーチが霊界の会議に出席するとき、交霊会が二・三週間のあいだお休みになります。次に紹介するのは、その休暇の前の交霊会での霊言です。
……っと、その前に。
シルバーバーチが霊界に帰るときに、普段は毎週開かれる交霊会がその時だけ何週間も休みになってしまうと言うことが何を意味するか、少し考えてみましょう。それはつまり、それなりの霊格を持つ高級霊がこの世に降りてくる為には、やはりそれなりの手順が必要であるということです。この世に来るにも霊界に帰るにも、何週間もかかってしまうとすると、ちまたの一部の霊媒のように過去の偉人をほいほい呼び出してしまうようなことはあり得ない事が分かります。そういう、誰でも呼び出してしまう(信頼性に欠ける)霊能者は、高級霊がこの世に降りてくるということの重大さが全然分かっていないのです。
実際、この世から離れていればいるほど、この世に降りて来るには相当の覚悟が必要になるのだそうです。それを踏まえて、次の霊言を読んでください。
「この機会(ペーパーバーチ注----本来所属している世界に帰ること)は私にとって何よりの楽しみであり、心待ちにしているものです。この時の私は、わずかな期間ですが本来の自分に立ち帰り、本来の霊的遺産の味を噛みしめ、霊界の古き知己と交わり、永年の向上と進化の末に獲得した霊的洞察力によって実在を認識することのできる界層での生命の実感を味わうことができます。(略)これまでに大切に仕舞ってきたものをこの機会に味わえることを私がうれしくないと言ったらウソになりましょう。(略)あらゆる民族、あらゆる国家、あらゆる分野の者が大河をなして集給して一堂に会し、それまでの仕事の進歩具合を報告し合います。その雄大にして崇高な雰囲気はとても地上の言語では表現できません。人間がインスピレーションに触れて味わう最大級の感激も、そのフェスティバルで味わう私どもの実感に較べれぱ、まるで無意味な、ささいな出来ごとでしかありません。
その中でも最大の感激は再びあのナザレのイエスにお会いできることです。キリスト教の説くイエスではありません。偽り伝えられ、不当に崇められ、そして手の届かぬ神の座にまつり上げられたイエスではありません。人類のためをのみ思う偉大な人間としてのイエスであり、その父、そしてわれわれの父でもある神のために献身する者すぺてにその偉大さを分かち合うことを願っておられるイエスです」
シルバーバーチが純粋に喜んでいることが良く分かります。それから「全地球的」規模で指導霊団が団結して、この地上世界のために会議を開くなどして働いていること、その中で最高に尊敬される存在として、ナザレのイエスが存在していることが分かります。
「あなた方と私たち霊団との愛の親密度が年とともに探まるにつれて私は、それがほかならぬ大霊の愛のたまものであると感謝していることを知っていただきたいと思います。(略)私を信じ、人生のすぺてを委(ユダ)ねるまでに私を敬愛してくださる方々の愛を一身に受けることができるのも、大霊のお力があればこそだからです。そのあなた方からの愛と信頼を私はこの上なく誇りに思います。(略)あなた方が堅忍不抜の心を失わず挫折することがなかったことをうれしく思います。(略)私の使命があなた方の努力の中に反映して成就されていくのを謙虚な目で確かめているからこそ、私はあなた方のその献身をうれしく思うのです」
60年もの長い間この世にいてくれたシルバーバーチに報いるためにも、我々は挫けてはいけないのだと、想いを新たにしました。僕の努力が、真理の中に成就するように。そして、僕が霊界に帰ったとき、シルバーバーチに出迎えてもらえるような人間になれるように。ムリ..カナ?f^_^;
「どうか常に希望と勇気を失わないでいただきたい。冬の雪は絶望をもたらしますが、再び春がめぐってくれば大自然は装いを新たにしてほほえみかけてくれます。希望に胸をふくらませ、勇気を持ってください。いかに暗い夜にも必ず登りゆく太陽の到来を告げる夜明けが訪れるものです」
心霊を学んで一番の収穫は、“絶望”というものから自由になれたことだと思います(あ、でも、他にも沢山「一番」があるかもしれない(^^;)。どんな逆境にあっても、たとえほとんど絶望的に見える状況に陥っても(そういえば、そういう事もありました(-_-)シミジミ)、それが本当の絶望ではないのだと思うことが出来ました。「この苦しみも明日への礎なのだ」と思うことが出来るんですよね。
常に希望を持って、夜明けに向かって歩く力を持てる人間。それこそ、真のスピリチュアリストです。
さて、自分の所属する世界から帰ってから開かれた交霊会でシルバーバーチは、霊界の会議の事を話します。これまでの成果が検討され、新たに計画が練り直されたことなどを述べ。そして……。
「そして、ちょっぴり私ごとを言わせていただけば----こんなことは滅多にないのですが----過去数か月問においてささやかながら私が成し遂げたことに対してお褒めの言葉を頂戴いたしました。もとより私はお褒めにあずかる資格はないと思っております。私は単なる代弁者にすぎないからです。私を派遺した高級霊団のメッセージを代弁したにすぎず、それをあなた方が広めてくださったのです」
ホワイト・イーグルという、これまたかなり有名な支配霊(交霊会に出て話しをする霊のこと)が、シルバーバーチを評して「あんなに謙虚な霊を、私は他に知らない」と言ったそうですが、上のように「良いことは全て他人のおかげ」とでもいうセリフを見ると、そう評されるのもとても良く分かります。そう言うホワイト・イーグル自身も、素直にシルバーバーチに脱帽してしまうあたり、かなりのもんだと思いますけどね。
そういえばニューエイジのチャネラーの所に出てくる「何とか存在(^^)」の多くは、他のチャネラーには批判的な場合が多いようですね。自分の正当性を強調するために、他の存在を貶める……。なんだかとっても人間的な感じはしますが(^^;あまり高度であるとは思えませんよね。「お里が知れる」と言うか……ねぇ。
(初出07/21〜22/95 Nifty-Serve FARION mes(13) ) |