スピリチュアリズム勉強会&座談会
('01.07.10作成)

第2回('01年6月23日)
「シルバーバーチは語る」1章〜2章

その1


 

参加者:有希、長田、ペーパーバーチ

第二回目の今回のテーマは、心の道場さんから出ている「シルバーバーチは語る」の1〜2章。前回と同じメンバーによる鼎談です。

 

1)「シルバーバーチは語る」とは

有希:この本は近藤千雄さん訳で、昨年「心の道場」から発行されたものです。シルバーバーチ関係の本は沢山ありますが、潮文社の「シルバーバーチの霊訓」から読む人の方が多いみたいです。でも、1巻から読んでも理解しにくいところがけっこうありますよね。

ペ:シルバーバーチの霊言集は(桑原訳も含めて)全部で21冊出ていますが、そうですね、潮文社の1巻は最初に読むにはちょっと内容が高度ですね。

有希:霊的な内容がわからない中であれを読むと、「あー、この言葉いいな」という感じで言葉の拾い読みになっちゃうと思うんです。それよりも、初めて読まれる方とか、もっとシルバーバーチを深く理解したい人はこの本から読んでいく方が一番いいのかなと思います。シルバーバーチがどういう存在であって、どういういきさつで交霊会が始まったかとか、霊媒者になるバーバネルとのつながりとか、そういうことが最初にちゃんと説明してあるし、誰でも知りたそうなことがピックアップされているような気がするので。

ペ:項目が沢山あって、色々網羅されていていいですよね。それから、人気のある子供との対話とか、牧師との対話なんかも入ってて楽しめますし。
潮文社の1巻は内容は高度なんだけど、言葉が易しいからみんなすらすら読めてしまって、判ったような気になっちゃう。実際、ほとんどの人は表面的な言葉の雰囲気を追うだけに終始して、語られている内容は理解できていない。これがかえって良くないと思うんですよ、すごく好きなんですけどね。最初に読むにはどうかな〜って思っちゃいますね。
その点これ(シルバーバーチは語る)は本国イギリスでも一番最初に出た本ですから、必要な予備知識なんかも全部書いてある。ええと、原書の初版は……(本を確認して)1938年ですから。

有希:そうですか、それならやっぱりこれから読むのがベストなんですね。

ペ:潮文社のシリーズが何でこれからじゃなかったかというと、桑原さんが先にこれを「シルバー・バーチ霊言集」として出していたので、同じものを同じ出版社から別の訳者で出すのはまずいという事があったようです。それで、これだけで1冊にせずに内容を分散して、あっちこっちに入れるという形でやったのだそうです。潮文社版のどこかに書いてありますよ。

有希:「古代霊は語る」より先に、桑原さんが訳したということですか?

ペ:奥付を見ると同じ日に出たことになってますね。「古代霊は語る」が好評だったから12冊のシリーズを出すことになったわけですから、近藤さんの1巻は桑原さんの後なんですよ。

有希:なるほどねー。

 

2)シルバーバーチとは何者か?

―シルバーバーチと呼んでいる霊は実はレッド・インディアンではない。−

有希:潮文社のを見ると、レッド・インディアンの肖像画がついているのでどうしてもあのイメージが強くて、シルバーバーチ=レッド・インディアンと思っている人が沢山いると思います。でもそうではなくて、あれは霊界での中間的な霊媒なんですよね。元々の語っている存在は地上に再生してくる必要が全くないくらいに成長した高級霊、だということしかわかっていないんですよね。

長田:シルバーバーチという名前に何か意味があるんですか?

ペ:SilverBirchという英語の意味なら「白樺」……ええと、木のシラカバのことですね。
でも、始めの頃は全然違う名前で呼ばれていたみたいですよ。交霊会の記録を公表する時に、一般に出すのに相応しい名前ということでシルバーバーチに変えたようです。名前を付けた翌日に海外から白樺の絵柄のエアメールが届いた(差出人が判っていたハズはないのに)というエピソードが、どこかに書いてあったでしょう? だから誰の名前でもないんですよ。

有希:どうして中間のレッド・インディアンを使わなければならなかったかがまず1つ押さえておかなければならないことかなと思うんですけど、どうでしょう。

ペ:シルバーバーチとこの世の波長があまりにも違いすぎて直接メッセージを届けられないということで、中継が必要になったということですね。

有希:例えば日本製の電化製品を外国で使う時の変圧器のような役割をレッド・インディアンがしてくれているのかなと思います。だからそれ位に地上が低いレベルだと言っていいのか、それとも肉体の波長が荒すぎるのか。

ペ:シルバーバーチの方が物質界に合わせて降りてくるのと同様に、バーバネルも交霊会の時はある程度上に行っているはずですよね。

有希:地上側が上がってむこうが降りてくれて、お互いに一致しようとする力を持つわけですね。

ペ:翻訳の近藤千雄さんも講演会で同じようなこと言ってましたよ。普通の本を翻訳する時はどうということもなくすらすら書けるんだけど、シルバーバーチはきちんと和服に正装して正座して背筋を伸ばしてしっかり集中しないと、一行も書けないんだそうです。心身ともに普段とは違う状態になるようで、例えば血圧がすごく上がったりするらしい。
というのは、少しどこかケガをした時にシルバーバーチの翻訳を始めたら、ものすごく痛くなってしまって病院に行ったそうなんですよ。検査したら異常な血圧----250ぐらいって言ってたかな----が出て、即時入院させられそうになったとか(笑)。それで、シルバーバーチを翻訳する時は血圧が上がっているというのがわかったんだそうです。

有希:そうですか。そういうことってあるんですね。序文の中に、霊媒のバーバネルが本当にトランス状態に入っているかどうかをどうやって確認するのか、というのが書いてあるんですが、世の中にもそういうことがありますよね。霊を乗り移らせてしゃべらせるとか、インスピレーションを受けました、とか言う人いますよね。そういうのって本人の顕在意識とか潜在意識とかがだいぶ入っているんじゃないのかなって思うんですよ。それに対して、バーバネルとシルバーバーチの場合は、バーバネル自身が考えていることと正反対のことをシルバーバーチがしゃべっていたりすることを通して、バーバネルの潜在意識が入っていないということがわかると書かれてあるので、なるほどと納得しました。

ペ:そうですね、もともと心霊現象に否定的な人を説得する材料にはならないとは思いますが、こういうこともあるんだなーという程度には心に留めておきたいエピソードです。

有希:シルバーバーチが交霊会を通じてずっと真理を伝えていることを知ると、中には交霊会がとても大切で、霊が語っていることが大切だと錯覚している人が結構いるんじゃないかと思うんです。いまだに交霊会を開いて霊を降ろして、その霊にしゃべらせてというやり方をしているところもいくつかあるようです。交霊会を重視している人と、何でいまさらそういう交霊会が必要なのか、ということについて話したことがあったんですよ。というのは、霊がある程度納得できることを語っているのだったらいいけど、ただ霊が語っているということだけでそれを良いものと思ってしまうのはちょっと危険なのではないかと思ったからなんですけどね。すでにシルバーバーチという高級霊が霊的真理を降ろしているのだから、あとは交霊会がなくても、これを勉強する場自身が実際には交霊会と同じ役割をしているのではないかと思うんです。

ペ:そうですね、交霊会をしている人までは知りませんが、霊能者の言うことを有難く受け賜っちゃうような人はいますね。そんなの聞いてんなら本を読めよって言いたくなりますよね。

有希:バーチでもモーゼスでもいいですけど、読んで語り合うことによって何かしら意識が変わるということはありますよね。霊性が上がるというか、1人より2人、2人より3人で読むことで受けるインスピレーションが変わってくるし、感じる何かが違うというか。

ペ:わざわざ本で読めるものよりも低いものを呼んで話を聞く必要はないですからね。やっぱり霊能者信仰みたいなものがあって、そうやって自分で見られる人(霊能者)の方がきっとすごいことがわかっているに違いない、と思う人がいる。
まぁ言ってみれば「一流ミュージシャンのCDを聞くよりも、となりのおねーさんとカラオケに行く方が良い」という心情なんでしょう。それが楽しいであろう事は否定しませんけどね……ただ、カラオケに高度な芸術性が求められないのと同じく、そこらの霊能者の霊視や交霊会では、シルバーバーチの霊言集から得られる程のものは得られるはずがない。
それでも、死後存続の証拠を提供してくれる種類の交霊会なら素晴らしい存在意義があると思うんですが、そういうのは少ないみたいで……。

長田:霊的真理はわかる人しかわからないし、ましてや本だとみんなに向かって語っているわけで、これが霊能者とかだと自分だけに言ってくれているから、内容がお粗末でも有難くなっちゃうし、信じちゃうし、それにすがってしまうというのは人間の未熟な部分ですよね。

有希:序文から抜粋すると『いったん活字になってしまうと、シルバーバーチの言葉も、その崇高さ、その温かさ、その威厳に満ちた雰囲気の片鱗しか伝えることが出来ない。交霊会の出席者は思わず感涙にむせぶことすらあるのである。シルバーバーチがどんなに謙虚にしゃべっても、高貴にして偉大なる霊の前にいることをひしひしと感じる。決して人を諌めない。そして絶対に人の悪口を言わない。』とあります。
シルバーバーチは相手の未熟さを絶対に責めない、というところをみるとやっぱり成長進化している霊だなぁと思うし、私たち自身が見習わなければいけないところだと思います。ただ真理真理と追い求めるだけではなく、実際の態度とか心の持ち方とか、霊的視野の持ち方とか、そういうものはお手本にしなければいけないなと思います。ちまたで聞く交霊会とか霊能者が言う霊の言葉には、欠点ばかりをあげつらったり、厳しいことばかりを発していて不安に陥れていくものが多いんですけど、そういうのはあまり高くないし、愛がないなぁと感じますよね。シルバーバーチは絶対に不安にさせないし、不安にさせないどころか逆に自信を持たせてくれたりとか、内容的に厳しいんだけど何かそのうち出来るような気持ちにさせてくれたり、成長する方向へと導いてくれているように感じます。

ペ:宗教とは逆ですよね。宗教は不安に陥れて、自分に頼らなければ乗り越えられないという強迫観念を押しつけますからね。シルバーバーチは自分の力で乗り越えられないものはないと言いますから、全く逆です。

有希:宗教というとらえ方がシルバーバーチは違いますよね。私たちが宗教というと、どうしても宗教団体を思い浮かべるけど、シルバーバーチは「人の為に自分を役立てること」と言ってますもんね。やっぱり言葉というのは地上だけのもので、世の中でどんどん言葉が一人歩きして、そのイメージを固定させていってしまっているのを感じます。

ペ:ふだん宗教といっているのはカギカッコつきの「宗教」ですよね。シルバーバーチのいう本当の宗教とは別のもの。それでも実はカギカッコ付きでも「宗教」であるだけまだマシで、世の中にはそのカギカッコ付きの「宗教」でさえない、“自称”宗教が一杯ありますから。

長田:宗教=人の為に役に立つことって言われればみんな納得できるのにね。簡単な言葉で伝えることって大切ですね。

 

3)「理性で納得できないことは受け入れなくてもいい」とは?

有希:シルバーバーチが一貫して言っている理性とはどういうことだと思いますか?

ぺ、長田:…………

有希:私はシルバーバーチの言う理性と、世の中で言う理性とちょっと違っているような気がするんです。世の中で言う理性とは、自分自身がある価値基準を持っていて、それに合わせて理論立てて色々考えて、その理論に合うか合わないかで判断していると思うんです。シルバーバーチの言う理性は、そこに霊性が加わる。例えば人と話をしていて、この人は良い人で信用できると直感で見分けることってよくありますよね。でも、何で信用できるか説明しろと言われてもできない。出来ないけれども直感で感じ取る力を人間は持っていると思うんです。本にしてもそうだけど、似たようなことが書いてあるけれど、これはレベルが高いなぁと感じる、どこがどう高いかわからないけど自分はそう感じる。というように魂で納得できるという部分も含めたところの理性ではないのかなぁと思っているんです。
掲示板でも、結構理論尽くめでつじつまが合わなければダメってところありますよね。でも、霊性とか理性で考えると、多少つじつまが合わなくても納得できるところは納得できる、みたいなそういうものを人間は持っているんじゃないかと。
シルバーバーチがなぜ高級霊と言えるのかと聞かれた時、理屈ではなくてただ「そう思う」としか言えない部分があります。知性的なところばかりではなく、心の部分も満足させてくれるし、不安があっても取り除いて将来に対する希望を持たせてくれたりとか、要するにエネルギーとか力を与えてくれるような感じがするんです。私自身はそういうふうに納得できる部分を本来の理性と言うんじゃないかと思ったんです。ところが、色々なメッセージとか霊能者の言葉とかありますけれど、一見すると言葉はつじつまが合っていてとても立派なことを言っているのだけれど、どんどん不安に陥れられて行くような感じがすることがあります。そういうのは、理論的には納得できてもやっぱり何か拒否反応を起こしてしまうものもあります。そういうところも含めて、理性で納得できることというのは、別の観点から考えてもいいのではないかなぁと思ったんです。

ペ:一見筋が通っていそうに見えて、変な感じがするというのは、理屈の中にどこかごまかしがあると思うんです。理屈を突き詰めていけば直感みたいなものと一致するところがあると僕は思います。

有希:そうですね。それはあると思います。でも往々にして女性というのはそこまで突き詰めないところあるよね>長田さん。わりと直感重視の人が多いし。

長田:そうですね。ただ言葉を知らないというか、女性はそういうのを感じているんだけど、それを表現する力を持っていないことはよくあります。

有希:変だなぁと思っても、これだ!! となかなか言葉で表現できなかったりすることがよくあります。

ペ:そうですね。最終的にはシルバーバーチの霊訓のような高いものに親しんで、見る眼を養っていくというか、自分自身を高めていけば、変なものを見れば判るようになりますものね。

有希:いつもいいものに接していると、良いもの悪いものの見極めがつきますよね。

ペ:理屈ではわからなくても感じ取れるようになればそれはそれでいいとは思うんですが、しかし、理屈でも説明できればもっといいと思います。おかしなものばかり見ているせいなのかどうか……感性が麻痺してしまって、変なものを「これがいい!」と感じてしまう人もいますから。
そういう「感性が狂っている」人がいっぱいいるんで、直感で判ればいいと言ってしまうのにはためらいがあります。一見筋が通っているように見えても、おかしなものは突き詰めれば必ずどこか論理的な破綻が見つかるわけですから、やはり、直感と同時に論理的に考えることも心掛けるべきでしょうね。両方大事。

有希:それが出来れば本当にいいですよね。そういうのはペーパーバーチさんの役割だったりして(^・^) それから、「納得できないことは受け入れなくてもいいですよ」というのを楯に取る人もいるんですよ。楯に取ると言うとちょっと語弊があるけど、理性で納得できないことは間違っていて、納得できることは正しい、というふうに受け止めてしまう人も中にはいます。自分で納得できたからそれは正しいとは限らないですよね。その時納得できなかったことでも1年後2年後には納得できるかもしれない。だから、正しいことと理性で納得できることとはイコールではないと思うんです。これはいつも気をつけていなければいけないなぁと思っています。

ペ:自分は正しいと思う、間違っていると思う、というところで保留するならいいですけど、自分が納得できないから間違っているとか正しいとかとなるとまずいですね、そこで止まっちゃいますから。

長田:とかく自分の未熟さを受け入れたくないところって人間持っていますよね。心の奥ではわかっているけど、受け入れたくない、認めたくないみたいなところが。それを自分の理性が納得出来ないから受け入れなくてもいい、とか言う人いますけど、それはただの傲慢でちょっと違うんじゃないのって感じがしますよね。

 


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